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「港の景観−民俗地理学の旅」 第6章−海辺の老人


1361996/12  夕暮れの天橋立。股のぞきで有名な傘松へのリフトから後ろを向いて撮った。かなり高いところをスキー場用のようなリフトで登るため怖い。 旧ヘキサーx35mmF2xEPR

1372004/11 舞鶴・静渓川にて。高野川の支流だが、やはり川湊としてたくさんの小舟が係留され、造船場も一軒残っている。 キヤノンG1デジタル

1381988/4  毛呂さんとの最初の出会い。丹後の里波見で漁と簡単な民宿を営み、海と付き合って暮らしをまっとうした。 キヤノンT90+FD24−35mm+EPR

1391988/4  里波見の浜とトノブト。海のすぐそばが町並みで、民宿のお客さんは部屋から水着でポイッと砂浜へ出られる。向こう側が宮津。 キヤノンT70+FD24−35mm+KR

1401988/4 里波見でのイサザ漁・・・全国的に見ても春の河口の風物詩である。ごく簡単な構造のしかけで獲れ、放流はしなくても乱獲に気をつければ、来年も必ず上がってくる。 キヤノンT90+FD24−35mm+EPR

1411988/4  小浜・南川のイサザ漁・・・ここではかなり規模の大きな四つ手網を使う=いつからかは分からないが円筒形の網である。それでも慣習どおり四つ手網という。 キヤノンT90+FD24−35mm+コニカネガカラー

1421988/4  小浜・南川。ずらりと網の仕掛けが並ぶ。寒さしのぎに小屋がけをし、焚き火で暖をとる。だいぶ暖かくなってはいるが、日本海側では雪解け水が下っていて川辺では相当寒い。小さな川と異なり効率は悪いが、春にはかかせない漁なのである。 キヤノンT90+FD24−35mm+コニカネガカラー

143 2000/3  能登・穴水のイサザ漁。小さな川の場合は川止めに近い仕掛けとなり、遡上の絶対量は少ないが確実に獲ることが可能だ 。少し向こうが河口で七尾湾にそそいでいる。 M6+GR28mmF2.8+RA

1442004/5  越後・荒川のイサザ漁・・・ここは大河だが遡上数も多く、相当複雑な仕掛けで獲る。基本的にドウである。イサザ(シロウオ)は漁業権魚種ではないため、基本的には誰がどこで獲ってもいいはずだが、どの土地でも川の地先権があって、おのずと川へ入ることの制限があり、それが乱獲の防止ともなっている。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+RA

1451999/12  伊根湾の高台から。真ん中が青島で、湾のまわりには有名な「船宿」が並んでいる。今は遊覧船も就航し観光化がすすんでいるが、以前は満足に道もなく、住民は船で直接家から出入りしていた。 M6+Tri-Elmar35mm+RVP

1461999/12  岩ヶ鼻の浜。伊根の隣の浜で、現在の伊根以上に昔の丹後の漁村の風景が残っている。  M6+Tri-Elmar28mm+RVP

1471988/12  丹後阿蘇の海の溝尻にて。アサリ漁から戻ってくるトモブト。この村ではアサリ漁のために都合のいい木造船トモブトが残ったのである。奥が岩滝町市街地、背後に傘松、左手が天橋立である。 フジカGS645S+EPR

1481987/12  溝尻の裏山から天橋立を望む。眼下に見えているのは仏国寺で、韓国の名刹の仏国寺との友好関係があり、韓国系の人々の参詣が多くある キヤノンT90+FD24−35mm+KR

1491996/12  アサリとり。阿蘇海の橋立側の外海に近い場所が最高の漁場である。漁業権は内側の溝尻と外側の宮津市漁師町が持っている。その固有のローリングを利用したアサリ掻き漁でトモブトは今も健在である。 旧ヘキサー35mmF2+EPR

1501986/11  溝尻にて・・・聞き取りに応じて熱心に語ってくれた漁協役員のお二人。海に生きられる充足が感じられた。 キヤノンT70+FD24−35mm+KR

1511988/12  トモブト・・・ここ溝尻では昔ながらの船宿形式の漁村で、船は直接船屋に入っていく。そのため櫓漕ぎは必須のことである。 キヤノンT90+FD35−105mm+KR

