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オリンパス ペンFT

私の最初の一眼レフ=大冒険をしたカメラ

今回はずっと昔に還って、私が最初に本格的なカメラを手にした時のことを思い出してみよう。時は1968年春、高校二年生の時に買うこととなった。不思議な縁で一年生の時に地学部に入ることとなり、天体写真や岩石、雲の写真を撮る必要に迫られたのである。余計な説明になるだろうが、高校における地学とは「天文・気象・地質」を勉強する授業であった。それまでも中学生のころから写真好きで、今妙に人気のある「キャノンデミ」を持って友達や近所の景色を撮っていたが、特別に写真少年と言うほどではなかった。しかし天体写真や顕微鏡写真を撮るためには、どうしても一眼レフが必要なのである。レンズなんてのはどちらでも良く、アダプターを介してボディを直接望遠鏡(うちのクラブでは屈赤)や顕微鏡に取り付けるのである。そこで先輩や先生と相談となる。しかし皆素人で(先生は地質学が専門なので要領を得ず、先輩たちも結局は子供なのでさっぱり解らないのであった。だいたいが近所の店の勧めで選んでいた)16歳の私は専門店(当時大阪と京都の境の枚方と言うところに暮らしていた)に行く勇気もなく、ついにカメラ雑誌をひもとき調べ始めた。当然お金がないので冬休み、春休みとアルバイトし、足りない部分を親に出して貰った事を記憶しているが、そのような事情で調べる時間はたっぷりあった。子供のころからメカ好きで、不具合の出た時計やラジオをバラシては時に壊し、時には直していた事も関係があり、熱心に自分の目的に合うカメラを調べた。その結果、オリンパスペンFTが候補として残ったのである。値段だけなら35mmフルサイズのベトリやトプコン、フジカ等のマシンのうちの安価なモデルでも買えたが、1.グレードの割に値段が安い 2.小型軽量 3.TTL 4.ストロボ全速同調 5.フィルム1本で72枚以上撮れる、の五つの要素で決まった。4は天体写真には関係ないが、普段使うときは有利である(当時はフォーカルプレン機は1/60が一般的だった)。ブラックボディ(当然ペイント。クロームモデルもあった)で40mmF1.4を付けて購入した。2年間学術写真に使い、時には遊びの写真に使ったことは言うまでもない。特殊な写真なので増感現像(時にはコダックのレコーディングフィルムASA3200?やサクラ赤外フィルム等も使った)や引き伸ばしもしなければならないため、フィルム現像もプリントも自家処理した。現像タンクはクラブにあったし、引き伸ばし機は母方の叔父さんが、若い頃写真に凝っていたのでそれを譲り受けた。その時は写真家になろうとは全く考えていなくて実用オンリーであった。話は横道に逸れるがクラブで天体望遠鏡を自作することになり(勿論キット)、私は対物レンズの第一面を磨いた。上級生に数学の天才のような人(のち数学者になった)がおり、その指導で手分けして作った。岩石のプレパラートを作る際、岩石をスライスしたものの片面を泥のように見える研磨剤で回転する円盤上で鏡面のように仕上げ、次にスティック状のバルサム(カナダバルサム)を溶かし、顕微鏡用のガラス板に気泡を取り除きつつ(こつがいる。岩石の薄片を回すようにガラス板に張り、バルサムが固まる前に気泡を出す)薄片を張り付ける。その後研磨機に薄片側をあててまた研磨し、顕微鏡の光が通るまで薄くする。そういう技術と簡単だが道具がもともとこの領域の学問にはあるのである。細かな事は忘れてしまったが、手磨きのレンズ研磨と同じ研磨剤やピッチを使った方法だったと思う。学術写真というと特殊なものと思うだろうが、実は学問と結びついたかなり上級の技術の蓄積があるのである。私の知人の同級生にも医学専門の写真家がいるらしいが、想像するに医学と医者の世界を理解していないと仕事にならない。私もコマーシャル・報道という一般的な写真から民俗・地理学の写真に移ったときはかなり困惑したものだ。私たちは感性や偶然では撮らない。理論と知性で撮影するのである。芸術性は必要かも知れないが危険である。フォトジェニックなどと言っていると学術性を著しく損なうことがある。私も最初の一回目、学術誌で落とされた。さて横道から話を戻すが、その後写真の道に進みハーフだけでは問題があるため、ミノルタSRT-101に乗り換えることになった。それでもペンの20mmf3.5(28mm相当)150mmf4(200mm相当)は購入し、ハーフ判の限界までは粘った。当時はコンポラ写真全盛期で粗粒子、ブレ、ボケはなんの問題もなかったし、現在も6X45cmが35mmの2.7倍の面積と言っても画質が2.7倍でないようにハーフと言っても35mmフルサイズの1/2の画質よりはかなり良いのである。使わなくなってしばらく後、高校時代からの友人K氏が自転車で日本一周の旅行をすることになり再度出動となった。やはり記録用に必要ということで小型・軽量、倍撮れる、私が使った実績で操作が簡単で壊れないことが決め手となって、彼について半年間で日本を一周した。この時彼が携行性を更に良くするためパンケーキの38mmを購入した。サスペンションも屋根もない自転車であり、カメラにとっては極度に過酷な使用条件だったが(振動と湿気)無事に帰還し、凹みが1−2ヶ所ある位で何も故障せず、現在もメーターも含め正常に働いている。この文章を書くにあたってチェックしたところ、セルフタイマーがやや怪しい程度である。還ったあと、私の妹が遊び用に使っていた。結婚するとき置いていったので、またしても私の元に戻った。その間、請われて150mmとパンケーキは手放した(最近、新品同様のパンケーキが\78000で出ていた!)が40mmと20mmは手元にある。30年以上も持っていると数奇な運命を辿るものなのである。しかも生きている!道具としてのカメラも本望だろう。どんなに値打ちのあるカメラだとしても、しまい込まずに使って欲しいと思う。

