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キヤノン T80

EOSになれなかったカメラ

カメラ毎日1985/4、この号を最後に廃刊となった。この本のp208−9にキヤノンの広告ページがある。コピーは「楽写発見。」・・・キャノンT80アートロボ、4月1日に誕生・・・とある。ページをめくるとp210−11の見開きで「人より速く、人より確かに。」・・・ミノルタα−7000新発売。・・・がある。T80の敗北とカメラ毎日の廃刊が重なって17年経った今も記憶に生々しい。
それまでも一眼レフのAF化に対して様々な試みがなされてきたが、この時初めて本格的なマシンが登場したのである。その後の歴史は誰でも知っているとおり、α−7000の圧勝となった。そして他社も追随し、時代は転換したのである。キャノンの歴史的敗北により自らMFを放棄し、EOSへの道を追求した。このホームページはAF機を原則的に取り上げないことにしているが、今回はEOSになりきれなかったFDレンズ機としてのT80を採り上げてみる。
既成事実としてα−7000の方式(この広告にも「私たちは、過渡期としての妥協を認めず」という開発方針を明記している)=AF機能に徹した、そして同時にMFを前提としない新しいカメラ・・・キャノンやニコンにはその時の現行システムを捨てることが不可能であり、それが開発の停滞や失敗につながったのだろう・・・に収斂していき、各々成功を収めたのである。私も知人のカメラ選びにつき合い、最終的にペンタのSFX(ストロボをペンタ部に組み込んだ草分けの機械)を選び、試しに使ってみて感心した。今となっては笑い話だが、なんと!ピントが合うのである。暗いところへ行くとストロボから補助光が出てやっぱり合うのである。それまでのコンパクトカメラのAFをイメージしていた私にとって驚きでもあった。いやキャノンもかつてRF機の成功にこだわり、一眼レフの開発に乗り遅れたが、その時も技術で追いつき、ついにAE−1で登りつめた歴史がある。FD系を犠牲にしてまでもEOSの開発を急ぎ、また逆転し、現在は元のニコンとキャノンの君臨する一眼レフの世界に戻った。そしてミノルタが暗に批判した「過渡期としての妥協」のカメラとしてのT80は忘れ去られた。私はこのカメラをもう一度見直すことにする。キャノンユーザーとしてどうしても納得できないこととして、どうしてニコンの方式(古くからのレンズシステムを制約付にせよ使用可としつつAFの洗練を獲得する=現にニコンは達成したし、それを最近の広告では高らかに謳っている)をとれなかったのか?私は半分恨みがましく、半分不思議な気持ちでキャノンの姿勢を考えていた。おそらくT80での徹底的な敗北がなければニコン路線をとっていたのだろう。久しぶりにT80を取り出してそんなことを考えている。私はキャノンFD系をメインカメラとして使ってきたが、好きなのはTシリーズで(それまではA−1を使っていた)、発売当時のT70を広告で見、店頭で触って理想のカメラとの確信を持った。これは慎重な私としては電撃的な判断で珍しい事である。ある意味ではそれまで色々なカメラを経て、A−1にワインダーを着けて35−105mmのズームをつけて撮るスタイルになっており、便利だが合理性(本質的にAF以外はフルオートを望んでいたため、これらの組み合わせではあまりに大きく複雑なシステムになる)に欠けると感じていたことがこのT70への直感的な判断につながったとも言えよう。予想にたがわずT70はその後大活躍し、サブカメラとしてT50を買い(もっともT50はフィルム2本ほどしか撮らず、新品のまま今も眠っている)、必然的にT90も購入した。最終的にはF−1も持ったが、基本的にはTシリーズと共に10年以上にわたって全国を旅した。「カメラ談義−2−」にもあるとおり、T90と24−35f3.5ASP、35−70f2.8、80−200f4とストロボ277Tで最も多くの写真を撮ったのである。T80はその性格故、発売後すぐには買わなかったが、敗北が決定的になったあと、ある有名な中古カメラ店で半額以下で売っていたものを買った。時々あることだが、新古品/未使用新品と云って中古店に「新品」が、たぶん在庫処分(それもメーカーも絡んだ)で格安に売り出されることがある。これもその一台である。全くの未開封でしかも数台あった・・・。ともあれ入手後使ってみると、やはり最初の取っつきは、中途半端で使いづらいカメラの印象を持つ。AFはα−7000(そしてその後のAF一眼レフでも)で採用された距離計連動式と似た測距方式の位相差検出式とは異なり、コントラスト検出方式(最もコントラストが高くなる部分がピントの合った場所)で、シャッターボタン半押しでまさにピントを「探す」ようにレンズが行き来し合焦するのである。合うことは合うのだが、極端に遅く、またコントラストの低い場合合わないことすらある。後日コンタックスG−1で同じ経験をしたが、MFより遅く、不正確では最初から話にならない。発売直後の1985/7のアサヒカメラの「ニューフェイス診断室no.336」にも記載されていた。この本でもむしろTシリーズの延長線上のマルチモード一眼レフとしての評価をしていた。私の使用実感でもTシリーズのひとつとして存在し、専用のAFレンズも使えるというようなアナウンスなら(このようなレンズはキャノンにもニコンにもすでにあり、ユーザーは知っていた)存在の価値は変わっていただろう。AF一眼レフの開発合戦のためやむなくそうしたのだろうが、先の新発売の広告にAF機能が最優先に書いてあったことが失敗の始まりの、不運なカメラである。今回はあくまでTシリーズ(先にも書いたとおりT50−70−80−90すべて持っている)のひとつとしての解説をしてみたい。実際発売時の広告の二ヶ月後の「アサヒカメラ」7月号での広告ではAFを小さく、最新のマルチモード機としての機能を前面に打ち出す内容に変わっている。
