home top

キヤノン 35mmF1.5

最初のLマウントレンズ

今回は私が最初に手にした「ライカ」であるCLに着けていたキヤノン35mmF1.5を採り上げよう。写真はその時のセットのままである。改めて見ると25年よくもってくれたと感謝したい気分である。
既に入手までの詳しい話は「カメラ談義」のCLの項で述べているが、再度簡単に書くと学生の時後輩から「父から貰ったが使い方が分からない」と云うので、当時持っていたトプコンRE−2(標準付)と交換したキヤノン7にこのレンズが着いていた。私が写真を始めた1960年代終わり〜70年代始めにはまだキヤノンのカタログに7Sとそのシステムが載っていた事をはっきりと憶えている。しかし当時の気風としてRF機は時代遅れで(それもあってライツは事実上の倒産をした)一眼レフが理想のカメラであると信じられ、若い私も全く問題にしていなかった。事実キヤノン7を少し使ってみたが写しにくい事この上なしだった。しばらく忘れていたが、後日友人と共に「なんとか買える」ライツミノルタCLの生産終了直前の駆け込み購入のボディに取り付けられた。すでにフリーカメラマンになっていた私はこの組み合わせで充分満足し、仕事とは別の「散歩カメラ」としてブラブラ歩いているときに使った・・・写真が好きなので仕事以外でも趣味で撮影はしていた(今もそうだが)のである。レンズが大きく重いのでCLとのバランスは悪かったがそれも気にならなかった。一眼レフに比べると軽快で高級なオモチャカメラという印象だった。
そのような訳でスナップ専用にしていたが、その時のレンズの印象を今から思い出すと軟調で解像線は細いが逆光で派手なフレアが出る、少し使いにくいレンズと感じていた。その時は昔の(と云ってもその時は10数年前程度)技術の粋をつくした高価なレンズとは意識していなかった。逆にどうしてF1.5なんて無理をしたのだろうと不思議に思っていた。当時一眼レフの35mmレンズはF2.8−3.5が普通で、それより明るいレンズもあったが必要性は感じなかった。撮影してみて当時の最新の広角レンズと比べて逆光に弱く、旧式の明るさだけを狙った無理な設計のレンズだと思ったものだ。厳密なテストをして、どういう条件で活用できるかなどと考えもしなかったし、その必要性もなかった。ただし一眼レフのレトロフォーカスレンズと比べて異なる描写になることは意識しており、完全逆光を避ければそれなりに優秀な性能であることも分かっていた。それから20年・・・散歩用のカメラとして時々使われ(ライカよりは少ないとしても色がやや濁り易い傾向があったため主としてモノクロ)、MF一眼レフの衰退やフィールドワーク用の必要性・必然性とともにライカに開眼したあとは、このCL+キヤノン35mmからの展開が重要となったのである。ライカの世界に入ってからは正直言ってそれ程使う機会はなかったが、これらがなければライカの世界に入るのは大幅に遅れたことだろう・・・恩人・・・CL購入の時かなり無理に誘ってくれた友人と共に。その機能から見て当然だが、一眼レフ時代は撮れるものを見えるように撮るという姿勢だった。しかしRFに慣れるに従い、その先にある「見えないものを撮る」ことの可能性に40歳を越えて到達せしめてくれたのだ。勿論「完成」にはほど遠いが、フィールドで動きがとれにくくなるだろう15年先までの撮影の方向をも指し示してくれている。別に格好を付けているのではない。私にとってはそれ程重要な「コペルニクス的転回」だったのである。今はどうしても必要な場合や遊びの気分の時に中判その他のカメラを使う以外、仕事も作品造りも散歩も、ほとんど各種様々のライカ系のカメラで撮るようになった。時々「仕事でもライカですか?」と不思議そうに質問されるが、たぶん現代一眼レフのオールマイティさが、仕事での合理性につながると云うことなのだろう。私も一般論としてはそう思うが(人に相談をされれば、今ならニコンFM3でも勧めるだろう)事は表現に関わるものなので簡単には説明できない。隠すなどと云う姑息な話ではなく「私の」写真の世界の出来事なのである。それまでの私の写真にたいする考え方とは全く異なる「距離感」「空気感」「質量感」などの表現・・・自己の内面と対象物は明確に区別することはできない。本質は私の内と外にあり、カメラがその接点に位置している・・・道具は重要な要素ということだけははっきりしている。
さてさて話は意外な方向へ行ってしまったが、ここで云いたいのはこのレンズが新しい展開の結節点になったという事である。
さてレンズの話に戻そう。
このレンズはキヤノンのLマウントの35mmレンズとしては最高の明るさを持ち、1958年8月にズミルックス35mmF1.4の1961年に先駆けて発売された。なお同年ライツからズミクロン8枚玉とズマロンの35mmF2.8がカナダとドイツから発売された。ライツはワイドでは慎重だった(というより弱かったとも云えよう)=すでに世界のライカとなっており、常に他社に勝ることが期待されていたのも事実である。理由はともかく35mmはF2.8と共にライツに先んじて発売されたのである。そしてF1.5はキヤノンRFの終焉期(7S−1960年代末期−70年代初頭)までカタログに載っていた。他のキヤノンLレンズと異なり、タイプはひとつで最後まで作られた。サイズは、径56X長29mm/質量185gとズミルックスより一回り大きい。レンズ構成は4群8枚構成の少し贅沢なガウスタイプである(4−6が基本で、ズミルックスでも5−7である)。値段は定価35000円で、同じキヤノンの35mmF2が同時期に19000円(ちなみに同時期のニッコールS35mmF1.8は27000円)だったことを見ても高価なレンズと云えよう。現在の中古価格は程度上で7.5−8万円ぐらいとかなりのインフレ率である。今、ヘキサノンKM35mmF2やウルトロン35mmF1.7Lが新品の実勢価格で、このキヤノン1.5を下回っていることを考えると販売上は不利で価格が多少下落する可能性がある。