次に機械の定格について語ろう。当時かなり画期的なカメラだったことを頭に置いておいて欲しい。
大きさは今の普通のコンパクトカメラ程度と思ったよりは大きい。ただし一眼レフであることを思うと圧倒的に小さいとも言える。当然ながら総金属製なので大きさの割にはかなり重い。一眼レフなのにペンタ部がなく、シャッターボタンもボディに埋まるような形で、巻き戻しクランクも半分埋まったような取り付け方がしてある。さらにシャッターダイアルもボディ前面に付いており、ボディ上側(俗に言う軍艦部)の凹凸をなくすように配慮されている。余談になるがライツミノルタCLも同じような思想で作られており、CLは歓迎すべきカメラとなった事も付け加えておこう。このようなスタイルがもっとあって良いと思うのだが、軍艦部の名の通りまさに軍艦のような意匠を持っているカメラが多い。さて説明を進めると、フィルムの巻き上げレバー(分割巻き上げ不可)もボディの後ろにスリットを開け、ここから出ている。従って前面からは見えない。この方式も実に合理的だと思うのだが、これも一般化はしなかった。貼り革は当時本物の革はさすがに少数だったと思うが、だいたいは人造皮革で表面処理も革のようなシボが一般的だった。ペンFTは黒またはグレーのワッフル模様の仕上げでモダンに感じた。現在は色々な仕上げがあり特に変わっているとは思えないが、当時としては変わっていたのである。次にブラック塗装は特筆できるほど堅牢である。真鍮地に塗ってあるのだが、あちこち当たっており、かつ相当使ったにもかかわらず塗装が剥がれて真鍮が見えているのは吊り環とこすれる部分だけ(しかも1-2mm程度)である。黒メッキ加工の巻き上げレバーがかなり剥げて下地のアルミ系の合金が大きく透けているのと好対照である。いまでもシリコンクロスで磨くとピカピカになる。以前はブラックボディはペイントが多かったので、私も何台か(ミノルタSRT-101.トプコンスーパーDM.キャノンF-1旧)使っていたが、塗装の品質は一番である。ロゴの白ペイントも全く剥がれず変色もないと言って良い。
次に機能の面を見てみよう。レンズのロックボタン(キャノンNFDと同じくレンズ側にロックボタンがついておりコストは多少かかるが合理的だと思う)を押しながら右に回し取り外す。詳しいメカニズムの事は分からないが、ミラーはドアのように横に跳ね上がる(?)ようになっており、光路は上ではなく右横(向かって左側)へ曲がる。右にすぐピント板があり、そのあとボディ内部で3回曲げられファインダーに到達する。このためかレンズの取り付けはボディの左側(向かって右側)に寄っており、ファインダー像も暗い。後のキョウセラサムライと同じくハーフの一眼化は難しいようである。ペンFTは縦長のフォーマットであるため、小型化のためにどうしてもミラーを横開きにせねばならなく(普通のミラーの動作ではミラー長が長くフルサイズと同じ奥行き寸法となる)、サムライは横長位置の画面設定にするためミラーは上下方向の動きでよく、簡単な構造にできたが、フィルム送りが縦となりカメラ保持が不安定な形にならざるを得なかったということである。余談になるがハーフ判はRF機向きであり、事実ハーフ版の全盛期はゾーンフォーカスにせよRFにせよ非一眼レフであった。これは現在のAPSでも同じ事が言えよう。フォーマットが小さい分画質的には不利になり、それをもって余りある良さ、それは小型化である。ハーフ判ではないがライカが生き残った必然の一つははそのあたりにあり、コンパクトカメラやレンズ付きフィルムが世の中での定位置を占めているのもその理屈だろう。そもそも35mmカメラが隆盛を極めていることも元をただせばそのような理由なのだ。さて、シャッターはメタルフォーカルプレンのロータリーシャッターで(実は構造がよく分からない)ストロボにフルシンクロである。レンズ交換が容易でシンクロに有利ならこのシャッター方式がもっと普及しても良いと思うがそうはならなかった。フォーマットが小さいから可能と書いてあるが、それは技術力で解決可能なはずである。当時1/60の同調が今は1/250まで来ている位なのだから・・・。合点がいかない。露出を計る方法は簡単である。考え方としては反射式の単独露出計をTTLで内蔵(バッテリーはHD)しているというのが正しい。まずファインダーを覗くと左側にメーターが見え、数字が上から0から7まで記してある。指針が光量により動く(シャッター速度に連動した平均測光)。その指す数字をカメラの絞り環に彫ってある(0−6か7、レンズによって異なる)数字に移し、終わり。つまり独自のガイドナンバー表示になっているのである。0が開放値、6がF16、7がF22である。本当の絞り値は絞り環の下(裏)側にでている。なお絞り環は上を正式なものに設定変更できる。絞り環を持ち上げて回すことにより可能である。初心者にとってはF5.6とかF2.8とかいう数字は不可解で理不尽なものに思われるのである。今はこれらの値は記号化しており、かつAE化が進んでいて問題とはされないが、当時はこのシステムは便利だと思った。しかも定点式・追針式ではなくあくまで振れた針の値を絞り環に移すという作業なので、少し手間はかかるが合理的な方法と言えよう。フィルムを巻く。すこしギクシャクした動きだが確実に巻き上がる。ここは小刻み巻き上げも可能として欲しかった。ファインダーを覗いて露出を上記の要領で合わせる。この時シャッターダイアルをセットするが前面についているのは慣れると悪くない。当時はファインダー内にシャッター速度の表示が出ないのが普通だったのでどちらにしても(上でも前でも)ファインダーから目を離して操作せねばならなかった。表示が出るようになったら何と言ってもM5式がベスト。と手前味噌の話をした上で、ペンのダイアルは節度もあり問題はない。(シャッタースピード B.1-1/500)次にピントを合わせる。中心にマイクロプリズム、周りは全面マットと平均的な仕様だが前記のごとく全体に暗く、マイクロプリズムは目が細かすぎて合わせにくいことこの上ない。ただし今そう言えるのであって、当時のレベルでは普通の範囲内であった。歳のせいで目が悪くなったことと今のものが良くなったからだと思う。試しに同時代のペンタックスSPを覗いてみると同じようなものだった。レンズのヘリコイドはスムーズで良好。絞りリングはオリンパスの伝統であるレンズの先端にあり(どうやらライカに倣ったようだ・・・OM−1はライカと同寸のボディを採用)、これも良いタッチである。半絞りのクリックはない。絞りのプレビューはレンズの左肩のボタンを押すと可能。マウントロックボタンと同じデザイン・大きさで左右同じ位置にあるため、間違えることが慣れたあとでもあった。つまり脱着ボタンの操作はカメラを前に向けているときも、こちらに向いているときもありうるので左右を間違えるのである。左右は多少シンメトリーを壊した方が使いやすいだろう。次にシャッターを切ってみる。シャッターショックはミラー、シャッターの慣性質量が小さいせいか小さい。今のフルサイズ機と同等と見て良いだろう。ただし音がやたら派手である。「バシャッ!」と金属的な音である。シャッターボタンは四角くてしかもボディに半分埋まった形なので人によっては違和感があるかも知れないが、私は初めての一眼レフだったので使いにくくはなかった。むしろフラットなボディデザインは良いと感じた。撮り終わるとボディ底面の小さな巻き戻しボタンを押し、ボディ上面の巻き戻しクランクを出し巻き戻す。少し固いのと小さいので回し易いとは言えないがストレスはない。巻き終わったのち、そのままクランクごと引き出すと裏蓋が開く。ごく普通である。総論として、ペンFTは一眼レフの成長期に色々な試行がなされたうちの一つで、得意のハーフ判で必然的にそうなること(横開きのミラー、コンパクトさ等)や、そうするべきこと(露出システム、ボディのフラット化等)をうまくまとめた物だということである。しかし、その後これから派生するモデルは出ず、オリンパスもOMシリーズ(勿論、技術的な事はOMに生かされている事はよく分かる・・・コンパクトな一眼レフの草分けだろう)に移行していった。ハーフ版=素人写真の既成概念を打ち破れなかったのだろう。後日のサムライも同じ運命を辿った。デジタルカメラの普及という別の要素もあるが高級APSカメラも同様の結果となるであろう。

