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2015-2017 NOTE

2017.12.31

今日は大晦日、例年どおり年越しの大祓の神事に参加した。近江八幡の日牟禮八幡宮寄り、神事の準備と新年の参拝の準備を見て、ここから車で10分の賀茂神社で神事に参加した。1年の無事に感謝すると共に、1年の穢れを祓って新年を迎え、次の1年を過ごすのである。私は神に願をかけることはない、ただただ清めてもらい感謝をするだけである。

体調を崩していた賀茂神社の宮司さんも、元気を回復してきたようで、氏子総代と神事の終わった後、談笑をしてくつろいだ様子だった。毎年書くが参加者は年々増えている(今年は20名以上)…8年前に初めて来たときは氏子総代以下3名の役員以外は私ともうひとりだけだった。

去年と同様、小型で無音、良いレンズのLUMIX GX7+ZUIKO 12mmF2。

2017.12.26

浜寺公園二景…こちらが阪堺線終点の浜寺駅前駅、この大阪最後のチンチン電車は通勤通学、そして観光用に生き残るだろう。各地に残る路面電車と同様にレトロ色が強調されてきている。「祝」のプレートには、祝・世界文化遺産国内推薦/百舌鳥・古市古墳群と書いてある。道を左に渡ると浜寺公園だ。 そして埋立地に工業地帯と高速道路ができて水路と化した浜寺海水浴場跡地…どこかの漕艇部が日が暮れるまで練習に励んでいた。 PENTAX-KP+PENTAX DA15mm F4 ED AL…ちゃんと写っているが線の細い部分の(例えば松の葉)分離が良くない。

2017.12.25

高島を後に神島へ戻る。天気が良すぎて夕焼けとはならなかった替わり、三日月が冴えて高島の上にかかっていた。

さて高島への旅は今日でお終い(現実には、pm1:30-5:30までの出来事を1ヶ月かかって紹介した=滞在時間は短くても取材の内容は濃い)。神島外浦港に下りて遠ざかる連絡船の桟橋風景、フィルム時代では考えられなかった景色が写される。実際は真っ暗で、感度を上げて撮っても、ダイナミックレンジを広げてもキレイに写る=記録写真家にはとても有利になった。高島の撮影はすべてSONY α7-2+SONY-FE28mmF2で記録した。

2017.12.24

港へ戻るとすでに日没。山の上の建物が島で唯一年間運営しているペンションだ。こちらの港には漁船も多く、まだ漁村の風情が残っている。おそらく人口50−60人のうち半分以上がここに住んでいて、あとのふたつの地区に10名程度ずつ住んでいると思われる。

さて連絡船がやって来た…ここから乗るのは私だけ、おばさんは荷物を船頭さんに預けるのである。いくつかの島を巡ってきたため10名程度は乗っている。船は新しく速度も出る。

2017.12.23

日没が近いので集落を駆け抜け、次の岬へ登った。むこうのハゲ山が港横の石切り場跡、この集落は島で一番大きく人口も多い。もう集落は影になった。

そして背後の岬へ…なんとか間に合い、西の対岸である鞆の浦付近へ沈む夕陽を捕まえられた。

2017.12.22

岬を巡って、夕陽の当たる港の西側の地区へ向かった。途中、港の向こうに見えた石切場に立ち寄る。最初に紹介したものより規模は大きい。

そして西の集落の入り口には誰かは分からないが神が境界を守っている。日没寸前のためにカメラのAWBをもってしても世界は赤く染まる。奥の倉庫が港の場所だ。

2017.12.20

日露戦争の碑より先はやや新開地らしく家並みは海沿いだけになる(どちらにしても住民は少ない)。道は砂浜の終わるところでなくなり、小さな規模でカキの養殖をしている。作業場へは道はなく船でいくしかない。ここで島歩きもほぼ終了、浜に腰かけてしばし休憩。

港への帰路につく…砂浜を歩いてみる。やはり人手がないため浜は手入れがなされず、打ち上げられたゴミが多い。この浜には上の写真の1艘を含めて5−6艘の小型漁船がある程度の漁業となっている。山に日が沈みかけている、急いで山の向こうへと歩き始めた。

2017.12.18

家並みの上へ登ぼると不思議な光景に出会った。周りの広場はきれいに整地・草刈りがなされているにも関わらず、真ん中にある石の囲いの中は草ボウボウである。倒れた説明板を読むと、神武(カムヤマトイワレビコ)東征の折りにここに立ち寄り、お手植えのを残して、それが近年まで立っていて、島民は囲いを作って大事にしていた…榊が倒れ腐った今も神聖な場所として鋏を入れないようにしているようだ。

山に入り、また下りてくると、さすがに石材の島、堂々とした日露戦争の戦没者記念碑が建っていた。背後は海である。

2017.12.17

東の集落の中心に高島神社がある。と言っても石柱と小さな本殿があるだけで、あとは空き地となっている。ただし、ここで古代の集落跡が発掘され、伝承だけではなく古代から栄えた島だったことが分かる(島内には古墳も多く発見されている)。

集落は山から流れる細い川沿いに立地し、少し山の方へ入ってみよう。ここでも畑は大部分が耕作放棄地で家が微高地に並んでいる。このドラム缶は簡易な焼却装置なのだろう。大きな島以外はゴミ処理場は少なく、以前のように海に流すわけにもいかず、燃えるモノは簡易焼却、腐るモノは埋め、大型のゴミは空き地に積んでおく…これが現状である。

2017.12.15

海沿いの道を東へ歩くと、途中(徒歩10分以上民家はない)石切場の跡地にお稲荷さんの社があり、それに似つかわしくない大きな鳥居が建っていた。いずれ石切り作業の事故死者を弔ったもので別々の人の寄進である。山が海に落ち込む場所で、背後は浜が、前は照葉樹の深い森となっている。

東側の集落のはずれに着いた。やはり町はずれの家々は廃屋が多く、山から木々が下りてきて元の自然に呑み込まれつつある。しかし全体としては隣の集落より人口は多いようだ。

2017.12.13

二宮金次郎像を反対側から…台座は元の校門の門柱で、別の所に建っていた像を、ここに置いたもののようだ。校門の横にあったイチョウは残されて銀杏がたくさん落ちていた。廃屋の向こうに移住者の家が一軒あり、その先は山である。

さて海方向へ戻る…両側は民家なのだが、かなり以前に放棄されたようで、すっかり草木が茂り自然に帰りつつある。

2017.12.11

背の高い草で見えなかったが、公民館への道を進むと広場に出た。高島小学校の跡地である。古い校舎は取り壊され、敷地の一角に公民館が建てられたというわけだ。右端に体育用具の倉庫だったらしい小屋と、「二宮金次郎像」が残されている。そして校庭は整備されていて、島の様々な行事に使われているようだ。

高島にも「芸術家」が移住していて(島民に聞くと、やはり定住ではなく本土と行ったり来たりの生活らしい)、家の前にカキ殻を組み上げたモニュメントが建っている。「天目岩」との立て札があり、この島にあった古代の天文観測の装置をイメージしたものらしい…彼の本業は陶芸のようである。

2017.12.8

高島は字が大きく分けてみっつあり、港のすぐ東は昔の石切り関係や魚介類の加工場などが主で、操業しているようには見えない(ほとんど人も住んでいない)。草木だけが繁茂している。

そして地区の東はずれに来ると、ずいぶん以前に放棄された田畑の耕作放棄地があり、草刈りなどもなされていない段階になってきている=耕作しなくなっても、まず最初は近所の迷惑になるからと定期的に草刈りはなされる。藪の向こうに、この地区の公民館が見えてきた。

2017.12.5

船着場から見えていたのとは違うが、花崗岩を切り出した跡地…おそらく40−50年前に放棄されたらしく、飛んできた種が岩の割れ目に根を下ろして育っている。下の池は地中深くまで堀込んだあとに雨水が溜まった深い池で、岸から直角に落ち込んでいるために非常に危険である。特にフェンスで囲っているわけでもないし、「危険」の表示もなく、誰も居ない放棄地のために、あまり近寄らない方が良い(このような場所は高島だけでなく、瀬戸内の島の各地にある)…本当の自然の岩山に還るのには何百年もかかるだろう。

石切場の横には奇妙な建物があった。もう消えかかっているが「タンカ 車いす」と書いてあり、石切り場の事故などを思い起こさせる。石切りの職人・人夫は島民もいたが、最盛期は全国から集まっていたのである。「昔1000人、今50人…」と言う言質には、単なる過疎というだけではなく、そのような意味も含まれている=石切りだけではなく、漁業や海運でも同じ、島の限られた空間では、ある産業が栄えて衰えるまでが早く、ひとたび衰えるとアッと言う間に人が余所へ移ることなるのである。

2017.12.4

また高島…船に何かは分からなかったが荷物を積み込むために船着場横から出てきた。何度も往復しかなりの量になった(ゴミではない)。この島で見かけた唯一の若い人だった(住んでいる島民は全部で50名程度)。午後3時ごろなので太陽は低く影は長く伸びる。木の上に少し見えている半鐘場にはすでに半鐘はない。

連絡船の待合所の建物を兼ねている島の診療所…月に2回(第一・第三金曜日)本土から医師がやって来る。 SONY α7-2…やはりエンジンはα7-1stより改善されている=解像力ではなく色相や彩度などAWBの改善。

2017.12.3

またまた旅行記の途中で、今日行った琵琶湖・竹生島の報告だ。これも書かねば…この写真は夕刻pm3:50最終便で長浜に帰る船上で。明日から2月いっぱいには船も冬ダイヤとなり便数が減る。本年度内では今日しか無かったと言うべきだろう。島に160分滞在、冬はダイヤの都合で80分の滞在となる=80分では歩くなら可能だが、写真を撮りながらとなると島の半分しか回れない。今日は往復の船上も含めて約5時間で1400カットだった。

カメラはさんざん悩んだあげくコレになった。竹生島は過去に何度か行って土地勘があり、写真を撮るにも狭くて人出も多いため、いつもよりワイドのレンズとなった…CanonやNikon、FUJIFILMやμ4/3他にもこの画角はあるが、使いやすさはSONY-α6000が一番なので、最終的にこう決めた(前日までに3セットのカメラのバッテリーを充電した=これだけは決めてすぐとはいかない)。SONY NEX-7のコクのある色味も魅力があるが、島歩きは1台しか持たないので、この際慣れたα6000にして彩度を少し上げたのである。

2017.12.2

地元の人を2名と私を乗せただけでアッサリ出航…日光寺は木立に囲まれてよく見えないが、右の山のアンテナの右側に本堂のてっぺんが少し見えている。船着き場の右側に旅館が4−5軒あり、もっとも高い建物は学校、港の左側は住宅地だ。神島の本村は日光寺の向こう側の盆地で農業を中心に営んできた。

5分程度の航海で高島に到着…降りたのは私以外はひとり、そしてかなりの数の荷物だ。古代からの歴史を背景に、この島も例に漏れず一時は観光に力を入れたが、数多くあった宿屋(民宿街と呼べるレベル)は今は洒落たペンションが1軒と古くからの民宿が1軒営業しているのみである。「名勝高島」の看板の向こうの崖は、これも瀬戸内の島につきものの花崗岩を切り出した跡が放置されたものである(かなり危険なので近づかない方がいい)。港を中心に島の北岸に沿って町並みは左右に伸びている。

2017.12.1

港に降りると、そこは元の旅館街(今も2−3軒営業しているようだ)だ。これらは近年の観光ブームでできたものではなく、海運時代の名残なのである。神島は埋立で本州とつながっているが、本来は瀬戸内海運の基地のひとつだった。地区には海運ではせた人達の豪邸もみかけられた。

さて湾奥の笠岡から連絡船がやってきた。ここから1時間以上かけて、高島−白石島−北木島を経て真鍋島へ行くのである。さらに船は讃岐側の佐柳島へと渡っていく。

2017.11.30

参道を下ると四国の石鎚神社の分社が海を向いて建っていた=ここは岡山の笠岡だが日光寺と言い、石鎚神社と言い四国そのものである。本殿はこんなに小さいが麓の拝殿や鳥居は立派なものである。

道路脇の地蔵堂、海風や波浪を受けないために波板で囲っているが、中は快適でお地蔵さん・お大師さん・観音さんの傍らに座って歓談できるようにパイプ椅子がある。このような小さなお堂がいくつもあり、トイレの設置されている場所すらある。

2017.11.29

岬の無縁仏のストゥーパ、こんな場所に祀られて幸せだろうと思った。α7-2の描写力はなかなかのもので1stモデルより良くなったようだ。

さて崖下へ古くからの参道を港に向かって降りていく。現在は境内の裏に車道ができたために信徒は皆そちらからお詣りするようで、表参道はすっかり山に還っている。往時の海運の繁栄のなごりの看板が街灯に残っていた。そして細い山道もきれいに清掃されていて、この寺が神島の心のよりどころであることは変わっていない。

2017.11.28

話は飛び飛びになるが、先週の笠岡諸島への旅から。いつものように(もう4回目)笠岡神島外浦港から連絡船に乗る。船の時刻まで1時間あったので神島の集落を歩いた。とりあえず地区の裏山の竹林を経て高台へ登ると日光寺の境内の裏へ出た。広くて明るくきれいな境内である。やはり神島は江戸時代の海運で栄えた港らしく、江戸末期の年号の灯籠や碑が多く見られる。山門前にはお大師さん(空海)の像が海を背に立って本堂の方を向いていた。

境内の前に広がる瀬戸内海…眼下が神島外浦港で、向こうに点在するのが高島・白石島・北木島などの笠岡諸島、おりしも島からの連絡船の帰り便が入港してきた。観光地図にも載っていない隠れた絶景である。今回は半日なので船で5分の高島に渡り、2時間ばかり歩いた。携行カメラはSONY α7-2+SONY-FE28mmF2だけである。

2017.11.27

日間賀島上陸…連絡船も臨時便が出るぐらいの人出だ。港にはホテルや民宿、土産物屋や飲食店が建ち並び、「離島」の雰囲気とはかけ離れた景色である。周囲4−5kmの島にもかかわらずクルマが多いのにも驚いた(多くがホテルや民宿の送迎用)。どうもRICOH GR(APS)の色味やAF合焦速度&精度に疑問を持つ…ずいぶん以前になるが、買った当時は「なかなかイイな」と思ったものだが…島歩きに1台だけ持つには不満がある(サブカメラなら可)。

港の雑踏を抜けて島の奥へ歩いていく=5時の便で帰ることに決めていたので、やみくもに歩いても4時間もあり、ほとんどの場所が見られるのである。名物の干し蛸、生産が間に合わず扇風機で乾燥させていた。このようなシーンでは良い絵が得られる。

2017.11.26

8年ほど前に上野公園で知り合った路上パーカッショニストの立松氏と半年ぶりに再会…東京へは「フィールド写真同好会」で年に3回来るのだが、初日は夜に前回撮影分の講評会のため、午後2時ぐらいに着いて、必ずと言っていいほど上野公園を日没まで散策する。その最初の頃に初めて不忍池の畔で会った。それ以来、年に2回ぐらいは上野公園のどこかで出会う。いつも金曜なので、彼も常時来ている訳ではなく、あくまで偶然なのである。CDも3枚出していて、世界一周自転車による演奏旅行(たぶんスポンサーがある)も若い頃したらしい。大道芸で生きていくのが可能と彼を通して知った。さまざまな民族音楽のリズムや旋律をマスターしていて、自作の木琴や打楽器で客層に合わせて演奏する…今日のお客はイスラエルのユダヤ人親子で、自国の音楽に惹かれてやってきた。

秋の終わりの上野の散策路…ここでも京都ほどではないが、外国人相手のレンタル着物店があるらしく、振り袖を着た外国人が写真を撮りあっていた。 Leica-Q 28mmレンズと言ってもsummiluxなので絞り開放ではピントが非常に薄いのでAFには要注意=このシーンではセンターAFで人物と落ち葉に合わせた2枚を撮っている。

2017.11.24

木金曜日(両日とも雲は多めだが好天気)で瀬戸内へ…笠岡諸島の高島と燧灘の魚島だ。これも徐々に書いていく。こちらの写真は因島から魚島へ1時間10分かけて航海する連絡船だ。向こうの陸地は因島をはじめとしたしまなみ海道の島々だ。一番左の高い山は岩城島の積善山である。船は瀬戸内海で最も島の少ない燧灘へ向かっていく。

今回の機材は、SONY α7-2とα6000だ。レンズはFE28mmF2とE20mmF2.8だけ…両日とも島歩きなので、この程度の画角だけで充分なのである。α7-2は初めて実地で使ってみたが、性能のことは置くとして(後日書く)弱い弱いと言われていたバッテリーの弱点がハッキリ現れた。おそらくセンサーシフト式の手振れ補正の動きによるものだろうが、1日目に半日880カットでバッテリー4個を消費した。2日目は危なくて、こんなこともあろうかと予想をしていた予備機(全てにわたって慣れている)のα6000に変更した=こちらは3個で1100カット。バッテリーそのものは5個持っていったので問題はないと思われるが安全をとるのである(島歩きにカメラは2台持たない=1台は港のクルマに置いていく)。二日間で9時間歩いて足腰はガクガクとなった=しかし慣れているので明日には回復するだろう。

2017.11.21

大阪平野へ飛んでいく気分。

と! いきなり生駒山上遊園へ=3=3=3 今日は事務所でも多忙、帰宅後も多忙で、ようやく今日中にアップとあいなった。あとはまた書くとして、もっと鄙びた遊園地かと思っていたら(近所に住んでいるのに初めての訪問)たいへんな賑わいで、各遊具は30分待ちである。天気も良く、大阪平野が枚方から泉州まで霞んでいた…これが魅力なのだろう。霞んだ向こうに蜃気楼のように大阪湾のきらめきがハッキリと見えていた。こういうシーンではSONY NEX-7の「濃さ」がいい=α6000では少し軽めの色となる。

少し高いだけでもっと迫力のある景色だろう。ぜひまた来ようと思う。

2017.11.20

生駒へ戻る…境内全体が山の斜面なので更に登っていく。宝山寺の寄進の額はお寺の規模としては、かなり巨額で、祈祷を受けて(この場合は商売に関するモノが多い)成就したときの寄進は桁外れとなる。この写真は多いものを選んだわけではない=向こう側にも5千万・4千万の碑が建っている。「浴油」とは歓喜天(ヒンドゥーにおける像頭人身の神)に行う独特のご供養法のことで、密教の修法の中で最も深秘の法とされている。この浴油祈祷を行うことによって、歓喜天から強力な力を授かり、不可能だと言えるような祈願でも必ず成就させてもらえるとされている。

さて階段を上がるとふたたび平坦な場所に出て、ここが宝山寺の中心となっている。ここにも各お堂の真ん中に歓喜天の鳥居がでんと構えられている。境内は更に二段・三段と奥へ続くが、ここで一休みとしよう。

2017.11.19

今日は日帰りで(京都からだと高速+高速連絡船=3時間で上陸した)愛知県知多半島地先の日間賀島へ行った。pm1上陸、pm5の船で帰り、4時間で島を一周した…写真を撮りながらなでなければ2時間で歩けるだろう。ここは交通の便が良く、名古屋からなら1時間程度で来られるため、全島が観光地となっている。おびただしい数の民宿・料理旅館・ホテルが林立し、すべてが採算が取れるのかと余計な心配までしてしまうほどだ。このルポも差しはさんでいこう=秋は旅の季節なので毎週どこかへ行く。

今回は距離を歩くのと、島だけのため(画角は28mmでOK)軽くて携行の楽なRICOH GRのみとした。久しぶりに使うと便利で信頼性も高いと再確認できたが、さすがにAF速度は遅く、時代の流れを感じさせられた(画質はそれほど大きな相違は見られないが、それ以外の進歩は非常に速い)。今回は周辺光量を落としたセッティングにした。

2017.11.16

不動堂にて…撮影禁止ではないが、やはり敬意を表して暗くボカした。ここでも護摩焚きをするらしく内部は煤で真っ黒だ。

少し進むと今度は太子堂…お地蔵さんや観音様を脇にひかえて、ややふっくらしたお大師さんだ。日差しが差し込んで、香の煙を浮かび上がらせる。実際この寺はたくさんのお堂があるのと、熱心な信徒が多いため、境内はお香の香りと煙が際だっていた。

2017.11.14

宝山寺の境内に入った(本当は全山が境内)…しかしまず出迎えたのは山門ではなく、寺にも関わらず大きな鳥居である。扁額には「歓喜天」と大書されている。ここは未だに神仏混淆を貫いていて、歓喜天(聖天)様も仏であるよりヒンドゥーの神様としての性格が強い。

鳥居をくぐると右に駐車場があり(満車!)その脇に不動堂に詣る…宝山寺は観光と言うより信心で人は集まっていると感じられた。観光寺院と比べると熱心さがまったく異なる。少しややこしいが、これから日替わりで四国旅行と生駒詣りを更新する。そして関東旅行も…

2017.11.12

11/10-12で関東地方へ撮影旅行…1日目は例によって上野公園だ。pm5:15、ほとんど真っ暗で人工光線だけで撮影=Leica-QはISO1600でも大きな破綻はない。国産デジタルカメラでは当たり前の範囲だが、Leicaレンズの味を1600で出せるのには価値があるだろう。

今回はLeica-Qだけで旅に出た。j-pegだけならバッテリー1個で400毎程度は撮れる。埃の進入が心配だったが、今回見てみるとねじ込み式のフードの基部にもOリングが入っており、それなりの対策をしているようだ。たいへん良いカメラである。

2017.11.9

いよいよ参道へ…右は旅館街、左は表参道、このような石段が延々と麓から続いており、来るたびに讃岐の金比羅さんを思い出す。こちらは沿道の店も歩いて納品などをせねばならない不便さのため、参拝者の減少以上に店の数が減っている。宝山寺駅で降りたとは言え、寺はまだ彼方である。これも門前町を歩かせて多少の賑わいを維持しようとする配慮なのである。

振り返ると生駒の盆地が眼下に見えて景色は良好。これを下から徒歩で上がるのは骨である。B級観光地を目指す旅(「フィールド写真講座」のコンセプトのひとつ)なので、ここでは外国人はさすがに少ない。

2017.11.8

宝山寺駅に到着…それなりの人出だが満員と言うほどではない。あとで分かったが多くの人がクルマで宝山寺へ上がっていて、駐車場は満車状態であった。宝山寺だけではなく生駒山上遊園でも同様である。私たちはケーブルすら乗らず、下から参道を歩く案もあった=これは時間の都合でよしたが…スーパーワイド(15mm画角)のスナップは迫力があり、これから「フィールド写真講座」では常用しようと思う。さすがに研究用の記録写真には不向きだが=24mmまでかな?

宝山寺駅の外観。もう寂れてしまっていて駅員もいない。門前町にはおびただしい旅館や土産物屋、神具店、占い屋が並んでいるが、往時の繁栄を偲ばせるだけで、現実には廃業や季節営業の店が多い。これから参道の階段を上がる。

2017.11.5

 今日は「フィールド写真講座」で奈良県生駒市、宝山寺〜生駒山上遊園での撮影となった。天気は快晴、暑くも寒くもなく、ほとんど無風の撮影日和だった。まずはケーブル線の駅へ…それほどは混んでいないが、それでも通常20分間隔の運転が観光シーズンのために10分間隔となっている。名物猫電車に乗って宝山寺へと向かう。

 駅では人気の猫電車・犬電車の書き割りで記念撮影だ。 SONY NEX-7のオートホワイトバランスは、このようなシーンではやや温色に傾く。今日はSONY E10-18mmF4ですべて撮影した(ズーム比に無理がなく極めて良好)。

2017.10.28

金土で台風の接近しつつある徳島県牟岐町:出羽島に行った。風がなく、雨も降ってはいても横なぐりとならなかったために、思ったより楽に踏査できた。しかし11時30分の上陸で、15時の便で帰った=最終便は欠航となる。良い経験となった。

機材はα6000とNEX-7で(AF以外はほとんど同じ性能)、レンズはZeiss Vario-tessar E16-70mmF4とSONY-E20mmF2.8、これだけで1日目の鳴門での定点撮影と2日目の島歩きは必要充分だ。 待っていたSONY FE24-105mmF4レンズが出たら、α7系も24-105mmと28mmか35mmでほとんどの写真が撮れることになった。ようやくOLYMPUS E-P1以来の「私にとっての」ミラーレスの時代がSONYによって完成しつつある。

2017.10.22

今日は台風が来た…大雨である。それで朝の7時から家の片づけだ。 RICHO GX100

Leica M9+ヴィゾフレックスIIIで撮影…このカメラでほとんどのテーブルフォトを撮っている。かなり優秀なコンパクトカメラだ。

2017.10.18

今日は天気が悪く休暇としたので力を抜いてカメラの写真を2点…ひとつは前期型のLeica M2(+summicron 35mmF2/3rd初期型)。カメラ談義4にもあるとおり、前期型をLeica純正改造でセルフタイマーを付けて、ファインダー採光窓も後期型に交換したものだ。そして私のところへ来たあと、カメラ店のルミエールで徹底したリペアとブラックペイントを施したボディである。当時(2001年)ルミエールではリペアを大々的にしていて、店の技術者だけではなく機械マニアのワークショップのような形態で運営していたと記憶している。少し心配になって店長に電話を架けて話したところ「任せてください」とのことで、少し時間はかかったものの外見ばかりではなく、内部の機構部分も完璧に調整されて戻ってきた。実のところ当時のLeicaブームで、いい加減なペイントやリペアが各地で見られたのである。そして久しぶりに取り出してみると16年の経年による劣化はまったく見られず、きちんとした仕事を廉価でしていたことが分かる。

もうひとつはNikon S2と復刻版のS3である。レンズはコシナがLeica用に造った21mmレンズの流用版と、復刻S3には古いゾナータイプのNIKKOR 5cmF1.4だ。これも久しぶりに取り出して動作させると完調である。カメラ・レンズはなるべく新品で買い、それのできない古いものはOHしたものを買うため、不調となることは少なかったと思う(使い方が激しくなるデジタルカメラの方が故障が多い)。

2017.10.4

鳥羽の「海の博物館」(民営)がついに鳥羽市立となった(2017.10.3-)。ここの事業にも幾度か関わり、若い頃から出入りした思い出深い場所である。民営なので経営に苦しく、どうなることかと思っていたが、存続が決まってほっとしているのが現在の心境である。また訪れてみよう。

2017.10.1

ふと思い出して、今年の春に訪問した、三浦半島:観音埼灯台。映画「喜びも悲しみも幾年月」(監督・木下惠介)の最初のシーンに登場する景色だ。1869年2月11日に初点灯された日本最初の洋式灯台である。現在の灯台は関東大震災で崩れた後に建てられた3代目である。

灯台の上から浦賀水道を眺める。向こうは房総半島で、ここが一番狭まった場所である。 FUJIFILM X-Pro2+FUJIFILM X-18mmF2…いい味を出すボディだが、レンズのAF駆動が古めかしく(インナーフォーカスではない)フィールドでは使いにくい。新レンズ群が待たれる。

ファインダーのフレームは18mmがちょうど良く、Leicaで慣れた使いやすい28mm画角も撮影に適している。Mk-2の登場も予定されているらしいが、この程度の薄さの鏡胴であってほしいものだ。

2017.9.23

鳴門市営の岡崎渡船。一般には知られていないが、ふたつの島と四国本島に分かれているのだ。分けているのが目の前に見えている小鳴門海峡で、渦潮で有名な大鳴門海峡は航行に適さないため、昔から多くの船はこちらを通って紀伊水道−瀬戸内海を行き来してきた。そのため航行を前提として橋は高く架けられ、人や自転車は渡船で往来することになったのである。海峡を通して4本の渡船航路がある。道の替わりなのですべて無料だ。

もう一方、松茂町の県道220号線(以前は国道)の今切川に架かる可動橋。ここも中流域まで水運があり、今もかなりの大型船が出入りするため、架かる加賀須野橋は可動橋である。3代目の左の橋は道も船の通路も狭く、老朽化も進んだために2014年に右の4代目に替わった。可動橋を廃止して高い橋にする案もあったが、住民の請願もあり新たに可動橋は架けられたのである。これは完成直後の写真で古い橋はもう落とされている。そもそもこの道が国道から格下げになったのも、少し上流に高い橋でバイパスが造られたからである。ここも旧橋の運用から、新橋の工事まで記録しているために、機を見て本にしたい(たぶん瀬戸内紀行の1シーンとして)。 SIGMA dp1m…色味は地味ながらSIGMA dp1Qより緻密な気がする。

2017.9.22

丹波路へ…子午線に出会う。もう山陰の名もない海蝕崖から和歌山の友ヶ島まで、7ヶ所も子午線の標識を見てきたが、いつか南北に子午線の旅もしてみたい。さてどれぐらいあるのだろう?

