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ミノルタ オートコード

私の好きな二眼レフ

前回に続き二眼レフの世界を垣間見てみよう。先日他の調べ物があって図書館へ行ったときのこと、用が済み時間が余ったので何気なく書架にあった「写真工業」の1999/11号を読んだ。記事としては例の「ヘキサーRF」の特集を載せていたのでそれを読み、あとのページをパラパラとめくって行くとClassic Cameraのコーナーがあって(著:伊東二良氏  これを以下1.と呼ぶ)ここにミノルタオートコードの解説がなされていたのである。偶然にも私と同じ機械でのテストが載っており、大変興味深く読ませて頂いたと同時に前回の「カメラ談義−8−」に書いていた事と関連があるので参考となった。私は文献研究者ではないのでこれ以外には「カメラ毎日」1984/7号の「名機いまだ衰えず」(著:児島昭雄氏 以下2.と呼ぶ)しかまとまった形では読んではいないが、先の伊東氏の評論に出てくるオートコードEP(米国むけ輸出仕様=PX専用との説もある)と児島氏の評論で使われているオートコード3を両方持っており、実写も含め現物で確認しつつ述べてみたい。歴史的な記述は両氏の論によるところが多いこともおことわりしておく。前回も書いたとおり、私が写真を本格的に始めた頃、いや直前の1970年(私は1971年から本格的に写真を始めた)に生産が中止され、私にとって買えなかったが中判カメラのちょっとした憧れの対象であった。勿論、中古なら手に入ったのだが前回の談義に書いたとおりの理屈で長く忘れていた。しかし途中「秋山亮二」や「植田正治」など私の好きな作家の作品のクレジットに「ミノルタオートコード」が出てくる時なんとはなしに気になっていた事も事実である。ただコマーシャルの仕事をしている頃は二眼レフなどとはどうしても考えに至らなかっただけである。そしてこの2−3年の間で中判のフォーマットなら、今の私の写真には二眼レフが最も適した(そして35mm判はライカM)カメラだと云う結論に達した。

