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ΦインフォメーションФ     開始 1999/12/28    ブログへ...ブログと本編を両方運営する  

ライカL-M.1「広角系」/1

ライカL-M.2「標準系」/1

ライカ L−M.3「望遠系」

ライカボディの話

ライカL-M.1「広角系」/2

ライカL-M.2「標準系」/2

カメラ・レンズの話

デジタルカメラ・レポート

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「港の景観−民俗地理学の旅」

2009〜2014のデータ

 20

2015-2017のデータ

デジタルカメラ・レポート2011-2015

  インプレッション・エクスプレッション

2024.1.1

さて、また1年経った....やはりまだ続けようと思う。写真は我が地区の氏神たる八大龍王社の森である。真ん中に小さな鳥居とその奥に社殿がある。毎年のことだが元旦の夕刻に詣ることにしている。何十年も経つうちに周りは少しずつ変化し、昨年「どうかな?」と感じた右の農家はついに廃屋となった。2020年の年賀の写真(下に掲示)の青々とした畑が背よりも高い雑草に覆われていた。このところブログでも暗い話題が増えたが、今年は私の地域での明るい展望がひらけつつあるので近在の文化的な景観の写真を写していきたい。

2023.1.1

多忙と体力低下で更新ままならず…しかし本年も続けます。

2022.1.1

昨年もなんとか無事に過ごせたし、たくさんのフィールドを訪れて多くの写真にも恵まれました。今年度のテーマは「近接離島と連絡船」でしたが(まだ3月まで続く)次年度はどういう方向に行くのでしょう。サイトを立ち上げて22年目、活動している間はまだ続けることになります。

2021.1.1

木津川の八幡市と久御山町を結ぶ通称「流れ橋」、時代劇のロケ地で著名だ。今は渇水期で広い河床は大部分が干上がっている。12/30に橋を渡ると、その砂地に色々な模様が石を置いて書かれていた。そして「2021 丑年」を見つけて撮影した…これも新しい河川文化と考える。

*今年も無事明けた…またこれから1年サイト運営を続けます。よろしくお願いいたします。

2020.1.24

 LUMIX GF-2

ずいぶん以前に入手した(製品モニター)LUMIX GF-2とOLYMPUS E-PL2のキットズーム=いずれも1−2度使っただけのカメラ・レンズだ。これがついにLeica M9使いの友人の所へ行くことになった(普通のデジタルカメラは持っていない)。シューカバーだけはPanasonic製ではない。ともかく埋もれていた(私は使わなくなっても売らない)モノが復活するのは嬉しいことだ。触ってみると昔のカメラと云っても大ヒット商品のLUMIX GF-1の改良型で、モニターはタッチパネル式で当時としては先進的と言える...使わなかった理由も服のボタンがモニターに当たってあらぬところでシャッターが切れたり設定が変わったりであった…2010/12発売。

2020.1.1

私のムラの氏神の八大龍王社へ必ず1月1日に初詣…丸21年が経ったが今年もサイト運営を続けます。

2019.8.6

bauhaus 100周年に、Leica CL-bauhausに次いで、最後のbauhausと言われている"Max Bill"のbauhaus 100th modelを買った。動機はCLと同様である。

若き日のMax Bill。

2019.7.11

SIGMA fp

またSIGMAから面白いカメラlが出た…Leica Panasonic SIGMA のLマウント提携でどんなカメラが出るのかと思っていたら、想像より意表をついたボディ(そのコンセプト)だった=Leica / Panasonicが従来型のミラーレスだったのに対して、SIGMAはNikonやCanon、SONYなどとの競合を避けて、まったく新しいシステムのカメラを出したのである。成否はこれからとなるが、FOVEONで半成功だったボディ業界への再挑戦である(レンズではすでに定位置を獲得した)。実際に触ってみるのが楽しみである。

2019.7.5

*Leica ME/240についての追補…Leica Japanに問い合わせたら、完売との回答。6/23の非公式発表、7/3の公式発表、そして7/5朝の回答である。おそらく筆者のLeica CL-bauhausと同様に日本への割り当て台数が少なく、6/23の時点で価格はともかくとして(価格が発表されたのは7/3)無理矢理の予約が入り、完売したものと思われる(税込み54万円)。Leica M Typ240の価格を考えると破格の扱いである=旧Leica MEの時もそうだったため注文が殺到したのだろう。違うのは今回はサイトにもあるとおり限定的なモデルのため売れ次第終了ということで、定番製品となっていた旧モデルとは別の取り扱いであったことだ。あくまで結果はLeica Japanの答で、可能性は高くないが、ひょっとすると小売店が買って在庫として持っているかも知れない。

https://store.leica-camera.jp/news/news-detail/689

2019.7.4

Leica ME/240が販売されるようである。旧Leica MEより進歩しているが価格は同程度とLeica系レンズを持ってはいるが、ボディを持っていない人には朗報だ。似たようなモデルにLeica M Typ262があるが、装備としてはこちらが上で、最近の新型フルサイズミラーレスカメラの価格を考えると、お勧めできるボディである。

2019.6.4

Leica CL bauhaus 100th Modelがやって来た。実用的なこととは考えていないので「デジタルカメラ・レポート」には書かなかった。世界限定150台なのでLeica-Japanに聞いても日本に何台入るか分からないと言う…取りあえず予約だけ入れて(予約制度はなく勝手に頼んだだけ…)待っていると、6/1に「入りました」との電話があり、今日取りに行った。bauhausのロゴ(ボディとストラップにあり)と099/150の限定シリアルナンバー、そして黒いLeicaバッヂ、それだけだ。筆者は芸術を学び始めた頃、最初に読んだ専門書が「ザ・ニュービジョン」ラズロ・モホイ=ナジ著であった偶然と、筆者なりに「写真は記録だ」の結論が、一貫してbauhausとLeicaでここまで来たすべてと言っていいのである。バルナックライカによく似たLeica CLとbauhaus 100thの出会いは最後のカメラにふさわしいと直感してLeica-Japanに無理を言った次第である。現実にはα7系やNikon Z系で当分は撮影するが、たとえ引退しなくてもシゴトや研究のための撮影から離れた時は、M型も含めてLeicaで撮り歩きたいと考えているのである。それにふさわしい1台が加わった。

2019.4.30

平成最後の写真…4/28に詣った初瀬の長谷寺の新緑の五重塔。平成になって二十数回(最多)も通った思い出深いお寺である。

2019.3.25

本年度の「フィールド写真講座」展覧会の作品9点を紹介する。実際のプリントは半切なのでもっと迫力がある。

2019.1.1

1999年にHPを始めて、あっという間に20年…しかし今年も続行します。写真は2018.10の尾崎八幡神社の秋祭り。

2018.10.14

今日は突拍子もない撮影行(取材は多岐に渡る)を実施…滋賀の磨崖仏探査である。ここは富川磨崖仏で国道422号線沿いの山にあり、行きやすいかと思われたが、ことしの複数の台風被害により参道(寺ではないためそれほど良い道ではない)に崩壊が進んでいて、倒木を越え、崩壊地をトラバースするなど難儀をしてようやく1時間近くかけて着いた…崩壊現場でふたてに分かれて別の道を歩んだ友人はとうとう着けずに1時間半後に下山した。駐車場は勢多川漁協の詰め所にあり、ここで友人を待つ間に貴重な地元の話も聞け、有意義な時間を過ごせた。それにしても道なき道を歩むなど久しぶりのことで本音では血が騒いだ…11月も別の磨崖仏を踏査する計画である。

