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2009−2014年のフィールド写真


2014.4.10

今週末は能登へ一年ぶりに行けた。たくさん見たものはあるが一番印象的だったのは旅の最後に行った能登最高峰の聖なる山「宝達山」である。道は細いが山頂まで続いており(観光地ではない)右に富山平野、左に内灘の海岸や能登外浦が一望にできる場所にあるためNHKその他の電波塔や送電鉄塔が林立している…それで重機が入るから道がいいのだろう。平地から登り下り合わせて45分、山頂で30分、一台の車にも人にも会わなかった。山頂には三角点以外に宝達権現社とNHK電波塔が建っている、周りは鬱蒼とした新緑のブナ林が続き、晴れていれば能登・加賀・越中の景色が眼下に見えるはずである。静か…また空気の透明な秋にでも来てみよう。  Nikon Df+NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5

4/9

先週末は塩飽・高見島と佐柳島を2日間で5時間半歩いた。多度津の港から高見島へ向けて出港=2日間とも時雨れた…花冷えとでもいうのか相当に寒い。乗客はたったこれだけ…天気は上々=多度津では雨だった。住民登録はどうだか知らないが、実際の住民は全島三集落で50名程度…島で生まれて一度も島から出なかったお婆さんと20分ばかり話して島の昔話をたくさん聞いた。都会へ出ていった息子に呼ばれているが「この島で最後までいる」と断ってひとり暮らしを続けている=残った数十人の人々と助け合って暮らすのが安心だということだ。
フェリーだけど予約制=たったの5台しか乗らないから(@_@) しかし心配はない…高見島と佐柳島と2日間往復したが(計4回)一台も乗ってはいなかった。☆高見島の両墓制…ここでは日本の遺風が残っている。墓が埋め墓と参り墓に分かれているのである。土葬=本質的に埋め墓と参り墓の区別になるので昔は日本のどこでも普通にあった。画面の右に見えているのが立派な○○家の参り墓群。埋め墓を「捨て墓」と呼ぶ地方もある。どうしてそういうかは鳥葬や海葬と同じような意味があるのでだろう=死者への恐れと穢れに対する清め。
向こうに見えているのも過去からやってきた習俗「産小屋」…お産を忌んで妊婦はここに籠もって出産したのだ。お婆さんも3人の子供は産婆にとりあげられたのではなく、ずっと過去からそうだったように姑の介助で自分で生んだのである。

4/4

野忽那島と睦月島へも行った…どちらも興居島に比べると過疎とそれによる「荒れ」が深刻だ。野忽那島はここの有人の島々の中では最も小さく、小学校も廃校となった。一時は廃校を阻止するために「シーサイド留学」=山村留学のようなもの=を実施し、外国人も含めた生徒集めをしたが長くは続かなかった。島は老人ばかりとなって町を歩いても人の気配は小さい。ずいぶん以前に放棄された家には家の中まで竹や雑草が生えて豊かで強力な照葉樹の自然に還っていくばかりである。睦月島ではまだ人は多く、漁業や藍染めなどの生業は成り立っているようだ。海運時代のなごりの宿やパーマ屋などの商店の廃屋は、ずいぶん以前に繁栄が終わったことを示している。しかし島国・日本の原点は島嶼部にあり…なんとか瀬戸内の自然と文化を後世に伝える手助けをしたいものだ。

4/2  興居島へ…過去にたくさんの離島に行ったが、この島はそのなかでも白眉の美しい景観を保っている島だと思う。

松山市高浜から船に乗って興居島へ…と云ってもフェリーで10分程度だ。
上陸してすぐそばの浜にお寺があった(いかにも波をかぶりそうな場所でテトラポッドに守られていている=危ないからと言っても宗教施設は簡単に移動できない…聖地なのだから)。とりあえず寄ってみる。向こうは高浜の町…この島では車なのでSONY-α7+Sonnar T* 35mm F2.8 ZAでの撮影だ。 弘正寺廿五世住職・山下賢昌師…島の歴史や風土、お大師さん(おだいつさんと発音)について30分ばかり語り合った…もちろんボクより10歳ぐらい若い…そして「高浜で法事があるけんなー」と言い残して車で港へ飛んでいった=3=3=3  またぜひ会いたい人(そして「また会うのも縁じゃ」と和尚も語る=ボクは四国方言が快いのである)であった。境内から島の象徴(いや松山のと言っていい)伊予小富士が見える。少し南洋風、しかし素敵な島だ…過疎とは言っても「荒れ」はなく、残った島人達によって整頓された景色と感じられる。弘正寺(真言宗)…興居島は小さな島がみっつ連なったような細長い島で、場所により景色や環境に変化が見られる。

4/1  週末は2013.年度の最後を飾って四国松山と周辺島嶼部を訪ねた…写真は今週に1−2度は出したい。

愛媛・松山からの帰り、高速から見た西讃岐・燧灘の夕暮れがあまりにキレイだったので、慌てて観音寺市に降りて「琴弾浜」の落日を1時間ちかく眺めていた…伊吹島に落ちていく太陽☆ これは今日から始まる次年度のテーマのひとつになるなー(o^。^o)

3/28

さて時空軸はバラバラだが大多府島の旅を続けよう。上陸すると港の東に元の民宿街がある(さしずめ「大多府銀座」)。この門?の向こうに建ち並んでいた…現在も建ってはいるが営業はほとんどしていない。夏だけの海水浴客や釣り人がたまに泊まる程度だ。民宿街の向こうに小規模な海水浴場が今もある。その先は山を上がり岬を巻く道(「自然散策路」と書いてある)となる…突然開けた場所に出ると、往事を復元させた大灯籠(江戸時代の灯台の役目をした常夜灯)が建っている。ここも一時期力を入れた観光化のなごりで、切り開かれた台地上は小規模な畑と荒れ地が広がっていた。そして更に歩くと廃校…小学校=平成20年、島の人達の反対を押し切って、某有力者が廃校としたのだと(おそらく箱モノ予算と引替だろう)連絡船に同乗したおばあさんが語っていた。こんな海の見える丘の上の学校で小学校時代を過ごせたらと思う。3年前と同様地元の人により草刈りなどはされている…向こうは家島諸島。 更に歩いて、断崖の上から家島遠望…姫路の沖合。道路で行くなら姫路−相生−赤穂−日生と遠く感じるが、海なら「すぐそこ…」海は広いな大きいな ♪ 家島も石材と山砂の採取で元の形が分からないぐらいのハゲ山となっている。

3/27  大多府島へ。

日生諸島へ…右上は港へ赤穂側から国道を外れて海沿いに向かった写真=向かいの島は鹿久居島(今年中に橋で本土とつながる)、元の道が埋め立ての影響でで水没している。予算がないのか電信柱は放置されたままだ。左下は島へ向かう連絡船のデッキから撮影=ある岬の別荘群が切り絵のように見えている…遠目にはきれいだが近寄ると多くが廃屋同然となっている。高度経済成長期の遺産だろう…今はすっかり静かな海が広がっている。左上は前回の訪問時に寄れなかった場所で、島の西端の岬近くの寺にお大師さんをはじめとして多くの仏像や社が集められていた。おそらくいったん衰えて近年に再興し、島内の社や祠をここに集めたのだろう。どういうことか海を見ずに北を向いて立っている。そして前回歩いて印象の残っている場所も帰りの船に間に合う範囲で再訪した。右下は島の村落の中心にある六角井戸(これは文化財に指定)で、3年前より観光客も地元の人も見えない寂しい景色になった。向こうの家の独居のおばあちゃんに島の話を聞いて記念写真を撮った(↓)がたった3年で、その家も廃屋となっていた。離島の過疎は山村以上に加速度的だと感じられる。

2010.12.12の記念写真。

3/26

先週は瀬戸内島嶼部への旅だった。春分の節句とあって高速道路は大渋滞(故障車続出らしかった)…そのため初日に岡山・笠岡を目指していた計画が崩れた(島への連絡船は多くない)。そこでずっと手前の岡山・日生諸島に目的地を変更した。無事pm2:30大多府島への船便に乗った…3年ばかり前に一度訪問したが少しの変化を認めた…廃校の彩色の石像はずっと色あせ(左上の写真…当時の写真も私のサイトのどこかにあるはずだ)、文化財である六角井戸前の家でひとり暮らしのおばあちゃんに昔話を聞いたのだが、今はそこも廃屋となっていた。日没を帰りの連絡船で眺めつつ備前ICから福山東ICを経てホテルに着いたのはpm9…日が長くなると到着も遅くなるのだ。二日目は笠岡諸島の北木島へ車とともに渡った(この島は広いので)。三日目は同じく笠岡諸島の白石島へ…ここは広いが町並みが一ヶ所に集まっているので笠岡港に車を置いて徒歩で撮影した=島は可能なら徒歩がよい…狭いところへも入れるし人達とも近い距離で話が聞ける。白石島の着いたとたんに連絡船を見送るおじさんがいて、乗船客も手を振って別れを惜しんでいた。その人は私にも気が付いて、立ち話の、後島内を1時間近く案内してくれた…地元の人しか分からない話も多く、私の旅の趣旨も理解してくれたようだ。海水浴場となっている浜は美しく、対岸は福山の工業地帯である「あれができてから島は変わった」と少し残念そうである…水が悪くなったと云うよりノンビリとした瀬戸内の景観がコンビナート群の威容に負けてしまったような気持ちなのだろう。島から4時半に笠岡に戻って古城公園から夕陽を待つ…深い笠岡湾のトロンとした水が夕陽に映える…ここをあとに5時間かけて帰宅した。多くの写真を公開したいが時間がない…今週末は年度最後の四国・松山の島嶼部への島旅である。

3/4

 先週末は高浜〜天橋立〜舞鶴への旅となった。これはご存じ「傘松の股のぞき」である。民俗事例としては一般的らしい...転ぶと向こうは絶壁のためか、最近は手すりやガードが設置されている。ここからは見えないが台の下にはキャッチャーネットがあって「フラッ」ときても下まで落ちないようになった。毎年のように訪れるが来るたびに施設は拡充・整備がなされている。世界遺産も夢ではないだろう。

天橋立(長い砂嘴)を歩いて対岸に渡ると約40分、内側の阿蘇海の連絡船で渡れば5−6分、高速船だと更に速い…しかしオープンエアーの連絡船が良さそうだ→景色を見ながらノンビリ航行するのが船の楽しみ=餌をやるせいでカモメが船に付いて飛ぶ…向こうが橋立の松並木だ。

 五老岳の頂上は公園になっていて、広い展望台である。更に展望タワーがあり、舞鶴湾(リアス式海岸なので西と東に分かれる)と周辺の岬が一望できる。まだ全国的には知名度が低いが車で天橋立方面に来たら寄ってみていい(特に日没時)場所だ。写真は西舞鶴のシンボルのプリン型の山=先の大戦時には砲台があったそうな。  Nikon D800xNIKKOR 24-85mm F3.5-4.5

これは12mmレンズで撮影、上は85mmレンズで真ん中を撮った…デジタルカメラの発達と共にズームレンズの進歩も忘れてはいけない。昔はズーム(特にワイド系)は特殊レンズで単焦点に比べると「相当落ちる」性能だったのである。 Nikon D600+SIGMA 12mm-24mm F4.5-5.6 II

2/28

川崎大師をあとに生麦へ…駅前商店街はシャッター通りだ…都心からの利便性は悪くないのに=特に横浜には近い。

 幕末の生麦事件の碑が残っている(ここで英国人の犠牲者が息絶えた)当時は東海道とは言っても畑と田圃ばかりで、少しの宿場町となっていた田舎だった/現在、周りは住宅と工場が混在している。なんとなく東海道筋の雰囲気も残っていた。

碑のある絶命現場から旧東海道を北東へ行った辻で刃傷事件は起こった…現在その場所はキリンビールの工場が建っている=そして首都高速の延伸工事がキリンの敷地内で進んでいる…どうやらキリンは空中権を売ったか貸したかしたようだ。

2/26

東京甲南会のワークショップ「フィールド写真同好会」(以後「東京フィールド写真同好会」と記す)の第一回撮影会は前日のミーティングで川崎大師〜生麦となった。これからも「フィールド写真講座」ではなくワークショップとして写真を考え撮影に取り組んでいきたいと思う。川崎大師の名物は土産物屋に並んだ「だるま」「久寿餅」(げん担ぎの当て字で葛餅のこと)「飴」…由来は諸説あるがハッキリとはしない。

ただし行ってみて分かったことだが(去年羽田周辺に行って対岸の川崎大師を遠望して「何かある」と思って今回の実施に繋がった)京急の発祥は川崎大師への参拝用の鉄道だったことが判明、羽田方向から渡し船で川崎側に渡り、そこから(地理に不案内なので船着き場は同定できず)短い区間を、これも全国初の電車が走ったのである=そして川崎を基点にして東京まで路線は延びた…今も全国区だが往事は更に信仰を集めていたことがわかる。しかし昔の河口域の砂嘴に建った大師堂に信仰が集まったかはこれから考えたいと思う。寺の縁起はきれい事で確かな資料とは言えない。

街路にはまだ雪の山が残り甘酒屋は大忙しである。午前中はそれほどでもなかったが12時頃から参拝者は急に増え始め、食事後に京急に乗って幕末の「生麦事件」の生麦へ向かった。

11時頃、参拝人が少ないうちに慣れた人達はお詣りを終えて早めの食事だ。ふとMartin Parrのlast resortを思い出した。

 本堂の大きさの割に境内は広い…最近は香具屋の露天が全国的に減っているように思う。若手のなり手が減ったのと、素人の市民グループの店が増えているのが目立つ。

 翌日に江東区を歩いた...亀戸天神から昔の海辺の富岡八幡まで歩きに歩く。途中の子名木川の閘門で遊覧船の通過を見た(やはり現地を歩くと色々なものと接近遭遇をする)隅田川と、こちらの横十間川水系とに水面の高低差があり、水門の上げ下げが必要なのである。なかなか更新ができないが続きは後日…カシオEX−ZR20

2/4

2/1の厳島神社の大鳥居…今回の旅ではLUMIX-GX7+14mmF2.5Gですべてを撮影した。

今回の旅の最後で…豊国神社(千畳敷)
歩き疲れて茶店に入る気もしなかったので勝手知ったる千畳敷で1時間も休んだ…最後は1時間歩くと20分休まないとダメになった=だから島に7時間いても5時間しか歩いてはいない(@_@)v
ともあれ今回も充実した週末だった\(^o^)

 弥山山頂 ようやく今年登頂…あんがい若者が多い=老人には厳しいせいかも知れないが…しかし広島の若者は都会と違って山登りがへっちゃら(しかもカップルで)…2年前は強風のためロープウエイが止まるので中途で下山(麓まで歩くのは困難)、1年前はロープウェイが風でまったく動かず断念=ようやく山頂を極め、三鬼堂での高野山の阿闍梨との邂逅など意義は大きかった、そして翌日の大聖院の星祭り...

1/26

 生口島・光明坊の奥の院から夕暮れのしまなみ海道を見る。冬至が過ぎて1ヶ月、毎日陽が長くなり、5時半ぐらいまで写真が撮れる…そろそろ旅の終わり、ここから自宅まで5時間かからない…便利になったものだ。  Nikon Df、さすがにダイナミックレンジが広く、ハイライトからシャドウまで目で見たのと同じぐらい表現してくれる。

そして浜に降りて日没に立ち会う…歌にもあるとおり、瀬戸の日暮れはいつも美しい。  LUMIX-GX7…ここではダイナミックレンジを広げている(シャドウのノイズが少なくなっているので高感度で撮るのも、暗部を立ち上げるのも楽になった)。

1/22

 百島で船を下りるとレンタサイクルが置いてあり「無料」となっている…連絡船待合所のノートに書いておくだけでいいのである。パンク修理は自分でして下さいとのこと…いかにも善意の島暮らしだ。それでも私ひとりが乗っただけで観光客はいない。少しは広範囲に踏査…と思ったが坂道が多いとかえって不便だ。停めて行動すると、車と同じでまた戻らないといけない。ここでも八幡様の階段横に停めて山頂まであがり、その向こうに面白そうな景色が広がっているのに諦めて戻ったのである。 道ばたに腰掛けてクリームパンを食べた(^-^)/

 生口島の「足長地蔵」...由来はほとんど分からないが地区の人によって大切にされていることは確かだ。向こうは巨大なハゲ山…花崗岩質なので木を伐採(燃料や用材として)した後、風化が進んで土壌が流れてこんなことになったのだろう=昔の里山はどこでもこんな景色だった…政策的に山に植林を励行するようになったのは明治になってからのことである。

1/20  今回の週末旅行は広範囲にわたった…順番はバラバラにアップする。

 生口島の南岸のしまなみ海道…橋の裏側に海面から太陽の光が反射して、とてもキレイだった=やはり暖かい。走っているのは島をつなぐ連絡船=ここでは橋が架かっても航路は保たれている(中には橋を渡る料金より安い航走賃のところもある=もちろん徒歩や自転車の人は連絡船が便利だ)。Nikon Df/2014.1.19 pm4:10

 高根島(コウネジマ)と生口島(イクチジマ)を結ぶ高根大橋のてっぺんから見た、左が生口島・右が高根島…海はイイね。Nikon Df/2014.1.19 am11:30

 福山市・阿伏兎観音から燧灘を見る…その向こうには観音寺の伊吹島がある。先月伊吹島から見た本土はこのあたりなのだろう。 2014.1.18 pm1/Nikon DfxSB300

 生口島の向上寺、国宝の三重塔から瀬戸内を眺める=関西でも雪が降ったらしいが、瀬戸内では陽光燦々である。この写真は2014.1.19 pm3 頃のNikon Dfでの撮影…Nikon Dfはこのようなダイナミックレンジの広さを生かせる場所に適している(シャープ感だけならNikon D600が上だ)。 

今回の旅行に持っていったカメラ・レンズのすべて(この写真は携帯で撮影)…だんだん特化されて必要充分の装備で行けるようになった。車なので量を増やすこととは簡単だが、たいていは「予備の予備」になって使わずに帰ってくることが多かった(それほど心配性ではないが…)。しかし長年、旅の写真を(しかも年度年度で研究取材のテーマは決まっている)撮り続けていると整理されてきて、時によりカメラやレンズは変わるものの簡単な装備品で済ませられることになったのである。 メインとサブは必ず必要(常に=特にデジタルカメラ=不調のキケンがある)で、これがLUMIX LF-1(ラージコンパクトで28-200mm画角・EVF・ストロボ・RAW記録・ペッタンコボディ…etc)で画質もFF.APS.μ4/3の「押さえ」として範囲内である。今までCANON G1-XやOLYMPUS XZ-1が担っていたのだが画質は良いとしてもコンパクトさや操作性に手頃感が足りなかった。今年度友人が買って、その人の薦めでの導入は大成功だった(友人だから私の目的や好みをよく知っている=良き協力者)。 メインは画質優先時はFFのカメラ(今回はNikon Df)を選ぶ=これも天候や目的によりNikon Df/Nikon D600/α7/Leica M9などから1台だけ選択する。レンズはフィールド(悪い環境でも撮影せねばならない=私の仕事は報道系に近い)でのレンズ交換にリスクを感じているので最低限しか持たずワイド系ズームと単焦点レンズ各1本(今回はNIKKOR 24-85mm F3.5-4.5のみ)だ。 メインの2はミラーレスカメラに24-28-35mm相当のレンズを付けている…これは島歩きなど距離を歩くときに使う。軽くて高画質(最新のミラーレスは単純な画質比較ならFFと比べて肩を並べられるところまでなっている)ストロボ内蔵など、小さくてもほとんどのセチュエーションに対応可能である/それならFFを廃止してもいいのでは?との声もあるだろうが「体力があるうちはもう少し…」が本音なのである。62歳の今、もうFFボディ+FFレンズ2−3本+サブカメラ+ストロボやバッテリーで何時間も歩けなくなった(可能かも知れないが翌日も歩かないとイケナイ…)。このジャンルのカメラはFUJIFILM X系とLUMIX-GX7のどちらかとなる=これも場合により使い分ける。α7の後継機+28mmレンズが出たらアッサリそちらに行くかも知れない…

1/16

明石・江井ヶ島の市街地、夜まで写真を撮り続けた…この日は1600カット。

FUJIFILM X-E1+FUJIFILM X-18mmF2...最近のカメラは暗くなってISO感度を上げても画質が大きくは崩れない。それでカメラの設定はISO200始まりのゲインアップ1600(シャッター最低速は1/100で…この程度の設定ができないボディは遅れていると思う)で撮っている=撮影ポジションのP(必要に応じてプログラムシフトを使う)と合わせてカメラ任せで撮ることが多い。

1/13

週末旅行…今回は姫路市沖合の家島踏査(来ること自体は4回目)と明石市藤江の御崎神社の的射神事(第三回「フィールド写真講座」)に出かけた。明石まででも良かったのだが、せっかく行くのだから一泊して「比較的近い離島」へ行ってみたのである。土曜は約4時間かけて島の北岸部を東から西までくまなく歩いた=3=3=3 この島の特徴として島の高台まで家が建ち並ぶことはほとんどなく、おおむね海岸線に沿って町が伸びていることで、ここの風景は西端近くの城山から港を見たものである。地区としては真浦と宮があり、真浦は造船や関連産業が、宮も造船と漁業が盛んである=なぜ小規模な造船がこのような離島に盛んなのかは分からない…いずれ解明しよう。

 翌日は明石・藤江へ…あまり知られていないが歴史ある御崎神社の的射神事へ「フィールド写真講座」のメンバーと訪れた。観光化されておらず初めての訪問の割には良い写真をたくさん撮ることができた=祭りでは「段取り」「場所取り」が普通は重要なので最低2回は行かないと難しいのである。

祭りのあと明石の海岸を日没まで歩いた。薄曇りの人気のない浜辺を歩くのはとても気分のいい撮影行だ。2日間で30km歩いたことになる。足は丈夫になるが関節には良くない(2日目は足首の関節部にロキソニンテープを貼って歩いた)。

日没…播磨灘に真っ赤な真円の太陽が落ちていく。薄曇りなのでギラギラとはしない=実際にはもっと神秘的な日暮れだ…残念ながらFUJIFILM X-E1+FUJIFILM X-18mmF2しか持っていなかったので太陽は小さい。歩くときは(そして祭りの人混みの中では)小型で速いカメラを持つことにしているからである。

1/7

 竹生島唐門=これが大阪城極楽橋の門だった。よく残った…現在舟廊下と共に修復中。宝厳寺関係者に聞くと5−6年はかかる模様で、元の極彩色も復元される計画だ。

竹生島主要部
右の門が大阪城京橋口に架かっていた極楽橋の門で、秀吉時代の大阪城の現存する唯一の構築物…石垣は最近発掘された。
このような辺境の島に移築されたので残ったとも言える…浅井氏(つまり淀君)の残した業績だろう。それとも菅原道真同様、滅亡させた家康の「秀吉の怨念」への恐れか?

1/3   初詣…今年も撮影を兼ねて連日続く(^_^;)

1/1…例年どおり地区の氏神様の八大竜王神社へ詣る。氏子総代他地区の長老によって管理されている。小さな社だが周りは整頓され、少しづつ階段や鳥居が整備されていく。

1/2…近江八幡の長命寺に詣る=ふだんはアジサイの季節に訪れるのだが冬に来てみた(シーイング良好)。

長命寺奥の院の太郎坊宮…京都・愛宕山から太郎坊天狗が飛んできたという伝説(太郎坊が投げた岩とも)がある。いずれにしても神の岩座であり、巨石信仰がもとになった話だろう。

ここから眼下を見ると長命寺湾と南湖がよく見える…梅雨時だと水蒸気のせいでボンヤリとしか見えないのが常である。

1/3…竹生島へ渡る。さすがに日本三大弁財天と云われるだけあって離島(港から30-40分の航行)にあるにも関わらず人出は多い…湖東の彦根・湖西の今津・湖北の長浜(ここが船便が多い)のみっつの港から定期便が出ており、それぞれ満員に近い参拝者だ。標準的に滞在時間は1時間程度に設定されているが、しっかり見るには2時間は必要だろう。次の船便まで待つと3時間以上となり少し時間があまる…ま疲れたら茶店で甘酒でも飲んで待つと良い。

帰りの船…現在、竹生島神社の本殿(国宝)等改装中、5年ほどかかるらしい。落慶法要の際は神仏混淆である隣接の宝厳寺の秘仏・大弁財天が特別開扉されるかも知れない(本来は60年に一度=次は25年後ぐらい)。きのう今日と暖かく年末に積もった雪も溶けている。 以上LUMIX-GX7+LUMIX-G14mmF2.5

帰りの船から多景島を遠望す。湖の景観もなかなかいい。LUMIX LF-1


12/28

今日はとても寒い1日だった。小雪の舞う紀ノ川流域の寺社を4ヶ所巡り、墓参りもして、五條市の通称・山麓線(県道30号線)を帰路につく途上、時間があったのでナビに「大弁財天」とあったので寄ることにした…道路から500mばかり上がった所に指示が出た。しかし里道は雪が積もり、降雪も急に激しくなって四駆でない友人の車は立ち往生w(゜o゜)w しかし周りを見ると素晴らしい銀世界が見えた…左は飛鳥盆地、右は紀ノ川筋、両者を挟んで立ちはだかる風の森峠だ。地元の人に話を聞くと、温暖化と関係なく積雪はしょっちゅうで冬は難所なんだとのこと…そう言えば若い頃(1977年)この山塊を越える国鉄和歌山線のスイッチバック列車に乗って五條に行ったとき周りの風景と風の森の地名とで地の果て・国境地帯を感じたものだった。 そうしているうちに雪が止み気温2℃、坂を下だったら嘘のようにドライの道に変わっていった。 α7

12/27   今年最後の先週末の旅行の更新…今日でデスクワークは終わり=慌ただしい1年だった。あとは大晦日までに2日日帰りで撮影に出る。

高知市街地を五台山から眺めた。左奥に昨晩降った雪を冠した石鎚山系が見えている(昨晩通った高知道の峠でも氷点下ではないので積もりはしなかったがかなりの降雪があった)。南国風の景色…北西の季節風は強いものの気温は暖かく、凪いだ海も心地よかった。写真はすべてNikon D600+NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5だ。

 五台山の山頂付近にある竹林寺にて…四国の寺は(特に八十八ヶ所)観光化が進んでいるが、さすがに高知まで来ると(遠くはないのだが…関西から400km)侘びた雰囲気がある。またまた連日の徒歩撮影=3=3=3

渡来人・秦氏の末裔:長宗我部元親の居城…土佐・岡豊城跡からの眺望=ここを始まりに四国を制覇した。 この山に県立の歴史民俗資料館があるのだが、予算の都合か少し寂しい…ただし施設はキレイで駐車場も広いため、ここを基点に城山のハイキングコースを歩くのもいいだろう。

12/24

 旅の二日目は四国に飛んで、香川県観音寺市の伊吹島だ。昨日とはうって変わって曇っていた=明るい曇天。しかし風は昨日よりやや冷たくない(昨日は強い風波で連絡船が欠航となったらしい=運がいい)観音寺港から古いタイプの船で25分、瀬戸内としては孤島にちかく燧灘の真ん中にある。なんとか漁業が主たる産業としてなりたっている(活気もまだある)。ただし老年者〜中年世代までが多く、子供は少ない。いずれ塩飽の小島のような運命を辿るのであろう。向こうは四国本島で観音寺や新居浜の町が見えている。昨日はNikon D600を首から下げて重かったので、今日はFUJIFILM X-E1+FUJIFILM X-18mmF2を持って5時間かけて「くまなく」島を歩いた。

全島で人口は600人を切っている(公式には600人を越えているが住民票がそのままで実際には住んでいない人が多いため、おそらく500人+αが常時居住者)全盛期の昭和30年頃は5000人近く(家は多く残っている)…現在は島の家屋も半数が廃屋(うち半数は廃墟)で残りの半数がたまに本土から帰る「半廃屋」である。各種の店も往事は何軒もあったが、現在は雑貨屋のようなものが数軒残るのみである。

5時10分の船で観音寺港に着くと(pm5:35着)もう真っ暗だ。原則的には客船だが離島航路に多い荷船としての役割も大きい。船に小型のクレーンが付いていて行きも帰りも荷をかなり積んでいた…フェリーではないが車も1台積めるようだ=島は比較的広いので軽自動車がかなり走っている。 FUJIFILM X-E1は高感度耐性が比較的大きくて暗い場所でも安心して感度を上げられる。

12/23

今週は瀬戸内〜土佐への旅であった。高速がすいていたので自宅からアッという間に牛窓へ着いた…フェリーで前島にすぐに渡った(たったの5分、車込みで往復800円)。いちばん海の狭いところは100mないだろう…しかし橋を架けない方向で納まったようだ。「橋が架かって便利になった」と云う話を聞く一方、「落ち着かない、町から嫌なものが入り込んでくるようになった」ともよく聞く話題だ。ゴミの不法投棄や泥棒、強引なセールス、そして一部の観光客の狼藉…etc。一時は観光に沸くが、あとは厄介なことは残る…だから前島のように船で5分(1時間に2−3本の渡海)、仕事や買い物、通学に便利な立地なら「橋はなくてもイイ…」となるのである。金曜昼間と云うこともあり乗船は車が3台、自転車1台といたって不効率だ(もちろん赤字経営)。しかし島に着くと静かな港に店もない。今回で3度目の上陸となった…まわりは「日本のエーゲ海」。

瀬戸内の島に多い展望台へと登る=半分は車だがあとは軽登山だ。途中に県や市が史跡にしている大阪城の石垣の切り出し場の跡地があり、普請を命ぜられた松江藩の刻印の入った岩が残されている。多くの瀬戸内の島は花崗岩をはじめとする石の山地で、運搬に波の静かな瀬戸内は舟運にも有利だったである(一部の島では現在も続いている)=こういう大きくて重い荷はトラックができるまでは船で運ぶしかなかった。小岩は船に積み、大岩は二艘の船で縄で縛った岩を水の中に吊った状態で運ぶのである…岩の浮力を利用するのと同時に重心を下げて難船を避ける効果がある。展望台からの景色は岡山の瀬戸大橋から広島の島々、四国の屋島や五剣山を、すぐ横に小豆島、背後には家島諸島から播州の海岸線が見える…陸からは遠い他国がずっと近くに見えるのである。

