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ライカ IIC

最も私の好きなバルナックボディ

今回はひょんなことから私のところへやって来た、古いライカボディについての寸評をしてみよう。
だいぶ以前にいずれも頂き物で私の所へ来た2台のIIIFについて語ったことがあるが、この2台のうち1台は故障で私の出入りしている専門店へ(その後OHされて誰かの所へ行ったのだろう)、1台は友人に期間なしで貸している・・・つまりはあげたのと同じ。当時バルナックライカにはまったく興味がなかったのである。所蔵レンズにもライカのLマウントレンズは意外なほど少ない。それがとても魅力的なボディに巡り会い、使ってみようかと思い立ったのである。
古いライカの資料を読むうちにバルナックライカボディの当時としての先進性と、後世のカメラのスタイルに直接影響を与えたボディとしての魅力とは何かと興味を持った。その昔IIIFを触ったときは、そのころのカメラとの比較で「時代遅れ」としか思われず、ろくに考えることもなく手放したのが本当のところである。
半年ほど前に思い立ち、今回はとりあえず1台試してみようと考えて、まず機種選定に入る。あまりに古いボディは信頼性に問題があり、たとえ動いていてもオリジナルの時代と同じように動いている個体(本来的な精度/強度にも疑問あり)は少なく、どうしても完成度を考えると戦後のモデルとなる。つまりダイキャストボディになったC系、FやG系のうちになる。Gは希少性から価格にプレミアがついており「小粋なライカ」と言うような気がしないのと、M3登場以降最後に部品を集めてオールドファンのために(本当は少しでも部品や金型のもとをとるつもりだつたのかも知れない)生産されたもので「本当の時代遅れ」のボディだったとも言えようか...当然に除外(実のところ友人のIIIGを使ったことがあり、IIIFとあまり違わなかった記憶がある)。結局C/F系にしようと決めたが、そのなかでもファインダーのないI型は問題外としても、使いもしないスローシャッターの付いていないII型に決めたのである=簡単な構造になり、故障もその分少なく、調整やメンテナンスの容易さ、だいいち「粋」なのである(これは好みの問題=しかしこの手のカメラは趣味性が強く、やはり好みで選ぶべきなのだろう)。探してみるとIIFは案外少なくて、なかなか手頃なものがない。少しばかりの時間を要して「技術系の店」から連絡が入り見に行ってみる。あー最高に素晴らしいベースボディ(1951年製のIIC最終生産ロット)があった。レストア途中であったが、ベースとしてはなかなか良いことはすぐに分かって即座に作業の続行をお願いした。バルナック系統の部品は共通なものも多く、ボディそのものもたくさん残っていて、その中には「程度の良いジャンク」も混じっている。かくして二個一どころか三個一のIICができあがった。新品同様とまではいかないが美品ではある。どこからどこまでがオリジナルか混成品なのかバルナックに暗い私には分からないが、実によくレストアされている。コレクターに言わせると汚くても故障していてもオリジナルに勝るものなしということらしいが、私はそうは思わない・・・正確無比に作動するライカがいいライカなのである。