詳しい由緒はこちらを参照富川磨崖仏

今回はα7+SAMYANG AF24mm/F2.8の実地テストも兼ねていた。ほとんど問題はなく描写も悪くないが、「希に」AFが決まらないことがあるため注意…緑の合焦マークが出ないため分かるが、遠近競合などではなくAFが効かないケースがあるのである…シャッターボタンを離して押し直すと回復するが、これは接点(あるいはモーター)に何らかの不適合性があると見てよいだろう。

2018.10.2

台風通過直後の写真、木の葉がたくさん積もっているが被害は無し。古いLUMIX GF-1+ボディキャップレンズBCL9mmF8 fisheyeで撮影…遠距離は怪しいが近中距離は想像よりもシッカリ写る(リサイズ以外無補正)。

2018.9.23

今日は近所の夕方散歩…と言っても乱開発地帯の取材である。6月の地震から7月の記録的豪雨、そしてふたつの台風直撃と、その度に訪れている。今回は少し遅れたが台風21号(付近では避難勧告が出た)のあと初めて来た。やはり土砂の流失は過去3回の訪問時より大きくなっていて、擁壁のない大部分の危険度は高まっている。今回は直下の住民から詳細な話が聞けた...まだ土砂崩れまでは至っていないが土砂は水路や用水へ流れ込み、住民の不安はつのるが不動産・土木事業者は対策をとらず、議員など町の有力者も是正勧告に腰引けな様子である。資金がないのと、すでに何年も前に許可を出してしまっているからだと思われる。

上の写真は左上の如来堂から撮った(草が生えているので分かりにくいが、すでに土台まで雨に浸食されている)。そしてこちらは上の写真の4棟分ほど造成されている場所からの撮影。工事は止まっているが現況を見れば土地を買う人はいないだろう。最悪は資金難で現状のまま放置され災害が起こることである。

2018.8.15

「ほうらんや」

今日はお盆、町ではすっかりお盆の習俗が失われたようだが、全国を見るとまだまだ観光と関係あるなしに関わらずお盆の祭りが行われている。これは2012年の奈良県橿原市東坊城の「ほうらんや」である。ここもこの15年の間に3度ばかり訪問したが、その度に観光客が増えて、古くからの村祭りの雰囲気は少しずつ変わってきている。それでも続けて欲しいと思っている。

2018.7.6

昨日から強く弱く雨が降り続いている。私の住む町にも避難勧告が出た…大河川は増水への防備が整っていて問題はないが、郡部である我が町には田畑や山が多く、小河川や用水路があって(ほとんど治水対策はなされていない)これらが小さな氾濫を起こして低い場所へ流れていくのである。古くからの民家はほぼ微高地にあり被害はないと思われるが、低い土地に建つ新興住宅への浸水や道路の冠水により現状は良くない(私の家は高台なので大丈夫だが…)。 LUMIX GX8+G VARIO12-60mm F3.5-5.6 =玄関前から。

2018.6.29

今後のサイト運営について、旅の写真Aは「民俗・地理学のフィールドから」に、写真Bと日々のよもやま話は「ブログ」にアップすることにし(写真A/Bは上下ではなく、ふたつの旅写真を並行して出す場合のこと)、このページは「インフォメーション」だけにすることにとした=もちろん状況が変われば別である。カメラ関係は各カメラ関係ページに書いていく。

2018.6.16

今日は比較的爽やかな日だったので昼から、新カメラのフィールドテストを兼ねて近所(と言っても車で40分)の岩船寺へ行った…先日の浄瑠璃寺の近く。

ここは花の寺としてアジサイで有名で、手入れも行き届いていて境内は色々な品種の花が満開であった。先週の長弓寺とは様子が違っていた=もちろんこちらは拝観料が必要である。

カメラはLUMIX GX7-II、レンズはLUMIX G14mmF2.5…使い勝手はLUMIX GX7やLUMIX GX8で慣れているので初めての使用でも迷いはない。気になった点はEVFが良くなくて(LUMIX GX8はもちろん、GX7と比べても)コストダウンを感じた。具体的には、1.見えが悪い(特に周辺部)、2.プレビュー画面が実記録画像より彩度がかなり高く、彩度を落とす設定に変えたくなったぐらいである。モニターはそれほどではなく自然な色だと思われる。

2018.6.15

テストは上野公園でのサツキ展から。

2018.5.30

暑さと紫外線を避けて木陰を選んで歩く…社会福祉法人の露店が出ており、サツキが一鉢500円で出ていた(これはとても安い)…おそらく介護施設の入居者がリハビリも兼ねて大事に育てたものだろう。旅先でなければ五鉢ぐらい買っていたと思う。

木陰のベンチで休憩…ここは左右にベンチがずらりと並んでいて雑踏からも引っこんでいるためちょうどいいのである。観光客ではなく「ちょっと散歩で」という人が多く、写真には入れていないがホームレスの人達も何人か座っていて、常連らしい散歩客と親しく世間話をしていた。これも上野公園らしい光景だ。ただしオリンピックに向けてと思われるが、この1−2年ホームレスの人達の数が明らかに減っていて、都が何か対策の措置をとっていると考えられる(例:生活保護認定を進めて空アパートに定住を促進する…etc)。

2018.5.29

上野公園…西郷隆盛像付近はNHK大河ドラマ放送のせいか普段(20回程度はここに来ている)より3倍ぐらいの修学旅行生であふれていた。しかし皆バテ気味である。

正岡子規記念球場にて…ここも20回以上来ているが、今回初めて野球をしているのを見た(もちろん草野球)。眩しい暑さの中、サイドスローのピッチャーは蠅のとまりそうな遅い球を投げ、バッターもそれを打てない程度…それでも観客が取り囲んでいた。

2018.5.27

 5/25-27で関東へ行った。1日目は午後2時半ぐらいに着くので、例によって上野公園へ…3日間とも暑く30℃程度の気温となった…公園には3時間ばかり居たのだが木陰で休んでばかりなので、半分ぐらいの時間しか歩いていない。噴水前では各地の民芸品の即売会が開催されていたが、統一性に欠け新鮮みは無かった。しかしその回りに数多く展示されていたサツキ展は見応えがあった。

 2日目は東京と埼玉の県境にある大正時代から都の水道水源として整備されている、狭山湖・多摩湖とその周辺を回った。初めていく場所なので、水源専用の人工湖として参考になった。ただし観光的な色彩は全くない…飲料水となる湖なので近寄って欲しくないのが本音だろう。

 3日目は涼しさを求めて後楽園球場東京ドーム隣の国指定特別史跡・小石川後楽園(旧水戸藩邸)を中心に歩いた。三日間で最も暑く熱中症寸前となったが、ここは木陰に多くのベンチがあり、飲食も自由のため(ゴミ箱も多く設置)休み休みとしても快適に写真が撮れた。ここ謹製の弁当があり(750円)木陰のベンチでおいしくいただいた。「フィールド写真同窓会」の皆さん、ありがとうございました。明日以降幾つかの画像も紹介できるだろう。

暑さが予想されたので、普段はLeica-Qやα7系に28mmなのだが、さすがに今回は軽量のLUMIX GX8+G VARIO12-60mm F3.5-5.6で出仕した。それでも30℃程度の気温(しかも晴天なので輻射熱が加わる)で2−3時間連続して撮影すると発熱が見られた(LUMIX GX8の場合ボディ下部のレンズマウント付近)。

2018.5.22

Leica MEをセンサー交換後初めてフィールドで使ってみた…テストばかりしていて、その結果が以前と異なる絵になるため、実地撮影をためらっていたのである。しかしやや神経質な写りをするが、まず問題のないLeicaテイストが出せると言えよう=露出不足になりやすいため補正を+側にするか、あるいはM6のようにマニュアル測光した方が良さそうである(当然RAW・j-peg同時記録推奨)。写真は天保山渡船のUSJ側の乗り場で、平日のためか外国人の乗船客が半分を占めていた。観光客には見えず、USJも含めてこちら側の工場地帯では外国人労働者が多いためかも知れない。