前島は温暖な気候と地味が豊かなために全島キャベツ畑が海辺まで広がっている…話を聞くと「ちょっとしたブランド野菜」らしい。島は日没がゆっくりとしている…沈みかけてから撮影のポイントを探しても間に合う。今回の旅行では、1日目・岡山の前島、2日目は香川・燧灘の伊吹島、3日目は土佐の物部川の踏査を敢行した…今は日が短いので日没と共に次の場所へ行き、そこで泊…そして朝から行動の繰り返しで広い範囲をカバーする。1ヶ所で「じっくりと…」という考えもあるが範囲を広くして何度か来る方が成果が大きいことも知るべきだと思う。つまり季節や状況が変わるので機会を増やすことが有意と思っている。  Nikon D600+NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5

12/18   超多忙につき更新ままならずm(_ _)m

 先週末は方向を変えて三河・豊川稲荷(日本三大稲荷のひとつ)へ行った。神社でもあり寺でもある神仏混淆…昨今、明治の合祀令の重みがようやく薄らいできたようで、だんだん神仏混淆や天孫系以外の多神が大っぴらになった…ここは寺が神社を管理している。  Nikon Df+NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5=上々の仕上がりを見せている(シャープネスだけならNikon D800にはかなわない)。

豊川稲荷についで翌日は三河湾に浮かぶ佐久島に渡った…西尾市一色港から連絡船で20分、そこに別世界がある。これからは瀬戸内を出て各地の離島に行くことにする(瀬戸内にも行くが…)。この日は風波が強く連絡船が欠航になるかと心配したが「生活の船」は波を越えて定刻に到着した…降りると風は同じだが本土より暖かい。

波が強すぎるために出漁は見合わせられたようである。私と一緒に本土から渡ってきた釣師達も、たったの5分で諦めて旅館へ向かった…波が高くて海岸に近づけないのだ。  α7も良い仕事をする(だけど「もう少し」…コンパクトさ以外は魅力に欠ける=画像の安定性を比べるとFUJIFILM X-Pro1がフォーマットが小さくても総合的に互角と考えられる)。

12/12

塩飽・粟島の桟橋…「あ」の文字、これは瀬戸内美術祭の時に「芸術家」が書いたそうな=船頭さんの話(=^_^=)

12/9

 金曜=淡路の沼島  土曜=丸亀の志々島  日曜=広島のとびしま海道・大崎下島  …またまた瀬戸内横断大移動の週末だったw(゜o゜)w  これは映画「時計屋の娘」のモデルとなった時計師の松浦さんの店を大崎下島に訪問…とても長話になり、今回の旅はここで終わり☆気になると直接行かないと済まない写真家の宿命=写真は「その時・その場で」…同時性と同地性が絶対条件だ(^_-)b 旅行は昼間にフィールドワーク、日没後に高速を走って次の目的地のホテルへ(だいたい午後7時半か8時になる)、翌日またフィールドワーク…となる…今回はNikon Dfの実地テストも兼ねている=概ね良好。

店のトレードマーク。この時計店は明治期から営み(元は米問屋=海運)たくさんの人に支持されてきた…私が知ったのは3年ほど前のNHKのドキュメント映像だが、映画も含めて有名になる以前から全国区だった。

ここ大崎下島・御手洗地区は近世〜近代まで海運で栄えた町で、このような老舗が多く残っている(伝建地区)。今後もしばらくは瀬戸内の栄光を追いたい。

11/24

 きのうは比較的近所の山寺を何軒か秋を求めて巡ってきた。ここは和束町・鷲峰山金胎寺である。昔は相当の勢力のある寺だったが、その後衰え、残念なことに今は多くの堂宇も荒れている(もちろん重文指定されている)。しかしそのせいか山はとても美しい。

ここは犬打峠を経て近江に繋がる場所に位置し、それほどの標高ではないにもかかわらず、山頂付近の宝篋印塔のある場所からは琵琶湖が意外なぐらい近くに見える(写真はワイドレンズで写しているので遠くに見えている)、そして左には京都の市街が、背後には山城〜大和高原の山並みが見える…絶好の位置なのである。  Leica ME+GR28mmF2.8

11/21

八幡社の鳥居をくぐり、まるで崖のような参道を登ると舟見台(そして灯台代わりの常夜灯籠)へ出た…確かに真正面に蛇行しながら千種川が河口近くまで遠望できる。この山の下で川は瀞となり荷の上げ下ろしもなされた(もちろん西国街道である)。川と山の物流の拠点がここで押さえられ古墳時代から栄えた地域なのである。「舟見」とは監視台の意味でもあり千種川を治める豪族の国見の場所でもあった…背後に八幡社が祀られている。  Nikon D600+Nikkor 20mmF2.8D

11/20

赤穂市有年の古墳時代の遺跡公園、向こうに見えるのは八幡山で千種川を見下ろす舟見台がある。続きは明日。
Nikon D600+20mmF2.8D…vignetting不良(味とも言える)はあるものの古いニッコールの雰囲気があるレンズだ。

11/18

土日月で山陽から山陰に旅をした。例によって旅の最後のシーン…奥出雲、島根と広島の県境付近のループ橋にて☆2013.11.18 pm5....日没後も雪で明るい。平地でも気温5℃、この場所では0℃となった。ミゾレが雪に変わり、紅葉も済まないうちに冠雪となり、真冬とは違う不思議な景色だ…カシオEX−ZR20

11/15

 大垣市の市民祭りで期間限定の「たらい船」に乗った。なぜたらい船なのかは分からないが大垣城の外堀を30分ぐらいかけて半周する。操船は船ではないのと棹なのでかなり難しい(一般には知られていないが手漕ぎの場合、櫨<櫂<棹で一番収得に時間がかかる)。何艘も連なって船着きから出ていくが予約が要るほどの人気だ…たらいなので一度に2−3名しか乗れない。限定とは云ってもサクラの頃も出るようで注目していよう。

船頭は特にプロの漁師という訳ではなく、私の乗った船は学生アルバイトだ。話を聞くと訓練をすれば大丈夫だそうな…堀割なので浅く風波も立たないのが良いのだろう。気持ちのいい経験だった。

11/11

玉桂寺の不動明王、古いものではないが本来の極彩色をまとって仁王立ちしている。遠い景色を見ているような気がした=2013.11.9 pm5

11/9

信楽・日没後の玉桂寺。おびただしい観音や水子地蔵が奉納されている。悲しい物語が頭の中に生まれそうな景色だ…境内の紅葉撮影には時刻が遅かったが、この写真が撮れて良かったと思う。 LeicaM9+summaron35mmF3.5=このようなシーンでは軟らかくて良いのかも知れない。

11/8

夕刻の永源寺。本堂への長い階段の途中に自然の岩を彫ったような石仏群がある。かなり摩滅していて判然としないが七福神だけは分かった…日の落ちた山道、たった一人でこういう風景に逢うと心穏やかとはいかない人が多いと思う=神秘について考えた。LUMIX-GX7…暗すぎてストロボ撮影となったが実際はもっと怖い(^_^;)

11/6   また多忙につき更新ままならず…年末までは「ストーリー」にならない更新となるだろう (^_-)w  映像だけは出したい☆

夏に「発見」した和束町の磨崖仏を再訪…数ヶ月で現場の整備は少し進んでいた。周りの藪が整理され、狭い山道も砂を入れて凸凹が少なくなり、狭い水路に簡易な板が渡されていた。写真を撮っているうちに町の観光協会のガイドが小さな歴史ウォークで総勢10名程度でやってきた…老若男女が混じっていて、いわゆる中高年ハイキングでない。

11/4

今週も旅に出ていたので更新はできなかった。ま2ヶ月間休みがなかったので「疲れた」のである(Θ_Θ)Zzz  今回は鈴鹿山地を滋賀側から北上し=日野から山に入って永源寺ダム〜国道から外れて蛭ガ谷(木地師の里)君ガ畑、そして時間切れで岐阜羽島へ…翌日は大垣で祭りがあったので、これに参加して(主として手漕ぎタライ船による城の掘割巡り)、そしてまた養老山地〜鈴鹿山地の岐阜・三重側から探索した。最後は八風街道(よい響きだ)でまた永源寺へ降りた…ふつかめの夕方から雨で霧も出てきて雰囲気はよい=写真撮影にはきびしい…国道から永源寺(禅寺)へ渡る橋から見た景色が旅の最後となった。
2013.11.3 pm5
LUMIX-GX7
LUMIX-G14mmF2.5

10/29

高野山、紅葉はまだ三分、探さないと見られない…今週末か来週か?  

10/28

高野山・金剛峰寺。修行僧が常時1000人もいる寺の台所で…夕食の用意はpm2から始まる。 僧坊のそここに神棚があり、明治の分離令をはね除けて今も神仏混淆を通している。ここの祭祀神の頂点は紀ノ川筋側の丹生都比売神社である=サイトの説明のうち「…妹神」だけは後生付け加えられた由緒である。そもそも高野山開山は丹生都比売神社社領の山域を当時の新興宗教者だった空海に与えたことが始まりである。

10/27

今日は「フィールド写真講座」で(本年度第一回)高野山へ…きのうに続いての寺巡りとなった。二日で10km以上歩いたことになり足が痛い…しかし清涼な空気のもと楽しい二日間だった。次回の「フィールド写真講座」は12/1に長谷寺と近辺を撮影することになっている。  LUMIX-GX7

10/26

今日は地元の浄瑠璃寺・岩船寺へ曇り空の下詣ってきた…近くなので「いつでも行ける」で15年ぶりの訪問となった。観光客は減った(台風予想のせいか?)が寺や周辺の整備は進んでいる…のが第一印象である。少し早めについたので誰もいない浄瑠璃寺の境内に観光バスのガイドさんが下見に来ていた…そのあと(たぶん昼食後)ある程度の人数の団体(多くはない)がやってきた。紅葉には少し早いが山寺の秋の風情は格別である。 LUMIX-GX7+14mmF2.5

10/25

 2013.10.19...川越祭りへ行った。民俗行事としても格式があり、現代においての市民祭りとしての地位も持っている希有な祭典である。詳細は↑の公式サイトで。

1日歩いたが、たいへんな人出で規模も非常に大きい=町並み保全もなされていて(古いままの商家もあり、新しく建てた店も古式を守っている)町全体が盛り上がっている。商店がとても多く祭りの時だけではなく普段も訪問客が多いのだろうと推察された。 FUJIFILM X-18mmF2

10/24

上野公園に行くと、行きか帰りか、必ず西郷さんに会う(実は遠い遠い親戚)。周辺は依然として工事中だが少しずつ整備は進んでいる。画面の左にエレベーターがあり(最近観光地の要素として老人や足の不自由な人=もちろん疲れたボクにも=にとって楽に移動できる仕組みが必要と思っている…もちろん実際にそのようになってきている)地上まで簡単に降りられる…そこが上野駅不忍口の交差点だ。 FUJIFILM X-18mmF2

10/23

深川の釣り名人…大雨の合間にも竿を垂れる=今はハゼが捕れ、最初は趣味だったが、毎日毎日の釣果に今では料理屋に卸すまでになっている。もちろん川の水質も基準値内になっている。 FUJIFILM X-E1

10/21

品川駅。帰りの新幹線の座席指定は品川や東京だと混雑するので(並んでいるうちに電車1−2本逃してしまう)、今回は浜松町で時刻を合わせて指定した(緑の窓口は待ち人0名)。東京駅でも新幹線専用改札の日本橋口の窓口ならほとんど人はいない。旅慣れるとだんだん分かってくる…少し時間をずらせてカフェで喫茶もできる。更にネットで予約するとなおさら楽になる。品川から京都までたったの2時間、気楽に旅行できる。

10/20

毎週でかけているので、またまた更新不充分となっている。 今週は東京へ…これは今日の夕方大雨の東京築地市場での写真。4時半で店じまいだ…雨が激しすぎて客足は遠い。  FUJIFILM X-E1+FUJIFILM X-18mmF2(今回はこれだけで全部撮影した=機材に関しては神経質な私だがFUJIFILM X-E1は信頼性が高い)☆

10/17

越後荒川河口域。対岸は塩谷地区…砂嘴が長く伸びている。北西の季節風が吹いて海が荒れ、川の水が流れない。どうしても河口部は砂が溜まるのである…荒川ではサケのルアーフィッシングが許可されていて全国から人が集まっている(本年度の漁券発行は2000人を越えた)…もちろん河口部は禁漁区で、ここでは「スズキを釣っている」ことになっている。寒い…向こうの山塊は山形との国境をなす朝日連峰。  Nikon D600+SIGMA 12mm-24mm F4.5-5.6 II

10/16

2013.10.12 pm5:15  越後荒川河口域の夕陽=秋になって水平線に陽が落ちるまで見えるようになってきた。低気圧の接近で北風が強く吹き、波浪も吠える。左は新潟独特の海中油井だろう。よく見ると佐渡へ太陽は落ちていくのである。 Nikon D600x24-85mm

10/15

今週は下越・荒川〜中越・弥彦山〜上越・米山への、やっぱりヘビーな旅行に出かけた。 これは旅の最後、米山山麓の谷根の浜を北陸線の普通電車が走る日没を撮った…いつもそうだが1日の終わりの夕陽の景色は偶然ではなく、場所や時間を意図した撮影である。ここでもネットで時刻を調べて待っての撮影である。ちょうど良い時間まで丘の上に腰掛けて超遅い食事をしながら待つ…左は国道8号線の高架橋、画面の左右に輝度差がありすぎたのでHDR処理で暗部を上げた(上り下り3台の列車を撮影=Nikon D600とOLYMPUS OM-Dで連写する)…同時に種々の加工もしてみた=どちらかというとリサイズだけの写真と、かなりの画像加工の両極端になる傾向がある。 OLYMPUS OM-D+OLYMPUS M.ZUIKO ED 12-50mm F3.5-6.3

10/9

先週末の旅行=各務原・川島〜飛騨高山〜野麦峠〜伊那〜御嶽山〜王滝村への旅であった。初めて高山に降り立って、まず中心にある櫻山八幡宮に行った。諏訪地方と似ていて(祭神も似ている)今回全体(飛騨と木曽)に感じたことはカミへの信仰が厚いことである。 高山の宿場町としての景観保全は「少し厚化粧」…観光振興のためにはいたしかたないと思われる。 OLYMPUS E-5=一眼レフ4/3としては最高機種だがさすがに古い(機械としての信頼性はプロユース)…オリンパスはとりあえず4/3ボディ+レンズは開発を止めたようだ。ミラーレスとラージコンパクトに特化するような気配である(時代が移ればまた別の方針になるかも知れない…)。

10/8

2013.10.7 pm5:30
妻籠宿近くの木曽川河川敷から見た南アルプス…ちょっと異様な景色だ…石灰岩質なのか岩が白くて、その岩を押し流す川の勢いと...国道19号線から少し降りて撮影してみよう(国道はバイパスのようで駐車はできないし河床を見ることも叶わない)。 オリンパスE−5

10/7

今週末は少し遠出で、飛騨・木曽の峠を回ってきた…山行きはなかなか骨で腰がだるくなる。峠道は右に左に、そしてアップダウンの連続だ。写真は今回の最大の目的地「木曽・御嶽山」の紅葉で、ガイドによると今年はキレイだと言うことだ…まだ100%紅葉していないので来週あたりに行ったらベスト? 乗鞍も同じ程度、穂高はまだ残雪があった。しかし!伊那や飯田などでは最高気温30℃前後と8月下旬の暑さで、1000m地点でも23℃、2000mで15℃…高山なのに暑い旅行だった(ホテルでは冷房が停止で扇風機を借りて夜の空気を入れた=夜はさすがに16−17℃に下がる)。 OLYMPUS E-5+OLYMPUS ZD 12-60mm

10/4

 四国八十五番札所、八栗寺(やくりじ)背後の五剣山をご神体とする霊地にあり、歓喜天をはじめとする密教系の仏以外にも神仏混淆時代の雰囲気が色濃い。

神仏混淆…境内の一番外側には「歓喜天」の額がついた鳥居がある。向こうは五剣山の一部、道の両側は廃業した旅館、背後の眼下には讃岐盆地がよく見えている。

八栗寺の参道にある団子屋さんにて…多くの聞き取りをしたが、寅さん映画「寅次郎の縁談」のロケ地である。さっそく映画DVDを観てみると、最後の方に柴又へ電話をかけるシーンであった。店の横を参道に沿ってケーブルカーが八栗寺まで走っていく=3=3=3  この時、この茶店の二階で休んだということだ。  店主によると参拝客は往事の1/10、参道に12軒あった茶店はついに自分のところ1軒となった(旅館も3軒あったがすべて廃業)。私は歩いて下ったので茶店に巡り会え(写真家は「その時・その場」にいないとイケナイと再確認)新しい物語をたくさん聞けたのである…Nikon D600+SIGMA 12mm-24mm F4.5-5.6 II

10/3

新居浜の別子銅山跡地が資料展示として一部公開されている。石見銀山の世界遺産登録ののち全国的に鉱山跡地が整備され少しずつ人気が出ているようである。ここは住友系の開拓で元禄時代から昭和44年まで採掘された。全国的にも鉱山の多くは高度経済成長の後期、1970年前後に廃坑となっている。資源の枯渇だけではなく、採掘コストがかさみ輸入の方が安くなったのである。

9/30

また超ハードな撮影旅行に出かけた。今回は四国だ…写真は旅の最後の昨日の夕陽。愛媛からの帰り道、高速道路を日没に合わせて吉野川・藍住町付近に降りて撮影した。 全体としては香川・屋島〜丸亀城〜丸亀・牛島〜観音寺・伊吹島〜新居浜・大島〜別子銅山跡の島と鉱山を訪ねる旅であった…CANON G1-X

9/26

伊勢・宮川河口域、中州の先端部にて…鵜の集団が飛び立つw(゜o゜)w  これが内陸の水辺まで飛んでいって営巣し糞害をなす(もちろん鵜飼のためには必要…)...伊勢湾の鵜によって琵琶湖・竹生島の松が半分枯れた(…現在は回復中)。カラスも同様で、守られなければならない野鳥のうち人間社会に適応できた種は繁栄し、他の種を駆逐する。どちらかと言うと私は自然保護派だろうが、看過できない問題もあると言うこと。 研究の視点も少しずつ変化している。

9/24

旅のレポートを書き終えないうちに、次の、そしてまた次の旅に出る…23-24日で小旅行へ。場所は遷宮で注目を集めている伊勢とせっかくだから足を伸ばした鳥羽。過去に何度か来た場所なので今回は目標を絞って、伊勢の宮川と五十鈴川河口域(なかなか複雑で1日目は全部使った)・内宮周辺(「おかげ横町」など…旧門前町が時代劇のセットのように建て込んでいる)=とにかく平日なのに大繁盛だ…もちろん伊勢神宮内宮の森は2時間以上かけて歩いた・午後は高速を走って鳥羽港へ=3=3=3 とりあえず最も近い(市営連絡船で10分)坂手島へ上陸…周囲3.8kmの小さな島だが、かなり人が多い(日本の離島で6番目の人口密度)…基本的に漁師町でなかなか味わいがある町並みだった。島にありがちな景色、斜面に張りつくように家が建っている。内宮と周辺で2時間半、島で1時間歩いて疲れ果てて(低血糖症状が出た=船便の都合で昼ご飯を食べる暇がなかった=いつもギリギリが好き)高台の大峯堂の前に座り込んで15分休んだ…対岸は鳥羽のリゾートホテルが建ち並び多くの車が行き来している…こちらは静かそのもので私なら躊躇無くこちらを選ぶだろう。日陰で秋の海風にあたると元気が沸いてきて、本土への船便が来るまで全部で1時間半歩いた…鳥羽から高速で2時間半で帰宅、案外近い小旅行だった。FUJIFILM X-M1も初めて試用したが写りはFUJIFILM X-E1とほとんど同じだが(デフォルトで少し明るめか?)タッチがかなり違った…この辺のレポートは2−3回使ってから結論を出そう。

9/22

七尾〜和倉温泉の道は混むので(ここら辺の道は熟知している)少し山の中を走り七尾湾に到達、旧田鶴浜町の白浜である。ここの凪いだ海が好きで何度も当サイトに登場する。 さてこれから夕暮れに向けて能登半島を北上だ。 FUJIFILM XF14mmF2.8

9/21

さて能登への旅を続けよう…石動山から山伝いに七尾へ向かうと、七尾城の近くに自然公園があり、ついに能登の内浦が見える場所までやって来た。地元の人が何組も来て夕暮れの散歩をしているように思われる。

しかし展望台から「どーんと」見えるはずが、やはり水蒸気のせいで霞んでいた(下の富山平野よりはましだが…)これから平地へ降りる。 FUJIFILM X-18mmF2

9/20

9/14 pm5、沼津の海浜公園で。台風が来るというのに多くの人が海岸でノンビリと集っていた(観光地というのではなく近隣の人たちである)・・・防潮堤の上で美術系の女子高生が大きなタブローを抱えて誰かを待っている。沼津から田子の浦、三保の松原、遠州灘、そして遠く渥美半島まで大崩海岸など一部を除いてズ〜ッと砂浜が続いているのだ。静岡は長い海岸線を持っているが「砂浜の国」と思われた。11月に再訪する…CANON G1-X=ダイナミックレンジが広く半逆光でもビクともしない、さてようやく各社がラージコンパクトカメラに力を入れつつある。

9/16

台風で大変なので(帰りの新名神・信楽付近では雨とウオーターカーテンで前が見えず、排水が追いつかずに道路が川になっていた=このようなときフルタイム四駆の安全性が発揮される)気楽なリポートを…大井川鉄道の1日1本のSLを(汽車は遅いので)3ヶ所で捉えた。これは支流の川に架かる橋のたもとから撮影=ほぼ道路と鉄路が併行しているので可能なのである。

これは高台から(9/15am11:55)撮ったもの、想像していたより編成は長い…満員ではないが多くの観光客が乗っている。OLYMPUS OM-D=連写で20枚ばかり撮るのである(もちろんS優先AEで、1/500を選択した)。現在ここは濁流で川幅いっぱいまで増水している。

9/15

能登への旅の途中で、今度は静岡へ旅した…仔細はまた次にして今日のハイライトを(^_-)b 井川ダム付近の調査に行ったのだが、運良く1日1本の大井川鉄道のSLと遭遇(と言ってもネット検索して「確信犯」だ)…何しろダム湖まで片道2時間以上かかるので道すがらの撮影をするのである。もちろんそれらも次のテーマへとつながるのだが…これは吊り橋の下を行く汽車=向こうは大井川。ボクはてっちゃんではないので川の風物としてのSLが欲しいのである。11月にまた来て、今度は乗りたいと計画している。 このあと台風の猛烈な雨の中帰宅…さっき我が町にも大雨洪水警報が出たらしい。

9/12

能登随一の聖地・石動山(麓の石動は「イスルギ」と読み、ここでは「セキドウサン」と呼ばれる)に裏側から入った。密教系の大寺院だったが中世からの戦乱と最後は明治の廃仏毀釈で完全に衰えて、僧達は山を下り京都や滋賀の寺に入ったとされる。背後は多くの寺院建築の内、唯一残った「旧観坊」である。山域は観光的な施設はほとんどなく、少し石川側の中能登町が力を入れ始め「これから…」の雰囲気である。

こちらは町により復元された「大宮坊」前庭には昔の本堂の礎石が整備・保存されている。ボランティアガイドの説明に見てみると礎石の一部は焼け焦げていて、京都や奈良の寺院を見ていては分からない当寺の廃仏毀釈の嵐(つまり焼き打ち)は相当に激しかったことが分かる。左に見えているのは小さな資料館=ここにはなんとか残った御輿が展示されている。ここをあとに石川県側に下る。 FUJIFILM XF14mmF2.8

9/11

灘浦の途中から山へ入ると(峠越え)思いがけず長坂棚田に入り込んだ…やはりフィールドワークでは偶然や必然が重なって新しい発見がある。暑いが天候は良好。

棚田の景色、これは一部で前後左右に遠くまで続いている…もっと有名な能登や丹後の棚田より規模が大きい(観光化はまったくしていない)。能登で2番目の高峰・石動山の麓である。さてこれから石動山へ分け入る。 SIGMA DP-1m

9/10

氷見の北を能登・七尾に向けて延びるのが灘浦である。富山湾の西域でここで定置網により捕れるのが全国ブランドの「氷見鰤」だ…長く漁協ではなく網元による経営をとってきたため(定置網には巨額の資金が必要なことが関係している)浦々には旦那衆の家がまだまだ残っている。宇波神社の横で海沿いの道と内陸へ向かう街道の辻に建つ網元の家は今も健在だ…屋根に魚見の望楼があるのが特徴である。元は左側がすぐに浜だった。

9/9

翌日は高岡から能登へ向かう。高岡と氷見の境には山塊があり、汽車も車も狭い海岸線を通り抜ける(車はトンネルが抜けた)。旧道の台地の上から高岡・伏木の海岸を見る(能登に来るときはいつもだ)…富山から高岡の間では唯一の自然の砂浜で、以前は漁師船が停泊していたが、最近海浜公園として整備され近在の人々で大混雑である。そばを氷見線の汽車が昔と変わらずゴトンゴトンと走る。

「カメラ談義」ミノルタオートコード 富山県高岡市の海岸にて。近所の女子高生が海岸清掃のボランティア活動に来ていた。はなはだ効率は悪そうだが、この精神を育てることが海辺の将来にとって大切なのである。ピーカンだが、このレンズのコントラストの低さが分かるだろう(シャープさは「ほどほど」だ)…これは同じ海岸の15年前ぐらいの写真とテキストである。当時は観光客の姿はほとんど見られなかった。

そして氷見海岸に出ると(雨晴海岸と通称されている)長い砂浜と松林が氷見の市街地まで続き、北陸でも切っての海水浴場である。氷見線が海岸を走っているため駅からも歩いて行けるし、道路も高速道路が氷見まで延びてきている…ただし便利になったため日帰りが多く民宿は盛況とは言えない。  FUJIFILM XF14mmF2.8

9/8

小松から山に入って、町に降りないように尾根や谷筋を巡って、8時間かけて今日の目的地、富山と石川の最も有名な倶利伽羅峠に日没前になんとか着いた(高速で走れば1時間半だ)。峠からはシーイング最悪で晴れていても何も見えなかった…倶利伽藍不動付近を歩いて今日の終わりとした。

倶利伽藍不動の仏舎利塔に沈む夕陽。境内には僧侶も含めて誰もいなかった。さてここから車で1時間、高岡のホテルへ向かう。  FUJIFILM XF14mmF2.8

高岡への道を脇に入り、小矢部・石動の愛宕神社に立ち寄る…残照の中、心当たりがあって境内を歩くと本殿の外側にあった神木と「天狗」の碑。これで大満足^ ^/

9/5

尾根を下ると医王ダムに至る…医王山系を尾根づたいに一周したような感じだ。ダムは満水に近いが放水はしていない…やはり導水管で落としているようだ。向こうに見えている送電鉄塔は地下発電所から都市に送電するためのものだろう。ダムは美しい…またたくさんのダムを見て回る旅が続くだろう。

医王ダム湖のほとり…辛うじて水没を免れた小さな村があった。しかし危険性があるためだろうが人は常時住んでいない。出作り小屋として機能しているし手入れはされている。が地図にある村の鎮守様の社への道は草で覆われて行くこともできず、人がいないため話を聞くことも叶わなかった。 SIGMA DP-1m

9/4

尾根道を行くと富山平野が眼下に見える…晴れているのに水蒸気のせいかシーイングが極端に悪く裾野しか見えない=空気の透明度が増すと富山平野全部、そして立山や日本海が一望できるとのことである。

尾根の先端部に射水市営の医王山国見ヒュッテがある(宿泊も可)。山にとても詳しい管理人の人に聞くと、春夏秋冬の景色が楽しめ、冬の山スキーは特別に楽しい(積雪は5mに達し実質的に道路も閉鎖となる)とのことである。「山の楽しみ」…若い頃登山をしていた私には懐かしい言葉だ=色々ないきさつで水辺の研究・記録を続けてきた私に、今年度山の要素が与えられたことに改めて感謝したい。 SIGMA DP-1m

9/3

町を避けて医王山付近(このあたりはスキー場やスポーツ施設・キャンプ場があり、ハイカーもいた)から石川・富山の県境の尾根道・通称「百万石街道」を行く…元は観光道路のようだが現在はほとんど車や人影はない。あまり高山ではないがさすがに国境地帯、深山幽谷の雰囲気だけはある。もちろん民家などは皆無だ。 SIGMA DP-1m

9/2

大乗寺から平野部に降りないように山沿いに加賀と越中の境の尾根を目指す。山系の中心・医王山を周りつついくつかの場所を見て医王山寺に到着。一度は衰えて荒れたが比較的最近復活した密教系の寺である。境内には神仏混淆、色々な神仏の跡が見え、その中でも山門脇の石碑に天狗を発見!…天狗研究もしている…「鎮座 九萬坊大権現 森下町天狗」となっている。天狗信仰は修験道などと結びつき明治までは盛んだったが、他の八百万の神々と共に合祀令によって天孫系の神々以外は放逐されたのである。しかし天狗信仰は脈々と続いている=皆の魂と結びついているのだ。詳しくはもう少し研究しないとね…立て札に見えるように京都の寺院との関係が示されている☆

9/1

旅の続き…あちこち寄り道しながら、この日の目的地のひとつ大乗寺に到着。広い境内は木々に囲まれて非常に静かである。観光的なことは一切していないためか不便な場所でもないのに参拝者以外の人影はない。境内はおろか本堂や僧坊にも自由に入れる…ここで参拝と休憩を兼ねて1時間以上いた。この大門脇の腰掛けに座ると風の通り道か涼しい風が気持ちよかった…と僧が「こんにちわ」と言いつつ過ぎていった。 あとで帰りに見ると境内の森の中にある幕末十二義士と言われる(今は細かなことは分からない)の本多家墓所で読経をしていた。修行僧の禅寺。

蓮が本堂裏にたくさん植えられていた…神秘的な花と実だ。  FUJIFILM XF14mmF2.8

8/28

大乗寺への途上また寄り道…かなり学会では有名な国指定天然記念物「山科の大桑層化石産地」である。住宅地に隣接して手つかずの深い渓谷があり、古い時代の化石を含んだ地層の露頭が観察される。

8/27

翌日も晴れ…フェーン現象なのか非常に暑いw(゜o゜)w 小松から山へ向かい、富山との国境の山麓を古刹・大乗寺を目指して走った。地図を見ると蓮如上人ゆかりの場所があることがわかり小さな寺で止まると檀家の婦人が「裏山に蓮如上人の墓があります…」とのことで車を停めて「登山!」距離は短いが急な斜面を登り「また熱中症寸前」となった(少し気分の悪い顔だ)。しかし山頂まで辿りつくと金沢の町並みと海が一望できようやく元気に写真を撮った…墓は墓所というより廟のようなもので「ゆかりの地」という感じだ。だが場所は山城のあるようなクニを監視できる有効なポイントである。山の上り下りで1日の体力の80%を失った…FUJIFILM XF14mmF2.8