他の二眼レフの事は後日に譲るとして、まず友人がハワイへ行った際、妙なオートコードを買ってきてくれた。輸出用と云うのは距離の表示がfeetのみで、吊り金具に「EP」(エクスポート)と彫ってあるのですぐ分かったが、疑問としてあった2の論にあるようにシャッターはシチズン製ではなく(2の論では国産のモデルのみを論じてあり、オートコードのシャッターはすべてシチズン製である由、述べてある)セイコー製である事が1の論で氷解した。輸出モデルは1955〜年製のオートコードL(セレンメーター付タイプ)からメーターを除いた物であると論じている。私が管見するにオートコードやオートコード2、オートコード3、等の各タイプとシャッターのみならずボディ回りの細かな点を見ると微妙に違い、それでいて大きく見るとほとんど同じの不思議なボディに見えていたのである。ただし違いは分かったが、では何のために国内モデルと異なったタイプにしたのかは少しも理解できない。そもそも国内バージョンでもオートコードは基本モデルが7種、Lタイプが2種、後期のCdsメーター付が3種、その他フォーマットが5X4、4X4判が撮れたRAが1種と1970年に生産を止めた後、希望者の声が多く、部品を集めて100台程生産されたオートコード2型改とも云えるタイプが存在し、生産を開始した1955年から約15年でかなり多くのマイナーチェンジを繰り返した。そして私にはどう考えても必然性のある改変とも思えないのである。どうもこの時代は手作りに近い生産方法で、ほんの少しの改良を施すことは比較的簡単であり、コストの大きな上昇には繋がらなかったのであろう。現在ならこの様に毎年のようなマイナーチェンジはあり得ず、何年かごとの根本からのモデルチェンジとなるであろう。輸出モデルもそのように考えれば細かな違いの差が理解できよう。ともあれこのオートコードEP(このネーミングは私の作った便宜的なもので実際にアメリカで、あるいはミノルタ社内でどう呼ばれていたかは不明である)は他にも不思議な所があり、順に記して行こう。まず外見も中を見てもほぼ新品である点、まずは死蔵されていたカメラと思った。なにしろ1955年を大きくは越えない製品であり、40年以上経っているとは見えない。傷も補修の跡もないし、埃を被ったり汚れを洗いにかけた痕跡もない。作動も何の問題もなく、一カ所だけビューレンズの枠の上に薄く錆が浮いていた位である。早速テストである。仕上がったフィルムを見てびっくり!完全にアウトフォーカスであった。修理屋さんの測定器でチェックしたところピント板、ビューレンズ、ピントレバーは合っているが、肝心の撮影レンズがノーマルの位置にあるもののピントが全く合っていないことが判明した。つまり撮影レンズがノーマルのものではなく別のオートコード(あるいはその前のフレックスやコードの物かもしれない=ロッコールとなっているがオートコード3の物とは全くコーティングが異なり、レンズ外周の文字のデザインも古いタイプである。ただしレンズ構成は覗いた限り同じ3群4枚のテッサータイプである)のレンズが付いていたのである。外見からは同じように見えるが、レンズの場合バックフォーカスが数ミリ違うと、とんでもない事になる。とりあえずレンズを移動・調整し、ピント板、ビューレンズ、撮影レンズのピント位置を合わせてもらいピントは合うようになった。ピントレバーだけは無理で1.8mまでしか繰り出せない(ノーマルなら1mまで)状態となったが良しとしよう。レンズはやや古いタイプとはいえ何も傷、曇りもなく、これも新品と同様に見える。類推するにアメリカの業者によってオートコードの部品を集めて作った物かも知れないと思われる。すべてのオートコード更にはなにがしかのフレックス、コード・オートマットまでがマイナーチェンジを繰り返したために部品の共用が可能で、寄せ集めでも組み立てられると云うことなのであろう。このハワイの店も詐欺を働くような店ではなく、分からずに販売していたことは間違いがない。レンズの外見はそれ程変わらないが、その描写はオートコード3と比べると格段に悪く、周辺は同心円方向に流れ、典型的な残存非点収差が出る。当然ながら絞ってもほとんど解決しない。中央部はほぼ良好である(勿論その時代としては)が絞りが開いているとピントが合っていてもハイライトに滲みがあり、実用の外と云えよう。色彩は不思議にニュートラルである。この美しさと珍しさからするとコレクション用としては良いかも知れない(ちなみにハワイにて日本円で約38000円)。