輝度差が大きくなるとマゼンタ擬色が出やすいのは変わらない(レンズフレアではない)。

今回はこの組合せである。次は別の組合せでフィールドに出よう。Leica M Monochromeはすでにフィールドで使用し、28mmの場合Voigtlander CS

28mmF3.5がマッチングが良いことが分かっている。

2018.5.7

大師講が終わると三々五々各家に戻っていく。毎日顔を合わせ助け合って暮らしているので、特別に長話はしない…しかし月1回の大師講が絆を保つよりどころであることは間違いない。

ちょうど船の時刻となったので港へ走る。佐伯からのフェリーは車が3台、スクーター1台、自転車も含めて10名程度、離島としては多い方だ。なんとなく軍用船のようなフェリーの名前は第八大入島(最後に丸や号と付かない)である。

2018.5.5

きのうに続いて今日も近所を探索した。少し前に来た壊された竹林を再訪…今度は集落側から上がってみた。辛うじて阿弥陀堂(如来寺)は元のままである。資金難のためか工事は少しも進んでいない。近所の人に聞くと30−40軒の住宅地となるらしい。

お堂の前からの景色は少しも変わらない。願わくばここからの景色は長く残って欲しいと思う。

お堂のすぐ裏で尾根はばっさり削られて崖となっている。かつては右の山頂に荒神社のあった山から尾根がずっと続いて、尾根の先端にお堂(元は普通の寺)があって、その下に集落があるのである。

村中をぐるりと回り、上の写真の竹林と地区最奥の家を通過する。この家のすぐ裏は赤土の造成地で、旧村と区分する擁壁が立っている。

そして竹藪、もう筍の収穫がなくなって(今は農産物として採算がとれない)竹林に入ることすらできないほど竹の密林になっている。 今回の撮影は、OLYMPUS E-330+ZUIKO 7-14mmF4。

2018.5.4

今日は、この連休中初めてフィールドに立った…日帰りの旅だったが近場(木津川水系)だったので、かなり濃密に歴史や地理の課題に取り組めた。20年ぐらい前に「歳をとったら近くの研究をしよう」と思い、研究対象の宝庫を意図的に回避して「遠くのフィールド」へ出かけてきた。しかし今日が、その始まりになることとなった…近い場所なので何度も立ち寄ってはいたが「本気のフィールドワーク」は最初なのであり、やはり成果は大きかった。今しばらくは(3年程度?)やりかけの研究もあるので、遠くも行くだろうが、その先は20年前の決心を実行したい。20年歳をとった代わりに20年賢くなったはずである。 写真は休憩や昼食も兼ねて寄った浄瑠璃寺の三重塔と新緑の裏山である。ここと近在の岩船寺には秋の紅葉期に「フィールド写真講座」で来ることになっている。

今日はバッテリーを5個持ってSONY α7-II+Zeiss Vario-tessar FE16-35mm F4で出かけた(狭い局面の撮影にはワイドズームが適切)。SONY α7R-IIは高性能だが神経質な部分もあり、より気軽なこちらにしたのである。結果は上々、レンズもSONY FEレンズよりZeiss T* FEレンズの方が好みである。

2018.5.3

寺に2−3人の人達が居て、「どこから来た?」「何しに?」と矢継ぎ早の質問、私は「離島の生活と今後を研究のため」などと答えた…初めての研究者の来訪(伊能忠敬以来?)らしく、「さあ上がって、今日はお大師様の縁日で皆集まるから」そうするうちに一人二人と地区の人が集まってきた。全員が高齢の婦人で(一番若い人で60歳ぐらい)19軒残った家の2/3程度の奥さん達が(どうも女性だけの縁日らしい)=3/20…お大師の縁日は21日だったように思って聞くと、ここでは毎月20日だとのこと。この日は月曜なので、最近よくある「直近の日曜に変更」でもない。不思議なものである。

僧侶はいない、皆で集まり長老格のふたりが木魚を叩きながら全員で般若心経を唱えて、めいめいが持ち寄った供物を直会しながら雑談を交わしてお終い。全部で30分、しかし毎月の恒例である。私は遠慮してお堂の外から見ていようとしたが「せっかくだから一緒に」と中で取材ができた。直会でも供物を頂き(供物と言っても羊羹や赤飯などすぐに食べられるもの)親しく話せた…学術的にどうこうは別として、この島に来た甲斐があったと言うものだ。全国を旅していると(映像による民俗と地理学)このようなことがしばしばあり「また来てな」となって、再訪する度に本当のフィールドワークとなっていくのである。「調査」という言葉は好まない…強いて言えばジャーナリストではないが「取材」か?ここも神仏混淆で祭壇の上には鏡が中心にあり、その奥に弘法大師の掛け軸がある。

2018.5.1

ふと山からの水路の脇を見ると小さな水神宮が鎮座していた…そう言えばこの島には何ヶ所か水神を祀った社があった。一応瀬戸内海の島(行政的にはそうなっている)であるが、塩飽や笠岡などと異なり雨が多く、大雨が降ると大きな川のない大入島では水害となるのであろう。

半分ぐらい無住の家々を過ぎて、村はずれの高台にこの島で初めての少し寺院らしい規模の寺が見えてきた。ここで今回の旅のハイライトになるとは思わなかった…続きはあさって。大分:佐伯の旅と徳島:阿南を交互に書くためである。

2018.4.29

元の商店からムラに入っていく。ここで新しいものは、この自販機ぐらいなもので、これも離島でよく見られる補助金で動いている可能性大である。最近の高機能・大型の自販機の機械代や24時間動かし続ける電気代をまかなえる売上が出せるはずがない。そして少し傾いた集荷用の小さなポスト=郵便局(現在半官半民)を完全民営化するべきではないと離島へ来るといつも思う。

まず消防機庫、おそらく地区の消防団が管理しているのだろう(住民の多くが高齢者)。戸板の隙間から灯りが漏れていて中で何か作業しているのが分かる。

もう文字が消えてしまった標識(かすかに消防水利と読めた)…何を示すのか赤い矢印が壁や建物に書いてある。これを辿って奥へ進むことにした。

2018.4.27

大入島最奥の集落に着いた=実際はまっすぐ走れば島の端から端まで30分程度だが、ここに紹介されていない場所も含めて止まって撮影・聞き取りをしたり、駐車して歩いたりするために3倍ぐらいの時間がかかる。浜に向かって大きな公民館があり(おそらく水産加工場か分教場を改造したもの=建物前が広場になっている)右には以前の売店(現在は営業していない)、背後は深い山々が続いている。10数軒の家があった。

公民館前の浜には満開のヤブツバキが小雨の中咲いていた。ここで車を降りて村の探索を船の刻限まですることにした。最奥ではあるが人が比較的多く住み、町並みもしっかりとしていたからである。

2018.4.25

産霊神社の天井も絵で飾られていた…どうやらこの島では祭神にかかわらず、このような様式のようだ。

神社をあとにかなり険悪な断崖上の道を進み、大入島最奥の集落をめざした。

2018.4.20

島を反時計回りに一周し、上陸地点の近くに戻ってきた。ふと見ると産霊神社の鳥居が見えたので登ってみる=土地が狭いためか、聖地は高いところと決まっているのか神社の多くは山の上にある。それにしても大入島は規模に比べて社が多い(寺は目立たない)…小集落が点々とあるのも関係しているだろうが、信仰心が厚いのも間違いがない。

