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エルマリート90mmF2.8

 ライカレンズの新旧比較

いま私の机の上に2本の90mmのライカMマウントレンズがある。銀色に光っているのがエルマリート90mmF2.8の最初の型で(1959〜1974年製造。これは1960年製)、黒い方が現行品のエルマリート90mmF2.8(1990〜。これは1998年製)である。いずれもフードをつけた状態(伸ばした)である。40年近い時を隔てて、一体どこにどのような変化・改良があったかを考えてみつつ、旧式となっても愛し続けられるライカレンズの魅力を論じてみようと思う。以下は「旧」と「新」で呼び分ける。
 旧のデザインは同時代のヘクトール135・エルマー135と同じく距離環と絞り環がレンズの先に偏って付いており、フードを付けていないと少し間が抜けた印象もあるが、写真のように純正の「12575」フードを取り付けると俄然さまになってくる。これは上記2本の135mmレンズでも同じである。レンズ基部の黒のグッタペルカ、銀の鏡胴、黒いフードのコントラストが美しい。全体にブラック仕上げのモデルもあるが、私は上記のような理由で銀色のものが好きだ。このレンズはかなり使い込まれたもので銀色のアルミ系の部分は相当に傷がついている。私は新品同様のクラシックレンズよりある程度使い込まれた物を好む。勿論、機構やレンズそのものに破綻のあるものは別であるが、そうでない限り40年ならその年数の年輪の刻まれたものに安心感がある。
 一方、新のデザインも悪くない。一般的には同じデザインのテレエルマー135mmの現行品と共に風評は良くないが、私はそうは思わない。見た目や仕上げの美しさでは旧に一歩及ばないかも知れないが、人間工学的な機械としての美しさはこちらの方が上かも知れない。絵や彫刻と違って機械には使いやすさとつながった、あるいは無駄を排除した機能美といったものがある。その意味ではレンズ鏡胴の前寄りに配置された絞り環、ヘリコイド環の旧より、よりボディ側に近寄らせた新の配置の方が使い良いと云えなくはない(「ライカポケットブック日本版」Dennis Laney編 田中長徳訳−アルファベータ社刊のテレエルマー135mmの解説のところに『Mシステムのレンズの中でもっとも人間工学的な満足が得られる』と書いてある−この本はそのような感想をほとんど記さない編集なのだが、特別にそのような賛辞を書いてあることに意味がある)。M6に着けて比べてみるとすぐに分かる。旧は右手でボディを支え、左手でレンズを抱えるようにして持つと、自然にヘリコイド環と絞り環に指が行く。対して新では右手は同じとして、左手でボディを下側から支えつつレンズを操作しようとすると、自然にヘリコイド環・絞り環に指が行く。広角や標準と同じ構えで写すなら新がいいだろう。135mmやズミクロン90mmは長く・大きいので、レンズを掴むような持ち方となるが、エルマリート90mmぐらいの大きさだと意見の分かれるところであろう(私自身は実のところ旧の方が好みだが)。新はフードも引き出し式の現在最も一般的な方式となっている。これも機能的には別体式より優れているだろう。脱着の手間やコストを考えると当然の選択となろう。確かにレンズコーティングや鏡胴の内面反射の改良が進んでいなかった昔なら深いフードも必然性があったろうが、いまなら浅いフードで充分である。ヘキサーKM90mmも同じスタイルを選んだし、一眼レフのレンズの多くも同じである。無駄のない「機能美」−私がデザインして図面を引いても現行品と同じようなモノとなるだろう。がしかし矛盾ではあるが、それでも私は撮影時に旧の方を選んでしまうだろう。なぜだろう? 懐古趣味ではない。他の人の意見に左右されているのでもない。描写性能とも関係ない。この秘密は次の通りと推測する。
 私は知りすぎている(知りすぎると時として目が曇る)ので家内(写真は撮るが機材に関心はない−要するにキチンと写れば良い派)に聞いてみた。「どちらが良い?」・・・旧との答。理由は「クラシックなデザインで良い」−これは好みの問題だろう。もうひとつ「他にない独自性がある。新はどこにでもあるデザイン」−ここに本質のひとつがある。つまり新は機能や性能・コストなどを追求した「進化」の結果のもので、結局どのメーカーでも到達した現在の合理的な結論がデザインに表れているのである。単にメーカーの都合だけを云っているのではない。多くの人にとって使いやすい「機能的な」デザインなのである。一方新より40年も古く、エルマリート90mm最初の型の旧は手本のない、いわゆる「草分け」なのである。最初に90mmF2.8のレンズを作るときに、その時の技術者がその時の技術や使い方を考え、デザインを決めたもので、当然ながら最高の機能美には到達してはいないだろうが「このボディのこのレンズ」として作り出されたものなのである。ライカMは時まさにM3.M2の時代。その後他社は大きくカメラを変化させたが、ライカMは一部を除き今のM6TTLでもほとんど同じボディデザインのままである。単にノスタルジックな興味だけではなく(それもあろうが)実質的に使い勝手においても現行品に劣るものではないのである。試してみると(M6で)TTLでの測光−絞り環の操作時以外はむしろ旧のほうが良いように感じられる。新旧のデザインに関しての結論は引き分けである。多くのメーカーの製品は進化の速度と度合いが激しく、このような議論は起こりにくいだろうが、ライカの世界は先進性(勿論当時の)と保守性(現在の)が同時に存在している証の不思議のカメラである。今回は工業デザインと機能美について考えてみた。