さて、次に入手したのがガラクタ屋的な中古カメラ店にて、これも不思議な新品の純正革ケース付のかなり使い込んだオートコード3である。かなりの傷があり、しかも素人が施したような補修のあとが各部にあった。しかもケースがあるのにストラップがない。このカメラは形は違うがローライのようなはめ込み式の専用の金具でストラップを吊るようになっており、純正品でないと吊れないのである。ただしこれもEPの金具(これは汎用ストラップで可)とは取り付けネジの位置、大きさが同じで完全に互換する。そこで親戚に頼んでEPのものを見本にしてステンレスで作って貰った。専用の物はバヨネット式なので製作は簡単でないが、撮影するにはEPのスリット式で充分である。基本的には3は最終モデル(1965)と言って良く、細かな改良がなされている。例をあげると120−220両方に対応しており、フィルム圧板やフィルムの巻き上げクランクの形状、レンズの性能も改善されている。操作感はほとんど古いモデルと変わらないがそこがマイナーチェンジだとも云えるし、ある意味で完成度が高く、ファンも多く再生産の運びともなったのであろう。以前にも書いたとおり私は操作性の良さと言う点ではオートコードは最良の二眼レフと思っている。まず巻き上げのクランクがボディの上に止まっており、そこを基点に前の下へ押し下げるように巻き上げ止まった位置から逆転させてシャッターセットをし、元の場所に戻す。この一連の作業が大変扱い易いのである。その他のオートマットの機械はローライフレックスを真似た設定で普通はクランクはたたんでボディ下方にあり、まず上方にクランクをあげ、それから同じように前下方へ回してのち逆転させ、またクランクを折り返してボディ下方へたたむという行程である。つまりクランクを「たたむ、のばす」という作業が多いのである。手間の問題だけではなく、クランクを動かすというのは大きな動きで困難な状況下では小さな動きで作業できるのは本当に助かるのである。風雪にさらされ、岩場や森林の中などのフィールドで写真を撮るには小さな差も大きな差となることもあるのだ。次に今も感材の改良によって良くはなってきているがブローニーフィルムの場合の平面性への対処である。いくらレンズの性能が良くてもこれが悪いとピントは正しく結ばない。絞り込めば大抵解決するが深度が浅くなると平面の物を撮っているのにピントが凸凹にあうことが結構あった。他社がやはりローライを真似てフィルムが下から上へ送られ、結果として90度曲げられてから画面に入りここで撮影、そして上に巻き取られて行く。この場合連続して撮影するときは問題ないが途中で止まってしばらく放置すると折れ曲がり癖がついて、次に画面に入ったときカールされた状態で露光される事となる。これは圧板の精度とは別に大問題である。この点オートコードは逆に上から下に巻き上がり、平面のまま画面に到達し、90度曲がって巻き取られていく。露光後はカールが出ても当然問題はない。これは二眼レフの内部を見ればすぐに分かるが、上にミラーボックスがありスペースがないために下が広いL型のフィルムスペースとなるからである。それにしてもローライはなぜこの点を改良しなかったのだろう?私の考える他のオートコードの先進性は、ある程度好みや使用法のバリエーションの中で吸収できることかも知れないが、当時はもっとフィルムの性質が悪く問題としてあったし、ローライの場合f2.8のレンズまで装着していたのだからこの点で無視は他メーカーよりも出来なかったと思われるのだが...。次にバックドアが下をヒンジとして上から開ける事があげられる。ローライやそれを真似た他メーカーはすべて上をヒンジとして下から開ける。ある意味ではフィルム装填の方向が逆なので、このようにならないとし難い面があるので当たり前とも云えるが、実は別の効用がある。ローライは三脚に付けると雲台に邪魔されバックドアが開かず、フィルム交換はその都度三脚から外してのみ行える。オートコードはこの点下がヒンジなので決してやり易いとは云えないがバックドアを三脚に固定したままボディを前に倒すように開けてフィルム交換ができる。大量に撮影するときは便利である。単に手間が減るだけではない。三脚で角度や水平垂直を決めたまま撮影ができることも失敗を未然に防げるのである。たんびにセッティングを決め直すことは水平が狂ったりするリスクをいつも負うことになる。上にも書いたような悪状況での撮影が多い私としては大切(手がかじかみ、疲労し頭が朦朧としてくると失敗が増える)なことである。前回にも書いたが、フィールドワーク用のカメラの三原則は 1.軽くコンパクト 2.操作性の良さ 3.レンズの基本性能の良さの三つである。この内の2がたいへん良いのである。本家のローライを凌ぐ部分とは端的に言ってこの事である。更にもう一つ、私にとっては実は最大の美点としてピントの調節の方法がある。やはりこれも他メーカーはローライフレックス(コードの時代は右手で操作の多くができたのだが…)を規としてボディ左手のピントノブを回す事でおこなう方法が一般的であるが、オートコードはボディ下部のピントレバーを左右に動かすことにより焦点調節をする(この方式も他メーカーでも試みられたが、全体としての完成度が低く早いうちに消滅した)。まず合わせるという行為そのものもライカのピントレバーと同じように迅速で無駄のないやり方で(ライカと対で使うときはなおさら違和感がない)、文章で書くと分かりにくいが、例を挙げるとフィルムの巻き上げをバルナックライカ等の昔のカメラのようにノブをぐるぐる回してするよりも今のカメラのようにレバーで直線的に巻き上げる方法の方がよほど合理的であることは理解できるだろう。勿論、細かな調節という点ではノブ式も悪くはないが、ここではフィールド写真を前提としているので素早さを優先させ、微妙な調整は訓練をすることを求める。更にオートコードのレバー式は微妙な調整も問題はない事も言っておく。もう一つピント調整の方法により、カメラ全体の操作性に影響が出ることもある。中判カメラを野外で手持ち撮影をするときには時に問題が出るのである。まずローライの撮影手順を述べよう。1.右手でカメラを下から保持し(手のひらに乗せ下からボディを掴む形)左手でピントフードを開ける。同時にルーペを立てる。2.左手でピントノブを回し焦点を合わせる。3.カメラの保持を左手に持ち替え、右手でシャッターボタンを押しレリーズする。4.右手でクランクを回しフィルムを巻き上げる。5.また右手保持に持ち替えて2に戻る。対してオートコードでは1.左手でカメラを下から保持し、右手でピントフードを開け、ルーペを立てる。2.空いている右手でピントレバーを動かし(またはライカ式に保持した左手の人差し指でレバーを動かす)合焦後右手人差し指でレリーズする。3.その右手ですぐにクランクを回してフィルムを巻き上げる。Cそのままの体勢でピントを合わせる。お分かりであろう。つまりローライフレックス型だと常にカメラ保持とピント合わせシャッターレリーズ、フィルム巻き上げの一連動作で右手左手の持ち替えが前提となっているのである。これは迅速な撮影にとつては大きな差と言える。スピードの差は勿論、持ち替えによって不用意にダイアルが動いたり、手が滑ったり持ち方がずれたりして、カメラの保持に破綻が起こり、結果としてピントがずれたり、画面が傾いたり、果てはシャッタータイミングをずらしたりする事も起こりうる。つまり撮影上のリスクが大きくなると云うことである。ここら辺のことはローライも了解していたと見えて、ローライT(ベビーローライ44も)はピントノブはそのままだが、ボディを保持したまま右手でレリーズ出来るようにシャッターボタンの取り付け角度を変更し操作性を高めている。しかしフィルム巻き上げ時はやはり左手でカメラを保持し右手で巻き上げることは同じで、持ち替えのタイミングが変わるだけで連続の撮影はオートコードにかなわない。35mm判カメラだとあまり感じないが中判になるとカメラが大きくなり、しかもゴロリとした形にどうしてもなるためこのような事が起こるのである。逆にいかに今の35mm判カメラが完成された操作性を持っているかもよく分かるだろう。最近の中判カメラは外見はあまりそうは感じないが、操作してみると35mm一眼レフやレンジファィンダーカメラに似ていることがよく分かる。話はそれるがその意味では最近30年ぶりにモデルチェンジした(それだけ完成度が高かった)ペンタックス67は先見性があったと云えよう。