神社の拝殿前から見た絶景=正面は佐伯市の工場群(セメント関係が多い)、ここで水上バスの航行を初めて見た。高速艇ではなさそうだが大きさはバスより大きい。まだ充分に時間があるので、島をもう一周して一番遠い集落へ行くことにした。

2018.4.19

岬のトンネルを抜けて次の地区を訪ねると、今度は伊能忠敬の宿泊地だ。本陣・脇宿(脇本陣)とあるから、今はひっそりとしているこの村も往時は賑わった場所なのだろう。

そして村はずれの地蔵堂(彼岸なので掃除された直後のようだ)の脇には「武者小路実篤紀行の地」の碑が草むらに建っていた。保安林の表示板も錆びて読めないほどの場所だが島の中心としての誇りは今も持っている。

2018.4.18

雨なのと車による移動のため次々と島の各地を巡る。またフェニックスが見られたので降りてみると、小さな公園と碑が見られた…平成22年、かなり新しい碑だ。フェニックスは古木のようにみえるので何か別の施設を改修したものと思われる。もちろん伊能忠敬は全国を測量したのだから、特別な地点とは言えないかも知れないが、島の別の場所にも測量点の碑が建っていたので、当時の島の人達にとっては大きな記憶されるべき出来事だったのだろう。

そして碑の前の海を眺めると何の養殖かは分からないが印象的な景色が広がっていた。伊能忠敬も同じ場所に建っていたのかと思うと碑の意味にある種の感慨があるようだ。旅を続けていると思わぬ場所に刻まれた小さな歴史を見つけることができる。「研究のため…」と言ってはいるが、いつの間にか旅そのものが、もはや生き甲斐になっているのかも知れない。

2018.4.17

本殿の回りを見てみる…右側はヤブツバキの大木があり、地面に花がたくさん落ちていた。

左側は見事なシダの大群落があり、雨にぬれて美しかった。さて小休止を終えて次へ向かう。

2018.4.16

さて大入島へ戻る。島の神社の長い階段を上ると、立地どおりの東嶋神社があった。陸路の付く前に、こんな断崖の上によく作ったなと思うほど社殿も立派である。狛犬の顔や姿が変わっていたので撮影した。

拝殿の天井絵と絵馬…かなり凝った造りである。ここで雨宿りを兼ねてしばし休憩。

2018.4.15

話の腰がまた折れるが、今日は4/10に続いてシーズン2度目の琵琶湖・沖島訪問である(今回は「フィールド写真講座」実習)。昨日から降り続いた雨も私の予測どおり、島に着いた時には上がってその後も降らずに撮影できた。先日来たばかりなので今日は下船後すぐに村はずれの畑地へ向かって、大根その他の真ん中に座って、琵琶湖・エリ・比良山を眺めつつ用意した昼食を食べた…気温11℃、北西の風の吹く中幸せな気分である。今回は雨も想定してOLYMPUS E-M5+ZUIKO 12-50mmF3.5-5.6EZ(私の持つカメラの中で防滴性能が最も高い=雨専用に使っている)だけで撮影した。1800カット=ブラケット撮影をしたので実質900カット。

この5日間でソメイヨシノはすっかり散ったが、その数は少ないもののヤエザクラが満開であった。そしてそれら以外の春の花がいたるところで咲いていて、花の島と言ってもいい。

2018.4.14

また小島があり、こちらは自然の砂州ではなく、築港の埋立により本島とつながった。このような島は必ずと言っていいほど神聖視され(合理的に言えば島により風波が押さえられ天然の良港となる)、やはり島の右端に鳥居と山頂部に社殿らしきものが見えている。

ここは風の通り道だったらしく、築港の北側には大きなフェンスが建てられ、外海側にはたくさんのテトラポッドが敷設されていた。紀伊水道には見られない風景で、やはり同じ瀬戸内海の出口であっても豊後水道の方が風波が強いのだろう。

2018.4.13

次の集落へ向かう途中にフェニックスの木が見えて、何かあるなと思って停車…休校となっている=廃校かも知れないが、その場合は校名の銘板が外される=大入島小学校・幼稚園である。ただし聞き取りによると現在は登校生はいなくて、僅かな児童は船で佐伯市街へ通っているそうだ。

次の集落にも最近まで営業していた店があった。通年営業しているかは分からないが民宿もあるようだ。家々は浜沿いの狭い平地に並んでいて裏山は深い。

2018.4.12

さて大入島に戻る…エビス社から更に登ると、狭い山頂に灯台が建っていた。ここに元の社殿は建っていたのだ。あまりに狭い山頂だったために(周囲は断崖絶壁)社殿を中腹に移転したのだろう。壊れた社の残骸が灯台裏に残っていた。

その中で一番古そうな瓦の一部。左は灯台の土台だ。

2018.4.11

沖島のサクラは格別の趣がある。湖岸に植えられた木々は琵琶湖の水をたっぷりと吸い上げ、深い裏山のミネラル分の多い(自然林だ)湧き水にも恵まれ、島である特性として日当たりが非常に良く、そして島民の手入れが行きとどいているために良い花を咲かせる。ソメイヨシノではあるが湖面に向かって枝垂れている。背景は清涼な琵琶湖の景色と、その先に対岸の比良山系が霞んでいる。16年、毎年通い詰めている、すでに懐かしくすらなった春の景色である。

連絡船の時間を待つ間に近くの古刹・長命寺に立ち寄った…港からなら800段、駐車場からでも100段の参道を登ったところに建ち、観光客より信心をする人が多い。アジサイの咲く夏にまた来よう。 OLYMPUS PEN-Fの画像はデフォルトではかなり硬く、さっそくコントラストを落としハイライトを下げた(白飛び防止)。μ4/3でもいつの間にかPanasonicとOLYMPUSとで絵づくりが変わったことを感じた。

2018.4.10

少し脱線して…今日は琵琶湖・沖島へ行ってきた。今年はサクラの開花が早く、心配していたが散っているとは言っても、場所や木によってはちょうどいい加減のサクラも多く、穏やかな天候と共にノンビリと撮影できた。

結局レンズは狭い島の局面を考えてZUIKO12mmF2とした。設定や操作法がまったく理解できていないがまずまず撮影できた=LUMIX GX系を長く使ってきて、パナでは簡単に写せたが、このカメラは少し気むずかしそうな予感がする。

2018.4.7

次の集落に向かうと岬の先に小高い島があり、砂州でつながっていた。ここで本土で調達していた昼食を摂る。表示はなかったが、たいていこのような島は聖地になっていることが多いので、ヤマを登ると案の定、頂上近くにコンクリート製の社が建っていた。

由緒書きはなかったが、中には漁の神様・恵比寿を中心に大黒天と定かではないが福禄寿らしい像が安置されていた。古いもので本来は木造の社があったに違いない。それは明日解き明かす。

2018.4.6

浜へ出る。元の水産加工場(今は廃屋)の窓が広報板となっていて、すでに色あせたポスターがむなしい。いつも辺境地帯を旅する私は、これらの場所に政治の恩恵が本当にあるのかと思われて仕方がない。

この島では島の周囲に小さな集落が点在しているため、本土との連絡以外にも集落間の移動にも船が今も使われていて、フェリーとは別に水上バスがかなりの本数周航されている。

2018.4.5

地区唯一の商店の裏庭=島全体でも数軒あるなしだ。表には食品を中心にした雑貨店なのだが、タバコの自販機(現役)とポストだけがこちらにあった…表は浜だったので(今は埋立道路)本来はこちらが表だったのだろう、そんな家の造りである。ポストも家のものではなく集荷用のものである(日に一便)。