1521988/11  溝尻の浜の風景・・・トモブトは浜に上げるとき必ず舳先が海側を向くようにする。溝尻も昔の丹後の漁村の景色がよく残った村である。向こうに見えているのが天橋立の松並木、毎日これを眺めて生活する・・・羨ましいかぎりである。 フジカGS645S+PKR

1531986/12  回転橋。阿蘇海は天橋立の先で細い水道となって海につながっている。橋が架かっていると大きな船が通れないため可動橋となっているのである。ここでは跳ね上げ式ではなく回転橋となっている。 キヤノンT70+FD35−105mm+EPR

1542003/1  狭い水道でのアサリとり。アサリはここの名物であり、漁獲が減ったとはいえ漁は盛んである。漁業権は宮津市漁師町と溝尻が持っている。柄の先に鈎の付いた籠があり、アサリを海底から掻き取り、船の上の台に砂や石とともに上げて貝だけ選り分ける。  コシナ・ベッサR2+CS35mmF2.5+RA

1551996/12  天橋立にて。ここでは橋立の松林とアサリとりが一体の冬場の風景をなす。向こうが外海。 コンタックスRTSIII+35-70mmF3.4+EB2 

1561988/2  阿蘇の海でのテンコロ競争。「漁師町」「農協」や地元企業のチームがあり、さすがに最初は若手漁師のチームが強かったが、最近では企業チームも強化・充実してきたようだ。 キヤノンT90+FD80−200mm+KR

1572001/9  味土野にて。大雨の日、ふたたびやって来た。「山菜採らないでください」昔はこのような看板はなかったのだが、少しずつ時代は変化していく。外部から来た人は山菜を悪気で取るのではなく、すでに普通の田舎では山菜は重要な山の恵みではなくなって、手軽な楽しみと考えられているのだろう。だがここでは大事な資源なのである。 ヘキサーRF+Tri-Elmar35mm+RA

1581988/10  秋の取り入れ前のソバ畑での味土野の区長夫妻。その後奥さんは亡くなったが、区長は健在で味土野の人口も微増した。 フジカGS645S+EPR

159 2001/9  ガラシャ荘・・・雨の中、以前と同じように林の中に建っていた。その頃より小さくなったように感じた。このあたりは丹後半島の奥地で冬の豪雪のため多くの廃村がある。 味土野は細川ガラシャ隠棲の地として何とか残った。 ヘキサーRF+Tri-Elmar35mm+RA

1602001/9  ガラシャの碑・・・味土野の人達により大事に管理されてきた。  ヘキサーRF+Tri-Elmar28mm+RA

1611986/11  若狭・三方町塩坂にて、典型的な漁村の風景。村の中は自転車がやっと通れる狭さであり、町の家並みの構造は漁網や海具が置いてある以外は都市の路地裏に似ている。都市とは違ってそれなりに土地はあるにもかかわらず古くからの漁村はこのような家並みである。なぜかは今後考えてみたい。 キヤノンA−1+FD24−35mm+KR

1622001/4  気比の松原での地引き網。敦賀の浜で約1.5km続いている。故事にある渡来王「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」が、朝鮮半島から上陸した時の景色を想像した。 M3+tele-elmar135mmF4+RA

1632001/4  観光地引網・・・すでに資源は枯渇しているため、漁業と言えるほどは獲れないが、観光地引としては充分な量である。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/3rd+RA

1641986/6  敦賀市縄間にて。船小屋は蔦につつまれていた。おそらく小屋の左側にはもう一艘のマルキが納まっていたことであろう。 キヤノンT70+FD24−35mm+KR

1651986/12  船を出す作業・・・五十年ぶりに船を浜に出す。昔の仲間が集まって作業に携わる。 マミヤM645+55mmF2.8+SSS

1661986/12  マルキの前で・・・博物館に納めて永遠に保存されることは良いことなのだろう。皆さんの表情にも安堵が感じられた。ここまで大事に保存してくださり、ありがとうございました。 マミヤM645+55mmF2.8+SSS

1671986/12  縄間のマルキ・・・この地方で最後のマルキである。すなわちこの型のマルキの最後の一艘である。保存は何とか間に合った感がある。百年以上経つとは思われない良好な状態で姿を見せた。 キヤノンT70+FD24−35mm+KR

1681986/6  縄間の隣の地区、常宮の浜にて。砂浜に掘立の船小屋が並んでいる。このあたりでは調査当時このような古い形式の船小屋が残っていた。 キヤノンT70+FD24−35mm+KR