8/26

永平寺から福井北インター、そして北陸道をひた走り小松インターで降りる。すぐそこが浜だ…なんとか日没に間に合った。やはり晴れているのに水蒸気が濃くシーイングは悪い…ホテルはインターの近くなので日没まで海を眺めていた。 CANON G1-X

8/25

福井の平野部へは降りずに山中の道をあちこち立ち寄りながら北へ越えて夕刻永平寺に達した。もう5時を過ぎており中へは入れず(2年前にじっくり見た)小休止がてら近隣を写真に撮った=もちろん参拝者もほとんどいない。ヒグラシの声だけが耳に残っている。 FUJIFILM XF14mmF2.8

門前町にも観光客の姿はなく、それぞれお風呂にでもつかっているのだろう。右の建物は交番だ=景観に配慮している。ここをあとに加賀の海へ向かってまっしぐらだ…どうしても日没の絶景を撮らねばならない(もちろん高速道路を使う)。

8/24

さて話を戻す。福井・足羽川支流の小規模発電ダム(もちろん無人)比較的小さな川に低い落差のダムが人知れず(そして数多く)存在している。この落差で発電しているのではない、溜めた水を導水管で下まで送り(その段階では落差は大きくなる)遙か彼方でタービンを回しているのである。

8/22

西舞鶴・匂崎公園から西舞鶴湾の夕暮れを見る…懐かしい場所だ。2005年に出版された初の本格的な書籍「港の景観」でも度々登場する、そして見開き表紙写真にもなった場所である。

これが表紙写真(FUJIFILM TX-1)、当時の原始的なフィルムスキャナーでスキャンしたものでオリジナルは非常にキレイだ。公園の展望台からの写真だが、上は2Fから、これは3Fから撮ったために少し違って見える…そして樹木も生長していることが分かる。

8/21

若狭・おおい町大島地区の地域行事「とおしあい」に参加…最初に講演を頼まれてもう4年目だ。
これはかつては若狭地方全域に分布していたマルキブネ(大昔ではなく20年ほど前まで見られた)での船漕ぎ競争で、久しく途絶えていた民俗行事が残存した近在のマルキブネを集めて14年前に復活したのである。地域の伝統行事の保存や地元小学生の社会教育に資するだけではなく結果として残った僅かな文化財としてのマルキブネの保存にも役立っている。今後とも少しは助力したい。 FUJIFILM X-10...なんと!メインカメラのOLYMPUS E-5が熱のせいか不調、サブカメラでの取材となった…暗いところでは擬色の発生などシゴト用としては課題があるが明るい(酷暑w(゜o゜)w)シーンでは小さなセンサーで大健闘である。

8/19

福井側へ降りていくと(木が多く生えているので眺望は良くない=峠の直下あたりからはシーイングが良いと日本海が見える)小さな滝が多く見える。山の中腹ぐらいにやや大きな滝があり、ここが用水の取り入れ口になっている。谷が深いため川からの取水は困難で上流から長い距離を引いているのである。その傍らに少年の像が立っている。

そして更に下るとようやく村落が見えてきた…実際、岐阜側の藤橋から福井の池田町まで民家は全くなくて、いかにも国境越えという印象である。ここでは大規模な治山工事がなされていた。このあたりも過疎で民家は少なく、葛橋のある県民自然公園としてローカルな観光地となりつつある。  FUJIFILM X-E1+FUJINON-X14mmF2.8

8/18

417号線はついに途切れ、普通車ならすれ違えない程度の小径となる(県道になっている=しかし舗装はされて、この日は業者による草刈りが実施され重要な街道であることが分かる)。岐阜・福井の県境である冠山峠を越すのだ。ウネウネとした道を上がると眺望が開け、この山系の主峰・冠山が荒々しい姿を見せてくる。決して高い山々ではないが傾斜は急で道にはガードレールも整備されていない…落ちると一巻の終わりだ。山の左に峠がある。標高1000m程度。

1台の車ともすれ違わず峠に達した。峠は広場になっていて2台の車が停まっていた…ここから石碑の向こうの尾根道を辿って冠山へのハイキングに行くらしい。左が福井、右が岐阜である。石碑の周りに小型の石標がいくつかあり、これは隣接する町村のものである。右に「美濃国藤橋村」「美濃国徳山村」「美濃国揖斐川町」、左に「越前国池田町」と旧町名の標で領地を張りあっている…これはやや珍しい光景であるのと同時に、往事は重要な峠道だったと思われる証しである。美濃から越前に直接越える街道は(一応3本ある)今も昔もこれが中心だろう。現在417号線のトンネルは着工されており、この風景も過去のものとなる。峠のゲートは冬季不通になるためのものである。  

8/17

さて先週の北陸山川海紀行の続きだ…徳山ダム湖を進むと「福井」の標識が見える。ダム開発によって整備された新しい道が淡々と続く。水没林の向こうに前回紹介したレストランが見えている。 SIGMA DP-1m…ピントの精密さは○としてもRAW→j-pegの画像は地味な色味だ。

 ダム湖道路は「冬季閉鎖」とは思えない立派なものだ。幾つものトンネルと橋で高低差やカーブを可能な限り少なくしている。元々、岐阜揖斐川筋から福井へ抜ける街道で国道417号線なのである…しかしダムの終わりからは林道に変わり福井側の417号線までは悪路ではないが狭い道となる(途切れた国道=トンネル工事は進行中、いずれ遠からず新道が抜けていくだろう)。これから峠を越える。

8/16

NHKの奈良地方ニュースに撮影中の私も写っていた(このサイトはいずれ消える) 初参加の若者が一人前になる通過儀礼として小さな松明を担いで境内を一周する…まわりの大人達はこの間拍手で称える(少し感動的)。衣装が全員ゆかたと言うのも珍しいだろう。これが熱気と灰と埃で祭りの終わり頃にはドロドロになる。

8/15

今日はお盆。その行事を見るために酷暑の中、奈良・坊城へ「ホーランヤ祭り」へ参じた。ナタネの藁を束ねて大きな松明を造り、八幡社の境内を各字単位で練る…火をつけると強烈な勢いで燃え上がりそのまま火の粉を浴びながら練り歩くのである。 先祖を迎える儀式や五穀豊穣・家内安全と言うだけではなく若者の通過儀礼も兼ねているようである。 幾つもの松明が間断なく出ていき、境内は灼熱と煙に覆われる(私も熱中症寸前)。  オリンパスOM−D

8/14

主たる通信のルーター不調で更新ままならずw(゜o゜)w  話の続きは遅延する…さて徳山ダムに三たび立った。今回はダム道路で福井まで抜けることが目的だ。国道417号線は県境で途切れているが旧街道なので辛うじて林道で繋がっている(冬季や大雨の時は閉められる)。今回はダムの別角度からの写真を載せた。SIGMA DP-1m

8/12

先週末は金土日で北陸の山間部を旅した…面白いことに大きな町を通らずに山から山への道で滋賀/岐阜/福井/石川/富山を3日間かけて巡ることができた。昔の街道は直線的に山々を越えて通じていたことが体感できたのである。まず初日は滋賀・木之本から北東に山を越えて前回抜けられなかった徳山ダムを目指した。ここは間道とは云え古くからの街道で過疎はあっても良い雰囲気の堂々とした家が残っている。廃屋の向こうに今となっては珍しい手入れされた茅葺き屋根の農家があった。 明日から今回の旅を追ってみよう…夏の旅は山に限る(^_^;)なにしろ涼しいのである。  シグマDP-1m…RAW→J-peg現像→リサイズとした面倒だしデータが重くて加工にも手間がかかるが「大画面の場合」は意味がある…しかしウェブでなら、j-pegリサイズと変わらない。ではシグマDP-1mをj-pegで撮ればいいじゃないかと思われるが色味が△で、実用的にはRAW現像するしかない。それよりもプロユースで「フィールド写真!」は画質は最高レベルとしても、カメラとしての完成度には疑問を感じた=キャンペーンで実質3万数千円で買ったことを考えると止む終えないとも云える=アマチュアユースならシグマDP-1/2/3mを持てば90%満足できる性能を出せるだろう。

8/6

徳山ダムの続きは、また今週行くことになるので(追加調査)今度として、また8/4の続きを…和束はお茶の里で延々と茶畑が続いている。過疎地ではあるが特産品があるため町村合併をせずとも何とかやっている。全国区の「宇治茶」の多くはここで作られている(宇治では都市化して水や山が既に栽培に適さない状態だ)。あとは宇治田原町と信楽町朝宮(ここのが最高級)でも作られている。私も家のお茶は朝宮で生産農家から買っているのである。お米は伊賀上野の山間部の農家から…山の水で作られた作物は超おいしい。マクワウリやゴーヤなんかも畑で取れたまんま貰ってくる(^-^)/

8/4

今日は友人がアトリエにやってきたので近所に撮影に出た(暑いので3時間の行程だ)。まず木津川市の旧加茂町の北の山にある「真言宗 海住山寺」だ。ウネウネと細い里山の道を上がると広い境内が現れ、とても清潔な景色があった…標高は低いが風の流れの関係か比較的涼しい(平野部は35℃)。これは国宝の五重塔…このような山中にあること自体が珍しく新鮮だ。観光化を図ろうとしているが人は多くない、しかし清涼な空気感は捨てがたい…裏山の忠魂碑のある広場は展望が効き、山城盆地から奈良阪あたりまで見える。 今日は久しぶりにNikon D600+SIGMA 12-22mm(…使い方を忘れないように)。

そして和束方向へ走ると川の対岸に磨崖仏が見えた…毎月1回通っている道なのに今までは道脇の藪で見えなかったのである(何の標識もなかった)。藪が最近刈り払われて見えるようになったらしい。さっそく対岸に渡り畦道を行くと田圃から磨崖仏までの道も舗装整備されて接近ができた。おそらく更に整備は進みそうだ。かなり保存状態の良い東向き観音のようだ。 Nikon D600

8/3

徳山ダムから大森林地帯走ると、ダム湖の真ん中あたりに忽然と公園様の施設が現れる…レストランまで営業中だ。ここも客は車1台(2名)だけで閑散としている。いずれは下流の名所と共に栄えるかも知れない。

道は福井まで続いているが尾根ひとつ越えて(揖斐川水系から長良川水系へ)岐阜側へ戻った。30分も走ると根尾谷の薄墨桜だ(奥)。春は近づけないほどの人出だが、前回冬に来たときと同様誰もいない。しかし桜公園の隅に小規模水力発電を見つけた。山からの水を人工の池に引く場所に設置されている。これは小さくてオモチャに近いが、もう少し現実的な発電小屋が各地に作られている(電力の地産地消)…再生可能エネルギーの最大のパワーは日本の場合水力なのである。もちろん山と川の力である。 Leica-ME

根尾谷のもうひとつの名所、国の史跡・根尾谷断層。前回と異なり山野に緑があふれる。それにしてもFUJIFILM X-E1の出す画像データは加工による劣化が小さい。

関市へ脇街道を下る…夕暮れになり山の端に日が沈む寸前にムラの八幡様の境内へ入る。そこで本日のお終いの撮影を完了(山なのでpm6:30=本当の日没はpm7:05)。明日は福井へ山を越える。Leica-ME

8/2

藤橋天文台の庭に不思議なサークルがあった。藤橋城の天守閣から撮影…なんだろう?

さてようやく徳山ダムに着いた。前回は冬で、どうにもならない寒さだった。今回は夏の深山、涼しくて駐車場にも何台か観光客(?)がいた。冬はここから先は通行止めだったが夏は福井まで抜けられる(現実には良好な舗装路)…ダムへの資材運搬用に古くからの道が拡幅されたのである。 FUJIFILM X-E1+FUJIFILM X-14mmF2.8

8/1

徳山ダムへの道すがら、2カ所の民俗資料館に立ち寄った。ひとつは旧坂内村(現揖斐川町)川上地区のもので、古民家一棟と収蔵庫で資料館となっている(無料)。ここの祭りでは、このような特大の餅玉を背中にしょって練り歩く。古い民具が多く残されて、小さなムラの資料館としては見応えがある…揖斐川町の運営で管理は地区の人がしている。

もう一方は藤橋地区のものでダムができる前の元の河川敷を大規模に造成して「藤橋城」(中はプラネタリウム)や小さな天文台、そして古民家が数棟…駐車場やレストランなどもあって山奥のちょっとしたアミューズメントだ(私の提唱する「遊ぶ・学ぶ」にピッタリ…)。ただし交通の不便さと知名度の低さで観光客は少ない…土曜にもかかわらずレストランは休業(廃業ではなさそう)、土産物屋だけが開いていた。川上のも藤橋のもダム開発の地元対策予算で作られた施設なのだろうが、どんな方法によらず過疎をくい止める(或いは遅らせる)少しだけ有効な方策にはなっている…税金の無駄遣いと言う無かれ、水力発電もクリーンエネルギーなのだ。 FUJIFILM X-E1

7/31

さて岐阜の山々への旅を続けよう…滋賀木之元と岐阜揖斐川の峠の近くにある土倉銅山跡地…比較的建造物が残っている(少し保全をした跡も見受けられ、中に入ることも容易だ=ただしスズメバチが多いので要注意)。日本中の山奥に多くの集落がある理由のひとつに古代から続く鉱山があることに注目したい=山中に分け入る研究の結果、主たる目的ではなかった鉱山や林業について深く知ることになるだろう。 Leica-ME+RICOH GR28mmF2.8

7/30

信州への旅を終えよう。妙高を経て野尻湖に到達。湖畔にナウマン象博物館がある。すでにスタイルは古いが福井の恐竜博物館などの先駆けのようなものである。ここでのナウマン象その他の発掘はアマチュアや専門家が混じって何十年にもわたる市民参加型の珍しい方法で進めていることが特筆される。その結果、野尻湖は旧石器時代から人が住み各時代の文化が連続的に栄えてきたことが分かっている。 FUJIFILM X-E1

野尻湖観光船に乗る…それほど乗客は多くないが船の本数は多く、待たされることはない。標高約800m、気温は21℃低い水温とあいまって風は冷たい=避暑にもってこいだ。湖岸には古くからの外国人別荘街があり、今も自治的に運営されているそうだ。この日は元ソ連系の中央アジア人のグループが乗船していて、その歌うような抑揚の言語に何か郷愁のような響きを感じる。 Canon G-1X

ここの観光船の特徴は湖に浮かぶ島に上陸でき、次やその次の船(20−30分おきにやって来る)がキャッチアップしてくれることだ(ともすれば丸い湖を回るだけだと単調になりがち…)。つまり上陸して長く留まることもできるのである。島は全体が神域で主神は人頭蛇身の水神「宇賀神」である。 FUJIFILM X-E1

島を後にして桟橋に帰る甲板から。ここでは観光船に乗る人より圧倒的に人力足漕ぎの「白鳥船」や手漕ぎのボートに乗る人が多い…若者が多いせいだろう。 Canon G-1X

そして高速を使うと1時間足らずで「日本海!」…柿崎の浜辺で旅を終えた。砂浜は遠くまで続き、野暮な乗り入れ禁止もなく浜まで車で入り、大人も子供も波と戯れていた。日没まで居ると波が少し荒くなっていく。 Leica-ME

7/29

信州の旅の報告が終わらないうちに次の旅…今回は岐阜西部と福井の山々の(特にダム)撮影となった。取りあえず福井県の九頭竜ダムである。ロックヒル工法の電力ダムでアーチ式と違って左上から右下地下の発電機に導水管を流下させての発電となる。アーチ式もほとんどの場合放水は観光的な目的で導水管で水を落として発電する。ダムは美しいと思う=地下の発電所を案内してくれた職員の人も同じ考えである。 Leica-ME+RICOH GR28mmF2.8

7/26

多忙につき話が前に進まない(@_@)  さて上野市に宿泊し翌日は妙高の山麓を巻きながら野尻湖に向かった。国道を避けて「田舎道」を進む(ナビにオートリルートがあるので迷う心配はない=思い切ってナビの指示から離れることだ)。眼下の橋が国道だ…村の中を抜けて小さな山の峠から景色を見た…これが信州だ。

山中の小さなムラに飯綱神社があり、車を降りると境内のはずれから古いムラの佇まいをスケッチしている人々を見つけた…西日本と異なり鎮守の森も落葉樹で新緑の明るさがある。その木陰からの写生だ…信州ではどこへ行っても絵になるようだ。ここをあとに野尻湖へ=3=3=3  FUJIFILM X-E1

少し時間を遡って、下の横手山から左方向を見た絵…ほぼ水平の光が稜線に当たり、影になる谷の源頭はカールのようだ。そして越えてきた山田峠の方角に虹が見えた。夢のようなひとときを写真家は手に入れることができる。誰か民俗・地理学の写真家を目指さないのかな…そんな風に思った=もちろん生計を立てていくためには写真とそれ以外の多くの才能を持たねばならないが…

7/23

さて山田峠そして国境の渋峠を越えると本格的な山々の連なりが見えてくる。そして曇っていたため日没の絶景を諦めかけていたが、2100m地点で雲が切れた…もう薄暗い山中に光がさした。ここで15分程度撮影…どうしたものか羽虫が多く飛んでいた。 Canon G-1X

いくつかのカーブを曲がると山小屋風のカフェテリアがあり、そこの駐車場がビューポイントらしく何組かの地元の人が日没を眺めていた。右になんと!ハッセルブラッドで夕陽を撮影している人がいた。ここから少し下ったところが志賀高原スキー場だ。日没になり気温は更に下がって推定10℃。 Leica-ME

2100mから山をどんどん下ると温泉の湯元があり、やはり水蒸気とガスが吹き出していて危険な場所があった。もう真っ暗なので車のヘッドライト+フォグランプを向けて撮影…風上から迫り、やっとの思いで撮影に成功、FUJIFILM X-E1…AWBはよくついてきている。

そしてようやく海抜3−400m地点まで下りてきた。ホテルのイベントで焚き火+花火大会である。中野市内のホテルに午後8時到着(標高300m)、ロビーでウエルカムコーヒーを飲みながら暖まっていると、この日の横川〜軽井沢〜碓氷峠〜草津温泉〜山越えの強行軍が夢のように思えた。 映画より過激な撮影旅行なのである。

7/21

軽井沢のはずれで道を北にとり、国道146号線で群馬に入り、嬬恋村から国道292号線をひた走って(軽井沢の渋滞で1時間近くのタイムロス)草津温泉へ…鬼押し出しなど数カ所の名所があるものの、国道沿線は延々と森林が広がり農家はほとんど見えない=西日本では見られない光景だ。そして長野へ再び入るために292号線の山越えに向かうと強烈な硫黄の臭いがし始めた。場所によっては室外に出ることも危険との標識もある(おそらく毒性のある濃度の硫化化合物のガス)。白根山はまだ活火山なのである。写真中央左のハゲ山の向こうあたりが甚だしかった…安全な展望所から眼下を見ると草津温泉が箱庭のように見えた。その向こうは列島背稜山地が東北地方まで続いている。ここを最後に関東地方から中部地方に入っていく…海浜や平野部の国境越えとは訳が違う。 FUJIFILM X-E1+FUJIFILM XF-35mmF1.4

別の展望所で。山肌は木がほとんど見えず岩肌が露出している。谷には硫黄の採掘跡があり、鉱山特有の鉱毒水のせいだろうが谷底は地獄の底を眺めているような景色となる=青年達のいる先が崖で私はそこまで行った。 FUJIFILM X-18mmF2

標高2100m付近の山田峠、何もなく夕方(pm6)の時間帯には車も通らない=気温13℃、峠と言っても現在は尾根に国道があるだけで谷からの道はなく山と山の鞍部にすぎない…風の通り道でほとんど木は育たない。向こうに信州の峰々が高くそびえている=2100mのここから見てもずっと高い。旅の計画でこの道を選んで良かったと思った=活火山でトンネルが掘れず昔のまま高山を越える道で大自然を感じられたからである。これほどに西日本や北陸と違うとは想像もできなかった。今まで信州は何度も来ているが高速で信州に入り比較的開けた場所ばかりだったのである。 これから長野・中野市(海抜300m付近)のホテルまで山を下る。しかしその道すがら、写真をたくさん撮ることになるのである。明日は夜まで多忙なので、あさってに続きを書こう。FUJIFILM X-14mmF2.8

7/19

 新碓氷峠から長野側(軽井沢の端)の森の中をウネウネと中仙道は続き、突如明るい旧碓氷峠に出る…一帯は小さな観光地となっていて、まず峠から少し山に入ったところに「見晴台」がある。大正7年名古屋の篤志家が切り開いた…左に関東平野、正面は箱根や伊豆半島にまで連なる山々、右に浅間山から富士山が見える。フィリピンプレートが日本列島にめり込んで山地を造っていることが実感できる場所だ…ネットや本で知ることとは違う、そこへ行くのが写真家の仕事である…同時に本当のことは現場に立たないと分からないとも付け加えたい。 FUJIFILM X-E1+FUJIFILM X-18mmF2

峠が群馬(左)と長野(右)の県境となっている。概して昔の峠は一番低い山の鞍部ではなく国境にあった。現在と違って山の向こうは別の国だったのである。この階段が県境で背後の熊野神社は長野側と群馬側に二社建っている。聖地としての山ではあっても、いにしえ別の国に分かれた時に別々の神社となったのである。現在も宮司や神殿も別々である。降りたところが峠(県境)だ。

神社正面に茶店があり、ここで休憩…尾根に建っているので裏は山また山の景色である。私は名物の「力餅」「そばソフトクリーム」を食べた。茶店も両県にまたがり住所は群馬/長野のふたつになっている。群馬側へは車で行けないために間道を通って、PM2軽井沢に降りていった。

7/18

さて廃線を少し歩いてみた。道は舗装され簡単な照明もある。暑さで有名な群馬から少し登るだけで空気はヒンヤリしている。今は夏なので歩く人もまばらだが紅葉の頃は賑わうことだろう(木はほとんどが落葉広葉樹の自然林だ)。 FUJIFILM X-E1…解像力はともかくとして率直な絵を創る=これが魅力と言えよう。

線路跡と中仙道は交錯しつつ山を登り、ついに鉄道の碓氷峠に至る(国道の峠でもある…しかし中仙道の旧碓氷峠は少し離れたところにある)。石碑がひとつ建つだけのあっけらかんとした峠である。

しかし峠の直下!新幹線のトンネルがあり、ちょうど轟音が聞こえてきたのでカメラを構えて撮った。関東から信州への弾丸特急ブリットだ。国道はまっすぐ軽井沢の街へ降りていくが、私はここから旧街道を行き本当の国境の峠からの景色を見ることになる。それはまた明日。

7/17

群馬・横川宿のはずれに碓氷関所の跡がある。江戸から来ると最初の難関である。関所が厳重なだけではない、関西では考えられないほど急峻な峠道の始まりである。 Leica-ME=ウルトロン28mmF2との組み合わせで使ったが性能をいかんなく発揮した(遅いが…)。M9よりいいかも…w(^_-)

 信越本線最後の駅(ここからアプト式で有名な碓氷峠〜軽井沢まで廃線となっている)横川駅前で。駅弁・峠の釜めしで有名な弁当屋さんも駅前に露天を出して客を迎える=廃線になって経営の危機であったが何とかやっている(列車利用の客はとっくに新幹線=3=3=3)。「碓氷峠鉄道文化むら」という国鉄の雰囲気を出したアミューズメントがあって、廃線の一部を使用してトロッコ列車も走らせている。観光の拠点となりつつあるが道路が高速/国道1本しかなく、関東からの客で大渋滞であった。私は信州側から降りたので問題なかったが…なにしろ碓氷峠の向こうは軽井沢で夏場は延々と絶望的な渋滞となる。

さて中仙道を行くと近代遺産として保全されている国鉄の線路がある(廃線は平成9年=知らなかった、碓氷峠から線路が消えたことは)。一部はハイキングコースとして開放されており深い山の中を歩く人も多い。 FUJIFILM X-E1…データを軽くしているせいもあるがLeica-MEのフルサイズには遠く及ばない。 旅の続きは明日(^_^)v

7/16

前回の信州旅行は塩尻峠で終わった。今回はその塩尻峠から中仙道を東へ向かう旅とした。まず中央道の岡谷インターで降りて峠へ上がり、前回の最後の展望台からの写真と同じ角度で撮る…このあと佐久から群馬・横川、碓氷峠、軽井沢、草津温泉と長野と群馬県境を行き、中野から妙高、野尻湖…そして日本海・上越に抜ける2泊3日の超ハードな旅であった。今年のテーマのひとつ「中部山岳地域の山河海の文化」はなかなか骨が折れるが(過去は水辺が多かった)成果も大きい…続きは明日。きのうはpm11に帰宅したのでアップ叶わず。Canon G-1X

展望台の手すりに新しく2枚のプレートが付けられていた…今回は曇っていたので富士山は見えなかったが前回はよく見えた。

7/12

暑気にやられて更新ままならず(facebookはかろうじて更新しているが…)、さて写真は琵琶湖湖北の葛籠尾崎展望台から長浜方面を眺めたもの…手前の山が山本山、その向こうの高い山が伊吹山で、右に連なる山々が養老山地へつながる険しい山塊である。その間の岐阜へ抜ける低地が関ヶ原となり、ある一点から眺めると地理がよく理解できる…関ヶ原の合戦はそこでしかありえなかったことも自分の目で確かめられると言うことだ。

7/7

 今日は奈良の葛城の神社を三カ所巡った。まずは今日風鎮大祭の龍田大社へ…2年前にも詣ったが「とにかく暑い」。新暦になって風を治める季節と違うことになったのだろう=以前風の季節に来たときはモクモクと雲が湧き、風が社殿裏の山の上を大和川にそって吹き抜けていた。神官一同大汗の神事であった…午後から世俗的な祭りが始まり、夜は花火で盛り上がる。

 昼から近くの棚機神社へ(今日は七夕だ…)七夕は七日の夕刻ということの当て字で、本来は織女・牽牛の伝説のとおり機織りの技術を伝えた渡来人と牛を崇めた渡来人の氏神なのである。どうして年に1回だけ会うのか? どうして機織りと牛の習合なのか? なかなか興味深い…私の探している失われた氏族探索にとどきそうな…神殿もなく神官もいない境内は村人によって管理され、神の磐倉の横には「牛頭天王」ならぬ「頭天王」の岩がある。高台の鳥居からは斑鳩や王子の景色がみえている。

 最後に太田地区の郷社「海積神社」(ワダツミと読む)へ。ここは本来は名前のとおり海神の裔の杜である。今回は4時間ほどで3カ所回ったのだが、同じ地域に「風」「機織り」「海」「星」「牛」とパズルを解くように日本に渡ってきた渡来人の足跡を辿れた…まだ見えていない失われた斎部(忌部)か…。 カメラはFUJIFILM X-100…どうも色味が強すぎるので(アスティアモードで彩度+1)少し押さえた設定にしよう。

7/6

近江・観音正寺にて。暑くなると琵琶湖へ行くことになる…どの季節も行くのだが。 観音正寺には、このような変わった石庭というか人工の岩の景色がある…町に近い割には山の中の不便な場所にある。 SONY NEX-5

そしてご存じ近江八幡・長命寺のアジサイ…西国三十三所のうちの二ケ寺である。FUJIFILM X-100

7/4

夏の大阪・大川の遊覧船。大阪城の外堀の方まで入っていけるのはいいのだが、船は橋をくぐるためにどれも低くく、堤防の向こうはあまり見えない…大阪城の周りを回ってはいても案外見えるポイントは少ないのである。橋をくぐったここが全体が見える場所で橋の前から船頭さんが教えてくれる…1−2枚撮ると木立に隠れて見えなくなってしまう。あとは上陸し歩いていくことだ。

7/1

小松市の山間部のムラで…奥には先祖の墓所があり、ふざけている訳ではなく鬼が守っている。全国の山奥にも人は住み(鉱山師や杣人などの異人)鬼や天狗がまだ生きているらしい。FUJIFILM X-18-55mmF2.8-4...どのレンズも良い描写である。

6/27

梅雨の九頭竜川。対岸(左岸)の町は福井市新市街地・大和田で、こちらは坂井市である。点々と解禁になったばかりの鮎漁の釣り師の姿が見えている…FUJIFILM X-E1=それにしてもFUJIFILM のレンズはどれもイイ描写をする。測定的な値とは異なり、ようやくデジタル専用レンズにも「味」のようなものが見えてきたように感じられる。 FUJIFILM X-18mmF2

6/25

越前海岸・雄島にて。神聖な島にも新緑が…若者のお参りが多くみられる。あまり良くないのか釣り人は一人だけであった。向こうに九頭竜川左岸域の大きなプラントが見えている。東尋坊からすぐの場所に感じられる。 FUJIFILM XF-35mmF1.4

6/20

 石川県・小松市の十二ケ滝…目的地の大日ダムを目指して田舎道を走っていたら、ふと道のすぐ脇に滝が目に入った…さっそく停車し写真を撮る。目的とは別に「変わったもの」があれば必ず立ち止まる=写真家が研究するということはそんなやり方になるのである。話は道づたい川筋づたいに広がっていく。 そして滝に接近し、サンダル履きを忘れてよじ登って撮る=滝があったというだけでは済まない、いまや何でも誰かが調べている(上のリンクサイト)ので「誰も到達できない」領域が必要なのである。まわりの人たちがヒヤヒヤするなか、約1時間あらゆる角度から撮り続けた(滝口のひとつだけ深く広いので渡れなかった)…FUJIFILM X-14mmF2.8はスーパーワイドながら素晴らしい描写をする(^-^)/

滝をよじ登って上から見た絵、14mmなので広く見えるが実際はもう少し狭い…ローカルな景勝地で子連れの近所の人たちが水遊びをしていた。

6/18

 九頭竜川河口に三国湊はある。ここの川湊の治水を明治に実施したのがオランダの技師エッセルである(版画家エッシャーは彼の息子)。エッセル設計の小学校を復元した龍翔館(現在は博物館)の4F展望台から眺めるとエッセルの残した突堤が見える。4Fはエッシャーにちなんでトリックアート展をしていた。 FUJIFILM X-E1