まずシャッター幕は外品に交換されている=オリジナルより丈夫そうな出来映えである。シャッター音は非常に軽い(これは調整にもよるので素材と関係あるかどうか不明)。本体のグッタペルカはどう見ても貼り替えられているが純正のものと区別が付かない(つまり純正か外品か不明=しかし新品に限りなく近い)。次にトップカバーは完全にリペアされていて滑らかで軟らかく輝いている。なぜリペアかと言うと細かく見てみるとピンホールのあとがあり、そこにクロームメッキと同色・同質のスポット溶接が見える(全部で9個、これも虫眼鏡レベルの補修跡)のである。軍艦部の各ダイアル・ノブ・ボタン等はすべて磨き直されており、ピカピカである。そのなかでシャッターボタンのカラーがC系のものではなく、F系の意匠であった=ローレットの彫り方で分かる。そしてアクセサリーシュー(これは止めビスが2本なのでIIC用=IIIC用は4本)と距離計窓の対物側のリング、左側の吊り環がやはり新品である。ファインダーは完全に磨かれて非常にクリアである=距離計のハーフミラーは今回交換した。ある程度(50年以上前のものだから当然だ)使い込まれたボディだが、ほとんどそれを感じさせないところまで改修されていると言えよう。過去の奮闘を物語る部分はファインダー接眼窓の塗装の剥げ具合とベースプレートぐらいである。真鍮の下地が一部見えている・・・なぜかそこまではレストアしなかったようである。
ともあれ持って歩くと「とても軽くてコンパクト」である。外から見えるより持つとその感覚が強い。使い始めて僅かしか経たないので慣れがないのだが、魅力の一端は見えてくる。
使い易いとは言えないが、とにかく手のひらにすっぽりと入ってしまうのである。当時のカメラの中では使い易く斬新なボディだったのだろう。現在は沈胴のズマールやヘキサー、キヤノンのエルマーコピーレンズを取りつけて「昔風」に持ち歩いている。ハーフミラーを交換したため距離計像の分離も良く、素早くはないが確実にピントは合わせられる。とにかく納得するまで使ってみよう。ライカM系カメラ(ヘキサーやCLEも含む)だけで仕事をする私だが、いつかこのIICで現場に登場したいと目論んでいるのである。
さてIICは戦中から作られていたIIICと異なり、戦後の1948−51年の間に10999台作られている。まず9999台がひとまとまりで作られ(NO.44001-449999)、あとの1000台が最終ロットで1951年に作られた(NO.450001-451000=私のはここに入っている)。IIICの133626台と比べて随分少なく(ちなみにICですら12013台、IIFは25000台前後生産されている)希少性があるのだが「廉価版」の印象があるのか比較的安価である。ただしもとの数が少ないので希望の個体に出会うことはなかなか難しいだろう。戦後の一時期に集中して作られたためバージョン変更は少なく、どれも同じであるはずだが、私のボディと同じく色々な純正・非純正の改造モデルも存在するだろう。特に多いのがIIICへの改造である。これは上記アクセサリーシューの止めビスの本数ですぐに分かる。当時はライツも積極的に「グレードアップ」改造を請け負っていたようで、この結果更にIICは少なくなってしまったのである。実は私も随分と長く待ったのである・・・技術者と私のとても満足できるミッションであった=商取引ではあるが、お互い損得抜きである。なんとか素晴らしいこのボディを残したいと言う気持ちでは同じなのである。プロの彼も客の注文なしではレストアの時間はとれず、私も彼なしではレストアカメラは得られない。
ライカコードはLOOSE(私にぴったり)。これで私のバルナックはお終いだ・・・これで充分、いやこれが一番!

