home top

二眼レフへの道 流転の中判カメラ

今回はライカを離れ、今はほとんど過去の遺物に近い状態となってしまった二眼レフの世界をのぞいてみよう。個々のカメラの詳細な評論は別稿にゆずるが、私の撮影の目的に合ったベストな中判カメラの遍歴を序としたい。私は撮影の性質からほとんど35mm判で充分なのだが、印刷効果を考えて中判カメラにも興味をもってこの25年間色々と試してきた。最初は学生の時(1971)父親が若い頃使っていたリコーフレックス二眼レフがガラクタ入れに転がっていたのを引っぱり出して使ってみた。撮影レンズとビューレンズがギアで直接連結されており両方が回転しながらピントを合わすものである。一応フード、フィルター、革ケースも残っており、写真の勉強を始めた頃一度だけ京都の嵯峨野へ撮影に持って行った記憶がある。ピント板が単なる磨りガラスだったので焦点調節がしにくかったが、レンズやシャッターに問題はなく、モノクロのみの撮影だが結構きれいに写った。

 記憶ではこのタイプ…現物がないのでネットサイトから借用した。

 しかし事件が起こった。何ヶ月かの後またこれを持って撮影に出かけようとすると無いのである。なんと!粗大ゴミの日に母親が出してしまったのである。当時使っていた真新しいミノルタの一眼レフなら当然そんなことはしないのだが、私が物置の隅から出してきた古いカメラは(特に腐りかけたような革ケースに入った)ゴミに見えたようである。せっかくそれまで30年近く残っていた物が私が使うために引っ張り出したせいで一巻の終わりである。

 そのあと、学生だった私は深い考えもなくサイズは大きければ良いと考えて(そして比較的安い)マミヤプレスの6X9を中古で買った。50mmF6.3と100mmF2.8付で、特にワイドは暗いがよく写った。そして教授の紹介で中古の卸屋さんで相場の2−3割安く買えたものだ。その後もこの店はずっと出入りし、時には質屋の代わりのようにさせて貰って大変感謝している。

 1975年の琵琶湖・長命寺にて・・・友人の足下に私のマミヤプレススーパー23が確かに置いてある。そしてその向こうにデカいカメラバッグ、当時は車ではなく電車と徒歩での撮影だったのである。若いから重くても平気だった。

 ブロニカS2...せっかくのレンズ良さなのに、あまりにも未完成。他の部分にも色々問題があるが、最大の欠点はそのシャッターショックだ。フィールドで手持ちでシャッターを切ると、その衝撃と大音響は一瞬シュールな気分にさえさせる。

 親戚から来たブロニカS2、かなり重くて交換レンズなど持ち歩けない・・・しかし学生時代、今の私の年代の教授はレンズ3本とボディ、マガジン1個+露出計・三脚その他を持ち歩いていたように思い出すw(゜o゜)w

話はそれたがこのプレスカメラは大きく重すぎて現実的ではなく、つまり35mm判が主である以上サブカメラとしての位置づけなので、そして車もなかった事もあって、その後今はなき「コーワ スーパー66」に買い換えた。これは新品で55mm.85mm.150mm付で購入。フィルムマガジン交換式で、このカメラの最終型である。当時国産の中判の一眼レフカメラはハッセルブラッドを目標として開発をしていたが、本質的にプロまたはマニア用なので採算ベースに乗りにくいらしく選択肢も少なかった。コーワになったのは唐突な結論のようだがこれには理由がある。勿論、ハッセルは買えないので、国産の新品で考えた。レンズ交換式でマガジンも交換できる物となると当時「ブロニカ6X6」と「コーワ6」「マミヤRB67」しかなく、外回りの写真を多く撮る私としてはマミヤRB67は重く取り扱いも煩雑すぎて不可。ブロニカはECの時代で(今S2を持っているが)フォーカルプレンシャツターとクイックリターンミラーの強烈なショックとストロボに全速同調しないことで不可。引き算式にコーワとなった次第である。しかし使ってみるとあらゆる可動部がごりごりとぎこちなく、音もやたらと大きなこと以外はかなり良好で、何と言ってもハッセルに似ていないデザイン(カメラ毎日に「壷のような・・・」と評してあった)や、引き蓋のないマガジン(遮光板がマガジン側に付いており引き蓋は不要)などに独自性を感じ、ハッセルとは違うのだ!と言う意識で使え、我慢カメラではない事がなにより気に入った。7−8年後、不要になって手放した事を今も後悔している。それは当時お金が無く、新しくカメラを購入するためには下取りに出すしかなかった事情もあるのだが、これ以降は一旦購入したカメラは原則的に下取りには出さず(個人的な譲渡・贈与は別)、使わなくともメンテナンスし保管することとなった。一度でも気に入って買い、世話になった事を思うと死蔵になってもそれでも良い、アルバムのようなものである。おかげで今はカメラの山の中で暮らしている。防湿保管庫も7台になった。こんなことなら大型の物を買っておけば良かったのだが、小型の物をカメラの在庫が増えるにしたがって買い足していった結果なのである。