高源寺…撮影禁止とはなっていなかったのでご本尊を撮影、しかし敬意を表してボカした。Leica-Q=28mmでもsummiluxの開放となるとかなりボケる。この辺がフルサイズカメラを持っている割りに多用しない理由でもある(私のたいていの場合の撮影意図としては、なるべくパンフォーカスにしたい)。

2017.9.21

鳥羽:答志島…観光用に海女小屋が建てられている。もちろん海女達の詰め所でもある=現在は小屋に1日いて潜水漁をすることは規制のこともあり、まだ多くいる海女達も限られた時間や海域で潜り、あとは軽トラで帰宅する。それでも海女料理を観光客に提供するだけではなく、漁の合間にここで世間話に集まっている。

答志地区の中へ入ると、農村とは違い離島とは言っても店は何軒もある。郵便局ではなく郵便物取扱所の前に、元旅館の酒屋兼ビデオ屋がある。 SONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4

2017.9.20

若狭:成生…ここは「三丁目の夕陽-III」で千葉の漁村として使われた場所だ。時代設定が1964年なので現在の千葉ではロケはできないのだろう。映画の1シーンだったが、すぐに分かった…若狭のすべての村々は、30年以上前から何度も訪れているので絵で覚えているのである。

映画で診療所のあった横の船小屋には「成生伝馬」(ナリュウテンマ)がちゃんとある。奇しくも千葉県館山の開成学園の海の家に、新造なったこの伝馬船が動いている。その建造記録もいずれは出版できるだろう。 SONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4

2017.9.19

ごく近所の秋の始まり…郡部に住んでいるため、一歩外へ出ると小さな寺社が各地区にある。ほとんどは無住だが地域の人達によって常に清掃・手入れがなされている。ここは駅の近くの神社。

別の少し山手の神社。鬱蒼とした照葉樹林に囲まれて、まだまだ蝉の声は賑やかだ。 OLYMPUS E-5+ZUIKO 7-14mmF4=古いボディ&レンズだが、さすがに4/3のフラッグシップモデルと大三元ズームで、最新APSカメラに対抗できる立派な写りだ。

2017.9.15

夏の終わり…大阪市大正区平尾。昔からの下町とミニ開発、新興の工場地帯が入り混じる、かなり雑多な街となった=10年前までは典型的な大阪の焼け残りの住宅と町工場ばかりだった。「たこ焼き 6個180円」これで採算がとれるのだろうか?暑かったので、かき氷150円を食べた。夏の終わりと言うけれど、秋は10月の上旬までやってこない亜熱帯の大阪である。 SIGMA sd-Q+17-70mm F2.8-4DC 2016.9

2017.9.13

横浜・鶴見神社。今年の夏は各種の原稿書きや暑さにより、フィールドワークが不十分だったので9/15までは「夏の終わりシリーズ」を続ける。街中に忽然と立派な社があった。やはり明治の合祀令により、近在の多くの宮や社の神が祀られている。この溶岩のような奉納碑は関東ではよく見られるが、どうも富士山や浅間山信仰と関係あるようで関西には少ない。そしてこの神社の裏にも小さな富士山を模した人工の小山がある。

横浜水上バス。船が好きだから横浜港に来ると必ず水上バスに乗る(もう4回乗った)…ここだけではなく全国の連絡船や遊覧船に乗るのである。研究のためとも言えるが、本質的に好きなのである。海の上では皆楽しそう…電車ではこうはいかない。 LUMIX GX7+LEICA DG SUMMILUX 15mm/F1.7 2014.9

2017.9.11

奈良県松尾寺の大護摩焚き。夏の終わりを飾って毎年9月に実施される。この日は風が比較的なかったので境内は煙でおおわれた。実際は寺の堂宇や山に囲まれている。 FUJIFILM X-Pro2(+FUJIFILM XF18-55mmF2.8-4R)の初使いの日であった。上の写真がワイド端、下が望遠端、同じ場所からの撮影である。原稿書きも終わったので、これから秋の撮影シーズンの始まりだ。2016.9

2017.9.10

答志島の夏の終わり…鳥羽から船で答志島へ渡った。前日の天気の良さとは違って、かなりの雨だったので暑さは苦痛ではなかったが、海水浴シーズンが終わったあとの島は人気が無くて寂しい。民宿や旅館も来年まで閉まっているところが多い。

答志地区から峠を越えて和具地区へ歩く。ここは離島とは言え観光や漁業が盛んで人口も多い。過疎であっても人が多くても、それでも島歩きは楽しい。今年も夏が終われば各地の島を訪問したいと思っている。 SONY-α6000+E20mmF2.8 /2014.9

2017.9.9

三河地方の夏の終わり…渥美半島田原市の水門にて。もとは漁港だったが、工業地帯となって本格的な漁船はほとんど見えない。向こうの陸地は知多半島。

三河湾の佐久島東地区の夕陽。この島には4回も行っていて、島歩きの研究対象として理想的なひとつと思っている。 FUJIFILM-X70/2016.9

2017.9.8

初期型のLeica M6(Leitz銘)と最初期型のsummicron 35mmF2/7枚玉(当然Leitz)…今日は長い長い写真付きの原稿書きが終わった記念日で、思わずこれを取り出した…残念ながらストラップはLeica製。

2017.9.7

夏の終わり、四条通の宅急便…京都の道は大通りから1本入ると、狭い少路や路地になるため、カートに積み替えての配達となる。 Leica-Q

安井金刀比羅宮…年々縁結びのカップルのお詣りが増えて、札岩をくぐるのに1時間待ちは普通である。もとは祇園の芸妓や遊女の縁切りが多かったようだが、今は圧倒的に縁結び祈願が多い…しかし奉納絵馬を見るとかなりの縁切り祈願も見られるため、そのような人は早朝や夜に来るのであろう。 2015.9

2017.9.6

夏の終わりと言いながら秋にはなかなかならない。体質的に体温調整がうまくいかないため現実に気温が下がっているのに体感としては少しも涼しくない。近江八幡・沖島の里芋畑…LUMIX GX7+ZUIKO 9-18mm

沖島小学校。木と難燃材をうまく組み合わせて新校舎は造られている。一時は休校・廃校の危惧があったが、八幡市街からの離島留学生で少しの活気が出てきている。ここから船着場まで15分、連絡船で10分、そこからバス(連絡船とバスは連絡している)で市街地まで20分だから通学はそれほど大変ではない。私が八幡市民で小学生の子供がいたらここへ行かせるだろう。 2015.9

2017.9.1

2014.9…富士五湖を巡った。もう3年も経つが何かしら再訪できていない(やや西側のフォッサマグナラインは行っている)。夕刻の山中湖のスワン遊覧船、これには時間の都合で乗れなかった。 Canon 6D+EF24-105mm F4L…この時初めて本格的に使ったが、いまだにフィールドでの一眼レフの組合せはこれが一番である=Canon 5D-IIIは少し重いのが、下げて歩くときに堪えるのである。

山中湖の日没と富士山。なかなか富士山はスカッと全貌を見せない…4日間の旅行中、ほんの少しの時間2回だけである。 LUMIX GX7+LEICA DG SUMMILUX 15mm/F1.7…ここのところあまり使っていないが、このレンズは極めて優秀である。 この1−2年の間に富士五湖を再訪したい。

2017.8.31

2年半ばかり行っていないので滋賀の太郎坊宮に行ってみようかとふと思った。過去3回行っているが、たまたま秋冬春だったので晩夏(9月)もいいかと思った次第である。天狗堂付近からの眺めはすばらしい。

が、登りはなかなか大変で休み休みとしたほうがいい(夏に行かない理由)…2015.5/LUMIX GX7+LUMIX 14mmF2.5G

2017.8.27

デスクワークが困難を極めているのでPC深部の夏の映像を…2005.8.15 奈良県坊城のホウランヤ祭り。Canon PowerShot G1最後のフィールドワークである。2000年に買ってからフィルムLeicaと併用(もちろんメインはLeica)してきた当時のハイエンドコンパクトカメラで、この日は火祭りなのでG1を主として使った。この約1ヶ月後にOLYMPUS E-300を導入して(その後は続々と…)大部分の撮影をデジタルカメラに移行したのである。G1はカメラなどのHP用の姿写真を撮る用途になった(今も健在)。

ホウランヤ…大迫力のお盆の火祭りで、この頃は見物客も多くはなかったが、その後2度ばかり行くうちに大勢の人が(多くはアマチュアカメラマン…デジタルカメラの普及で写真撮影が簡単になった?+団塊の世代の大量定年?)集まるようになった。この頃から現在に至るまで、善き友人の案内で奈良県の祭りや自然の撮影にしばしば行っている。

2017.8.26

1985.12男鹿半島羽立。青空ではない、空が暗いのである。そこへ一瞬夕暮れの日が差した…本に掲載する必要上のデュープのついでに当時のスナップも複写してみた。古いポジの退色を見るとフィルムによる差ばかりではなく、おそらく現像処理の差(同じ現像所で処理し、保存も同じ条件だ)もあるようだ。つまり機械処理によるにせよ現像液等のフレッシュな時と取り替え前の劣化したときの僅かな差でも30年経つと違いが出るということだろう。

1985.12男鹿半島男鹿。大晦日にはホテルにも「なまはげ」がやって来た。そのあとをついて歩き、近所の民家内で撮影…カミさまの前ではよそ者も一緒になれるのである。  数をこなすうちにデュープ後の画像処理に慣れてきた=少なくともライカ判のデジタル化にスキャナーは不要となった、これで私の記録写真のアーカイブ化にも道筋はついてきたと言うことになる。 Canon A-1 + FD35-105mmF3.5 +KR

2017.8.20

夏の終わり4…原爆ドームを訪れるのは2007年についで2度目だ。私は観察者であり、記録者でもある…何度も同じ場所に行くにはそのような訳がある。

ここに限らず何度来ても毎回違った感想と印象を持つ。10年の間にここは2回だが、近くの厳島へは6回行っている。 2010/9…LUMIX GF-1

2017.8.19

夏の終わりの3…呉・江田島にて、海自のカッター訓練。 RICHO GRD 2007/9

氷見の遊覧船にて。 LUMIX GF-1+LUMIX 14mmF2.5G 2010.9

2017.8.17

夏の終わりの2…富山県:伏木海岸、お盆あたりまでは海水浴客で賑わう…以前は近くに雨晴海岸があったため寂しいものだったが、浜辺の整備でこちらも少し狭いとしても盛況だ。

北陸本線時代の市振駅。現在は北陸新幹線の開通で第三セクターの鉄路となっている。越中と越後の境で北アルプスが海に落ち込む「親不知」の近くの駅で駅のすぐ右に海岸が迫っている。全国を旅していると、どこへ行っても懐かし景色で、いつかまた来ようと思うものである。

2017.8.16

また夏の写真を2枚…こちらは近江八幡・長命寺、なかなか高くて長い階段を登るのは大変だ。しかし本堂に着いた時の清涼感は格別である…仏教徒ではないが毎年2度は詣ることになっている。

近江八幡・賀茂神社、夏越の神事は茅の輪くぐりと合わせて何年も前から詣でている=私にとっては半年の穢れを祓う夏の大事な行事なのである。 α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4 …α7系用にFE24-105mmを出して欲しい(それで99%の写真が撮れる)…SONYのレンズロードマップには今のところ無いがサードパーティから先に出たら買ってしまうだろう。

2017.8.15

夏の終わり…今日も写真の編集で時間を使ったので夏の景色をふたつ。上は7月7日(七夕)の横浜の夕方…神戸と同じで港町の夏は暑い(LUMIX GX7+G VARIO12-32mmF3.5-5.6)。 下は7月15日の橿原神宮前駅で急行の発車を待つ…和歌山:由良からの帰りだ。暑さのためか土曜の夕方でも観光客は少ない(α6000+SONY E16-50mmF3.5-5.6)。 今日は終戦記念日&お盆ながら(毎年…)特に特別なことはしない。毎年、写真編集(画像処理とセレクト)や文章を書いているような気がする。 前回は父の戦争について書いたが、今日は母方の祖父の戦争について(本人からは1回しか聞いていない)…祖父は田舎の明治生まれとしては学があったため、大正時代末に志願で陸軍に下士官として入った。好きで行ったと言うより代々村役人の家だったからである。たった1回の実戦は満州事変で分隊を率いて、ある要衝の丘を占領した(ただし一発も撃っていない=すでに無人であった)ことだった。財政が専門だったため師団に戻った後は主計将校として終戦まで過ごした。その役柄、財政や物資供給に詳しく(主計将校は経理課長と酒保責任者を兼任)、戦力より伸びきった前線への物資補給の面から「勝てない」ことはほぼ分かっていたとのことだ。今風に言えば経理課長だから不正をしないかぎり戦犯に問われることもなかった。戦後すぐに進駐軍のジープが自宅に来た(私も母もこの家で生まれた)が軍服一式以外何もなかったため何も持たずに帰っていった。武器や各種資料は隠さずにすべて師団に置いてきたのである。

2017.8.14

今日で必要なデュープは終了、しかし1980年代のポジが多数なので退色が見られ(KR系よりE6系が退色が少ない=1980年頃E6系のフィルムが非常に良くなった)画像の調整でpm11までかかった。またついでにデュープした登山トライアル(ひとりで走る)のひとこま…1986年秋・茨木の名もない山で。ブレーキレバーとクラッチレバーは下を向けてはいけない。水平か少し上を向ける…そしてグリップを握ったまま人差し指だけで操作する。おかげで(トライアルバイクには12年間/8台に乗った)握力や手首の力はついた。

こちらは能登・能登島の田尻で箱メガネを使ったナマコ漁に雨の中同乗させてもらった。

2017.8.12

きのうから報告書用のポジ(何万枚もある!)のデュープを4時間ずつかけて実行している(これにテキストを付けるため膨大な時間がかかる)…8月末までなので、8月の休みは全部つぶれることだろう。そんななかでも昔(1985-2005=フィルム時代)撮った面白い写真をついでにデュープ…この2枚は1989年の鳥取:湖山池と日本海をつなぐ水路にある港で撮影したものだ。若い頃は今より力が入っていて「作品的」だ…現在は力が抜けていて、どちらも「その時の私」なので気に入ってはいるが、たくさん撮りその場で確認もできるデジタルカメラより、フィルムカメラは1本勝負なのがよく分かる(どちらも1カットのみ撮影)。たぶん今でもフィルムカメラなら力の入りようが違うだろう。 Canon T90 +FD24-35mmF3.5L+PKR…下はシンクロさせている。

2017.8.9

さて刻限をあまり過ぎても悪いので(ホントはもう少し神様と並んで休んでいたかった)外へ出た…夕陽を受けながら職人さん達が最後の追い込みだ。

全国250社からなる多賀神社の神職や氏子を迎える準備も終わったようだ…各札に地名が書いてあった。数えた訳ではないが、どうも中部地方の名前が多かった。さて時刻も5時を回り、湖東をあとに帰ることにした。 α6000はセッティングを煮詰めて画調が整ってきたようだ=デフォルトだと「軽め」。

2017.8.7

回廊を歩く…特定の場所以外では庭は見えるような見えないような、寺の庭園とは趣が異なる。書院だから庭に面した廊下はすべて閉まっているのかも知れない。しかし障子越しに外の光が感じられた。このような格子を撮ると歪曲収差の補正に苦労しているのが分かる(いわゆる陣笠型収差)。

撮影しながら歩いていると神職とばったり出会う…もう閉館時間はとっくに過ぎているため驚いたようである。しかし追い出されるようなこともなく、30分程度の時間オーバーで外へ出た。

2017.8.2

奥書院庭園へ…公開は午後4時までとなっていて、せっかくだから入ろうと時計を見たら「あと10分しかない!」とひとりごとを言ったら受付の神職が少しぐらいオーバーしても構いませんよ…と言ってくれたので拝観した。寺の庭園はあちこちで見ているが、神社の庭園や書院は初めてだ。入ってすぐの大広間から庭を見ると、奥に崖と深山に見立てた森があり、苔の海を磐船が陸に向かっているように見えていた。平日の夕刻、誰もいない書院の廊下で座り、庭を眺めて一休み…静かだ。ニイニイゼミの声だけが聞こえていた。

書院の各部屋も公開されていてとても綺麗に保存されている。秀吉の寄進で建てられたらしいが時代の経過を感じさせない意匠だ。

2017.7.29

これは多賀大社名物「太閤橋」と云う名の太鼓橋…鳥居をくぐって拝殿へ向かう趣向なのだが、花崗岩でできており、もとはザラザラの表面も長い年月と多くの参拝者の履き物ですっかり滑面になっている。危険どころか上り下りもできないため、あとから丸太で階段を作っているのだが、その間隔が広いのと丸太自体が滑るため老人や子供はかなり難しいだろう。手すりはないし写真で見るよりずっと急なのである。

河内風穴をあとに近在にある多賀大社へ向かった。おりから夏祭りの準備が始まっていて(8/3-5の万灯祭)職人さんが大忙しで働いていた。この暑さと平日のせいで参拝客は多くない。私の父が太平洋戦争に出征するときに西播州の山奥から戦時下2日かけて両親と共にここに参り、シベリアでの抑留3年ののち帰国し、またここへ参ったことを聞いていた…私が以前に神職から聞いたこと「この神様は何かから何かを守る」…大社の由緒書きでは「延命長寿・縁結び・厄除けの神」となっている。それがすべてであろう…声には出せない世間の情況で「無事に帰る」ことを無言で祈り、帰った後にお礼に訪れたのだ。昭和20年5月、最後の出征兵士の19歳の旅立ちであった。ソ満国境に配属され、すでに敗色濃厚ななか、共産党軍・国民党軍・各地の軍閥・抵抗組織ゲリラの夜襲の連続、そして最後にソ連軍の参戦で部隊は転進(つまり敗走)を繰り返し(配属から終戦までの3ヶ月で正規の戦闘は1回だけ)、それでも8/15「終戦」の報を受けて、誤報との声のなか中隊長は玉砕命令を出さず「戦争は終わった、現地除隊、生き残れ」と命じ、荒野で部隊は解散した(隊長本人は自決)。小グループに分かれて逃亡生活を2−3ヶ月続けた(ゲリラの夜襲は8/15後も続いた)が秋が深まり寒さに耐えられないと判断し、一番の新兵が分隊規模のグループを率いてソ連軍に投降したのである。生きるも死ぬも紙一重、他のグループの人達はほとんど夜襲・餓死・凍死で亡くなった。父は招集以前に旧満州で公務員として暮らしていて満州の冬を知っていたのと、仕事の都合で片言の中国語・ロシア語ができたため生き延びたにすぎない…この偶然と必然が重要なのである。そんなことを多賀大社に詣でて思い出した。

太鼓橋を下りたところから拝殿を見る。これから電球の1個1個に提灯が取り付けられる。

2017.7.28

洞窟の広場に大きな岩が立ちはだかっている。後ろからの照明も効果的で地底の幽玄の世界だ。

風穴の入り口はこんなに狭く子供でも頭がつかえそうだ。ここから冷風が吹き出す=ということはどこかに抜けているはずだ(場所は依然として不明)。洞内では広いため微風だが間違いなく奥から吹いている。その風が絞られて強く吹き出しているのだ。

2017.7.25

風穴の入り口(冬はかなりの雪が降るため雪囲いで守っている)…急勾配の道を上がってくるため、ここで休憩(帰りも休憩)、ここから15℃の風が吹いてくるため囲いの5mぐらい向こう(風穴からなら10m近く)から気温が急激に下がり、ちょうど腰掛けの岩があるここでは20℃ぐらいだろう。景色と冷気を楽しむために、ぜひここで一休みして欲しい…なぜかほとんどの人はすぐに通り抜けていく。

また洞窟内…ほとんどの場所では苔や地衣類、粘菌のたぐいが僅かに生えているぐらいだが、人工光線の強い照明がなされている付近には草や灌木が生きている。なにしろ洞窟ができてから55万年も経つのである。

2017.7.24

今日は暑い中(と言っても曇っていたので30℃ぐらい)湖東:河内風穴と近くの多賀大社へ行って来た。最初は日曜にと準備していたが夏休みに入っているため混雑が予想され平日に変更した。案の定、観光協会の人に聞くと土日と300人もの観光客が訪れたとのこと…先週の戸津井鍾乳洞と同様に辺鄙な山中にあり、道は狭く駐車場は10台程度しかない。洞内も含めて大混乱は必至であろう。ここは河内地区の管理で、山の麓から山域全体が滋賀県天然記念物に指定されている原生林の小径を10分程度登ったところに風穴の入り口はある。今日は平日のため観光客は少ない。

洞窟内は15℃、先週と同様気温は低くても洞窟歩きは筋力を使うため、どこかで休む方がいい(しかし洞内にはそんな場所はない)。この洞窟はハッキリしているだけで全長1万mもあり、さらに先にも続いているようだ(一般公開はごく一部)。洞窟の下を川が流れていて轟々と流れの音がしていた。前回来たときは水が多く洞内が霧のような水分でストロボを焚くと水玉だらけで写真にならなかったが、今回は梅雨の雨が少なかったせいか洞内の湿気は少なく、カメラも高感度の強いα6000にしたためISO1600で問題なく撮れた(前回はLUMIX GF-1…)。普通の鍾乳洞と比べると岩がずいぶん違っていてガレた場所が多い。

2017.7.23

今日は観光水運二景…まずは諏訪湖ダックツアー。ここは信州山中にありながら古来から交通の要衝として栄え、現在も精密機器産業や観光で多くの人が往来する場所である。諏訪湖そのものは丸い形の醍醐味のない湖なのだが周りの連山の景色が良く、温泉や諏訪大社などの見どころも多いため船遊びも盛んである。手漕ぎ・足漕ぎの各種ボートから大型のスワンシップやこのような水陸両用船まで揃っている。陸地の名所巡りと諏訪湖クルーズが一緒に楽しめる=ただし陸地は道路整備や駐車場などの都合で限定的だ…これも将来は拡大できたらと思う。 SONY NEX3=私の最初のSONYカメラ/2011.6

鳴門渦潮観潮船:咸臨丸…写したのは鳴門側からの観潮船だが小型船なのと、「鳴門渦潮=鳴門から」というステレオタイプのために混んでいて撮影には適していない(鈴なりの観光客でデッキでの移動は困難)。距離は遠くなるが観潮は淡路島からの大型船が良いと思う…これまで淡路から2回、鳴門側から1回観潮船に乗ったが、なかなか巨大な渦には恵まれない。 PENTAX-K10D=どうも色が冴えなく、ほとんど使わなかったカメラである/2008.5

2017.7.22

旧古河庭園…東京には昔の大名の藩邸跡地の(幕府も含む)庭園が多く残っていて、そのような場所や寺社、新しい公共施設などをつないでいくだけで写真散歩は無限に近く広がる。東京での写真ワークショップも8年程度続けているが飽きることはない。 SONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4

飛鳥山公園…京浜東北線王子駅付近の丘の上の公園である(ここは公園から下りた場所で右の金網の向こうが京浜東北線の線路)。東京の特徴として丘や谷が複雑に入り組んだ地形で、大阪や名古屋などのような沖積平野にドン!と作られた町ではないことで、道も碁盤の目になっていないことも相まって変化に富んでいるのが面白い。そして広い!

2017.7.20

岬から南方向を見る…写真では分かりにくいが右前方に伊島が霞んでいる。見えている水平線は太平洋、太平洋を見るといつも「対岸はアメリカだ」と思う。

岬を後に白崎の港に立ち寄る。漁船は少なく立派な築港により実際より余計に漁業の衰退を感じさせられる。船は白崎の岬巡りの観光クルージング船だが乗る人はいないようだ。取り巻く山はこんなに険しく、建ち並ぶ別荘群も、近寄れば厳しい現状が見えてくるのだろう。海と山、洞窟と岬…なんとかできないかと思った訪問である。

2017.7.19

しばらく半島を巡り白崎海洋公園に到着…鍾乳洞があるぐらいなのでこのあたりは石灰岩が多いのだろう、あちこちに石灰岩の露頭が見えている。そして白崎の半島は全体が石灰岩で(戸津井と違って真っ白だ)ちょっとしたカルスト地形が見られる。もちろん公園として整備されているので強調されている部分もある。公園は元はどうやら有料だったようだが(公園入り口にゲート跡がある)今は入場も駐車場も無料だ。年中無休のレストラン(軽食と喫茶程度)があり、公園内の管理も行きとどいていて、おそらく行政からの補助で運営されているのだろう。あまりに不便な場所なのと夏や5月の連休だけの観光地のために赤字は必至である。3連休の土曜でもこの程度である(クルマ以外で来ることは難しい)。鍾乳洞も学校の夏休み期間中は毎日開洞だが、他のシーズンは土日のみ…おそらく7月22日からたくさんの観光客が訪れるのだろう。

岬先端部の展望台へ…空気が澄んでいると対岸の四国や淡路島も見える=夏は海面から蒸発する水蒸気のせいで晴れていても見えない(たぶん朝なら見える)。右の方に加太の半島が、画面から外れるが左に阿南地先の伊島がかすかに見えていた。ここはまだ紀伊水道で少し南の紀伊日ノ御碕と伊島を経て阿南蒲生田岬を結んだラインから南が太平洋となる(保安庁の管轄でそうなっている)…伊島の北岸は瀬戸内海、南岸は太平洋。

2017.7.18

由良というと海のイメージが強いが、実際は山が深く断崖に囲まれている。国道42号線も山中を迂回して海岸から離れている。ここは山中の衣奈八幡神社…昼ご飯の弁当を食べようと立ち寄ったら意外に大きく格式のある神社だった。祭礼に備えて準備中の神職一家や氏子の婦人が居て多くの昔話が聞けた。

ここに八幡大神の胞衣塚があり、胞衣(胎盤)信仰があることが分かる。塚は碑の後ろの結界に囲まれた黒い岩である。衣奈八幡という名も関係がありそうだ。 SONY E16-50mmF3.5-5.6はZeiss Vario-tessar E16-70mmF4には及ばないがなかなか頑張るレンズだ。

2017.7.17

戸津井鍾乳洞の駐車場(10台程度は停められる)から見た戸津井漁港、これだけの断崖の中腹に洞の入り口はある。下の港も大半は埋め立てられたのである。

洞内から出るとこんなに曇る=フィルターだけではなくレンズ内まで曇った。しばらくは撮れないため横の茶店で氷イチゴを食べた=入洞前に予約をしていたのでエアコンを入れてくれていた…ここで案内書には書かれていない洞の由来をいろいろ聞けた。

2017.7.16

洞内の狭さはこのような感じである(本当に狭いところではカメラを構えることも写真を撮ることもできない)洞窟と言うより狭い岩の割れ目の間を歩く…そしてここの特徴として石灰岩以外の岩や土の成分が多く鍾乳石や石筍が少ない。溶けた石灰質が茶色い岩の表面を覆っていて滑らかなことである。したがって狭い場所で壁に接触しても怪我をしにくい(ただし禿げた人は帽子必携)。

身体を横にしないと通れない場所も、しゃがまないといけない場所も多くあり、混雑すると行き違えなくなることになる。気温15℃、全長100m(実際はウロウロするため200m)と言っても、しゃがんだり蟹歩きするなど運動量が多く、最初に入ったときにしか「涼し〜い」とは感じない=出入り口の直下にベンチがあるので(下の緑色の照明のある場所)洞内見学のあと地底休息をお勧めする。あとは外に出ると気温差と湿気でカメラレンズが曇るため、夏の洞窟探検では外の景色は入洞前に撮っておくのがよいだろう。

2017.7.15

今日は和歌山:由良の戸津井鍾乳洞へ…外は34℃、洞内は15℃、ほんの5段ばかり階段を下りただけで気温は下がる。ここまで辿りつくまでがたいへんだ=分かりにくく狭い道を長く走り、対向車の離合もままならない(夏休みの土日は避けた方がイイ)。ただし茶店の主人によれば道路整備が町によって決定され、何年かのちには便利になるようだ。

洞内は一部を除いて非常に狭く、頭上に注意が必要だ。足元は比較的きちんと舗装されてサンダルやハイヒール履きなどでなければ滑ることはないだろう。 SONY-α6000+SONY E16-50mmF3.5-5.6(ワイド端でもストロボ光がケラれないため)…洞内は比較的明るく、これらの写真はノンシンクロである。

2017.7.13

1.今週末は和歌山の洞窟探検(ケービングというほどのものではない)にでかける。洞内は15℃以下…もう涼しい場所でないと撮影のできない季節になった。 写真は吉野:五代松洞窟

センサー交換からM9が帰ってきた…明日未交換のMEとで条件を同じにして比較してみる。交換したセンサーは1年の保証が付くそうだ(この辺も錯綜した情報があるが、1年保証書があるので間違いはない)。センサー交換作業の際に貼り革を剥がすため、これも新品になる。

2017.7.12

構内に入るとホール脇に「アンペルマン」の置物が…大学職員に提携関係を聞いてみるが不明。私の学生時分と同様大学には分からないものが多く存在している。

さて研究発表の行われた3号館の全景である(いかにも炎天下)。ここらで横浜の旅は終わり…発表の中身は報告書が年度内に出版されるので参照されたい。今週末は涼しい洞窟探検が待っている。 LUMIX GX7+G VARIO12-32mmF3.5-5.6

2017.7.11

ようやく丘陵地帯を登って神奈川大学へ到着…普通の住宅地の中にあり、学生街という雰囲気ではない。炎天下、婦人警備員が作業をしていた。あと何人か街角に大学の警備員が立ち、地元民との摩擦に対処していた=歩道のない狭い道が多く、学生が大挙して歩くと車が通れなくなる。

キャンパスに裏から入る。大学の例に漏れず増改築を繰り返して迷路のようになっている。最初に来たときは総合案内で常民研の場所を聞いたら言葉で説明するのが難しく、結局そこまで案内してくれた。 G VARIO12-32mmF3.5-5.6…ワイド側での歪曲収差が大きいため、このような撮影では苦しい。

2017.7.10

カメラ屋側から見た交差点=6本の道がここで交差する…たいして車や人通りが多くないにもかかわらず信号待ちが長くなる。向かって左が旧商店街、右が今の商店街…ほぼ平行して白楽駅へ続いている。

さて大学での打ち合わせが終わり、白楽から東急で5分ばかりの横浜のホテルへ…平日の午後5時、しかしあまり通行人で溢れている様子ではない。ホテルから白楽駅まででもたったの10〜15分、白楽から大学まで徒歩20分、景色は大きく変わる…右はすぐに海だ。横浜は好きな町のひとつである。

2017.7.9

さて金土と横浜の神奈川大学(国際常民文化機構)へ研究発表に行ってきた(サイト更新しない時は旅行中)…暑い二日間で熱中症寸前となった。まずは東急白楽で降りて「六角橋ふれあい通り」を歩いて大学へ向かう。クルマが多く(しかも歩道のない)炎天下の表側の道を避けて旧商店街を歩く…ここは関東でもやや有名な横丁で模型店や中古ギター屋等々珍しい店も多くて快適な道である。

商店街を抜けるとスクランブル交差点の向こうにひときわ目立つフィルムカメラ専門店がある。決して古くからの店が細々と営業しているのではない、ここには何度もやってきているが盛業のようなのである。昨今あちらこちらでフィルムカメラの復権が始まっているような話を聞く=新品フィルムカメラがほとんど手に入らない現在では小さなブームでも中古機材の需要が高まる…事実、店やオークションでの人気フィルムカメラやレンズの価格は上昇している。 今回の横浜は取材ではないためLUMIX GX7+G VARIO12-32mmF3.5-5.6だけでのスナップである(しかしよく写る)。

2017.7.6

雑司ヶ谷:大鳥神社…酉の市、観光地ではないものの地元の人中心で賑やかに開催されていた。参拝者の大部分は近在の人々と思われる。

新宿御苑…小石川植物園と同様、都心にありながら広大な緑地である。それなりの人出ではあるが中に入ると、その面積や木立のために混雑とはならない。 Leica-Q

7/8は神奈川大学国際常民文化研究機構で発表だ。

2017.7.5

上野公園:秋…Leica-Q

上野公園:穴稲荷参道。

2017.7.4

雑司ヶ谷:大鳥神社の縁日…Leica-Q。

雑司ヶ谷:鬼子母神…どうやら絵馬の絵はザクロの実のようだ。Leica-Qはホントによく写る。28mmレンズながらブレ防止システムも効いている。

2017.7.2

奈良公園も夕暮れ時、夕方になって雲が出始めて太陽は南円堂の上に沈んでいく。

そして帰りの電車に乗るべく駅へ…駅前ではジャズの生演奏、観光客もしばし足を止めて奈良の名残を音楽で楽しんでいた。このような場合どこかに「投げ銭箱」があり、いくばくかを投げ込もうと探したが見あたらなかった。 Leica ME+elmarit28mmF2.8/3rd…Leica M9/Leica M Monochromeとセンサー交換に出して、近々にME(見る限り異常は分からないが、いつかセンサーフィルターの劣化は避けられないため)もM9の完了と同時に交換に出すことになり、これがオリジナルセンサーの最後のカットとなるかも知れない。

2017.6.19

奈良公園の鹿…半野生・半飼育である。ここには若い袋角の雄鹿が集まっていた。餌付けや角切り、病気や怪我の治療、果ては事故を起こさないよう子鹿の段階で簡単な調教をしているようだ。奈良公園と周辺には40年間にわたり、年に2回程度は来ているが昔はもう少し野性的だったし、町屋まで侵入していたように記憶している(現在は住宅地で見かけることはまずない)。ここに写る観光客の80%は外国人である=ものの例えではない。