地区のはずれの山に彦宮三柱神社(碑が薄れていて判然としなかった)と読める神社があり、長い階段を上ってみるとこの状態であった。どうやら裏山の土砂崩れで社殿が壊れたようだ。最初は火事かと思ったが土が焼けていないので廃材を燃やした跡である。山からは切り出した材木が下ろされていて、これから再建にかかるように思われる。次の集落へ向かおう。

2018.4.4

同じ集落を少し歩くと、角宮地蔵のお堂があった…お堂と言っても真ん中の白い家の軒先を借りたような一坪程度の建物で、ボンヤリ歩いていると見過ごしてしまいそうな小ささだ。

しかし中は(一坪半程度)下の大師堂と同様にキレイに整頓され、地区の人達の信心の深さに感服した。なにしろ数名の老人でふたつのお堂を守っているのだから…。

2018.4.3

大師堂内部、ここで雨宿りを兼ねて座敷へ上がった。見ると弘法大師を中心に色々な仏像が並んでいて、左には三体の明治の廃仏毀釈時の首切り地蔵を修復した座像も大切に祀っていた。

そしてお堂の前から佐伯市方面を見る。収穫されなくなったハッサクの実がたくさん落ちていて、1個食べてみると普通に食べられた…放置されて施肥や摘果をしないと、実は成っても渋みや苦みが出てきて食べられなくなる。つまり放棄されて間もないと言うことだ。ミカン畑ではないため取り壊された家の自家用の木だったと思われる。

2018.4.2

まず島を反時計回りに進む…最初の集落で地元の人に案内してもらって大師堂へ行く(やはり九州でも島では大師信仰が根強い)。浜を埋め立てた海岸道路は車道だが、元の道はこのような狭さで車は入れない。

村はずれの高台にある大師堂…お堂と言うより集会所か倉庫に見える=事実右の白い建物は防災用具の倉庫だ。右の空き地は住居跡、やはり無住の家も多い。

2018.4.1

さて旅の続き…蒲江へは午後4時に着き、写真撮影と聞き取りで9時半までかかり、翌日は佐伯港から島へ渡ることにした…最初の計画では豊後大島に行く予定だったが、連絡船はかなり小型のもので「波が高いので、今日は欠航です」とのこと、湾内はこんなに静かなのにと不思議に思ったが、どうにもならないため急遽フェリーで目の前の大入島へ渡ることにした。ここなら湾内の島なのでまったく問題はない。そして島が大きいために車ごと乗り込んだ=これは結果として良かった。更に翌日に津久見から湾外の保戸島へ渡ったときの波を経験すると、大島(湾外)への連絡船欠航も納得した=同じ瀬戸内海から太平洋に出ていく水道として、紀伊水道と豊後水道ではうねりがまったく違っていたのである。もちろん沖縄の離島に渡ったときは更に風・波が強くても欠航はしなかったので、危険に対する敷居の高さが異なるのだと考えている。

ともあれ遅い小型フェリーで15分、島に上陸した。フェリーターミナルは向いの佐伯港から一番近い浜に設けられているため建物は数軒しかなく徒歩での探索は不可能のため、雨も気にならず車で島を2周してほとんどくまなく集落を訪ねられた。

2018.3.31

今日は春爛漫の和歌山:根来寺へ行った。サクラは満開で風が吹くと花吹雪となる…あと2−3日で散ると思われる。何回目かの訪問だが駐車場に入れない車が溢れて、狭い道は通り過ぎるだけの通れずに大渋滞であった。私たちは近くの食堂に停めて歩いて入山した。写真は国宝「大塔」(多宝塔)で、中に入ると境内は広いため混雑と言うほどではない。3時間近くかけてユックリとみた。

聖天堂への廊下、一般には知られていないし、案内や説明もまだまだ充実しているとは言えないが見どころは多い。

古い観光協会のホウロウ製の標語板…消えていくものを記録するのも私の役目だ(たとえ興味のないものでも…)。「写真は記録」と悟ってから写真家としての生きる道を見つけたと言って過言ではない。

混雑しそうな場所・狭い局面では何と言ってもワイドズームだ。昨日まで一眼レフでと思っていたが朝になって気が変わって、常に充電しているα6000となったのである。

2018.3.30

雨の大分への旅…今回の白眉は初日に訪れた宮崎県境に近い蒲江の最後の木造鮮魚運搬船(間違いなく瀬戸内海では最大)を見て話を聞くことである。約40年前に明石で建造され、何度も大改修され、今も現役で鮮魚運搬に使われている。木造船の専門家である私の考えではまず文化財指定の必要を感じた。この船の話題は専門的になるため書籍としてまとめることになるだろう。

オーナーは地元でも屈指の養殖業者(以前の網漁から転換した)で、穫れた魚を瀬戸内各地の市場へいけすとして船で運搬するのである。もちろん養殖以外の魚も運搬している。

2018.3.21

3/19-21で大分県南部の蒲江・大入島・保戸島を訪問した。珍しく三日間とも雨が降った=もちろん木造船調査と島の暮らしの取材が目的である。上は佐伯港から見た、すぐ近くの大入島(人口は老人中心に700名前後)…この島はやや大きく、小さな集落が島の周囲に点在しているためにフェリーに車を載せて渡った。 下は津久見港から高速船で25分の保戸島(集落はひとつだが1000人程度の人口がある)…漁業基地として繁栄していて、ほとんど平地のない島の斜面にたくさんの新築の家が建っていた。車は見えているが走れる道は海岸端だけで、家の建っている場所の道は狭くて急斜面、そして段々が多くて、車はもちろんスクーターや自転車も通れない。これからこの旅を紹介していこうと思う。

雨の予報と歩く前提のため、撮影道具はこれだけだ。

2018.3.18

今日から月末まで本年度の「フィールド写真講座」展覧会が開催された。展示写真を紹介する(展示順とは異なる)。

2018.3.11

今日は季候の良いうちに歩いておこうと日帰りで(電車で片道2時間)大阪南部・鳥取ノ荘から古い町並みと海を見つつ旧跡を巡り、4時間をかけて隣の尾崎までの取材とした。と言うのも今年度と次年度は関西湾岸(内容は今後書いていく)が研究のフィールドなので、比較的近い場所であまり行ったことのない土地を巡るのである。ここへ来たのも昨年9月に岬町を訪ねたおりに電車の窓からこのあたりの景色を見て決めたのである。天気も良くて風もなく、たっぷりと街道を楽しめた。次は箱作に行こうと思う。

今日は狭い局面ばかりなので、昨日入手したG VARIO12-60mm F3.5-5.6ではなく、LUMIX 14mmF2.5Gとした…ほとんど同じ画角のLEICA DG SUMMILUX 15mm/F1.7にしなかったのは、別のレンズとLUMIX GX8の相性を見たかったためだ(LUMIX 14mmF2.5Gも優れたレンズである)。

2018.3.5

徳島へ南海フェリーで行く旅も今回で終わり…海峡を越えて四国の山地に沈む夕陽を見た。

そして更に日が暮れて月が出てきた。月と煙突の間を飛行機が飛んでいく…カメラの高感度性能はどんどん良くなっていく。

2018.3.3

船が旋回していくと鳴門の渦潮並みの大きな渦が発生する。流体の中で大質量のものが動くと言うことはこのようなことである。

波は大きく広がり、漁船は近寄らないように逃げていく。普通は船は右側運行が義務づけられている。

2018.3.2

船はアット言うまに着岸、慣れたものである。この時減速のためにスクリューを逆転させる。その波が浜に押し寄せてくる。

そして乗船後に離岸、ここでもスクリューを逆転させてバックで川の真ん中まで出てから回頭させる。岸の近くで旋回させるのは非常に危険である。このような大型船が座礁でもすれば大変なことになる。さて和歌山へ戻ろう。

