home top

キヤノン P

私のキヤノンボディ

今回はもっとも営業的に成功し、たくさんの人に愛されたLマウント(キヤノンではSマウントと呼んでいる)ボディのキヤノンPについて語ろう。
キヤノンレンジファインダーカメラの歴史については、朝日ソノラマ クラシックカメラ専科45「世界のライカ型カメラ」同54「ライカブック2000」の宮崎洋司氏の論考をぜひ参照されたい。それほど長い論文ではないが、極めて要領よくまとめられている。更に「ライカブック2000」にはキヤノンRF機の中でも最も売れたPと最終型の7Sを論じた文章もある。
概説すると、それまでバルナックライカに追いつくために努力をしてきたキヤノンが、ついにWシリーズ(ニコンはSで)であと一歩まで到達した。そして1954年のM3ショック。ニコンはS2−SP−3と独自の道を歩んだのと同じく、しかし別の選択を採ってキヤノンは次世代のRF機に発展せしめた。Vシリーズである。カンノンの時代から採用してきた8角形断面(これは一眼レフのA−1やN・F−1まで続いた)は踏襲しつつ、バルナックコピーから脱してよりモダンな一眼式レンジファインダーを完成させた。そしてニコンとキヤノン以外のライカ型カメラは開発に付いていけず徐々に消滅した。1956年のVTから3年ほどの間にL型、VI型とレンズと同様にモデルチェンジ(実態は改良の連続)を矢継ぎ早に行った。そしてニコンとの営業的な競争に終止符を打ったP型の登場である。性能や好みは別にしてこれらの価格を記す。
ニコンS2 1954−1958 50mmF1.4付き 83000円
   SP 1957−1965 同 98000円
   S3 1958−1960(1964と2000に再生産) 同 86000円
   S4 1959−1960 同 62500円
キヤノンXT 1956−1957 50mmF1.8付き 82000円
    XT−D 1957−58 同 82000円 F1.2付き 115000円
    VIT 1958−1960 50mmF1.2付き 99500円
    P 1959−1962 50mmF1.4付き 52700円
    7 1961−1965 同 49500円
    7S 1965−1968 同 48500円
となっている。見るとすぐ分かるように、S2からS3までは似たような価格で推移していたが(ただしニコンは上記のみだが、キヤノンは低価格のLシリーズがあってS2の時代から不利であった)カメラの大衆化にともなう低価格化への対応としてニコンはS4が精一杯で、機能的にそれほど違わない内容であれば勝負は決まった。P(ポピュレールの略・・・なんと暗示的な命名だろう)の爆発的な売上により、その後のキヤノンのRFフラッグシップ機も安価に供給できたのだろう。かくしてS4は5900台しか作られず、Pは90000台を越える生産となったのである。更に7は120000台を売った。
時代的には前の「カメラ談義」で解説したS2とは異なるが、S2から基本的に変化のなかったS4と同じ時代のキヤノンPを見比べてみるのも面白いだろう。
さて歴史の勉強はこのくらいにして実際にボディに触ってみよう。
大きさ重さは、ボディW144XH76XD32.5mm/上の写真の50mmF1.2との組み合わせで940gである。やはり総金属製カメラで結構重い。仕上げのクロームメッキはニコンと似ていてライカM3などより光沢が強い。強度は充分でライカより傷は付きにくいだろう。貼り革の強度もあるようで、ある程度使い込んだカメラにも関わらず痛みは少ない。しかし実用的には何ら問題ないとしても、ライカMのグッタペルカのような重厚な手触りは望むべくもない。ホールディング感はライカを手本に作っているので当然とも云えるが、ライカから持ち替えても違和感はなく悪くない。ただしボディサイド(角張っているのは問題なし)の右にバックドアのヒンジが、左に開閉ノブがあり、これがホールドしている掌に当たり、慣れるまでは違和感を持つ。普段はそうも思わないが、ライカのボディサイドの丸っこさが有り難いと感じる。ただしニコンS系カメラよりはボディ回りのでこぼこが少なく持ちやすいとは云えよう。
さてフィルムを装填する。ボディ下面左のキーを回す。何もこんな凝った造りにしなくてもいいと思うのだが、これはライカやニコンのような開閉キーではない。これを回すことによりバックドアの開閉ノブのロックを解除するのである(右側には三脚取り付け用のネジ穴がある)。このあとボディサイド下部の開閉ノブ(爪と云う方がいいだろうか)を下に引くとドアが右へ大きく開く・・・現代の普通のカメラと同じだ。そして巻き戻し用のクランクシャフトを上にずらし、フィルムを装填する。あとは普通のマニュアルカメラと同じくフィルム先端を巻き取り軸のスリットに差し込み、パーフォレーションを巻き上げのギアに噛ませて少し巻き上げ、蓋を閉める。ロックが自動で掛かるが、やはり不用意に開かぬようにロックキーを回して収納する。なおバックドアにはライカのものと似たフィルムインジケーターがある。ASA10−400の設定である。