まず外見はT50−70の系統のデザインであり、このあと発売されたT90がEOS−1につながる曲線を重視したものと大きく異なる。その意味では最後のキャノン伝統の直線的なデザインのモデル(初期のEOSも曲線的とは言えないがキャノン伝統のゴツゴツ感はない)とも言えよう。ボディ外板(専用ACレンズも)はプラスチックだが現在のニコンF100等と似た光学機器のような表面シボ仕上げで、他のTシリーズの滑面とは全くことなる。F100も同じだが多少の高級感はあるだろう。写真のとおり全体としては直線を多用しているが、レンズの内蔵モーター部はそれまでから出ていたFDのAF35−70mmのデザインを踏襲(ただしレンズ構成は違うので改造モデルではない)している。グリップ部も現在のものと比べると小振りで持ちやすい。T50−70が横長のデザインなのと異なり(バッテリー室がボディ右側から下部に移動した)縦が長くなった。この辺はのちのEOSにつながる。ボディ前面にはグリップ以外凹凸が少なく、仕上げとともにヘキサーRFやM5にもどこか通じるデザインで私の好みである。スイッチ類はT90やEOS系の多くのカメラと比べシンプルである。まずボディ上面左に露出制御のモードボタン、ISO設定ボタン(このカメラはDX対応しておらず、T90からなされた)、バッテリーチェックボタンと並ぶ。右にはシャッターボタンとT90以降は電子ダイアルに変わった、同じ機能のシフトレバーがある。そして液晶パネル。液晶の表示はこのカメラの特徴であるピクチャーセレクト機能を具現化した絵文字中心のシンプルなもので、その意味さえ理解できれば良好である。1985年当時は時期が早すぎ不評だったが(現在当たり前になっているセルフタイマーの丸に棒のついたマークさえアサヒカメラの診断室では批判的であった−逆に機械式のセルフタイマーを絵文字化したことは一目で判り、下手に新しく絵文字の定義付けを定着させる方に無理がある−記号化とはそういうものである)後日、キャノンお得意の露出制御としてEOSにも取り入れられてすっかり定着している。つまりシャッター優先とか絞り優先とかプログラムなどという数値制御方式とスポーツとか花とかのイメージ制御方式を併存させているのである。話は外れるがマニュアルでも各種の解説書でもこのカメラも含めTシリーズのデータバックアップ用に小さなリチウム電池が入っており、寿命は約5年で、サービスステーションにて交換する由書いてあるが、一向に寿命がつきないのはどうした訳だろうか?T70.80.90(これは二度修理に出したので替えたのかも知れないが・・)いずれも15−18年経つが問題ない。
ボタンとシフトレバーの関係は現在のEOSのボタンとダイアルの関係と同じで、操作感も悪くない。セレクトする幅が小さいので左右のスライドで充分なのだろう。プッシュボタン方式はこれまでもあったが、デジタル的な操作をアナログ的な操作で実現した現在のEOSにつながる技術だとも言えよう。レンズマウント基部の左側に小さなボタンがあるが、これは露出補正用のボタンで逆光時これを押すと1.5段明るくなる。他に補正用の仕組みがないので割り切ったのだろう。ところでレンズを外し、ミラーを見ると解説書にも取説にも書いてはいないが、トプコンスーパーDMと同じ様なミラーメーターであることが分かる。トプコンのバイアス柄とは違い不思議な曲線と直線を組み合わせた模様である。
ボディ裏側を見ると、真ん中にフィルムの箱を切って差し込むホルダーがある。最近の裏蓋に小さな窓を設けてそこからフィルムの種別を判別する方法は合理的だが、少し光線漏れの不安が残る。新しいうちはいいが、シール材の経年変化でどうなるかである。保守的だと思うが、私はT80の方式が好みである。
下部にメインスイッチがあり、ロックとセルフタイマーを兼ねる。その右に途中巻き戻しのレバースイッチがある。アイカップはT50.70(T90は別)と共用である。全体としては今のカメラに比べてコンパクトでシンプルに感じる。当時マルチモード全盛の時代で、その様式・操作が複雑なものとなっていたことに対する反省のような考え方があったのである。露出制御もシャッター優先も絞り優先もマニュアルもなく、プログラムAEだけとなった。ただしマルチモードのプログラムAEで、1.標準 2.ディープフォーカス(深絞り優先) 3.ストップアクション(高速シャッター優先の後のスポーツモード) 4.シャローフォーカス(浅絞り優先) 5.フローイング(流し取り用シャッター優先=これのみシャッター優先AEとしても使用可、ただし15.30.60.125からしか選べない)の五種に設定された。発展途上にありがちな設定や用語の不適切さはあるかも知れないが、基本的な考え方はのちにEOSにも引き継がれた。ファインダー内表示も割り切ったもので、ストロボ充電完了とマニュアル(シャッター速は1/60に限定)、撮影効果意志外表示(さきの五つの設定の効果の外になったときに出る−効果外でもプログラムであるため、自動的にシフトし適正露出になる)、手ブレまたは適正にならない時の表示の四つしかない。勿論絞り値やシャッター速度は表示されない。またもう一つ個性的なこととしてクロススプリットプリズムがある。普通のものと違い、スプリットが十字型になっており、縦でも横でも合わせられることである。MF機ではスプリット角を45度にしたり、周りにマイクロプリズムを配したりの工夫が行われていたが、T80での回答は明快であった。縦横に動くスプリット、実際にピントを合わせてみると面白い動きをする。物がモザイクのように四つに分かれていて合焦とともに一つになる。しかしこの方式も一般化しなかった。細かなものを撮るときにはマイクロプリズムの方が合わせ易いのである。