オリジナルの赤エルマーと。絞り調整がしにくいが、見た目のスマートさや微妙な写りの妙味はあると思う。が一般的な写し方では差が出ない。絞り開放からF4.5あたりまでならエルマーだろう。ピントの移動という点では、むしろキヤノン50mmF3.5の方が移動の量が小さいと思われる。

さて使ってみよう。Mライカと同じようにベースプレートを外す。そしてスプールを抜き出す。本来は定石通りフィルムを切り取って装填となるのだが、現実には面倒である。そこで昔からなされている方法を書いておく。フィルムを切るのは結局巻き取りのスプロケットにフィルムのパーフォレーションが引っかかるのを防ぐためなのだが、このスプロケットを逃がしてやれば何ら差し支えなく装填できるのである。まずカメラを逆さまにし、名刺やカード(薄くて強度のあるテレホンカードのようなものが良好)をゲートに差し込む。この時スプロケットをカバーしないと意味がないのでなるべく右寄り(巻き取り軸寄り)に差し込む。注意点は粗雑に扱ってシャッター幕を傷つけないようにしよう。これはボディの背中側に押しつけるように真っ直ぐに、そしてゆっくり差し込めば問題ない=特別な慣れは不要である。そして止まった所でカードをフリーに、フィルムをスプールに差し込んでカードをくぐらせてM3と同じように装填する。あとはカードを丁寧に抜き取り、ベースプレートを装着、空シャッターを2カット切れば完了。勿論巻き戻しノブを回してフィルムの弛みを取り、空撮りの時フィルム巻き上げをしつつ巻き戻しノブが回るのは確認しておかねばならない。そしてフィルムカウンターを1にセットする=当然のようにこの時代は手動セットが普通である。巻き上げノブと同軸になっていて、小さな突起が2ヶ所あるため難しくはない。これの動きの節度はM2より良好で不用意に動いてしまうことは少ないだろう。巻き上げノブも削り出しのシンプルなデザインでIIIFなどのように窓をつけて感度等を表示する仕組みより好ましい。このノブは動きが軽く、摘んで回さなくても、人差し指1本で簡単に巻き上げられる。
シャッター速度の設定は巻上がった(つまりシャッターチャージされた)状態で、シャッターダイアルを少し持ち上げて回し、意図した速度の位置でセットする。シャッター速度はB.30.40.60.100.200.500のみである。スローシャッターやシンクロセレクターがないため非常にシンプルである。野外でパチパチ撮る私にとってはこれで何も不満はない。そうそうC系のボディにはシンクロ接点がない(MもXも)=F系での最大の進歩はシンクロ接点が付いたことである。
シャッターは500は多少の不安があるが30−200は問題なく正確である。どの位置でも「パタン・パタン」といかにも布幕フォーカルプレーンシャッターらしい音が響く。Mより乾いた音のように思うが気のせいだろうか?
距離合わせはファインダーの左の窓から覗いておこなう。倍率は高くて、これなら135mmでも測距の歩留まりがいいだろう。最近のベッサTも同じ考え方のようで、一見不便な二眼式のファインダーの利点がここにあるだろう。ライカM標準の0.72倍だと135mmは少し厳しいが一眼式ファインダーの利点を生かすためには全視野をフレームで区切る方法しかないのだろう。変倍ファインダーという手もあるがクリアさは失われるだろう。さて二重像を合致させて右の窓を覗くとフルフレームで50mmの視野である(窓が小さく見にくい)。それ以外の焦点距離のレンズを装着するときは外付けのファインダーとなる。ベッサTと同じように光軸に近いところのアクセサリーシューにファインダーを取りつけると視差も少なく更に扱いやすくなる(その代わりコンパクトさはスポイルされる)。ちなみに巻き戻しノブと同軸で視度補正のためのレバーがあり、これも効果的である。
どうもライカは基本的なボディの上に色々なもの(機能)を乗せていって進化したようだ・・・それが35mmカメラの進化の歴史とも合致している。それにしてもM3以降の進化の遅さはいかに?!露出計が入ったぐらいで、ほとんど質的変化がない。
さて撮り終わると、フィルムの巻き戻しである。まずシャッターボタンの前にある小さなノブをR方向に回し、巻き戻しノブを少し引き上げて矢印の方向へ回して巻き戻す。これは少々疲れる作業である。急いでいるとノブの径が細くてまどろっこしいのと滑り止めのギザギザで指先が痛くなる。ともあれ巻き戻し終わったら最初に戻る。実に簡潔な操作系である。少しの慣れで誰でも自由に使えるカメラ、これが戦前に達成されたのである。頭を垂れて昔の技術者に感謝したい。
ほとんど初めてバルナックライカを使ってみて、当時これほど軽快で気分を高揚させるカメラは類を見なかっただろうと想像される。便利さに慣れた私には癖のあるカメラと映っていたのだが、真面目に使ってみるとメインで使うには汎用性がなくこころもとないが、ライカを持って街へ飛び出すのには必然性さえ感じられる。ちょうど70年前にブレッソンがライカを得て、絵筆を捨てて町へ飛び出したように。

II C、別の角度から。レンズはトップの写真はズマール5cmF2、これはキヤノン50mmF3.5である。キヤノンはエルマーコピーの域を出ないが、同じE34とは言ってもズマールはレンズ基部にボリュームを持たせており、ライツのレンズとしても少し変わったデザインである。

追補: 話としては聞いていたが今回確認したことがある。35mm判の縦横サイズはライカが標準的に採用し、その後のカメラにも採り入れられたと説明されているが、少なくとも横サイズにおいては少し話が違う。 Mライカと比べるとバルナックは1mmほど長いのである。そのためフィルムのコマ間隔が小さくなることになる。これは標準レンズであるとほとんど目立たないが、シャッター開口窓とフィルムレールの間に少しの距離があるため、より入射角の深いワイドレンズになるとどんどん狭くなり、28mmでほとんどコマ間隔がなくなり、21mmでは隣のカットと重なってしまう個体が多くなる。最初の設計にそれほどの広角レンズを想定していなかったに違いがなく、28mmや21mmが発売されてた後期から末期のバルナックボディでは改良がなされていただろうが、古いものは改造しかなかったと思われ、個体によりコマ間隔は相当異なる(バルナックボディを買うときはコマ間隔を確かめよう=良心的な店ではチェックしている。私も買うときにシャッターをバルブにしてコマを送り、ボールペンで生フィルムに線を引いて間隔を見ていた)。 そして現在の35mm判の標準サイズも厳密にはバルナックから踏襲されたものとは言えないようである・・・。