奈良公園の良い伝統…昔からの権利もあり個人経営の茶店があちらこちらにあり、サイダー1本150円で緑の木陰で休める(冷たいお茶まで出てきた)。軽食もあり観光地価格ではなく大衆食堂価格で食べられる(ただしほとんどはトイレはなく、近くの公衆便所を探さねばならない)。最高気温30℃でも木陰で休憩してまた歩き出せる=今回は行き帰りに2度同じ茶店に寄った。この手の権利は1回手放すと2度と許可されない。おそらく昔のままの非常に安い地代のままと想像される。 Leica ME…AWB撮影がバラバラの発色となるので、今後は晴れなら晴天モード(の色温度)で撮ることにした。

2017.6.18

春日大社の重文「藤浪之屋」の万灯籠…元は神職の詰め所だった建物に過去から奉納された灯籠を置いて公開している。 Leica ME=ISO1600で撮影…ノイジーだが暗部のディティールを出す必要のない写真なら「範囲内」だろう。五芒星の灯籠にピントを合わせてelmarit28mmF2.8絞り開放で撮った(このようなシーンではLeicaの距離計は便利)。

同じく大社境内の「砂ずりの藤」下で…藤の古木の藤棚である。この下にお神籤を結ぶ場所や絵馬の奉納所を設けている。ここ以外にも広い神社の森には藤の古木が大切にされており、春日大社を最初に建立した渡来系氏族の出自が想像できる。

2017.6.17

今日は友人達と奈良:春日大社に詣でた…奈良は毎年2度ばかり訪れるのだが、ここは一番奥にあるためか何と!40年ぶりである。 神社側も力を入れているようで結婚式と婚礼写真のために拝殿と御神木の前にカメラマン等が常駐していて、次から次へと撮影をしていた。 Leica ME+elmarit28mmF2.8/3rd…撮影そのものは簡単にできるが、あとでの画像処理は必須である。

入社料は500円、少し高いように思われるかも知れないが詳細に見ていくと高くはない…また多くの神様と対面した。 Leica…絵の出来は良好、純正レンズを使う限り周辺までキチンと写る=色や明るさ・コントラストなどがシーンによってバラバラになるのである(国産カメラのAWBや評価測光とは全く違う)。

2017.6.10

さてオリジナルセンサーのM9による沖島撮影も終わり。船着場に歩いていくと比良山の下のウミ(地元では琵琶湖をウミとも言う)に光の帯が見えた…M9は予想どおり点検の結果センサー交換となった(特に画像に問題はない)。CCD・Leicaを持っている人は異常と思わなくても8/15までに点検に出すべきだ。

港で船の時間待ち…1時間に1本程度の航行だ。島歩きに独特の時間待ちタイム…島のオヤジさんも沖島名物の三輪車でどこかへ向かう。次の訪問は秋になるだろう。写真を撮りながら炎天下に4−5時間も歩くのは無理なのである。夏は高山か洞窟になる。

2017.6.9

facebookで今日が「ストロベリームーン」と知り、慌ててアトリエの二階に上がり一番の望遠ズームで手持ち撮影(月が明るいのとOLYMPUS E-P5の強力な五軸手振れ補正のおかげ)。ストロベリーというほどではないが確かに赤い…京都では快晴なので比較的それらしく写った。

2017.5.29

沖島西岸の花畑…作物の栽培も多いが年中畑には花が咲いている。私の田舎でもそうなように仏さんの花と言うだけではなく、ここでも「花いっぱい」の習慣があるようだ。

近年オープンした島唯一のカフェ「いっぷくどう」=土蔵を改造した建物で不定休だが寄ってみると良い=そもそも漁協を除いては店はここしかない…おおむね土日の営業だ。建物の腰板には今は少なくなった舟板の古いものが使われている(看板もそうだ)。私は平日に来るので入ったことはない。ぜひ秋に来たときは土日にして、何が出てくるのか入ってみたい。

2017.5.19

4月に行ったときの道筋は書いてあるので、今回はランダムに写真を紹介しておこう。ここは島の西海岸(向こうは比良山系)、風が強く浜に干した布団までたなびく…しかし風の強さの割りには波は立たずに浜に干してあっても濡れることはない。本土側では22〜24℃ぐらいだが、湖水はまだ冷たく、島は20℃以下でとても過ごしやすい。この季節、陸地との比熱の差で風が強く吹くのである。

平日なので4時の便で本土へ小学生が帰っていく。昨年の状況で島在住の小学生は1名だけとなり(お寺の子)あとは八幡市の校区からの留学生=適当な言葉が見つからないが山村留学のようなものだ。湖なので船便の欠航も少なく、町にもバス便が接続していて、便利性と環境の良さ、そして島側から見れば「休校:廃校」の回避にもつながる大事なことがらなのである。私が20年近くにわたって年に3−4回も訪れるのも島の良さが分かるからである…関西の都市から一番近い離島。私の家からクルマと船で2時間少しで上陸できる。

2017.5.17

約1ヶ月ぶりに新緑の琵琶湖・沖島に上陸。好天で気温も20℃程度と過ごしやすい1日だった。今回は特別な日でもなく、土日でもないにも関わらず(観光客はいない)テレビクルーが二組も来ていた(NHK & MBS)。どうしたことだろう?クルーの話では夕方に彦根まで足をのばすとのことである。

Leicaのセンサー交換騒動(つまりは狭い世界での憂乱)でLeica M9+elmarit28mmF2.8/asphを持参した。露出決定が難しいのは承知の上だが、やはり絵に「こく」がある…見たままのリアルではなく、なんとなく劇的なのである。明日Leica M9は点検に出るので、おそらくオリジナルM9センサーの最後の撮影となるだろう。私のボディのセンサー劣化は今のところ認められないが、どうもLeicaの性質を鑑みると「対策済みセンサー」と交換になるような気がするのである。

2017.5.5

訪れた4/12から1ヶ月近く経ち、桜の季節もすぎたので「花の沖島紀行」も終わりとしよう。ここは島一番の高台にある神社、その奥社(現在地盤改良工事中)から集落の中心を見た…中央のコンクリートの公民館の前に「ヤエモン桜」が見えている。島には車道はなく自動車も1台もない。歩くか自転車・三輪自転車での移動である。ここへ座ると風の音と波の音だけが聞こえている。

そして堀切港へ帰ってくると、もう夕方の光である。島のお寺の住職が八幡市から島へ帰っていく。 SONY-α6000+E16-50mmF3.5-5.6

2017.5.4

地図の3地点(かつての石切場)から桜並木の湖岸を見る…山と山のへこんだ場所が集落の中心だ。年々開拓されていく畑は少し先の季節となれば作物でおおわれる。ここだけ平地が広いのも本来の山が石切りで削られれて跡地が平らに残されたからである。立っている山も石材業が止まらなければ同じようになっていただろう(資源がなくなったのではなく安い輸入石材により採算がとれなくなったため=瀬戸内の石材産業と同じだ)。

背後の石切場の跡地も以前は荒れ地だったが、少しずつ畑に替わりつつある…ここまで電柱が来ているのは山の裏側に国交省の水質観測所があるからだ(地図の浜沿いの道の突きあたりにある)。現在は閉局しているが取り壊されてはいない。秋に来るときには奥まで歩いてみよう。そして山中のハイキングコースにも行ってみたい。

2017.5.2

道を歩きながら湖面を見るとこうなる。頭の上も前も後ろも桜だらけになる。この日は風があったので琵琶湖としては波がある方だ。向こうの山は比良山系。

西岸でいちばん桜の密な場所を抜けると道の両側に畑が見えてくる。こんなに浜の近くを耕作している…波を被ることは少なく、たとえ被っても淡水なので平気なのである。初めて沖島に来てから15−6年、島のお婆ちゃん達の活躍により畑の面積は倍ぐらいになった…ここは本来畑地ではなく、向こうの岬の稜線がへこんでいるあたり(地図の3の場所)から石材を切り出し湖上輸送をしていた浜である。石材産出は親方制ではなく島民全体のものとされ、作業に参加すれば個々の家も等しく潤ったのであった(現在は石材採掘はしていない=跡地は暫時畑になりつつある)。その豊かさのためもあり、沖島は滋賀県で一番早く公共下水が完備した…右に見えているのが処理施設だ。水はきれいに保たれ生業である漁業のためにも資する結果ともなった=これも世界的に珍しい(日本ではここだけ)湖上の島の生活が維持された要因のひとつである。湖魚の強い漁業権を持ち、石材を採取・運搬し、浜のあちらこちらで野菜や果物をつくり、本土側の堀切周辺の農地で米の出作りをし、ほとんど近年まで自給自足の生活が維持できたのである。

2017.5.1

ムラを抜けて、まず島の西岸に行く…畑の作物も伸び盛り。浜沿いの耕作地は狭く、すぐそこに断崖が迫っていて島は大部分が自然林である。

桜はあちこちに植わっているが西岸がもっとも美しい。こちらは北西の季節風が吹くため寒く、南向きの「ヤエモン桜」より普段の開花は遅いが、今年は急に暖かくなったのでほとんど同じ開花時期だ。このような景色がずっと続いている。淡水のため塩害を受けず、山からのミネラル分と根からの水分により成長は良く、湖に張り出すように咲く特異な景色である。ちょうど良い花曇り。

1がヤエモン桜のあるムラの中心、2が植の写真の場所だ=イラストにあるより桜並木は北の3付近まで延びている。沖島は左の小さな山と右側の大きな山がつながった「ひょうたん島」で平地はつながった場所(元は砂州)のあたりだけで、あとは湖岸沿いに狭い道沿いの浜となっている。民家は中心からX型に広がり、北は桜並木の手前まで、西は願証寺の先まで、南は神社から湖上荘付近まで、東は小学校の付近までで、湖岸伝いに島を1周できる歩道はない。もちろん廃屋や無人の家屋も多くある。この地図の道を写真を撮りながら1日で歩くのは難しい…1日4時間ずつ2回なら可能だ。春夏秋冬、味のある景色に巡り会えるだろう。地図は観光協会のものを引用させていただきました。

2017.4.30

港の前に漁協の大きな建物があり、ここに小さな屋台(婦人部の運営らしい)が出ている。観光シーズンの土日なら湖魚料理の弁当を売っていることがある。なくても時間と材料があれば申し出ると作ってくれることもある。あとは湖魚の産品を販売していて、年々種類も増えているようだ。奥にテーブルがあり、ここで食事ができる=島にはベンチなどはほとんど無いため(雨が降ると休憩所がないのでノンビリ休むこともしにくい)階段や堤防に座って食べたくない人はここを利用するとよい。

さてまず島の桜の標準木の「ヤエモン桜」へ…満開を過ぎて少し散り始めている。島の婆ちゃん二人も陽気につられて花見に出てきた=島に生まれて育ち、島で嫁いで、一緒に老いていく80年来の同級生なのである。

婆ちゃん達の花見の2…桜の幹にもたれて婆ちゃんと話しながらの撮影。どうしてもワイドレンズの必要な訳=話せる距離で同時に人や状況を写し込むために最低でも28mm画角が要る/ここではα6000+SONY E16-50mmF3.5-5.6(16mm=24mm画角)。超ワイドではパースが出過ぎるため24-28mmが最適だろう(APSなら16-18mm.μ4/3なら12-14mm)。被写界深度の深さゆえフィールドワークではAPSかμ4/3カメラが使いやすい=フルサイズだとピントが薄いためパンフォーカスにならない。

2017.4.28

沖島上陸、堤防上の桜も満開だ。向こうは近江八幡の長命寺に続く山並みである。島民が自転車ごと本土へ出かけて帰ってきた。

島には幟が何本も立ち、信心の深さを思わせる…ここでの3月の伊勢大神楽は関西ではもっとも盛大にとりおこなわれる。これから村に入っていく。

2017.4.26

八幡堀を終えて、クルマで10分程度の堀切港へ…沖島へ渡るのである。遠目にも沖島の湖岸の桜がピンクに見えている。平日なので大部分は島の人達だが数組の観光客も混じっていて4−5年前とは違った雰囲気となっている。

さて出航、10分かからない短い船旅だ(片道500円)…堀切の桜(植樹されたソメイヨシノと野生のヤマザクラが混じっている)も今年は特に咲きそろっている。

2017.4.24

我が町の町議会議員選挙が始まる…しかし過去に激戦が演じられたことはない。田舎なので地区の代表のような人達が立候補し当選している。確か「プロ政治家」は1−2名だけで、あとは地元の有力者やインテリの年金生活者ばかりである。町中央の溜め池にて。 α7R+Zeiss35mmF2.8FE

古いμ4/3カメラを取り出して庭を撮影…条件が良ければ完全逆光でも最新ボディと遜色のない絵を作る。ボディキャップレンズも、ごく周辺を除いて問題はない。新緑の季節に入った…次はどこへ出かけるかな?

2017.4.23

八幡堀遊覧船からの景色を2枚…もう乗るのは5回目だ(桜の季節は2回)。平日だから満員にもならず、待ち時間もなく簡単に乗れて、西方向に動き出す。堀巡り以外に、堀ともつながっている水郷地帯の遊覧船は全部で5ヵ所あり、櫓漕ぎの1ヵ所を除いて「昔風」に仕立てられた動力船である。しかしゆっくりと進むので乗り心地は櫓漕ぎより良い(しかし櫓漕ぎの船が人気がある)。堀の西端の船木までの往復だ=現在は干拓で船木の向こうまで陸地だが、昔は船木の地先に琵琶湖岸があったのである。頻繁に船が出るため途中で2回は対抗船とすれちがう…海と同様、内水面でも船は右側航行だ。現在は観光用に整備が進んで遊歩道も歩けるが、30年以上前に初めて来たときは堀は水運の時代を終えて久しく、ヘドロで半ば埋まっていて、埋め立てて道路にする計画まで論議されていたのである。したがって今の景色も、この20年ばかりで作られたものである。石垣は当時の本物だが、堀は地場産業だった瓦の製造のための原料(瓦土や燃料の割木)や製品の運搬のための荷船の往来と荷揚げの場所だったのである。近江八幡市の観光担当者や地元の有志(もう亡くなったが何人も取材した)の努力の結果が今にある。

途中で老舗の瓦屋の桐野さんの離れ兼事務所を見る…昔は大きな堀に面して瓦工場があり、割木の貯蔵小屋もあったが、取り壊されて駐車場となっている。今は母屋と離れ、そして1基だけ展示として残された瓦焼きの窯がある。堀の水面は散った桜花でピンクに染まっている。

このサイト内でも何度か出しているが、28年前の八幡堀…右の建物が桐野さんの事務所である。もちろん船が通ることはできず、生活雑排水のために水質も最悪だった。

2017.4.13

花曇りの近江八幡(滋賀)にサクラを求めて行ってきた…今年は平均的に寒く開花は全国的に遅れていたが、数日の暖かい日のあと、急激に開花した(私の庭でも)。しかも南北に長い琵琶湖では、例年南から北に2週間以上かけてミニ桜前線が上がっていき、南から入ると色々な桜の表情が眺められるのだが、今年は珍しく、南の瀬田でも南湖のはずれの琵琶湖大橋付近でも、ここ八幡でも同じように満開を迎えていた。 写真はまず訪れた八幡堀…最近の時代劇で常にロケに使われている。堀に面した石垣や建物は慎重に保全され、現代的なもの(例えば配管やエアコン室外機など)は木の覆いで隠されている。一帯が観光地となっており、年々観光客が増えている。

八幡掘の遊覧船、これはエンジンで動いているが船形など「なるべく古式」である。おおむね堀の端から端までの往復で約20分1000円、桜のトンネルを抜ける船遊びとしては「安い!」だろう。春と秋の観光シーズンには、だいたい10分に1本以上は出ている。屋形船のため雨でも寒くても大丈夫である。さてこれから乗ろう(もうこの10年間に4回乗った)…桜に酔う4月である。ちょっと原作とは違うが「不思議の国のアリス」の4月ウサギになる。 SONY-α6000+SONY E16-50mmF3.5-5.6PZ=このレンズは便利で使いやすいがZeiss Vario-tessar E16-70mmF4よりは分解能が低い…当たり前である。

2017.4.11

近所の稲植神社に春を訪ねて詣る…郡部なので都会より1週間程度サクラの開花は遅れる。神社の縁起を読むと(比較的最近改修された)ここが造船(船大工)の神様が祀ってあることに気がついた。どうやら木津川の水運と関係がありそうだ。

サクラと同時に早咲きのツツジも満開となっている…今年は急激に暖かくなったために色々な花が一気に咲き始めたようだ。 CASIO EX-10…HDRで強調しているが実際にも派手な色合いなのである。

2017.4.8

ようやく粉河寺lの山門をくぐる=ここでは中門となっていて(寺が衰えた頃に最初の大門と中門の間に道路が通り、境内が分断されてしまった)重文に指定されている。山号は風猛山と勇ましく、扁額の山号の書は紀州藩の殿様の直筆と伝えられている(もちろん直筆に忠実に職人が彫ったものだろう)。威風堂々とした門である。

そしてこの門はよくある仁王門ではなく、表の左右と裏側の左右に四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を配して東西南北を守っている門である。 おもしろいことにSIGMA sd-QのハイブリッドAFは何もしなくても、よりコントラストの高い仏像にピントが行き、前の網との遠近競合は起こらなかった。

2017.4.7

雨の横浜港二景…上は今は運河となっている大岡川に残る屋形船。おそらく昔から営業している既得権があるのだろう、橋のたもとから船着きに向かう歩道まで整備されている(現在このような水面使用の許可申請を出しても通らない)。いつも工事をし、浚渫を繰り返し、海へ伸びていく港の景観のひとつである。下は水上バスとチャーター船の浮き桟橋…公共性があれば許可は下りるが固定した桟橋・埠頭は困難で、いつでも撤去できる浮き桟橋になるのである。右に見えるのが横浜港名物の「大桟橋」。 FUJIFILM-X70…これが売れなくて早々にディスコンになっている。RICOH GRと比べても性能・機能は甲乙つけがたく、ユーザーにとって、なぜこちらがダメなのか不思議だ=私は両方持っていて、四分六でFUJIFILM-X70の方が好ましいと思うのだが…

2017.4.6

秋葉山権現堂での法要。粉河寺管理となっていて、神社に粉河寺の住職(知りあい)が法要をとりおこなうという不思議な光景(もちろん神仏分離の前は普通のこと)年に1回の秘神(実体は秋葉山三尺坊天狗)も日の目を見た。このあと信徒に促されて私も天狗に参拝した。

権現堂の前は展望がきいて(紀ノ川の河岸段丘上に建っている)粉河の町並が一望できる。このように見ると粉河は大きな町で昔より発展していることが分かる…明治までは街道(陸路と河川交通の結節点)の要地は隣の名手地区であった(本陣も名手にある)。

2017.4.5

今年4/2の黒川庚申堂。サクラのつぼみは固く、周りの果樹も開花していない。不思議に庚申堂前のツバキの古木は変わらず花を咲かせている。あと1週間では無理と見たが、この2−3日の暖かさ(そして予報ではあと数日間続くようだ)を考えると今週末あたりに満開となるだろう。

去年の3/31の庚申堂…ほとんど同時期に来たのだが昨年は満開を少し過ぎていた=このサクラは地元の人によると本来は早咲きである。

2017.4.4

紀の川市黒川(旧桃山町)の風景…庚申堂は黒川峠に建っており、そこから南西を眺めた。深い谷底から点々と2−3軒ずつの小さな集落が続いている。ここはその最高点ということになる。ここでも背後に一軒、眼下に二軒の家が斜面に貼り付くように普請されている。現在は果樹栽培(特に桃)が盛んだ。

上の家の前に下りてみると昔は林業が盛んだったようで季節山林労働者の宿舎や事務所の跡が残っていた。上の写真でも二軒の割りに棟が多いのもそういう理由なのである。もちろん果樹の栽培だけではなく林業も小規模になされている。期待を込めて林業の再興を願っている。 SIGMA sd-Qの解像力は素晴らしく、オリジナルのデータでは時計の下のメモ類の文字まで読める。SIGMA sd-Q用のDCレンズの充実を希望する=現在はN&C用のフルサイズレンズの開発に力点が置かれている。

2017.4.2

今日は今年初めての「サクラ遠征」で、和歌山の紀ノ川市・黒川の庚申堂のサクラを昨年に続いて訪問=「今年は開花が遅い」と知っていたので早咲きのここへ来たのである(昨年は3/31に来て散りかけていた)。しかし今年は花芽がまだ固い状況である…あと1週間後でも難しいかも…サクラの根方のツバキは昨年同様に咲いていた。 SIGMA sd-Q=今回のファームアップでまた少し速くなった/シャッター半押しから合焦まで2秒程度になった(このような良い条件で)…まだ大昔のデジタルカメラのレベルだ。

そこで山を下りて、やはりサクラの名所・粉河寺へ行った。黒川より暖かいここでもサクラはチラホラの開花で、やや早咲きのシダレサクラが何本か咲いていたというところだ。次は来週に自宅近所に行き、その次は琵琶湖に行く手はずである。今日も含めて4回は行きたい…これはシゴトではない、修業時代「サクラを生涯に何回撮れるか?」が原点のひとつなのである。

2017.3.31

走る走る…人々は日本中で走っている。取材で全国各地へ行くが、都市付近だけではなく田舎でも走っているのを見かける。そして大雨でも走っていた=向こうは横浜港名物・大桟橋…それにしてもあまりにも多くの人が続々と通過すると思ったら雨中の草レースだったようだ。

旧大岡川の橋梁が昔の馬車道を模した遊歩道に据えられている。文化遺産と観光、そして高層ビル街…考えさせられる光景だ。 FUJIFILM-X70…非常に良い機械なのに売れずにすぐに廃盤となったカメラである。単能機なのが不人気の理由なのか?第二のRICOH GRとはならなかった。

2017.3.30

3月初めに見た水陸両用バスに再会、雨の日でも2台ペアで運行していた(乗客はほとんど居なかったが…)。水上では遅いが陸では普通のバスのように走っていた。

せっかく横浜に来たのだから大雨の中海辺まで出てみた。レンガ館の横に超低周波を放つ異様な施設を発見、耳から脳まで響いていた…どうやら下水の浄化システムらしい。海浜公園内なのでガラスで覆ったようだ。

2017.3.29

櫻井市・海柘榴市=「つばいち」と読み、大和川水運によって古代から市の立った場所である。現在は往時の面影はないが記念の石碑と橋がかかっている。写真は橋の欄干の奇妙な飾り。

長谷寺門前町、休日であっても閉まっている店も多い。観光客の多くは駅から歩くのではなく、写真奥の右にある長谷寺駐車場にクルマできて、そのまま寺に入っていく。食事や土産物は門前のごく近くの店で済ませるのである。晴れ着を着ての参拝ついでに家族で写真を撮っていた写真館も所在なげに見えた。

2017.3.28

また長谷寺へ戻る…改修中の仁王門の覆いは観光シーズンの今、いったん取り外されて元の姿を見せている=また覆われて本当の補修完了はしばらく先になる。そしていつものように国宝の本堂内陣にこの期間(〜6/30)入れ、本尊の大観音立像に触れることもできる。

と言っている間に本堂から多くの僧侶が繰り出してきて、本尊前の舞台で祈祷を始めた=お彼岸のこととて一家で依頼したものらしい。長く通っているが長谷寺での本格的な密教の祈祷は初めて見るものだ(時に内陣内での実施は見ているが一部しか見えないのと撮影は困難なのである)。このような時にEFS 10-18mmF4.5-5.6は役に立つ…二度と来ない機会かも知れないため、あらゆる構図と画角で記録を撮った。下がっているのは有名な長谷寺行燈だ。

2017.3.27

3/26-27で雨の横浜へ…わざわざ雨の日にと思われるが(かなりの雨と風)年度末なので、色々と用事を3月末までに終えなければならない。写真と旅日記だけを見ていると遊んでいるようだが(その傾向もなくはない)、それ相応に義務や責任がついて回るのである。

初めて大雨の中を歩いてみて(横浜は5回目)感じたこと=ここは観光のためにだろうが歩道の舗装が石畳・タイル・木材と凝っている…これが表面に水が浮くほどの雨になると、非常に滑りやすく危険だと思う。そして滑らないように気を付けて(もちろん傘をさして写真を撮りつつ)1万歩ばかり歩くと足腰にドライの時の倍ぐらい疲れが来てしまう。歩道も普通の粗めのアスファルト舗装が良いだろう。

2017.3.20

門前町の新聞販売店…戸数の減少と新聞離れがあいまって一軒の販売店ですべての新聞を扱うことに(全国的傾向)なってきた。看板をよく見ると左側が古く、右側に新しい新聞社のものが足されていったことが分かる。現実には販売店は新聞の売上で成り立ってきたのではない(むしろ新聞社から補助金をもらっているぐらい)、折り込み広告の料金が頼みなのである。広告効果が小さくなってきたので折り込み広告の料金は半減し、結局は各社特約店の合併ということになっているのである。

西国三十三所札所番外の法起院前の長谷名物の草餅屋、店は沿道に何軒もあるがここのがおいしいと感じる=餅もヨモギも餡も自家調達・製造しているらしい。「ここだけ」は一個90円のことだ=他は100円。

2017.3.19

今日はCanon EOS X7+EFS 10-18mmF4.5-5.6だけで実地試験を兼ねて先月に続いて長谷寺に行った。お彼岸だと言うのに人出は多くない。特に車で来る人が多く、せっかくの長谷寺駅は閑散としている=ここから徒歩で寺まで20−30分。

デザインとしてはPENTAX K-S1の方が好みだが、ボディ/レンズの性能と癖のなさは断然Canonが良くてエントリー機として優れているだけではなく、プロのメモ用カメラとしても実用的である=PENTAX K-S1はエントリー機としては手がかかりすぎる(私はまだ粘るが…)。

門前町を歩くと、お寺の近くを除いて、各種の参拝者/観光客相手の店はシャッター通りになっている。これも車で長谷寺の駐車場に行ってしまう人がほとんどで、歩く人が少ないため商売が成りたたなくなっているのである。20年前はもっと賑わっていた。このボディ・レンズの組合せ、なかなか強力で軽くて速く、静かでブレない…チープなレンズも予想よりはるかに良く写る。

2017.3.11

話は行きつ戻りつ…2月に訪ねた櫻井市の続きだ。三輪エビスから近辺の神社を歩いたあと、町はずれの山中にある長谷寺に回った(年に2度は来ている)。門前町を歩いても寒さのせいか観光客は見られず、信心している人達が歩いているだけである。門前町の店も休日にもかかわらず半分以上が閉まっていた。

山門修復中の長谷寺に入り、慣れた境内を歩き回る=もはや新しい発見などないと(20回ぐらい来ている)思うだろうが、そうではない…季節により、10−20年単位での時の流れで変化や見きれていなかったシーンと出会うのである。数年前大黒天堂が修復され気になっていたが、中は真っ暗で微かにしか見えなかった…しかしガラス越しにひょいと覗いてみると(入ることはできない)軽くライティングがなされていた。しかも天気が悪く外の景色の写り込みも最低限だったため撮影に成功=撮影禁止とは書いていなかった…そもそも暗くて普通のカメラで撮ることは想定されていないのだろう。 Leica-Qの手振れ防止機構が優れていることが確認できたし、暗いところに弱いLeica M系とは一線を画すことも分かった(それでいて画調はLeica)。今後ともLeica-Qは多く使うことになるだろう。

2017.3.9

堺市・大仙公園二景…広大な公園の真ん中に建っている不思議な塔「堺市平和塔」。検索すれば意図は分かったのだが塔の中身やここにある必然性は不明である=予備知識なく行ったので、最初は不遜ながら遠目には焼却場の煙突かと思った。現地にも詳しい説明は見られなかった。

塔の南は大きな池になっていて、まわりは散策路・日なたぼっこの場所になっている。そこに忽然と裸婦の彫刻があり、これも意外感が強く、像にも落書きだらけなのである。 Leica M Typ262+summicron 35mmF2/ASPH

2017.3.6

さて東京旅行の話が出たところで国東への旅も終えよう。国東半島を縦断して帰りの道すがら、宇佐神宮の手前で小さな村社「向野神社」に立ち寄って旅の終わりとした(旅の最後はたいてい名もない場所に寄る)…あとは高速道路に入るだけ、なんとなく名残惜しいのである。

誰もいない境内に昨晩の雪が残っていて、いかにも清涼である。画質はややFUJIFILM X-Pro2が上回るが、やはり使い勝手は国東に持っていったα6000が良く、そのせいで写真の生彩もこちらが良さそうである。今しばらくはαの時代が続くのかも知れない。 α6000+SONY-E20mmF2.8

2017.3.5

関東へ三日間行った。カメラはこれだけ…レンズは残念ながら旧式の全群繰り出し式のために画質は良くてもAFは遅く、どうしてもWR系18mm(まだ出ていない)でないとFUJIFILM X-Pro2の実力を発揮できない。このボディにはFUJIFILM XF-23mmF2 WRが今のところ良さそうである。

さて3日間たくさん歩いて、各地での取材ができた…ここは3/5の三浦半島観音埼灯台、明治元年日本初の西洋式灯台である(これは大正15年建設の3代目=現役で稼働中)。ここの海域が東京湾の一番狭い場所で、すぐ向こうに房総半島が見えていた…映画「喜びも悲しみも幾年月」の最初の赴任地がここだったことも理由があると知る。次は隣の久里浜から房総へ出ている連絡船に乗ろうと思った。

2017.3.2

更に半島奥へ進み元宮磨崖仏へ至る…気温はともかくとして風がないため内陸の方が穏やかな気候である。

そして田舎道になんとなく入って穴井戸観音に辿りついた。車の入れない山道(駐車場もない=その辺の畦に停めるしかない)を歩いて深い竹林の中にあった。ここから先がなかなか面白かったが、明日から東京に行くので三日間程度は更新できない。

2017.3.1

国宝・富貴寺大堂(阿弥陀堂)を裏山から見た…残雪と早咲きの梅が綺麗だった。この寺も一時期衰えていたようで、本堂は新しく山門(下の写真の仁王門)の横に建てられている。

同じ境内に元は一体に祀られていた白山社(ここに白山社があることに驚き)が荒れてはいるが残っている。神仏分離とはいえ土地の人で何とか掃除だけはなされているようだ。

2017.2.28

さて翌日は豊後高田の「ホーランエンヤ」の祭りを取材した後、国東半島の内陸へ入ってみた…まず国宝の大堂を擁する富貴寺である。夜に降った雪のせいか日があたると昨日より寒さはこたえない。山中の静かな古刹である。

路肩の仏像も神仏混淆時代の影響が見られ、なんとはなしに異国風の趣である。

2017.2.27

公園から僅か5分歩くと港が見えてきた…本当は5時の便で本土へ帰るつもりであったが、あまりの寒さと「次も来る」との決心で、出航5分前の4時の便に乗ることに急遽決めた=「もう来ないかも知れない」と「また来る」とでは大きな違いがある。

強烈な風波の中(来たときより激しくなった)島を離れる、この時間なら伊美港近くの伊美宮神社に立ち寄り撮影も可能だ…という計算もしている。

2017.2.26

観音崎から戻り、北浦地区へ…村民公園があり、中心にゲートボール場があって、一団の人達がゲームをしていた(ルールがさっぱり分からない)。この島の人は気さくで見ているとすぐに「寒かろ?こちらへ…」と用具小屋へ招き入れてくれた。

