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私と共に40年を過ごしてきたCL。レンズはようやく手に入れたオリジナルレンズのロッコールM40mm。

ライツミノルタCLの幸せな話

このシリーズの3で取り上げたM5と同時期に開発された、ある意味でエルンストライツ社の近代化への最後の挑戦と云えるカメラで、マニア達には正当な評価をされていないようだが、私には時代を画したものと考えられる。
私は3でも書いた通り若いカメラマンだった1976年(発売期間が1973-76なので最後の頃となる)、新品でこのカメラを買った。特に深い考えがあった訳ではなく、幾つかの偶然と多少の必要性があっただけのごく気軽なライカとの初めての出会いだった。当然ながら当時は既に35mm判は一眼レフを使用しており(ミノルタSRT-101とトプコンREスーパー)仕事用としては必然性は何もなかったのだが、話の発端はそれより3年ほど前に遡り、学生だった頃、一年後輩の人間が、ある日「キャノン7」を持ってきて(彼は写真が専門ではない)「親父から貰ったんだが、全然使えない。なんとかして下さい。」と頼まれた。私自身写真を始めた頃からレンジファインダー機は使ったことはなかったが、そこは先輩でもあり、知ったかぶりをして、「よし、解った」とトプコンのサブボディとして持っていたRE−2標準レンズ付きと交換してしまった。この機械だとTTL開放測光一眼レフで、その他当時としては標準的な仕様だったし、私も使っていて素人でも充分使えると思った。そして彼も満足してその後(私は先に卒業したので後の事はよく解らないが)ずっと使っていたようである。一方「キャノン7」はセレンメーターも狂っており、外見は綺麗だったが他に交換レンズもなく、結局そのままほとんど使わずに3年ほど経過した。少しばかりの苦労(と云うほどでもないが)をした後カメラマンになって、多少の経済力もついた頃、別の同級生がライツミノルタを買うとのことで、一緒に「カメラのナニワ」に行った。その時点ではたいして興味はなかったが、彼は中判もハッセルを学生時分から持っていたりして、ライカにも結構詳しく、CLのボディにズミクロン35mm(当時は角付きの六枚玉)を組み合わせてスナップ用にする等と話していた。店の人との話のなかで、スクリューマウントのレンズもアダプターを介して使えることが初めて解った。そこで例のキャノン7の事を思い出した。「確かレンズは35mmf1.5がついていたな…」そして調べると、そのレンズはかなり高級なレンズで当時の(1976時点)レンズにも負けない性能があると分かり、出入りの中古カメラの専門店(この店−業界のことも大変面白いので、また書きましょう…)にキャノン7を持ち込み、ボディだけを売り(その時でも結構高く買ってくれたと感じた)、そのお金を持ってナニワに走り、CLのボディと純正のL−M変換リングを購入した(勿論なにがしかのお金を足して)。何に使うかは漠然としていてはっきりせず、またコマーシャルの仕事(しかも駆け出し)をしているとスナップなどと考える精神構造になかった事も事実であった。そんな訳でたまに趣味的に町をブラブラ歩いているとき、首からぶら下げて(例の縦吊りのスタイルは首に下げると割と絵になる−ちなみに私はどんな場合でも携行する時は必ず首から下げる。2台下げる時は1台のストラップの長さを変えて、胸から腹にかけて2段にカメラを置く。つまり肩から下げて落とすリスクを避けるためである)チョコッと撮って、当時所属していた写真クラブで発表するぐらいの、ある意味でもったいない使い方をしていた。ただしキャノンレンズの性能は噂どおりで(フレアは出やすいがシャープで、特に画面の中心部は標準レンズに匹敵する)一眼レフのレトロフォーカスタイプとは違った描写をすることは良く解った。ここでの話では、私のカメラの半数が(ライカに限らず)このようにしてちょっとした縁で手に入り、何年も何十年もかけて私の目や心の代わりをするまでに熟成されると言うことに注目して欲しい。カメラに限らず道具とはそんなもので、きっかけのいかんに関わらず良き物は時代を超える力を持ち、世代すら越えるものである。人と物は一緒に仕事をし、メンテナンスをしてやり、成果を(この場合写真)残す。人と物が文化を生みだし、それは撮影するという空間的な広がりと、時間軸に沿った広がりを持つと言うことである。考えると楽しい事である。