余談になるが賛否両論があるとしても、私は防湿保管庫の効果は大きいと思う。乾燥しすぎになるとか空気が対流しないのでレンズの曇りの原因になるとか言われているが、保管庫に放り込んで何年もほっとらかしにするならいざ知らず、きちんと管理するのならばこのようなことは無いと断言できる。防湿庫が一般に発売されて比較的すぐに使い始めたが、30数年間そのような事は一切なかった。200本(売った物もあるので今すべて持っているわけではない)以上のレンズを持ったが、1本もカビを生やしたり曇りを生じせしめたりしたことはない。無論、私は道具を大切に扱う人間なので木村伊兵衛先生と同じように撮影の済んだ夜(旅先の宿屋でも)、使った全てのレンズ、ボディ、ストロボから様々のアクセサリーにいたるまでを机に並べ、丁寧に汚れをとり埃をはらうことは勿論、乾燥した寒い日には保管庫の扉を開け放って空気を流通させることは苦にしない。

話を戻して、次にコーワからブロニカSQ−Aと50mm、80mm、150mmのセットになった。ブロニカがレンズシャッターになったこととハッセルとほぼ同じ大きさになり携帯が楽になったこと、なによりコーワが生産を止めたため部品やメンテナンスに不安が生じ始めていたことが理由である。ただし写りはなにほども変化はなかった。強いて云えば、くわしくは今解説しないが望遠はブロニカ、標準は同等、広角はコーワが良かった。しかしSQ−Aも2−3年たまに使った程度で、売りこそしなかったがお蔵入りとなった。今度の理由はかなり明確で本質的な問題をはらんでいることである。第1にカラーリバーサルしか撮らなくなったので操作や機構の複雑なマガジン交換式は不必要になったこと。第2にレンズの性能を厳しくチェックすると35mm判に比べ、フォーマットの大型化における画像の高密度化の効果はあっても、スライドを同じルーペで(ちなみにルーペ自身の性能に問題を感じ、\23000もするニコンのX8のアクロマートルーペに替えた)つまり同じ倍率で見ると(35mmの全体と6X6の中央部を見ることとなる)35mmに比べると中判のレンズはコントラストは同じぐらいとしても解像力は結構落ちることが判明した。これはハッセルのツァイスレンズも程度の差こそあれ例外ではない。周辺部にいたってはある程度絞らなければ格段に像が落ちる。極度に発達した35mm判のレンズの優秀さは特筆できる。大昔ミノルタのMCレンズと中判用のレンズを比べた時はこんなに差はなく、中判更に大判の効果の絶大さを思い知らされた記憶があるのだが…。第3にフィールド写真しか撮らなくなったので、とにかく小型で軽量、操作性の良さが中判カメラに求める第一の条件になったことである。かくしてこの辺から理想の中判をもとめた流転の時代が始まる。