2018.3.1

堀を進むと水門が見えてくる(最初に出てきた網の積み出し作業をしていた場所)…水門の向こうはフェリー乗り場だ。

水門を出ると帰りのフェリーが海から入ってきた=これは偶然ではなく時刻表に合わせて歩いたからである。船旅で重要なのはタイムキーピングで、時間に正確な行動をしないと帰れなくなることもあるのである。

2018.2.27

更に歩くと元の海岸線にあった松林が「沖の洲公園」として保全されていた。かなり広く残されていて松林を歩きながらホッとした気分になった。

公園を抜けると元の海岸線の跡に出た。下の堀もここへ流れ込んでいるようだ。海は遠くへ行ったが、この海とつながる広い堀割は今も漁港として多数の漁船が繋留されている。

2018.2.25

また徳島に戻る。船戸神社の裏はすでに開発で徳島市街地とつながっている。そして神社の裏から海へ向かって伸びている堀は健在である…しかし以前の景色とは違っていて、雑排水によりドブ川と化している。かろうじて残されている農地の用水として使われているようだが、堀の内外は雑草が放置され、水面にはゴミが浮き、水底はヘドロで浅くなり、写真のように土砂による島すらできている。

そして用水堀の周辺は広くない範囲の耕作がおこならわれている。背後が堀で、建物の向こうは別の川の堤防である。畑地にもボツボツ住宅が建ち始めている。港町のまわりの川や用水に囲まれた地域の乱開発はこれまでに見たことがないほどで、認可した行政の大きな責任を感じた。

2018.2.24

今日は趣向を変えて比叡山の滋賀側の麓の日吉大社と唐崎の弁天さんを訪ねた。4月の山王祭に向けて準備が始まっているようである。3時間半、1万歩ばかり歩いて、ちょうど良かった。

日吉大社の露天駐車場で初めて車のお祓いを見た。普通は祈祷所に車が並んでおこなうものだが、ここでは神職が駐車場へやって来てドアを開け放って前後左右からお祓いを実施する。ここでは1−2台しか写っていないが、まわりには何台も停まっていた。

カメラ・レンズはこれを実写で試した。もちろん問題はない。ただしボディ側で気の付いたこととして、逆光にAEが敏感に反応して、真っ暗になりやすい傾向が見られ、やや神経質に露出の補正をしないといけないということだ(その補正がワンタッチでできないことが問題)。

2018.2.23

船戸神社の鳥居から西を見た。遠くに眉山が見えている。きのうの畑跡は青いフェンスの向こう側、こちら側では何とか農業は続いている。

畑地を歩くと社が残っていて(どういう神が祀られているのかは分からなかった)近在の人が手入れをしている。向こうの眉山は徳島市内のどこからでも見られたものだが、徐々にマンションやビルに遮られて見えにくくなっている。

2018.2.22

更に内陸側に歩くと、農村地帯に入り、それなりに旧村落の景色が残る。しかし地区のはずれへ出ると広い畑の跡地になった(畑か単なる荒れ地かは土質で分かる)…足あとは私の歩いた跡。

そして畑地のはずれに船戸神社が鎮座していた。境内に残っている木々の樹齢から見て、下の蛭子神社と比べて、あまり手は入っていないが、これも時間の問題で(すぐ近くまで開発の波が来ている)いずれ予算が付いて回りが宅地化されるついでに小ぎれいになるのだろう。ちなみに内陸に「船戸」とは不自然に思われるが、この神社の脇から海まで堀割が続いていて、以前には内陸まで水運が入っていたと思われる。

2018.2.20

先へ進むと沖洲蛭子神社が開発の余波を受けつつも鎮座していた。建物や各碑、狛犬などは古いままで敷地や基礎はすっかり新調されている。これでは以前の様子はまったく分からない=あったはずの照葉樹の木々も整理され、低木が植えられている。回りは新築の家屋ばかりが目立っていて、神社への信心は続いているとしても本来の海上安全の霊験とはかけ離れた環境である。

境内の片隅に1854年の安政の大地震の碑(百度石)が建っていて、もう裏の碑文は読みにくいが、地震への備えと戒めが彫られている。

2018.2.19

徳島市へ戻る…古家を取り壊して区画を整理し、元の二敷地を一区画程度にしているようだ。

そして点々と整理に参加しなかった(あるいはできなかった)家屋や工場が荒れたまま放置されている。ここに見えている車もナンバープレートは無かった。いままで見たこともなかった大規模でありながら不規則な開発である。

2018.2.18

2/16-18で関東に行ってきた。細かなことは後日として、1日目は文京区の弥生から根津神社、そして不忍池へとかなり歩いた。ここは東京大学弥生門。継ぎ接ぎだらけの校舎だが、さすがに広く大きい。 今回はLeica-Qだけの1本勝負で、案外地味な写りと思った…さっそく帰宅後、カメラの清掃と同時に彩度・コントラスト・シャープネスを1段上げた。

二日目は神奈川・久里浜から東京湾フェリーに乗って房総・金谷への往復旅行だ。この日は行きはピーカン、返りは強風の大荒れの天候だった。

3日目は(今日)は鎌倉への小旅行、三日間とも東京・蒲田を拠点にした日帰りと言うことである。昨日と今日で花粉症が出てきた。

2018.2.15

河岸に以前の風景を見つけた。海から川に上がってきたLPガス船から直接ガスを入れて逐一家庭用のボンベに詰め替える作業所である(現在も稼働中)。ここの敷地内であるため、もともと河岸に繁茂していた暖地性の植物の群落が残されている。

塀の向こうは何かの工場か倉庫の敷地、現在は稼働していないが、まだ買い上げられていないようだ…ここも以前の風景を残している貴重な場所だ。汀まで企業の私有地だったため、遊歩道は元の河岸の内側に付けられている。

2018.2.14

西へ路地を一街区歩くと沖洲川河岸へ出る。小さな船溜まりがあって、ここだけ川湊の風情があった。しかし対岸も含めて川端は内陸よりいっそう新興の宅地化が進んでいる。

突きあたりが船溜まり、このような景色の連続である。川端は護岸工事と共に道幅が広がり再開発の速度も早いのだろう。河岸には伝統的な港町の風景はほとんどない。護岸堤の外側に遊歩道があるものの、河川公園などの施設はない。まだ道が細く、開発の進んでいない内側に戻ることにした。

2018.2.12

狭い恵比須神社の境内に入ると社は無事に残っており、境内全体も掃き清められていて大切にされていることが分かる。左の社務所前には床机が置かれ、近隣住民の交流の場として活用されている。

恵比須社の裏から下りると(やはり海辺の神社は微高地に建っている)昔の奉納碑がコンクリート壁に塗り込められていた。塀というより随分以前の防波堤の一部と思われる。現在は埋立により海岸線は遠い。碑の判読は難しかったが船乗り仲間のものであることは分かる。

その壁が切れた向こうの古い家がまさに解体中で、更に奥はすでに更地となっている。

2018.2.11

やれやれ旧市街地に入ってひと安心と5分ばかり歩き、目標のひとつである浜際に建っていた恵比須神社に辿りつくと異様な景観が見えてきた。ごく最近に古い家が取り壊されて更地になったり、今まさに整地中の土地、あるいは新築の住宅が目立つのである。