6/17

このところ更新ままならず....今週は九頭竜川〜三国港〜越前・雄島/松島〜安宅の海〜加賀の大日川水系を遡り、木場潟を経て、また最後は安宅の海で終わるヘビーな旅となった(毎回のハードな取り組みは必ず成果となるだろう)。日本海の海の景色…ここでpm7過ぎに日没を見て帰路につく=pm10:30帰還す。 今回はFUJIFILM X-E1で撮影をした=前日までOLYMPUS E-5(防滴のため)を用意していたが天候を見て変更した…このカメラになって初めて(デジタル時代になって)レンズ交換を頻繁にするようになった。FUJIFILMの方針でもあるし、ボディの軽さと共に性能の良い単焦点レンズが欲しかったためフジの必然性がある(相変わらず合焦は△)。

6/10

京都田辺・打田の須賀神社にて…境内の隅に複雑な根上がりの元に狐が祀ってあった。本来稲荷は稲束を担いだ翁像で狐は神の使いだったはずが、いつの間にか狐=稲荷と考えられるようになった。ここではもはや稲荷社ではなく、天から弁天(あるいはダキニ神)を乗せて地上に下った狐(クダキツネ/トウビョウ)として祀られているのである。

6/7

伊吹山山頂を見る…ワイド24mmレンズなので遠く見えているが実際はすぐそこだ。だが道は石灰岩の岩場で歩きにくいことこのうえない…右(南)は断崖、左も危ない斜面…山頂には山小屋(泊まることは不可)が建っている。 RICOH GXR+A16/24-85mm

6/6

今日は近所(と云っても車で30分)への小さな撮影散歩…奈良平城宮跡近くの佐紀神社で。昔ここに2年半ぐらい住んでいたことがある...もう引っ越してから35年ぐらい経つが本質的には変わっていない。  Leica-M9+CS28mmF3.5=少しネットリ感が強すぎるように思われる(設定を変えよう)。

6/5

何年もかけて少しずつ回っている「大阪環状線の旅」…港区の市岡付近の町工場街。造船所が建ち並んでいたせいか鉄工所関係の工場が目立つ。取りあえず1周はしたものの、まだまだ行っていない場所も多く、これからも年に数回回ってみたいと考えている。 SIGMA DP-1(旧)

6/3

このページの下の方にある春の能登の竹林…下はCanon G-1Xで撮影、これは同時にNikon D600(x24-85mmG)で撮ったもの…このサイズでは分からないが、やはりダイナミックレンジに差があるようだ(解像力は大差ない)。

もう一度ここに貼る…Canon G-1X。

6/2

今日は生駒の長弓寺〜安養寺(その他幾つかの寺社)を巡った…雨も降られず、暑さも弱くて快適に回れた。ここは安養寺、目当ての円證寺が一般拝観お断り(要予約)だったのでやむなく隣の安養寺に寄ったのである…しかし重文級の仏像はない代わり、富雄川の河岸段丘上にあって見晴らしがとても良い綺麗なお寺である。遠くに見えているのが生駒山。 Leica M Monochrome+GR28mmF2.8

昨日は湖北・醒ヶ井〜伊吹山への旅であった。山頂駐車場から本当の山頂までは40分(高度差で100m)かかり、登り降りと休憩・撮影を考えると最低1時間半は欲しい。しかし登りの道は眺望がずっと良くて山頂までを巻くように登るため歩いていくと次々眺めが変わって飽きることはない(さすがに標高1,377m...気温は14℃、この日は日照もないので着ていったパーカーが役に立った)。 写真は山頂近くから琵琶湖を眺める山の斜度が大きいので真下に平野部が見えて素晴らしい景色だ…湖北はもとより彦根のフジテックの塔や多景島まで見えていて、空気の透明度の高い晩秋なら大津や瀬田まで見えることだろう。また秋に来よう。 RICOH GXR+A12/28mm

5/31

2週間前の直江津…明治22年、P.ローエルも土砂降りの雨の中、直江津の町に来ていた。ここは内陸の高田と合併して現在は上越市になっている。すっかり街の中心は高田地区に行ってしまい、往事の繁栄した港町・直江津は寂れている。明治22年の段階では東京から直江津まで鉄道が通っており、ここから海路人や物が北へ西へと運ばれていった。旧北国街道筋には雁木が残っていて閉まったシャッターと共に侘びしさを感じてしまう。それにしても旅の終わりに(写真の撮れうる時刻)直江津までたどり着けたことは良かった…このあと高速道路で約1時間で長野に着いた。 雨の日はOLYMPUS OM-D。

5/28

5/4の越前海岸の岬の公園にて…変わった魔除けの銘板が人工の岩に塗り込められていた。何の説明もないが古いものではない。 FUJIFILM X-E1 18mmF2

5/27

琵琶湖の名もない浜で…凧揚げに行く途中、いつも寄る小さな入江に立ち寄るとウインドサーフィン・クラブの練習風景に出会った。学生や社会人が混じっていた。風はあまり吹いてはいないが巧みに帆とボードを操って沖合までサーフしていく。 Nikon D600

5/26

滋賀県東近江市(旧八日市)の凧揚げ大会に行った。天気は良かったが風が弱くて近江八幡あたりでは「大丈夫かな?」だったが、会場の愛知川河川敷公園では辛うじて川風が吹いていて、それなりに多くの凧が空を泳いでいた。「日本凧の会」のメンバーと再会したあと、最後の「大凧揚げ」を見た…数十人で引くが風力と風向が良くなくて3度チャレンジしてようやく高さ10m程度に揚がって…良かった、良かった(^_-)v 大会そのものは古くからあるが今年から会場が変更となり「風」との戦いが読めなかったのかも知れない。今年に入って竜野・丸亀・大門・東近江と4カ所を取材…また日本のどこかで会いましょう(^_^)v

会場が変わったせいもあるのだろうが、現地には駐車場がなく、駅やその近くに臨時駐車場を設け、そこからシャトルバスでピストン輸送となった(片道15−20分)。しかしご覧のとおりバスが来るまで長蛇の列、炎天下1時間は待たねばならない。これでは市民の催しとしても凧揚げ祭りとしても及第点とは言えない。写っている自動車は関係者のもので一般は通行禁止となっていた…それでいて公園内には広大な空き地があった。一級河川なので管理者(国・県)と開催の市観光協会の許認可が取れなかったものと思われる。来年に期待したい。 Nikon D600+24-85mmG

5/22

長野・善光寺にて…長野は山国なのに暑い。門前の露店も暑さと眩しさで白い布を垂らしている。ようやく辿りついたという感慨がある(前回訪問は20年前)。 OLYMPUS OM-D=このカメラがm4/3の中では信頼性が最も高いのだが「なんとなく」限界も見えているように感じてしまう。

5/21

先週の瀬戸内から、今週は北陸路を旅した…土曜は富山・庄川〜魚津(晴れのち曇り)、日曜は魚津〜黒部〜糸魚川を経て直江津(曇りのち大雨)、月曜は長野へ飛び、善光寺〜犀川を遡り、松本・塩尻から諏訪へ抜けた(晴れ)。まずは旅の最後の塩尻峠から諏訪湖を見た絵(遠くに見えているのは富士山=昔の旅人はこの景色を見てホッとしたことだろう。そして出雲を追われた建御名方も同じ感慨を持ったのだろう…)=天気も良く日曜を除いてとても暑かった(^_-)w 中仙道のひとつの結節点で背後の塩尻は日本海へ続く塩街道の終着点、諏訪湖は太平洋に流れる天竜川の始まり.....塩尻峠はそれほど険しくはないが太平洋・日本海への分水嶺であり、文物の収束点でもある。本年度は中部地方の「山・川・海」を結ぶ文化の研究を実行することにしている。テーマは大きいほど良い…と思うのだが(^_^)v

5/17

福山市郊外の阿伏兎観音からの瀬戸内。夕刻漁師船もそろそろ帰港する準備をしている。私も岬に突き出た観音堂から出かけることにしよう。そして2カット下の浜辺へ辿りついた。OLYMPUS E-PM1

5/15

下は5/13、これは初日5/12の福山市内海大橋下の夕陽。釣りに来ていた地元の親子「日が沈んだら鯛は来ないよ」どうもそうらしい。ビクにきれいな鯛が一匹入っていた。OLYMPUS E-PM1+ZUIKO 9-18mm F4-5.6

5/14

先週末は鞆の浦〜福山の旅であった。これは例によって旅の最後、西福山の名もない海岸で…もちろん観光客は皆無だ。地図で当たりをつけて岬を巡る…辿りついた海辺で日没を見た。少し彩度を強くしているが「記憶の色彩」はこんなものだろう。ここから(日没の時刻が遅い)自宅に11時半に着いた…すべて友人の運転のおかげである。 OLYMPUS EPM1x14-55mmキットズーム。

4/28

今日は遠方より友人が来たりて近所の寺社を訪ねた…銭司聖天と銭司春日神社だ。どちらも由緒のある場所だが観光地ではない…ニュースで見た各地の混雑ぶりとは異なり、新緑の中静かな佇まいを見せている。こちらは銭司のムラの裏山にあたる妙見山(やはり渡来人の割拠した地域らしく北辰信仰は根強い)の参道脇の春日神社まったく静かだ…そうとうに古びているものの境内は明らかに掃き清められて近隣の人たちに守られていることが分かる。 Nikon D600x28mmF2.8D.....このレンズはキットズームに比してコントラストが高く手堅い描写である。やはりまだまだ単焦点レンズか?

4/27

JR氷見線普通列車…向こうは新湊に僅かに残された自然の砂浜=ただし漁船や船小屋は一掃されて市民の憩いの場になっている。 遠くには富山新港と越の潟に架けられた新橋が霞んでいる。 Nikon D600x24-85mm.......樽形の歪曲が目立つ…残念だけどワイド端ではシゴトでは使えないレベルである(解像は問題ないが…)。

4/24

福井県勝山市・県立恐竜博物館(遠くの丘に見えている)。全国でも希有な成功している公立博物館である。畑のなかにも実物大のT−REXが迎えている☆連休中に鯖江に行くので再訪問したい…混むかな (^_-)w

4/20

先月行った東京・お台場の人工の渚にて。水路では海とつながっているが完全に周りをビルや公共施設・マンション、そして公園に囲まれている。人工の砂浜もよく管理されていてゴミなど落ちてはいない。電車や定期船で簡単に都心から来れる距離だ。夕方観光客とは別に多くの都民が遊びにやってくる…Leica M Monochrome+GR28mmF2.8=これ以上ないと思われるほどのギリギリの描写をする(明らかにフィルム時代と違って、現像−引き伸ばしのプロセスが要らず「誰でも最良のモノクロ画像」が得られる)。

4/19

滋賀へ行ったついでに湖北まで足をのばして「関西で最後に咲く」と云われる海津大崎から菅浦を回った(SIGMA DP-2mのテストも兼ねて)…やはりここでも例年より1週間開花が早く、すでに9割が散っていた。八重桜などソメイヨシノ以外の桜はまだ残っていた。サクラは水ものである…毎年同じ場所・違う場所・少し時期をずらして…若い頃「あと何回サクラが見られるかな」と思ったことを毎年思い出して3月末から約1ヶ月走り回るのである。ここは菅浦地先、向こうに見えているのは竹生島。SIGMA DP-2mは1mの兄弟だ(巷間では2が良いと云っているが私は1の方が良いと感じる)AWBに問題があるので今回はWBは晴天モードで撮った…だから日陰なので青くなる。しかし画質としてはNikon D600と同等かそれ以上だろう。

4/17

夕暮れ時の能登さくら駅、さくら号が七尾から穴水方向へ走っていく=3=3=3  最初の年以外の4年間はいつも旅の最後の夕暮れ時だ。華やかさもいいが哀愁もいい☆ 一昨年のLeicaM9の方が今年のNikon D600よりシャープに写るのはどうしたものか? でも印刷にかかると別の結果となる場合もある。

4/16

宇陀のサクラの翌日から日月と能登への超ハードな旅行に行った…夏はUVアレルギーのせいでフィールドワークができにくいため、秋から春が旅に出るシーズンなのである。例によって旅の最後は穴水町のJR能登鹿島駅だ…5年前から毎年サクラの季節に来ている。ここで夕暮れまでノンビリし桜花散るなか旅の感傷に少しだけひたり、5時間かけて帰宅するのである。この2−3年はローカルな花見所からネットで検索しても能登の花見スポットとして有力になっている。現在は無人駅だが以前の駅員が植えたサクラが現在元気に咲かせているのだ。すぐ前は海で、七尾湾のトロンとした水面とサクラの花の「最高に良い雰囲気」なのである。「能登さくら駅」の名称も正式に与えられ、各停電車にもサクラ吹雪がイラストされている。
今回は地元の人たちのバーベキューに誘われた…北陸では寒さのせいで花見の習慣が関西ほどは盛んではない(この日も最高気温は10度にならなかった=山のサクラはツボミがまだ固い)…そんな中「シャッター押してくれませんか?」で始まり(ほぼ100%の人がゲージツ家と見ている)、お返しにNikon D600で撮ってくれた (^_-)b あとは暗くなるまでバーベキュー…ボクと同じぐらいの世代のご近所(穴水町の人々)、夫婦や友人のグループで楽しかった。お礼に帰り際「能登のチヂ舟建造記録」の私の参画した本を差し上げた。また来年会いましょう<(^o^)

こちらは能登半島の付け根の高岡二上山公園から能登を見た景色、こんな広大な竹林を見たことがないほど(本来竹林は外来植物ですべて植えられたもの)で、一斉に新しい株から竹の葉が出ている…本当はもっと生き生きとしていて青い海も美しいのだが写真ではなかなか出ない…CANON G1-X/Nikon D600で撮ったバージョンもあるのでまた試してみよう。

4/13

花の吉野に行くつもりが、混雑を避けて大和高原の山中のローカルな桜名所を訪ねることになった…ここは宇陀市と奈良市の境付近にある西光寺の1本シダレ桜、山村の字と字を繋ぐ小さな峠にあるお堂の前にあり、散りかけていたが「三分散り」程度でなんとか間に合った(付近のヤマザクラは満開)。車がすれ違えない小径だが人々が集まり花を愛でる…清涼な空気と天に近い峠道、なかなか良い舞台設定だ。 LeicaM9+summaron35mmF2.8...このレンズはLeicaM9によって「蘇った感」がない…もちろん実用的には問題ないがフィルムと比べて見違えるような感じではなく「あまり違わない」のであった。

お堂の脇の小さな場所で地元の人たちの「お花見」その向こうでは兼業農家の青年が田起こしを始めていた=月曜〜金曜まで勤め人で土日に農作業なのである。summaron35mmF2.8はボヤンとした描写で春には向いているのかも知れない☆

4/11

下と同じ場所からCANON G1-XのAWBで撮影(望遠で下の前画角(72度)の左下を拡大)現実の色は下とこれの中間ぐらい…なんにしても旅の最後はこうでなくちゃ(-.-)zzZ

4/9  実際の色はもう少し赤い(黄色い)が「それらし過ぎて」俗っぽい感じがしたのでカラースイッチングした(CANON G1-Xの機能+PCでの処理)☆

「毎週旅」の今週は讃岐海巡りだ。豪雨(というほどではなかった=「外出は控えるように」との気象台の警報は少し違った)の五色台から冬にも行ったサクラの紫雲出山、粟島と讃岐広島への渡海、そして旅の最後は瀬戸大橋の上の聖通寺公園から日没を見て帰路についた。すぐ右に瀬戸大橋があり、それに向かってJRの高架線が海上を走る…よく見ると特急が通過中(^_^)b  Nikon D600のセンサーによく話題に登るシャッター機構からのオイルか粉塵による汚れが出て=モバイルPCを持って旅行をするので常にチェックしている=三日目からサブカメラCANON G1-Xでの撮影となった。どうも絵に締まりがなく(ピントはピッタリ)敬遠していたが今回は虫の知らせかカシオEX−ZR20ではなくカバンにCANON G1-Xを放り込んでいたのである。よく活躍してくれた…あらゆる動作が遅いのでNikon D600だと1日1000カット以上だが、こちらでは半分ぐらい…まNikon D600も2日で2500カット近く撮り続けたので粉塵が…と甘くは云っていられないが仕方ないかなとも思う…フィルム時代の何十倍もの酷使だ、特に一眼レフはバタバタと動く部分が多いし速いため「よりたくさん撮り続ける」のである。ニコンを責められない…4/11にSCに行こう(都会にいると便利)。電話でSCに聞くと「混みぐあいによりますが1時間程度…」やはりセンサークリーニング混むらしい(^_^;)

4/1  新年度の始まり。

能登中島町(現在は七尾市の一部)唐島神社の浜で。 海の信仰に支えられた神域・唐島半島にある。全体が照葉樹に覆われ保安林の指定を受けている…この山中(三方が海)を小雨降る中、海神の影を求めて歩く。ふと浜へ出ると「アバ」が転がっていた、あたかも海神の卵のように。対岸に七尾最大の観光地・和倉温泉の旅館群が望める。 防滴カメラNikon D600は安心して雨中でも使える。

3/31

3/29-31にかけて今年度最後の研究旅行で、越後・親不知〜越中富山〜能登の北陸の早春を旅した(先週の東京とはうって変わって気温5−10℃)。まだサクラのツボミは固い。 ここは旅の最終地、穴水の中居地先のボラ待ち櫓、明治初年にここを訪れたアメリカのバーシバル・ローウェル(P.L.)が撮った櫓と同じ場所、同じ角度で撮影した。もちろん櫓は何世代目かだが1980年代まで実際にボラ待ち漁をしていたと聞く(今は観光用)。ここでボラの到来を見張り、見つけると村総出で網を巻くのである。研究旅行をしていて昔の人(その仕事)と出会えることは嬉しいことである。帰国してからは火星研究に没頭し、ローウェル天文台を設立、その後の火星研究の中心となった。今から見ると可笑しいかも知れないが、ウエルズやヴェルヌのSF古典に出てくる火星の運河や火星人もこの人の影響がある。そして海王星の外に別の惑星があると計算で求め、ずっと後日の(孫弟子ぐらいか?)ローウェル天文台のクライド・トンボーによって冥王星(プルートゥ)が発見されたことも特記しておく。その時にアメリカ人による予測と発見にアメリカは沸いて、同年ディズニーの新キャラクターに「プルート」と名付け、その後…2007年冥王星が天文学会によって惑星から外されたときアメリカ中で抗議運動が起こった…プルートゥは慣例に従ってギリシャ神話の神の名前だが、隠し言葉としてパーシバル・ローウェルの頭文字「P.L」とも云われている。   Leica M Monochrome+G28mmF3.5(このレンズはビネッティングが良くなくてデジタルカメラ向きではない)☆

現在穴水町にはローウェルの顕彰碑が何カ所にもあり、昨年竣工された町民センターは「プルート」と名付けられた…惑星カタログからは消えても冥王星は地上でも天空でも生き続けているのである☆ Nikon D600

3/27

3/19の段階で不忍池ではサクラは五分咲き(気温26℃ w(゜o゜)w)湯島天神まで歩きたかったが(すぐ近く)上野恩賜公園を歩いただけでバテて不忍池南詰めの木陰のベンチに座って定点観測(実際は座ったまま通行人を見ていた=そして撮影していただけ)この3年間何度も来たが何となく整備が進んでいくような気がする…知人にオリンピック2020のピンバッヂを貰い帽子に付けた…よく見ると多くの人が背広や鞄に付けて歩いている…どうやら盛り上がりつつあるらしい。

3/25

多摩川下流域、天空橋付近。堤防の先に空港と海が見える。そして眼下に「多摩川五十間端水死横死之諸霊位追善供養 」のお堂がある。漁師町だった羽田の水死者を悼む…その先の天空にペンシルのようなボーイングが飛び立った。 Leica M Monochrome+GR28mmF2.8(F8)

3/24

江ノ島の頂上付近から太平洋を見る。湘南の響きからか観光客も圧倒的に若者が多い。それにしても暑い(^_^;)

3/22

今週は東京方面に旅をした。3日間とも天気は良く気温は20℃をかなり越えた…暑い東京、京都に帰ったら寒いと感じたことである。 ここは2日目の多摩川下流域(古くからの漁民の町、羽田である)昔の低い堤防が残っており、その内側に高くて頑丈な堤防がある。河原はもはやなく、堤防には釣り船を中心とした船の仮設桟橋や小屋がずっと並んでいる(もちろん許可をとっている)。漁村の名残か数は相当に多い…しかしこの季節、人影は地元の人たちだけであろう。この3年間23区内の川を見て歩いたが、大きな川としてはここが最南端だ=向こうに見える右岸は川崎である。 今回の東京訪問ではほとんどLeica M Monochrome+GR28mmF2.8+PO0フィルターで撮影した…まったく悪くない、学術記録としては色彩という要素が欠けるためどうかと思うが「写真そのもの」としては逆に色を意識しない分それなりに気分が良い。これは「冷調ポジション」である。

3/17   このところ多忙な年度末で更新できなかったので先週・先々週の写真をダイジェストしよう。 まだまだ月末まで仕事のまとめが続くが少しアップしないと… (^_-)w

上は先週の岐阜紀行である。1日目は長良川流域〜金華山(岐阜城)へ登る…途中までロープウェイで上がりそこから急な階段で山頂まで歩く(観光地として不適なくらい狭くて厳しい階段だ)と岐阜市街はもとより濃尾平野が一望の下になる、はずだった。しかし晴れているにもかかわず眼下の岐阜市街地すら見えずツインタワーが煙りの上に突きだしていた…何かと思うと岐阜はこの季節に風がまわりから寄ってきて、スギ花粉・黄砂・工場排煙・その他の粉塵が舞うそうである。花粉症には最悪の気象条件だろう…翌日の谷汲山華厳寺でもひどく花粉が舞っていて空気が黄色かった。5時でロープウェイが最終なので(これも早すぎ)山を下りて長良川河畔に立ち、日没を迎えた煙ってはいたが明日に備えて皆家路に急ぐ。  翌日は平野部から揖斐川筋を北上し深山に分け入る。寄り道はいろいろしたが、ひとつの目的地「根尾谷断層」へ着いた(100年以上前の濃尾地震)。博物館があり断層そのものが保存されている(全国で4カ所程度しか公式保存されていない)。そして外には高さ6mを越える断層崖が残っている(国の天然記念物)。20℃を越えた暑い前日と異なり寒い(12時ごろ4℃)。更に奥地へ進み岐阜・滋賀・福井県境に近い徳山ダムに到達できた。ここから先は福井側へは積雪通行止め、滋賀木之本へは行ける。徳山ダムのロックヒルの上に立って寒風の中撮影(午後4時半で1℃)手がかじかんで久しぶりに撮影に力が入った。しかし山奥とはいえ木之本まで1時間、そこから高速で1時間半で帰宅だ…なかなかいいフィールドである。

先々週は舞鶴〜丹後半島一周の旅だった。この時は寒くて山越えでは雪道(スリルあり)…山中の小規模発電ダムでは雪をかき分けて接近した=右下.杉の植林帯で深緑の葉に雪が積もるとなぜか銀色に見える(若い頃の冬山登山でいつもそう思っていた)。色々若狭湾を回って天候が回復したので西舞鶴の五老岳山頂に急ぐ…なんとか日没に間に合い約30分、山頂から写真を撮り続けた(左上)地元のアマチュアカメラマンも何組も来ていてローカルな名勝なのである。前方のプリン型の山には戦時中に砲台があったと聞く…次はここへ登りたい、やはり山頂からは宮津・大江山方向が遠望できるだろう。2日目は天気も良くなり丹後半島を一周した、右上の写真は鳴き砂で知られている琴引き浜、シーズンオフなので誰も歩いていない…しかし綺麗な砂浜、誰もいない砂浜は何時間みていても飽きない「海」を感じられる…そうは言っても旅は続けられ、丹後松島というやはりローカルな景勝地に寄る。落ちたらアウトの断崖をよじ登り「ポジションを取り」(これが大事)荒れる海を間近に見る。またまた寒さで手が凍りそうだ=寒冷性アレルギーがあるので(花粉症はたいしたことがない)寒いと皮膚や目に異常が出る…それでも30分かけて大量の映像を残した。このあと経ヶ岬で登山(これは別に写真を出す)したのち伊根から天橋立で日没を迎えて帰路についた。やはり超ハードな撮影・取材旅行だった=年度末なので具体的成果がたくさん欲しいのである。

2/25

少し時間を遡る(と言っても1週間)…厳島の要害山のピーク付近で。鹿が一頭寝ころんでいて近づいても動じない(24mm画角なので超近接)。どうやら縄張りらしくピークへの一本道を押さえているようだ…もちろん翌日も見張っていた。遠くに見えている尖ったピークが霊峰弥山、ここへの登山が難儀なのである。また秋に来て登ろう(^ヘ^)

2/24

大阪城梅林も梅は来週だろう。木によっては満開近いものもあるが全体としては1−2分咲だ。ここは広くて料金もいらないためお勧めの場所である。

2/23

今日は昼まで仕事をして午後「梅見」に大阪天満宮に…小雨の一日だったが少し天候が良くなると天神さんは超満員、梅はまだチラホラだが春は近い=来週には満開だろう。このあと徒歩で大阪城梅林に行った…この写真はまた明日<(^o^) 近く東京の湯島天神も再訪しようと思った。

2/20

先週に時間は遡る…雪の初瀬の長谷寺の五重塔である。この時もっとも雪が激しく、山も塔も空も(まさに木金土日水が融合する)一緒に溶けていくような気分になる。雪がサイレンサーとなって降雪のサワサワという音以外には何も聞こえず平日の寒い日、人は少ない。 こんな景色の時カシオEX−ZR20のHDRが効果的となる。最近のスナップはほとんど「この組み合わせ」…メインの記録写真用のカメラは色々目的により変えるがサブカメラは常にコレ<(^o^)

2/19

鳥居の下まで辿りついた…そろそろ潮が満ちつつある。鳥居の横には陰陽道のシンボルである月が描かれている(反対側は日)。厳島神社(或いは聖域としての厳島)の主神・三鬼権現(昨年も書いたように姿は天狗を借りている)が伊勢神道や大聖院の密教に先んずるところ陰陽道をよくつかったものと見える…書き方がややこしいが細かな物語は少しずつしか進められない。

2/18

潮の引いた湾に降りた。見た目より土壌は固くて靴が沈むようなことはない(滑りやすいかも)。自然にそうなのか、人為的にそうなっているのかは分からないが、観光客にとってはごく短時間に潮が引き、すぐに潟に降りられるのは嬉しいことだろう。4回目にして初めて鳥居に徒歩で近づいた。続きは明日。

2/17

週末は毎年恒例の厳島へ(「宮島」という言い方が多いが、それは厳島の宮島町で、島としては厳島が正しい)行った…雨はなかったものの二日間とも曇りがち…しかし土曜の午後は天候が回復し特に日没近くは神々しい光がやってきた。今回は山を回っていたが、いそいで下りてきて間に合った。このあと私も引き潮の潟を歩いて鳥居下まで行ったのである。それはまた明日(*^_^*)

2/15

今日は別件で奈良の桜井へ行ったのだが、降り始めたボタ雪を見て近くにある「長谷寺へ!」と思い立ち、車で走り込んだ…ちょうど寒牡丹の季節、新雪の降り積む(雪が降ると無音の世界となる)初瀬の長谷寺へ詣でることができた…清涼な空気をたくさん吸い込んで「さて明日も!」撮影という元気がでてくる。

2/14

 鞆の浦、福禅寺の対潮楼にて。朝鮮通信使の李邦彦が「日東第一形勝」と賞賛したそうな。向かいは弁天島と仙酔島(国民宿舎もある当地の保養地=5月に上陸するつもりだ)で、その昔朝鮮通信使もここから同じ風景を眺めた。

2/12

航路標識…私はやや造語ながら地方の海辺に建つ立標を「海標」と呼んでいる。灯台とは異なる簡単な標識だが大事なものである。ここ広島県向島の小さな漁村のものは遠浅の湾内での座礁を防ぐものと思われる。

2/8

尾道からすぐ前の向島へフェリーで渡る…たった数分の船旅だ。値段は車も含めて\160-、有料の橋ができてもこちらが安くて速い。 FUJIFILM X10…ベルビアモード、赤や緑の飽和度は高いが、少し色がくすむととたんに地味となる。

2/4

おもしろいもので旅は最後から思い出し、時間を少しずつ遡って旅の最初に戻る…人生を旅の中で過ごしていると、始まりと終わりがつながり、次の旅へと展開していくものなのである。ここは1日目の夕暮れ…その日の最後を静かで清涼に終わりたいために日没寸前に「場所探し」=いつものことだ=ホテルへ向かう道すがら格好の山に石段が見えた。もちろん観光ガイドにはない。「ここっ!」と感じて道を探すのももどかしく中腹の八幡様へ。瀬戸内の落日を眺めながら平和な気分に浸り、安心して翌日を迎えられると云うものだ。

2/3

今週末は広島の鞆の浦〜尾道〜向島へ旅した…やはり旅の最後は島の山頂展望台から日没を見た。瀬戸内の島々が東西南北、どこまでも重なっていた。眼下にしまなみ街道の橋が見え、走る自動車がキラキラ光っていた。観光ガイドにも載っていない景勝地である(多くの島々の山頂には展望台があるようだ)。

1/29

また時間を遡る…姫路市北郊の神聖な丘から。ここは大歳神社の参道、近くの婦人が老犬の散歩をしていた。ふと播州弁が懐かしくて話し込む…16歳で身体は丈夫なのだが後ろ足に不自由があってループパッドで上から半分支えながらの散歩である。まったくのマイペースで時々止まると動かない…1時間以上かかるそうだ。この丘に下の織居神社も含めて三社あり、それらを結ぶ参道も地元の人たちによって綺麗に保たれている。日没まで30分、たくさんの散歩の人とすれちがった。

1/28

昨日訪問…湖東から湖北への雪景色を求めてのノンビリ旅、夕暮れ時の長浜市(高月町)でようやく雪に埋もれられた。左上はCANON G1-X、その他はLUMIX L-1=800万画素の古い4/3ボディがナカナカ良い…私も追いかけてきたデジタルカメラの進化をふと考えさせられた。確かに漸進しているのは事実としても絵として見たときには「あまり変わらない」のである。コストを撮影そのものにかけるべきと思った(少し遅すぎか…)。
八幡・藤ガ崎龍神/長浜・大通寺
八幡・賀茂神社/長浜・渡岸寺と天神社