キヤノンPを上からみたところ。レンズはニッコール35mmF3.5L。よくまとまったレバー・ダイアル等の配置である。


カメラ上面は写真の通りで左からフィルム巻き上げレバー、フィルムカウンター、シャッターボタン、シャッターリング、アクセサリーシュー、フィルム巻き戻しクランクと並んでいる。配置や大きさ・形のバランスはよく考えられていて、ニコンS系より見かけだけでなく操作は容易である。現代の一眼レフから持ち替えても違和感は無い、言い換えればホールディングのポジションはこの頃完成していたとも云えよう。
フィルム巻き上げは予備角を30度ばかりとったレバー式でつくりはしっかりしている。巻き上げ角130度、小刻み巻き上げも可能である。巻き上げの感触はややザラザラしているが、後年の一眼レフにも共通のタッチに似ていて、堅牢性はあると思う。フィルムカウンターは自動復元の順算式で視認性は良い。表示はS・0−2−4の偶数枚が書かれており、奇数枚の部分は「・」である。またシャッターボタンの手前に小窓があり、フィルムを巻くと中で偏芯した赤丸が回転する。しかしこれはフィルムが入っていなくても回るので何の意味で設けているのかは分からない(注1)。つまりフィルム送りの確認の意味はないのである。その機能はちゃんと巻き戻しクランクの中心のネジがフィルム巻き上げと共に回転し(初期のM3と同じ)用は足りている。シャッターボタンのまわりのリングはニコンSなどと同じでフィルム巻き戻しの際のロック解除も兼ねていて「A」に合わせると撮影ポジションである。シャッターダイアルは一軸不回転式で、面白いことにどちら方向にもグルグル回り、して良いのかどうか分からないがどこまでも回る。設定はX.B−1〜1000まででXは1/55(シンクロ接点はボディ左横にある)となっている。シャッターは2軸式の横走りメタルフォーカルプレーンシャッターで切るとショックは小さいものの、独特の「ビュン!」と言うかなり派手な音が発生する。速い速度だと「バチッ」、遅い速度だと「バチャーン」となかなか個性的である。なおシャッター幕は長年の使用で金属膜に皺がよっているものが多く(私のも)漏光の心配があったが、まったくそのようなことはなかったし、シャッター速度の低下も実用の範囲では無かったことを記しておく(ただし保証はできないが)。
さてピントを合わせよう。基本的にはライカMと変わらない。ファインダー接眼窓は角形で視野はとりやすい。ファインダー倍率は等倍でやや暗い以外は見えは良好。ニコンS2よりは明るいが像のシャープさはニコンが上である。完全な等倍なので両目を開けて撮影しても違和感はない。アルバダ式のファインダー内にはフレームが100−50−35mmと出ており、やや視認性は悪いもののパララックスは自動補正される(この点はニコンより進んでいる)。35mmフレームはファインダー視野ギリギリで眼をぐるぐる回す必要があるが、等倍に組み込んだのだから止む終えないことだろう。距離計(基線長43mm)はコントラストも充分あり、精度としても信頼できるものであるが、上下像合致式のピント合わせは不可能で、この方法を多くとる私としては使いにくさがあり残念である。この時代、ライカM以外は皆似たようなレベルにあったので責めることはできないが・・・。逆光時のハレは距離計では感じられないがファインダー全体にはある程度出る。
さて撮影が終わるとフィルムの巻き戻しである。シャッターボタンの枠のリングをAと反対側の黒点に合わせ、折り畳まれてボディに収納されている巻き戻しクランクを起こし巻き戻す。2000年に発売された「ベッサR」もこれと似た方法で折り畳まれていて、キヤノンPの影響を感じない訳にはいかない。私もPを購入したとき、ここの細工の巧みさを評価していたことは記しておく。実のところベッサRもこの部分が最も好きなのである(機能の問題とは別)。普段は使わない部品だが無いと巻き戻せない(当たり前だが)特殊な外装品なので「始末」が難しいのである。ライカM3.2、M4.6、M5.CLなどどのタイプをとっても技術者の苦労の跡が見られ全部好ましい・・・よく議論になるがどれが一番良いとは言い難い。つまり撮影時はじゃまにならず、巻き戻すときは簡単・確実なものが理想なのである。Pのカメラ上面をフラットにする手法はライカMのそれを踏襲しつつ異なる意匠に仕上げている。ここではニコンS系より進んでいると思われる。が、7−7SではニコンSと同様のスタイルに戻ってしまった。
巻き戻した後はまた最初に戻る。操作性は手順・触感は異なるがM3やM4と大きくは変わらず、バックドア横開き式によるフィルム装填の簡便さでやや分があるだろう。ただし実際に時間を計るとPもM6もたいした違いはない。Mの下蓋を落としてしまう危険性の方が心配な位で、何事も「慣れ」は大切な要素だろう。
その他セルフタイマーは180度下方に回しシャッターを押すと約10秒で切れる。
総括するとキヤノンPはこれに続く7と共にキヤノンRF機の黄金時代をなしたカメラであり、それまでのトリガー巻き上げや変倍ファインダーなどキヤノン独自の技術を廃し、シンプルで使いやすさに徹したカメラといえよう。カメラの大衆化に対応するコストダウンとも云われているがヒットの本質はそこではない。重厚なニコンとは異なる軽快感を持ち、その反面丈夫で長持ち、使いやすい割り切った機能など、それまでのプロやマニアが使う道具から誰でも撮れるカメラに変身したRF機だったのである。この後、自動化されたキヤノネットの成功までつながったカメラの原点だと云えよう。露出計こそ入っていないが、35−50−100mmの3本のレンズを持ってぶらりと街へ出れば、何でも撮れそうな気分にさせてくれる軽快なカメラで、秘かにキヤノンレンジファインターカメラの中で最も「それらしい」カメラだと思っている。