ただし操作性の点でのローライの弁護もしておこう。先のT型はライトバリュー式の露出調整方式を持っており、一つのレバーで押し込んだ状態でライトバリュー式の調節、引っ張った状態でシャッターと絞りの組み合わせの変更がワンタッチで行える。これは左手で出来るのでピント調整と露出調整を時間差少なく確実に行える点で優れている。残念ながらオートコードは旧式の左右にレバーが出ており、左が絞り、右がシャッターと露出の調整は狭いスペースで左右からゴチャゴチャとせねばならなく誠にあか抜けない。この点は古いローライを真似たシステムのままである。更にもう一つはフィルム装填時、オートコードはいわゆるスタートマーク方式で1枚目の位置決めをしているのに対し、ローライでは古い物やTやコードを除きフィルムガイドの或るバーを潜らせてスプールに差し込み、いきなり蓋を閉めて巻くと120フィルムの紙からフィルムの部分に移行する僅かな厚みを検出し1枚目の位置決めをする便利なシステムを採用している。薄暗がりの中でのフィルム装填には大変役に立つものである。浅学ながら現代のカメラまでこの機械的なオートマチックを知らない。最近の645一眼レフはどうなっているのだろう。最終型のGX2.8はTTL測光になったし、ローライも時代と共に改良はしてきた。オートコードももう少し二眼レフが延命していたら更に素晴らしいカメラになったことは想像に難くない。惜しいことである。製造中止後プロやマニアから再生産の要望が強く上がったのも理解できる。ローライもその後生産を止めたり始めたりして、ついに今年(1999)最後の2.8GXを限定生産してその命脈はつきたようである(2001年、FXが生産され、その後ワイドも発売されている)。