寒いのでドラム缶ストーブは焚きっぱなし、上で餅やら芋を焼いては食べている。私もご相伴にあずかり、いろいろ島のことを聞かせてもらった。瀬戸内生まれの私にとって快かったのは、この島も含めて初めて来た国東地方では九州弁より瀬戸内弁(造語:しかし瀬戸内全体に共通の言葉がある)が多く聞かれ、聞き取りしやすかったことである。餅は昨年の船祭りの時の餅まきのもので冷凍して少しずつ食べているとのこと…餅を大切にしていることが印象的だった。ここでのやりとりで今年10月の船祭りに再訪しようと考えた。

2017.2.24

千人堂へ…こんなところへ千人も入ったなんて、どういう発想なのだろう。狭いだけではなく断崖の端っこで強風の海原…ともかく風を避けて馬頭観音が祀ってある堂内へ。

扉は鍵はかかっておらず、中に入ると一坪あるなしだが観音さんの前に座り、妙に落ち着いた…せいぜい二人が座れる程度の空間だ。座って、今来た崖を見上げた=右の岩が黒曜石の原石である(採取厳禁)。小休止をする=お賽銭を200円放り込んで、お供えしてあったムーンライトクッキーを半分いただいた。甘くて脳と身体に元気が戻った。

2017.2.23

断崖の道の左…足元から垂直の壁となっている。向こうは「ふたつ岩」の右側の岩、足元の灰黒色の岩が黒曜石の露頭である。ここの黒曜石は真っ黒ではなく灰色がかっているのが特徴で、硬度と産出の多さにより古代から鏃などに利用されてきた。

断崖の右…もう木は生えていないため30mm画角いっぱいに海が展開する(もちろんこちらも落ちたら終わり)。遠くに周防の海岸や山が見えている。波の高さは3m以上、風波のため寄せる波の周期は短い=何万年も冬場は波が叩きつけた結果、日本海側のような海蝕崖と黒曜石の露頭ができたのだろう。

2017.2.22

最初は幅のある尾根道だったが岬に近づくにつれ尾根は狭くなり、ついに海が正面に見える頃には道の両側は断崖絶壁になる。ステンレスの杭とチェーンは最近整備されたもので、以前はさぞ怖い道だっただろう。折からの北西からの季節風は正面から吹いてきていて風波が押し寄せてくるようだ。寒い。

「姫島七不思議」のひとつ千人堂が岬の先端に見えてきた…ここからはまるで海に向かって落ちていくような崖の小径を下りていく。チェーンにつかまっていても足元が危険で、もし落ちれば命はない。

2017.2.21

さてまた姫島へ…浜の「ふたつ岩」(地元では「戸尺岩」と呼ぶようだ)方向を見た連合艦隊=ベアトがここから撮影した写真だ。当時の著名な写真家ベアトが立ち、勝海舟も立った場所に来たことに感慨がある…遠い京都からここまで辿り着いた。やはりフィールドワークはやめられない/写真家の宿命とも言えるが「そこに立たないと始まらない」のである。

勝海舟:「行ないはおれのもの 批判は他人のもの おれの 知ったこっちゃねえ」の簡単な歌碑が勝海舟の立ったであろう場所に、後世の誰かによって建てられている。私の生きている規範も似たようなもの=当然、私の祖先は幕府方である。

2017.2.20

今日は少し内容を変えて、毎年「フィールド写真講座」で必ずと言っていいほど行く須磨浦山上遊園の写真を2枚…園内マップにある現在は「ふんすいランド」という場所だ。確かに噴水が間欠的に色々な形に吹き上がる(おそらくコンピュータ制御)。しかしたったひとつの噴水にしては大袈裟な施設である…歩いてみると伝声管や水琴窟、パラボラ型の集音装置などがあり(どれも古い)以前は音の遊具を中心にしてきた歴史があるようだ。ここは山陽電鉄の系列会社の運営で、関西では数少なくなった旧来の遊園地なのである。景色が良く静かで交通も至便なために生き残ったのか?たぶん今年の秋も登ることだろう。山頂まではロープウェイ・カーレーター(これは本邦最後のものかも知れない)・リフトと乗り継ぐ=この空中戦も楽しい…そして海の景色・淡路島と海峡大橋・紅葉・クラシックな遊具、魅力がある。 CASIO EX-ZR20

2017.2.19

北浦漁港の端から左に山道を登る=標高はたいしたことがないが急坂なので雨の日は少し危ないかも知れない(このあと岬までもっと危ない道になる)。まず岬の尾根に取りつき、ここから狭い遊歩道を経て岬先端の千人堂へ向かう。観音崎というだけあって遊歩道には観音霊場を模した堂宇が随所にある。それなりに古いらしく朽ちかけている場所も見られた。

尾根に出ると北西の季節風が非常に強い…この正面が関門海峡で、幕末の下関戦争(長州が英米仏蘭の海軍に敗れた)の舞台になった海域で、この島は当時、関門海峡から瀬戸内海に入った最初の要衝であり、幕府海軍の勝海舟もここに駐屯し陣をしいた。この辺の事由も姫島の独立性のもとになっているのかも知れない。なお良質の黒曜石の露頭はこの近辺の断崖に見られ、下のトンネルは写真の左の断崖の向こう側(少しだけ浜が広い)へ通じている=ここから右は景勝地でもあり、採掘は禁止されている。

2017.2.18

集落を抜けると北浦漁港に着く…漁港と言っても立派な船溜まりの割には漁船は少なく、車エビ養殖に成功してからは沖へ出ての漁業は盛んではなさそうだ。この島も左右に山があり(元は離れていた?)その間の砂州に集落ができたようだ=瀬戸内に多いヒョウタン島構造。南の連絡船の港から北浦までは、ほぼ平坦で直線的に歩けば20分程度で着きそうである。

http://geopark.jp/geopark/oita-himeshima/  ←調べてみると4個の島がつながったようだ。

北浦港から更に北の島の名所である観音崎へ向かう…このあたりから立ち入り禁止の看板が目立ち始める=観光ガイドには書いていないが黒曜石の産地で、このトンネルの向こうが露天掘りの場所なのである。現在の採掘は盛んとは思われないが依然としてガードは固い(かなり高価)。

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192762 ←文化庁サイト。

2017.2.17

海岸寺境内は広くはないが島を眺められる立地で、背後の山に北風が遮られ、寒くはあっても人々が集うには良い場所だ。そのような訳で境内には照葉樹や亜熱帯性の植生があり、しばし休憩=こう休憩ばかりしているとなかなか前に進めない。

参道を下りた辻に、今は廃業となった門前のお店があった…往時の人の往来を思わせる。今は住民は役場横のコープへ買い物に行くのだろう。

2017.2.15

山に沿って歩くと左頭上に「海岸寺」が見えてきた。なんともいい名前である…自動車が入れないために資材運搬用の索道が敷設してある=初めは瀬戸内によく見られるミカン運搬用かと思ったが、門まで上がると確かにお寺用であった。離島の小さな集落のはずれに宝物を見つけたような気分で坂を一気に駆け上がった。

山門から振り返ると島の西半分が見渡せる…右の道が参道で、写真ではたいした坂ではなさそうに見えるがかなりの勾配である。さてこれから明るい境内の探索だ。

2017.2.13

小学校脇を抜けて隣の地区へ入る。古くからあるムラのようだが新宅が目立ち、一般的な離島ではあまり見られない市民公園があり、横にあった自動販売機でココアを買って一休み…昔の塩田跡を車エビの養殖場にして、それが当たったため今日の島の自治があるとの話だが、そればかりではなく島民の意識が違うのだと思われる=少し離島の将来についての一般化できるかも知れない考えが浮かびつつある。

集落の裏山に登ってみる。真ん中左の森は大帯八幡の鎮守である。ここから見ると戸数も多く、新しい屋根も目立っていて島の活気を感じる。向こうは国東半島。 α6000+SONY-E20mmF2.8

2017.2.10

畑の中に忽然と広い道が現れ(遠くでは狭くなる)公共施設街となっている。役場・農協・今風のコープ・幼稚園・診療所・学校・電波塔etc…「姫島富士」はキレイなコニーデではないが美しいことに変わりはない。どうも旧の港付近の地区と奥の新興の地区(写真では左側)の間の畑地が最近大開発されたようだ。

こちらは小学校(中学は別に立派なものがある)、広いだけではなく新しく堅固な建物である。ここは海辺のヤチ(湿地)を埋め立てたようだ…取材の生活を続けていると町の構造や立地が分かるようになる。

2017.2.9

また姫島へ…村なかを歩くと「7本」「8本」という表示が辻々に書いてある…定かではないが道の呼称らしい。旧村の道は狭く入り組んでいるだめの工夫のようだ(正式な名前とは違う)。

お寺から少し歩くともう畑ばかりの景色となる。しかしまだ多くの人が暮らしているため自給的な規模にせよ野菜や果物が作られていて荒れ地は目立たない。この島では比較的平地が広い。

2017.2.8 櫻井へ…

三輪神社(大神神社)の界隈には奇妙なものが多くある=観光神社となったところでは整理されているが、古くからの信仰を保っている場所ではどこでもそうだ。帰依堂三輪…ようするに鬼道・拝み屋の類なのだが、外から見ると壊れかけたしもた屋にしか見えない。 帰依堂三輪

参道にもどう考えても不法建築としか思えない店も多く建っている…これから三輪エビスへ向かう。 Leica-Q http://oomiwa.or.jp/

2017.2.7

大帯八幡の脇から通りに出ると真言宗・真戒寺の東門に当たる…ここの門を守っているのは左右一対の変わった石像で、済州島の神像「トルハルバン」にソックリだ。さて、ここは九州北部だと思い出させた。

寒いので大師堂の階段の日だまりに腰かけて食事を摂る…北風は背後のお堂に遮られる。

2017.2.6

今日はちょっと寄り道して奈良・長谷寺へ…今年も寒牡丹が見られた。年々育て方が良くなっているらしく、だんだん咲き加減が綺麗になっている。まだ三分咲きといったところで、あと1週間ぐらいで見頃か? 途中でミゾレが降り始めて「雪か!」と思ったが、残念ながら冷たい雨に変わった。 Leica-Q…28mmレンズだがボケ味は極めて良好、しかしピントが極端に薄くなるので絞り開放時には要注意。

寒い日の平日なので参拝者はほとんどいなかった…しかしひとり黙々と本堂の周りを回ってお百度を踏む人がいた。雨宿りも兼ねて1時間程度付近にいたが、止まることなく私の来る前から帰った後も歩いていたことであろう。仏教に信心のない私も観音さんの功徳について考えさせられた。

2017.2.5

少し歩くと島で一番大きな神社である大帯八幡宮に着く…拝殿前に変わった正月のしつらえがあった。ぶら下がっている黒いものは干した昆布と黒曜石のようだ。松は5本のつっかい棒で支えられている=縄で地面に五芒星が描かれることになる。

付いてきたノラ猫の縄張りは、ここまでのようで、まるで結界に阻まれたように石碑の基壇から入ろうとせずに姿を消した。

2017.2.2

上陸後、すぐに大通りを避けて横道に入る…村のあちこちで大根を薄くむいて(地元ではカブと呼ぶ)干している光景に出会う。北西の季節風(冷たくて乾燥している)が強くなるほど干し加減が良いそうだ。瀬戸内にもかかわらず日本海側にいるような錯覚を感じる。辻々に猫がいて、やはり「猫島」なようだ。

http://www.himeshima.jp/kankou/

風待ち食堂(熊本うどんと書いてある)はさすがに寂れている。向こうに見えているのは、さっそく「姫島富士」と私が名付けた山がそびえている=本当は矢筈岳と言うのだが、どこへ行っても高くて形の良い山を「○○富士」と勝手に名付けることにしている。そう言っているうちに辻で日向ぼっこをしていた猫がすり寄ってきて「おやつ頂戴」とねだる…10分ぐらい付いてきて、ついに神社で昼ご飯用のパンのかけらをやると満足して去っていった…ノラ猫にも縄張りがあるのだ。

2017.1.30

さて翌日は国東半島北岸の伊美港からややクラシックな村営連絡船に乗り、姫島へ20分の航海から始まった。関門海峡から吹き込む北西の季節風により、海は時化ていて小雪も舞っている。むこうは姫島。島歩きはα6000+SONY-E20mmF2.8の組合せだ。

島に上陸すると埠頭前に公園があり、ここの名産品・黒曜石がデンと座っている…奥の島出身の政治家の銅像より貫禄がある。これから4時間にわたって島の主要部を観光地図を頼りに歩く。まず第一印象は、この島は姫島村という独立した行政単位なために、連絡船だけではなく社会資本整備が島の規模の割には整っていること(店もあるし、学校や役場なども立派、特に公衆トイレの数が多い)であった。

2017.1.27

宇佐神宮上宮拝殿脇にヒョウタンがたくさん奉納されている。由来はよく分からなかったが(願い事を書いて瓢箪に入れて奉納する)あまり単純に考えない方がよい…少し深い意味がありそうに思う。

瓢箪 …しかしあまり堅苦しく考えず、現代の神様信仰、この程度の楽しみ方で良いだろう。

さて日も暮れかけて神宮をあとにすることにした。中津まで国道を走らずに海岸べりの県道で行くことにした。

2017.1.25

また時空が飛んで、京都二景…1/9の東山通り・清水坂前で。最近急速にレンタル着物屋が増えている=少し過当競争気味で一日千円の店も現れた。東洋系外国人観光客に人気があるようで、写真の着物は安いかも知れないが、真冬にはいくらなんでも寒そうである。手にはミラーレス一眼、片手にはみたらし団子…批判ではなく、新しいカウンターカルチャーだと納得した次第である。それにしてもLeica-Qの画調には感心させられる=来るべきLeica M10もQと同じセンサーで期待している。

二年坂(正式には二寧坂)の似顔絵屋…ちょっと気持ち悪い気もするが(私も人から見ればどこかおかしい…)画家も客も満足なのだから何も言うことはない=面白いから店内まで入って撮影した。このところLeicaデジタルの性能が(正しくは絵づくり)どんどん上がっている…ピクセル等倍鑑賞ではなく「絵づくり」なのである。

2017.1.24

神域の山中をあちこち歩いて(この日は宇佐八幡宮と周辺で12000歩)山の頂上付近の拝殿に辿り着いた…楠のご神木と今日の奉仕を終えて山を下りる巫女さん達=どうも4時半ぐらいで終わりのようだ。

拝殿前のお神籤奉納場…さすがに外国人はこのようなことはしない。どうか若者達に幸せが来るように…私もそう祈りたい。 SONY-E20mmF2.8

2017.1.22

境内には色々な碑が建っており、漂泊の俳人・種田山頭火の碑もあった…漂泊の人だけあって全国を旅する私も各地でまみえることになる。私自身も漂泊しているのかも知れないが…facebookの職業欄を"independent photographer"と変更した。

境内の奥へ進む…夕方にも関わらず、やはり韓国からの団体客が多い=ひょっとすると日本のカミ(日本人そのものも)が彼らと同一の先祖だということを知っての訪問なのかも知れない。

2017.1.20

豊後初日は着いたのが午後のため、とりあえず当地では最も著名な全国の八幡社の総本社/宇佐八幡宮へ詣でる。広い駐車場、長い門前の商店、広大な境内に鬱蒼とした照葉樹林…多くの神社がそうなように拝観料は不要である。地理的に近いせいか外国人観光客はすべて(聞く限り)韓国人の団体だ。

鳥居をくぐるとすぐに神社には似合わない展示物があった…クラウス号と言うらしい。今ネット検索すると下記のごとくである=なんでも来てみないと出会えないのだ。鉄道にはまったく造詣がない私だが、写真は細部までキッチリ撮ったので、いつか役に立つ日が来るかも知れない。旅の最初に「もう二度と来られない豊後」と思ったが、3日間現地を見るうちに「また今度来よう」に心境は変化した…これもいつものことだ。どこへ行くにしても複数回行かないと理解はできない=ともかく今回は下見としておこう。

クラウス26号

2017.1.19

豊後の海、二態…国東半島から西を見た。本州では見られない遠浅の砂浜で、左側500m以上、干潟も含めて美しい砂浜の風景が見られる=日没に潮が満ちてきたことが重なったのがより良かったのだろう。

ところが日没後、上の場所が遠くに見える中津市の浜に下りると、同じ干潟と言っても砂浜ではなく、黒い石がゴロゴロした砂利浜となっている。何がこうも違うのだろう。燃え残りの焚き火があり、人影は見えなくても何かの作業をしていたのは間違いがない。

2017.1.18

豊後高田:ホーランエンヤ 海と川を結ぶ豊後高田のホーランエンヤ祭り、町の中央を流れる桂川を河口付近から、川中を練り遡りつつ両岸各所に接岸して「餅まき」をおこなう。それほど観光的ではなく(形式張らないのがなにより)、群衆の大部分は近在から集まってきたように見える。他の祭りでも、この地方では餅まきを重視している=姫島では冷凍した去年の別の祭りの餅まきの餅をご馳走になった。橋と河岸道路は宝来船の巡行時には車の通行規制をしている。この橋は昭和の町商店街(下の写真)に架かっている。寒さと人混みで移動しがたく定点的な撮影となった。 α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4

2017.1.17

豊後高田の「昭和の町」…その昔海運で栄えた当時の雰囲気の町並みが残っていて、現在は半ば観光的に再編がなされている。ちょっと厚化粧な気もするが、人々の人情は軟らかく、歩いていても好感が持てた。実際はホーランエンヤ祭りの取材で来たのだが、全体に豊後〜国東は九州的ではなく瀬戸内世界だと感じた。 

2017.1.16

今回で京都への写真散歩のお話しは終わり(書くべき事は多いが次が待っている)…六道の辻の子育て地蔵、やはり子連ればかりだ。六波羅付近はチマチマとしたものがあって面白い=地蔵堂の前の「子育て幽霊飴」の店など不思議な場所だ。 少し四条方向へ裏町を歩くと、京都の町屋にも新しい風が吹いているのが分かる…以前は行政も住民も古い景観を守る方向だったのが、世代交代した現在は守る方向と変化させる方向どちらも同様に進んでいるのである。観光は京都の目玉なので景観に対する配慮は最大限としても、その他の場所はマンションやオフィスビルに変わってきている。それでもご神木は残されてマンションの建った後も社が再建されることだろう。 Leica-Q/これのセンサーを使ったLeica M10がもうすぐ発売されるらしい。それで最後のLeicaとするつもりの筆者である。

2017.1.15

1/13-15で大分の豊後・国東地方へ行った。これで30年以上かけて全県を回ったことになる。遠いので新幹線で小倉まで行き、レンタカーで三日間の取材をおこなった=1日目は宇佐神宮とその周辺、二日目は国東半島北部に浮かぶ姫島(ここは今も姫島村として独立した行政単位である)、3日目は豊後高田市のホーランエンヤ祭りと富貴寺など国東半島各地を巡った。全国的に寒かったらしいが、当地は寒さと風はあったものの(関門海峡から日本海の季節風が吹き込む)毎日晴れ時々曇りで撮影には支障はなかった…写真は1/14国東半島から西を見た夕陽である。これも意外だったが豊後の海は干潟が多く、このような景色が見られる。

機材は前回前々回と同じ組合せだ(主として慣れの問題)=α6000X2+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4+SONY-E20mmF2.8/島歩きは20mm、祭りや定点撮影はズーム。2日半で3000カットを撮影した。

2017.1.12

京都ゑびすの続き…数少ない笹の葉の飾り(夜の祭りなので、これから登場したのかも知れない…)、阪神間で見られる派手な造りの笹飾りも見かけなかった。

最近の参拝客は食べ物ばかりで、こういう昔ながらの縁起物にはサッパリ人気がない…時代の変遷とともに神事から遠ざかっていくのだろう。

京都らしい景色として、沿道のお店が特設で香具師に混じって商売をしていることがある。これらもあまり人気がない…どういう訳か綿飴や蛸焼きなどに人は集まる。

2017.1.11

京都東山二景…安井金比羅宮、お札くぐりは成人式の余勢もあるのかますます盛んで、雨の中札所から拝殿・本殿を回ってようやく最後尾だ=少し札所くぐりに時間がかかることもあり、まず1時間は待たねばならない…若いカップルにとってはそれも楽しい儀式なのだろう。本来は縁切りの神様なのだが圧倒的に縁結びの方に人気がある。しかし奉納絵馬を見ると、かなりの数の縁切り祈願も見える…縁切りのお詣りはひっそりと行われるのだろう。

フィールドワークの最後に立ち寄った「ゑびす神社」の混雑、去年閑散期に訪問した写真の小さな神社である。さすがに京都、小さな境内には入ることすらできない混雑で(これは予測していた)、びっくりしたのは沿道の露天の規模だ…名もない(文字通り「京都ゑびす神社」)神社としては最大級だ…阪神間に多い恵比寿神社と違って笹を持って歩く人は少ない。 http://www.kyoto-ebisu.jp/

2017.10

京都・六波羅近辺…案外開発も進んでいるが、極端に古い町並みも残っている。これは比較的最近まで営業していた美容院。不思議なことに地面もないのに舗装の割れ目から柿の木が生えていた(他は植木鉢)。

京都名物「うなぎの寝床」も少し雰囲気が違ってきていて、京の町屋文化も好ましく拡散しているようだ。町全体が舞台化している。昔そうしたように京都の町をしばしば歩いてみたくなった=最近は洛外京都人なのに京都を歩かなくなっていた。 Leica-Q/写し方を工夫する必要あり…α系に慣れすぎてLeica-Qで撮っても似たような絵になる。Leica-M系を取り出して考え直してみよう。

2017.1.9

今日は天候の安定しないなか、「フィールド写真講座」で京都の東山方面を訪ねた。カメラはLeica-Q、奇しくも初めてLeica-Qを1年半前に使ったのも今日のルートだ。 ここは清水寺のひとつ南の尾根筋(大谷本廟裏)の寺の山門から京都市街を見えるところで、朝からの時雨がすっかり晴れてきた。向こうは西山、左に京都タワーが霞んでいる。観光コースを外れると清涼な空気が流れている。

さらに尾根筋の北辰妙見へ…ここも景色はよい。陰陽道を遣う結界が先日見た日蓮宗の祈祷の道具立てとそっくりだ。そう言えば、ここは妙見社であるが日蓮宗の題目や額が奉納されてもいる。

2017.1.8

今日は趣向を変えて、2004/12に行った千葉の外浦の写真だ…Canon G1(当時のハイエンドコンパクト=330万画素)で撮影。まだフィルム時代で撮るだけで精一杯、画質がどうのと考えられなかった。それでもLeicaと共にシゴトに2000年から連れ出していた…いつかはデジタルカメラの時代になると思っていたのである。この1年後に一眼レフ・OLYMPUS E-300を導入して徐々にデジタルカメラ中心となっていった。

年末恒例の鮭祭り。もう鮭の遡上はなくなっていたが(太平洋側は茨城の那珂川が南限)祭りは残っている…当時の光町の教育委員会の招待で訪問した。 画素数が少なくセンサーサイズも小さいため解像力は現在と比べて問題外だが、もっとも劣っていたのはAWBだろう。ここでは画像処理しているが、オリジナルだと色味も色ズレも使い物にならない感じだ=つまり、レンズは相応に良いとしても、その後の時代のエンジン+ソフトウェアの進歩が著しいということだろう。しかし往年のCCDの味も捨てがたい。

Canon powershot G-1

2017.1.3

もう一ヵ所追加、府道に面した(実に!我が町の唯一の幹線道路)天王神社、鳥居の下が狭い府道で、その横に近鉄電車が走っている。正月なので奈良から京都へ向かう臨時特急が、各駅停車の倍ぐらいの本数で通過していた。

近所の神社へ初詣の第二…大宮神社。自宅は田舎なので各地区に必ず神社があり、それなりに地元の参拝者がいる。おそらく明日あたりにトンド焼きがなされるのだろう。

今回初めて立ち寄った別の地区の玉光社…こちらはすっかり寂れて祠も壊れている。しかし村人によって最低限の世話はされている。 いずれもSIGMA sd-Qで撮影=この大きさでは分からないが極端に微細なところまで写る。

2017.1.2  伊江島:阿良御嶽(アラウタキ)にて。 http://www.hainumikaze.com/iejima/iejima-arautaki.html

沖縄の海岸は海蝕崖が発達していて=石灰岩質でもろく、四面環海のために風波による浸食が起こりやすいため=道や民家は崖の上に建っている。しかも隆起するたびに海蝕を受けるために何段もの見事な海岸段丘を形成している。この島でも背後の集落から下りてきて阿良御嶽に藪をかき分け後から達した。御嶽とは神のいますところで海辺の崖に多くある。沖縄の宗教観はまだまだ理解できていないが、聞き取りや立地のありようを考えると、海神・水神が本質のように思われる。ひとつには文化的にも海運を中心とした経済的にも航海は最大の関心事であったことだろうし、晩春から晩秋にかけての台風被害、冬場の北西季節風(実際、冬の沖縄は天候が良くない)による航行難…そして多孔質の地質により降水は地面にすぐに染み込み水不足は慢性的であったことなど=水は地中に染み込んで岩脈をたどり崖の途中から流れ出す…内陸の井戸とは別に、あちこちに海辺の崖に水汲み場があり、とうぜんに神聖化されている。

御嶽はご神体は特にない(全体に沖縄には偶像崇拝はない…あっても自然石程度)、場所が神聖なのである。御嶽の拝所から伊江島の中心にそびえる神聖な城山が見通せる。風水の思想は根強い。

阿良御嶽の面する海は「アラ浜」と言い、復帰後に整備された新港ができるまで、対岸の本島に向かう海道の起点であった。つまり旅人は何百年も城山周辺に住み、坂を下り御嶽を通って前浜に出て、船に乗って海に出たのである。神聖を肌で感じた今回の旅であった…天気は悪くても海の色は珊瑚礁の色だった。 α6000+SONY-E20mmF2.8

2017.1.1

2016.12.29の久高島の元学校の校庭から。

さて、1999年からHPを始めてアッと言う間に年月が過ぎていった…当初の趣味的な内容から、私の研究の啓蒙サイトになっていった感があるが、また変化があるかも知れない=今年も続ける決意だ。

例によって地区の氏神・八大龍王社に初詣…小さな社だが毎年元日のお詣りはかかさない。 CASIO EX-10

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2016.12.31

本年の最後の日、例年どおり今年の穢れを祓いに近江:賀茂神社へ年越の大祓神事に詣でた。もう何年も通っているが、少しずつ参拝者が増えている。宮司は高齢のため権宮司とその奥様(この人も神主)によって神事は執りおこなわれた。私は清められて新年を迎え、また1年が始まるのである。 神事を終えた頃、曇っていた空から夕陽が顔を出し、神が降り立ったことを知らせられた。夕陽は鳥居の上に落ちていく…ここでは神殿は南面せず西を向いていて、新年の頃に本殿から見て鳥居に落ちていくように建てられているのである。  SONY-α6000+16mmF2.8

2016.12.30

12/27-30、今年最後の遠征で沖縄に行った=4日間とも曇っていたが雨にはたたられず幸運だった…沖縄と言っても本島は移動・宿泊しただけで、沖縄の離島(+橋でつながった島)を例によって歩き倒したのである。今年で3年目、なんとか取材成果もモノにできそうである。 1日目は着いたのが午後だったので、うるま市の博物館に寄り、近くの平安座の船大工を訪ねただけに終わったが、2日目は名護の北に浮かぶ東シナ海の伊江島、3日目は太平洋側の知念村の先に浮かぶ久高島を、1日15000歩ぐらい歩いた(やはり1日で1000カット)。写真は久高島から戻る船中からの荒れる太平洋(うねりは5mに達した)、向こうの陰は知念岬。4日目はレンタカーで橋でつながった島を5島回った=成果はそれなりに大きかった。

機材は落とせない撮影だったので、二転三転したが、やはり信頼性と使いやすさで、α6000+SONY-E20mmF2.8(島歩き)+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4(クルマ撮影)となった。レンズ・バッテリー共用・故障リスクの解消・絵をそろえる・ストロボ内蔵etc…である。唯一の欠点はP撮影でSSの低速限界が設定できないことだろう。

2016.12.20

須磨浦山上公園へ上がる…西の展望台への道に噴水広場がある。ここでバーベキューもできるようになっている。しかし大袈裟なわりに噴水が時々上がるだけで、人はあまり来ない…今回は過去の訪問で寄っていない場所へ行くようにした。景色は素晴らしく、北側の山影になるため寒さも和らいでいた。そして周りを歩くと、伝声管・パラポラ式の集音装置・水琴窟など「音」がテーマの場所でもあるようだ。噴水も規模のわりにプールが大きくて以前は別のアトラクションをしていた可能性が大きい。 CASIO EX-ZR20/HDR

いつもの旗振山山頂。天気は良かったが夕焼けは真っ赤には染まらなかった…そしてロープウェイの最終便がpm4:45のために日没まで居ることもできなかった。山頂の茶店は来るたびに充実して「ぜんざい」「コーヒー」などだけではなくバナナオレまでが加わっていた=メインスタッフに若い女性がなってからの変化である。山上公園入園者とハイカー、地元の人がここで同じ風景を見ることになっている。 SONY-α6000

2016.12.14

公園の西端にある舞子台場跡…すぐ横が民間のマンションである。このような建造物(用途は不明)がふたつと基礎の石組みが残っている。日本中の砲台跡でも当時のまま残り、ここまで接近できて、しかも触ることすらできるものは珍しい。

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/folk/estate/bunkazai/syokai/maiko_hodai.html

http://sonbun.or.jp/jp/index.php?id=14&option=com_content&task=view

公園東端の孫文記念館(国指定重文)…孫文が住んでいた訳ではないが、神戸の華僑実業家の別邸として建てられ、孫文も日本に来たときに歓待を受けたもので、その後華僑会が独立の英雄孫文を顕彰するためにこれを記念館とした。そして架橋時にここに移築されてきた。中は資料館である。

2016.12.13

公園内施設のひとつ「舞子海上プロムナード」へ登る(入場料310円)…ようするに橋の下に設けられた遊歩道だ。エレベーターが8Fとなっていたので、たいした高さではないと思っていたら、1Fの高さが高く、地上50mとかなり高いし、喫茶室や土産物屋を除いて回廊はスケルトンで、強風が吹き抜ける(冬や風のある雨天は避けた方がよい)=その代わり危険防止用に設置されている金網の目からガラス越しでない写真が撮れる。喫茶室付近は人がいっぱいだったが回廊を歩く人はほとんどいない(少し回廊へ出てすぐに引っ込む)…と言う私も写真を撮りながら約20分しかいなかった。季節の良い時にじっくり散策するのが良いだろう。下の道は作業用の通路だ。

http://www.feel-kobe.jp/sightseeing/spot/?sid=108

この高さである…明石海峡大橋から東を見た。浜の10階建てのマンションと比べてもいかに高いか分かるだろう。 α6000+20mmF2.8

2016.12.12

舞子公園二景…明石海峡架橋記念公園の意味合いをもっている。それほど広くはない(何もせず歩けば30分で回れる)が舞子駅のすぐそばで、季節が良ければ気持ちの良い場所だ。その中心は大橋の真下から橋のある風景を見られること、そして西端にお台場跡、中央に橋の科学館及び展望台、東端に孫文記念館があることだ。