ブロニカSQ−A+ゼンザノン50mm+EPR。これも絞ると綺麗に写る。どうも感心しない写りというのは、あくまで絞りを開けたときの話である。若狭・大飯町

まずは上記の三つの条件=1.操作性が良く、迅速・確実に取り扱える 2.35mm判のレンズに近い描写性能 3.小型・軽量しかし堅牢=のうち二つを満たすカメラとして「マミヤM645」を当時定評のあった55mm、110mm(両方ともf2.8)と共に購入する。これは使い勝手、仕上げ共に大変良いカメラで、今(2000年現在)もたまにではあるが愛用している。レンズ描写も35mm判には負けるがその差は僅かで、110mmに糸巻き型の歪曲が多少出る以外良好である。ただしクイックリターンのフォーカルプレン機なので、さすがに645ともなるとショックが大きく、手持ちなら1/125以上でレリーズせねばならない。そうこうしているうちにフジカからレンズシャッターの6X4.5のレンジファインダー機がシリーズ化して発売された(広角、準広角、標準の各々固定レンズ付き)。手にとって考えた結果、準広角60mm付のGS645Sにした。ワイドは距離計連動でなく測距に不安を感じ、標準付は蛇腹式の昔のスプリングカメラの復刻版で、やはり蛇腹の強度・耐候性に疑問をもったためである。M645より更に軽くコンパクト、アイレベルで簡単に撮れるカメラで、しかも露出計が内蔵されているのである。距離計もライカには及ばないが実用的には何ら問題なく、これは最もよく使った中判カメラである。描写はM645の55mmには解像力の点では少々落ちるがコントラストはより高く、全体としてはほぼ互角とみて良いだろう。メーターもTTLではないが正確である。しかし欠点としては作りがプラスチックを多用しており、剛性の点で不安があること(事実、酷使したわけでもないのにレンズの取り付け部分にガタが出た)と、やはりレンズの交換が出来ないことがネックであった。サブカメラとして使っているので2本でいいのである。50−60mmと100−120mm程度のだいたい二倍の焦点距離のレンズが欲しい。そしてこの間、友人達から借りてペンタ67やフジカ69をテスト、そして本番撮影にも使ってみた。両方ともかなり良かったが(特にフジカ69のワイド)とにかく大型で操作性にも不便さがあり、とてもフィールドワークには使えないカメラで諦める他はなかった。つまりレンズの性能は645も67、69も差はなく、フォーマットが大きい分有利と言えるが、持ちきれないのである。特に交換レンズもとなると絶望的である。そのような訳で希な依頼仕事以外(時に応じてSQ−A.M645.GS645を使い分けていた)は中判を使うこともなく長い時間が過ぎ去っていった。

 マミヤM645+55mm+110mmレンズ。

どうと言うこともないけれど、癖もなくきちんと写る...マミヤ55mm+PKR。ペンタプリズムファインダーも持っていて、それだとホットシューが付いているためシンクロ撮影時は楽だ。

 フジカGS645S。使い勝手は良かったがレンズ性能に疑問を持った(35mm判での高級コンパクトカメラと一眼レフのレンズの差がある=実用は充分だが少し落ちるのと各部の剛性)。

やはり縮小率のことを考えると35mm判より有利であることには変わりがない。舞鶴・市川造船所にて。GS645S+PKR

近江八幡の水郷にて。レンジファインダーカメラはフィールドでは使いやすい。残念ながら故障で処分してしまったが、似たようなブロニカRFには満足している=持ち出す機会がなくなったのは仕方のない時の流れだ。