1976年当時、このスタイルで意気揚々と京都の町を歩いていた。カメラの価値も分からず、持つことの訳も分からず、ただただ嬉しかった。

ちょっと難しい写真論の話はまた別稿に譲るとして、こんな訳でCLは私の元にやって来た。買って半年程で、今も問題となっているこのカメラの根本的な欠陥、露出計の不調は始まった。メーターが時々振れなかったり、不正確な指示をしたりと...しかし考えようによっては保証期間内に問題が出たことはまだ良かったと思う。この時メーカーに放り込んで(2度も)徹底的に調整をしたため、その後20年にわたって小さな問題(少しづつメーターの振れが大きくなり現在はISO64のフィルムならメーターの設定はISO25にして適正になる)はあったもののトラブルフリーで来ている。コレクターではないので、かなり使った上でのことである。やはり機械は買った当初はどんどん使って保証期間内にトラブルを出してしまうことが肝要である。この様な経験は何度もしており、新品だからと言って完全ではないということを知るべきである。
このカメラの特徴について、M5の紹介の時に書いた「思想性」の事は繰り返さないが、その他に幾つかあるので紹介したい...その前にCLの存在の意味について少し触れたい。ライツの社内的にも、いわゆるライカの系統樹の他の機種と繋がらず、離れた存在として位置づけられ、その後も設計思想の正しさがあるにもかかわらず何にも発展させない、不思議なカメラである。開発の動機はM5の解説のところで書いたとおりはっきりしているが、その後については甚だしく不透明である。ライツのやり方として継続性があげられ、他の機種においては一貫してマイナーチェンジ、モデルチェンジをしつつゆっくりとではあるが発展させている。が、CLについては製造中止後5年程経って、CLEがミノルタから発売され、これもCLと同様ユーザーの支持を受けつつも数年で消滅し、今に至っている。この間のライツとミノルタの提携関係がどうだったかは良く解らないが一つだけヒントがある。朝日ソノラマの神尾健三著「ライカに追いつけ!」(1995)の「あとがき」である。著者は長くミノルタの技術者であった人で、内実は全て知っているのだろうが、詳しくは語らず(本の本編でも日本の技術者がライカに迫る努力の物語で、ミノルタ/ライツの提携話は、ほとんど触れていない)あとがきの中でこの事に触れ、「ライツが設計したCLの後をうけ、ミノルタが独自で設計したのがCLEである。」とし、「CLEは、ライツからは発売されなかった。ライツは自らが開いたコンパクト・ライカの道をそれ以上歩もうとはしなかったのである。ライカはMライカという孤高の道を守り続けた。ライカを愛し、何十年も前からドイツの精密機械技術に憧れる筆者らは、そのライカの考えを愛している。ああライカ!」と終えている。私も写真家である事と研究者である事との拮抗した考え方の中でこのくだりには敬愛をおぼえる。私の感情はさておき、この本のCLEの姿写真はノーマルのものではなくボディ前面のロゴはミノルタの旧書体で、その下にCLと同じ書体でCLEとなっている。つまりライツミノルタのデザインとほぼ同じである。しかし実際に売っていたCLEは現在と同じ新しいロゴで雰囲気は全く異なる...むしろ新しいロゴや幕面ダイレクト測光はこのボディから始まり、ミノルタの新しい出発という雰囲気でもあった。ところが別の角度で考えるとこのカメラはMマウントであり、これ用のレンズもMライカの距離計に連動(しかもCL用と違って完全連動)すること、上記あとがきにはっきり書いてあるようにCLはライツの設計であること、このあといわばCLE2型なるものが出ず、最近発売されたGロッコール28mmもMでなくLだったということ、等々鑑みるとライツはM4のあとの世界的な戦略として先進のM5と、CLをコンパクトカメラにノウハウを持っていたミノルタと提携.開発し、CLEはその後継機として位置づけられたモデルとして製造し、ライツも販売をする計画であったが、M5のあとCLEと同じ1981年M4−Pを出すとき、M4のスタイルに戻し、CLEと言う電子カメラへの道を閉ざしたとみるべきだろう。これはある種の先祖還りといっていい出来事である。普通のメーカーではあり得ないことで、これが不思議の国のライカなのである。その後M6へ進み、CLとM5から伸びるライカファミリーツリーの枝はなくなった。それが現在のライカブームへと繋がっているとも云えるし、そうならざるを得なかったとも云える。現在ドイツからライカとローライ以外のカメラメーカーは、なくなってしまったのだから賢明な選択(しかしあくまで結果的に)だったのだろう。余談だが、その意味ではローライは二眼レフを再度生産(最近2.8GXを限定で最後の再生産をした。FXももう出るだろう=ただし会社はイギリス)すべきだろう。長い前置きになったが、ようやくCLの仕様の説明である。