さて外観から眺めてみよう。印象としては径(フィルター径は48Φ)が大きく、実際のサイズより大きく感じる。この年代のキヤノンレンズの意匠を踏襲していわゆるパンダ仕様である。マウント基部から見ていくと、まず真鍮にクロームメッキ梨地仕上げの細い環があり、ここに被写界深度目盛がきちんと彫ってあり、F1.5−2.8−5.6−8−11−16が表示されている。その上が距離環で基本はアルミ系でできているが構造は3つの部分になっている。まずはアルミの梨地で距離目盛が彫り込んである。いわゆるシングルスケールで、このレンズではm表記である。無限遠から1mまでで180度を超えるヘリコイド回転角はかなり大きい方であろう。この上に真鍮+クロームメッキのピントレバーの環がある。そしてその上に極めて良好な仕上げの黒のヘリコイドリングがある。この位の大きさのレンズにはピントレバーとピントリングを併用するのが、回転角の大きさとも相まって妥当だろう。私はピントレバー派だが、一般的にはリングの方が使いやすいのかも知れない。その上にアルミ梨地仕上げの絞り環がある。左からF1.5−22までのクリックストップ付の等間隔絞り値表示があり、使い勝手は悪くない。しかしリング径が少し細くなっていて、カブセ式純正フード(このフードは中古がほとんどなく、汎用フードだと前玉が大きいためケラレる)を付けるとヘリコイドリングとの間に挟まれて操作性は悪くなるだろう。その上のレンズ先端部はやはり黒で(私はフィルターを純正のシルバーの物にしている)色やデザインが交互に変わる。パンダ仕様と云うとセンスの悪いものもあるがキヤノンのものはバランスが良く、ブラックボディにもクロームボディにも合う好ましい意匠と感じるがどうだろうか?
レンズは4群8枚構成、少なくとも張り合わせ面は2面以上あるが構成図(おそらくはガウスタイプ)は分からない。コーティングは1面がパープル系以外はアンバーコートである。前玉は大きいが後玉は更に大きく、ズミクロン35/7に似ている(おっとキヤノンが先にできているのでズミクロンが似ているのだ)。絞り羽根は10枚だが、真円にはならず開放−F8までアイリスは10角形のまま小さくなる。それより上は丸くなるが、ゴーストが出たとき10角形になり、点光源があるとき光芒がこの角に沿って出るため、影響があると云えばあるのだろう(これは回折とは別)。絞り羽根は枚数ではなく形と設計が肝心である。
次ぎに描写に移るが、これがまた難しいのである。昔の大口径レンズにありがちな設計に無理をした「癖」があり、ズミルックス35の事で以前に写真家からの改良の希望に対して「非球面」導入以外に改良は難しいとの発表があり、事実数年後そうなったいきさつを考えると、この時代の35mmはF2が限度でそれ以上の明るさは「癖=収差の補正不足」を生み、それがまた「味」にもつながったのだろう。ズミルックスと共にミステリアスなレンズである。技術進歩の遅れが後世の楽しみになるとは皮肉な結果である。研究室で格闘していた技術者のことを思うと頭が下がる気持ちである。
撮影してみると、ズミルックスと比べて中心部で少し落ちる代わり周辺部で勝り、平均すると画質としては同じぐらいである。相対的な言い方しかできないが、まずは他のキヤノン35mmレンズと同じくフラットフィールドなレンズと云える。周辺光量はかなり落ち、絞りF5.6までは少しずつ改善されるもののこの傾向は残る−F8でまず目立たなくなる。ピントは開放から中心部はピシッと来て、絞るに従ってその範囲が広くなっていく。古いレンズらしくF8まで絞らないと周辺までピントは来ない。それでもズミルックスよりも浅絞りでは(F5.6程度まで)ピントの合う範囲は広い。ボケ味はズミルックスよりは固いものの、一眼レフの一般的な35mmレンズと比べると甘く溶けるようなボケ味が味わえる。しかも中心のピントはコントラストは低いが線が細く、甘い(マイルド・・・ピントが甘いのではない)描写が持ち味である。それでいてズミルックスほど温調ではなく、色彩はクールである・・・条件によってシアンが勝ったり、マゼンタが勝ったり・・・抜けるようなクールさとは異なる色調である。ピントもズミルックスのように絞りや条件で激変する特性ではなく、マイルドな味から絞るに従い普通のレンズの描写に緩やかに変化していくのである。別の言い方をすれば、とらえどころのない頼りない個性とも云えよう。色調も青紫方向に濁りやすいとも云えよう。しかし実用の中ではF5.6まではこのレンズの味が楽しめることも事実であるし、それ以上は普通の破綻の少ない性能を保っているとも云える。以上は美点とも欠点とも判然としない性質であるが、明らかな問題点もある。キヤノン35mmF2.8でもあったことだが、更に重篤な逆光時の性能の低下である。半逆光や輝度差の大きな状況の疑似逆光(とでも云っておく)では問題ないが、完全な逆光(つまり太陽高度の低い時、画面内やすぐ外に太陽があるような場合である)ではフレアやゴーストが賑やかに出て、しかも同時に画質そのものの低下が著しい。これは工夫でなんとかなる性質ではなく、諦める他なさそうなレベルと云っておこう。フードで緩和することも考えたが、上記の通り純正(W−50)が入手困難で汎用品は画面の隅がケラレるのである。この点はズミルックスのフレア・ゴーストは我慢できる範囲だと思う(ただし個体によってはもっと逆光特性の悪いズミルックスもあるようである)。コマ収差はズミルックスより良く補正されており、これが周辺の差につながっているのだろう。ズミルックスとの比較でずいぶん違うところを強調したが、実は35mmレンズの中ではこの2本が最も良く似ていて他のレンズはもっと距離があるだろう。
使い込むともっと深いところまで到達できそうな、夢のあるレンズである。キヤノンの50mmF1.2/85mmF1.9あたりと組み合わせて、もし使いこなせたらライカとは別のレンズの世界が拓けそうである。