フジカGW690 、これは見開き用に構図を決めて撮るとき最強である。これも車で撮影に回るからで、カバンに入れてウロウロすることは不可能だ。

黒部川・愛本堰堤にて。フジカ69+EPP。ここでは分からないがさすがに69、きめは細かい。

 しかしまたしても偶然に理想の中判を求める気持ちが頭をもたげる機会が訪れた。友人がローライフレックス2.8Fプラナーを購入したのである。その機械としての完成度と美しさには惹かれた。しかるのち同じローライ2.8Fクセノタールを入手し撮影を開始する。先ほど述べたフィールドカメラの三つの条件をかろうじてではあるが満たしており、どうした訳かレンズ交換ができない事も6X6判の場合はさほど気にならないため障害とはならなかった。縦横がないのがやはり使い易さの原因だろう。そしてブロニカやハッセルのような構えたとき前へ出る形ではなく、二眼レフは体に密着し(コーワ6も同じ)、カメラとの一体感が良いと感じられる。これはミラーショックの無さと相まってライカと同じくアベイラブルライト(限界微光量)下での撮影に向いており、また撮影の瞬間も被写体が消えず写った瞬間が見える点もライカと同じで、手持ち撮影のフィールドワークには最適である事に気が付いた。つまり整理すると、1.比較的軽くコンパクト 2.操作が簡単 3.スローシャッターが切れる 4.縦横がない 5.丈夫...これは複雑な内部構造を知った今(2001/3)少しの不安を持っている 6.ライカとの併用に向いている 7.少し外れるが素晴らしい仕上げで、持つ喜びが感じられる等あらゆる点で私の撮影目的にかなったカメラである事が分かった。どうして各メーカーは生産を止めたのだろう?いやメーカーはユーザーの要求を受けて開発するのだから、どうして写真家は求めなくなったのだろう。以前の二眼レフの欠点は今の技術をもってすれば更に完成度の高いものが期待できるはずである。私もそれまでは過去(戦後すぐの大流行があった)のカメラで時代遅れと思い、候補として考えもしなかったのだが…。ローライ2.8Fはかなり撮影し、ただ一点を除いて大満足であった。しかし、その一点が最後に越えなければならない、そして今も解決されない大問題(なにせ新製品はなく中古の中から選択せねばならない...これは2001/3ローライ/駒村商会からFXとワイド、テレの3種の新製品が出ることになった)である。クセノタール80mmの描写に癖があり、確実に思い通りの結果が出ないのである。開放付近では像の緩みがあり中心部以外は甘く、絞るにしたがつて周辺部まで均一になるのだが、中央部のシャープさはほとんど増さず、さらにf8以上になると四隅に放射方向の流れが目立ってくる。コントラストがやや低く、よく云えば軟らかい描写と言えるのだが、実際の解像力より低く見えてしまう。おそらく残存収差がかなりあり、それにフィルムの平面性の保持にも問題があるのではないかと思う・・・ただしローライの名誉にかけて付け加えるが、ここで言う問題点は厳密な意味であって一般的に見て使い物にならないのではない事は当然である。

ともかく惜しい。そこで色々な二眼レフの探索が始まる。

まずマミヤのレンズ交換式の物を除き一番最後まで生産していた「新しい」ヤシカマット124Gの新品同様の物を購入した。これは露出計内蔵で80mmf3.5のテッサー型レンズが付いており、操作性はローライコピー機(二眼レフはほとんどが多かれ少なかれローライの影響を強く受けたコピー機と言えよう)らしく、作りや動きが少々安っぽいだけで使いやすく良好。描写は癖もなく悪くないがM645ほどの性能ではなく(ある程度絞らないとダメ)、ピント板のフレネルレンズの作りが不良で極めてピント合わせがしにくい。また精度の不足からかピントリングの無限遠が合わず、無限遠に合わせるとピント板上は通り過ぎてしまう。ただしピント板であわせると実写と合っているので救われた。撮影レンズと見ているレンズが違うので当たり前と云えるが、レンジファインダー機と同様、二眼レフでは撮影レンズとビューレンズのピントの位置がずれる事が結構多く、この後友人がアメリカで買って来てくれたミノルタオートコードの輸出モデルは124Gと逆にピント板上は合っているのにフィルム面では大きくずれていた事もあった。そのような理由でだろうが上下のレンズは比較的簡単に出したり引っ込めたりの調整ができるようになっていて、このオートコードも調整でなんとか使用可能となった。勿論距離目盛の表示と実際の距離はずれたが...。オートコードEP(エクスポート=輸出モデル)のレンズはローライテッサー75mmf3.5のコピータイプで、似た描写をするが少々周辺部の流れが大きく、絞っても改善されず典型的な非点収差の残存がある。古いレンズ(と云っても1953-4年頃)であることを差し引いても実用の外である。