大きさはM5に比べふた回りは小さく、材質も他のMライカと違って外装がアルミ系でできており、ずいぶんと軽量になっている。デザインは見た目はかなり違うようだが、M5と同じ考え方で作られており、フィルムの巻き戻しクランクがボディ底面にあって、シャッターダイヤルも縦と横の違いはあっても人差し指で回せるようになっている。また、露出の制御もほぼ同じで、ファインダー内にシャッター速度が表示され定点式(M5は追針式)で露出を決定する。M5と同じくシャッター優先でも絞り優先でも制御可能である。受光部はシャッター幕のすぐ前の腕木に付いていて、シャッターを切ると腕木が引っ込むという方式である。M5より多少簡便化されてはいるが、設計思想は同じである。しかしM5ではフィルムを巻き上げると露出計のスイッチは入りっぱなしになるのと違い、フィルム巻き上げ後、巻き上げレバーを少し引き出した時にスイッチが入ることに改良されている。やはり構造上、測光の範囲はレンズによって変わり、ややスポット的な測光となる。レンズの画角からみるとほぼ同じ範囲を計っているのだが、ファインダーは一定なので、望遠になるほど対ファインダーだとより狭い範囲を測光することとなる。M5や6でも同じなので一眼レフとは違う計り方となり、多少慣れが必要である。次にブライトフレームは40,50,90と出て、フルファィンダーが35mm(これは取説にもそう書いてある)となる。(ちなみにCLEは28.40.90mmで、私にとってはCLの方が一つ多く、しかも頻度が多い焦点距離なので便利である)距離計の有効基線長の短かさは、望遠で注意する他は気にせずとも良いと思う。ファインダー内の距離計の部分の逆光時のハレもM6と比べて少なく、ちょっと全体にマゼンタがかる位で見やすいと云えよう。その他の一般的な事はライカ本を参照のこと。ここから後は注意点を述べる。まず、レンズ(M5も同じ)について。理論的にはMマウントのレンズとLマウントのレンズは全て使えるのだが、露出計の腕木のために使えない(または使いにくい)レンズがある。
1. レンズの後半が大きく突出している非レトロフォーカスタイプのスーパーアングロン21mmとエルマリート28mm初期型は腕木に衝突するため使用不可。なおM5用には前者2473251、後者2314921以降のレンズは対策がされ、腕木がレンズをセットすると引っ込むようになっている。CLにはこれも不可。
2. ブライトフレームのないレンズは外付けのファインダーが必要だが使える。物によっては距離計の窓をふさぐためフードを付けると測距不能となるものもある(勿論ブライトフレームがあっても不能のものもある)。ある程度は取説に書いてあるが試してみないと解らない。
3. 多少レンズの脱着ボタンがM6などより突出しているため、外周の大きいレンズはレンズの下辺とボタンが干渉して取り付かないものがある。これは最近気が付いた事で、今のところズミクロン35mmASPがつかないことがわかっている。
4. 使えなくないが、止めた方が良いレンズとして、沈胴式レンズがある。沈胴すると腕木に当たるのである。沈胴しなければ何の問題もないが、間違いは誰にもある。間違えて壊したとき、ほとんど修理が不可能だからである。この手の古いカメラは神棚に供えておくのもどうかと思うが、使用上のリスクはなるべく避けて、大切に使う事も肝要だろう。先にも書いたように20年使ってようやく値打ちが解ってきたと言うこともあるのだから…。
逆にライツとミノルタからCL用のレンズとして、40と90mmが出ているが、ライカ本によるとレンズの距離計連動用のカムが他のMレンズと違い傾斜しているので、一般のM用レンズをCLに使用するのは問題ないとしても、CL用のレンズをMカメラに着けると距離計連動に問題があるとの記述がよくあり、ある本には連動しないと考えた方が良いとまでかいてある。この点には大きな疑問がある。と言うのも理論的にはそうかも知れないが、販売店に聞くとそんなクレームは聞いたことがなく、その店の測定装置でもそのようなことはほぼ無いとのことである。私はエルマーC90mmも持っており、やはりどのMボディに着けても問題ないが、それは偶然だろうか?真相は分からないままである。