キヤノン50mmF1.2について一言。
1956年VT型とともに発売された当時の最高級のハイスピードレンズ。ニッコール1.2も1956年の発売で、初代ノクティルックス50mmF1.2の出現する1966年より10年も早く、この時代の大口径化の波の大きさは想像を絶するものであったと想像できる。1.2は5群7枚の変形ガウスタイプのレンズ構成で口径55mm、たいへんしっかりとした造りで長い間キヤノンRF機の標準レンズとして活躍した。ガラスに吸い込まれるような清浄感があり、大口径レンズの魅力充分である。あと一絞り暗ければ大幅に小型・高解像力・低価格になるのだが、キヤノンに限らず大口径レンズの誘惑は抗しがたい魔力を持っている。私の若い頃は一眼レフでもF1.2レンズは高くて買えないが憧憬の的だった・・・。多くの評論家が、同じ焦点距離なら暗い方が性能が良いと口を酸っぱくして語っても無理な相談である。1.2が買えないなら1.4、それもだめなら1.7と・・・現代の「標準レンズはF1.4」というのが定着するのは1980年代後半になってからだろう。
このレンズも開放は少し酷だが、F2から中央部はピントがきちんと来る。しかし周辺部は良像基準に達せず、被写界深度の浅さと相まってピント合わせにはよほどの注意力が必要である。だが絞るに従ってピントの合う範囲は広がっていく。F5.6より上は全面にピントが来て安心して使えることになる。そしてどの絞りでもキヤノン50mmF1.4と比べると解像力に劣り、F8より上はほぼ同じ結果である。レンズ性能の足を引っ張るのはやはり中帯部の締まりの悪さである(ごく周辺は似たようなものだが)。線は細いがなんとなく甘いのである。このレンズの個性はやはり周辺を犠牲にしてもF2−5.6間(F1.4−2はやはり無理がある)の中央部の線の細い、軟らかなシャープ感だろう。ボケ味はやや固いが芯のあるボケで、収差補正の不足をともなった流れるような汚いボケ味とは異なる。色はナチュラルで実用性は総合的に見るとかなりのレベルである。35mmF1.5、50mmF1.2、85mmF1.9と組み合わせると画質の揃った良質の組み合わせと思われる。現在私の1.2レンズは知人に譲ってしまい、今は手元にないがいつの日かまた持ちたいレンズである。画像の紹介は後日の改訂時に紹介する。

*追補-1 手を放れていたF1.2レンズが戻ってきた。

*追補-2 最近読者から(注1)のグルグル回る赤玉の意味について意見が寄せられた。なるほどと感心した次第で、ご投稿ありがとうございました。おそらくこれが正解で、以下その説を記すこととする。