 しかしオートコードのボディの作りはさすがに良く(特にこれは程度がかなり良かった)、改良を重ねてロングランモデルとなり、レンズ交換式の二眼レフであるマミヤCシリーズは別格として、国産の二眼レフとしては最も一般的で、長くプロアマ問わず使われた一番の名機と言えよう。実は私が写真を始める頃(1970)まで生産しており、かなりプロをして現実的な使われ方をしていた事もあり、なんとはなしに憧れていたカメラでもあった。こと操作性については本家のローライを凌ぐ部分もあり(フィルム装填の工夫やピント合わせの方法など)次には、その改良型で最も完成度や評価の高かったオートコード3の少々使い込んだものをオーバーホールしたモデルを購入した。レンズはあとで述べるローライテッサーのレンズと互角以上の描写をするまでになり、ボディも120/220フィルムの互換性を持たせ、ストラップの吊り環やシャッターも改良された。細かな部品もおそらく意識してローライと異なったデザイン、操作性を持たせドイツの単なる真似から脱出しようとする姿勢はこのころから見えていたようである。ライカタイプでも同じだったように全くのコピー機はいつしか消え、独自性を持った機械は残るようである。私は公平に見て実用機としてオートコード3はローライTと比べて性能的にも機能的にも勝ると考えている。勿論、好みの問題を越えた圧倒的なデザイン・仕上げの良さではローライに勝る二眼レフはないが...。この辺の価値観は皆が持っているらしく、中古価格では両者の差は同程度なら3−4割程度と思ったほど大きくはない。新品だった当時なら7−8倍の差はあったであろう。

 次に自己陶酔的とも云える仕上げの良さに惚れて友人のコレクション品の新品同様のローライT(最終型)を無理に譲って貰った。ローライTグレイ(つまり初期型)にはテッサー付しかないため、クスナー付はテストしただけで買わなかった。グレイが欲しかったのである。本来ならベビーローライ(グレイ)が欲しいところだ。 機械としての魅力以外にもダイアン・アーバスやアービング・ペンの写真のクレジットに出てくることへの憧れもあった事は認める。写りが同じならなにやら勿体なくて(コレクション用のカメラを実用に供するのは−特に他人の心が乗り移ったものは−勇気がいる)このままコレクションになってしまうのかと思って、元の持ち主に話したら一も二もなく返還することになった。これで良かったと思う。彼はコレクターではないが私以上にローライTに思い入れがあったことが良く分かった。むしろ無理を言って譲って貰ったことに今は反省もしている。私のオートコードへの思い入れも先にも書いたとおり、実は欲しくても買えずにいるうちに生産中止となって、買える身分になった時は一眼レフに関心が移って忘れてしまい、二眼レフの可能性に目を向け始めた最近になって、その昔の記憶が蘇ってきた事を告白しておく。おっと、あまりに個人的な話になった。詳細は稿を改めるが、オートコード3も画質的にはまだ不満である。最初に書いたようにフォーマットの大さによるプリント・印刷効果では35mmを凌ぐが、同じ拡大率では遠く及ばないのである。特に中心部の解像力に不満があり、また絞りによって描写に変化が出て、各収差が補正しきれていないのが素人目にも分かる。特に遠距離の撮影で目立つ。また振り出しに戻ってしまった。ペンタ645やマミヤの新型645、更にコンタックス645にすれば一挙に解決するのだが、そうもいかない。先にあげたフィールドカメラとしての三つの条件を満たすには、どうしても二眼レフかレンジファインダーカメラしか無いのである。特にライカと対で使う事を考えるとなおさらこの結論は揺るがない。もう一つの可能性として、フジからハッセルブラッドと提携して開発したレンズ交換式レンジフアインダー35mmパノラマカメラのTX−1に少しの期待をしている。今のままではどちらかと云うと特殊カメラの範囲を出ないが作りは良く、テストの結果レンズも良好で(「カメラ談義20」参照)何よりイメージサークルが6X4.5相当の広さを持っている(公式のパンフレットにもそう書いてある!)し、その割にはコンパクトに仕上がっている。そして開発にハッセルが噛んでいる事、フジがレンジファインダーの中判カメラに相応の歴史と成果を持っている点などを考えるとTX−1のレンズを利用した645のRF機が出ても一向に不思議はない。問題は商売になるかどうかである。私にとっては理想的なカメラとなるのだが...どうだろう? 