次に撮影に入ると、ボディの構造の違いによって、フィルムの装填方法が他のMライカと違う(ライバルのニコンS系や古いコンタックスと似ているのは面白い=ライカもそのような方式に興味を持っていたことが分かる)が、慣れるとこちらの方が簡単とも云える。フィルムの巻き上げレバーは軽いがちょっと動きに滑らかさが足りない。小刻み巻き上げもできない。上記のとおり露出計の操作はM5と同じような簡単な定点式で、その時代の一眼レフとも似たようなものである。シャッターを切ると意外に大きな音がし、ショックも思ったより大きい。これはシャッターユニットも違う(縦走りの布幕)がカメラ全体の質量の差やバランスの差で他のMライカよりショックを大きく感じるのではなかろうかと思っている。そしてこれはCLEでは完全に改善されている。私はカメラには露出計が入っているべきだと考えているので、CLはM6.M5に次いで推薦すべきモダンクラシックカメラと言うことになるのだが、露出計の弱点があるので(たぶんまともに動いている物は少ない)残念ながら勧められない。もっとも最近「関東カメラサービス」で修理が可能になったとも聞いている。そうなるとM2を抜いてお勧めライカの3番手となる。では、CLEはどうか?となるのだが、これも稿を改めていずれ書きたいと思っている。少し触れておくと、大変多くのライカユーザーがCLEを持っており、サブカメラとして(そして時にはメインのMライカを差し置いてメインカメラとして)使用している現実があり、その日本がライカの最も売れている地域である、そして更にライカはCLEを販売しなかった(出来たのに)、ライカの存在の意味はMライカの線上以外にはない、つまりCLEの路線に行ってしまっていたら今のライカは存在しなかったかもしれない(CLはあくまでサブカメラ、CLEはどうかするとメインカメラになる)と言うこと、更にあるライカ本(写真工業社「ライカの探求」P61-67、矢藤修三氏の論文。内容は全く同感と思う)に論説していた話として、CLEにライカレンズを着けてライカで撮影したと吹聴する人の実に多いことを嘆いているくだりがあったが、ここに(要するに1.自動露出と2.サブとメインの倒置)本質がある。神話となったライカにとっても答えは決まっているのだが、そうできなくなった歴史がある。ライカがどう収拾をつけるのか大きな関心がある。M6TTLでストロボ撮影を自動露出とした。神話を捨て去るのか?(私はそう思っていない)新しい神話をどうにかして作り出すのか?きたるべきM7はCLEに近いものということを暗示している(やはりライカM7はM6+AEとなった=2002年)。

このように書いている間に「ヘキサーRF」が出た。M7はますます難しいカメラになる。ヘキサーの販売価格は13万円、これをどう考えるか?私はヘキサーに不利かと思ったが(値段的にM6はあとなにがしか足すと買える)、現実にはM6TTLの価格は下落し、12/1時点で、最も安い併行品は15万を切ってしまった。私も発売と同時に手に入れた。ファインダーに関してはライカに一日の長があるが、それ以外は問題なく、すでにライカMを持っている人には勿論、初めてRFに挑戦する人にも勧められるカメラである。しかしライカは今までの道を歩まなければならない。ライカブームの中で日本製のRF機と正面から対決すると、最後には敗北が待っているだろう。そして「ベッサR」。レンズのテストを見ても秀逸で、性能面では議論が分かれるところだろうが、ライカではコスト的に対抗できない。孤高を保つ以外に道はないと思うし、そう望む。たとえどうなろうと(経営危機説がまことしやかに語られている)、勿論「ライカ」ブランドは残るだろう...フォクトレンダーのように。

コシナ=ローライ・ゾナー40mmF2.8をつけたもの。デザインはピッタリと合う。

さて、話を私のライカヒストリーに戻すと、CLはその後、私がコマーシャル撮影を止めたのちもサブカメラに徹し、キャノン35mmf1.5についで、CLEが生産中止のあと、売れ残ったと見られる40/90mmをうんと安く手に入れ(同時期に相対的に価格の下がったM5もこの頃入手)、この3本でずっと「たまに撮る」ていどで、なんと20年が経った。その間メインのカメラはキャノンFD、そしてキャノンがマニュアルフォーカスを止めた後はコンタックスRTS系へと移行したが、特にライカに興味を持つことはなかった。ところが全然別の動機でライカを使い始める事になったのである。ここから先の話は稿を改めるが、その際CLを20年以上使い続けてきた事が役にもたったし、ライカを過度の神話的な関心(俗に云うライカ病)によって評価せずに済んでいること、CL(ライカの入門機、普及機、いやサブカメラと位置づけていたと思う)を作った技術者の思想を知ったことに、今は少しは自負もしている。かくしてCLは一度もメインカメラになることもなく、M5.M6のサブカメラとして(コンパクトなボディとのバランスを考えて最近はキャノンセレナー35mmf3.5か旧ズマロン35mmf3.5などの小型レンズをつけて本当のスナップ用に使っている)健在で、23年経った1999年ついにオーバーホールに出して、また次の20年を共に過ごすことだろうと報告しておく。