岸壁の陰の日だまりで本を読む…この景色の前では贅沢な読書だろう。地元の人・観光客・釣り人が1/3ずつ居るように感じた。 CASIO EX-ZR20

2016.12.11

今日は快晴の神戸西地区へ「フィールド写真講座」の実習で行った。明石海峡大橋架橋の際につくられた舞子公園〜須磨浦山上公園のミニ撮影旅行だった。上は山上公園の3段になった展望台の2段目から見た瀬戸内海、過去に4度来ていて、いずれも晴れていたが、5度目の今回が最も空気の透明度が高く、大阪湾がすべて見渡せた…対岸の山々が泉州で一番右の方の島が和歌山の友が島だ、わずかな紀伊水道の切れ目をはさんで四国の岬まで見えた=ここに立つと外海はごく僅かしか切れていなくて大阪湾自体が天然の良港・要衝だと具体的に分かる…平家がこの地を重視した理由もそこらへんなのである。山際を貨物列車がノンビリ走っていった。 SONY-α6000+20mm…独特の軽くて綺麗な色が出る。やはりFUJIFILM X系が良くても離せないカメラだ。

山上公園頂上の旗振山頂上からの夕暮れ=背後には巨大な電波塔が立ち、今も昔も通信の要である。向こうは海峡大橋、そして小豆島遠望。 CASIO EX-ZR20…HDR-ARTモード/やはりコンパクトカメラはカシオがナンバーワンだろう。

2016.12.4

新勝寺の本堂まで上がると七五三のお詣りにたくさんの親子連れが来ていることが分かる。本堂前の階段に黄色い菊の盆栽(表現がおかしいが、どれもそのように見えた)がいくつも飾られている。七五三と関係あるらしいが私には見たことのない不思議な光景だ。

堂内ではおりしも祈祷が行われていた(どうも一族のようだ)。神式の御幣が降られて清めてから祭文を唱える…これも先日堺で見た日蓮宗の祈祷とはまったく異なるものだ。暗いところに強い=感度の問題ではなくシャドウが綺麗に写る=FUJIFILM-X70の実力の出せる条件だ。

2016.12.2

階段を上がり下を見る…背後は本堂前の広場になっている。FUJIFILM-X70はこのような場面に弱い=外付けファインダーのために近距離での正確なフレーミングができないのである(視差)。よし!と思って撮ると頭が切れたり足が切れたり…このシーンも連続で3カット撮影、見事に頭と足の切れた写真ができた。モニターで撮ればそのようなことはないが、腕を伸ばして不安定なスタイルで撮ることも、相対的に画面が小さくなり構図や撮る瞬間が甘くなることも避けたいのである。

本堂前のステレオタイプな風景…ここでも外国人観光客(こちらはロシア人)がどのように思っているのか観察していた=やはり意図は不明だが単純に日本人のマネをしているだけとは思えない。

2016.12.1

千葉・成田山新勝寺へ。大阪の別院の近くに住んでいたので本山にもいつか行きたいと思っていた。今は参拝のシーズン(正月には身動きができないぐらい)ではないし、首都圏から見ると遠方に思われるが、想像どおり多くの参詣人で賑わっていた。 FUJIFILM-X70の描写には目を見はるものがある。

http://www.naritasan.or.jp/

山門をくぐると多くの神仏が祀られている…別院でもそうだが神仏混淆は徹底されている。不思議なことに(全国で見かける)戒律の厳しいはずのイスラム系の人達が、特別なてらいもなく混じっていることだ。「観光」と言ってしまえばそれまでだが、本堂で手を合わせたり賽銭までしているのである。昔、小学2年生の遠足で平安神宮に行ったとき、担任の女先生が鳥居の下をくぐらずに横を通って境内に入っていった時に「先生どうして?」と聴くと、「私はクリスチャンだから…」と言ったことを覚えている=引率で行くのは仕事だから当然だが、自分の信仰を通したかったのだろう…その時だけで授業などで信仰について話すことはなかった…などと思い出した次第である。

2016.11.27

東大寺南大門の仁王像。最近は鳥よけと悪戯防止のため網の貼っている寺が多くなった。FUJIFILM-X70…X100系より逆光に強いが他社と比べるとどうかな?といったところだ。

大仏殿前から(ここだけは有料だ)…修学旅行生が目立つようになる(一般の観光客は有料となると減る)。したがって大仏(盧舎那仏)拝観は比較的ゆっくりとできる。

2016.11.25

また上野公園…歩いているうちに公園の北のはずれ、国立博物館と美術館の間を通る車道の横で=向こうに見えているのが旧因州池田屋敷表門(黒門)=慈善団体がホームレスに対して炊き出しをしている場所に出た。炊き出しの終わった直後で撤収作業中…すぐ数十メートル向こうは博物館前の噴水が木の間に透けて見えている。霧雨の中実施されたのだろう…ひとつだけ乾いたベンチに座ってあんパンを食べた=なぜ乾いていたのかも座ると分かる…誰かがベンチにシートか何かを敷いて炊き出しを食べていたからである。歩いていると広大な公園に雨のしのげる場所は有料の施設やカフェ・レストラン以外にほとんどないことが分かった…簡単ではないが貧困がはびこる社会、これからなんとかしないといけないと感じた。

 まったく別の話題…江の島の地図を貼り付けておく。だいたいがピンクのルートで見物し、右端の洞窟の浜から連絡船で帰路とするのが合理的だろう。食事をする場所は最後の洞窟近くまで点々とあるので、橋を渡ったすぐの門前町の店にこだわる必要はない。私も展望塔を過ぎたあたりの海に面した景色の良いオープンレストラン(実際は大衆食堂)に入った。歩いて帰る道(白い表示)もあるが、全体に森の中を淡々と歩く道なので面白みが少ないのと、海から見た江の島や相模湾も体験した方がよいと思うのである。地図の「エスカー」と言うのが勾配の急な坂を上がる有料エスカレーターである…したがって船で先に洞窟の浜に上陸して、帰りに島内を踏査するのには不向きと言える(やはり神社は表から入り、奥の院へ詣るのが正攻法だろう)。

2016.11.24

堺市・南宗寺…堺市は戦後一貫して工業誘致を実践していったが、政令指定都市となり今の市長が就任して、行政政策に変化がみられ、観光や文化保全に力を入れつつある。寺町の一角にある南宗寺も荒れ寺の跡は残っているものの、全体として整備は順調に進んでいるようだ…しかし周辺の雰囲気はまだまだこれからという印象を持った。 http://www.sakai-tcb.or.jp/feature/08_5.html

寺町には、まだまだ古い民家や倉庫などが使われないままのこっていて、町には「売物件」の看板や空き地が目立っている。 Leica M Typ262

2016.11.23

奈良公園二景…東大寺への参道。以前より鹿は増えている(保護しているせいもあるが人慣れが進んでいる)。鹿センベイ屋も繁盛している…しかし中には持ってきた食品(パンなど)や紙くずまでやっている人を見かける。それに慣れて鹿も弱わそうな子供を狙って弁当やおやつを取ろうとする。ともあれ鹿は半野生のまま繁栄していくだろう。奈良公園側でも餌付けや傷病の鹿の保護をしている。

氷室神社で七五三の祈祷を一家で受けていた。観光地の雑踏のただなか、なんとか聖域の対面を保っていて、とても静かな境内である=同日、春日大社では本殿貸し切りで団体相手の七五三行事をしていて一般の立ち入りは制限されていた。こちらの氷室の氷神籤が珍しい(氷の神様)。 Leica-Q

http://www.himurojinja.jp/

2016.11.22

江の島弁天(正式には江島神社)の参道を行く…観光シーズンと七五三が重なりたいへんな人出である。ここは門前町の外れだが背後の島の入り口付近は写真を落ち着いて撮ることもできなかった。神社とは言っても、完全な神仏混淆で、仏でもあり神でもある弁財天を中心に多くの神や仏が祀られている。

http://enoshimajinja.or.jp/gosaijin/

さて鳥居を過ぎて境内に入ろうとすると中国風の寺の山門を潜ることになる…このあと江の島の尾根づたいに、やや急な上り下りを何度もして全域を歩くことになる。足に自信のない人のためには有料エスカレーターもある。

2016.11.21

江の島へ…前回はモノレールで来たが、今回は小田急だ。終点の片瀬江ノ島で降りるとすぐに海、一般に想像される江ノ電より海側なのである(モノレールの駅は更に奥)。地名は「江の島」だが駅名は「江ノ島」となっている=それほど深い意味はなさそうだ。島自体の観光客は多いものの、駅がみっつもあり、自動車の人達も入れると、それぞれは大混雑とは言えなかった。

地下道を潜って橋の東側へ出てみる(東側は江の島にはつながらず西側へ渡らなければいけない)…三浦半島・湘南海岸の絵に描いたような景色だ=海にはヨット、砂浜では人が遊ぶ。

http://www.s-n-p.jp/enoshima/

2016.11.18

姫路駅三景…駅の表側(お城方向)は整備が進み地方駅としては最上等の域だろう。あちこちに散っていたバスの停留所も一列になった。

駅裏の真新しいホテルの窓から…眼下の駐車場もいずれはマンションやビル・ショッピングセンターになるのであろう。

駅の裏側も整備はなされているが、昔日の残滓はまだ消えそうもない。 FUJIFILM X-Pro2+FUJIFILM XF10-24mmF4R

2016.11.17

江の島二景...am11:30-pm3:30まで昼食の30分を除いて江の島を歩いた。やはり印象に残るのは外海側の洞窟のある海岸だ(他のメンバーも同じ印象らしい)…前回来たときは全島をくまなく回ったため海岸に降りることはしなかったが、今回は海岸の景色や人の往来をじっくり眺めて2時間程度ここにいた。皆危ないのは承知の上で汀まで歩き、波が来るとキャアキャア言いつつ浜に逃げ帰る。やはり海はカップルだろう…たとえ中年夫婦と言えど。遠くに霞むのは伊豆半島、もう相模湾は東海地方なのかと思う=鎌倉を越えれば「関東」の雰囲気とは違っている。

浜を少し回った場所に船着き場があり、本土近くの突堤まで渡してくれる(片道400円)…2艘の連絡船がピストン運転していて案外満員になる。私も登り下りの激しい江の島縦断をもう一度歩く気になれず、帰りはこの船に乗った。「歩くと40分、船なら7分」が渡船会社のキャッチフレーズだ=私も行きか帰りに利用することを勧める/しかし片道は必ず江の島を縦走するべきだ。あとで片瀬江ノ島駅でメンバーと合流したら、全員が連絡船で帰ったと知る(現地では各々の目的があるため昼食を除いて別行動)。 FUJIFILM-X70…よく写る。

同じAPSサイズセンサーとは思えない両者…いかに歩くときの楽さがあるかが分かるだろう。もちろんSIGMA sd-Qにも強烈な解像力という利点があり、フィールドワークには「この2台」という組合せも悪くない。

2016.11.16

東京・蒲田の夜…駅前のバスターミナルの中央に喫煙所が設置されていた。もちろん都の条例で歩行喫煙禁止のせいもあるが、デザインや立地もあか抜けている。東京での定宿は西寄りの場合は蒲田、東寄りの場合は大塚と決めている。どちらも都会の田舎だと感じる=実際は歓楽街とB級オフィス街だ。 FUJIFILM-X70…感度をなるべく上げずに撮ってはいるが夜景に非常に強いカメラである。

このような店がた〜くさん並んでいる。私の住む京都の田舎ではPM7以降は人影はない。「ジョナサン」で友人と邂逅した。

2016.11.15

昨日の続き…雨の金曜日、小学生の修学旅行に出会う=遠足ではなく修学旅行に上野公園(もちろん東京旅行の一部)とは今どき珍しい。紅葉は半分始まっている。

霧雨の公園もなかなかいいものだ=ただし屋根のあるベンチなどがないため休むことはままならない(なんとかするべきだ)。PM3:30、大道芸人のパーカショニストに会う…数年前上野公園で初めて見て、それ以来何回も会っている。いろいろ話し込んだ…この場所は都から無償で借りられるらしい。申し込み順に時間が割り当てられる。PM1−3が彼、そしてPM3−4が申し込みに少し遅れたイタリア人のチェロ弾きだ。仲間内で時間をシェアしている。ライバルでもあり、仲間内でもある…私も路上でシゴトをしている仲間だと感じている/気温9℃。

2016.11.14

上野公園二景…6月に来たときは健在だった、名物パンダ焼きの桜木亭が撤去されていた。ここで昔から独占的に商ってきたのだが、この1−2年の間に始まっていた動物園の整備のあおりなのだろう。当然に営業保証はあるのだろうが、ここで営業再開はなさそうである(移転?廃業?)。

動物園前の上野こども遊園地は廃業が確定したらしい。現在撤去はなされていないが入ることはできない。70年間、戦後すぐから続いた営業はついに終わった。多くの関東の人は、動物園で象やパンダを見て、遊園地で遊んで、パンダ焼きを食べて、不忍池でボート遊びをして1日を過ごしたことがあるに違いがない…

2016.11.13

三日間関東へ出かけた(東京・千葉・神奈川)…カメラはこれ1台=α7にするかLeica-QにするかFUJIFILM-X100Sにするか迷ったが、かなり歩くのと今回はスナップ中心のため、負担(私にとっても被写体にとっても)の少ない、そして簡便に良く写るこれにしたのである。望遠の欲しいシーンも確かにあったが、98%は28mm画角で撮れた…まず成功。

旅の最後の湘南・江の島の外海側の海岸…東京から電車で1時間以上かけないと自然の海岸に降りることはできない。良い季節のためか以前春先に来たときより倍ぐらい観光客は多かった。磯浜で遊んでいると危ない=穏やかなように見えて時々大きな波がやってくる…磯で波にさらわれたら助からない。 FUJIFILM-X70/時々露出がオーバー方向に引っ張られることがあるが、全体として大変良い性質のカメラである。

2016.11.8

東大寺・二月堂…京都の清水寺より景色が良い/そして駅から道を選べば林や公園の遊歩道だけで辿り着けるし、古くからの権利を持つ茶店もそここにあり、京都と違って休むにことかかない。これでも観光シーズンや正倉院展と重なって普段より人は倍ぐらい多いのである。三角屋根は大仏殿だ。 Leica-Qのレンズは逆光にも強いし、Leicaの色もちゃんと出ている。

下は同じ場所から50mmにクロップした画像…ファイルサイズが長辺で28mm/5800が50mm/3300ぐらいになるのは当然として、EVFがLeicaの真骨頂で、α7にAPSレンズを付けたときのようにEVF画面いっぱいにならずに、M-Leicaと同様28mm画面に50mmのフレームが出てくる(@_@) 見慣れたファインダー風景なのだが、一瞬とまどう=特にそのようにする必然性はなく、そのためのコストはかかると思うのである。ともあれ28mmフルで撮ったものをトリミングすることと同じといっても、構図という点ではクロップ機能もあってもいいのかも知れない=マクロ機能はたいへん便利だが…

2016.11.7

奈良・興福寺でこんにちわ…行き先は東大寺だが、大通りを歩いても仕方ないので興福寺境内〜国立博物館を抜けて行く。向こうは猿沢の池、団体客ばかりだ。修学旅行生も高校生ともなると雰囲気が決まっていてなかなか良い。

http://www.kohfukuji.com/

こちらは中学生らしい…たった3年の差(現実には2年の差だろう)で大人と子供だ。ほんとうは周りにたくさんの観光客がいるのだが、待って待って撮影する。 Leica-Qは彩度を少し落とした方が結果がいい(AWBが少し「濃い」…)。今回は彩度:中低、コントラスト:中高、シャープネス:中、露出補正:−0.3〜0で撮影した。例によってAWBだ(めったに晴れや曇りに設定しない)。

2016.11.6

今日は「フィールド写真講座」の実習で奈良を訪ねた。昨年は奈良市街地の南側(奈良町近辺)を歩いたので、今回は東大寺を中心に約4時間にわたって撮影した=それでも東大寺の全域は歩けない…他の地方から来る人は2−3日かける必要があるだろう。今日は大仏殿を掲示する…40年ぶりぐらいに入った(メンバーの多くも1回は来ているが「小学校の遠足以来」である)。地方からの修学旅行生・小学校の遠足・正倉院展にかけて来た人・そして外国人(全体の3割ぐらいと感じた)…やや俗っぽいためにこんな機会でないと来ない結果、何十年も遠のいていただけで、来てみると案外良いのである。下は大仏殿の北東を占める多聞天の足元のくぐり柱、大人では難しいが子供なら簡単に抜けられる。この子も中国人で親がスマホで撮る…時代は変わったものだ。 カメラは前日までLeica M Typ262で準備していたが、朝起きると小雨模様だったために急遽Leica-Qにチェンジした(傘をさして片手ではLeica M Typ262は撮影不能)。暗いところでもキレイに写る(解像線だけではなくホワイトバランスも)…しかし絵の深みとしては適切なレンズをつけたLeica M Typ262やLeica MEにはかなわないことも分かった。

2016.11.5

今日は友人に誘われて堺市の妙法寺その他の寺町へ…おそらく大阪の谷町筋寺町と同様に近世初期に近在の寺を集めたのであろう。妙法寺は日蓮宗のお寺で、おりしも本格的な祈祷が施されていた。普段は見学などできる雰囲気ではないが、堺市の肝いりで「平成28年秋季堺文化財特別公開」が下記の通り実施されていたので撮影・記録ができた。ついでに私たちも祈祷を受けた=これで1年ぐらいは健康を続けられるというものだ。 Leica M Typ262をフィールドで初めて使った…まだまだLeica MEなどとの比較は難しいが、予想通りバッテリーが強くなり、j-peg約300カットで1/3程度減っただけであった(あくまで表示のこと)フル充電で少なく見積もっても500カットは行けそうだ=なにしろバッテリーが16000円もするので何個も買えない。予備が1個あるので何とか1日は保ちそうである(Leicaでは1日1000カットは限界の数字だ)。絵としてはCCDセンサーより明らかに軟らかくキメも細かい。Leica ME/M9のカリッと感も捨てがたいため選択は難しくなる…一般論としては進化したとしておく。レンズはsummicron 35mmF2/7枚玉=初めての撮影にはふさわしい優れたレンズである。

http://www.sakai-tcb.or.jp/sakaibunkazai/index.php?id=107

2016.11.4

来週、東京へ写真のワークショップへ出るため、前回6月の写真を2枚掲出しよう。まず駒込の六義園、とてもよく整備されていて、都心に広大な緑地があること自体が特別だという感想を持つ。新緑の季節でありサツキが満開であったが京都のような混雑はない=都内に多くの緑地・庭園があるためだろう。広い園内には池あり、小高い山や峠まであって、歩き疲れたら茶席(実際は和風カフェで敷居は高くない)に立ち寄るのもよいだろう。このあと古川庭園にも寄った。

ぶらぶらと王子駅近くの飛鳥山公園へ向かって歩くと、公園の下に線路沿いの道があり、陸橋から撮影した(ちょっとした鉄道写真の名所らしい)…東北新幹線・東北本線・京浜東北線・貨物線が並行して走っている。各線の往来発着は激しいのだが、20分ばかり見ていてもなかなか各線の列車が同時に写せる瞬間はなかった…このシーンだけである。最近はこのような写真以外でも連写で撮ることが増えていて、その機能の可否もカメラ選びの要素となっている(連写の速さだけではない)。α6000では連写のスローで撮ると、軽くシャッターボタンを押すと1カットだけ撮れ、指先の感覚で少し力を入れて押すと2カット(スナップでは有効)ずっと押すと秒速3カットで連写する…動きモノを撮ると言っても人間が中心なので、極度の高速さは不要なのである=フィルム時代もワインダーは付けていたが自動巻き上げの機能が重要で、速度はLoに設定していた。

2016.10.31

夕焼け二景…上は琵琶湖から帰りの木津川の景色=信号待ちで窓を開けて撮影…遠くの山は生駒山。下は橋を渡って祝園神社の森に沈む夕陽、とても清浄な気分にさせてくれる。寒い季節の始まりだが、これからどんどん元気になって毎週のように撮影に出かけ、毎週各地の夕陽を眺めることになる。 SONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4/AF.AE.ダイナミックレンジなどすべてがオート…便利になったものだ。

2016.10.30

今日は近江八幡・賀茂神社、創建1275年の式年大祭に参じた…他にも祭りの催しはあったが、何と言っても白眉は流鏑馬神事である。京都では賀茂の競馬として有名だが、ここでは更に間近で見られる。目の前を走り、馬の息づかいや蹄で跳ね上げる砂まで感じられる…馬は大陸から渡来人と共に渡ってきた馬の子孫の木曽駒である。ずいぶん小さな馬と感じたが、当時の人は現代人より小柄であったし、小回りの利く馬が戦場や狩りでは都合が良かったのだろうと推察される。細かなお話しは折々記そう。

http://kamo-jinjya.or.jp/publics/index/194/&anchor_link=page194#page194

今回はかなり速い動きモノだったので悩んだあげく、性能というより慣れの問題でα6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4を選んだ。前日まではFUJIFILM X-T1を鞄に入れていたが、とっさの時に操作が遅れることを恐れての急遽の選択である…1880カット。

2016.10.23

3週連続の撮影旅行…今回はフォッサマグナの旅(以前に太平洋側から日本海に抜けた)で、糸魚川から太平洋側へ南下した。機材は初めてFUJIFILM X-T1の出動だ。FUJIFILM X-Pro2に比べると画質・速度共に少しだけ劣後するが導入の意図は完全に満足させてくれた=プロユース度合いではFUJIFILM X-Pro2を凌ぐヘビーさである。ボディ本体はFUJIFILM X-T1が少し小さいがバッテリーグリップを付けているとバランスに優れ、フィールドワークにはうってつけだ。ボディが汚れているがフィールドから戻ったら必ず清掃をする。

糸魚川市の大糸線・平岩駅(奥の駅舎)から糸魚川へ向かう各駅停車…昼休み+昼食を眺めの良い場所でとっていたら、運良く1日9本のうちの1本がやってきた…姫川上流域である。 FUJIFILM X-T1+FUJIFILM XF18-55mmF2.8-4R=遅くもないし画質も見劣りしないと思う。

2016.10.19

坊勢島の石切場の跡地…家島諸島では昔から花崗岩の石切りが盛んで(瀬戸内海の島には多い)採掘権を持った旦那衆が島民だけではなく全国から石工を集めて掘っていた(私の知りあいにもいた…現場は番頭さんに任せ、芦屋に住んで時々視察にくる)。現在、坊勢や家島では表向き取り尽くされて(良質の岩があっても掘るのにコストがかかり、輸入石材に対抗できない)、家島諸島では男鹿島(たんがしま)でのみ採掘されている。掘った跡地は危険なため普通の用途には使えず、元に戻されることもなく放置されている。民家のない島の裏側を見るとこのような景色が多く見られる。

帰りの船から男鹿島を見る…島の形が年々変わるぐらい徹底的に島を掘る。最近は釣り客相手の観光事業も始めている。島民は僅かで、以前に上陸して話を聞いたときは、全国から鉱山労働者が多く移り住んで採掘しているとのことである。 FUJIFILM X-Pro2+FUJIFILM XF10-24mmF4R…明らかに周辺は流れるが15mm画角としては満足できる切れ味がある。ボディは快速=3=3=3

2016.10.16

10/14-15で西播へ行った…14日は「灘のけんか祭り」、今回で3度目だ。相変わらず盛況だ…しかし12−13年前に初めて来た頃より荒さが減って「けんか」という雰囲気ではなくなったように感じられた。3時間半雑踏の中で撮影し、FUJIFILM X-Pro2の威力を充分に確かめた…先週の櫂伝馬祭りでSONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4で4500カット(もちろん連写も含む)で撮影し、ズームリングにガタが出たり、ボディの連写機能や合焦機能に軽い支障が出たり…プロユースに疑問を感じ、今回は「プロ」を謳うFUJIFILM X-Pro2+FUJIFILM XF10-24mmF4Rを携えていったのである。同じようなペースで撮影してもボディ・レンズ共にビクともせず満足であった=体力の低下と軽い使い勝手でAPSミラーレスをメインに据えつつあり、SONY-α系・Canon EOS M3・FUJIFILM X系をレンズ共々試してきたが、ついに結論が出たようである。SONY-α6000は性能・使い勝手は良いし、Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4もズーム比を考えると良い組合せと思うが、過酷な撮影では役不足で、軽めの撮影に使っていこうと思っている。Canon EOS M3ではAFや造りの安直さで、これは簡単な撮影に良さそうである=いずれもマウントは守るが今後の拡張は様子見となる。今後はFUJIFILM X系に絞ってレンズや関連システムを構築していくことになる。

翌日は姫路沖に浮かぶ家島諸島の坊勢島へ…かなり暑くなり3時間ほどしか歩けなかったが、それでも過去に行っていない島の裏側を中心に踏破できた。島歩きにはFUJIFILM-X70/FUJIFILM-X100/Nikon A/RICOH GRが一番である。軽くてワイドに特化していて「APS」なのだから…ただし今回は車での旅行ではないため荷を軽くするためFUJIFILM X-Pro2だけで行って、正直言って重かった。 写真は島からの帰りの連絡船から飾磨の工業地帯に日が沈む景色=太陽の右にだけ彩雲が出た。

2016.10.8

湖岸のイチョウの葉も少し色づいてきた…秋は10月にならないと来なくなった(9月は晩夏)が、来てみると足早にやってくる。淡水のため浜辺に生えていても塩害はなく変わった風景となる=対岸は比叡・比良山系。 α7+Zeiss35mmF2.8FE…幾たびかのファームアップを経て絵も使い勝手もとても良くなったα7(α7Rも含む)、機械としてはII型や派生機種も増えて強力になっているようだが、画質・画調は大差ないようで、先へは進まず使い込んでいきたい。

2002年の同じ場所…この頃はまだ子供達が多くいて、湖が夏の遊び場だった。

島唯一のタバコの自動販売機…喫煙人口の減った今、これで充分なのだろう。そもそも島には普通の意味での店舗は一軒もない。漁協や水産加工作業場の前で湖魚の佃煮や鮒寿司その他を並べている程度だ。初めて来た15年前には缶コーヒーの自販機が1台あるきりだった(今は3−4台)。

2016.10.7

沖島へ上陸すると、私の乗ってきた船に乗り込もうとするTVクルーの一団(全部で6−7名)とすれちがった…おそらく地方局だろうが沖島振興の番組を作るようになったのだ(何度も来ているが初めて見た)。

そしてまず地区の中心の浜の集会所(右隣に公民館がある)へ…いつもの景色だ。ここを通らないと島の西側と北側には行けない。狭い路地を抜けて反対側の浜へ出るのである。

今年の4月の風景。同じ場所を撮っているがレンズが違うため(35mm&28mm)距離感が異なる。半年経ってもほとんど同じ配置だ…どうやら三輪自転車の停める場所も決まっているらしい。

島の西岸から琵琶湖を眺めた…バス釣りの船が雨の中、釣りを楽しんでいる。湖は風がないと波は立たず静かなものだ。 α7+Zeiss35mmF2.8FE

2016.10.4

話題が前後へ移動する…近江八幡・堀切港=ここは本土側にあるが港の所有・使用の権利は右前方の沖島にあり、漁船が停泊している他、港には沖島の人の屋根付きの駐車場があり、連絡船や個人持ちの船でここまで来て、停めてある車で仕事や買い物に行くのである。沖島は採石で一時期に全盛期を迎えていて本土側にも耕作地を持っている豊かな島なのである。それが外部への門戸を長く閉ざしてきた経緯がある。沖島通船が通い始めた1999年以前は、朝に島から本土に来る船(通勤・通学)一便と、夕方に長命寺港から来る市営渡船だけだった=つまり島民だけの利用。しかし若い人の島からの流失が増えてようやく現在の姿になったのである。それでも長く観光的なことはおこなわれてこなかった。離島振興法の適用を受け(もちろん予算が付く)ようやく観光事業(あるいは島留学=もう島の子はお寺の子1名だけ…本土からの転校組がいなければ廃校となる可能性がある=現在は10名前後の小学生が船で通ってきている)が始まった次第である。まだまだこれからの印象だ。さて連絡船がやってきた。

付いた予算の一部により今年の7月、連絡船の桟橋から上陸する場所にこんなものが設置された。「恋人の鐘」風だが、アールヌーボーのアーチに「ミニ梵鐘」である…とうぜん誰も鳴らさない。少し滑稽なスタートだが、他にも道標が新しくなったり海辺の歩道に手すりが付いたり、変化は着実に進んでいる。次回訪問が楽しみだ=年に3回ぐらい行くので、あとは11月に上陸予定=3=3=3  SONY α7+Zeiss35mmF2.8FE

2016.10.3

西成区側から大正区側へ船で渡り、工場街を経て平尾商店街(サンクス平尾と命名されていた)へ辿り着いた(10月というのに非常に暑い)…ここでかき氷(1杯100円!)を食べてまた歩き出す。比較的最近リニューアルされたようでアーケードや看板は真っさら…しかしシャッター通りで土曜というのに人通りもなく、近所の子供達のスケボー練習場となっていた。それなりの人口はあるのにどこへ買い物に行くのだろう? フルサイズ3600万画素並の解像感があるとの評価で、サイズはAPSのために絞り開放でもそれなりにピントが深い。

更に町を南下する…住宅街の中に不思議な風呂屋を発見(ちゃんと営業をしている)、ごく小さな銭湯だが壁に多くの政党のポスターが貼ってある…偏らないという意味なのか、誰にも断り切れなかったのか分からない。皆が肩を寄せ合って暮らしている印象だ。それにしてもSIGMA sd-Qは素晴らしいピントだ=ただしRAW現像で色収差を取った場合:そしてシャープと言ってもフルサイズ並のダイナミックレンジがないためか、FOVEONならではなのか、同行の友人のLeica-Qと比べると少しザラついたシャープ感である。

2016.10.1

今日は蒸し暑いなか、春から続いている大阪渡船巡りの最終回に出かけた(春から5ヵ所回った)。リニューアルなったSIGMA sd-Qを携えての取材だ。やはりオーバーヒートは出るし、どんなにエコモードにしてもバッテリー2個で600カットである=実際はRAW/j-peg同時記録なので300カット。肝心のダスト問題は300ショット撮ったあとでもダストは確認できず「対策」は取りあえずできたと考えておこう…またこれからだが。画像はかなり神経質に処理しないといけない=これもRAWを現像したものだ。そしてボディのオーバーヒート問題はいっこうに解決していない…30℃程度の気温でも20カットばかり続けて撮るとコーションマークが出る(故障ではない)。メインスイッチを切ったり入れたりでスイッチが壊れそうである。まず今日もフィルム時代の「中判カメラ」として割り切らなければならないことを確認した。

落合下渡船。ここは利用者は比較的少ない。乗船客の半分はおそらく近隣の工場や倉庫で働く外国人労働者である。17-70mm F2.8-4DC

2016.9.29

琵琶湖・近江八幡の水郷地帯へ…雨がたくさん降って、ここも湿気がたっぷり(家が湿気るのはいけないが、水郷が湿気るのは快い)。葭原は一部しか残されていないが管理はしっかりされていて、ひところより元気に見える。木造船も実用とは別にして残されている。

おりしも雨の平日にもかかわらず水郷巡りの屋形船が客を3名乗せて進んでいく=これは白王からの遊覧船である。現在4ヵ所から遊覧船は出ており(一時的に休止していた円山も復活した)、1ヵ所が満員でも車なら5分以内に別の乗船場がある(すべて別々の事業体)。これに八幡掘遊覧船を足すと、計5ヵ所で観光水運があることになり(別に安土側にもある)、全国でも屈指の質と量と言えよう。ちなみに櫓漕ぎの船は北の庄から出ている=これが最も古く人気も高いが、櫓漕ぎのため遅いのとローリングがあるため船酔いする人には勧められない。 湿気ていてもカラッとした描写のα7+Zeiss35mmF2.8FE。

http://www.omi8.com/annai/suigoumeguri_list.htm

2016.9.28

今日で秋分の日の京都散歩は終わり…小雨降る町を歩いて、最後に立ち寄ったのは(これも予定外)ゑびす神社である。ごく小さな境内の地味な神社だが、正月や1/10の祭りにはたいそう参拝者で賑わうようだ。社殿の下側いっぱいに賽銭箱が据えられ、社殿の左側にも臨時の賽銭ボックス(もう壁のスリットに放り込むだけの設備)がある。1月の京都への「フィールド写真講座」は四条から東山を歩いてここで解散することにした。

ひとつの疑問…秋分の日は旗日のはずなのに京都の町屋で日章旗が立てられているのを見かけなかった。この料亭らしき店にも旗の台はあるにもかかわらず出されていない。旗日の定義が今(国民の祝祭日)と昔で違うのだろうか?