 さて仕上げである。旧は各種ライカ本ではクロームメッキ仕上げ(ロットによって異なるとも書いてある)と書いてあるが、おそらくそうではないだろう。ルーペで細かく観察すると、アルミ系の素材にアルマイト処理をしてブラストで梨地仕上げとしている。私のレンズは傷だらけなのでよく分かるのである。クロームというのは単に色の問題であろう。ターレットや文字の加工は素材の強度と関係あるのか、同時代のズミクロン50mmと比べて簡便である。ターレットの刻みの角度や大きさがズミクロンでは多少変えてあり(おそらく指がかりの強くなる場所と弱い場所で変えてあるのだろう)こちらでは均一となっている。文字の彫りも浅く、ズミクロンのようにきちんとした面取りもしていない。ただし新に比べると格段に手がかかっていることは慌てて付け加えておく。距離目盛はいわゆるダブルスケールでfeetが前で赤く表示され、mが後ろで黒文字になっている。レンズ基部のバルカナイトもしっかりとしており破綻はない。絞り環は2.8〜22でクリックストップつきだが中間絞りにはクリックがない。タッチは同時代のズミクロン50mmと似たタッチで極めて良好。表示は広角や標準と異なり鏡胴に余裕があるせいか、どれも見やすく好ましい。どのレンズでも言えることだが、旧は新に比べて距離環の回転角が大きく、その分距離目盛が細かくなっている。エルマリート90mmでも新は∞の次が7mそして4m−3m−2m・・・となっているのに対し、旧では∞−20m−10m−7m−5m−4m・・・である。別にこれを見ながらピントを合わせるわけではないので不自由はないが、広角で目測撮影をするときには多少の影響があるかも知れない。
 さて新の仕上げはどうだろう。ブラッククローム仕上げで極めて堅牢に作ってある。真鍮ではないようだが明らかに旧より比重が大きくずっしりとしている(重さ旧350g−新410g)。ついでに大きさの比較をしておくと、レンズ長は、旧86.8mm−新76mm。最大径、旧52mm−新56.5mmでひとまわり新が小さい。写真のように実際にフードを取り付けた(伸ばした)状態だとずいぶん大きさが違い、上記のデザインの話とは別にコンパクトさをとるか、軽さをとるかの選択がでてくる。撮影の目的と本人の技術によって決めれば良いと思われる。ターレットの仕上げも今の標準的なライカレンズのものであり、操作感は良好。ヘリコイドは少し重いが、使い込むともう少し軟らかくなるだろう(私は恥ずかしながら90mmは旧かズミクロン90mm、テレエルマリート90mmの3本を使うため、このレンズの出番が少ないのである=教訓。同じ焦点距離のレンズはよく研究し特徴を違えたもので、せいぜい3本までとしよう。ただし最低2本は持った方が良い)。絞り環のタッチは、これも今のライカレンズの多くと同じで「カタンカタン」であり、旧にかなわない。しかし半絞り位置でのクリックストップがあり、使い方によっては便利である。内蔵フードの伸縮はスムーズで問題ない。フィルター径は46mm(旧は39mm)である。全体に寸胴でガッチリとした印象である。
 さてレンズを覗いてみる。旧は3群5枚構成でトリプレットの2群目と3群目が張り合わせになっている。全体としては凸凹凸となっており、古いタイプの非テレタイプのレンズである。新は最近の標準的なタイプの4群4枚構成のエルノスタータイプである(テレタイプではないがレンズ長を短くできる)。やはりトリプレットの変形タイプで1枚目と2枚目の間に曲率の小さな凸レンズを1枚置いたもので凸凸凹凸と並ぶ。コーティングは旧がマゼンタ・アンバー・パープルと色々な色が混ざっているが全体としては赤味が多い。新はマルチコートでなんとも言い難い派手な色でやや緑が強い。絞りは旧が12枚でどの絞り値でも真円に近い。新は9枚で少ないがこれも真円に近い。絞りで面白いのは旧の絞り羽根が1枚目のレンズの直後にあり、エルマー50mmF2.8の時にも述べたように、絞りを開け閉めすると、相手から人間の眼のように明るさでアイリスが変わるように見えることである。「まばたくレンズ」。
 最後に描写について。どちらも写りは良い。総じてライツ=ライカのレンズは広角と比べ、標準〜望遠が良く、この2本も例外ではない。新は開放では少しゆるいものの、F4以上ではコントラスト・解像力ともに最高レベルになり、あとは深度が深まっていくだけである。色もほんの僅かに暖色系だが、古いライカにある独特のものではなく問題はまったくない。ボケ味も癖がなく、ズミクロン90mmに比べて固すぎなく、使いやすい良好なレンズと言えよう。ところが驚いたことに旧のレンズもほとんど同じ結果を出した。勿論コントラストは新よりやや低く軟調の描写ではあるが、解像力だけで見るとF4から周辺まで新と変わらぬ良好さで、ボケ味の軟らかさは一段上と云えよう。ただし個体差はある。実は私は旧のレンズは2本目で(1本目はテスト終了後、ヘリコイドが壊れ返品とした)最初のものは年式が新しいにもかかわらず周辺が甘く、最低F8にはしないと全面にピントが来ずに、かつ色も暖色が強かったことを報告しておく。新旧両方を比べて個性の差はあっても、ほとんど互角といえ、40年の月日は何だったのかとも思う。あえて新の進化を云うと、逆光時の画質低下が少なくなったことと、コントラストがやや高くなったためコントラストの低い悪条件下での使いやすさと云えるだろう。旧の良さはM6やM5に取り付けたときのバランスの良さと、軟らかくて線の細い描写(これが個性的である)にあるのだろう。