写真のレンズはミノルタのスーパーロッコール45mmf2.8(ミノルタ35=1948-1958の製造=についていたレンズ)で、24X32mmというライカ版=現在の35mmフルサイズ=より4mm小さなフォーマットであるため45mmとなった。必然的にCLに取り付けると深刻とまではいかないがイメージサークルの不足が露呈する。このレンズは絞りリングの形式により、後期型と言える。梅鉢型のヘリコイドリングと美しいクロームメッキ仕上げに特徴があり、不思議に人気がある。国産のLマウントとしては古い設計(新種ガラスは使っていない=トリプレット変形型で、前群が3枚張り合わせ)のためか性能は芳しくない。色彩の再現は意外にニュートラルだが、ごく中心部以外は解像力に問題があり、イメージサークルの不足以外にコマ収差、非点収差の補正不足によるのだろうか、周辺に向かっての画質の低下と共に像の流れが見られる。当然に絞っても改善は完全にはなされない。しかしミノルタの「ライカに追いつけ!」の第一号レンズとして重要な位置を占め、20年後CLでミノルタ技術者の「夢」は実ったのである。CLの標準レンズが40mmとなったのも偶然とは思えない「念」と言うようなものを感じる。物事をなすには20年も30年も考え続け、実行し続けることが大切なのである。私たちにできるだろうか?よく考えてみよう。 2000/1

CLにズマロン35mmF3.5Lを取り付けた。コンパクトなボディにはそれに合う大きさのレンズがいいと思う。

こちらのズマロン35mmF3.5Mでもいいだろう。むしろ納まりはこちらがいい。

私の持っている最小の35mmレンズ、キヤノン35mmF3.5をつけた。性能的にはほどほどだが(何とか実用になる=仕事でも)ともかくコンパクトなのはいいことだ。コシナ・パンケーキIIも頑張ったが、まだ少しは小型化できそうである。

カラースコパー35mmF2.5PII。やはりキヤノンと比べると大きい。長さでは3mm程度長いだけだが、レンズ前径が39mm(キヤノン34mm)、距離環やレンズ基部も2-3mmずつ大きい。全体としてはひとまわり大きく、何となくずんぐりした印象だ。

CLと専用のエルマーC90mmF4。ズミクロン90mmF2との大きさの比較である。

*追補:1 縦吊り用のストラップには皆苦労しているようだが、トップの写真にあるものは伊賀上野の名産品(どこでも買える)の組み紐である。これは山ひとつ越えた信楽の焼き物の箱を縛るのに使われていた紐である。ちょうど良い幅で、色や柄も豊富なのでお勧めである。今度はM5用に調達したいと思っている。

*追補:2 CLの値段がボディ・レンズともに下がってきている。メーターを中心に劣化が目立ってきており、しかも修理が高くつき、かつ他のMライカとの互換性に制限があるためだろう。特にレンズは綺麗なものが(たぶんボディがだめになったり、CLにこだわる人がいいものを買ったのだろう)たくさん出ている。私も一度も純正のレンズを着けたことがなかったCLのために、ロッコールM40mmを最近安く買った...25年後にCLの夢は実った。

*追補:3 CL用のレンズのMボディへの適合性について、ひとつの資料がある。私のサイトの海外の読者から寄せられたもので(貴重な情報提供ありがとうございます=ご本人の要望で氏名は出しません)、ライカ社への質問とその回答である。資料性を確保するために原文で掲載する。

質問

Dear Sirs,

I own Leica M and CL.
Recently, I saw a personnal Internet homepage containing an information suggesting a non compatibility between M-Rokkor lenses and Leica M bodis. It says that M-Rokkor lenses can't be used with Leica M (can't give you a precise distance measurement).
Is it true? Is Minolta M-Rokkor (90mm and 40mm) compatible with Leica M cameras? My CL manual doesn't talk about lens compatibility issue between CL lenses and M bodies.