ズミルックス35mmf1.4とキヤノン35mmf1.5の比較。ふた回り大きいのが分かるだろう。仕上げはこの頃になると互角になってきている(ただし安価なタイプのキヤノンLレンズはかなり落ちると見てよい)。両者の性質は似ていると云えばよく似ている。

2枚ともCLを買った当時の1976年秋、京都の上賀茂あたりの植物園にてキヤノン35mmF1.5で撮ったもの。フィルムはフジのSSである。ここに登場する子供達も今は40代になっている。この程度の逆光・輝度差なら大丈夫である。トーンのマイルドさが多少なりとも伝わるといいが・・・。

近所の神社の節分のお供え。F2程度で撮ったがボケ味は自然で甘い。ズミルックスならこれより更に軟らかくなる。シャドウが青紫に偏っているのが伝わるだろうか? M5+キヤノン35mmF1.5+EB

M5+キヤノン35mmF1.5の図。純正フードを取りつけると更に堂々とする。M5、それもブラックにピッタリだ。このレンズには純正フード(めったに見つからない)でないと使えない。つまり汎用品だと前玉が大きいのでケラレてしまうのである。汎用品の28mm用だとなんとかなるかも知れないが。

*レンズデータはキヤノンの公式サイトから引用した。

nagy

home top


copyright nagy all rights reserved

inserted by FC2 system