 最後に新旧比較をまとめると、「カメラ談義23」で取り上げたエルマー50mmF2.8と同様、結果は引き分けで、旧モデルも充分実用的であることが分かった。あとは使い手の選択に委ねられる。今も昔も素晴らしいレンズを供給しているライカに敬意を表したい。

M4−2に取りつけた。テレタイプではないため、これだけの長さを持っている=テレタイプの135mmと同じぐらいだろう。

M4−Pに取りつけた新エルマリート90mmほとんど完成の域に達しているレンズだ。

どちらにせよ90mmクラスは激戦区である。あと私は以下のレンズを持っており、長焦点であるために良い性能が出しやすかったのだろう、どれも高性能で個性もそれなりに多様である。一般的に広角〜標準がレンジファインダー機の適正なレンズ(使用から見ると当然そうなる)だと云われていることとは別にして、90mmクラスに面白さがあると思っている。いずれまた別のレンズも解説しよう。

1. ジュピター85mmF2L b 1987
2. ニッコール85mmF2L c 1950−55?
3. ズミクロン90mmF2/2nd b 1977
4. テレエルマリート90mmF2.8/2nd b 1981
5. エルマー90mmF4 c 1958
6. エルマーC90mmF4(CL) b 1973
7. ロッコールM90mmF4(CLE) b 1983
8. ヘキサノンKM90mmF2.8 b 2000
9. キャノン100mmF3.5L(タイプU) p 1952−60
10. ニッコール10.5cmF2.5L p 1954−63
11.エルマー90mmF4 c 沈胴 1954
12.アポランター90mmF3.5 b 2001
13.キヤノン85mmF1.9 C 1955?
14.キヤノン100mmF4 C 1948?
15.ズミクロン90mmF2/3rd B 1983
16.テレエルマリート90mmF2.8/1st B 1968
17.コムラー105mmF3.5 1957−64
18.エルマー90mmF4/トリプレット 1965

参考までに、左からMロッコール(CLE)、エルマー、エルマリート(現行品)、ズミクロンの各90mm

「能登にて」−曇り日の夕方。最悪の条件でも軟らかいトーンや線の細い描写に破綻はない。M5+旧エルマリート90mmF2.8(F4で撮影)+KR

非常に美しいelmer 90mF4 トリプレット。

*サイズその他のデータは実見と下記の資料を参考とした。

朝日ソノラマ「新M型ライカのすべて」中村信一著/アルファベータ社「ライカポケットブック日本版」田中長徳訳
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