1/27

琵琶湖・水茎の浜から北を見る…右は沖島、左は白髭神社の岬だ。その向こうに舟木・安曇川が遠望されるが、珍しく蜃気楼となっていた…これは小さい画面なので分かりづらいが水面の上に浮かんで見える。 水と空気の温度差で琵琶湖では時々見られる…毎月1度は通っているので立ち会えると云うものだ。 CANON G1-Xでの初フィールド…キヤノンらしくなく軟らかいのに驚いた(硬いのを予想してダイナミックレンジを200%にしたのも関係あるだろう)、少し設定を変えてみよう。

1/26

まぁそんなだで50年ぶりに私も凧揚げ、凧は「見島の鬼揚子」(オニヨウズ)全国の凧の中でも少し別格の凧(毘沙門天とも云われている)で、これを持って公園を走り高く揚がった。この凧は記念にいただき今は私のアトリエに掛かっている…次の大会に行くときは撮影・研究ばかりではなく鬼揚子も持参してまた走りたい。

1/25

龍野市揖保川河川敷公園での凧揚げ大会。鹿児島凧の会のメンバー(日本凧の会の鹿児島支部=本部は東京・日本橋)が連凧を揚げる。連凧は風がないと揚げられない(つまり走って引き上げることができない)が、この日は風がなく、この程度が限界だ…しかし素人ではないので(凧の世界では有名人)なんとか揚げた。凧揚げは全国で順繰りに開催されていて、中心メンバーは車に各種の凧を満載してF−1グランプリのように年中を旅して大会を追う(今週末は鹿児島のはず)。もちろんプロではない「凧好き」の会なのである。各地では地元企業の協賛で(龍野の場合は云うまでもなくヒガシマル醤油)子供の凧揚げ大会や支部の人たちの模擬店など楽しいイベントとなっている。地元姫路では昨年まで大きな大会が開催されていたが(昨年このサイトでも紹介)用地が確保できず消滅した…会員たちは残念がっていたが、それでも元気!また全国を凧を担いで巡回するのである。この分野も研究対象にして私も凧揚げを楽しみたい。

1/23

次の岬を回ると江崎灯台、灯台そのものは高台に建っていて、浜からは急な階段を登らねばならない。産業遺産に登録されていて日本で8番目の本格的な灯台と聞いている…この日は中高年ハイキングの会で賑わっていた。岩屋から淡路島西岸を野島断層あたりまで20km近く歩くようである(野島で再会した)。

1/21

旅の始まりは明石海峡大橋の淡路側の岩屋から…村はずれの小さな岬の突端に明石を向いて航海の守り神「弁天さん」の小さな社があった。目の前をたくさんの船が往来する。何百年も前からの景色だろう。今は神戸製鋼の保養所の敷地を抜けないと車では行けない(あぜ道のような道なら歩ける)…もちろん社も海岸も企業のものではない。持ってきた弁当を無人の浜で海を眺めながら食べる…ほとんどフィールドではレストランに入らない、風光明媚な場所でノンビリと休みつつ食べるのである。 FUJIFILM X-E1=この「トロンとした感」が持ち味だ。最近のカリッとしたデジタルカメラの絵から見ると頼りないと感じる人が多いだろうが私にとっては良好だ(プロビアモード=X100のプロビアモードより良さそう)。

1/20

週末は淡路島(野島断層)〜姫路〜龍野(凧揚げ大会)〜広峰神社〜周辺寺社…またまたハードな撮影取材旅行となった。旅の最後は盛り上げないといけないので、全国区では知られていないが地元では著名な神社の丘から書写山へ沈む夕陽を眺めた(…書写山には行けなかった)。織居神社、全国的にも織神だけを祀った神社は少ないと書かれてあった。飛行機雲が長く伸びていた…カシオEX−ZR20

1/18

今日は万博公園の国立民族学博物館へ出仕…18年ぶりの訪問だが以前に比べてモダンな印象だ。特にアフリカコーナーと音楽コーナーが良かった…万博後にできた博物館だが内容は暫時更新されている(未公開の収蔵物も多い)。 しばらく停滞していたらしいが最近また来館者が増えているそうだ…古き良きものの展示から「今の空気」に沿うような雰囲気が出てきていると感じた(ここで少し仕事をすることになった)。

1/15

下の中央商店街の西外れから南につながる三和商店街。ここも以前は同じように栄えていたらしいが、中央商店街から曲がった付近はともかくとして、南の外れに近くなると日曜の昼間でも、このような風景となる。たぶん後付けなのだろうが斜めのシャッターが珍しい…いやどこにでもあるのかもしれないが、ここまで閉まった景色が珍しいのかもしれない。

1/14

「フィールド写真講座」実習で尼崎に降りて最初に撮った写真がコレ…尼らしい景色だ。派手だが派手の中にある種のセンスが感じられる。なぜか尼崎だけが「尼」と云う…西宮や芦屋はフルネームでしか呼ばないのに。 カシオEX−ZR20

1/5

今日は一日アトリエでゴロゴロしていた(冬休みになって初めて…)。明日から講義の準備やら社会に復帰するための頭の整理をしないと…写真は年末に行った四国は阿波の吉野川河岸段丘から眺めた石鎚山系、四国の山はなかなか険しい。また2月に行くことにしている。  カシオEX−ZR20

1/4

今日は枚岡神社と石切神社へ初詣の3を敢行した…格式がある枚岡神社(右下)はすいていて、石切神社(名物のお百度参り他)は人出が多かった…地元のカフェで聞くと「それでも以前より少ない…」とのこと。特に露天商の減少は顕著で参道脇に露店が詰まっていなかった。

1/3

きのうは近隣の氏神様、今日は大きい意味での近く、山城・和束の鷲峰山・金胎寺へ40年ぶりに「参拝登山」した。寺は少し寂れているが寺務所では甘酒をいただいて暖まった(山頂付近なので昼間でも2℃程度か)。ここは古来の宇治から南山城〜大和への山往還の脇道にあり、山頂(多宝塔の右上すぐ)からは京都・琵琶湖・背後の大和が、透明な空気をとおして木立越しに見えていた。特に琵琶湖が鮮やかで、それほど高山でもないこのピーク…近くの高い山の切れ目に建っていることがよく分かる…古代の人は地理学者である。 

1/2

今年も初詣は近所の氏神「八大龍王社」へお参り…木津川支流・山田川の河岸段丘上にある水神様で、周りは畑ばかりの小さな社だけど村人の参詣は絶えない。昔は木津川の出水による洪水に悩まされたのだろう。


2012年のフィールドノート


12/31−2

本当に今年最後の旅・・・近江八幡市・賀茂神社での年越しの大祓神事に詣る。これで祓われた私の魂は新年に甦る。

12/31

丸亀港からフェリーに乗って沖合の本島に渡る・・・瀬戸大橋の近くを通る。数は多くないが貨物船や客船とすれちがう。2階建ての橋には車と電車が走っていた。カシオEX−ZR20  大晦日、これから年越しの大祓神事に出かけるつもりだ。

12/30

金比羅さんの階段から市街地を見る。雨はほとんどあがったが写真家(下でも登場=たぶんプロ・・・私には分かる)は背後からの雨を傘でカメラをブロックする・・・とても重要なことである。

12/28   さて小雨のなか金比羅さんに登る。さすがに全国区、寒い雨空にも参詣者は多い。700段もの階段を上がらねばならない(奥の院には更に300段あまり)。絵のように10段上がっては平地、そしてまた10段・・・平地にたくさんの土産物屋・仏具店・飲食店が並ぶ(景色は生駒聖天と同じ)・・・老人には辛い道行きと思う。もちろん関係者のための舗装路は上までついているが一般は入れない・・・近年障害者手帳を見せると車で上がれるようになったが老人や子供などはダメである。店の人に聞くと門前町の店に権利があり、どうしても「車で通過」を許さないらしい。駕篭に乗るかタクシー会社が独自でつけた道(ただし途中まで)を利用する他はない。人々がフウフウ言いながら歩いている裏側を業者の車がスイスイ走っているのを見て疑問を持った・・・いずれ生駒聖天参道のように寂れるような気がする。信心とは別の観光としての寺社巡りには、いわばカスタマーサービスが求められる。 頂上近くの境内の一角には洒落たカフェがあり、独占的であるためにそれなりに混雑していた。 さらに有名な大門の「五人百姓」、境内で飴の商いを江戸時代からしている五軒の露店がある。もちろん寺から与えられた権利で代々継承されている・・・店に座っている人はその家族かと思ったら従業員だそうだ。寒くても暑くても毎日座り続け名物となっている。利益が出るほどの商売ではなく当主は勤め人というのが実情なのである。ともあれここでは何はなくとも金比羅さん。

12/27

少し傾向を変えて・・・金比羅さんで有名な琴平町も、参道周辺の目抜きの雑踏から道を一筋入ると、現在の地方の町の雰囲気が見えてくる。観光以外に地場の産業がなく(元は農業も盛んだった)人気がない。私は全国の街道(陸路・海路・川筋・・・)を30年も歩いてきたが、この10年ほどでそれまでよりガクンと地方に人が居なくなったように感じている・・・同時に地域文化の衰退も体験している。観光以外に地方の生きる道はないのかと考えさせられる。1月にはある博物館の収蔵品の一部廃却についての会議に参加することになっている。

12/26

この週末は3日間かけて四国を西から東へ…と言っても淡路島〜鳴門〜琴平〜丸亀〜本島〜紫雲出山( 香川県三豊市/頂上に高地性集落遺跡がある)の2県にまたがる旅であった。最終日は丸亀から船で沖合20分の本島に渡り、伝統的建造物の保全された町を訪問した…今は静かな笠島地区、かつて船員を多く輩出し繁栄した。それほど漁業や農業が盛んではないが地区は立派な町並みを形成し、中世〜近世に隆盛を誇った塩飽水軍の伝統を維持した人々の末裔の住む場所である。 カシオEX−ZR20

12/21

東京駅を見ていて振り返ると、そこは古くからのオフィス街・丸の内である。多くの会社は新宿や新橋に移り、ここは平日にもかかわらず不思議な静けさだ。磨き上げられたビルのガラスに2012年の私が映っている。

12/19

新装なった東京駅、駅の周りには駅そのものを見る観光客がいる。普通のビジネス客も足を止めてスマホで撮影…きれいな建物である=実用される文化財。 オリンパスOM−D

12/17

先週末は東京への旅だ(年末は毎年多忙=毎週の取材旅行)・・・ここは皇居二重橋前、あまり人がいなくて記念写真は近くを歩いていた一人旅らしいアメリカ人青年に写してもらった。もちろん彼の写真も撮りっことした。保全された東京駅〜皇居〜日比谷公園〜銀座、京橋〜八丁堀まで写真を撮りながら3時間半ばかり歩き続けた・・・なかなか快い疲れで(Θ_Θ)Zzz

12/11

養老のあと、明治の濃尾地震の痕跡を訪ねて瑞穂市〜岐阜市付近を走った。時間を多くかけたため、この日の最後は5時に岐阜市郊外の大龍寺で終わった。岐阜市内を通りぬけるのに夕方のラッシュに巻き込まれたのである。しかし何とか薄暮の誰一人いない境内に入り、地震の鎮魂碑を探し回った。空からは予報とおりのボタ雪が降ってきて、真っ暗な上に寒くて寒くて…それでも広い境内の隅にふたつの碑を発見し記録にとどめた。 暗い場所でのオリンパスOM−DのAF補助光の強力さとピントの歩留まり(そして安心の防滴性能)には感心させられた。

12/10

養老の滝。以前はかなりの観光地だったようで、旅館やリフト、近鉄養老線の駅などを見かけた・・・しかし全体に人は少なく、隣接した県立自然公園から1.5kmも歩かねば滝に到達できない。山道を遠回りすると山頂近くにリフトの駅があり、駐車場(\1000 ! =他には停められない)茶店や宿もある。観光地としては寂れた印象であるが、下の自然公園(ここのPは\300)からボチボチ歩いてやってくる近隣の若者やハイカーにはちょうど良い場所と見られる。滝はそれほど高くはないものの水量は豊富で滝壺の近くまで歩いて行ける。老人には厳しいかも知れないが危険の少ない滝だと思う。 オリンパスOM−D+ズイコー12mm

12/9

週末にちょっと岐阜まで撮影小旅行…なにしろ家から岐阜まで渋滞さえなければ(田舎から田舎への旅なので、たいていは混まない)車で2時間で着く。 まずは養老の滝を目指して関ヶ原で降りる…インターから30分程度で滝の上まで着いた。天気予報では雪の可能性も出ていたが、まずは薄曇りといったところで滝の上からふと眺めると濃尾平野がどこまでも続いて見えていた…関西の平野とは広さがぜんぜん違う…あとはまた明日。 カシオEX−ZR20

12/7

初瀬の長谷寺に春以来の訪問。寒いが風はなく晴れたり曇ったりの穏やかな天候であった。やはり今年は紅葉が早く観光シーズンは終わっていて門前町も静かなものだ。昼ご飯は田中屋で柿の葉寿司と煮麺をいつものとおり食す…おかみさんも玄関をくぐると「おや!お久しぶり」いつもの会話で始まる。 今回はエプソンRD1+SWH15mmとペンタックスOptio-LS465を持っていった。たった600万画素のエプソンRD1だが独特の「濃さ」があって好ましい。画素数が少ないので拡大すると甘さがあるが縮小して見るとトーンのつながりがいいと思う…LeicaM9もそうだが画素数の少ないCCDセンサーも捨てがたいと感じるこの頃である。

帰りに寄った岡寺の本尊、如意輪観世音菩薩(重要文化財)…現存する塑像の中で最大級の大きさ、古来より日本三大仏の一つとされている(岡寺公式サイトより引用)。これはペンタックスOptio-LS465/HDRモードで撮影…あとは後日、とりあえず(-.-)zzZい。

12/6

過日、静岡・清水港近くで。断崖絶壁の山が海に落ち込み、道路は海にせりだして付けられている。左端が富士山、遠くにうっすら見えるのが伊豆半島…シグマDP-1m

12/5

興福寺・南円堂の橘の実・・・柑橘とはよく言ったものでミカンそっくりの実を結ぶ。その昔橘氏が栄えた時代のなごりだろうか、寺社にしばしば植わっている。なぜか今まで実はあまり意識していなかったが、先日の日吉大社の橘、南円堂の橘…どちらも1個いただいた(もちろん盗んだ訳ではない)。 香りは爽やかな柑橘だが食べてみると「あまりにも酸っぱい」先祖の味がした。 ペンタックスOptio-LS465…ごく小型のカメラだが、1600万画素+4000X3000のサイズ+HDR撮影で、リサイズしても今までのコンパクトデジタルカメラより重い画像となる。

12/4

奈良市高畑町付近(このあたりは昔の邸宅外で文化財指定されている住宅も多い)の坂道を人力車が行く。車夫が後を向いて登っているのは、その方が速いからではない、登りで遅くなったところで乗客を飽きさせないように観光のよもやま話をしながら登っているのである。 現在は人力車ブームで全国の観光地で普通に見られるようになった…一説によると明治3年に発明されると、明治6年には東京だけで34,200台(車夫もほぼ同数)となった文明開化の乗り物である。今人力車を見ていると、引く方も乗る方もどうやら日本人は人力車のような乗り物が「好き」なのだろうと思われる。 シグマDP-1m

12/2

昨日、小雨の降る中紀伊山地の1970年頃閉山された銅山の跡地を見学した(もちろん許可をとって)…ここのように閉山後も建家の残っているところは少なく(生野銀山や石見銀山は別格)貴重な土木遺産と考えている。ここはいささか由縁があって以前から知っていた…私は地学に関心があるだけではなく、鉱山師の生活や鉱山の文化(それは日本の歴史の中でも古くから現代まで続き、金銀銅朱など社会形成のひとつの基盤となるものだと思う)に深い興味を持つのである。 危険なので知識のない人は鉱山跡に入らない方がよい。ここでも閉山後40年経っても黄銅鉱や黄鉄鋼精錬の滓である硫化化合物が染みだし水質浄化だけは動かしているのである。  オリンパスOM−D…雨の日は防滴ボディに限る(^_^)v ...さて今日は「フィールド写真講座」の実習で奈良公園にメンバー6名で撮影に出る。

12/1

糸魚川・天津神社。境内の各社はいずれも国津神や出雲神と見えた。拝殿は珍しい茅葺き屋根である。雨なので詳しくは次回の訪問時としたい。紅葉が美しい…リコーGXR+A16-ZOOM

11/30

糸魚川市の「フオッサマグナ博物館」で団体向けの映画と講演に混ぜてもらう。現在の私のテーマのひとつ「ジオパーク」構想…地理学を学びつつ観光をする、全国各地で実施されている。ひょっとしたら「世界遺産」(自然・文化・土木など)「ラムサール条約」などと同様、最後の環境保全と自然・社会学習、観光など、人間と自然の共存への挑戦かも知れない…私も「店じまい」までに少しばかりの尽力をしたい。 カシオEX−ZR20

11/27

◇「親不知」での登山家ウエストンの銅像…遠くに能登半島が見える。今回は明治に北陸を旅したパーシバル・ローウェル(著作『能登・NOTO』で有名=火星研究でも…)の足跡を辿る旅だった。糸魚川・親不知・青海川・能登穴水・荒山峠・倶利伽藍峠とハードで充実の旅となった。例によって冬の日本海は天候が急変し雨や霰に何度も見舞われた。 リコーGXR+A16-ZOOM

11/22

日曜(11/18)に宇治に行った。向こうに見えているのが宇治上神社と、その鎮守の森、そして神聖な山並み…見えている景色がすべて世界文化遺産だ。もちろん私の背後にある平等院も含めての制定である。ここのところ多忙で旅が先行しアップはなかなかできない…風邪をひいているが、それでも更に旅に行く。 カシオEX−ZR20 HDRアートモード

11/13

11日は静岡市立登呂博物館での講演、この日は曇り時々雨の天気だったが、その前日は天気がすこぶる良くて、主として風景の写真を多く撮った・・・何しろ20年ぶりの駿河地方訪問なので見るものが目新しく感じたのである。これは清水港を航行する水上バス(観光用ではなく通勤用=湾が深く対岸の造船所などへは船で渡るのが早い)から日没ギリギリの富士山を撮影したもので、船頭さんも「ちょっと浅いけど赤富士かなー」・・・この人たちは毎日富士山を眺めながら暮らしているのである。 オリンパスXZ−1

11/11

先週に続き、今週も静岡へ行った…先週は遠江地方、今回は駿河地方(静岡県はこれに加えて伊豆のみっつのクニが集まった県である=各地方には相当の違いがある)の登呂遺跡市立博物館で「丸木舟建造記録」の講演だった…ついでに前日から行って、大井川〜焼津〜清水港〜国の名勝「三保の松原」などを見学した(かなりハード)。まずは大井川右岸河口域の河川敷で模型飛行機のグループを撮った…自然が残されていて左岸には野鳥公園も整備されている。もちろん古くからの工業地帯でもあり、私の背後は富士フィルムの工場が広がっている。遠くに見えているのが頂に雲をかぶった富士山…広い静岡県の各地から見える、さすがに富士山(^_^) シグマDP-1m…新しくファームアップされたフォビオンブルーモード、こういうシーンでは実力を発揮する。

11/8

浜松郊外、旧東海道の海辺にある潮見観音を訪ねた。旧東海道の松並木をくぐって走ると、街道が海の近くで山へ向いて曲がっていく場所にある。寺に入ると、住職が正装で出てきて「本堂の中に観音さんがいる。拝んで行きなされ…」と気さくに話しかけてきた。明るい海と広い空の下、遠州は気楽な土地である。

本堂に上がって、ふと外を見ると今日は法事があるにしく、式服の男女が山門をくぐって歩いてくるのが見えた。山門の向こうには太平洋・遠州灘が光っていた。

本堂内には意外なほど多くの仏像(多くは密教系…寺自体は禅寺で、ある時代に宗派が変わったのではないかと思うのである)や額があり見応えがある。観光寺でもなく撮影や拝観は自由で、少しばかりのお賽銭を投げ入れてここを後にした。 撮影はすべてLeicaM9+コシナ・フォクトレンダー35mmF1.4SC

11/7

ここのところ、どこかへ行くと天狗研究に夢中(*^o^*)  ここ遠江では仏教と渾然一体となって天狗信仰の残存が見られる。浜松郊外の黄檗宗不動寺…とても珍しい中国系の禅寺である。ここの奥の院に松本坊大権現(通称「羽天狗」)の堂が建っている。禅寺の本尊が不動尊なのも珍しいし、まさに神仏混淆、奥の院が天狗堂であったり楽しい展開になっている。また来年も訪れたい。早咲きのサザンカが天狗を暗示している。 LeicaM9

11/6

今週は静岡遠江地方へ旅した・・・浜名湖〜天竜川〜秋葉山系など盛りだくさんだった。ここは天竜川の静岡側の上流域の秋葉山系(標高1300m付近=気温8℃)のひとつのピークから北アルプス方向を見たもので比較的暖かい静岡でも高山での紅葉は進んでいる。このあと秋葉山上社から更に20kmも奥の山住神社(狼信仰の残る聖地)へ林道をひた走り参拝した。 LeicaM9+コシナ・フォクトレンダー35mmF1.4・・・単層コートレンズなのでゴーストがコロコロ出るが(これが味でマルチコートレンズにしなかった)開放から1段絞ってF2とすれば周辺までピシッと写る。今度の21mmF1.9にも期待できる。

11/2

詳細はこちら☆彡 今年の「フィールド写真講座」第一回は嵐山〜松尾大社〜苔寺への撮影実習だった。今がシーズンなのだろう、雨にもかかわらず保津川下りには修学旅行生や団体の観光客が満員だ。ほんの少し道を外れるだけで閑静な京の田舎が味わえるコースとした。今年度も熱心な参加者で3月の展覧会が楽しみである。 リコーGXR+A16/24-85mm

10/29

また栗林公園で。池では鯉が泳いでいて「景観を大切に」の大儀はあるものの、鯉の餌(期限切れのスナック菓子)を売っている。鯉も慣れたもので餌売り場の太鼓橋の下に多く集まっていて、観光客が餌を投げると無警戒に浮かんでくる。 リコーGXR+A16/24-85mm

10/26

場所が点々とする…毎週あちこちに行くので(夏がXなので他の3シーズンが忙しくなる)時間と空間がゴチャゴチャになる。
ここは大和郡山の城下町(旧市街地)である。何と云うこともない四つ角のように見えるが、往時は各街区(大工町や呉服町など)を区切る大事な「辻」なのである。昔「辻斬り」などという言葉もあったように、ここが町はずれでもあり、隣町の始まりでもあった。こんな場所に店があり、地蔵堂や道祖神がある。 フジX100…フジもLeicaもオリンパスも「青」が決めどころと見た…オリンパスブルーやフジブルー、Leicaブルーとは良く言ったものだ。

10/24

広大な栗林公園の中心は人工の池だ…古絵図にも大名がこの池で船遊びをしている図がある。広い池のあちこちに神仙思想を表した景色が作られて飽きることがない。今年7月から始まった木造船による池の遊覧は、まだ知名度が低く「行列」ができるほどではないが、乗客6名限度、船は一艘なので秋の紅葉〜春の梅や桜の季節には混み合うことだろう。ノンビリと棹で進む船は景色をゆっくりと眺めながら進み、船頭兼ガイドの公募スタッフの話術も楽しい。ここは根上の松で黒松の台に五葉松を接ぎ木して大きく成長した古木のある、池畔の東屋の横からの写真だ。

10/23

栗林公園に入る。ボランティアガイドが無料で広い公園(残された数少ない大名庭園である)を案内してくれる。ここは鴨の猟場で、右に見える丘の向こうに水路があって、アヒルをおとりにして餌付けをして網で捕る。以前東京の浜離宮で見たものと同じで、全国で東京・埼玉・千葉(以上皇室系)とここと宇和島(ここは非公開)の五ヶ所に残っている。 リコーGXR+A16-ZOOM

10/22

日月で四国・高松〜鳴門へ瀬戸内の旅をした。二日間とも先週とはうってかわって、珍しいぐらいの好天に恵まれた・・・これは帰りの明石海峡大橋、最新のデジタルカメラなら高速で移動しながらの夜の撮影でもここまで写る。本編の写真は明日以降(*^_^*)・・・オリンパスXZ−1。

10/15

八幡社境内に郡山名物の金魚の水槽があった…縁日があったようだ。

城の外堀跡が公園として整備されている。それほど多くの人が利用しているほどではないが、堀の内側の町が少しずつ観光地として計画されていくようだ。 フジX100

10/14

詳しくはここへ☆彡 大和郡山へ写真散歩。比較的近所なので半日で気楽に回れる。旧市街地=郡山城の外堀の中は古い町並みも残っており、それほど観光化も進んでいないため軽い気持ちで写真スケッチを楽しむ…狭い路地の向こうに源九郎稲荷の鳥居が見えた。そう言えば「日本三大稲荷」のひとつがあると道の看板に書いてあった…伏見稲荷・豊川稲荷は第一・第二として認めるところだが、第三は各地にあるように思われる。予備知識はなかったが境内に入ると雰囲気はいいし、ふと社務所の横を見ると歌舞伎・中村勘九郎の手植えのサクラが育っていた。社務所に記念写真用に狐の面が置いてあり、昔私の田舎での狐の祭りを思い出して撮影、趣のある神社であった。帰って調べると有名な稲荷だとも分かった…3時間程度の散歩だったので半分ぐらいしか歩いていなくて、今度また半日で歩こうと思った次第である。 フジX100

10/13

石川県・JR美川駅、立派な駅舎、綺麗な施設…どうも人が少ないのに箱モノが目立つ。手取川水系ジオパークの調査なのだが少し気落ちがした。しかし川を遡り、見聞きするうちに当地の自然や地域文化が今後の観光のカギになるように思った。 シグマDP-1m…こういうセチュエーションだと実力発揮(ピーカン時の白飛びはどうにかならないものか=旧DP-1と同じ傾向)する。

10/8

北陸・勝山市にて。今回は石川の手取川を河口から遡り、手取川ダムから白山を越えて福井の九頭竜川へ降りた…山から平野部に出た、旅の最後で夕焼けの景色だ。 リコーGXR+A16-ZOOMの威力はシグマDP-1m(j-peg)と比べても遜色ない(画質はAPS一眼と同等以上でボディ+レンズでは大幅に軽い)。 絞り開放/24mm/ISO200/Pモード/シンクロ(これもリサイズのみ)。軽くて一眼レフに比べてホールディング感が劣るので(手ぶれ防止もない)手ぶれに要注意(@_@)

9/29

琵琶湖八幡堀にて。平日の遊覧船はすいている(特に最近は乗船客が減っていると感じている)。数年前の最盛期には5ヶ所・5事業体あったのが、現在は廃止が1ヶ所、事実上の休業が2ヶ所、比較的健全に動いているのは八幡堀中央を占めるモーター船と櫓漕ぎの北ノ庄からの水郷巡りである。土日以外は閑散としている…もちろん地上は「たねや」を中心にかなりの観光客が歩いているのだが…シグマDP-1mはフォビオンの個性なのか旧型と同じようにハイライトが白飛びしやすく、露出補正やコントラストの変更はしばしば考慮しないといけないだろう。しかし目を見はる解像性能だ。

9/28

諏訪湖の白鳥の形をした遊覧船の最終便で。観光客ばかりと思っていたら、琵琶湖の遊覧船と同様に地元の若いカップルや親子連れも乗ってくる。丸くて穏やかな湖で、醍醐味はあまりないが約40分のノンビリ船旅もいいものだ。遠くに霞んでいる橋が太平洋まで流れ下る天竜川への下り口だ。リコーGXR+A16-ZOOM...これとシグマDP-1mでかなり強力になった。

9/24

奈良に行ったときの最後の写真…近鉄奈良駅前、東向商店街の入口で。昔とはずいぶん変わったが、それほど変わっていないように見える配慮がある。

9/18

リコーGXR+A16-ZOOMを持ってフォッサマグナを辿った。諏訪湖−松本−安曇野−仁科三湖−姫川−糸魚川のグランドトレイルだ(たった2日間で…続きはまた来月)。 ここは松本城の堀で撮影。A16-ZOOMの実力を知りたい、まだまだだが…デジタルカメラの性能が上がり多様化するにしたがって、評価の判断が難しくなってきている。

9/14

ようやく奈良市写真美術館に着く。入江泰吉の写真世界を展示している。今回は奈良の古代の紀記世界をコンセプトにして選んだ主として風景の写真だ。 小さな映画館(?)が中にあって入江泰吉とその写真について何本もの映画が常時映されている。
美術館の前には人工の池があり、夕陽の時間帯には光の反射で館内が不思議な雰囲気になる…さすがに写真美術館の設計として優れていると思う。近隣は民家ばかりで日没まで黄昏の光は差し込んでくる。
オリンパスE−PM1のアートモードは暗がりではノイジーだ。

9/13

茶室もある。ここから見えるのは小綺麗な坪庭のような植え込みがあり、その向こうには洋風の芝生の庭が広がっている。

9/12

ふたたび志賀直哉旧宅にて。ある部屋に志賀直哉のブロンズ像があった。頭高が高く、それでいて長頭、おとがいが発達している。西洋人的な風貌だったとうかがえる。窓から見える周りの家も古風な造り(洋館造りを取り入れた和風建築)のお屋敷が多い。

9/9

猿沢の池の奥へ行くと、いままで行ったことのない場所へ出た…荒池の浮見堂だ。入江泰吉の写真集を見ると以前(60年前)は市民のボート遊びで賑わっていた。今は公園として整備されているものの観光客もまばらで、緑の濃いとても静かな雰囲気である。

9/8

今日は奈良へ行った。いつものように東向商店街を抜けて猿沢の池へ出て、今回はさらに奥の写真美術館を目指して歩いた…少し暑さが和らいだことと曇り日だったこともあって、比較的楽に、しかし足を打撲しているせいでノンビリと歩いたのである。途中、志賀直哉旧宅(復元保存されている)へ休息を兼ねて立ち寄った。「こんな家に住みたい」と思わせる静かで清潔な家だった。二階ではサルスベリの咲く庭を見おろす部屋で若い女性が一心に本を読んでいた。入場料\350で30分休む…よい趣味だろう。オリンパスE−PM1+ルミックスG14mm

9/1

木曽川の支流、村の神社の横から河川敷へ道が続いている。そして土手の道との交点に街灯が立っていた…なんでもない景色だが、河川を住みかとして旅を続けてきた私にとってはホッとする瞬間なのである。灼熱の炎天下、これから川へ向かう。