My M body is M4-P.

回答

CL lenses have a direct rear focusing cam, and do not couple precisely with the rangefinder. Many customers are satisfied with the results, but you should be aware of
this situation. thanks.
B Olesin

非常に微妙な書き方であるが、連動関係に問題が存在することは事実としても、一部の評論にあるほど深刻な問題ではないことが推定できる。この間にも別の私の友人がCL用の40mmと90mmをMに使用する実験をしたが問題は起こらなかった。ヘキサーRFのライカレンズとの適合性と同じように、計測器的な世界での問題点はあるのかも知れないが、実際の使用上の問題は少ないのではないかと思われる。

*追補:4 ライツミノルタCLとライカCL(最近入手=2002)を比較すると、当然ながらロゴなど以外は同じであるが、ひとつだけ違う=シャッターの先幕の質感が異なった。同じゴム引き布幕シャッター幕だが、ライツミノルタの先幕と後幕の質感が異なり、ライカは同じものであった。もとよりライツミノルタは新品から持っているものなのでオリジナルであるし、ライカは先・後幕同じものなのでオリジナルである蓋然性が高い。ではどうしてライツミノルタが違えているのかは全然分からない。  その他興味深いこととして、ライカには底蓋に「DBP/US-PAT MFD.IN JAPAN FOR LEITZ WETZLAR」と彫られており、ライツミノルタにはトップカバー背面に「LICENSED BY LEITZ WETZLAR MADE IN JAPAN」と書いてあり、ライツのライセンスを得てミノルタで作ったことが明確にされている。今となっては非常に革命的な共同作業であったことが分かる。両社の提携ではライカRでの一定の成功はあったし、その他の細かな技術的成果は確かにあったのだろうが、少なくとも「コンパクトなM型ライカ」は頓挫したことは間違いない。昨今ライカAGが同じような「コンパクトなM型ライカ」の構想を漏らしており、期待はしているが、一体どうなることだろう。

左ライツミノルタ、右ライカのCL。ライカの底蓋の表記は彫り込みだけなので分かりにくい。  またこの際両方とも測定機で検査したところ、シャッター速度が30以下が遅くなり、125より上も遅くなる傾向がどちらにも共通であることが判明した(同じボディなので当然)。実際問題として30−125はなんら問題はなく、野外で普通に使う分にはこれでいいが、ライツミノルタは250が出ず、少し辛いところである。ライカCLは何とか250もOKで(しかし500は使えない=300程度)スナップは大抵大丈夫である。メーターの機能不全の話はよく聞くが、シャッター速度の問題もあることを忘れないで欲しい。私のCLはどちらもメーターは生きており、その他もメンテナンスのおかげで健全だが、シャッターは縦走りの布幕フォーカルプレンという特殊なものなので調整は簡単ではないようである・・・ただしメカニカルなので不可能なんてことはあり得ないが、高く付くことは間違いない・・・これから一生使うためには技術者氏に粘り強く要請するほかあるまい(たいへん面倒な上、責任が持てないことが問題)。

越後荒川河口部にて・・・この数年で河口部左岸の護岸工事が完全になされ、水辺の植生などが失われた(漁獲も減った)。  Mロッコール40mmF2QF+CL+PKR・・・かなり悪い撮影条件だが、ピントは来るべきところへは来ているし、ここでは分からないがボケ味も素直である。CL用もCLE用と同じく大変いいレンズと思う。

CLと私の憧れたレンズ...これが今ここにある。summicron35mmF2/角付き6枚玉。

タナー35mmF2.8レンズ。大きさのバランスがいい。小型のレンズは何でもよく似合う。

オリジナルセット(90mmはLeitz製=もはや希少になった純正ゴムフードとシリーズ5.5フィルター付き)。保持するためだけで大変だ…分類・保管・メンテナンス。

参考文献

「クラシツクカメラ専科 NO.50 ライカブック '99」p104-107 中島章年著  朝日ソノラマ

同上 「NO.54 ライカブック2000」にCL.CLEの解説が載っている。まだ私も読みこなせていないので、後日その内容も参照して改訂する。

「ライカに追いつけ!」 神尾健三著 朝日ソノラマ 

1976年に最後のロットのLeitz minolta CLを買って、その10年後ぐらいに中古で手に入れたLeica M5…ここから「Leicaで撮る」が始まった=どちらも正しく動いている。2017.9.17

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