(略)・・・カメラ談義45/53/58のキャノンP/VT/7に関する記載のなかで、巻上げレバーの傍の偏芯した赤丸の意味が不明との個所です。最近のカメラには存在しませんが、AF機以前の機種では必ず巻戻しボタンが底についています。
50年代のカメラでは指で押しながら巻き戻す、60年代以降は押せばそのまま引っ込むので指を離して巻き戻す、という操作になります。高校時代にはじめて買ったペンタックスSPには巻戻しボタンに偏芯した赤丸があります。
指で押した後、巻戻し始めると赤丸が回転を始め、フィルムがスプロケットから外れると回転を停止する、そうすると巻戻しを停止す
る、こうしたことが当時の取扱いであったと記憶しております。今はフィルムはすべてパトローネに巻き込むのが当然になっていますが、以前はテレンプからの漏光を警戒して一部巻き残すのが、普通でした。巻上げの確認は巻戻しレパーか巻き戻しレバーの赤丸を利用する。巻戻しの確認は巻上げレバー傍らの赤丸を利用するのではないでしょうか。・・・(略)

*追補-3  前回の追補の「グルグル回る赤玉」について別のご意見が寄せられた。これも同時代的なご意見で経験に基づいたものである。私はバルナックも含め「同時代」ではないためまったく思いもよらない使い方であった=それと言うのも私は経験に基づいてカメラを見るための不充分さであり、文献や前の世代の人々の意見・経験を聞くべきだと改めて思った。どうも投稿ありがとうございます。

(略)・・・私はCANONをはじめて手にしたのがP型が発売された時でしたので,その時の取扱説明書の記憶が残っているのかと思うのですが(定かではありません) "グルグル回る赤玉の意味について"は"多重露光"の為と自然に思っていました。 

 使い勝手としては,
0 まず多重露光したい被写体を撮影します。
1 巻き戻しの状態"R"にセットしたら,赤球一回転分巻き戻します。この時ひとコマ分が巻き戻されます。
2 巻き上げ状態"A"にガイドを戻します。
3 フィルムを巻き上げます。
4 露光したい被写体に対しシャッターレリーズします。
5 同一フィルム面に2回の露光が完成いたします。

 これを繰り返せば何重露光でも可能というわけです。なお位置ずれが生じますのでアバウトな合成となります。その為にその後巻き戻しセットしてから,巻上げ操作をすれば,フィルムは巻かれずにシャッターコッキングだけが行われる機構になりました。

 なお,グルグル回る赤玉はフィルムを一枚巻き上げる毎に一回転するはずです。そして,この機構はバルナックライカが元祖(多分)だと思います。シャッターレリーズボタンにポチッと点が刻印されております。バルナック型ライカを模した国産の初期型カメラの多くに同様の機構があります。nikonはF型までこの機構を採用していたと記憶します・・・(略)

*追補-4 「グルグル回る赤玉」のご意見の第三弾・・・こともあろうか私の知人から原始資料付の回答がやってきた。キヤノンPの「取扱説明書」である。その19ページに第1の投稿の巻き戻し時のベロ出しのことが書いてあり、26ページに第2の投稿の二重露光のことが明記してあった。お二方の記憶と経験は両方がオリジナルを継承していたことが分かった。どうもありがとうございます。

*追補-5 裏蓋開閉ロックキーについて読者からご意見が寄せられた。 本文中の「凝ったつくり・・・」とあるのは、どうやら専用のマガジンの開閉用のキーだったようだ。もちろん裏蓋開閉レバーが不用意に動かないように作られているのも事実だが、同時にキーを回転させることによりマガジンのドアが開いてフィルム送りに支障がでないように(裏蓋を開けていると当然閉まって光の進入を防ぐ)なっているのである。バルナックライカにも同様の仕掛けがあつたことを思い出した。

この実物写真も同時に寄せられた。キヤノンPの時代でもマガジンが存在していたのには驚かさせられた。

これは友人から送ってきてもらったカタログのコピーの当該個所である。 ご提供どうもありがとうございます。

*送ってくれた友人の弁 : P69の「4.フィルムマガジンV(ケース付)」のところをみると、このマガジンは、Vシリーズ以降7sまでのLシリーズを含む全てのレンジファインダ機(おどろいたことに、初期の1眼レフのRシリーズまで!)で使えることになっています。やはり、7シリーズを含め、裏蓋の「凝った」メカは、このマガジンに対応するためだったようです。

キヤノンPとインダスタールの標準レンズ3本。とてもオーソドックスなボディなので、使いやすいばかりでなく、どのLマウントレンズともデザインがマッチする。
コムラー35mmF3.5を取りつける。操作性は良くないが、構えたときのバランスはちょうど良い。キヤノンPは、露出計の問題は別として歴代のキヤノンRFカメラの中では最も写しやすいカメラだと思う。

この度(2007.7)使用できる友人のもとへ委ねられた・・・「いいカメラ」と言っても使わない私の状況ではカメラのためにも良くない=使わないカメラは使う人に手渡すべきだと思う。
                                          
nagy

home top


copyright 1999-2014 nagy all rights reserved
inserted by FC2 system