さて、操作性の事はこのあたりにして、描写性能に移る。やはり古い3群4枚構成のテッサータイプの描写に多くを期待してはいけない。私のEPに付いている物と比べると格段に良いが、絞りが開いていると周辺、特に無限遠に甘さがあり、中央部は実用の範囲にかろうじて入っているがコントラストはやや低くハイライトに滲みが出る。絞るにつれ周辺まで良像部分は増え平均化するが中央部のシャープさは増さず眠い描写のままである。解像力はそこそこあるのだがコントラストが低いことが原因だろう。テッサーの75mmも同じような傾向だが、ややコントラストが高く見かけ上シャープに見える。ただしオートコード3のロッコール75mmは条件が良ければ(晴天で、しかし対象物があまり輝度の差が大きくない被写体をf8以上に絞ってなら=つまりコントラストが出る光線の状態でハイライトの滲みの出にくい条件。案外ストロボなどは適している=矛盾した書き方だが)軟らかさの中に線の細かさが出て味のある描写となる。ライツのビゾ用レンズのエルマー65mm(これもテッサータイプ)とよく似た描写と特性(ただし最良の絞り値は全く違うが)にも同じような話が当てはまる。この結論はとても大事な話である。今は理解しにくくともよく覚えておく事が肝要。フィルム何本もテストしてようやく得た結論である。言葉で書くと簡単だが実写ではなかなか難しい。操作性の良さをなんとか利用したいという執念の結果である。色彩の再現は古い割には良好で癖は少ない。本家ローライテッサーよりあっさりとした色で、コントラストの低さをカバーするためにやや浅めの露光が望ましい。よりサラッとした色味となり上記の絞り値や光の条件を満たしたとき、軽い風のようなものを感じる絵となる。ローライのテッサーは大筋では似た描写ながら光の滲みは感じられず、線の太い重い描写となる。周辺光量がほんの少し落ちる。そして色彩の再現も異なり、やや色が濃く湿度を感じる表現となる。特に青系の発色が強い。全体が青っぽいと言うのではなく青の明度が下がりやすく、結果として青色が濃くなるのであろう(ちなみにブローニー版のテストフィルムはどちらもEPPである)。やはり現代のカールツァイスを多少は感じ興味深い。ただこれもピントのシャープさが来そうで来ないもどかしさを感じる。確実なのは近距離の(接写ではない=2−5m)描写が良く、ダイアン・アーバスやアービング・ペンの人物写真に実力を発揮したことには納得できる。写真のとおり少しテッサーが大きく特にピントフードには差がある。見た目はそっくりに見えるが他の国産マシンに比べると機構的には大きく異なり独自性を感じる。仕上げとデザインの粋はローライに遠く及ばないが一度は使ってみる価値のあるモデルと云えよう。私もいつか登場させる「 ローライフレックス3.5Fプラナー」と共に中判の主力機種として永く使っていきたいと考えている。

左オートコードEP、右オートコード3。ほとんど同じだが細かな部分で異なっている。

本家ローライTグレイ。現代からみると写りはたいしたことがないが、その仕上げ・操作性は素晴らしいのひとことである。オートコードもこれ位の品質感が欲しかった。

富山県高岡市の海岸にて。近所の女子高生が海岸清掃のボランティア活動に来ていた。はなはだ効率は悪そうだが、この精神を育てることが海辺の将来にとって大切なのである。ピーカンだが、このレンズのコントラストの低さが分かるだろう(シャープさは「ほどほど」だ)。

最後にもう一度メーカーに云いたい。各社とも色々改良は為されたが改良の極地まで到達する前に二眼レフは消えてしまった。この論に待つまでもなくフィールドカメラとして一定の価値のある二眼レフを復活させて欲しい。現在の国産メーカーの技術力をもってすれば理想の二眼レフが作れようし、ヘキサーRFのように少数生産でもある程度高い値段に設定すれば採算もとれよう。どうしても必要な人間もいることを忘れないで欲しい。多分いつの日か私の期待に応えてくれることと信じている。

アトリエ整理をしていて久しぶりに対面した…と言っても昨年最後にフィルムで撮影したカメラはこれだった。不思議な気分だったが(私はしばしば気分でカメラを選ぶ)最後の120フィルムをボディに詰めるとき、ローライと思った、しかし実際はオートコードIIIになったのである。

  nagy

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