2016.9.27

雨が降ってきたので駅から大きく離れない(そして観光の道から外れた)あたりをブラブラ歩いて六波羅密寺を目指したが、どうしたものか建仁寺の南門に出て、その塔頭(たっちゅう)の摩利支天堂に行き着いた…ここで雨が激しくなり境内で雨宿り…ふと周りを見ると狛犬の代わりに猪の像が、境内のあちらこちらに猪の像があった。不思議に思って堂守りの人に聞くと、摩利支天は猪に乗って天から降りてきたヒンズーの神で、当地では開運の御利益があるとのこと…道を間違えて幸運だった。

http://fishaqua.gozaru.jp/kyoto/higashiyama/zenkyo/text.htm

雨もおさまってきたので四条駅方向へ歩き出すと、古い町屋を壊している現場を見つけた…小さな町屋は残るが、敷地の大きな場合は取り壊されてマンションにでもなるのだろう。ここは四条駅から徒歩で10分以内なのである。

2016.9.26

Leica京都店を出て南に下り、去年に続いて安井金刀比羅宮に立ち寄る…相変わらず長い行列ができていた。「縁切り・縁結び」祈願のためにカップルや若い女性連れが多いのだが、今年は縁結びとは関係なさそうな子供連れも多い。恋人達の穴場だった場所が観光地として有名になっていくのをたった1年で感じた。本来金比羅さんは航海の神様なのだが、近隣の祇園の舞妓や芸者の密かな「縁切り」(元はこの方が主)「縁結び」の信心の対象になったいきさつは、とっくに忘れ去られている…以前に来たときは明らかな縁切り詣での人も見かけたが、今は明るい雰囲気(しかし暗い霊気に満ちている)で参拝している。

金刀比羅宮の鳥居をくぐると「レンタル着物+人力車」に出会った…最近は不景気のせいか飽きられたのか人力車をあまり見かけなくなった。隣を米人バックパッカーが黙々と通り過ぎていく。  

http://www.yasui-konpiragu.or.jp/

2016.9.24

四条通りを歩き、祇園花見小路へ…ここに写っている人は半分が外国人観光客だろう。お彼岸なのでもっと混雑していると思ったが、天候のせいかこの程度の混みかたである。 SONY FE28-70mmF3.5-5.6…28mmF11でこの程度の深度である。パンフォーカスの写真が欲しければAPSかμ4/3カメラが良さそうである(画面全部を写し込みたい記録写真家としては辛いところだ)。

そして京の町屋を改造したLeica京都へ…2階のギャラリーで「久保田博二展」を見た。著作権の都合もありこれ以上は近寄れないが、彼の後期の写真群=カラーでアジアを中心に撮影されたものである。今まで何度もここへ来ているが、文句なく最良の写真展であった。遠くなく写真集も入手したいと考えている。

2016.9.23

先斗町「梅」…一見さんお断りの店だ。看板もなく提灯と玄関灯だけである。 α7+SONY FE28-70mmF3.5-5.6=なかなかいい雰囲気だ。

先斗町を抜けると、すぐに四条大橋のたもとに出る。交番の脇に腰かけて(元は何か分からないが交番の一部だ)友人を待つ。古い建物と監視カメラ、歩く観光客、奇妙なバランスである。5分ののち阪急の駅から待ち人はきたる。橋に向かって少し上り坂になっている。50年以上前からこの近辺にはやって来ている…景色は変わったような変わらないような…。

2016.9.22

今日は秋の彼岸の中日…高瀬川舟まつり(高瀬川・舟入町)、普段は展示のみで乗ることのできない高瀬舟に今日だけ乗れるのである。町内会などが開くローカルな観光イベントだが、さすがに京都、雨模様の中たくさんの人が集まっていた。私も乗って取材…午後からは舞妓さんも乗るようだ(向こうのテントに待機している)…このあとの予定があるためにこれは見ていない。

http://www.e-kyoto.net/kankou/9/23

そのあと先斗町を歩いて四条へ向かう。昼間なので開いていない店が多い…しかし料金を見ると案外高くない。歓楽街も観光客向けに様子が変わっている印象だ。歩いている人も外国人も含めて若い人が多い。

今日は下の方のα7+SONY FE28-70mmF3.5-5.6についての予告通りコレで撮影した。フラットな無限遠でないかぎり実用にできる。絞りはF5.6で良いのだが深度が浅くなるので撮影には注意が必要だ=多点測距をせずにセンターで主題に合わせてカメラを振る昔ながらの撮影方法がよさそうだ。このあと日本人唯一のマグナム正会員・久保田博二の写真展「Life in Photography」を見にLeica京都のギャラリーへ行った。続きはまた明日…

http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/exhibition/1015391.html

2016.9.10

金土で三河地方へ行った…台風と酷暑が心配だったが、比較的風もなく暑さも30℃程度で2日間とも晴れていて、まずは大成功…また紹介しよう。カメラはSIGMA sd-QとFUJIFILM-X70だ。8月に次いでSIGMA sd-Qは連続して20−30カット撮るとオーバーヒートのコーションマークが出る(スイッチを切らないと止まってしまう)ためサブカメラは必携と言える。しかし2回連続のフィールドワーク使用は画質もさることながら何となく愛着を持てるカメラとなったのだろう。

伊良湖岬から南を見た…このあたりは恋路浜と呼ばれている(もちろんごく最近)。向こうの島は神島(鳥羽市)だ…望遠なので大きく見える。鳥羽からは船で30分以上かかるが、ここからならば10分で着く(航路はない)。今回は25年ぶりの渥美半島・三河湾周遊・佐久島の島歩きと、夏としてはハードな旅行だった。取りあえず元気!

2016.9.6

昨日の夕方…台風の影響なのか、一面に雲が空を覆っていたのが一瞬だけ低い雲が切れて、高層雲に夕陽が射した(約7−8分)。青空さえ見えている。黒い点々が写っていてセンサーのゴミかと思ったが(カメラはFuji finepix S5pro=ゴミ取り機能は付いていない)拡大してみると、すべてコウモリである。とても不思議な風景だった。NIKKOR 18-55mmG-VR

すぐに雲が覆い始めて急速に暗くなった…Fuji finepix S5proなかなかイイ機械だ/少しカメラ集めを趣味にしようかと思った…確かにたくさんのカメラを持っているが今までは自分の実用以外は考えてこなかった。

2016.9.5

昨日の続き…護摩焚きは最初は生木のため煙がたくさん出て中頃から煙の中から炎が吹き出す。このあたりから護摩木を投げ入れる。松尾寺は寺の開設によると日本で最初の厄除け祈祷をする寺だとあり、護摩焚きでも規模の割りに多くの護摩木が焼かれて燃え尽きるのに時間がかかったとも言える。

煙に巻かれ護摩焚きの高熱(おそらくこの距離なら40℃をゆうに越えている)の中で住職と思われる80歳ぐらいの高僧がお経を唱えながら1時間半も座っていた。もちろんただ座っているのではない、護摩木を投げ入れ、置いてある扇子と刀で何やら祭文を唱えつつ繰り返し厄除けの呪法を執りおこなっていた(実は私も呪法には縁がある)…そして護摩焚きの終わった後も歩いて本坊へ戻った。水を一滴も飲まず、私なら間違いなく熱中症だ…FUJIFILM X-Pro2はこのようなトーンが出せる。シャープネスだけなら同じAPSミラーレスのα6000やCanon EOS M3でもOKだが、その階調性においてより優れた結果である。

2016.9.4

今日は久しぶりの祭りの取材=大和郡山市・松尾寺の護摩焚きに参じた。同時にFUJIFILM X-Pro2の初フィールドだ。護摩焚きの前後も含めて1500カットを2時間で撮った…快適に撮れることも判明(今日のレンズは18-55mm)したし、画像もFUJIFILM X-Pro1と比してさほどシャープ感は変わらないものの、階調性は良くなっている(アスティアモード)。何より細部のエッヂを立てて造ったような絵ではないのがいい(FUJIFILM X系のカメラ全般のポリシーのようだ=一見眠いように見える)。使い勝手は遙かに改良されていて「ようやく」FUJIFILM X系レンズを生かしたフィールドワークができようというものだ。

周りを山に囲まれた松尾寺の地理的条件により、護摩焚きの規模は小さいにも関わらず、火付けから燃え尽きるまで1時間半ぐらいかかった。風が山や木々に阻まれて強く吹かないのである。しかも穏やかな風の向きが目まぐるしく変わるため、境内中が煙に包まれる…色々な場所で護摩焚きは見ているが、周りの景色も含めてもっとも心に響いた。山伏も火付けの前から含めると2時間近くの間、一心に真言・般若心経・山伏独特の祭文や呪文を唱え続けて、力の入り方が違っていた。拝観者も観光行事ではないため人垣ができるようなこともなく撮影は順調にできた。多くの場合人垣ができて仕方なく人をかき分けて撮影しなければならなく、このように一定の距離をとっていれば私も少し離れた所からの取材となるのである。

2016.8.7

1月から来ていない町の高台に行って町の中心部を眺める(これは去年の8月の写真=これはCanon G1X-2)。背後に地蔵堂がある。

地蔵堂が町はずれの峠に建っていて(右は今は使われていない農機具小屋)、その向こうは小さな畑と大きな村社の境内となっている。私はときどき神社の駐車場に車を停めて、尾根を歩いてここへ景色を見に来る。前も後ろも車の通れる道ではない、強いて言えば村社への参道なのである。ここまでは町内会の手で草刈りなどの手入れがなされている。

細い道を分け入ると(むこうの建物は上の農機具小屋)狭い畑の跡地が一反分ある。去年の夏までは作物は植えられなくても草刈りはされていた(20年前は畑だった)。山は左右共に深い竹藪で、特に右側は断崖である。ふと見ると「宅地分譲」の看板が立っていた…車の入れる道はなく、細い道も神社の境内と、反対側は村の中に通じるだけ、かと言って左右の山に道など付けられる地理ではない。結局看板に平成27年10月着工となっていても工事はなされず、所有権が地元の農家から不動産業者に移ったために荒れ地となるまでに放置されているのである。だいいちここは農村部なので何万坪も空地はあり、人口もやや減少傾向なのである。なにも不便で日当たりの悪い場所に住む必要はないのである。竹藪も20年ぐらいまでは筍を出荷していたのだが、今は放棄されているため竹林の中に入ることもできない。10年で完全に山に還っていくだろう…Nikon A=やはり最適化されたボディ・レンズのため非常によく写る。ちょっとした町歩きや島歩きには"RICOH GR/FUJIFILM-X70/Nikon A"の三台のAPS固定焦点カメラ(すべて28mm画角)が最適に思われる。

2016.8.3

アンリ・カルチェ=ブレッソン/HCBの「決定的瞬間」のテキスト(というより秘密のマニフェスト)を再掲しておく...私はこれを支えに40数年間、写真を撮り続けた。 HCB 「わたしにとって写真とは、1秒の何分の1かの間に、出来事の意味合いとそれに適う表現を与えるフォルムの的確な配置の二つを、同時にみいだすことであ る。生きるという行為を通じて、人格形成を左右する周囲の世界に気づくとき、わたしたちは同時に自己をみいだすのだと思う。このふたつ、つまり内側と外側 の世界のうまい釣り合いをとる必要がある。両者の間でたえずやりとりを続けていけば、やがてこれらがひとつにまとまる時がくる。わたしたちが伝えるべきは この世界である。ただ、これで決まるのは写真の内容だけだ。内容とフォルムは切り離せないとわたしは思う。フォルムとは、質感、線、明暗の相互作用の厳密 な構成を意味する。このように構成されて初めて、わたしたちの考えたこと、感じたことは具体的な形をとり、ひとに伝わるのである。写真では、視覚の構成は 磨かれた直感からしか生まれえない・・・わたしたちは動きに寄り添いながら、それが人生そのものの成り行きの前触れでもあるかのように、撮影をするけれど も、そうした動きのなかに、動作中の諸要素がみごとに釣り合う瞬間がある。写真はその瞬間を捉え、その均衡を不動のものにしなければならない」...

訳文は、「マグナム」ラッセル・ミラー著、木下哲夫訳 白水社 から引用させていただいた。

  原点に還るべきなのか…?

FUJIFILM X-Pro2を触っていて、形だけではなくホールディング感までM-Leicaと似てきた。そしてLeicaやHCBを思い出して再掲した次第である=このホームページのどこかに同文がある。

2016.7.31

きのう今日と忙しく、かつ暑くて疲れた。写真は昨日の堺のホテルの26Fからの日没…対岸の須磨か明石あたりに日は落ちていった。 FUJIFILM-X70

今日は近江八幡・賀茂神社で夏越の大祓神事に今年も詣り、茅の輪くぐり…半年の汚れが祓われたということだ=毎年来るのだが年々参拝者が増えている。 FUJIFILM-X70

2016.7.5

西郷さんと薩摩犬ツンの前に戻ってきた…そろそろ上野公園の散歩(なかなかハード)もお終い。α6000は非常に安定した良好な機械だ。

さてこれから大手町へ行って写真講評だ…翌日は取手・我孫子へ、そのまた翌日は六義園から飛鳥山へ…超ハードな三日間(@_@) すべてα6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4で通した(暑いし距離を歩くのでサブカメラは持たない=それぐらいα6000を信頼している=レンズだけ何とかして欲しい)。

2016.7.1

上野公園でもっとも高台にある、上野清水寺の前に来たら、月の松の前の植え込みにタチアオイらしい花が1−2本だけ咲いていた。もう清水寺は閉門しているため観光客や参拝者はいない。月の松も再植樹されて3年半、だいぶ元気になってきたし、まわりの景色にも溶け込んでいる…最初(2012年12月)は奇異な風景に見えたが、それから毎年3度見ているうちになくてはならないものとなっている。もちろんその裏には植木屋さんの手入れが行き届いていることも覚えておこう。

そして背後を振り返ると、不忍池の弁天堂が見え、まだまだそこは明るい世界…人々も自然に明るい方へ向いて歩いていく。なんとなく江戸時代を思い描いた。

2016.6.30

西郷さんの方へ歩く…観光客のあまり歩かない小径(向こうはメインの通路)で、最後の日だまりを求めてノラネコが集まってきた。おそらく近辺の人や観光客に餌を貰っているのだろう、痩せてもいないし毛並みも悪くない。ネコの平和な1日も終わりだ。

通路の反対側にアジサイの植え込みがあり、色々な品種のアジサイが咲いていた。私はガクアジサイが好きで、花の色の変わったこの花に目がいった。ふと琵琶湖・長命寺のアジサイを見に行かないとと思い出した。琵琶湖では少し花が遅いので間に合うだろう。

2016.6.29

また日陰を歩くと(つまり上野のお山の縁を回っている)上野東照宮の前に出る。まだ日は高いものの夕方の雰囲気となって、歩く人にも軽い疲れを感じられる。Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4も完全逆光となると火線が強く出る=私の経験で言えることは…あんがいレンズのせいばかりではなくボディの内面反射が大きいのかも知れない。

東照宮へ入って抜けていくと(細い道が抜けていく)森の中に料亭が数軒あって、夜の会席の準備が始まっていた。提灯に火が入り、新緑の木々や青空に映えていた。料亭の裏は崖になっていて、そこが不忍池に落ち込んでいる。もうすぐ日暮れ、上野公園の散歩もお終いだ…

2016.6.28

毎度のことながら動物園前のパンダ焼きの前のベンチで休む(上野公園に来ると西郷さん横の広場のベンチとここで休むことになる)…今回はパンダ焼きの誘惑に勝って買わずに、座って休憩と同時に通行人を観察していた(休んでいるときも大抵休んだふり…)。

ベンチから右を見ると工事中で閉鎖された動物園の入り口で中国人中学生の20名程度の団体が記念撮影を撮っていた…クラスでという訳ではなく、引率者もひとりだけで、どういう集まりなのか不思議に思われた=日本の中学生ではこのような外国旅行は見られないのである。四方を見ながらベンチに30分座っていると5−6枚良い写真が撮れる。

2016.6.27

上野動物園の正門が工事中で別のところから入る。ちょっとした広場なのだが真ん中にこんもりとした笹の山がある。いずれ何かを植えるつもりかもしれない。動物園は相変わらず盛況だ。

こちらが正面、もう夕方なので人は引きつつある。私は大昔のパンダ騒動の時に入ったきりなので、今度は今の上野動物園に入ってみよう。

上の写真の右の植え込み(遊園地の裏側)で…気のせいか、どうもカラスが増えているように思う。 SONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4

2016.6.24

噴水のある広場(正式になんというのか知らない=ネットで調べれば分かるのだろうが…)もう一景…何かイベントがあるらしくテントが立っていた。赤と青、そして白のテントと木々の緑がきれいだった。

さて、また木陰の道を歩くと「ボードワン博士像」…碑文を読むと「お雇い外人教師」(医学)として明治初年に訪日した人で、上野の山の合戦で荒廃していた当地を惜しんで、時の政府に整備を要請し、その結果日本で最初の公園となったとある。

2016.6.22

上野公園の続き…修学旅行生は少し人混みから離れた場所に集合し、次の場所への移動を待つ。最近は学年全部の大集団で行動するのではなく学級単位で行動しているように見える(現地では数名での自由行動)。

日陰を選んで歩いてきたが、ついに噴水のある通りに出た(右は美術館)…この季節としては暑くて日差しも強い。この写真は木陰から撮っている…ここでたくさんの噴水写真を撮って道を渡り、向こうの木陰へ入っていった(@_@)  SONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4=やはりズームレンズは単焦点レンズに比してピントが細かくない。

2016.6.18

今日は夏恒例の洞窟探検…京丹波町の質志鍾乳洞へ行った=暑さに極端に弱いため、夏は地底に潜るか高山に登るかに限る。ここは町によって整備された自然公園の中にあり、昭和2年の発見というから観光資源としては比較的新しい。周りは森林に囲まれ、キャンプや釣りもできるようになっている、このあたりのローカルな観光地だ。設備は整っているとは言えないが敷地が広いため安全にノンビリとできる。

洞窟に入るとすぐに気温18℃、外は32℃…涼しい、そして湿気のある空気なので快適だ。ただしここは縦坑のため広場のような場所はなく、底まで急な坂や崖を下って(階段や梯子は整備されている)、また登るだけで見ものはなく、途中で休む場所はないため、このような感じとなる。おそらく狭い登りと下りが交錯して多くの人が入ると大混雑間違いなしだ。

ほとんど垂直に近い場所もあり(足を滑らせれば大ケガ必至)老人や幼児には無理な洞窟で今後の改良が望まれる。気温は低いが上り下りに力と緊張が必要なため、あまり涼しいという感覚はなく、入り口から少し入った場所で身体を冷やしてから外へ出た。  FUJIFILM-X70…ここの写真は画像処理で救っているが、人工光線とストロボでのAWBには不安定さが見られる(全体として温調となりやすい)。トラブルとしてモニターの表示が上下がさかさまになって(上り下りのさいにボタンなどを触ったのだろう)戻らなくなった=再起動しても戻らず、電池を抜いて強制再起動したら直った…デジタルカメラにはこのようなことがしばしばあり、RICOH GRでも時々フリーズし、同じ方法でしか対処できないことがある。

2016.6.7

背後を振り返ると森の中に上野公園のゴミの集積場があり、その左側にテントや段ボールの小屋がある=全体が簡易なフェンスで囲まれていて普通の人が歩いていても気がつかないだろう。私はこれでいいと思っている…行き場のなくなった人にも公園は開放されるべきだと思う。確かに都民の税金で維持されているのだが、最後の砦として残してもいい=大阪の天王寺公園がフェンスで囲まれて、入園が有料となってホームレスの人達が排除され、市内各地に分散し、私の事務所の前のビルの軒下で、冬の日の朝、凍死していたことを思い出す。良いこととは思わないが、そこまで追い込むことには反対だ。

木陰の道を抜けると「ラジオ体操広場」へ出る。角に交番があり、どうやら建築家の作品らしい。警察と言うより公園のインフォメーション係のようで、常駐している巡査にひっきりなしに地方からの観光客が質問をしていた。

2016.6.6

木陰を選んで森の散策路を歩くと「正岡子規記念球場」=ここは必ず寄るが野球をしているのを見たことがない。青い空があまり青くならない…色のセッティングは最も難しいと思う。

球場前を抜けると、ここの道ばただけが木製の段がいくつかついた(階段ではない)場所があり、絵を描いたり、おしゃべりを楽しんだり、居眠りをしたり…中空のフローリングのような仕上げのため地面や地面すぐのベンチより快適なのである。背後はホームレス対策に「黙認」している段ボールや青ビニールシート群がある=しかし、ひところより減った印象だ。

2016.6.5

6/3-5で東京へ行ってきた。まず下り立つのは上野公園…例によって修学旅行生が走り回っている=原宿を歩いている修学旅行生とは違った子供達だ。

上野公園に上がってふと新緑の頭上を見上げるとハシブトガラスが営巣していた…不気味な雰囲気の鳥だが命の営みに変わりはない。夕方まで公園内の散策だ…何度来ても新しい発見がある。

今回の機材は少し肘を痛めているので、サブカメラは捨てて軽くて使い勝手が良いSONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4だけとした。SONYカメラは全体に好んでいないが、1台だけならこのようになる(好んでいなくても信頼感と性能のためだ)=今回はズームがどうしても必要なため、レンズはSONY-α系で一番信頼できるコレとなった。画像としてはFUJIFILM X系が好ましいのだがボディ性能がこちらがかなり上回っているのである。

2016.5.31

写真撮影で六義園から北上して駒込駅から王子駅まで歩くつもりである。もちろん全部は寄れない(暑いため1日4時間が限度)が、昔の東京の残映を見つけたい。 地図は北区の観光案内から引用。

1. 飛鳥山公園 2 .紙の博物館 3. 飛鳥山博物館 4 .渋沢史料館 5 .東京ゲーテ記念館 6 .西ヶ原一里塚 7. 七社神社 8 .独立行政法人 国立印刷局東京工場 9. 滝野川公園 10. 北区防災センター 11. 無量寺  12. 旧古河庭園 13. 城官寺 14 .平塚神社 15. 滝野川会館

2016.5.24

東京に行くにあたって自分を盛り上げている…こちらは横浜=この街も好きである。神奈川大学に行くさいに通った白楽駅前の商店街が印象にあり、別の日に訪ねた。あらゆる店がひしめいていてシャッター通りではなく、それなりに繁盛していた。ここはギター屋さん電気モノの修理やアコースティックギターの製造もしているようだ。頑固そうな親父が座っていて、思わず「こんにちわ」…

もう1ヵ所はご存じ「大桟橋」、その広さと船のデッキのような床、船の往来発着の楽しさ…この3年の間に3度も行ったが、新しい港の景観として毎回新鮮だ。 SONY-α6000+SIGMA 19mmF2.8DN

2016.5.23

来週、東京の写真ワークショップに行くので、前回撮影の写真編集をした。写真は原宿から渋谷へ歩いたときのもの…関西では見かけないものがあって東京(なかんづく関東)は違った気分で撮影散歩ができる=今回も暑い中、3日間たくさん歩くことになるだろう。

夜の山手線高架下(大手町)、地下鉄も含めると鉄道が4階建て、5階建てで縦横に走っている。 

品川・旧東海道筋。

SONY-α6000+SIGMA 19mmF2.8DN=このレンズは画質はSONY-E20mmF2.8より良いが逆光に弱いことが判明=日の高さを見ても太陽高度は高く、フードをしているにもかかわらず、かなり強い火線が出る。ピーカン時には使いにくい…

2016.5.22

山を下りる…登りは筋肉がたいへんだったが、下りは膝の関節に負担がかかる=と言っても下りは重力で落ちていくため楽チンだ。登りと違って山の緑を楽しむ余裕がある。

それにしても下っていると登りが厳しいのがよく分かる(下りても下りても着かない)…登るときに石段の修繕をしていた職人さんの仕事ははかどっていて、100段ぐらい完了したようだ。これで立木観音は終わり。 RICOH GR

2016.5.21

本堂でお詣りをした。中は暗くてよく見えないが本尊の観音像の前に鏡がおいてあり神仏混淆の様子をよく表している。熱心な信徒が長い唱えごとをしていた。

本堂脇からまた山を登ると奥の院が山頂近くにある。予想していたとおり社(神さま)だった。比較的新しく整備されたらしく階段も建物も綺麗だった。暑くはあったが、歩く途中はぜんぶ木陰のため、止まるとひんやりとする。

2016.5.20

大休止から立ち上がり境内を探索…まず多くの人が熱心に拝んでいた小さな子安地蔵尊へ。太鼓を叩いてから拝むことになっている。参拝は「子まもり」なので女性が多い。太鼓は何度も張り替えられているらしく現在は新品同様だ。

境内(急峻な山中なので比較的狭い)の真ん中に少し珍しい鹿に乗ったお大師さんの像が建っている。ここの直下は宇治川の最も狭くなった場所で雨が降ると激流となる…川の中に対岸に向けて岩があり、鹿飛び岩という=故事は検索して下さい。

2016.5.19

800余段…これはまだ100段登ったところぐらいだが、延々と曲がりくねりながら続く。ここは特に急斜面なので段数以上に難渋する=しかし10年前よりは石段が整備され歩きやすくなった(石段の下の方ではその職人さん達が石段の痛んだところをセメントで補修しているところ)。ただし設置場所はあるのに800段の間にベンチ等は一ヵ所もない(これは設けるべき)。石段に座るしかないのだが狭いわりに参拝客の登り下りが多くユックリとはできない。新緑がきれいな季節だ。

5.18と同じ床机から(30分以上休息)の風景…杖をつきながらもスーツ姿で一眼レフと大きなカメラバッグを提げた老人が元気に上がってきた(@_@)  ボクが10年後、こんなことができるのだろうか? 久しぶりに大汗をかき、今日もふくらはぎに身が入っている…下はRICOH GRのブリーチバイパスモード、こちらはノーマル(同時記録が可能)。

2016.5.18

閑話休題…滋賀の立木観音へ。琵琶湖の水が宇治へ流れ下る起点の場所にある修行の山である。土日ともなると麓の駐車場が満車となるほど信心されている。ここから800余段の石段のつづら折れを登り、寺と奥の院の社へ詣る…10年前の6月に登ったきり「いずれまた…」が今日になった。前は800段の石段を一気に登れたのだが、今回は(気温は前回と同じぐらいの29℃)何度も休まないといけなかった。

本堂前には御茶所という休息所があり、無料でお茶の接待がある=もちろんセルフサービス/10年前よりお茶の種類が増えて、緑茶・ゆず茶・昆布茶となっている。私の座っている場所も床机の上に天幕が張ってあり、登りのきつさの後の休憩にぴったりだ。ここに30分以上座って体力の回復を待って奥の院へ…ここへの道路はなく寺の関係者もこの階段を上り下りするのである(物資運搬用の索条はある)。公衆電話があり、「電話」の張り紙がとてもいい。そして山に囲まれていて風の通り道ではないため、麓よりは涼しいとしてもかなり暑く、工業用の扇風機が2機回っていた…これから先の夏の参拝はたいへんだ。 RICOH GR

2016.5.17

歩くうちに甚兵衛渡船場へ到着=まわりは工場・倉庫街だ。ここは現在8ヵ所運行している大阪市営渡船のうち江戸時代から続く唯一の渡船場で、尻無川を渡り大正区から港区へいく。近隣の住民のための渡船だが「渡船ツアー」の人達も多く、以前より利用者が増えている。

2004.5の甚兵衛渡船=ほとんど同じだ。

たった2分の航程だ…これは渡ったあとの港区側からの写真。大正区側は中小企業と再開発でできた市営住宅が多いが、港区側は大企業の工場や倉庫群が際だっている。

2016.5.16

尻無川左岸に出る。川沿いに工場や倉庫が建ち並ぶ…船が直接、建物前に接岸して荷の積み下ろしをするのである。その船を通すため橋は高橋となり(ここは国道と高速道路)渡船が人の移動に必要なのである。川幅が狭いため船は2−3分で対岸に着く…堤防の内側に車道があるが、ここは堤防上を歩く=やはり釣り人はいて「スズキを狙っている」らしい。

堤防を歩くと、唐突に「芸術作品」…軍手を並べてスプレー塗料を吹いたようだ=古代遺跡によくある手形を連想した。ひょっとすると実用的な意味があるのかも知れない…軍手の表面に何かの加工をした跡か? しかしほとんど全ての軍手の親指が左を向いているので意図的なものと思われる。このあとにも出てくるが港湾や川湊には普段見慣れないモノが多くある。

2016.5.15

商店街の花屋…ここも別の店が閉店して、ごく安く貸しているのだろう。商売というより素人の楽しみで営業しているように思われる。

商店街を歩くと涼しいので、ついつい長居をしてしまった…外へ出ると静かな住宅街となる/古い木造の家と新しいプレハブ住宅が混在していてドーナツ化現象による都市の過疎とは違った雰囲気だ。学校の前(道の両側に小学校と中学校がある)で粗大ゴミ回収車とすれちがう。日なたに出ると暑い季節になった。昔は5月というともう少し過ごしやすかったように思う=28℃の下町散歩。FUJIFILM-X100S=アスティアモードがいちばん自然なようだ(まだ色が濃くて彩度を1段落とした方がよさそう)。

2016.5.14

今日は毎月通うことにした「大阪環状線」の2回目。JR大正を振りだしに、尻無川へ抜けて渡船に乗り、対岸の港区からJR弁天町まで歩いた…環状線なら1駅だが、この間の文化的景観を見るためにずいぶん遠回りしたものだ。まずは大正駅からすぐに脇道に入り、三泉商店街(三軒家と泉尾を略した)の長い長いシャッター通りを歩く。昔は相当に大きな商店街だったが現在は20軒に1軒開いているかどうかというレベルである。周辺のかつての人口密集地は確かに住民は減っているとは思うが、再開発や代替わりで新しい家も多く、それなりの人口はあると思うのだが…新住民は皆どこへ買い物に行くのだろう?