8/28

今回の岐阜出仕は木曽川流域の星神社(今回2ヶ所)を訪ねることと、最後の柳行李職人と会う(今回2回目の邂逅)ためである。ぜんぜん関係ないようだが本年度のテーマとしては関係あることになるはずである。ここは名古屋市西区の星神社、川の畔に建っていて本殿も鳥居も明らかに川を向いている。堤防の上から撮った写真で、まわりには神社の森のなごりの巨木が立ち並んでいる…河川を管轄する国交省の考え方では堤防上に大木は植えないことになっている。奥が本殿、鳥居から川へ真っ直ぐ参道が続いて背後の河川敷に下りていく…OK? オリンパスE−PM1+ズイコー12mmF2

8/26

今週2度目の撮影旅行、今度は岐阜だ。 ここは木曽川左岸域の八幡社…日本で一番多く建っているのが八幡社だが、なぜそうなのかは分からない。どうやら海や川と関係があるようだ。神社の森の向こうは木曽川の河川敷である。ここのところフィールドではメインテーマとは別に必ず寺社に寄るようになっている(分かることが多いのだ)。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

8/23

8/22、福井県大飯町大島地区で恒例の舟漕ぎ競漕「とおしあい」が今年最高気温の炎天下、盛大に実施された。私達の役割はミニ講演会と祭りの記録だ。大島小学校の生徒・教員の櫓漕ぎ体験、そして有志の競漕参加…昨年に続いて大学生の競漕では神戸大学商船学部が1−2フィニッシュで勝利し、神戸へ賞品の掃除機と扇風機を持ち帰った。今年で復活してから13年目、「第一回大会の参加の小学一年生が来年20歳になる…」と感慨深かげに町の教育長が語っていた。原発稼働再開問題で揺れた大島だが伝統行事は続けられていく。 オリンパスE−PL2+ルミックスG45−200mm

8/20

海住山寺...近所の寺でずいぶん有名な古刹だが「いつでも行ける」と思っていて、ようやく遠方から友人がアトリエにやって来たのを機会に皆で初めて詣った。かなり険しい山の頂近くに建っていて、参拝客も少ないため季節さえ良ければ良い雰囲気と思った…なんと五重塔は国宝である。 オリンパスE−PM1+ルミックスG14mm

8/16

来る8月22日、福井県大飯町大島での伝統行事「とうしあい」(舟漕ぎ祭り)に3年連続で参加する。観光行事ではなく、村おこしや子供達への地域教育の一環として途絶えていた船祭りが復活したのである。木造のテンマ船や、かつて若狭湾に広く分布していたマルキ船で競漕する。これはおととしの写真だが、少しずつ活動が広がって、昨年は神戸大学商船学部の学生が参加し、おそらく今年も参加の予定である。 ルミックスGF-1

8/7

琵琶湖からの帰りはいつでも湖周道路、瀬田の唐橋の横を通る。いつでも夕暮れ時だ…朝来るときは漕艇を、帰りは人々の夕涼み。今も昔も瀬田川の左岸右岸をつなぐ橋は高速道路や鉄道橋を除いてこの橋だけだ。

8/4

今日は紀伊山地の真ん中、十津川村の玉置神社に詣った。標高1000m級の山に幽玄の社が建っていた。地上は今年最高気温の37℃、ここは22℃で雲の中を歩くことになる。こんなところにあるにもかかわらず和歌山ナンバーの車が多く参拝に訪れていた。野迫川町の立里荒神と同じように和歌山の海人の信仰を集めているようだ。社務所には大漁旗が掲げてあった。 ルミックスLX5

8/2

2007.7.28、大阪の「海の時空館」にあった茅の輪。この博物館も大きな赤字をかかえて閉館となる。ここに展示されている「菱垣回船」の日本一精密な原寸大模型(千石積)はどうなるのだろうか…私も復元製作に少しだけ関わった。

8/1

今週は近江の賀茂神社に詣った…正月に詣でた時には偶然に「小豆粥神事」立ち会え、今回はやはり偶然に「茅の輪くぐり神事」に参加できた。前回は話を聞いたが、今回は頭人神座衆の仲間に入れてもらえた。詳しくは書かないがこの神社は陰陽道をもって祭祀を行う数少ない聖地なのである。古来からの神域の杜は守られている。茅の輪くぐりは蘇民将来「過ぎ越し」の故事が起源とされている。厄を祓い、福を招くのである。 オリンパスXZ−1

7/26

近江・飛鳥へは恩師の老地理学教授達との旅であった。具体的に世話になったことより「生き方」について学んだことの方が大きい。石塔寺にて…渡来人研究に没頭している恩師である。

7/23

週末はフィールドワーク。土曜は近江東部へ。石塔寺・百済寺その他へ行った。曇り時々雨、涼しかったが、またしても階段をたくさん登って歩いた。湖東の寺はどこも平野部に伸びた尾根の上にあり、そうとう街道から遠く高くまで上がらないと本堂に着かない。ここは百済寺の山門だが、ここまでで300段ぐらい、そして本堂まで同じぐらいの階段が続いている。鬱蒼とした森の中、静かな時間が流れる。近江は渡来人の國だ。

日曜は一転して暑い炎天下の飛鳥である。こういう日は車でなるべく進み、エアコンで身体を冷やして撮影し、熱をためない間にまた車へ…汗をかかないのですぐに熱中症になるのである。いくつかの渡来系の寺社を巡って最後に亀石に辿りついた。農道が広がってすぐ側まで車で入れるようになった。以前は田圃の真ん中に亀石があって畦道を歩いて行ったものだが、となりに茶店などもできて、数は多くないが若い観光客も立ち寄っている。カメラを下げて正面から見ると亀ではなく兜をかぶった武人に見える。飛鳥の西に見えている敵対した葛城山域を睨んでいる。もちろん葛城の一言主神社からも小型の亀石がこちらを睨んでいる。

7/18

九頭竜川鳴鹿大堰。山が両岸から迫っていて、ここが福井平野への扇状地の上端である。そこに可動堰を造って農業用水を確保している。福井のお米のおいしいのも上流の綺麗な水が理由のひとつだ。ここより上は山の世界が広がっている。

付属施設の九頭竜川資料館。床は九頭竜川の源流から河口部までの航空写真(ランドサット?)が印刷され、館内には河川に関する展示がなされている。特産のアラレガコ(アユカケ)の水槽があり、その他の魚の飼育もなされている。国土交通省の力の入った重要な場所なのである。

7/15

 今が季節のアジサイ。福井市(県もか?)の花ということで足羽山にもアジサイロードがあり、訪れた各所にもキレイに咲いていた。こちらは舟橋地区の日吉社のもの、下は勝山城のもの、どちらもキチンと手入れがなされていた。私はアジサイが好きなのである。

 勝山城駐車場のアジサイ、この森の奥に復元された鉄筋コンクリート造りの天守閣がある。

7/14

智原神社の狛犬。親子連れの狛犬が珍しく、そのあと回った近辺の神社にも多く見られる。左の阿形のみで右の吽形は子連れではない。

九頭竜川中流域右岸の農業水路。平野部の奥に山が迫った場所(セバト)に大型の堰堤があり、そこから農業用水が引かれている。川の落差が大きいため水流は激しく水量も豊富だ。もちろん落ちたら命の保証はない。

7/11

福井・足羽山の中心に式内社の足羽神社がある。継体天皇を祀っているのは周知のことだが、境内は鬱蒼とした緑に囲まれて市内ながら落ち着いた場所だと感じた。境内に二本の名物木があり、1本は参道の階段途中に生えている大モミジ、1本は中央に広がる大シダレザクラ、それぞれ秋と冬には美しい眺めだろうと思われる。

7/9

厄割り石…黒龍神社境内にあり、右のかわらけに息を吹きかけ、中央の八角形の石に投げて割る…厄は祓われる。ここでは「身体の厄」と限定されている。どういう意味だろう。

7/8

週末は大雨の九頭竜川へ…まずは足羽山の黒龍神社に立ち寄る。今年は辰年、大きな龍の絵馬が架かっていた…初めて訪れるがまだピンと来ない。 オリンパスE−5+シグマ10−20mm(今回はほとんどこの組み合わせで撮影=もちろん防滴のためでもあり、私の持つフォーサーズボディで一番パフォーマンスの高いものを使い込みたいと思ったからである…少しデジタルカメラの進歩に合わせてアレコレ使いすぎた)(*^o^*)

7/6

長居公園にて、統計的にもそうなんだが最近どこにいても子供が減っているように思う。私は昔から隠し撮りはやらない…子供はいつでも私やカメラを凝視している。もちろん「子供写真」が好きなわけではないが。 オリンパスXZ−1

7/4

明石海峡を淡路岩屋側から見る。岩屋SAはこの高速道路で一番大きなSAで、四国から帰る人達で常に賑わっている。しかし淡路島に下りる車は少ない。暑い日が続く。 ルミックスLX5

7/1

葛城山を下りて、時間があったので麓の九品寺と駒形大重神社に立ち寄った。九品寺は千体地蔵が有名で、本堂裏の山のあちこちに古い地蔵(なかには大日如来や如意輪観音の像もあった)が並び、その中心のストゥーパに見える場所の不思議な灯籠にはミミズクが乗っていて、灯籠の下側には象をデフォルメしたような動物が絡まっていた。 駒形大重神社は由緒ある神社で馬飼(当然、馬を使う渡来人)の神のようである。現在も馬を取り扱う人々によって信仰されているようだ。ここの境内のそこここに、やはり不思議なお供えが見られた…昆布巻きは普通としても、ジャガイモに似た梨のような果物が変わっている。ともかく湿気が多い境内で、地面も石垣も木々も苔や地衣類に覆われていた。そう言えば滋賀の小野神社のようにガマの生えた池に囲まれている。 ソニーNEX−5

6/30

梅雨の中、少しでも涼しいようにと標高1000m近い大阪・奈良県境の葛城山に登った(と言っても概ねロープウェイ)。平地は雨が降っていなかったが山の上は時雨れてミスティーであった。気温は平地より10度ぐらい低いと感じた…雨が止んでも雲の中にいるようで衣類は湿気ていく…大阪側も奈良側も一望のもとに平野部が見えるはずだが、今日は霧の中である。尾根づたいに北に歩けば二上山へ、南に歩けば金剛山から果ては加太の海まで行けるはずである。ここは古来からの風の道、また天気の良い日に来てみよう。 ソニーNEX−5

6/27

今年の冬に歩いた天王寺、あまり撮影のために下町を歩くことはないが(「山河海」の民俗写真がほとんど)たまに歩くと面白い。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

6/25

玉造商店街へ…その昔、森ノ宮にスタジオを設けていて、ここの商店街には時々来ていた。しかし35年も前の話で、その衰退ぶりには残念を通り越して怖さすら感じられた…だけど多くのシャッターの降りたアーケードのなか新しい店舗が、そして近隣の都心マンションが、将来の明るさを暗示している。なにしろ梅田にも天王寺にも電車で15分の至便性なのである。

玉造三光神社脇の真田幸村像、その横に真田山から大坂城につながっているとされる抜け穴の入口がある。蚊が多くて困った(@_@) ルミックスLX5

6/24

鶴橋から玉造まで、たった一駅の大阪環状線沿線の旅…暑いので充分だ。それでも色々なシーンに出会う。 鶴橋駅下のパチンコ屋、昔に比べると客は半分以下だろう。韓国料理店も混雑はない…大阪市内は再開発になっている阿倍野や上本町、九条などは別として人や下町文化は大きく後退いているように感じられる。この10年の間ときどき大阪環状線沿線を歩いている感想である。  ルミックスLX5...合焦は早く絵も率直だ。

詳しくはこちらを☆彡 鶴橋の隣の東小橋地区の比売許曽神社(またまた天之日矛の登場となる)を20年ぶりに訪問、神社はそれほど変わらないが近隣は変化著しく都心マンションがどんどん建っていく。そんななか祭囃子が聞こえ、行ってみると比売許曽神社の山車が改装のお披露目なのであった。数は減ったようだが「まだ」祭りの伝統は盛んだ(本祭りは7/14-15)。

6/23

梅雨、豊岡市円山河畔にて…保全された湿地帯の脇でコウノトリの幼鳥が巣立ちを待つ。もう身体は親鳥と変わらない。一羽はすでに少しだけ飛んでいて、もう一羽が羽ばたきの練習をしている。親鳥は二羽とも餌を捕りに(幼鳥はたくさん食べる)飛び回っている…しかしカラスなどが近づくと戻ってきて追い払う。遠くから見ているのだ。 オリンパスE−5+ズイコー12−60mm

6/12

・゜・☆。・゜。・。☆彡 過日訪問した串本の樫野埼灯台前の公園に建っていた近代トルコ建国の英雄アタチュルクの像、指さす先は太平洋。 オリンパスXZ−1

6/10

天之日矛の祀られる出石神社に初めて詣でた。多くの神社は湿気が多く(これにも意味があると思われる)境内を歩くと木々の根方に苔がフワフワと砂地を覆っていた…私のアトリエもこの感じの色を現在塗っている。梅雨に入って塗装工事はユックリと進むのである。 オリンパスE−5+ズイコー12−60mm…無理な条件でなければ、なかなか絵に頑張りがある。

境内の東北に広大な自然林があり、禁足地となっている。どうも古墳のように思うのだがどうだろう。神社の由緒書きにも禁足である旨以外は詳しくはない。とにもかくにも渡来人の色が濃い但馬地方である。

6/5

厳島宮島の町屋の最奥に真言宗御室派の総本山・大聖院がある。神仏分離までは厳島神社の神事・仏事を執っていた歴史があり、今も観光客だけではなく信徒の参拝が絶えない。境内には寄進された神仏混淆時代のなごりのような神仏像が多く、ダルマの奥には航海安全の奉納船が見えている。

6/4

厳島へ行ったときの一コマ…かなり怖いロープウェイに乗ってご神体の弥山へ。観光協会でローウェイは動いているかとの問に「いまのところ…」と答える。昨日は強風のため止まっていたので、急いでロープウエイ駅へ行った。乗ってみてさもありなんと思う…いくつかのピークをふたつの系統のロープウェイが結んでおり、山は高く、谷は深い、そして吹き抜ける強風…風でしばしば止まるのも止む終えない。 オリンパスXZ−1…こういうシーンになるとオリンパスE−P系に画質の点で負ける。しかし解像力だけでカメラや映像は判断できない…登山などを含むフィールドワークでは軽くて簡単なカメラも必要となる。

6/3

徳島市国府町の天狗久資料館にて。もともと人形浄瑠璃の頭を作っていた職人で、現在は跡継ぎはいなくて仕事場が資料館として公開されている。仕事場と云っても国や県の文化財指定を受けていて、勝手にいじることはできない…浄瑠璃の頭以外にも全国の寺や神社などから面や仏像の製作依頼が来るほどの名人だったという、初代天狗屋・吉岡久吉(天狗久)を顕彰した資料館だ。なぜ天狗屋と名乗ったのか分からないと云う…資料館の人によると「なんとなく気に入って…」らしい。もちろん天狗面もいくつも作っている…この不思議をまた秋にもやってきて調べてみたい。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

6/2

徳島市眉山山頂の公園にて。元ポルトガル総領事モラレスの像が立っている…日本を愛し徳島を愛した。彼の記念館も山頂ロープウェイ駅の横にある。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/asph...良くも悪しくも最新の国産デジタルカメラとは写りがまったく異なっている(*^o^*)もう少し頻繁に使いたい。

5/31

島根県安来市・中海を行く。山陰もいい場所だ…さて5月の終わり、フィールド写真の春の部が終わった。夏は暑いので活動は半分ぐらいになる…涼しい場所を求めて山へ行こうと思う。 オリンパスE−P3

5/28

またまた今度は長居公園のバラ園へ撮影に行った。 全園満開で多種多様なバラを初めて固まりで見た(*^o^*) 楽しくてすべての品種を1時間半撮影、とてもよい記録となった。 オリンパスXZ−1

5/27

週末、ちょっと徳島散歩…渋滞さえなければ家から2時間半で鳴門に着く。今回は観潮船に乗る・可動橋を撮る・眉山に登る・鳴門市渡船に乗る、がテーマで二日間で全部こなせた。祝着至極…オリンパスE−P3+ズイコー17mmF2.8

5/24

もう初夏の琵琶湖の西の湖埋立地にて。これから暑くなって梅雨が来ると水郷巡りとしたい。 ルミックスGF2+ズイコー7−14mm

5/23

岐阜・お千代保稲荷。日本三大稲荷と聞いたことがあるが、豊川稲荷・伏見稲荷と比べると格段に小さく「なぜ?」と思った。ただし田圃の中に伸びる門前町は極端に発達していて、昔の市の立つ場所だったのではないかと感じた。土産物屋もどこか香具師の出しているような店構えである。 オリンパスXZ−1

5/22

長良川の最後の渡し船の対岸にある「弘法さん」こと乙津寺、この寺参りのために渡し船は残されたと云ってもいいだろう。広くて明るい境内に密教色は感じられないが、奥に入ると千手観音・毘沙門天・韋駄天の三体の重要文化財が並んでいる。京都や奈良の寺とは違って間近に拝観できる。写真を撮っていると住職が「そのカメラは何?私はキヤノンG10…」「これはオリンパスE−P3で…」話がはずんで、だんだん歴史や信仰の話に移っていく…まだたくさんの続きがあるが今日はこれくらいにしておこう。 フジX100…こういう静かな撮影には向いている(*^o^*)

5/20

ここのところ多忙にて(アトリエの大々的な整備にかかっている)更新ままならずm(_ _)m しかしフィールドには行っているのでデータは増えている。 これは5/13、当麻寺の中将姫の「お練り」撮影の一コマ…今回はまだ詳しいことは調べていない。何しろたいへんな人出で、撮影の場所取りのためにお練りの1時間前から立っていて、もうフラフラ…リコーGXR+Pズームを初めて本格的に使った。望遠からワイドまで使うことと(人出のため)初めての撮影のため、これ1台でとなると、この組み合わせしかないのである。だいたいが単焦点もしくはズームの場合ワイド系+望遠系となっているため、28-300mmとなるとリコーGXRしかないのである。感想としては連写は速く読み込みも問題ないレベルだが電動のズームが「遅い」、そしてセンサーの個性が変わっていて単純な色の場所(この場合は菩薩の頭の青)がペンキを塗ったようなペタッとした再現になることである。ハーフトーンの場所はそれほどでもないのに…そしてドライな感じではない。

これは同じ組み合わせで先週撮った岐阜の長良川の景色、こういう局面では色味が単純化されるような気がする。サツキマス漁の仕掛けが市街地近くに点々と並んでいる。そして船は木造船、更にすぐ横に渡し船があって、平凡なようだが全国的にも珍しい景色なのである…向こうの山は金華山。

5/13

週末に岐阜の木曽三川を訪れた…これは秀吉の軍功として著名な「墨俣一夜城」…もちろん実際には木造の砦のようなものだったであろう。現在はちょっとた資料館になっている。今回は初めてに近い(20年ぐらい前に来たことがある)踏査であった…また時々来ることになる。濃尾平野の山から川、そして海への文化の流れをみていきたい。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

5/4

春だというのに寒い富山・神通川。立山連峰の雪解け水が轟々と流れ下る…ユキシロというやつだ。 川辺にしゃがむと(川を知らない人は決して真似してはいけない、非常に危険で落ちたら間違いなく溺死する)昔聞き取りしたように確かに肩の高さから水が落ちてくる。 オリンパスE−5+シグマ10−20mm

5/2

3月末に年度の締めくくりで行った広島・厳島への旅の終わり、弥山麓の多宝塔近くの丘で作りたての「もみじまんじゅう」を食べた。行列のできる店で1個75円、「1個ください」「こし餡とつぶ餡があります」「じゃあ1個づつ下さい」…焼きたてだから冷めないうちに山に駆け上がり「せっかくだから風光明媚な場所で食べようか」…遠くに五重塔と千畳敷が、そして左に海、大鳥居が見えている場所だ。おいしかった…別の写真も機会があればアップしよう(^_^)  オリンパスXZ−1…これ1台で二日間撮影した=バッテリー三個で1000カットもたず、1日目の最後はサイバーショットS001携帯で30分ぐらいカバーした…もちろん帰ってきて1個発注した(そして行方不明になっていたオリンパスμ8010がカバンから半年ぶりに発見され、同じバッテリーを使用しているため全部で5個となった)。

4/29

JR木津駅、関西本線.片町線.奈良線の乗換駅である。少し前までは広い駅(駅舎ではなくホーム)なだけで回りは田圃や畑ばかりだったが、現在はだいぶ家が建ってきた。それでも「田舎の乗換駅」の風情は変わらずイイ感じだ。 オリンパスXZ−1

4/28

4/23、湖北海津大崎の花見舟に乗った…ここはサクラの名所で近畿で最後に満開を迎える場所である。この日は偶然臨時でこの期間だけ出る船の最終日だった(いつでも運がいい)…今年は開花がやや遅く、まだ散りはじめの段階だが認可事業なので仕方がないだろう。海津は近年人気が出てきて5年前から始めたこの船頭も、この1週間のために船を3年前に新造した…大型の遊覧船は別として、各浦々から漁船改造の屋形船が出ているので、小型の専用遊覧船は乗り味もなかなか良い。

でも海津大崎港から長浜に出る定期船の特別便花見船の最終便が出航するときは放送で「今年もありがとうございました。来年もお会いしましょう」とアナウンスがあり、汽笛と共に港を後にした。胸がジンとするのは船旅の味である。 オリンパスE−5+ズイコー12−60mm

4/20

先週行った、能登鹿島さくら駅のサクラはまだつぼみだった。これで4回目の同時期に立ち寄ることになったが、今年は1週間以上遅れたようだ…ここでも4/22に桜祭りがあって農協婦人部の模擬店が出る。初めて来た5年前、ここで手作りおはぎを桜花の下で食べたのを思い出す。春の能登の景色はここで終わる。 オリンパスE−5

4/17

花の吉野へ行った…中千本は今が満開(=^_^=) 平日でも混雑は覚悟して欲しい。車で行くと道が狭いので渋滞必至、駐車場も満車が多く、やはり近鉄電車で吉野まで行き、そこからケーブルカーで上がるか(これがまた混む)臨時の奈良交通バスで上がるかが正解だろう。 写真は吉水神社境内の「一目千本」からの眺め、有料のせいか、あるいは主たる道から少し外れた枝尾根にあるためか人出はやや少なく、じっくり楽しめる…オリンパスE−P3+ズイコー40−150mm

4/15

富山県氷見市の川でNPOヒミング主催の櫓漕ぎ船によるサクラ見物が始まった…今年は開花が遅く心配していたが、現在八分咲きで天気も良好、穏やかで暖かな北陸の春を楽しめた…4/22は桜祭り、更に人出は多くなるだろう。 オリンパスE−5+シグマ10−20mm

4/13   

私のオフィスの近所の大阪市・高津宮にて…寒い春にもサクラが咲いたら華やいだ気分になる。出店の客足も鈍いが、皆楽しそうである。これを書いている今日現在は八分方散っている。さてさて明日から列島を北上して桜前線を追っかける (^ー^)/

4/7

今日は寒い春、久しぶりに大阪の下町を歩いた。 大阪七福神巡りである…まずは大国町の大国主神社(左2カット)、都市の真ん中、ノッペラボーの境内に社殿や狛犬、いくつかの石碑が建っている。境内の北側は藪になっておりたくさんの野良猫が住んでいる。社務所でも追い出すでもなし、本格的に餌をやる人もいる(おそらく住民)。そこから徒歩15分程度で今宮戎神社である。1/10には何万人もの参拝者で溢れる境内も意外なぐらい狭い。もより駅の南海・今宮戎駅(右上)も普段は乗り降りする人も駅員もほとんど姿が見えない。ここから30分近く歩いて(写真を撮りながらなので遅め)日本橋の大乗坊(写真右下、ここは毘沙門天)へ電気屋街のややこしい裏道を通って到着…小さな社とも祠とも見える(そもそも七福神のいる場所は、多くの場合神仏混淆の寺とも神社とも言えないような場所である)清涼な空間に北方の守護神・毘沙門天が間近に拝める。そこから道頓堀川を越えて10分ばかり歩くと、写真はないが法案寺に至る…七福神では芸能や航海の神である弁財天となるが、本堂には秘仏(秘神)ガネーシャ・歓喜天が祀られている。今回はここで時間切れ、あとの三ヶ所は後日歩きたい。 オリンパスXZ−1

4/6

はい、ようやくサクラの季節(写真は2010年の近江八幡八幡堀/ルミックスGF-1)…これから4月下旬までサクラ前線を追って北上することになる。

3/31   東京タワー〜愛宕山の撮影の翌日は「春を求めて、湯島の白梅」湯島天神に詣った…予想どおり今年の低温のために満開であった\(^ー^)/  少し次期がずれたせいか、それほど混まずに皆さん日溜まりで思い思いにノンビリ参拝したりスケッチしたりしていた。特に願掛けは他の神社と比べても別格の量である。もちろん祖神「牛頭天王」も健在である。  オリンパスXZ−1

さて今回は次のプロジェクトの筋立てを考えることも兼ねて、30−31日と連続で厳島へ行って来た…これは木造和船・櫓漕ぎの海では珍しい遊覧船に乗ったところ。船頭さんに写真を撮ってもらったのである。厳島・いつくしむ=斎しむ・斎部=忌部・秦氏…色々追わなければならない(チェイサー)感じなければならない(センサー)そんなことの佳境に入りつつある。この日厳島神社の海の大鳥居が陰陽道によって作られていることを実見した…この船が鳥居の周りを回り、更に鳥居を櫓漕ぎでくぐるのである。20分800円は安いw(゜o゜)w

3/28   東京タワーで友人と別れて、ひとり見知らぬ東京を歩く…友人のアドバイスで愛宕山(山手線内で最も高い場所と云う)から虎ノ門までだ。 周りの近代的なビル群の中で不思議な景観を作っていた。公園と思うと、何かの別邸やお寺があったり、またNHKの放送博物館があり、それでいて日曜だと云うのにほとんど人が歩いていない…鉄筋コンクリートの寺の広い本堂に入っても誰もいない、ただ監視カメラがこちらを見ているだけである。境内にたった1本サクラ(もちろんソメイヨシノではない)が満開で…今回の東京訪問で1本w(゜o゜)w  山と云うより台地の一番奥に愛宕神社があり、ここだけは何となく人気があった。そこで「当然と云えば当然の」太郎坊天狗の社があった。太郎坊は天狗界の頂点の天狗だと覚えておくといいだろう…これから時々私の話に登場するだろう。なおここの稲荷社に下り狐(残念だが背にダキニ天や弁天を乗せてはいない)の像があった…これは珍しい、ほとんどの稲荷社の狐は犬のようにちょこんと座った姿なのである。本来は天から神を背負って降りてくる姿と考えて欲しい(*^o^*)  オリンパスXZ−1

3/26

今回の東京訪問で2年続いた「フィールド写真講座 in tokyo」が一旦終了し、しばらくは「サヨナラ東京」となる。それで私自身の撮影テーマは「サヨナラ東京タワー」となった…隅田川から見たスカイツリーの巨大さと東京タワーの小ささを東京に最初に来たとき感じて、中学の時に修学旅行で来た「世界一の東京タワー」に少しの憐憫さを持ったのである。その後震災でアンテナが傾き、ライトアップもなくなって、同時にスカイツリーフィーバー…ますます私の「サヨナラ東京」と皆の「サヨナラ東京タワー」が重なったようで、どうしても来たかった場所となった。聞くとLEDでのライトアップが再開され、アンテナの傾きも直された(まだ少し曲がっているように感じられるが…)。 浜松町から増上寺へ歩き、境内の横から先へ進む。空間が広いので青い空に赤いタワー…とてもイイ感じだ。少なくとも5/22までは世界一、もうすぐの増上寺の桜の開花の時に行ってみると良い(=^_^=)

多くの人も「サヨナラ東京タワー」と感じているのか、超満員で長蛇の列ができていてエレベーターに乗るのに30分以上かかった。

満員のエレベーター、皆が期待に語り合う。

さて150mの大展望台(更に250mの特別展望台がある…時間の都合で上がらなかった)から360度の東京を眺めた、天気は上々、遠くにスカイツリーも見えている。場所柄こちらの方が「都会」だろう。

海の方向を見る…お台場やその向こうの房総半島まで見えている。

600段の階段を徒歩で下りる(登りは厳しい)、あんがい早くしかも多くの人が上り下りをしている…混雑したエレベーターだが速さなら待った方がいいと思うが、オープンエアで赤い階段を歩くのが気分が良いのだろう。

4階のちっちゃな遊園地脇のベンチで休んでいたら、眩しいのでタワーの鉄材に太陽を隠して日陰を作る…そうすると珍しい気象現象を見ることができた。太陽の周りに虹のような光芒が見えたのである(カメラのアートモードやレンズフレアではない)…空気中の水蒸気などで周りにフレアが出たのである…太陽本体を鉄筋で隠さなければ明るすぎて、このフレアは見えない…この日3月25日は夭折した同族の三回忌の命日、天から光芒を放ちつつ降りてきたのかも知れない。

愛宕山方向へ歩いて振り返れば、東京タワー、森があってキレイに見えている。カメラはすべてオリンパスXZ−1…1日でバッテリー3個を消費する。この日は帰り着いたホテルの前でちょうど3個目があがった(^_^;)  じゃあ「サヨナラ東京」またの日まで…夜にホテルのTVでも東京タワーの話題が放映されていた。5/22までは世界一の電波塔だ(=^_^=)

3/15

庭の梅が満開を通り過ぎつつある。 オリンパスE−5+シグマ10−20mm、トイモードで撮ったが予想どおり画質が高い。レンズ設計はズイコー7−14mmより進んでいる。ただし純正レンズよりは遅くて賑やか(=^_^=)

3/12

宇治の平等院鳳凰堂(本当は釈迦堂だが、かなり以前から鳳凰堂と俗称されていた)にて。冷たい雨が降るなかでの参拝だったが、帰ろうとする間際に空が晴れて鳳凰堂の向こうに陽が落ちるのに遭遇できた…もちろんゆっくりと落ちる陽にモードや構図を変えてたくさん撮った。そののち参道の宇治茶の店で話し込むうちにすっかり暗くなった…神が与えてくれた夕暮れのひとときと言えよう。 オリンパスXZ−1の実力は全焦点距離(開放値F1.8!)で発揮される。これからはラージ・コンパクトの時代かも知れない...やや大きなセンサーに明るい固定レンズ、なんとなく1999年初めて買ったキヤノンG1を思い出した(たったの330万画素だがF2のレンズが良い)。