マット面はTシリーズ共通のレーザーマットで明るく癖もない。ミラーメーターによる影響もない。ボディ底面のバッテリー室は蓋の開閉用のロックは作りが頼りなく(T90では頑丈なものになった)壊れたり、蓋が外れたりとの不安がある。電池は当時としては珍しい単四X4仕様である。コンパクトで良好である。ただしこれでフィルム給送とAF作動その他をすべてまかなうので、使うとすぐにバッテリー交換となる。「アサヒカメラ」では単四が一般的でなく調達に不安があると述べているが、キャノンはオモチャで実績があり、性能に対する信頼性もあり問題ないと答え、その通りとなった。キャノンの先見性が上回ったのである。しかしこれも一般化せずにT90では単三に戻った。これ以降カメラは電気を食う方向にばかり進化していったのである。これに限らずバッテリー問題はそれだけでひとつの文が書ける話題だろうからいずれ考えてみたい。
さて撮影。これはキャノンの意図どおり実に簡単である。電源を入れる。裏蓋を開ける。フィルムを入れる。DX対応でないのであとでISOボタンで設定せねばならないが、オートローディングは他のTシリーズと同様確実でスムーズである。そして(今回は専用のAC35−70mmF3.5−4.5での操作を想定する)ファインダーを覗き、シャッターボタン半押しでAF作動の開始。なかなか合わないが合うと合焦音がピピッと鳴ってOK。Pマークがファイダー内に表示されていると露出もOK。Pマークが秒一回点滅するとシャッター速度が1/90未満、秒二回点滅すると1/30未満、八回だと適正露出が得られないという意味である。先ほど述べた撮影効果意志外表示は菱形マークで出る。これは案外不便なもので数値が出ないためどの程度効果から外れているかが分からず、飾りに近いものである。専用レンズには絞り環もついていないが、FDレンズでAから外れているとMの表示が出る。これはT80がAE専用機であるため、マニュアル撮影用と云うよりもマニュアルセッティングへの警告用と解釈できる。次にシャッターを切る。シャッターショックは小さいが音は大きい。T70同様モーターのトルクが小さく作動がゆっくりとしており、余計に音が大きく感じるのである。「バシャン!ビューン」である。お世辞にもデザインされた音とは言い難い。最近のカメラはアナウンスこそされていないが、音や作動感も性能とは別にユーザーの好みに工夫されているのだろう。良いこととも言えるし、コストを本質的なところにかけて欲しいとも思う。露出モードはモードボタンを押しながらシフトレバーを左右に動かし設定する。操作により絵文字が変わる。この意味が分かりづらいとの指摘があったが、慣れの問題であろう。慣れると早い判断で操作できる。直感に頼る方式に絵文字は理に叶っている。シャッター速度はいくつで、絞りはいくつ、EV値は・・・。と数値的に考えて撮る人には向かない。このカメラにはAEそのものがそういうものであるとの割り切りがある。私個人はT90のようなコントロール可能なAEが好きだが、実際フィールドで撮るときは単純なプログラムで撮るか、局面によって絞り優先かシャッター優先をたまに使うといったところである。じっくり構えられる時以外は複雑な操作はかえってじゃまになると思う。矛盾した表現になるが、RTSVが可能にも関わらずプログラムAEを廃し、撮影者をしてAE時もコントロールさせる方式にしたのはポリシーを感じ好感が持てる。つまり割り切ったT80もいいし、どうしても考えさせるRTSVもいいと思うのである。全ての機能を備えた「満艦飾」(=帆船用語)は考え物だと思っている。現在私が最も多く使っているカメラはM6(当然マニュアル)とヘキサーRF、TX−1(AEオンリー)である。要するに完全マニュアル方式とフルオート方式の棲み分けが、メインとサブのカメラのあり方ではないかとすら思っている。
さて専用ストロボ277Tなどを使うと自動調光で破綻なく撮れることも記しておこう。277Tは特に使いやすく10年の間に二台使い潰した。故障が多いとも言えるが専用品としてはゆるく作ってあり、他のメーカーのカメラでも外光オートストロボとして使え、発光の補正もし易く、あらゆるカメラ・局面で使用した。さてレンズに移る。ボディと同じ仕上げの形の良いレンズで、操作もし易い。AFスイッチが上面左にあり、マニュアル、サーボ(後のコンティニアス)、ワンショットと三段になっている。右に合焦速度を上げるためか、AF範囲のスイッチがある。M(マクロ・39cm)〜INFとM〜0.8、1〜INFのふたつのポジションになっている。行ったり来たりの多いこのAFのためには必然的なことだったのだろう。ズームレバーも普通に構えたときに自然に中指がかかる場所にあり、指の曲げ伸ばしで70−35の間を移動するようになっている。マニュアル時のピントリングは鏡胴内に納まっており、左右二ヶ所の切り欠きからつまんで回す。それ程操作しにくいという訳ではない。先にも書いたとおりFDマウントながら絞り環はない。試しに他のFDボディに取り付けるとAF以外問題なく、絞りのA位置にしているのと同じである。さてこのレンズの定格であるが、AF駆動のために軽い必要があり、その時の現行品ではなく、ひとつ古いタイプの35−70のレンズを基本に作られた。この時は今のようにプラスチックレンズやガラスモールド製法は未導入であったことが理由であろう。そのような訳でマルチコーティングとは云ってもその時のものではなくパープルとアンバー系の旧FD時代のスーパースペクトラコーティングである。描写自体は70mm時に糸巻き型の歪曲が目立つ他は問題はなく、同時に持っていたFD35−70mmF2.8−3.5に遜色はない。逆光時も大きな破綻はないようである。細かなテストの暇がないので、詳細は次の機会ということにさせていただく。