*キヤノン50mmF3.5について

M2+キヤノン50mmF3.5+RA...大阪市都島区にて。

今回はおまけとしてキヤノン50mmF3.5を解説しておこう。
このレンズはそれまでニコンに頼ってきたキヤノンの戦後の自作レンズの最初のものである。1946年に登場し、いくつかのバージョンを経て1956年まで販売されていた。私のものはタイプ2で(34mmフィルターネジが切ってある)1952年以降のレンズである。ワンオーナーで最近まできたが、ついに持ち主が高齢となり手放したものである。綺麗なレンズとシリーズ6フィルターが数枚、それを挟み込むタイプの純正フード、レンズケース、レンズの前後キャップと当時のままの装備が残っていた。持ち主の心までついてきたようで、私も大切に使いたいと思っている。
レンズを見てみよう。全体としてはエルマーコピーだが、キヤノンなりの改良はなされている。レンズ基部座金にfeet表示の距離目盛りが彫ってあり、∞から3.5feetまで約120度で回転するヘリコイドである。回転する鏡胴側に距離指標があるが少し彫り込んで凝った作りとなっている。ここにF3.5-16までの被写界深度が全部目盛られていて、赤外線撮影用の赤いRマークまである。文字が小さく見にくいが、これも細い鏡胴にすべて彫り込むためには仕方ないのだろう。そこから先が沈胴式に可動する。レンズの他の部分はおおむねキメの細かい梨地仕上げだが、この可動部の鏡筒はポリッシュ仕上げで作動の方向を示す矢印まで刻んである。ここも含めて仕上げの精密感は同時代のライツに負けないと思う(同時代のニコンとキヤノンには少なくとも言えることである=しかし材質はライツが上だろう)。ヘリコイドと共に沈胴の作動は極めて滑らかだ。そしてその上に「改良」がある。絞り環がのちの普通のレンズと同じようにレンズの外周にクリック付で設定されている。操作用のターレットも程良く、クリックのタッチも具合がいい。キヤノンの慣例のとおり撮影者側から見て左がF3.5である。絞り指標はまだ不等間隔で絞ると間隔が狭くなる(しかしワイドと異なり50mmなら不便と言うほどではない)。その上に細いポリッシュ仕上げのリングがはさまり、レンズ先端部にまた縦ターレットが刻んである。これが沈胴部の引き出しの時に摘む部分であろう。レンズの銘板部分は銀色で、ここに「CANON LENS 50mm f:3.5 Canon Camera Co. Japan No.20613」と記載されている。レンズは3群4枚の典型的なテッサータイプで絞りの位置もエルマーとは異なり2群目と3群目の間にある。絞り羽根は8枚でこの時代としては標準的だろう。コーティングはこの時代のキヤノンの普通のものでパープル系が主でマゼンタとアンバーが1面ずつある。
さて写りはどうだろう。暗いレンズなのと当時定評のあったテッサー/エルマーのコピーレンズであるためか(もちろん改良されている)無難な写りで、まったく現在のレンズに遜色はない。少し色乗りを良くしてコントラストをあげると区別はつかないだろう。逆に言うとその2点が古さを感じる部分である。しかしエルマーと比べても遜色はなく、絞りによる焦点の移動も感じられなくて、充分に満足でき安心して使えるレンズだと言える。古いレンズなのでフードは必要だが、エルマーと比べても、当時のレンズとしては逆光で強い方だと思われる。キヤノン独特の線の細さと絵の軽さをどう評価するかで価値に差が出るだろう。当時のニッコールと比べると力強さでは物足りないかも知れない(ニコンは反面荒い面がある)・・・私はキヤノンの繊細な描写が好きだがどうだろう。
色々な国産のライカマウントの古いレンズを遍歴してきた経験から、これからレンズ購入を考えている人に言いたい。種類はたくさんあるがキヤノンとニコンに収斂させていいものと思われる。どちらも仕上げや材質で他のメーカーのレンズを凌駕しており、写りの性質も当時としては両極端で、数もそれなりにあるため、値段はともかくとして程度の揃ったレンズの入手も容易である。私は自分のことは棚にあげてだが読者には「絞った」選択を望みたい。私の持つ他レンズでもトプコールやコニカなどにいいものがあるのは事実だが、数が少なく程度をそろえて広角・標準・望遠と集めるのは至難の技なのである。
繊細なキヤノン、力感のあるニコン、これを覚えておいて欲しい。個性は異なるが同時代のライツに絶対に負けないレンズである。

レンズ構成図/キヤノン公式サイトより引用。真ん中の線の点の部分に絞りがある。慣例により左が前である。 なかなか使い易いレンズだ・・・しかし確かに頭が大きくてエルマーほどスタイリッシュではない。でも!実用派の私は断然こちらを支持する(直進ヘリコイドならもっといい)。キヤノンのレンズは28-135mmまで多くを持っているが(あるいは試している)あとは50mmF1.9(1948-52)の沈胴レンズが欲しいと思っている・・・残念ながらこれも綺麗なものが少ない。当時のボディとくっついて見かけるのだが、カメラ店は外してはなかなか売ってくれない(当然にボディが売れ残ってしまうので考えは理解できる)=私の出入りの店は国産レンズはほとんど扱っていないので、残念ながら時間をかけて見つける他はない。

2008.11、ついに50mmF1.9がやってきた。試してみると予想通り良好。

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