そして背後は昔の港町が残っているものの、住民は少なく、不法投棄が見られた。直感として古くからのゴチャゴチャとした港町を整理して(つまり立ち退き・取り壊し・区画整備)新興の住宅地に変えようとする動きの真っ最中に訪ねたと思った。これはこの後(残念ながら)明らかになった。徳島市は文化事業として人形浄瑠璃や阿波踊りに力を入れているが、漁業や海運に関する文化遺産(主として町並みや生業)を消し去ろうと、本意か不本意か分からないが実施しているのである。この数年以内に一部の神社や寺以外に古い時代の港の景観を想起させるものはなくなるだろう。それほど急速な変化と言えよう。

2018.2.9

元はお寺の建物があったと思われるが、現在は明治〜昭和の墓石が並んでいる。画面右は平成の墓のようだ。寺はなくても檀家は残り、かなりの広さの敷地はきれいに掃除されている。

唯一残された大木の前に江戸時代の力士「錦灘」の碑があった。明治の創建だが幕末を生きて明治に没したのだろう。碑とあるから墓ではなさそうである。あとここには地元の篤志家「三平の碑」(幕末に活躍した高橋三平のことか?)がある。

2018.2.8

かなり広い埋立地(そこには倉庫や運送会社がたくさん並んでいる)を過ぎて昔の港町に入るといきなりこれだ。期待をして旧道へ入った。

すでに空き地や新造の建物も多いが、新しい商売も港町風である。現在営業しているかどうかは不明ながら右の建物は、深日や洲本でも見かけた船員や行商人相手の木賃宿である。

2018.2.6

フェリーはかなり下流へバックで進み、反転した後に外海へ出ていった(右端に点のように見えている)。そして河口近くに停泊しているのは東京行きの大型フェリーだ。川や海に慣れている人以外は防波堤の内側で写真を撮ったり釣りをしたりしない方がよい。水面から2mあるなしなので、風波や潮の干満、大型船の通過による波(これが侮れない)により人は簡単に流される。「徐行」の文字の下半分は波に洗われた痕跡がある。私もフェリーの通過時は防波堤の上から撮影し、波が収まってから(水面から1mまで黒くなっているのが波の到達線)降りて撮影した。

フェリー乗り場全景。その前の道路に駐車帯が設けられているのはいいのだが、なぜか停め方が無茶苦茶である(ここは駐車場ではない)。右側駐車や縦横に、どうかすると斜めに停めてあるのである。もちろん一時駐車ではない…おそらく整備される前は港(あるいは汀)の端の広い空き地だった頃の名残なのであろう。背後の港町に入っていく。

2018.2.4

フェリー埠頭横の船溜まり(川ではなく堀)で網の積み出し作業をしていた。時間がなく話は聞けなかったが、まだまだ漁業は続いているようだ…この奥にたくさんの漁船が繋留されている。

そう言っているうちに私の乗ってきた大型の南海フェリーが出航だ(ここで昼食をしていたのが正解)…10年ぐらい前に見たときも迫力があったが、護岸堤から撮影するとワイドレンズでも24mm画角がないと全体を撮ることは難しい。来たときよりは車載も少しは多い。これを見送って港町を次の船の時間まで3−4時間歩くことにする。

2018.2.3

さて何事もなく紀伊水道を越えて徳島港に着いた…初めて海から徳島市のシンボル・眉山を眺めた。京都から5時間近くかかって到着だ(高速道路を走れば3時間半)。それでも海の旅はいいものだ。

改札もあり、かなり立派なフェリーターミナルである。いつまで続くか分からないが、難波から徳島港まで2000円の特別切符で乗った=徳島からなら時間はかかるが徳島港から高野山まででも2000円である。ここのターミナルのセルフサービスの食堂で甘辛い味の徳島ラーメンを食す。

2018.2.2

急に讃岐・手島に行きたくなったので年度が変わったら行ってみよう。丸亀から連絡船が出ているが遠くて便数が少ないため、とても静かな島だった。写真は2014年5月に行ったときのもので、村はずれのお稲荷さんの階段に座って昼ご飯を食べた。当時で住民は20名ぐらいだった(お盆の時に島外へ出た人達が帰ってきて島の人口が5倍ぐらいになる)が今はどうなのだろう。 CASIO EX-10

2018.1.26

退屈しのぎに太陽を入れて写真を撮ったら(16mmF16=私はほとんどプログラムAE+プログラムシフトで撮るため知らぬうちに絞り込むことになる)センサーダストが見事に浮き上がった(画面左のふたつの黒点)…F5.6では見えない=レタッチでなんとかできるレベルだがあえて残している。大事な撮影の時は事前にテストして持ち出したものだが、最近のアンチダストシステムの性能向上で最近はサボっていたということだ。

望遠70mm側では同じような絞り値でも出ない=焦点距離によるピント深度の違いによるものである。ようやく大型の船と接近したと思ったら、南海フェリーの登り便とすれ違ったのである。右奥に見えているのが紀伊水道の伊島…行政上、この手前が瀬戸内海で、島の向こうが太平洋となる。伊島には2年前に一度行ったが、また次年度に訪問して取材したい=気になる島には必ず二度以上訪れることにしている。

2018.1.25

南海フェリー…瀬戸内海などの多島海は別として景色の変わらない船旅は退屈である。私は研究のためだから2時間寒いオープンデッキで頑張るが、撮る写真はこんな程度だ。このフェリーはかなりの大型船のため、漁船も危険を避けて近寄ってこない。

巻き網船団が近海での漁を終えて帰っていく。向こうの山々は紀伊山地である。出航後15分でデッキに出ていた僅かな人達も船室に退散した。大阪湾の南はずれになるのだが瀬戸内より水も空気も綺麗ではない。もちろん瀬戸内も外海(昨年の出羽島の海など)に比べると綺麗ではない(特に空気)。 

 今回はSONY-α6000+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4のみで撮影した。取材にはとても便利、欠点は内蔵ストロボ光がケラれることである。

2018.1.21

和歌山港の風景…今日は朝5時半起きして、和歌山から南海フェリーに乗って徳島まで日帰りで行ってきた。自宅から電車を乗り継いで和歌山港駅に3時間、船で2時間、行くだけで片道5時間の旅である=徳島に上陸して歩いたのは3時間半。フェリーはかなり大型だが、乗客40数名・乗用車10台ぐらい・トラックにいたっては1台…これでは巨額の赤字が出るのは仕方ないと思われる。いわゆる離島への連絡船ではなく物流や観光用の船なので廃止が検討されても止む終えまい。船の乗客はデッキに出て海を見る。電車やバスではない風景だ。船が動き出すと寒さで客室に入ってしまう…私は行きも帰りもデッキで過ごした。もちろん写真を撮るためだ。

2018.1.20

相楽園の門に戻る…檜の葉が敷き詰められていて、これを踏んで歩くと健康が約束されるらしい。これから街へ出て生田神社に向かう。

途中の中山手通4丁目の交差点…4本の道が合わさって急に広くなっている。左へ曲がると急な下り坂になっていて、元の海蝕崖ではないかと思われる。現在の須磨や垂水のような地形だったに違いない。α7Rの緻密さは格別で、拡大すると画面の中にある看板やクルマのナンバーも全て読める(II型に期待してしまう=III型が出たためこれから価格も下がるだろう)。

2018.1.19

また浜寺公園へ戻る(今月末に隣の大浜公園へ行く予定)。公園へ入ると正面に噴水が見えた…近寄って放水を見るが省エネを励行しているのか派手に吹き上がらない。このように低く少ない量である…センターの噴水口に期待したが、それも人の背丈程度であった。