さて、一般のFDレンズを着けての撮影である。マルチプログラム専用機として構えると、これも違和感を持たない。シャッター半押しでピント操作をすると、合焦時ピピツと鳴ってフォーカスエイドとなる。普通の場合はたいしたことではないが、この時代だと軽い遠視、近視の人が裸眼でピント合わせをするときには大きな力となっただろう。
総論として、このカメラはTシリーズの自動化路線のひとつの形であり、AFも使えるマルチプログラム機としての位置づけが正しいだろう。キャノンも「T50の上級生で、T70とは同級生・・・」と記述しており、T90で完結した(そしてMFキャノンは終わった)ということだろう。しかしその時代の評価とは異なり、本質的な機能や次世代機へのグランドデザインが盛り込まれた、画時代的なモデルと言えよう。再評価をせねばならないだろう。最初の話に戻るが、この時α−7000が同時に出たことが不運の始まりである。しかし残念ながらもう17年も前の話である。

小浜・西津の造船場のオヤジと語らう。皮肉にも暗いところではピントが合わないためマニュアルフォーカスである。結局AFを除けばT90の簡易版となり、それなりの洗練があったと思われる。

専用の革ハーフケースを取り付けている「アートロボ」。

参考文献:「カメラ毎日」1985/5
     「アサヒカメラ」1985/7 『ニューフェイス診断室』
キャノンT80 取扱説明書


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