1691986/11  縄間にて・・・現在主力にかっている定置網用の網の掃除をする。 キヤノンT70+FD35−105mm+KR

1701986/11  縄間の港にて。プラスチック船だが新造船をおろす時は少し華やかな気分になる。向こうに見えているのは越前海岸に続く敦賀湾東浦だ。 キヤノンT70+FD35−105mm+KR

1711986/11  縄間にて。穏やかな景色を背景に、のんびりと網をつくろう。 キヤノンT70+FD35−105mm+KR

1721986/11  木札・・・百年ぶりに船から出された船札。「福井縣」と焼き判があり、裏には鑑札の番号等がある。置いてあるのは船首の綱くくり用の部分。 キヤノンT70+FD35−105mm+KR

1732001/4  縄間の船小屋の壁・・・回りの景色は変わったが、小屋の恵比寿の札は元のままだ。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/3rd+RA 

1741986/11  マルキの前での中山さんと磯辺さん。ふたりとも現在も健在である。 ブロニカSQ−A+ゼンザノン50mmF4+EPR

1752001/4  浦底にて・・・敦賀湾西浦最奥の集落の磯浜。岩の上に小さな五輪塔と海神が祀られてある。対岸は越前海岸である。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/3rd+RA 

1762001/4  敦賀半島西側の白木にて。使われなくなって岡に上げられた漁船と原発施設。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/3rd+RA

1771986/11  内外海半島堅海のうち捨てられた船小屋にて。使われなくなった堅海最後のトモブト(マルキ)が小屋とともに朽ちていく。この10年後小屋もろともに処分された。 ブロニカSQ−A+ゼンザノン50mmF4+EPR

1782001/4  渡り田・・・これは三方町のはずれだが、少し以前は道路もなく船(多くの場合トモブト)で海から上がった。若狭から丹後の各地に渡り田は数多くあった。  ヘキサーRF+Tri-Elmar35mm+RA

1791988/1  からくんだトモブト・・・これは宮津での写真だが、トモブトの場合幅に比べて長さが長く、時化ると二艘を横につなぐことは普通におこなわれる。船外機は船首部に取りつけられ、後ろに舵をつけている。 キヤノンT90+FD24−35mm+KR

1801988/10  栗田の浜で。じゃこ捕り用の網が干してある。181の写真の棹はこのように使う。 オリンパスペンFT+20mmF4+EPR

1811987/4  栗田湾・・・船小屋が浜に並んで、いつでも出漁できるようになっている。小屋の裏には母屋がつながっていて、特別な護岸はなされていない。 フジカGS645S+EPR

182 1988/10  栗田の地引き網漁・・・積み込んだ網を船で巻いていく。船はトモウチである。 キヤノンT90+FD35−105mm+KR

1831988/10  網を皆で引っ張る。人数が少ないため、なかなかの重労働である。 キヤノンT90+FD35−105mm+KR

1841988/10  たぐり寄せた網から魚を上げる。ほとんどがジャコだ。この漁はいかにも古風だが今も続いている浜の権利だ。 キヤノンT90+FD35−105mm+KR

1851998/2  南から見た栗田湾・・・途中まで護岸があり、その先は砂浜、そしてまた護岸。この景色は今も変わっていない。  ヤシカマット124G+EPR

1861989/12  小浜市岡津での出漁風景。半農半漁の村では当たり前の夫婦船である。 ブロニカSQ−A+ゼンザノン50mmF4+PKR

1872003/4  仏谷にて・・・カキの作業小屋。向こうは小浜市街で、真ん中の島は少し神聖視されている。ここの湾は関西では有名なチヌダイ釣りの名所で釣り筏がたくさん並んでいる。 TX−1+30mmF5.6+RA

1882000/4  小浜市仏谷の村はずれの古い船小屋にコチブネは置かれていた。最初は使われ、そのうちに使われなくなって、しかし小屋に残された。そして最初に見てから十七年後にすべてなくなった。 M6+GR28mmF2.8+E100VS

1891986/12  仏谷のカキ養殖・・・コチブネは少なくとも四艘がカキの運搬用に使われていた。 キヤノンT70+FD35−105mm+KR

1901989/12  小浜市岡津のマルキ(トモブト)の出漁風景。私たちが通い始めて二十年近く経つ。その間に伝統的な船の文化は大きく変貌したが、それでも形を変えて今後も続いていく。 ブロニカSQ−A+ゼンザノン50mmF4+PKR


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