3/10

年度末の「まとめ」もだいたい見えてきて、やっぱり来週あたりから「旅−春の部」が始まる。 今年は寒くて少しだけ遅かったが、庭の梅(八重)も満開になって、その向こうのサンシュユの黄色い花と混ざりあって美しい…雨も春っぽく煙っている(=^_^=) オリンパスE−5+ズイコー7−14mm・ポップモード。

3/4

東京日本橋にて…営業に出かけるサラリーマンも東京スタイルだ。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

2/19

今日は久しぶりに琵琶湖へ=3=3  ビアンカに乗って冬の琵琶湖クルージング…雪の残る寒い日だったが風がなく天気も良かったので、1時間以上デッキですごした。 前回は同じクルージングを外輪船ミシガンに乗った…今回は船の改修中ということで、より大型のビアンカとなった。快適な船旅で、いずれ琵琶湖一周のクルージングにも参加したい(不定期便)。

帰りに宇治川の天ヶ瀬ダムに立ち寄った。ここも改修中で水位は低くなっている。多目的ダムと云っても発電所は小さく、農工業用水にも大きくは貢献しているとも思われず、主として治水と下流(つまりは関西全体)への安定的な水量の確保が任務だろう。 初めてオリンパスE−5+ズイコー7−14mmをフィールドで使用した…ボディは重い以外は特に問題はない、しかし合焦が時に遅く、遠近の競合も起こった(オリンパスE−P3ではまったくない)データの読込は速いが合焦速度と考え合わせると「大差ない」のが印象だ。レンズは逆光時派手なゴーストが出て、少なくともズイコー7−14mmはやや旧式のレンズと思われる。細かな性能はまだこれからだ…今のところ連写は除いて、フォーサーズVSマイクロフォーサーズは小型の分マイクロフォーサーズの勝ちである。たぶん望遠レンズなどを使用すると答は逆転し、「どちらも適材適所」という判断になるのだろう。

このセットで撮影…とにかく重い(@_@)車での撮影旅行でないと不可能なレベルだろう(ボチボチ私の体力が中高年なのだろうが…)。次のテストは、巷で評判の良いズイコー12−60mmとなる(=^_^=)

2/4

今日は大阪のあびこ観音の厄除け例祭があったので初めて参詣した。さすがに都会、この寒さにもかかわらず通行規制が出るほどの混雑だ。

節分を挟んで4日間ばかり厄除けの護摩焚きが1日中されている。この雰囲気写真では表現が難しい、ぜひ足を運んで欲しい。 今日はLeicaM9+アベノン28mmF3.5だけで撮影、旧式だがよく写るレンズだ。同行の友人曰く「国産ライカマウントレンズがなくなったあと、アベノンだけが作り続けた」…そのとおり、立派なものだ。このレンズも間違いなくLeicaM9で蘇った(^_^)v

1/24

 故郷の神社には他地方と比べて絵馬の奉納が特に多い。馬や船の絵馬が一般的だが、このあたりではまるで歌舞伎絵のような武者ものが多い…大避神社には平成元年の絵馬が掛けられている。絵で見るかぎり伊勢講も存続しているようだ。

 こちらは落地八幡の絵馬、どこでも絵馬堂のように天井や梁いっぱいに掛かっている…明治の初年や江戸時代のものもあり、大事にされているのが分かる。

 これは落地八幡境内の大避神社。この日は厄除け祈祷の日で毎月行われているそうだ。

1/23

先週末、西播〜牛窓へ旅した。 ここは最初に降り立った、千種川支流の大避神社にて…やはり五頭身半だ(~ ~;; 河口近くの坂越・大避神社はとても有名だが、千種川流域には「大避神社」は13ヶ所あり、そのうち4ヶ所を見たことになる。大避神社…かなり特殊な名前の神社、どうしてそうなのか知りたいと思っている。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

1/15

年末から三度目の琵琶湖である・・・今回も寺社巡り。ここは宇治川を遡って最初の大寺院・石山寺だ。寺の最奥(元は修行の山岳寺院だった)にある子育地蔵。岩だらけの参道を少し歩くと岩盤の上に木が根を張り、磐の堂に地蔵が安置されている。密教寺院は山域全部を歩き回ることだ。

こちらは近江八幡市の御猟野乃社・賀茂神社での正月の「小豆粥神事」、今日この神事があることは知らなかったのだが着いたとたんに神事が始まった…これも神意と云うべきか…もちろん神事のあと宮司に私の氏素性を伝えた上でお話しをうかがった。次の大きな神事は5/6ぜひ詣りたい。賀茂神社は天平八年創建、陰陽道をつくし賀茂神を迎え入れた。本殿は裏鬼門を向いており方位守護をつかさどった、本邦初の馬の飼育・繁殖地として制定されたとある。騎馬系渡来人の聖地でもあったのだろう。頭人と神官以外は私だけの神事であった…少しだけ神様と対面した。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

1/13

明石海峡…人丸の海岸は完全に市民公園として整備されていた。向こうは淡路島…さすがに海峡を通る大小の船は多い。

今度は海岸から坂を上がって明石の天文台に着いた。ここの丘には人丸神社(柿本人麿)をはじめとして多くの寺社があり(当然、明治に子午線が制定されるずっと以前から)聖なる場所に子午線を置いたような気がする。 毘沙門天や妙見権現などが祀ってあり、北の方角を守っているように思われる。現在は建物も多く見えにくいが、往時はほとんど180度全開で海が見えたに違いなく、内海水運の拠点を押さえていたのだろう。

1/12

稲爪神社でのスナップ…何となくひょうきんなエベッサン(*^o^*) 石像は新しいものだが今風な像もいいと思う。

笹に俵のミニチュアがぶら下がっている。ズイコー12mmF2はさすがに高価なレンズ、明るさや速さだけではなく、逆光にも強いと言えるだろう。ドラマチックモードに周辺減光を重ねた設定で撮っている…アートモードも第二世代だ(たいへん好ましい)。

1/11

きのうとうって変わって晴れた空の下、明石・山陽電鉄人丸前駅に降り立つ…特に目立たずホームの外れに子午線の表示がある。レールの向こうのフェンスにもペイントされていて、当然に明石天文台と一線に並んでいる。隣を走るのはJR山陽本線。今回の姫路・明石の撮影はオリンパスE−P3+ズイコー12mmF2だけにした。

駅から徒歩5分で橋爪神社の浜えびすに着いた。昨年より盛況だ…不景気になると「商売繁盛」のエベッサンが混むと聞いたことがある…なぜ商売繁盛の神様になったのか不明。本来は出雲系の海洋神のはずなのだが…小さな神社でも地元の人の努力で盛大に祭りは続いている。ここでメンバー全員で社の臨時店舗での「100円ぜんざい」を神と供食する。

1/9

姫路の凧揚げ大会に行った…全国規模で巡回する大会なのである。ひょんなことからこの世界を覗いてみて、凧から見えてくる民俗がおもしろいと感じた。日本中から各地の伝統的な凧がやってきて、熱心に飛ばしている光景は感動的ですらある(いっそ凧揚げ写真家にでもなりたい気分)。ここ姫路は私の幼年時代の地で、方言にも馴染みが深くなんとはなしの土地勘もある。だけど姫路城裏の市民運動公園は再開発で閉鎖となり、今年38回目で終わるそうである…さて来年は姫路のどこに揚がるのだろうか? オリンパスE−P3

1/5

年末と年始に連続して竹生島に詣った…それと云うのも船の滞在時間が70分しかなく(冬は日に2本)ので、一回で見きれないのである。朝の便で行ったので午後の便に乗ればよいのだが、それでは3時間以上待たねばならない…冬場以外は日に5便あるので1本延ばせばユックリ見られるだろう。さて日本三大弁財天の一体がここにある。本尊は秘仏で簡単に見ることはできないが、奉納された多くの弁財天像は見られる。これは本堂内陣への入口にある、慶長二年建立の木像でとてもいい味がある。六臂像でそれぞれの手に種々の法具を持っている…弁財天も水の神だが、ここでは龍神・巳神・宇賀神など別の水神との習合が見られる。頭の上に乗っているのは翁形の宇賀神の頭部である。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

2012.1.1  あけましておめでとうございます^^/

今年も初詣は近所の神社である。郡部なのと「歴史の交差点」と云う土地柄か、各地区の住民は大切に神社や境内を守っている(各字に必ずそれなりの規模のお寺と神社がある)。 リコーGXR+ホロゴンT*G16mm


2011年のフィールド・ノート

12/31

大晦日、すいた道路をノンビリ走って琵琶湖へ今年最後の撮影…昨年の大晦日は大雪で瀬田で引き返したことを思い出した。湖北まで行った勢いで竹生島へ航海…まわりの観光地に人が少ない割には船は50−60人乗っていただろう。その中に一人旅の女性写真家がいて、寒いデッキで、宝厳寺で、舟廊下で…70分(+往復1時間の航海)の竹生島滞在時間のあらゆるところで会った。きっといつかプロになれるだろう。向こうの山は滋賀の最高峰・伊吹山。 オリンパスE−P3+ズイコー14-42mmF3.5-5.6 IIR…このレンズは「速い」!

大坂城極楽門を移築した宝厳寺本堂。移築のためだろうが西の大門から入って右に回ったところに本尊が安置されている。この精緻な彫り物が絢爛たる桃山文化のなごりなのである。長く辺地にあるため劣化が著しく、せっかく同時代資料の絵が発見されたのだから早期の復元が望まれる。 オリンパスE−P3+ズイコー12mmF2

12/25

今日は父の七回忌…実家では門徒僧に来てもらって簡単な法事をおこなった。私は日本唯一・尊天を祀る鞍馬へ父の魂を見とどけに行った。尊天=愛を月輪の精霊・千手観世音菩薩、光を太陽の精霊・毘沙門天王、力を大地の霊王・護法魔王尊の三身を一体として云う。 京福叡電(現在は叡山電鉄)に乗って終点の鞍馬駅に降り立つ…寒いので取りあえず駅前の、いかにも門前町らしい食堂に入ってキツネうどんを食す。さすがに天狗(正確には鞍馬山僧正坊)の地、どこのお店にも天狗は鈴なりだ。ただし寺社には天狗への信仰は薄く(あるいは全く)しか匂わなくなっている。

ここにはお寺経営のケーブルカーがあり、駅の横にある仁王門から山上の金堂へ比較的楽に行ける…参拝のためのケーブルカーのため片道100円と安い(鞍馬寺入山料200円と合わせても低い額だ)。ケーブル駅の時間待ち、さてこの三身が本尊であり、星座の上に掲げられていた。毘沙門天は北を守り、北極星を中心とした北斗七星の回転で占い、全天で一番明るい金星を拝む…ことの本質は星への信仰に裏付けられたことである。

さて山を歩いて金堂へ…堂の前には象徴化された魔法陣が施れている。京都方向に向いていて、対面の遙拝所の向こうに八瀬の谷をはさんで比叡山の伽藍が見えている。京の丑寅の方角を守護する陣を布いているように考えている。

魔法陣の上に立つ。左が北、右上が都、では右下は?などと考えながら歩き続けた…あとはそのうちに(~ ~;;

今日はもちろんナイトスカイ・ウォッチ^^/

12/17

大阪・一心寺にて…ここは都市に特有の無宗派寺院で、故郷を遠く離れた都市へ流入した人達のお骨を預かり、永代供養として祀ってくれる。簡単に故郷に帰ることのできない、そして子孫もどこへ行くか分からない都市住民にとっては死者の魂のより所として重要な位置を占めている。特に戦後大量に増えた都市へ出てきた人達が亡くなりつつあるこの頃参拝者は非常に多い。  リコーGXR+UWヘリアー12mmF5.6

12/15

須磨遠征の続き。須磨寺をあとに浜に出る。去年来たとき浜の東に見えていた赤い建造物が気になって、今年は歩いて行ってみる…鉄製の元の和田岬灯台がこんなところに保存されていた。もう灯台としてはお役ご免だが、威風堂々、兵庫の海から文明開化の船団を見つめていた時代を私に教えてくれる。

昼食後、須磨の浜に出る。冬の海は寂しいが広い浜に点々とサーファーや散歩やジョギング、そして近所の人達の小さなピクニックなど、透明な冬の空気感のもと「ON THE COAST」らしい良い雰囲気が感じられた。向こうは淡路島。

須磨浦山上公園に上がる。時代時代でつぎはぎされた往年の観光地だ。公園のてっぺんに行くには、ロープウェイ…カーレーター…そして最後にかなり恐めのリフトに乗らないとたどり着けない。そしてリフトの真ん中あたりの谷に摂津と播磨の国境がある。

そして旗振山山頂。近世の伝達手段であった「日本式手旗信号」で山から山へ通信がなされていたのである。主として大阪の米相場を、早く広島や岡山に伝える役割を持っていた…明治期に入って禁令が出されても長くこの通信は続いた。そして現在は国境の電波塔がたっている。この山頂に摂津・播磨の国境があるのである。皆で明石海峡に沈む夕陽を眺めながら1時間近く山頂に立っていた…遠くに見えているのが神戸の中心街。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2+ズイコー12mmF2

12/11   次々フィールドに出るため更新できないうちに次が来てしまう(^_^;)

先週の出雲地方に次いで、今週は遠江地方へ行った。昨年同時期に行った時は大雨警報…今回は3日間快晴である。 ここは浜名湖の今切(浜名湖が海とつながっている場所)砂防林を越えて普段見ることのない太平洋の浜辺に下り立った…「ALONG THE SEACOAST」秋山亮二先生を思いだした。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/4th

12/6

今回の山陰訪問の最大の目的、美保神社の「諸手船神事」(要検索)…それほど観光化されている訳ではなく、おおむね氏子の祭りの面目を保っている。それでも最初に来た25年前から13年前、そして今回と多少の観光化への進展はあるようだ。3回で2回は大雨、あとの1回も暗い曇天で山陰の冬は悪天候が普通である。しかも朝からの神事の最後に船漕ぎがあって(今回は3時半近かった)まさに大雨(船首部あたりに横なぐりの雨が見える)の夕方、フィルムカメラ(もちろんポジ)時代ならかなり困難なセチュエーションだが、今回初めてデジタルカメラで撮って、その有難みを感じた...+手ぶれ防止機能、高感度設定、AF/AE/AWB等々。 ルミックスGF-1+ルミックスG45−200mm

12/4

毎週のように旅に出るので更新の暇がない…今回は山陰へ。ここは鳥取県境港市…水木しげるストリートでの風景だ。みやげ物屋や飲食店だけではなく、タクシー会社や電気店まで、商店街のほとんどの店が「鬼太郎」漬けである。雨にも関わらずなかなかの人出だった。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/2nd

11/29

天理の正暦寺に詣る…平地では少しまだだが、山中ではまっさかりの紅葉である。ここは密教の修行寺で以前は50万坪の境内を誇っていた(現在でも25万坪)…数年前に「人形供養」の日に来て以来の参拝で、冴えた空気と清流と全山赤や黄に染まって「秋はいい」と感じた。気象の変化で秋が秋っぽくないこの頃、もうすぐ冬が来る。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2+ルミックスG14mm

日曜は「フィールド写真講座」で須磨へ…最初は須磨寺、去年より1週間訪問が早く、紅葉はまだこれからである。後日、今回歩いた須磨の浜、須磨浦公園などをアップしたい。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2+ズイコー12mmF2…合焦はとても速い\(^ー^)

11/23

今日は吉野へ撮影に =3=3=3  火渡り神事を吉野・大日寺に見に行ったのである。ただし行事は1時からだったので、午前中は近くの竹林院群芳園の庭を見学した…紅葉は少し早めだったが、よく手入れされ混雑もない場所でたくさんの秋景色を撮影できた。ここでも観覧の初老の夫婦と記念写真の撮りっこをした。少し太ったかなと云う印象(^_^;)  今日の撮影はOLYMPUS PEN Lite E-PL2+ルミックスG14mm+ドラマチックトーン

院内のお堂の前にヤモリがいて動かない。よく見ると生きている…寒くて動けないのである。このままでは誰かに踏みつぶされてしまう(土の上で保護色だから写真家以外の人には不可視)…手で触れると逃げるどころか這い登ってきた(体温の高い私が暖かったのだろう)。しばし眺めて草むらへ離してやった。先日我が家に住んでいたヤモリのうちの一匹が死んだので生かしてやりたかったのだ。

さてお昼は吉野の参道…ここでは尾根道沿いに寺や神社が並び、両側は有名な山桜が谷にも隣の尾根にも生えているのである。食堂も裏は「オープンテラス」少し寒いかも知れないがお山を見つつ柿の葉寿司(季節限定の紅葉した柿の葉使用)とキツネうどんを食す。小雨が降ってきたが屋根に手動のシェードがあり、オープンエアのまま雨に濡れる桜の紅葉を見ることができた\(^ー^)/

さて小さなお寺「大日寺」へ…着いたらすぐに護摩焚きが始まった。私は護摩焚きが大好きで何度見ても飽きることはない。護摩木は丁寧に二度焚かれ、その熾き火を火伏せして半分炭にして、その上を歩くのである。観光客はそれほど多くはない(だいいち狭い境内に多くは入れない)信心でここまで来ていると思われる。

表面は炭だが下はまだ赤くいこっている。素足なので無理に走ったり捻ったりすると熱い、一心に祈りながら本堂に向かって静かに歩くのである。境内に参集したほとんどの人が火渡りをしただろう。最後にこの炭と灰をすくって家に持ちかえる…これからの1年が安寧でありますように。私は安らかな眠りを約束する「五智如来」のお札を求めた…東か南の壁に貼るべし。

11/16

時間は行きつ戻りつ…今回の東京最後のショット。神田駅のガード下のファーストキッチンでカルボナーラを注文した。学生の頃来た神田とは違って、ほとんどオフィス街となり土日は人が非常に少ない…それでもところどころに東京駅の隣である地理を考えると「日なたい雰囲気」が残っている。隣の客と目があったので撮影。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2

11/15

白金台の国立科学博物館・自然教育園にて。中世の豪族の砦館〜江戸時代の大名庭園跡地を自然のまま残して保全されている(以前の武蔵野の植生と庭園として栽培された植生が混在している)…1949年天然記念物・史跡に指定され、都心に「手の入った自然林」として貴重である。もちろん一木一草持ちかえることも踏みつけることも御法度だ。ここは森の中の「パワースポット」小径の上を左右から大樹の枝が伸びて、角度によってはつながっているように見える場所である。森には妖精が住んでいる、それだけは経験知として確かである。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2

ひょうたん池で。紅葉はまだまだで、もし行く人はぜひ11月末あたりにするとよい。密林のような森が色づいてキレイだろうと思われる。今日は空が真っ青だった。

表に出ると白金台の(最近はプラチナ通りとして人出が多くなった)雑踏である。と云っても歩く人は優しい感じがする。ここからブラブラ歩いて渋谷や外苑、高輪などに買い物や食事をしながら「街を楽しむ」のである…大阪にはなく、京都や奈良にはある風景で、大都市東京の深さを感じた。東京が好き…いつか現在の東京プロジェクトをフォトエッセイにしたいと思った。

一日で16000歩も歩いてホテルに帰る品川の道、同行の友人によると箱根駅伝がここを走るらしい。と、ガネーシャの看板と行列の店。品川から神田まで山手線に乗る…実のところ一人ではJR以外は乗りにくい東京である。迷子になる(^_^;)

11/14

時間を遡って、11/6の燕三条の駅前ホテルの窓から。雨…毎日旅行中のホテルの窓から朝起きて写真を撮る。天気を確かめるための習慣になっている。新潟あたりの新幹線の駅前は田畑と店のモザイク模様のブームタウンである。 フジX100…新潟では11月上旬で紅葉が始まっていた(*^o^*)

11/13

週末東京へ…講義の金曜は別として、土曜は目黒の国立科学博物館・自然教育園、そこから街を歩き泉岳寺、そして日曜に巣鴨から深川住吉を全部で3万歩ぐらい歩いた。写真もいいが運動にもなった(o^。^o)  ここは「おばあちゃんの原宿・巣鴨商店街」とげ抜き地蔵前にて…確かに中老年者が多くて、それに見あった店がひしめく。若者の街と異なり平日も昼間から賑わうらしく、大手のチェーン店まで進出して人出はとても多い。

「とげ抜き地蔵」と云うけれど、行列のできている石仏の前に行くと、どうも聖観音のように見える…ともあれ自分の身体の悪い部分を拭うと良くなるという信心である。

ついでに町はずれにあるはずの庚申塚(本来の名前は猿田彦社)の前を抜ける三ノ輪から早稲田に行く「最後の都電」を撮影。今回は時間の都合もあり乗らなかったが次回浅草に行って、吉原から三ノ輪まで歩いて、この電車に乗ってみたいと思った…写真はすべてOLYMPUS PEN Lite E-PL2+ルミックスG14mm+ドラマチックモード無加工(^_^;)

11/8

先週、新潟県加茂川へサケ採捕の取材にちょっと(と云っても片道7時間半かかる)行ってきた…先月行ったときにはまだ遡上が始まらず、今回雑誌「河川文化」のためにたった1シーンの写真を撮りに行ったのである。今回も初日は渇水状態でサケの遡上は芳しくなく、週末の雨でようやく水かさが増して、午後2時頃ようやくの作業を漁協組合長の号令で実施してくれたのである…ここでは川幅が狭いため、梁で川止めをして鉄製のドウに入ったところを捕獲する。活けで捕りすぐさま採卵して孵化場に持ち込むのである。本格的には11月下旬になるだろうとのことである。  OLYMPUS PEN Lite E-PL2+ルミックスG14mm(評判とは違うが良好なレンズだ)…原稿の〆切は今日、なんとか間に合った。

11/4

来週は久しぶりにNC東京「フィールド写真講座」だ。これは前回撮影した隅田川・吾妻橋の墨田区側のたもとに建つアサヒビール本社ビル…前衛的な建築で現代の川の景色に色を添えていて好ましい。これを初めて見たときに「金斗雲」を思い出した。花の東京に行こう、3日間3ヶ所で撮影することになる。

10/30

今日は雨のそぼ降る中、生駒山の宝山寺を訪問した。役行者が生駒山の鬼を調伏し、大峰開山のとき山の守護として鬼をつかわし、これが前鬼・後鬼の始まりだと教わった記憶がある。宝山寺は密教寺院(真言律宗/近畿三十六不動・第二十九番札所)で、本尊は不動明王、鎮守神として像頭人身のヒンドゥーのガネーシャ神である歓喜天、別名「生駒聖天さん」が祀られて、願いを叶えてくれる現世御利益の信仰で、近代になって交通の便が良くなり参詣者が多くなった。門前町にも旅館が建ち並び往時をしのばせる…ただし残念ながら現在は観光的には衰え、正月や寺の行事のあるとき以外は人影は多くない。旅館の多くも廃業していて食事をする店も限られた数である。写真は寺の裏山の崖に安置してある菩薩像(元は磨崖仏があったのかも知れない)に向かって般若心経をあげている僧侶、たくさん祀られている仏神のなかで、このあと烏蒭沙摩明王(ウスサマミョウオウ)の祠と大師祠に教をあげていた。烏蒭沙摩明王のお札を買って今私のロッカーに貼っている…この神はヒンドゥー時代はすべてを焼き浄める、善神とも悪神とも云いがたい神で、本邦における鴉天狗に近いような存在と思われるのである。

参道は尾根筋に長く続いていて、近鉄生駒駅まで続いている。階段なので自動車はほとんど入れず、大木となった参道の並木が雨に濡れて、とても気持ちよく歩けた。宝山寺には登りはケーブルカー、帰りは徒歩を勧める。健脚な人は山を越えて大阪側へ降り、枚岡神社や石切神社の境内・参道に下ると景色も風物も楽しめるだろう。今日は雨で諦めたが次は枚岡神社に下ってみたい。  フジX100…ファームアップしたがピントは相変わらず合いにくい…せっかくのレンズ性能が勿体ない=つまり絞り開放の美しい描写がピントが前に合ったり後に合ったりでボケ味が生かせないばかりか、合わせたい場所のピントが抜けることすらあり得る。これでは来年の発売が予想されているXシリーズの最高機種(フルサイズ?)の合焦精度・速度もこころもとない(^_^;)

10/25

福井県九頭竜川へ行って来た。京都から高速で行くと比較的近い(ドアから中流域まで3時間半=もちろん無休で走る)。さてさて今回は超定点観測になった。二日間で12時間にわたってアユ遮網漁(サギリ網と云う)の九頭竜川で最下流の設置場所で粘った(昼ご飯もお預け(^_^;)だ)。漁法は投げ網漁(投網とは異なる)で、川に遮り縄を張って(網ではない)アユの落ちるのを留めて…川止めではないので、落ちるアユが縄の前で少しひるむところへ褌型の網を投げてアユを絡めとる伝統漁である。当然に場所には権利があって、たとえ漁協組合員でも入ることはできない。県の鑑札も限られた人と範囲で許可されているのである。それにしても名人、川に入り(あるいは岸辺から)アユの落ちてくるのを目で確認し片手で10mほども投げる。

網は「くの字」に水面に到達し、音に驚いたアユが逃げるところで網に絡まるということである。正確な目と逃げる方向の予測で勝負は決まる。来年も来訪する約束をして川をあとにした。背中の棒は「オイジ」(追い杖が訛ったと本人が語る)、これで網を水中から引っかけて上げる。 今やメインカメラとなったOLYMPUS PEN Lite E-PL2+ズイコー9-18mm/連写モード

10/19

上本町の地下から上がったら階段のガラスに西日が当たって輝いていた。向こうは近鉄百貨店、ようやく直射日光のパワーも落ちてきて、私の秋が深まっていく。 リコーGXR+スーパーアンギュロン21mmF4…このようにハイライトが滲む。フンワリとしたピントと光の滲み、何か最近忘れていた大切なものを感じさせるレンズだ。

10/16

長谷寺近郊の與喜天満神社の秋祭りに参加した。泉州や阪神間の屋台・御輿の勇壮な祭りと比べると地味だが、元気さは変わらない…與喜天満神社と長谷寺、そして氏子の郷との関係性を見られる(つまり観光優先ではなく地域の祭りとして生きている)貴重さがある。初瀬の山々に囲まれて響く太鼓や歓声…少し疲れたが良い1日だった。 リコーGXR+ホロゴンG16mm改…今日はリコーGXR(レンズ2本)のみの携行であった。

このあと山手へ回って初瀬ダムを視察して今日はお終い…基本的にダムは美しい。 リコーGXR+スーパーアンギュロン21mmF4

10/10  いよいよ秋、河川文化を求める旅の始まりだ…今回は信濃川の支流(五十嵐川と加茂川)を訪れた。

五十嵐川ほとりの水神を祀る社で。この川は夏の豪雨による出水でいたるところに堤防や山の崩壊・崩落が見られ、サケ漁の施設や道具に大きな被害が出た。本格的な復旧は来シーズンまで待たないと無理なようだ。それでも4年後の母川回帰のためにサケ漁が始まっている。 リコーGXR/ホロゴンG16mm改

こちらは隣の加茂川での10/8から解禁となった落ち鮎漁。投網でおこなわれ、網を一回まくと数匹入る。 リコーGXR/P10ズームに付け替えて撮影…このレンズは300mm相当まで引っぱれるので河岸からの撮影などには便利である(センサーは小さいが実用的には問題ない)。フィールドでのレンズ交換でもユニットごとの交換になるので埃や水滴の進入に気を使わなくても良い。

この川では梁で川留めをしてドウでサケを捕る…町中でのサケ漁は珍しいし、川の水はとても綺麗で、町の人や漁協組合員の川に対する目線は特別なものがある。まだサケはボチボチ登る程度で11月に入らないと本格的にはならない。 リコーGXR/ホロゴンG16mm改…見かけによらず逆光にも強いレンズだ(レンズ構成枚数が少ないのがいいのだろう)。

10/7

リコーGXR+スーパーアンギュロン21mmF4…堺市北長尾町にて。このあたりには区画整備は早くから進んでいるようだが、このような最近では珍しいような下町の風情が残っている。秋になって5年ぶりに風邪をひいた…また来年5月までは盛んにあちこち歩くことだろう(暑さに極端に弱い)。

10/4

千早赤阪村営ロープウェイの駅で記念写真。これから金剛山登山だ…しばしば見知らぬ人々から「ちょっとシャッター押して下さい」と頼まれる。なかなかこれが楽しい。皆いい顔で写っている。観光を研究の対象にして数年、私も楽しまなくちゃあと思うのである。 友人撮影。

9/24

飛鳥の橘寺に詣る。9/23は旗日、寺にも日章旗が掲げてあった。聖徳太子生誕の地とある(私はどうかな?と思っている)が橘氏の本拠地であったことは確かだろう。本堂に座ると涼しい風が吹き抜けて仏教徒ではない私も心が落ち着く。各堂の橘紋の幕が美しい意匠だと感じた。 LeicaM9は少し感度を上げるとシャドウのノイズが出てくる…やはりフィルム時代と同様、低感度のアベイラブルライトで低速シャッターで撮らないといけないようだ。

内陣から外を見た…ここでは内陣まで拝観させてもらえる。外の喧噪(実際、石舞台や案山子コンテストの場所ではビックリするぐらいの人出だ)を離れて寺に入ると静かでホッとする。もちろん本堂をはじめとして建物は飛鳥時代のものではなく室町以降である。

友達同士の老人ふたりと、あとさきになりながら境内を散策した。ふたりの会話を聞いていると子供時代からのつき合いらしく、話題が昔・今・未来を行き来し、人生の最後を歩いていくことの楽しみはこんなもんかなと考えさせられた。ふたりは似たような格好をしているが同じではない、なんとなく同じなのである。私も老いたらブツブツと話ながら、老いた友人と歩きたい。 ごく周辺以外はF5.6で充分シャープである(蘇ったセレナー)。

この寺は芙蓉の花で有名で境内中各色の芙蓉が満開になっていた、お堂の影で老友人がベンチに座って昔語り、芙蓉も美しい…本当に良い日に来たものだ。 LeicaM9の設定はコントラストを落として色飽和度を上げている(PCでは触っていない)。

9/23

今日は明日香に行ってたくさん歩いた…そして兼ねてから少し痛めていた足首を本格的に痛めた。もちろん痛みに強いので「平気!」…飛鳥川に沿って歩き、稲穂の丘の小径を登ると恒例の案山子コンテストがヒガンバナの沿道にいくつも見られる。人出も多く、地元の人達の出店もあって私は「氷イチゴ」150円を食べた…唇が真っ赤になった(*^o^*)