次にレンズは残念ながらテストデータがないのである。すでに38mm.150mmは売却ずみなので不可能である。データを取り始めたのはこれより後、ミノルタ時代からなのである。そこで、使っていた当時の印象と残されたポジから考察してみよう。まず20mmF3.5(28mm相当)は中心部はかなりシャープでコントラストより解像力重視の設計(フォーマットの小ささを考えると当然と言える)と思われる。周辺光量はかなり落ちるがF5.6程度に絞ると問題はなくなる。20mmということで極端に深度が深く、スナップ用には良かった。レンズは全体に小さく、ライカL-Mのレンズ並と言えよう。20cmまで近接でき、かつ近接時のピントもシャープである。トプコンの2.5cmと同じく、なぜ近接させる必要があるのか不思議である。フレアは少ないがゴーストは結構細かいものが出る。38mmのパンケーキは口径43mmで厚みも約2cmと極端に薄く、沈胴させたエルマー50mmf3.5とほぼ同じである。ピント合わせはレバーが2本ピントリングの両側に出ておりライカのピントレバーとは使い勝手が違うが実用性はある。ボディのコンパクトさと相まって服のポケットに簡単に入り、私が本格的にミノルタSRT時代に入ってからは、ペンにおいてはこのレンズばかり使っていたと思う。解像力、コントラスト共に40mmf1.4に劣っていたが、サイズと比べるとそれは問題ではなく、今値打ちが出ているのも良く解る。標準ながら開放付近でやはり周辺光量の不足がある。実用上問題はないがペンのレンズは全体に絞り込む方(F8)が結果は良いだろう。40mmf1.4は35mm版換算で60mm近くになり、やや長すぎるように感じるが、その分設計に無理がなく最も良好な描写をする。フルサイズと比較は難しいが、現代のコンパクトカメラとの勝負なら勝てるだろう。フォーマットサイズは1/2だが画質的には同じスペックの35mmレンズの20%落ちと言うところか?学術誌に多く載るL〜2L程度のサイズなら何の問題もない。その後購入したキョウセラサムライもハーフながら問題なく使っている。これはパワーズームで一眼レフ、ストロボ内蔵、AE、AF、DX、モーター内蔵と便利この上ない。私は主義のせいで使っていないが、地理学者である家内の御用達である。昨年のイスタンブルの大地震にもつき合った。本人は無傷で助かり、カメラの動作も問題なかったが、接眼レンズにヒビがが入った。勿論、帰国後すぐに修理したが、京セラから「次は部品がなくなるので注意」とのメッセージ付きで戻った。サムライもまた数奇な冒険に出会うことになった。フィールドでのカメラは等しく持ち主と共に冒険の旅をするのである。沢田教一のライカやブレッソンのライカと本質的に変わらないと思う。死ぬときはカメラを握ってあの世に行きたいと思う。