その向こうはバラ園で、今は冬なのでそれなりにしか咲いてはいないがシーズンにはきれいな景色となる。入園料は要らないので地元の人達の散歩コースになるのだろう。

更に歩くと松林を過ぎたあたりにグラウンド(野球場?)があり、そのような殺風景な中に忽然と汽車の駅があった。とりあえず他に面白そうなものが見えなかったので乗ってみることにした。走り出すとかなり本格的に走る=公園の羽衣ゾーンへ行くための列車と分かった。フィールドワークでは先に細かく調べて、そのポイントを巡るようなことはしない。それでは新しい発見や物事の意味が見えなくなることが多いのである。「歩く・見る・聞く」が肝要…ネットでいくら調べても行ったことにはならないのである。ほぼJRの浜寺公園駅から隣の羽衣駅までと等距離で乗りでがあった。PENTAX-KPと15mmレンズは「遅い」がフィルムカメラのような味がある(最初の落胆から少し見直した)。

2018.1.12

陽が差すと鯉も動きが活発になり、餌をもらおうと寄ってくる。このようなシーンでもPLフィルターは使わない…水面の反射や波の動きも絵のひとつなのである。フィルターはレンズ保護とモノクロでの色味(妙な言い方だが)の調整以外は使わない。

旧ハッサム住宅、相楽園に移築された貿易商の邸宅だが、先の震災の時被害を受け、落ちた煙突を震災の記憶として邸の前に展示している。

2018.1.11

庭園内部には中央の池に向かって、いくつもの滝が落ち、沢が流れ込んでいるが、現在は水をポンプアップし、浄化循環させているとしても、その昔はどうだったのだろうか…六甲の名水と言えど数が多すぎるのである。

さて池を回ると川御座船が見えてくる。日本で唯一残った江戸時代の姫路藩主の川御座船の屋形部分である(船の部分は滅失)。文化財指定を受けて補修され、とかくステレオタイプとなりがちな日本庭園の池の景色に趣向を添えている。内部公開もなされることがあるようで、その節にはまた訪れたいものだ。

2018.1.10

綺麗に植栽された庭園と小径が主なのだが、このような自由に使える広場もある。周りに配置された寒ボタン(三角の菰を被っている)を楽しむ人、ノンビリと天を仰ぐ人、ボール遊びを孫と楽しむ人…。

池を覗くと、たくさんの錦鯉が池の隅に固まって動かない…寒くなると変温動物の動きは活発ではなくなる。夏ならば早速寄ってきて餌をねだるところだ。

2018.1.8

門を入ってすぐに休憩用の縁台があり、暖かいお茶が無料でふるまわれる(私も飲む)…朝一番で来ると甘いお餅が限定30個で付いてくるとの事である。

右側に蘇鉄園があり、ソテツの林に入った初めての経験である。相楽園で1時間半過ごすことにし、メンバーは自由行動で門前に1時集合として、各自園内に散っていった。「フィールド写真講座」の原則は「自由」なのである…先生を先頭にぞろぞろ歩くことはしない。撮影場所に着いたら集合時間を決めて解散の繰り返しで、場所は決まっているため、途中からの合流も離脱も自由である。

2018.1.7

今日は「フィールド写真講座」の今年度最終回の撮影実習で神戸の町を歩いた。JR元町の高架下の裏側、立ち退きが決まって久しいが、このあたりはほとんど今までどおりに営業している。しかし道路が高くなり昼なお暗い谷間の営業で、客足は芳しくない。

まずは元町の北へ徒歩10分相楽園へ。東京に多くある大名庭園と似たビルに囲まれた広い庭園で、手入れされた植栽だけではなく文化財も保存されている。入園料は大人300円(年券900円/65歳以上の兵庫県民なら無料)、不思議に日曜にもかかわらず観光客は少なく、近在の散歩にはうってつけの場所だろう。春になれば花も咲く。

カメラは前日まで悩んだあげく、この組合せになった=対抗馬は同じフルサイズ/28mmレンズのLeica-Q。画素数が大きくたいへん精緻な画像ができあがるが、他の多画素数機と同様にブレが目立ちやすく、現実にはシャッター優先AEでSS1/125-200で撮影をした(ここらあたりにα7R-2や3の必然性が出てくる=商売上手のSONY)。

2018.1.6

琵琶湖・水茎の妙得龍王神社(藤ケ崎神社とも言う=こちらが元々の名前)。岩がご神体で北を向いている。右に近江八幡の山塊が、正面に沖島、左は湖西の山々だ。普通に湖周道路を走っていても分からないような細い道を少し入った小さな岬に位置する(道路からは見えない)。神事等は八幡の賀茂神社が執りおこない、普段の管理は地元の人がしている。

12/31、正月の飾り付けのために地元の人が集まっていた。ここも10年以上前から訪れているが年々整備が進んでいる。二重鳥居の灰色の方は平成28年に寄進された。社殿はなく海を向いた小さな拝所と鳥居の奥の岩窟内のご神体だけである。古くからの地元の人達と共に大本教の聖地のひとつのようである=出口王仁三郎がここで神意を見たとのことである。

岩窟前の筆者…この奥にご神体がある。立てかけてある網戸は鳥よけのもので、お詣りするときは手で横へずらし終わったらまた立てかけておく。

2018.1.5

日牟禮八幡宮の能舞台。戌年である。「たねや」寄進、こんなものでもデザインされてセンスがいい。ただし、たねやの駐車場は実質的に八幡宮の境内(参道)であることを忘れてはいけない。観光的に再開発がなされる際にここに支店を出した…持ちつ持たれつと言うことだろう。

拝殿横の金の鳩、10年以上前から見ているが(その頃寄進された)ピカピカだった鳩も皆が撫でるため、すっかり剥げてきて中のブロンズ色が出ている。最近は拝観者も霊験を感じるのか賽銭まで置かれるようになった。事物は長く繰り返し見なければならない。μ4/3の12mmでも絞り開放のF2ならこの程度にボケる。

2018.1.4

大晦日の日牟禮八幡宮の神事…年越の大祓だろう。静まりかえった境内に宮司の祝詞が響きわたる。

神事が終わって、ひとまず社務所へ…これから年明けにむけて、あるいは新年にも数々の神事が続くのである(更に言えば年をつうじて毎日)。高齢の宮司にはなかなか大変だと別の神社の神職に聞いたことがある。

2018.1.3

初詣の2…近所の若宮神社に初めて詣った=自宅近辺は郡部で、各地区には必ず大小はあっても神社がある。この付近は早くに開発が進み、参道がなくなったため、こみ入った狭い里道になっていて行きにくい場所なのである。

神社は山から伸びる尾根の先端にあり、裏山を登れば住宅以外に浄水場・学校・養護施設・老人ホームなどの半公共の建物が並んでいて、少し別世界の雰囲気だ。元の溜め池も農業に使われなくなったと見えて、手入れがなされずに半分湿原になっている。カメラはEPSON R-D1+Voigtlander SWH15mmF4.5…周辺が劇的に落ちる。タイプIIを使えば自然になるが、それでは面白くないので旧型をAPSの場合は使うことになる。

2018.1.1

取りあえず、本年も継続いたします。1999年に開始した旅は、いつの間にやら2018年 !(@_@)i ここまで来たら続けられるだけ続けましょう=3=3=3

町はずれの八大龍王神社。ちいさな社だが、ここがムラの氏神で毎年初詣はここに参りる。 今年はモタモタしているうちに午後4時半になってしまい森の中の社は真っ暗になった。 LUMIX GF-1(私の持つ一番古いミラーレス)+おもちゃレンズのOLYMPUS BCL9mmfisheye…思ったよりちゃんと写る。

そしてお社の下に広がる畑(なんとか耕作は続いている)に日没が…朝が弱いので初日の出は無理だが初日の入りは見た。大きな建物は農協、ここの駐車場に止めて、あぜ道を歩いて詣るのである。

 
 

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