夢の話は別としてもう一方の二眼レフの可能性を求める旅は続く。今は全ての二眼レフが生産を止めており(旧東側世界にはある。他にもあるかも知れないが、例としては中国で作っている「テクサー」=現地名「海鴎」これは私も所有しておりレベルとしては50年前の水準と見て良く、今回のテーマからは外れる)、中古の中から選ばねばならない。風評を聞くとローライ3.5Fプラナーが最も良さそうなので3台テストしたが、やはり描写に癖がある。テッサーとは違い中心部は35mmレンズに劣らぬ優秀さを示すが周辺の画質の落ち込みがあり、f8まで絞らなければピントが隅まで来ない。ただし情報として、ある程度製品によるばらつきがあり、開放は無理としてもf5.6なら実用的に問題がないものは求められそうである。あと一絞りであるが、遠い一絞りである。予感としてローライ3.5Fのプラナーかクセノタールが終着駅となるのであろう。また各カメラの詳細は報告しよう。

大阪市天保山渡船にて。ローライフレックス3.5Fクセノタール...プラナーに比べるとクールでヌケがいいように思う。中心部のシャープさはプラナーが完全に上だが、描写の性質はクセノタールが現代的に思われる。シャープ感を求めるために絞り込んだ方が良いだろう。

ローライフレックス3.5F75mm 左クセノタール右プラナー やはり3台目のテストのプラナーに落ち着いた。これにも弱点があるが後の解説にする。中判の旅はまだ続く。この「カメラ談義」に出ないカメラにもハッセル500CM、フジカGS690、プラウベルマキナ67、コーワ6とまずまずの製品を試めしていったが(いずれも性能は良いのだが大きく重い)結論は未だでない。どれもいいのだが「帯に短したすきに長し」と言おうか、まだ旅は続きそうである。

結局これにした3.5Fブラナー。

レンズはシャープだが逆光に極度に弱い。フードは必須と言え、完全逆光ではフードがあっても画質低下は不可避だろう。撮影時は特別に気をつけたい。

ハッセルブラッド500CMxプラナー80mmF2.8T*。やはり作りは最高...機構的にはあまりにも古くさい=使いづらいのでコレクション以外は絶対勧められない。

それでも「我が友ハッセルブラッド」だ。一度もシゴトでは使わなかったが触っているだけで「良き時代」を、それも若い日のスタジオやフィールドの現場を思い出せる。

トップの写真は、本編とは関係のないカメラだが、私の持っている中判カメラのなかでは最も古い「マグナ セミファースト」である。東京光学の7.5cm f4.5 アナスチグマットとセイコーのシャッター(スピードがB.25.50.100しかない)が付いた645(当時はセミ判と云っていた)の一時期大流行したスプリングカメラで、レンズコーティングもない戦前の製品と思われる。知人の納屋から出てきたもので、どうやら先代が使っていた物らしい。少し手を入れたが完動品である。また一台後世に残ることとなった。

 ヤシカマット124Gとミノルタオートコード3。

ミノルタ・オートコード・エクスポート(左)とオートコードIII、細かな差異はあるものの「同じ」と言っても差し支えない。しかしレンズの性能はかなり違う。国産二眼レフでは最高のカメラだろう。