自転車と共に日本一周をしたオリンパスペンFTを久しぶりに前に置き、そんなことを考えている。
20mmと40mmのレンズテストは今一度精密にしてみよう。私のHPの趣旨に反するが(AFは取り上げないと言った)サムライとで20年の月日を隔てたハーフ判一眼レフ対決をしてみたいと思う。さてさて、三月下旬からフィールドワークのスタートである!今年は「港の景観」がテーマである。12月中旬までどれだけ現地調査できるか、あと何年できるか・・・。参考に私のHPのリンクページにオリンパスの専門家のコーナーがあるので読んでみると良く解るであろう。

ペンFTを買ったばかりの1969年、地質調査でのひとコマ。古いネガカラーなので変退色著しい。

このような限定的な撮影ではフルサイズと遜色はない。舞鶴の木造船「トモウチ」の舳先。

角度を変えて。左右の非対称と特徴のある巻き上げレバーが見える。

デジタルカメラ時代になってOLYMPUS E-P1が出たとき、いずれ懐かしいPEN Fのデザインになると思って、予約で買った…しかしE-P2になってもE-P3になっても雰囲気は似せているようでもファインダーは外に出たまま、ぜんぜん違うので追うのはやめた。どうしたものかOM系はOLYMPUS E-M5からレプリカ的なデザインを取り入れて、進化もさせているのだが…μ4/3マウントボディ&レンズ(オリもパナも)は維持しているので、遠くなく考え直してほしいものだ=カッコのことだけではなく機能的にも外付けファインダーは便利とは言えない。


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