たまに開いている店も客足は遠い…私は大阪人ではないが、何十年も時々大阪の下町を歩いている。このあたりに前に来たのは10年前、町の景観はあまり変わってはいない、しかし中身はずいぶんと寂れる方向に変わっているように思う。  FUJIFILM-X100S…前回使用のX100とあまり変わらない画質だが、確かに動きは速く確実になっている=RICOH GRと比べるとカメラ全体を見ると完成形とは言えないが(画質は〇)…今度X100Tの後継機種には新レンズが付くらしい。

2016.5.13

4月・能登の旅の最後、穴水で撮影を終わって能登道で帰っていくと、羽咋あたりで曇った空から日が差してきた…急遽、千里浜へ降りて、荒れた海と空、浜辺を撮影。空と海、そして砂と泡…海の表情は常に変わるが、他に何もない海の景色が好きなのである。 Nikon D610+NIKKOR 24-85mmG

2016.5.12

一乗寺鐘楼…新緑の木々に埋もれているようで、たいへん美しい建物だ…あたりはまったく静かで夏には蝉しぐれが賑やかになるのだろう。

見子大明神(稲荷)の社内にて。このような供え物(干支の置物が多い)が多くある=以前に訪れた友人によると、もっと別のものがあったそうで境内は荒れているが、信心する人は多いのだろう。向こうの竹藪で掃除をしている人も氏子らしい。一乗寺門前にも「見子道」の古い道標が残っており、神仏混淆時代はさぞや栄えたことだろう。

2016.5.10

加西市の一乗寺、これからかなりの階段を上る。見えているだけではなく、この奥にも、更に奥にも石段が続く…高齢者の参拝は大変だろう。おそらく頼めば関係者用の裏道があるので車でも入れるだろう。新緑が美しい…Canon EOS X7

本堂内。たくさん石段を上がって暑くなったが、ここに座ると山の風が吹き抜け、清涼な気分となる。三十三所霊場なので、本尊は聖観音、脇に毘沙門天と不動明王をひかえているらしいが、秘仏のために内陣は真っ暗でよく見えない。本堂も重文であり、僻遠の地からなのか古式の仏教建築が多くのこっている。

2016.5.7

今日は日帰りで東播州へ行ってきた(暑くなる予報だったが、おおむね薄曇りだったので歩きやすかった)。まずは北条鉄道・法華口駅…これはオマケで法華山一乗寺へ行くのがメインテーマ=とは言え畑の中を走っていく汽車と木造の駅舎、そして駅舎で営業するパン屋さん(ここでチョコチップパンを購入)…なかなかいい景色だ。

こちらが西国三十三所観音霊場・二六番札所の一乗寺の国宝・三重の塔を本堂から見た絵、山奥の不便な場所にあるためか参拝客は多くない。また一度は衰えていたらしく広い境内のそここに荒廃の跡が見え隠れしている。各堂宇や社(当然のように神仏混淆)は痛んではいても風格がある。今は山奥の僻村だが古来(鎌倉〜室町時代)の歴史の重要な拠点であつたようだ。これはこれから調べる。私の「方法」は、下調べをせずに、まず行ってから感じたこと・考えたことを後から調べるのである。潜入観念(つまり他者の観念)を持たずに現場に立ちたい。  Canon EOS X7+Canon EF-M 18-55mmF3.5-5.6で初めてのフィールド撮影=このカメラはエントリー機としてはキチンと写るが、デフォルトで撮ると色が濃すぎ…ここの絵では少しの色抜きをしている。設定を詰めていかねば…

20165.5

連休の前半はハードな撮影旅行、後半は完全休養…また明日から日常が始まる(一般的な日常とは異なるが…)。今日は讃岐旅行の最後の観音寺・琴弾浜の銭形砂絵だ…琴弾浜は市内の財田川右岸の河口から九十九山まで続く長くて幅の広い砂浜で、夏は讃岐一番の海水浴場として賑わう。松林の中には江戸時代からの伝統のある(ずっと続いていた訳ではない=砂絵なので雨や風で崩れていくが市民が年に最低2度は直している=今回は連休だったので直前に直されたのだろう、エッヂが立っていた)寛永通宝の巨大な砂絵があり、後背地の琴弾山から展望できる場所があって、当地のローカルな名所となっている。何と言っても燧灘に沈む夕陽と一緒に眺めるのが美しい…しかし完全逆光となるため海に露出を合わせると銭形が真っ黒になり、銭形に合わせると、海や空が白く飛んでしまう…SONY RX100-3でダイナミックレンジを一杯に広げて撮影、PC内でも更に暗部を立ち上げて掲示した。太陽が低くなりすぎると松林で銭形が影に入るし、高すぎると海のキラキラが出ない=難しいものだ。左は伊吹島、遠くにしまなみ海道の島々や本州の海岸線が見えている…伊吹島を除いて大きな島がなく、これでも瀬戸内海では燧灘がもっとも島の少ない海域なのである。

このような感じで夕陽を楽しむ=実際は私の横や背後にも人がいるので全部で15人ぐらい…琴弾山の狭い道をグルグル登ると狭い駐車場と松林が一ヵ所だけ伐採された小さな展望所がある。そして大きな岩があり、そこに登れば下の人の頭越しに銭形が見えるのである。

2016.5.3

先月の能登旅行の終わり…穴水町で時間切れとなった。穴水は明治の惑星アマチュア天文学者「パーシバル・ローエル」=ローウェルと表記されることが多いが、正しい発音に近いのはローエル(しかもロエルに近い)である。ボストンブラーミンの一族で実業家としても成功している。天文学者としては「火星人・火星の運河」etc、物議をかもす発言が多く、専門家から批判を受けていた。しかし財力を生かして惑星研究・観測のためアリゾナ州フラグスタッフにローエル天文台を築き、冥王星の存在を予言した…冥王星は彼の死後、観測手のクライド・トンボーにより発見され、初めてのアメリカ人による惑星発見にアメリカ中が沸いた(ディズニーのキャラクター、犬のプルートゥなど)、後に冥王星(プルートゥ)は準惑星に降格となったが、ローエル達の惑星研究は現代の惑星探査の礎となった(昔は恒星研究が主流だった)。天文学に力を入れる前に日本の民俗に興味を持ち、何度も訪日している。著書も残すほど熱心だったが、ある時にぷっつりと日本学をやめて天文学に力を入れて、日本に来ることもアメリカにおいて日本学の啓蒙活動のあとも見られない=私にはこれが不思議で、今も「なぜか?」と考えて、著作だけではなく、日本における足跡を辿っているのである(他にも明治初年に外国から訪れた人々の見た日本の風景や風俗に興味を持っている=開国当時の日本側は、脱亜招欧で日本の伝統について軽んじる風潮だった)。ともあれ彼が能登旅行で訪れた穴水町にはローエル顕彰碑が置かれ(紀行本「能登」を著した)彼が訪問した5月9日にはローウェル祭を開催し、天文観測会・講演会が行われている。穴水町の町民会館はプルートゥと命名されて、町民はだれでもローエルのことを知っている。ここは町の中心部、近年大々的に整備されローエル上陸の碑が建てられた。

ローエルが「能登」の中で使ったボラ待ち櫓の写真と同じ場所から撮影=現在は国道脇の広場になっている。ローエルが写真を撮ったのは埋立前の少し高台の旧道からである。櫓も何代目かだが(私も何回も撮っている)、この度の強風で上に置かれた人形が倒れていた。 Nikon D610+NIKKOR 24-85mmG

3年前に訪れた時の写真、こちらがローエルの写真により近い角度と焦点距離だ=Leica M Monochrome

2016.5.2

今回の讃岐旅行での「瀬戸の夕暮れ」三景…三日間とも天気が良かったので夕陽に恵まれた=シゴトの写真とは別に、瀬戸内では1日の最後に落日を撮ることにしている。最初の日はさぬき市での(津田松原近辺や志度寺付近)撮影の後、近くの「西向きの」海岸へ出た。海に「ふたご岩」という地元だけで通じる古跡があり、そこでノンビリと日没を待った…近所の人も子供連れで集まる。ワイド24mmのため小さく見えているが、向こうの尖った山頂は五剣山である。 SONY RX100M3

二日目は丸亀港から塩飽本島へ渡り、1日島を巡ったあとに丸亀に帰港し、時間が無かったので埋立の工業地帯の渚から撮影した…造船所の大型タンカーの向こうへ陽が沈んだ。太陽は左から右へ斜めに落ちてくるので場所設定が難しく、この時も場所を移動した。 SONY RX100M3

3日目は観音寺港から沖の伊吹島へ渡り、夕方まで島を歩いたあと港から5分の琴弾浜へ=3=3=3 地元の若者が服を着たまま海に入って暗くなるまで遊んでいた…青春である。 RICOH GR

2016.5.1

今週の讃岐への旅…津田の松林、志度寺〜塩飽・本島〜燧灘・伊吹島、観音寺・琴弾浜。ここは旅の最後、琴弾浜の夕暮れ、陽が沈んでも地元の若者達が海に入って遊んでいた。沖合に見えているのが伊吹島。2016.5.1 pm7

今回は暑い中の島歩きだったことと、手首に引っかかりがあったため小型軽量のカメラとした=APSで画質の良いRICOH GRと1-inchで強力なSONY RX100M3を持参した…"been good"

2016.4.28

本土側の長浦から能登島への渡し船発着場の跡…主に聞くと「昭和57年に橋ができて廃止となったが、看板だけは残してある。今も渡し船の許可証は持っているから再開もできるはずや…」とのこと=全国の渡しや連絡船は橋がない離島や河岸に補助金で動いているので、橋が架かると赤字となる運命なのである。しかし、アッと言う間に消えるはずが、親父は酒屋を営みつつ、貸しボートや釣り船に転身し、高齢となった今も商いを続けているのである。右端にチョコッと見えているキャビンの船が最後の渡し船、56年に新造し1年で廃船となった…しかし現在も釣り船として磯へ客を渡している(低くて狭いので乗りにくいが、ずっと続いてほしい)。更に以前の渡し船はキャビンがなく、花嫁や式服を着た人達を渡すために新調したそうだ。ここが海沿いの「昔のメインルート」の最後の集落だ。岬を巡るとやや広い海岸線となる。

下に掲出した西岸駅・能登鹿島駅を経て、穴水町志ケ浦のボラ待ち櫓(2011年完成)へ着いた。以前は穴水町の海岸に20ヵ所程度設置されていたようだが、現在は中居(これは有名=明治にパーシバル・ローエルも写真を撮っている)とここのみに、観光的な意味で穴水のシンボルとして建造されている。このトロンとした海が好きで10年ぐらい通い続けている。和船調査も本年度で一段落(今年も去年に比して2艘減少)、少しの余裕ができたらいずれ本にもなるだろう。今は歩けるうちに「今の」映像を集めたいと考えている。

2016.4.27

放棄されたカキ養殖用の作業小屋内部…もう20年近く前に廃業している。ここの状態の良い木造船マルキブネも壊されて残骸が残っているだけである。

そして七尾湾カキ養殖の象徴のような蛎殻処理場も海水が侵入したまま稼働はほぼ停止しているようだ…やっかいなゴミとしてのカキ殻を集めて、砕いたり焼いたりして肥料として利用するべく造成されたが…どうやら事業としては成り立たなかったように思われる。対岸に和倉温泉のホテル群が見えている。ここのところ観光業で少し集客ができつつあるようだが、もともとの地場産業は芳しくない=観光ブームは一部の景勝地を除いていずれ飽きられる運命なのだが…Nikon D610+NIKKOR 24-85mmG

2016.4.26

翌日、田鶴浜へ行くと、昨日の強風の被害が見られた…農作業用の小屋の屋根が飛んで道をふさいでいた。田鶴浜町は平成大合併で七尾市に編入された=反対の声も多く聞かれたが結局過疎の進む中、声は小さくなっていったのである。

舟尾のカキ生産組合の詰め所跡…ここで15年ぐらい前に話を聞きながら焼きカキをごちそうになったことが懐かしい。組合は10年ぐらい前にカキ養殖をやめてしまい、その後組合員2名が個人で養殖を続けていたが、昨年そのうちのひとりがリタイアし、ひとりでは無理なので、ついにここでのカキ養殖は終わった…七尾湾ではこの養殖が盛んで、その作業船として「マルキブネ」が使われてきたが、多くが事業を廃止して船も消えていくことになって、ここでもかろうじて残っているが(個人所有ではないため勝手に壊すことはできないためだろう…)動いているわけではない。そばに「舟尾カキ養殖組合 舟を守る会」の看板が残っており、貴重な民俗文化財としての意識はあったのである。さてこの型のマルキブネは収蔵・保存されていないので、また一肌脱ぐかと思う…使っている間はそういう訳にはいかない。すでに小型のマルキブネと邑知潟の同型のチヂブネは博物館に収蔵されている(いずれも建造記録に参加した)。

2016.4.21

氷見2景…藤子不二雄A氏の生誕地、ここでは街のあちこちにゆかりのキャラクターが配置されている。一番のお気に入りは「からくり時計」、毎時0分・30分に湊川に架かった仕掛けから人形が出てきて、噴水を吹いて4分間のショーをする。時計と言うより「からくり人形」ショーのように見える。

当地では最大・最良の海水浴場の雨晴海岸(砂浜は狭いが長さがあり、道路や鉄道から近い)から見た氷見市街地。記録的な強風により浜の細かな砂が舞い上がり1km先が霞んでいる…目に悪いので早々に退散した。 Nikon D610

2016.4.20

能登での鉄道写真2枚…最近各地で物議をかもしている鉄道写真マニアではないが、能登ではJR/私鉄共にラッピング車両やお座敷列車を導入するなど、観光の目玉として鉄道を押し出しているので、時間の許す範囲で撮影していみた。ここはアニメの舞台で有名になった旧中島町の西岸駅、ソメイヨシノはすっかり散っていたが1本だけヤエザクラが満開で(現実には昨日の強風で半分倒れていた)、ラッピング列車の通過を背景に撮影。倒れていたためにアイレベルでこのような写真が撮れた…倒れながらも花を咲かせる木に少しの感動…Nikon D610

こちらはJR氷見線の越中国分駅で…1時間に1本だが数人が降りて、女学生がひとり乗った。駅は無人だが、特段の観光地駅ではないにもかかわらず、たくさんの花が植えられ、ホーム・駅舎も掃除・整頓がなされていて清涼感がある=背中側には海が広がっているせいかも知れない。Nikon D610にはD800で発生した「機構ブレ」があるようだ。D600から改良されたシャッターだが、ダスト問題は解決されたようでもシャッターの音やショックは大きくなったと感じる…ワイドレンズでもD800と同様にS優先AEで1/250あたりで撮るのが無難だろう。

2016.4.19

きのう深夜に能登から帰った、今日は朝から宮津市・栗田へ木造和船「トモブト」の搬出を取材に出かけた…取材と言っても漁家の船小屋に長く保管されていた船(古い船だがあまり使っていないのと保管が良かった)を、3年越しで持ち主から博物館に収蔵されるよう尽力してきたもので、ようやく消えずに残ることができてホッとしている。かなり貴重な船で、このような研究活動を始めて30数年、これで三艘目となった。何艘かの船は力足りず保存できずに、残念だけれど私の映像だけを残して実船は消えてしまった事例もある。研究するだけではいけない、なんとか残す責任もあると思うのである。 Canon 6D+EF17-40mmF4L/これは画質とは別にフィールドワークで使いやすいシステムと感じた。

何度も来た伏木から氷見へ越す旧道の高台から氷見線の写真を撮る…強風のせいか定刻より10分近く遅れて、雨晴駅から越中国分駅へ向かう普通列車だ。向こうは伏木海岸から富山新港の工業地帯+海浜公園が望める。この日(4/17)は強風のため砂浜の砂塵が舞い上がり、晴れているにもかかわらず視界は不良、立山の残雪を見ることは叶わなかった。 Nikon D610+NIKKOR 24-85mmG

2016.4.18

能登より帰還…これは旅の最後、能登半島外浦の千里浜の渚にて。おりからの強風で千里浜のなぎさドライブウェイも通行止め…曇った空が一瞬明るくなった。誰もいない浜へ歩いて降りて日本海を撮影して帰路についた=Nikon D610+NIKKOR 24-85mmG

2016.4.16

明日から能登へ巡研の旅(和船調査)…天気は良くないとの予報があり、一眼レフ(今回はCanon 5D-III)のつもりだったが急遽α6000に変更=レンズはα系のズームで唯一信頼できるレンズのZeiss Vario-tessar E16-70mmF4を取り付けていく(大きいが比較的軽い)。今日は他のボディ・レンズの組合せでテストしてみたが、今回の目的と天候などの条件でコレになり、只今バッテリー充電中。

OLYMPUSのボディキャップ魚眼レンズでatelierを撮る…ボディは往年のLUMIX GF-1、実際のフィールドで使ったことはない。画質は思ったより良くて低価格のコンパクトカメラ並であるし、屋根の上の太陽の影響も最小限で逆光にも強い(レンズ構成が簡単だから)。とは言え実用としては、記録写真を撮る私にとっては歪曲と共に使えないレンズである。

2016.4.15

琵琶湖・沖島への通船乗り場(堀切港)で。やはり猫がウロウロしている。歯を見ると、この猫はまだ若い…おそらく昨年の春生まれの1歳だろう。

昨年の沖島の離島振興法適用により、観光にも力を入れるように(入れなければならない)なって、通船も1便増便となった…しかしダイアも変わったので要注意=ネット検索の第一位ではまだ旧のままだ。ここに限らず連絡船のダイアはしばしば変わり、それが周知されるのにも時間がかかる。ここは内水面なのでめったにないが、天候や海況によって運休のこともあるし、それも周知は簡単にはなされない…行ってみないと分からないのである。

2016.4.12

春の庭風景1…庭の2本のハナモモのうちの1本、もう1本とは同時に別の場所に植えたのだが、こちらは少し場所が悪く、ながらく小さいままだった。しかし周りの木を剪定して日当たりを良くしたら急に勢力を増してきた。 PENTAX LS465

こちらは何回か登場している珍しいシダレモミジ、これが新緑だ…これから夏に向けて緑色に変わり、そして晩秋にはまた赤くなる。むこうに見えているのが上のハナモモ、庭は日当たりの良い場所から萌えていく…かなり広いので場所によって(日当たり・水はけ・土壌の違い)春の進む速度が異なる。 Canon G1X-2

2016.4.11

今日は大和川水運に関連する和船調査(奈良県三郷町)へ行ったのだが、その過程で大和川の河岸段丘の最上段にある妙見堂に辿り着いた(現在修復中)。周囲の竜田大社・金山媛神社/金山彦神社・妙見・八大龍王…水運とも大いに関係があるし、川を制した渡来人の姿が見え隠れする。

堂内(院内)、とりあえず今は解説しない。以前から何度かやってきて、だいたいのことは想像していたが、今日の訪問で核心に近づいたようだ。河内内湖の北辺の星田妙見と河内内湖の南辺に隣接する、この地の妙見…今日はCanon G1X-2で出仕した=正解、帰ってからテストするとPENTAX K-S1より画像が整っていることが判明…やはりボディ・レンズの最適化されたカメラはひと味違う。最近各社が力を入れつつあるレンズ一体式のラージコンパクトがサブにメインに良さそうだ。

2016.4.9

今回は別の仕事で奈良・長谷寺へ…平地では半分散っているが、山あいの当地ではまだ大丈夫と寄ってみた。昼前に着くと観光客は普段の三倍ぐらいで盛況と思われた。年に一度は必ず訪問する寺だが、今年の違う点は現在仁王門の改修中だということだ。その代わり本尊の十一面観音立像が特別拝観できる=元は秘仏で檀家や僧以外は見られなかったが、このところ何かあると拝観できるようになった。しかし内陣の更に底まで入れるため(そして巨大な立像の足だけは触って良い=重文に触れるのである!)、機会を見つけて行って欲しい(ときどき公開しているのでネットで調べるとよい)。ここから399段の石段を登ると本堂がある=(@_@)え〜399段!とは思わなくて良い、一段が低く傾斜も緩やかで屋根もあり、門から本堂まで普通に歩いて10分以内で着く…もちろん急ぐ必要はない、景色を楽しみながら歩けばいいのである。

このような風景だ。

サクラは案の定、ちょうど良い。ここは色々な種類のサクラが植えてあるため、すでに散ったものから満開、そして八分咲きまで様々である。しかし見頃は今日と明日、せいぜい月曜までだろう。 …撮影はすべてPENTAX K-S1+18-55mm=PENTAX 独特の雅モードで撮っているため、やや色は華やかになっている。エントリークラスボディとキットレンズだとAPS機としては不満があり、画質はやはり少し前のミラーレス(SONY NEX5 etc)程度か?

2011.7の写真だが、12時ちょうどに修行僧による鐘突きが毎日ある…だから本堂前に必ず12時までに着かねばならない=今日も5分で駆け上がり、撮影に間に合った(いずれ出す)。これはEPSON R-D1で撮影。

そして参道の田中屋で煮麺+柿の葉寿司を食す(o^^o)写真は2011年のもの…不思議なことに女将さんは10年前も今も全然変わっていない。

2016.4.4

「今年の開花は早い」の情報を聞いて急遽、琵琶湖・沖島へ=3=3=3 まだ5〜8分咲き程度だが例年より1週間ぐらい早い開花だ。ここは比良山に面した西岸で寒いため、満開は今週末だろう。今日は風が強く、琵琶湖にしては珍しい高波が押し寄せていた(最高気温13℃)。RICOH GR

雨との予報だったが12時半に到着した時から帰る5時まで雨は降らず、きのうに続いてラッキーだった。このように木によっては満開ともなっている。

島の標準木「やえもん桜」…と勝手に決めていたが、古老からの今日の聞き取りで事実と分かった=樹齢150年、今は埋立で浜は遠のいたが、すぐこの前が浜だった。2001年初めて来たときに、ここで地域の人達が集い楽しんでいて(もちろん今も)私もそう思ったのである。南向きで風もあたらない場所のため満開だ…今日の風で散り始めていた。 RICOH GR=設定を変えたが「まだ渋い」…

2016.4.3

曇り空のなか、今日は大阪市内へ…南海汐見橋線に乗って、芦原町で降りて、芦原公園を抜けて木津川へ出て(この川を遡ると自宅まで行けることになる)、あとはアーチ型の木津川水門を見学し、落合上渡船に乗った。以下は大阪市営渡船のサイトから引用=落合上渡船は、大正区千島1丁目と西成区北津守4丁目を結んでいます(岩壁間100m)。大正区側は旧町名を「新炭屋町(しんすみやちょう)」と言い、宝暦13年(1763年)に大坂瓦町居住の炭屋三郎兵衛によって開発された「炭屋新田」のあったところです。明治以降も鉄工所や造船所等の企業が立地するとともに、北方の三軒家方面へ道が延びていました。また、関西随一の木材市場を支えた「大正運河」(現在は埋立てられ千島公園の下になっています)の木津川の入口もこの渡しの南側にありました。  日曜にもかかわらずそれなりに乗船客は多く、おおむね15分間隔で動いている。平日の通勤時間帯には大正区側の住宅地から西成区側の工場等に通勤する人で賑わう。向こうに阿倍野ハルカスが見えている…スカイツリーとまではいかないが、まちがいなく大阪のランドマークとなっている。

渡船で大正区側に渡り、区役所裏の千島公園へ。ここは木津川右岸の木場のあった場所で1960年代後半に埋め立てられ、人工の山「昭和山」(天保山は江戸時代の人工の山だ)を中心に千島公園となった。10年以上前に同じく渡船で川を渡りここへ辿り着いたときに(その時は渡船取材が中心で、偶然サクラの季節だった)見たサクラと大阪のウォーターフロントが一望できるのに感銘を受けて「いつかまた来る」が今日になったのである。おそらく禁止されているのだろうが派手な花見客はいなくて、地元の人達の散歩コースのように感じた。 FUJIFILM-X100…今日はFUJIFILM-X100Sとの差を見るためにあえて旧バージョンを持ち出した=実写の結果は、画質はほとんど差が認められず、AFの速度と精度が改善された印象である。地道なグレードアップと言いたいところだが、モデルチェンジとしては物足りない結果と言えそうだ(たぶん100Sから100Tも同様)。とは言え速度はともかくとして合焦精度が高くなったことは歓迎できる。

ついでに庭のスモモの花が満開なので写真を撮った…背景は曇り空である。デイライトシンクロ=ネイチャー系の写真はとても難しく、綺麗を写すことと矛盾するようだが、初心者に簡単に勧められない。 Nikon P7800

2016.4.1

尾道市・百島にて…無料レンタサイクルで疾走=3=3=3  危険なので走りながら撮るのは避けたい=連絡船の時刻が迫っているので、やむなく撮り続けたm(_ _)m  RICOH GR

2年前の百島…自転車は露天に置かれているため、当時より痛んでいる。

上の写真と同じ場所…このミカンの木陰で自転車を置き、持ってきたパンをかじっていたのである。 RICOH GR

2016.3.30

紀の川市黒川地区(旧桃山町)の黒川庚申堂のヤマザクラ。あまりに奥深い山村ゆえ今までは観光客も訪れることは少なかったが、このたび新聞に取りあげられ、先週の連休には多くの人が来たようだ…地元の人も嬉しそうに語っていた。庚申堂(どうも神仏混淆)の宝物は古美術泥棒に盗まれてなくなったと話す、また昔は庚申堂前の狭い広場でお祭りの踊りも盛んだったとのこと…初めて来たが来年もぜひ来たいと思う。 Nikon D600+NIKKOR 18-35mm f/3.5-4.5G ED

おそらく地区の人達に大切に世話をされているのだろう、勢いの良いみごとなサクラである。花は終わりかけ、葉が出てきている…パッと咲いてパッと散るのではない、この辺の味わいがヤマザクラの良さである。

このような場所だ、桃山町は果樹栽培が盛んで桃やスモモなどの畑が続く、そんな山里の峠に庚申堂は建っている。

2016.3.29

明日はサクラ見物に行くことになった(急に決定)…おそらく歴史的な意味を見いだせると思う。本年度最後の撮影となる。 Nikon D600+NIKKOR 18-35mmGで行く=3=3=3

2016.3.27

本年度の展覧会も今日で終わり…全作品を紹介します。来年度も継続します。また秋に会いましょう…

2016.3.21

土日月で、倉敷佐江の渡し・笠岡真鍋島・尾道百島と歩いた…ここは最後の福山市の名もない入江で。誰も来ない浜辺でいつもの瀬戸内の旅と同じく30分ぐらい日没を見ていた…今日はとてもキレイな夕焼け(^-^)/ 本年度の島歩き終了/Canon G1X-2

2016.3.6

かねてより発注していたマーティン・パーの「LAST RESORT」がイギリスからやってきた…初版は1986年だが幾度か再版され、今回2015年の再版本を入手した。当然テキストは英語で書かれているのだが、来てみると編集者の文章(これもイギリス英語のため分かりやすい)があるだけで、写真には何もキャプションはなく、内容と共にM.パーらしいと思った…この本も私の出発点のひとつなのである。いくつもの出発点があり、一番最初は1970年「カメラ毎日」に載った秋山亮二の「旅ゆけば…春」だった。

2016.3.1     今日は私のワークショップ「フィールド写真講座」の展覧会案内のみ…

2016.2.29

2013/3、ありし頃の上野・不忍池の茶店「蓮見茶屋」。開店休業状態だったが、それでも蓮の開花期には希に客の姿が見えていた。

2015/3、完全に取り壊され(おそらく2014年)、現在も何に使われることもなく放置されている。建てられた当時(相当に古い)は正式な店舗だったのだろうが、法令か都の施行規則かで仮設のもの以外の店舗は出せなくなって、それでも権利だけは残り営業を続けていたのだろう。そして跡継ぎが居なくなったか立ち退きの条件が整ったのか、取り壊されたことと推測される。背後の都の経営のボート乗り場は盛業中である。

2016.2.28

今年も「フィールド写真講座」展覧会が3/12から始まる…以下は今年度撮影した場所の写真だ(これを展示するのではない)。各人のプリントも終わり、フレームに入って3/3には届くことになっている=メンバーの人は3/12 pm1にギャラリーに展覧会設営のために来て下さい。

2015.11 日吉大社。

2015.12 猿沢の池。

2016.1 須磨浦山上公園。

2016.2.24

風邪と花粉症が重なって喉や鼻の粘膜がダウン(@_@)今日は休暇でありました。写真は去年の春、不忍池のほとりでハトやスズメに餌をやっているオジさん=どこかで見たような人だ。 CASIO EX-ZR20

2016.2.22

展覧会に出そうとして出さなかった写真…奈良興福寺への裏道にて。  FUJIFILM X-Pro1+18mmF2

2016.2.19

新宿御苑…関西にはない都心の広大な市民公園だ。敷地が広いので人は多くてもバラバラになると人口密度は低くなる=有料でも値打ちのある遊び場だ。 α6000

2016.2.18

また原宿…表参道や竹下通りを外れると案外人は少ない。

そしてまた裏町へ…古いアパートがまだまだ残っているが持ち主は漸進的に変わりつつあるようだ。 SONY-α6000+SIGMA 19mmF2.8DN

2016.2.15

境内の片隅に地蔵山巡りがあった=何度も来ているが初めて発見…厄除け・子安・水子供養、たくさんの因縁のこもった地蔵群。雨の中、家族連れが「久しぶりに来たなー」と一家で手を合わせていた。

四天王寺の五重塔は耐震改装中、今年の7月に工事が終わり開扉される。 RICOH GR

2016.2.13

今日は雨の中、四天王寺に参った。最終的には大雨となり近隣の街角の撮影はできなかった。初めてRICOH GR1台で撮影=以前から関心のあった「ブリーチバイパスモード」で撮影…実際より雨の日の雰囲気が出ている。RICOH GRは小型の割には性能が良いので無理にでも使わないといけない(どうしても今日のような気軽な撮影以外では巨艦大砲主義となりやすい…)。ここは亀井堂、大雨で参拝者は少ない写っているふたりはいずれも職員だ。

亀井堂脇の延命地蔵尊のお堂にて…外は大雨なのでこのような角度の写真となる。明日もここの写真を掲載する…これで1/10から毎週続いた週末撮影が1ヶ月ぶりに終わる。しかし来週なくてもその次は撮影旅行となる…何にしても多忙な年度末。

2016.2.12

原宿からなるべく路地や小径を歩いて渋谷方面に向かう…さて雰囲気のある横町が見つかった。車の入れない路地は開発の対象とはなりにくく、昔の原宿の色を残している。

古い住宅や小さな商店が建っていてブラブラ歩くと、住民のお婆さんが出てきて「変な人が入ってきて家を覗いていたよ、気を付けないと…」と声をかけあう=私ではなく確かに前を「変な人」が家々を覗きながら歩いていた。ふたりは何十年も前からのご近所さんで、時代に取り残されつつも助け合って生きてきたのだろう…下町散歩は嬉し楽しい。この日に関東大震災や先の戦争での爆撃で燃えたはずの街に昔日の「江戸の下町」の雰囲気が残っている理由を考えた=行政主導の再建を除いて、下町では焼け跡から再建するときに以前の町並みをなるべく再現したのではないかと思う次第である。しかしこの先地上げに抵抗する老人達も居なくなり、このような景色がなくなるのは間違いがない…原宿駅前でも大工事をしていた。東京は大小のビルやマンションだけが並ぶ(そして整然と手入れされた緑地と)「箱」の街になるのだろう。

2016.2.11

竹下通りを出てすぐ左に曲がると東郷神社がある。さっきの喧噪が嘘のような静けさが、ほんの20m入っただけでやってくる。若者達の一部はここへも流れてくるがぐっと神妙な気分となり本殿に手を合わせている。

幼稚園児の通学路にもなっているらしく、ヨチヨチと広い境内を通り抜けていた…お詣りするだけではなくどこかへ抜ける脇道のようで、参拝者に混じってごく普通のサラリーマンが歩いていく。

2016.2.10

東京初日は品川で新幹線を降りて原宿へ…混雑を避けて竹下口から出た。駅の反対側は明治神宮の森、表も周りは普通の駅前だが、通りの向こうに人がギッシリ詰まった空間が見えていた。40年前に一度は来たことがあるが、このような記憶はない=夜だったせいかも知れない

竹下通りに入るとピンクやバイオレットの世界となる…金曜なのでたいしたことはないそうだ。「今日は動けるね…」と通りがかりの女の子が話していた。地方からの修学旅行の女子高生が目立った=今は原宿が公式のコースに入っているようだ…それにしてもお面を被ったような化粧が可笑しい(今だけ原宿気分?)…でもそのカッコ付けがカワイク感じる。昔も今も同じ…

2016.2.9

今日は写真の編集で疲れ切ったので、これ1枚...須磨浦山上公園の日没、向こうは淡路島。何度も来ているがこれに乗ったことがない=足こぎのモノレール。ほんの数メートル高くなるだけで景色はまったく違うのだろう。秋にも来ることにしているので次回はぜひ乗ろう。  CASIO EX-ZR20

2016.2.8

今回は1日目=原宿〜渋谷、2日目=田園調布の多摩川〜白楽〜横浜大桟橋、3日目=品川宿と写真散歩(品川宿は写真のワークショップ)だった。今日は大桟橋での記録を…ここは国際線の桟橋であるのと同時に大きな観光施設でもある。たくさんの人が山下公園・氷川丸・赤れんが群・水上バスとここを散策している。交通の便もいいし、近くに中華街もあってよくできた観光港湾だと思う=今回で3回目の訪問、1回で全部回るのは広いため難しい…しかし広いので普段は観光客で溢れることはない、気持ちの良い海辺だと思う。

大桟橋では多くの人がモデル撮影(もちろんプロではなくアマチュアやカップル、家族での撮影=しかし記念写真ではない)をしているのが印象に残った。不思議な空間と海の空気感がいいのだろうか?