マミヤC系は高級だが、あまり大きく重い。スタジオならいいかも知れないが、とてもフィールドでは使えない。まして交換レンズなど考えにくいことある=これは55mm付、この組み合わせのみで動くなら何とか可能かも知れない(私はLeicaを持つので無理)。

1979年に発売され、当時は何となく「オモチャ」的な感じを持っていて食指は動かなかった。実際にやや構造的に無理があり、蛇腹近辺や露出計、距離計などにヤワさがある。後日これの程度の良いカメラを店で触っていたら、壊れるから触らないで下さいと言われた・・・腹が立つより、このカメラの本質を言い当てていて(知り合いの店なので冗談半分=でも本気も半分)可笑しかった。あまり完全に動作する個体は少ないだろう。写りは最上等とは言えないが仕事で使えるレベルだ。

蛇腹をたたむとこうなる…洒落たカメラだ。

 ローライT=さんざんテストして、あちこちを調整して、それでも目を見はる性能は出せない。機械的には完璧だが、結局仕事では使えないレベルである…店と相談して置物として買った...本当は近距離ならいいピントが来るので目的を限ることにする。この時代のテッサーはどうも?で、ローライTならシュナイダー・クスナー75mmF3.5付がいいだろう。

2002.6…近江八幡にて。絞ると何とかなる(ローライT)。

私がかなり以前に使っていたローライフレックス2.8Fクセノタール。悪くはないがやはり写りは古くさい。絞りによって描写が変わり、特に開放近くでは周辺に流れが出る。シャッターにトラブルが出て手放した。

クセノタール80mmF2.8+EPP。少し絞ると(F8)とてもよく写る....故障が惜しかった。

ブロニカRF645=中判にもハイテク技術(?)が入ってきた。私は電気カメラには慎重だが、やはりフットワークの軽いこのようなカメラを待っていたいのが本音である。しかし価格暴落の購入時フィルムカメラ時代の終焉を迎え、理想の中判カメラも使うことはほとんどなく終わった…

ローライフレックス3.5Fブラナー(1960-65=おそらく比較的初期モデル)と2.8Fクセノタール・限定ゴールド(1984)。左のノーマルな仕上げで右のような未使用品があればいいのだが、コレクション品ゆえ未使用品で残っていたと諦める他はない。金ローライは最末期のモデルであるためか性能は非常にいい。

レンズは当時の国産レンズなら常識のマルチコーティングを1面だけ施している。レンズが最末期に改良されたことが分かった。性能はかなり良くなったが持ち歩くのが恥ずかしくあまり使えないカメラだ。

コーワ6を再取得した。純正ストラップ付(新品!)である=これがないと吊れない。標準レンズの画質は私の持つ中判標準レンズ中最高だ=単なるシャープさだけで比べた。

純正のケーブルレリーズ付グリップもついていた。前のはスーパー66のクローム(ハッセルと同じ仕上げ)だったが、今度はブラックペイントボディである。

 またまた久しぶりに中判カメラを買った。コーワ6MMである。上のノーマル6から多重露出機構が付加されたモデルで、他のカメラと同様値下がりが著しく、かえって私には購入し易くなってしまった。特に目的はないのだが、6がブラック仕上げなので、私がコマーシャル現役時代のクローム仕上げが欲しかったとしておこう。ボディ3台にレンズ2本(55mm&85mm)という不自然な構成となった。

 復活、フィルムカメラが全滅して安くなったために使うことを前提とせず、思い出を買うために再購入=コーワ・スーパー66・・・最後のコーワのカメラでもある。これでカメラ業界から撤退した(光学製品は継続=バードウオッチング用フィールドスコープや展望台などにあるコイン双眼鏡はよく見かける)。私は結局コーワSIX系のボディを全部で5台持ったことになる(現在3台)。

 nagy

home top

copyright nagy all rights reserved

inserted by FC2 system