2016.2.7

今週末は東京〜横浜へ行った。中間の場所なので泊まった蒲田の印象…街全体が歓楽街に見えた。不思議な街の景観だ。

大通りに面したかなり大きなビルの一等地にあった。暗い夜でCASIO EX-ZR20は苦もなく写る…明日も今回の上京の印象を掲出する。

2016.2.4

先週の東海への旅から(沖縄旅行へはなかなか進めない)…浜名湖の猪鼻湖神社にて。浜名湖に突きだした半島の更に岬(以前は島で、その後砂州でつながったものと思われる)。断然、聖地となる条件にピッタリの場所で来たときは毎回寄る…半島に渡る狭い橋(1車線しかない)も改修され、裏山にも少し手が入って観光地として整備されるのだろう。前回来たときに橋のたもとの料理旅館の女将さんに親切にしてもらって昔話も聞いた(今日は不在)。向こうが南で(今切が見えている)この水道の前後は広い湖だ。

ここも3度目の正太寺、岬の高台に建っていて南に大きく開ける。前に来たときは近所の老人の憩いの場だったのだが…やはり高齢化は進んでいるのだろう。遠くに舘山寺のホテルが見えている=今回は時間の都合で舘山寺の鰻は食べていない。 Canon 6DのAE露出・評価測光でも、やや明るい方に引かれるようだ(これでも少し明るく処理している)。

2016.2.3

東海地方への旅をはさんで大阪城の終章(写真はたくさんあるがキリがないので)…以前は比較的高齢者が多かったが今は若いカップルや外国人が目立つ。これだけの広さと施設が天守閣を除いてタダなのも関係あるかも知れない。

また森ノ宮方向へ歩く…地元の高校生らしき一団が急な階段を走り上がったり下ったり。タイムを競っているのである…私の高校生の頃とたいして違わないことに安堵した=「今どきの若いもんわ…」の議論が大嫌いな私である…若い頃、当時の中高年世代にさんざん言われ、今は私の同世代の中高年も言っている…いったい若い頃の気持ちはどこへ行ったのかと思うのである。双子の姉妹が面白そうに見る=これも昔と同じだ。 PENTAX K-S1

2016.1.31

土日で東海地方を走り回って撮影=これは純粋に学術的な撮影旅行だった。豊橋の二川(牛川の渡し/二川宿の本陣跡)・浜名湖(弁天島・新居の関所跡)・岐阜羽島の西中野の渡し…移動の距離・時間が長かったが目的は果たせた。 写真は豊川のホテル前の壊れかけたブティック。 Canon 6D+EF24-105mm F4L

2016.1.31 pm1浜名湖・今切付近の海釣公園…もう少し空気が透明なら向こうに富士山が見える。 Canon 6Dの使い勝手は素晴らしく良い=このところ重さを除いて一眼レフを見直している。

2016.1.26

梅林はまだチラホラ咲きというところだろう(それでも例年より早め)。冬至という品種だけがほぼ満開であった。

大阪城敷地内の豊国神社にて…観光客のうち30%ぐらいは外国人ではないかと感じた、それも欧米系はほとんど居なくて東アジア(つまり中国と韓国)系の人が多い。富裕層であることもすぐに分かる。日本人も高度経済成長期のころ海外でこのような感じだったのだろうかと思った=私はその頃は旅行がキライだったので(現在も撮影旅行はシゴトと割り切っている=それほど嫌ではなくなっている)日本人がどんな振る舞いをしていたのか全く知らないが…後に外国の友人に当時のことを聞くと評判は良くなかったようだ。日本人がアジア系観光客のことを悪く言うのはお門違いというものだ。

2016.1.25   沖縄はあとにして大阪城公園の続き…PENTAX K-S1+PENTAX DA21mm F3.2AL

カモメのエピソード…カモメが飛び交っていたのは餌を撒く人がいるからで、ある老婦人が大量のパンの耳を撒いていた…そうすると公園警備員がすぐにやって来て「糞害の原因になるのでお止め下さい…」。

しかしすぐ傍の観光客らしい子供連れの若夫婦には何も注意しない…おそらく老婦人は毎日のようにやって来て、毎日注意され、それでも納得せず餌をやり続けて、警備員も毎日注意しているのだと思われる(警備員と老婦人の会話を隣で聞いていた)。若者と老人…専門ではないが考えさせられるエピソードである。別の場所(2ヶ所で見た)では老人が草むらでノラ猫達に大量の餌をやっていた。

2016.1.24

大阪城公園へ…ここへは何年かに1回は行く。そのたびに少しずつ整備が進んでいる…地下鉄森ノ宮駅から直接公園へ行けるようになった=鶴見緑地線ができ、中央線が近鉄東大阪線と相互乗り入れを始めるようになって乗降客が増えたのだろう。写真は出さないが公園の入り口から噴水の間もかなり新しく手が入っていた。

公園内をブラブラ歩いていくとカモメが多く舞っていた…公園職員の話だと比較的最近増えてきたとのことで、どうやら大阪湾から冬の間、それも昼間だけ飛来するらしい。その理由は明日…PENTAX K-S1/PENTAX DA21mm F3.2AL=キリッとしたピントはこないがトーンはよく出ている。

2016.1.23   今年1年をかけて(日帰りで8−9回に分ける)大阪環状線を巡る写真散歩をすることにした。10年前に一度実行し、今回は二度目となる…前はやみくもに歩いたが今回は少しだけテーマを毎回考えたいと思う。

今日初めて現場でPENTAX K-S1+PENTAX DA21mm F3.2ALを使った…結果は画質は「まずまず」と言ったところでα6000やFUJIFILM X-Pro1にはまったく及ばない。しかしその軽さや小ささ、操作の簡便さにおいては気軽に使え、OVFの見え方も良好で作画用には悪くないと感じた=特にスナップ用にはいい機械だろう。

歩いたのは森ノ宮駅周辺と大阪城公園だ。40年近く前に1年ほど住んでいた土地である程度の土地勘と記憶はある…その後大阪城公園には行っても、駅の周辺はほとんど歩いてはいない。人に聞くと「ずいぶん変わった」とのことで興味を持ったのである。森ノ宮駅前交差点から見ると、北側は大阪城公園と地下鉄の車庫、そして南西は法円坂につながるB級(失礼)官庁街と案外居住地は狭い範囲だ。そのため商店は駅から南の玉造駅への道に限られている。歩くとやはり商店街は寂れていて飲み屋だけがなんとか商っている感じだ。この写真、左はJR大阪環状線の高架で東に商店が並んでいたが解体されて駐車場になっている場所や廃屋になっている店も多く、どこかの店の板前さんも所在なげにスマホを見ていた。

近くのちょっとしたオフィスの勤め人相手の飲み屋は比較的軒数も多く、40年前と同様それなりに営業している=今日は土曜の午後なので店はほとんど閉まっている。当時から平日の夕方と決まっているのである…。

2016.1.20

今日もなんとなく時間稼ぎ…フィルム時代(Leica M6)の冬の天橋立・回転橋、去年アメリカ製フィルムスキャナーを買ったのでホントはスキャンはかなりキレイにできるのだが…どうもおっくうでいけない。船は奥の岩滝にある鉱業の精錬所へ行く=そのために回転橋となったのである。しかし今は観光船も多く通るようになり、これを動かす人員も増やされている。

ご存じ傘松の「股のぞき」にて。この頃(2005)は観光客はずいぶん減っていたようだが、最近は増加の傾向でもっと多くの人で賑わっている。対岸の山の上にも観光施設があり、ちがった角度で天橋立が見える。毎年一度は通う…今年もまた行こう=3=3=3

2016.1.19

1/15-18の沖縄取材旅行の装備…天気予報で4日間とも天候不良とされていたので防滴カメラOLYMPUS E-M5を持参した=事実初日は雨が少しパラつき、17日は大雨の中の撮影だった…しかし16/19日は晴れて、どうやら沖縄の天気予報は外れることが多いことが分かった…おおむねこの季節は天気が良くない。晴れた日も天気の急変を恐れてほとんどの撮影はOLYMPUS E-M5+キット防滴ズームでこなした/実質3日半で4600カット、充実した取材だったが一県を回るには昨年を加えても全部で6日半、とても足りない…また来年度も行くことになるだろう。

さて次の旅の写真は何にしようかと迷っている…どうせ毎日2−3枚の写真をアップしても、ひとつの旅に3週間程度かかり、次の旅には触れる程度で終わるため、どれかに決めないといけない。 これは12月に行った東京・雑司ヶ谷での酉の市での1ショット(Leica-Q)また2月初旬に東京だ…さてどうするか? 明日までに決めよう。

2016.1.18

沖縄に取材に行ってきた。比較的最近米軍から返還された那覇空港を望む瀬長島から…民間機や軍用機がひっきりなしに離着陸していく…その爆音は想像していた以上のものだった。島は橋で本島とつながっていて今リゾート開発が急となっている。そして飛行機の着陸の写真を観光客だけではなく島の人々も撮っていた(写真好きの人だろう…)。

2016.1.11

昨年12月の上野公園にて…Leica-Q

日没後の不忍池、たいていの場合東京へ行くと上野公園に寄る…それも3時間程度は歩く。島巡りもそうだし「フィールド写真講座」の実習地も同様に"何度も行く"が前提である。 Leica-Q

2016.1.10

今日は「フィールド写真講座」実習で明石・稲爪恵比須〜大蔵海岸〜須磨山上公園へ。ここは最後の旗振山山頂から淡路島を見たの図…ここからは条件さえ良ければ瀬戸大橋から大阪湾、遠くは友が島や四国、岡山方面まで見通せる。 FUJIFILM-X100s…ピントが合えば素晴らしい画像を出すが、AFの分止まりや速度はX100より改善されたとは言え「まだまだ…」である。やはり撮り直しのきかないフィールドではハイスピードミラーレスか一眼レフが本命だろう。今日のようにノンビリと撮り歩くにはいいカメラとしておこう。

近所のお寺にて…山の上にあるので町が一望できる。今日はFuji finepix S3pro最初の撮影、なかなか良いどころか画質においては現在のAPSカメラと肩を並べる=AFやエンジンなどの性能は時代相応に劣っているが…これは仕方なく、メンテナンスをすれば充分使用は可能と結論できた。

こちらは神社での松の内明けの整理に氏子一同が集まった。社務所では「なおらい」の真っ最中だ…私の住む町は神社への信仰が今も厚い。宮司は町に1名だけで各地区の神社を回っていて、ふだんの運営や祭りごとは地区の人達によってなされている。 Fuji finepix S3pro+NIKKOR 18-55mmG-VR

2016.1.5

この最新小型の(PENTAXのデザインセンスはいいと思う)PENTAX K-S1を生かすために結局は高くついた=あまりキットズームPENTAX DAL 18-55mm/F3.5-5.6の成績が良くないため、そしてAPSミラーレスカメラと同等の大きさを期待したためにレンズもPENTAX DA21mm F3.2ALというパンケーキ(換算32mm)になったのである…カメラキットよりレンズは1万円も高い=ホントはK-3IIにすると盤石なのだろうが、それでは画質はSONY-α7Rに、機動性はSONY-α6000にかなわないのである。PENTAXがRICHO傘下に入ってこれからを期待している(私はもう間に合わないが…)。

12月の「フィールド写真講座」甲南の記念写真(奈良・志賀直哉旧居)…さて来る1/10は第3回目の実習で明石〜須磨だ。時々行くエビスさんの縁日・六甲山系の山・瀬戸内の海を見るのだ。

2016.1.4  明日から事務所へ…シゴトの始まり。

塩飽の海…凪ぐとこんな景色となる。風も吹かないため空気の透明感はなくなる。瀬戸内海は本州・四国両岸ともに工業地帯が続いていて、内海のために水蒸気も工場などの排出ガスも滞留するためである=もちろん有害とまでは言えない。

NIKKOR 18-55mmG-VRの純正フードが到着…これでFuji finepix S3pro復活作戦は終了=1/9に初めてのフィールド撮影をする。

2016.1.3

深い意味はないが昨年の1/1の八大龍王社は大雪だった。だいたい5年に1回は雪かミゾレが降る…最低気温は12月下旬から毎朝氷点下なので、雨模様だとこうなる。写真の編集に忙しくて旅の更新はできない=明日かあさってから再開としたい。

これもたいした意味はなく、そこら辺にあったコンパクトデジタルカメラを集めた=これが全部ではない…雑然としているようだが私の基準で導入したモノばかりなので全部○のカメラだ(OLYMPUS μ-8010だけはXカメラ)。

2016.1.1

まず毎年恒例の地区の村社へ初詣…神さまは水神・八大龍王、明治の合祀令をまぬかれて単独で建っている。農協に車を停めて田圃のあぜ道を歩いてここへ来る。途中でお詣りの人(とうぜん地元の人しか来ない)とすれ違って「おめでとうございます」、もう長く住んでいるので土地の人になりつつある(そういう年齢でもある)。国道の向こうは新興住宅地…隣町だ。 PENTAX-X10

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2015.12.31

今年最後の琵琶湖へ。 守山の寂れたリゾートマンション前のお花畠にて…ここは誰の管理なのか季節によりヒマワリ・コスモス・ナノハナ…etcがそれぞれ一種類でうずめられる=とうぜん全部抜いて植え替えられるのだ。特に入場制限もない(Pはない=寂れたマンションのPには勝手に停められない)。

琵琶湖(湖東)に来ると必ずと言っていいほど詣る長命寺の奥の院から近江富士を遠望する。今日はそれほど寒くはなかった。祀ってある太郎坊天狗に今年の無事を感謝する。

最後は本当の氏子ではないが、ほぼ信仰の近い近江八幡・賀茂神社の年越の大祓神事に例年どおり参加して、今年1年の穢れを祓い、翌年の再出発を祈念した。私の氏神の神社に詣るべきなのだが遠すぎて簡単には行けないので氏子の仲間に入れてもらっているのである。 撮影はすべてハイスピードカメラのCASIO EX-10。

帰宅すると今年最後の買い物がやって来た=撒き餌レンズとの言にほだされて購入(明るくてピントの来るレンズが欲しかったせいもある…)。ノーマルモデルとDf用のリミテッドの価格差が数百円だったので迷わずリミテッドにした。そして思わずクロネコの地区担当のお兄さんに「本年はありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします」と挨拶…毎日のように来てもらうので顔なじみなのである。来年もよろしく...

2015.12.29

さっそくFuji finepix S3proのテスト…ダイナミックレンジは広い。色味はやや温色になるため(そして微調整は効かない)AWBではなくマニュアルで設定したほうが良いのかも知れない...晴れた戸外では問題はない。そしてどちらかと言うとハイライトに露出が寄ることが多い(Leica M9も同様)ため、時に露出補正を+にすることも必要かもしれない。AE感度オート設定もできないため感度も必要に応じて変えることが必要だろう。と書いているように11年前のカメラは便利なボディ機能は期待できないが、メンテナンスをキチンとしていたら画質そのものは現行品に(想像するよりは)劣るものではない。

角度や条件は異なるがPENTAX K-S1+PENTAX DAL 18-55mm/F3.5-5.6での撮影…この程度に小さくしてもFuji finepix S3proがまさっているのが分かるだろう。いずれも55mmF5.6半で撮影。

これは今回のサブカメラRICHO GXR(+1600万画素レンズ)で塩飽・瀬居島の高台の稲荷社で写した写真…Fuji finepix S3proの画像は、このあたりと同等の性質である。おそらくAPSのベイヤー2000万画素まで対抗できることと思われる。さすがにFUJIFILM-X100sのXセンサーやSONY-α6000の2400万画素センサー(もちろんエンジンやレンズのことも考えに入れなければならない=ここでは荒っぽく言ってのことである)にはかなわないがプリントも含めて普通の写真制作にはなんら問題はない。ここで言いたいこと(そして今回の実験)は新しいカメラを追い続けるよりも古くても素性の良いカメラ(レンズ交換式ならなお良し=最新のレンズが使える)をメンテナンスして撮ることに有意を感じるからである。フィルムカメラ時代と異なりデジタルカメラの進歩は著しく、メーカーにも責任があるが、フィルム時代にもあった「新しいカメラなら、良いカメラなら良い写真が撮れる」という風潮が助長されているように思われることを注意喚起したかったのである。次はPENTAX-K10Dだ。

2015.12.28

修理期限を越えているが部品の残っている限り在庫をひっくり返して、またSCで難しい部位は工場へ送って丁寧に点検・整備を実施、可能の範囲ではあるが工場出荷状態に限りなく近くなった…これで安心して使える。古いカメラ復活作戦である。

2015.12.20

ファインダー群…12mm-135mmまでたくさんある=この写真以外にも7個。多くは以前から持っているのだが、ファインダーレスのデジタルカメラの登場で役に立っている。OVにせよEVにせよファインダーを覗いて写真を撮ることが肝心なのである。

2015.12.13

「フィールド写真講座」で奈良へ行った(過去にも1度)が奈良町を散策しているうちに時間が経ってしまって東大寺へは行けなかった。来年はどうしても東大寺とその周辺へ観光シーズンを外して行こうと決心! ここは頭塔…不思議な日本版ピラミッドだ=FUJIFILM X-Pro1

こちらは撮影の最後、薄暮の興福寺五重塔…デジタルカメラは限界の暗さでも手順を守ればキチンと写る。 FUJIFILM X-Pro1+FUJIFILM X-18mmF2

2015.12.8

少し角度を変えた東京風景=友人達と「フィールド写真講座・同窓会」の下見を兼ねて「知らない東京」を毎回歩く。今回は北区の王子近辺である。まだまだ下町風情がそここに残っており、10年後にはなくなる景色の記録を撮ることにしている…東京に限らず「写真とは記録」との定義づけをしており、私がどう考えたかではなく、記録として残る画像を後世の人がどう思うかが大事だと思っている=狙って撮影していたら、半日で1500カットは撮れない…とにかく記録し続けるのである。 ここは飛鳥山近くの横町に引っ込む質屋…Leica-Qの描写はフィルム感覚を残していて快い。-0.3で写している=少し国産に比べると暗めに写る。+-0でちょうどイイだろう。

同じく飛鳥山公園前の交番付近を行く都電…私は都電が大好きなので、東京では常に都電沿線に宿をとる。次回は2/5-7に上京する。Leica-Qを下げて、さてどこを歩くか…1ヶ所は旧品川宿界隈、あとは未定。

2015.12.6

奈良町を歩く。京都もそうだが最近は古い町屋を補修して店舗や工房にしているところが増えている。ここも最近整備されて一般に無料で公開されている大店の建物だ。間口は狭いが奥へ奥へと入っていける。

台所は吹き抜けになっていて煙出しがある。もちろん足元の「おくどさん」も補修されて使える状態である…体験的に使ってみることも可能(これは有料)…商家ではないが私の生家もこんな感じだった。

集合場所の近鉄奈良駅改札前で全員の到着を待つ…刻限より20分も早く着いた。最近の待ち合わせではネット検索の一般化でジャストに着くことが多くなった(その代わり何かあると遅れることになる)。

2015.12.5

今日は「フィールド写真講座」甲南で奈良へ…京都を予定していたが観光客が多すぎるようなので急遽場所を変更した=これは正解で、今年のテーマの「名所巡り」の2が達成された。名所と言っても東大寺や春日大社ではない、強いて言えば隠れた名所だ。興福寺南円堂・猿沢の池・福智院の地蔵大仏・頭塔・志賀直哉旧宅・荒池etc…よく歩いた(本日は1100カット撮影)。これは最後の荒池の池畔公園で…以前のように街中を鹿が闊歩する風景はなくなったが、ここの公園や林には多く生息している。

久しぶりにFUJIFILM X-Pro1+FUJIFILM X-18mmF2ですべて撮影した。ハイブリッドファインダーは快適だが、ボディはさすがに古くてAFの遅さ/遠近競合には手を焼いた(写りは問題なく良好)=少し撮影すると慣れてきて、コントラストの高いところにセンターでピントを合わせてカメラを振って構図する…という古式の撮影方法でこなせた。2型が出るようなのでAFとマクロの性能は改良してほしいと希望する(もう少し使うようになる)…今のままだとSONY-α6000やLUMIX GX7、Leica-Qに対抗できない。

2015.11.29

11/27-29で東京へ…今日は雑司ヶ谷・大鳥神社の酉の市を取材=客(参拝者)と酉の飾り職人の掛け合いが面白かった(値切り…)。商売人の信仰なので値切ることも含めての祭りなのである。商談成立すると客も売り子も周りの人も含めて三本締め!これも江戸っ子らしくて良かった…毎年3回、6日間の江戸文化を訪ねる旅行も6年目に入る…次は2月だ。  Leica-Q=すばらしいスナップカメラだと思った(本格的に使うのは今回で2度目)。

地下鉄副都心線のエスカレーター横の装飾…さすがに最新の地下鉄、デザインされていて洒落ている=撮影はエスカレーターに乗って動きながらである。飾りと副照明を兼ねている。

2015.11.23

11/21-23でまた旅行へ=3=3=3 今度は讃岐だ…天気予報では晴・雨・雨だったが、さすが日本一降水量の少ない香川県=土日と晴れ、月曜も曇りで、撮影中は雨はほとんど降らなかった(夜はたくさん降った)。 この旅も書いていくつもりだが、また今週末は東京へ…書ききる前に旅に出ることになる=夏に弱いので年間100日を旅するためには春と秋に時間を作らないと難しい。 Leica-Qは予想どおり最高のフィールドカメラで(その意味ではLeica M9を凌ぐ)未だ完成とは言えないが(不備の内容はまた今度)Leica-Qとラージコンパクト1台あれば島歩きには充分だ。

2015.11.20

AMPELMANN…時計に次いでキャンバス地のバックを購入=Leica-Qとの比較を見ても分かるとおり充分カメラ携行用に(そして小旅行でも…)使えるだろう。中は緑色一色で補色対比の良さがある。これからも多種のAMPELMANNデザインの商品を使っていきたい…そろそろBAUHAUSを越えたいと思っている。

2015.11.1

「フィールド写真講座」…天気も薄曇りで写真撮影にはちょうど良かった。今回は9名参加、秋の琵琶湖・湖西の南部を巡った。「唐崎の夜雨」で知られる近江八景のひとつ唐崎弁天から日吉大社、小野郷の小野神社とかなり歩いた。これは日吉神社でのご祈祷=ここのご神木である梛(なぎ)の木の幼木を買い求めた…3年前に一株ここで買ったが育つのが非常に遅く(年に1−2cm?)、もう1本増やすことにした…今回は巫女さんに教えてもらって暖かい室内で育てることにした。 α6000+SIGMA 19mmF2.8DN…テストどおり隅々までキチンと写り「さすがArtレンズ」である。そしてフィールドでは造りがチャチな分、軽くていいだろう。

2015.10.31

 明日11/1は「フィールド写真講座・甲南大学」の第1回撮影実習です。JR湖西線・唐崎駅にam11:30集合…唐崎弁天を振りだしに日没のpm5まで湖西を北上します。 写真は1976年の写真部・琵琶湖撮影会 w(゜o゜)w

2015.10.17

 11/1からいよいよ「フィールド写真講座」甲南の開始だ(学生・社会人・教職員が参加)…メンバーが確定し本年は少し増えて全部で12名。この写真は2013年に紅葉の長谷寺へ行ったときの記念写真…現地ではバラバラに行動するため全員が写っているわけではない。

2015.10.3

先週に続き庭木の剪定と一部の伐採を実施…ほっておくと庭が森林と化すので(そしていずれ歳のせいでできなくなる…)なるべく高くならないように木々を管理している…これはシダレカエデ、林は向こうまで続いている=庭は幅は狭いが奥行きがある。  RICOH GR…よく写る。

2015.9.11

彦根城・全国区のゆるキャラ「ひこにゃん」のショウ。この時は春先だったため人出はそれほどではなかったが人気は抜群だ=登場の1時間前から場所取り…実際は正面だけではなく、このスペースの範囲であちこち移動し愛嬌を振りまく。夏場は中の人は大変だろう。 これはLeica M7でフィルムで撮ったものをスキャンしている。最新のフルサイズデジタルカメラに比べるとシャープ感は足りないが、それなりの情報量を感じさせる(それにしてもデジタルLeicaの絵づくりはフィルム時代に似せている)。

2015.9.9

中国から輸入された管式アンプの箱…珍しく途中で詰め替えられることなく元の箱のまま届いた。経由地の送り状がすべて貼ったままで箱も長い旅で(開封も1度ある=中身は新品)角が丸くなっている。記録を辿ると8/1に青島の工場を出て、深?の商社に着き、そこから香港の貿易商に(日付不明)送られて、香港から航空便で8/5に埼玉のamazonに向けて送られ、そこからどうした訳かamazon神奈川へ8/10に転送されて、そこから8/13にこちらへ発送され8/15に到着した。発注は8/12だから、その前に埼玉から神奈川へ移されたことになる。青島から京都までの長い道のり、買う側はオンラインで気楽なものだが、実際は多くの人の手を経てやってきたものだ。届いた時には一瞬不安になったが、製品は同種の国産品より劣らないばかりではなく価格的には1/3で、勝負ありの感を持った…カメラや電機、その他あらゆるものが、ヨーロッパ・アメリカであれ日本であれ中国をはじめアジア各国に生産拠点を置いている現実の先には、下請けではなく各国の自立したメーカーも(現状では中国・韓国・インドなど)ある。

この箱は記念に置いておこう…中にオーディオ関連の雑品を入れて。

GemTuneはメーカーと云うより商社なのではないかと思う。似たような製品が別々のブランドで販売されている…なお管球はスロバキア製やロシア製に変更している(オリジナルが悪いのではなく私の好みの音にしている)。

2015.9.6

秋は撮影旅行の季節の始まり…つごう3回訪問している、全島が日蓮宗・見塔寺の琵琶湖・多景島。彦根から連絡船で行くのはいいが、1日1便(そもそも連絡船はひとり住んでいる尼僧への物資運搬用か?)しか航行しないし宿泊もできないため上陸は来た船で帰ることになる。停泊時間は30分、とても1回では回れない…どうしたものか3回とも天気が悪く、もう1回ぐらいは行きたいと思っている。2011年の写真だ=SONY NEX-3

2015.9.5

今年の3月におこなった甲南大学「フィールド写真講座」の展覧会展示作品をサイトにアップできなかったので、遅まきながら本日掲載する。もう9年間毎年続けている講座で、今年も後期、11/1 12/5 1/10 にフィールドワークを実施し、3月に2週間ほど展覧会を開催する。詳細は9月中に告知できるだろう。

前年度行ったのは、琵琶湖・沖島と近江八幡、神戸と明石の海岸と山、奈良の壺阪寺・岡寺・土佐恵比須。展示写真は受講生が個人で行った別の場所も多く含まれている(恒例により一人一点の展示)。

2015.9.4

我が町、旧村の一番の高台にある地蔵堂から眺める…山や川の恵みを感じる好きな場所だ。時々散歩でやってくる。 Canon G1X-2=ボクはこのカメラの完成度の高さを気に入ってしばしば使う=1.5インチセンサーは設計も古く、今やたいしたスコアを出せないカメラ(最新のμ4/3に勝てない)だが、カメラ全体のバランスという点では、メインのフルサイズカメラ(現在はLeica M9やLeica-Q、α7Rとなる=すべて単焦点レンズ付き)のサブカメラとして信頼できる。

2015.9.2

舞鶴へ…長老が岳山頂/元の簡保センター跡地が展望台になっている。リアス式海岸で舞鶴は東・中・西とみっつの区域に分かれているが、ここからなら全部が見える。むこうに見えるのは大浦半島で、そのむこうが外海になっている。深い湾なので東は軍港として、西は貿易港として栄えてきた…残念ながら若狭湾随一の町も漁業・貿易の不振で陰りが見られる。とは言えまだまだ訪問して記録せねばならないことが多くある。9月末に再訪する。

2015.8.24

琵琶湖・沖島にて…畑の網は鳥に作物を食べられないようにかけてある。離島のため全国で問題となっている鹿や猪の食害はないが、ここでは環境の良さや天敵の不在などにより鳥による食害が多い…鳥には手がないためか、羽がからまって不具合があるためか(これに捕まると島の猫にやられる)この程度の網で充分に効果があるとのことである。 Canon EOS M3

☆下記「とおしあい」は台風のため8/29に延期された☆

2015.8.16

来週、8/26に若狭・おおい町に船漕ぎ競漕「とおしあい」祭りに参加する…早いものでもう連続6回目となる。観光の祭りではなく村おこしの年中行事なので宣伝はされていないが、この地方独特の「マルキブネ」による競漕は見ものであるのと同時に民俗資料としても貴重だ。写真は初めて参加した2010年のものだ。

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