橘寺前で。地元の人に聞くとヒガンバナは特に育てている訳ではないけれど、周りの草刈りをして保護しているらしい。昨年は猛暑で開花が遅れ、今年も心なしか真っ赤になってはいない。場所によるがほぼ満開だ。稲刈りもあと2週間…今日はLeicaM9+キヤノン・セレナー35mmF3.5(キヤノンでワイドでは最も早くから作っているテッサータイプのレンズ)。このレンズも逆光時のフレアに気をつければ完全にLeicaM9で蘇ったレンズだ。シャープ感は増しボケ味も素直ってことである\(^ー^)

9/22

生野銀山の坑道入り口…故郷に還った気分で意気揚々と入山する。入るとすぐに冷たい空気が流れてきて寒暖計の温度は17℃ (@_@) しかし奥へ行くと地熱のせいか25℃ぐらいになり、全長1km以上の坑道内は場所により随分気温が変化する。地質学の見学とケービング気分とお化け屋敷の雰囲気が同時に体験でき、ミュージアムショップでは銀製品が安い(デザインは疑問)。銀山は閉鎖になっても近隣に鉱業の地場産業は残っているのである。私の先祖もこんなところで金属採掘・精錬を指揮していたハズである…どこにせよ鉱山跡は懐かしいような、くすぐったいような気分がする(過酷な労働を山師や人夫に強いていたに違いない)。

9/18

岡山県英田郡西粟倉村。鳥取との県境の村で昔から近隣の町村とは合併しないで存在してきた…私の一族の地である。 フジX100アスティアモード…やはり逆光には弱い。しかしフィルムっぽい写りが面白い。

9/16

加古川中流域の闘竜灘にて…ここまで船で荷は上がってきた。難所であるここから荷駄にして馬や牛の背で各地へ運ばれていったのである。開削の努力もなされたが実際に見てみると「これは難しい」と感じた…フィールドワーク、足でかせがないと実態は分からないものだ。 川辺はちょっとした公園に整備され、岩の上ではラジコンカーでのトライアル競技を熱心にしていた。皆大人ばかりで炎天下の下しばらく練習して「お疲れさん」車で帰っていった。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2 これトイモード…周辺が落ちるのと同時に全体に暗くなり、色味が温色となる(ソニーNEX−3の方が赤い)。

9/15

生野銀山にも立ち寄った。大同年間の文書が初出と云うから古代に近い中世から銀は特産品だったようである。そしてずっと掘り続けられ昭和40年ごろ閉山した。その跡地が保全され(石見銀山と同じだ)そのままミュージアムになった…地下の坑道を延々1km歩く…気温は場所によって最低で17℃だった。やや不便な場所なので観光客は多くないが、城崎や玄武洞と合わせれば(高速道路を使うことが前提…播但線ではどうにもならない)関西の都市圏からは距離的に近く、悪くない場所だと思った…また近々訪れたい(*^o^*)

9/13

建屋・産霊神社。下の建縫神社とは別の谷を入ると寺や神社が数多く、金山のあとなどの旧跡もある。地元のハイキングコースになっていて秋には紅葉の大ハイキング登山大会があるらしい。神社の前には清冽な小川が流れていて、ムラも過疎地とは云え、多くの人が農作業に出ていて、私の生家付近にはなくなった農村の景色があった。

9/12

但馬地方の郷社をいくつか訪問した…これからの研究の取っかかりである。ここは養父地方の奥地・建屋地区の郷社「建縫神社」、山奥の森林に囲まれた場所に建っている。このあたりの神社の鳥居はご覧の通り特徴的な構造をしており(その意味の絵解きはこれからだ)ご神体は山と磐、そして七曜星…古い星信仰の残存が残されている。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2

9/11

土日で城崎の史跡・玄武洞へ行った…渡来人の歩いた道のりの研究のついでに寄ったのである。20年ぐらい前に来たときより「やや」整備がなされ、玄武洞前のミュージアムの館長に地質学の(もちろん柱状節理について)話を聞かせていただいた。 OLYMPUS PEN Lite E-PL2+ズイコー9-18mm…引きがなく9mmでないとこのように写せない(90度ぐらいの画角が必要)…アートモードはデータが重く古いクラスのSDカードだと読込に時間がかかり、時としてフリーズすることが分かった。

9/8

京都地下鉄東山駅を上がって三条通りを、すぐにポイッと左に曲がると、この景色…白川である。もちろん保全されていて水も綺麗なだけではなく周りの町屋にも木々が繁茂している。大通りの喧噪から徒歩2分で充分だ…ここから美術館まで10分以内に着ける。私の若い頃はここで友禅流しや子供達の水浴びが普通に見られた。 ペンタックスNB1000-nanoblock…一応よく写る(細かな設定はできないのでPC上での処理は必要だ)。

9/7

今日は神戸の山の手、鈴蘭台に行った。ふと見上げると最近見たことがないような青空、大気が汚れたのか水蒸気が多いのか、数十年前に普通に見られた紺碧の青空がなくなった…小さな公園で何かの記念の銅像にハトがとまっていた。ケイタイカメラではこの程度だがホントはもっと透明感のある青空だった…ピーカン、ピースの缶の色から来た業界用語を思い出した(o^。^o)

9/4    きのう今日と台風で家にこもりきり…今日は35年ぶりに絵を描いていた(o^。^o)

過日、天王寺公園で撮影をする私…友人が撮ったルミックスG/7−14mmは素晴らしくピントがくる(この画面では分からない)。 

8/31

夏もボチボチ終わり…なま暖かい風が出てきて台風の予感。 子供の頃「山の木々が白く見えたら雨…」と教えられた…つまり風が出てきて木の葉が裏を向くと白っぽくなるのである。わが町の街路樹プラタナスの葉も裏返り、そして緑の最盛期を過ぎて、秋が来るのである。 サイバーショットS001

8/25

きのう若狭・おおい町の大島での舟漕ぎ競漕祭り(地区の活性化と伝統文化の継承を意図したもの)に去年に続いて参加させていただいた。地域の小学生の実習として(かなり櫓漕ぎのうまい子供達もいる)、地域の人達の交流の場として、都会へ出ていった人達が帰ってきて、老若男女が参加していた。今回一緒に参加した神戸大学(旧商船大学)和船同好会のメンバーがレースで大活躍、学生対抗マルキ船競漕で優勝した(^_^)v 天気は前日の大雨注意報を吹っ飛ばして好天・暑かった。  ルミックスGF-1+ルミックスG45−200mm

8/17

今日、昨年秋に訪問した天龍川川下りの船が転覆し、6名の死者行方不明者が出たとのニュースを見た…水運も含む河川利用の研究をしている私にとっても痛ましいできごとであるのと同時に、これから各地へ行って安全な航行が完全に実施されるように啓蒙していきたい。確かに行ったときも救命胴衣は持っているだけで着用はしていなかったし、この船に26名の乗船はいかにも多すぎる。 全国で盛んになっている観光遊覧船(民間企業とNPOの経営がある)に水をささないように祈りたい。  LeicaM9+trielmar

8/16

西国三十三所・十二番札所の岩間寺を参詣した。大津市石山の奥山にあり、気温は30℃に達しない涼しさである。和尚に話すと「暑くないですが、動くと暑い…」つまり気温は低くても、特別に湿度の高い場所で、境内や近辺は猛烈な湿気である(着いた時は霧が出ていた)。現在でも完全な神仏混淆でお寺なのに白姫竜神や八大竜王が祀られ、寺の銘で「ご神木」もある。元は明らかに琵琶湖とそれから流れる宇治川を治める神の場所だったであろう…境内や奥宮からは琵琶湖や宇治川が遙か眼下に望まれる。写真は境内奥の桂の大木と川の源頭にある神座、西国三十三所札所ではあるが、少し不便なため路線バスも廃止され、車で行くにもなかなか遠い…しかし私の家からは1時間あまり、近くの秘境…時々訪れてノンビリしたい場所だ。 ルミックスG14mm+ルミックスGF-2を初めてフィールドで使った…レンズは評判よりは良く写る(もちろんズームの14mm部分やソニーE16mmと比べての評価)ただしボディの問題だろうが予想より画像はシブい(発色が鈍い)…セッティングに時間がかかるだろう。ルミックスGF-2はタッチパネルと十字ボタンの併用はとても便利だが、画面を無意識に触って設定が変わったり、時にはシャッターが切れたり…慣れないといけない。

8/13

7月の写真…都島の水神社にて。変わった斑入りの葉の白アジサイが狛犬の前で咲いていた。 サイバーショットS001/この条件ではキレイに写った(*^o^*)

8/3

暑い(~ ~;; 夏の花と言えばサルスベリが思い浮かぶ…自宅の庭に3本、ここ事務所の横の庭先にも1本、通勤の最初と最後に目に入る。 サイバーショットS001のピンホールに近いレンズでも10cm程度に近接すれば深度は浅くなる…絞りがないのでボケ味はいい。それにしても奇妙なエンジンだ…ピーカンだと不思議に軟らかく写る。

7/31

今日は暑さで心がジメジメしていたので友人に頼んで奈良県桜井市の古刹・長谷寺と藤原氏の氏神・談山神社に行ってきた。もちろん長谷寺の石段は5分で駆け上がり(@_@)久しぶりに汗をかいた…どうしても毎日正午に修行僧による鐘楼の鐘突に立ち会うためである。三人の修行僧が鐘と読経、そして法螺貝を吹き鳴らして(もう10回以上聞いている)務めを終えて庫裏に戻るところ…私は小走りに鐘楼にやってきて、狭い階段を若い僧上り下りする姿に強い印象を持っている…そして素早く去っていく僧達、今は分からないが私にも何か思うことがあるのだろう。

談山神社の拝殿広間で座ると緑の壁(green wall)が目に一杯飛び込んでくる。新緑の季節がもっとも好きだ(もちろん観光的にはこれが紅葉する頃で、夏は今日が秘仏「如意輪観音像」公開の最終日であっても人出が少ない)…何度も来ているがいつも新緑〜夏で、前回は雨がシトシト降っていて、誰もいないこの場所でお山を眺めていた。 エプソンRD1+SWヘリアー15mm(画角は22mm相当)、この組み合わせが一番しっくりくる。たったの600万画素だがセンサーがAPS(大きい)、細かな設定はできないものの率直なエンジンのために良く写る…極度に発達した35mm判レンズの芯を使うためかも知れない…M9のサブとして考えたが別物のカメラとして機能する、一般の評価とは別にして面白いものだ。

7/30

開発の進みつつある北梅田(国鉄操車場跡)、特に大阪駅ノースゲートビル(伊勢丹の入った伊藤忠ビル)ができる頃からにわかに騒然としてきた。今までは大鉄局跡のヨドバシ以外は地味なものだったが、これから人の往来が多くなるのだろう。 サイバーショットS001

7/29

ここのところフジX100の使用レポートに偏っていたのでフィールド写真を1枚(ルミックスGF-1)、過日彦根城の掘り割りの遊覧船で…ここではNPOが運営していて商売抜きである(この日の船頭さんはNPOの発起人のひとりで、舟行きの間に創立の詳しい話を語ってくれた)…儲けなくてよいからお金が残り(つまり利益を分配しない)船や機材が充実してくる…日本中でNPO運営の遊覧船が増えている。もちろん管理当局も「非営利」「市民のため」なら川や堀などの使用を認めやすいのは言うまでもない。速度を出さなくていいから小さな船外機でいい。

7/18

今年の長命寺のガクアジサイ。今年は暑かったせいか境内全体にアジサイの花が少なかった。しかし毎年やってくると景色は同じようで同じはない…フジX100/ベルビアモード、緑が特にきれいに発色するので好きな設定だ。

7/11

長命寺奥の院…毎度登場の巨石信仰の座である。向こうの山はロープウェイのついている八幡山、更に向こうは近江八幡市街地だ。ソニーNEX−3…このようにして見るとフジX100やルミックスGF-1と大きくは違わない、要するにエンジンと機械造りの良否にかかっていると思われる。

7/9

6月に行った諏訪大社の秋宮…現在修復中だが社殿をすっぽり覆ったカバーに本来の姿が印刷されていた。写真なので周りの木立まで等倍に見えている。諏訪大社の話はそのうち考えがまとまったら記す。 サイバーショットS001

7/8

滋賀・観音正寺にて。西国三十二番札所…繖山の中腹にあり、中世には観音寺城もあった。山の西北は近代まで大中湖とそれに続く湿地で東側に街道はあった。現在も寺からは眼下に街道や新幹線が見えている。 フジX100…初めての撮影でセッティングが出ていないため後日まとめたいが、今日感じた問題点は時としてピントが合わないことがあった、絞りが開いた時のピントに甘さがあることである(私は一切他者の評価を読んでいないので風説のことは知らない)。

7/5

一言主神社境内のすぐ外の茂みに(以前来たときは気づかなかった)亀石がある…飛鳥の亀石と似た形で、どうやら平野部を隔てて睨み合っているように思う(雄略天皇と一言主命がそっくりの容貌だったことを思い出して欲しい)。まわりは照葉樹が植えられ水神とされていて、どうも外向きには隠された存在のようだ。しばし意味を考えたい…飛鳥と葛城の亀石は何のための石像か不明なのである/ソニーNEX−3

7/3

今日は晴れたり曇ったり、はたまた雨が降ったりの梅雨空(蒸し暑い)の下、奈良県の各地を久々に回った。まずは王子の龍田神宮「風鎮祭」へ、去年たまたま訪ねて翌日が風鎮祭と知って、今年忘れずにやってきた。観光祭りではないため淡々と神事は進む…夜に花火などの見物もあるのだが、暑さに参って(集中力を欠いて撮影は続行しない方針)昼で撤収した…祭りの段取りが分かったのでまた今度来よう。 ソニーNEX−3…ファームアップされたトイモードで撮影(o^。^o)

大和高田の奥田の蓮池に立ち寄る…どうしたものか去年・今年と自慢の蓮が枯れる椿事が続いているようで、地区の世話人総出で7/7の「蓮切り神事」に向けて、蓮を植え池の整備をしていた。ここでは雨…ソニーNEX−3+トイモード→上と比べてもトイモード(いや全体にどのモードでも)AWBにバラツキが出る。

最後に葛城山麓の一言主神社に参じた(私には懐かしい場所だ)。これは境内にひっそりと隠されるように座す「土蜘蛛」の塚…歴史の妙を考えたい。 これはPモード。

7/2  夏が来た(@_@)

全然季節が違うがHDからコロッと越前・雄島へ2007.12に行ったときの絵が出てきたので掲載する…冬の日本海は全体が灰色で海と空が溶けあい、浜の家並みもコントラストが下がって一軒一軒が判然としなくなる。 ペンタックスK10D

6/27

天保山渡船。ご存じ大阪渡船のひとつで完全に観光化された航路である。左の海遊館ゾーンと右のUSJゾーンを最短最速で結ぶ(しかも無料)。それぞれは地下鉄やJRの駅にも近く、自転車でも乗船できる気楽さで、常に満船である。写真は大阪港遊覧船サンタマリアから撮影した。大型船の間をすり抜けるように毎日毎日運行されている。元は地元の子供や、桜島や北港の工場労働者を乗せて走った船である。パイロットは「一度も欠航していません」と胸をはっていた。

6/22

木崎湖畔の仁科神社から湖を見た…18年前に来たときはもっと幽玄な雰囲気だったが、いまは少しだけ観光化が進んでいる。ペンションやキャンプ場、貸ボート店…夏には人が増えるようだ。シーズンに向けて森林組合の人が下草を刈り込んでいた。ここの境内の奉納されたマルキブネも18年前と変わらず保存されていた…腐っているのでないかと見るまで心配していたのである。

青木湖のヒメマス孵化場にて。この季節仁科三湖ではどこでもキレイに花が咲いていた。もちろん大部分が栽培植物であり、私の生家あたりでも同じだが野に花を植える習慣があるようだ。 ソニーNEX−3

6/20

高速道路1000円の最後を飾って18−19で信州へ行った。初日は豪雨の中、安曇野の先で富山との県境にも近いフォッサマグナ地溝帯上の仁科三湖へ行った。ここは中綱湖…三湖の中では一番小さく、まさに地殻の裂け目のような湖で、静かで自然は豊かだ…豪雨の中でも釣り人は湿地の中にベースを構築(木ぎれのフレームに板をしいてある)し頑張っている。どうやらトラウト(何かは不明だがヒメマスか?)を狙っているようだ。撮影もなかなかたいへん(o^。^o)  ソニーNEX−3+16mm

6/17

彦根城堀めぐり。これもNPOによる事業。偶然発起人のひとりの人が船頭さんで、聞くとスタッフは地元の普通の人達で「好きでやっている」とのこと、黒字が出て船も新造している。利益を出さなくてよいとなると反対に利益が出る…このパラドックスは私には理解できる。つまり程良い料金と、利益配当がないため利益の留保とを、両方実現できるためである(税制や補助金での配慮もなされる=つまり「文化財としての遊覧は皆のもの」妥当なことである)。これからのモデル事業と言っていいだろう。 ソニーNEX−3

6/15  このところ最近のテーマのひとつ「観光水運」についての絵と解説をしている。いずれ本になるので乞うご期待^^/

新湊・内川。富山港の一角からスタートし、運河に近い内川を漁船をぬって走って(途中で日本版マジソン郡の橋=屋根付の橋をくぐる)途中からカモメの飛び交う外海へ出て、海からまた富山港に入るルートで、乗ったときはとても新鮮だった。飛び込みで乗ろうとしたため船が出ず、あとで携帯電話で「団体が入ったから隙間に入れてあげる」との連絡をもらって乗った。そういう配慮が嬉しい。海へ出る船なのでやや大きくひとりやふたりでは出せず、かといって団体だけにたよると客離れがおこる…ジレンマを個人的な親切で乗り切る携帯電話時代の工夫である。同じ事を下津井の瀬戸大橋遊覧船でも経験した。 ペンタックスK10D

6/14

琵琶湖・沖島連絡船。10年ほど前に就航した航路で、目的は子供達の通学と老人の病院通いだった。沖島は世界でもこことチチカカ湖だけと言われる湖上に定住する島で、独立性が強く最近まで通学用に日に1便しか動いていなかった(これは朝に本土に来て、夕方に帰る市営渡船=当時は民宿もなく事実上渡れない)。都市に近い離島という印象(私には好ましい)で航路が開かれると同時に島に渡った。そこには私には懐かしい昔の漁村の生活があって、それ以来毎年1−2度は訪問している。特にサクラの季節は美しく、塩害のない湖岸全体に花が咲きこぼれる。観光は10年たっても「ほどほど」だが、民宿は三軒になり、漁協の婦人部がお弁当やお土産用の湖魚の佃煮などを販売している(島には店は一軒もない)。連絡船も確か2008年に大型の船に代わり、本土側の堀切の船着き場も堅固なものになった。瀬戸内を中心に離島へしばしば訪れるが、私の「離島」の出発点も終着点も沖島であることは間違いない。 ルミックスGF-1+G55−200mm

6/13

大聖寺川の遊覧船。ここはNPO運営で、都会と異なりずいぶんノンビリとした運営である。まだローカルな観光水運だがサクラの季節は時間待ちが出るぐらい人気がある。船頭さんの人柄もあるのだろうが、その櫓漕ぎの技や田舎の河畔の景色も他とは異なる穏やかな雰囲気を持っている。リピートさせる魅力もまた観光水運に不可欠なのだから。古い地元を走っていたチンチン電車の待合所や近くの北前船資料館、片野の鴨資料館などノンビリ・ユックリが絵に描いてある。 リコーGX100

6/12

三方五湖。海と直接つながっている日向湖をのぞく4つの湖を遊覧する。久々子湖と水月湖の間の水路は極端に狭く、船は一般の遊覧船とは異なり細く低いシルエットである。これもクローズドボディと相まって耐候性は良く、この日の悪天候でも難なく雨の風情を楽しめた。オープンとクローズド、櫓漕ぎとモーター、どちらも長所があり甲乙はつけがたい。ここは乗客が1人でも船を出すし、船が何艘かあるため人が多いと複数出航する。その運営の軽さが人気となって観光バスが入っている。 ペンタックスK10D

6/11

奈良県・津風呂湖。全国を歩くうちに、観光水運とまではいいにくいものの、ボートなど簡易な船やラフティング・カヌーなどスポーツとしての船が、かなりの数の河川や湖に存在していることが見えてきた。今回はそれをひとつだけ紹介しておこう。津風呂湖はダム湖の特徴の安定した水位と穏やかさで私が学生のころ訪れた時はずいぶんの人出だったように思われる。今はひっそりとしているが、レストランなどが併設され、道路や駐車場が完備されているために、やはり季節となると人が集うようである。新しく奈良の溜め池にボート施設ができて大盛況なのを目撃して、このような場所も見なくてはならないと考えている。 ルミックスFX100

6/10

道頓堀川。近年とても盛んになった小型の観光遊覧船が行き交う。東京と違って川は狭いが縦横に運河が走り、このまま整備を進めれば網の目のように拡がるだろう。橋の高さが上げられ、遊歩道が延び、船着き場が固定的なものになり、河川管理者の国や府、市が協力して整備を進めているようだ。下流は海の近くまで、大阪城の堀にも接岸し、上流は京都伏見あたりまで観光水運は延びている。様々な周遊プランが用意され今後も発展するだろう。 ルミックスGF-1

6/9

浜名湖・遊覧船乗り場は何ヶ所かにあるが、ここは中心地の舘山寺フラワーパーク港。雨もあって私の船はたったの2名、それでも浜名湖遊覧に動く…天気が良ければそれなりに綺麗な景色が見られるだろう。近年一度倒産し、経営は別の会社に移った。次の船は写真のように団体が入って賑わいを見せている。舘山寺はお寺もいいが門前町の鰻料理店がいい。特に境内にある店は浜名湖を眺めながら鰻を楽しめる。 ルミックスGF-1

6/8

高橋の横を県営渡船が行く…ここも道路の延長と位置づけられ無料で湾口をまたいでいる。元々橋があって災害で落ちたあと渡船が就航した。現在、大型船が入れるような高さの橋の建設が進んでいて渡船も廃止の方向で検討されている。橋にはエレベーターが付いて人や自転車は上まで上がれることになってはいるが、写真のとおり老人や幼児が歩くのは難しそうである。ごく近くの新湊側に遊覧船があり、有料でも続けるべきだと思うのだが…今は廃止・存続、微妙な判断になっているようだ。 ルミックスGF-1

6/6

遊覧船から見た東尋坊、これだけ見るとどうと言うこともない景色だが、左右にこのような柱状節理の海蝕崖が続き、少し海が荒れると迫力満点だ…この日は観光にはちょうど良い穏やかな気象だった(景色としては少し不満)。ともあれ後背地に温泉が数多くあり、交通の至便も良くて観光地としては良い条件だ…最近は少し衰え気味(^_^;) ソニーNEX−3

6/5

福井県坂井平野にて。ここでも麦の捨て作りはなされていた…ノクトン50mmF1.1をF2で撮影、あまりにピントが繊細で(M9のセッティングもコントラストを下げている)リサイズすると部分が分かりにくいが、とてもキレイな絵をつくる…ノクトン35mmF1.2/ヘリヤー75mmF1.8と同様、安心して一番綺麗に写る開放から1段絞ったあたりの撮影ができる。次は28mmF1.9のテストだ(新しいF2はキチンと写るが軟らかさが足りない)。LeicaM9用の常用レンズを絞っていっているのである。

6/2

可動橋は橋も古く、可動部分は交互通行のため時間帯によっては渋滞となる。しかし、かつての街道筋、バス路線も健在だ。どう考えてもなくすことはできない。信号の下の小さなキャビンで県の職員が橋の上げ下げをしている。数年前には大型の船が激突して部屋が大破したそうな(かろうじて橋の昇降システムは助かった)、船は急に止めたり曲がったりできないから、数十メートル手前で衝突が予測でき、人がキャビンから逃げ出す余裕はある。 ルミックスGF-1

6/1

徳島・松茂町の可動橋が雨に煙る。今回は大雨で船の通過は見られなかった。全国でも珍しい現役の可動橋である。老朽化著しく存続が危ぶまれたが、地元関係者の希望により左側に新しい橋の架橋が昨年から始まっている。いままでは片持ち式の跳ね橋だったが大型船が通れないため、次は中央がせり上がる方式になった。

さて可動橋の上流の高い橋からの絵、橋が高いのは船が通過するためであり、可動橋は高い橋を上がったり下がったりすることが、歩行者や自転車などに不便だからである…大阪市営渡船が8ヶ所残ったのも同じ理由なのだ。橋から見える景色はローカルな工場群が川沿いにずっと続いている…舟運が前提で発達したのである。 ソニーNEX−3

5/31   東京・浅草の大鷲神社にて。酉の市には1日で数十万人が繰り出し、江戸時代から続く盛況ぶりだそうである。

5/30

収容所のセットの中で…まわりは果樹園だ。ドイツ人捕虜達の多くは職業軍人ではなく、職人や音楽家などの義勇兵(チンタオ守備隊)で捕虜となったあと、自由な気風の板東収容所で元の職業を生かした経済活動をした…そしてそれらは地元の人々にも引き継がれ、ここだけではなく日本各地に残っている。これもボトルシップ(レプリカ)の日本おける最初期のものである。

5/29

土日で徳島の鳴門市に行った…関西からは距離的に近いので比較的気軽に行けるため、時々訪ねる。今回は梅雨と台風の接近で大雨が降り、撮影はたいへんだったが雨なりに有意な旅となった。 ここは阿波一之宮・大麻比古神社(本来は天太玉命=木綿/麻の栽培を伝来させた渡来人の祖先神=の山神社というらしい=ここではたぶん河を制する神か?)、旅の最後になった…大雨に大風で帰還に危険が感じられたために2時にここを立ち去った。神木の楠の下から社務所を撮影…ソニーNEX−3

NPO法人の運営で、第一次世界大戦のチンタオのドイツ兵を収容した板東俘虜収容所(鳴門市)での人道的なエピソードを映画化した「バルトの楽園」のセットが実際の収容所のあった場所の近所に移築され、「バルトの庭」として一般に公開されている…昭和40〜50年代にかけて歴史が見直され、市をあげてのドイツ村やドイツ館などの建設の最後にここが造られた…現在も工事は少しずつ進行している。見学料はコーヒー付きで\400、もちろん駐車場もある(道はちょっと狭い)。熱心なNPOのスタッフからたくさんの話を聞いておおいに参考になった。ここの手作りドイツパンは焼きたてでとってもおいしい^^/ 本来は吉野川上流域のダムを巡ろうと思っていたのだが、台風の接近で山間部に入るのは危険と予測し、急遽ここも含む平野部の取材となって結果は◎である。また今度ゆっくり来たいと思う。

四国八十八ヶ所一番札所・霊山寺(レイゼンジ)…今回は一番と二番(極楽寺)を訪問した。 16mmレンズのボケ味は依然として良好。

5/27

1年前の和歌山・名手の山の手「海神社」にて…忌部(斎部)氏の氏神である。その昔、丹生谷を支配した豪族の末裔が名手に移り住んだ。そして八幡系の海神社を祀ったのである。 ルミックスGF-1(+ズイコー14−45ズーム)…下に続いてデジタルカメラ・レンズのボケ味は良好(おそらく収差補正がハード・ソフト両面で飛躍的に進んでいるのだろう)(*^o^*)

5/26

近江二八名刹霊場・彦根の北野寺仁王門で。ソニーNEX−3で写すと手前の網に合焦、MFで仁王にピントを合わせて撮ったものの、むしろ写真としてはこちらが面白い…16mmレンズだがボケ味も雰囲気があっていいだろう。デジタルカメラになってコストやフィルム残量を気にせず、たくさんの可能性を試せるようになったことが大きい。

境内の神変大菩薩堂。公開はしていないが格子のいくつかが開いていて(もちろん信徒が隙間から拝めるように…)かろうじて神像を見ることができる…地方のお堂にはこのような半秘仏・秘神を拝める構造になっているものが多い。さすがに境内のコンクリート造りの聖天堂は、覗けても像頭人身の歓喜天(聖天=ガネーシャ)は絶対秘仏、前立ちの十一面観音のむこうに隠れていた。絵以外で歓喜天の実像は見たことがない。 だいぶソニーNEX−3のセッティングは煮詰まって来たようだ^^/

5/24

JR大阪駅ノースゲートビル。まだテナントは全部入っていないが、大阪駅を挟んで伊勢丹と大丸の激突が静かに始まっている(どちらも地主さんはJR)。ヨドバシへ行くのには「敷居」ができて今までより行きにくくなっている。

都島のマンション・コンプレックス。何棟も建っているマンションを順繰りに梱包し、壁などのリニューアルが進んでいる…築後20年を過ぎて化粧直しだ。 サイバーショットS001

5/23

天六商店街の天五付近にて。ついにサイバーショットS001を買って初めてデジタルカメラ(オリンパスμ8010=これの電池は少しプアー)のバッテリー切れをカバーすることになった^^/ 画質はホドホドだが充分バックアップはできる…今年の11月買い替え時期が来るので、また最新の画質優先携帯にしようと思う。

5/22  東京は異界…何回も訪れるうちに別の世界へ通じる階段があちらこちらにあると確信した…京都と同様。

先日の東京での講義までに時間があったのでお茶の水駅でおりて2時間ばかり撮影(土地勘がないので駅から遠くへは行けない)…湯島聖堂と神田明神に行った。 湯島聖堂は最初どういう存在か分からなかった。屋根に西洋の寺院にあるような異様の動物があったり、便利な場所なのに人も少なく、それほどの手入れもなされていない。中に入ってしばらく歩くと孔子の像があり、道教の廟なのかと納得する…それでも不思議な空間である。また例祭の時に来てみよう。

龍や虎に見える屋根の像…意味は「調べる」のではなく「考えて」みよう(^_-)

神田明神。今年は三社祭は中止らしい。ちゃっかり「幻の祭りのパンフレット」が300円で販売されていた…どうやら売上げの一部が被災地に送られるようである。私も今年の神田祭りのピンバッヂを買って早速フィールド帽子につけてみた。 この神社は将門の杜でもあり首塚の管理もここがしているとのことである。やはり参詣者は多くないが、特にサラリーマン風の人達が目立ち、しかも熱心に拝んでいるのが印象的だった。ここに写っている人はゆうに30分何か私に分からない経文か祝詞を呟きながら拝み続けた。 ソニーNEX−3

5/21

2年半ぶりに天六商店街を歩いた。天満から天六、中崎町まで走破したのは30年ぶりだろうか。ごく近い場所なのだがどうも足が向かない…2008年に来たときは太融寺など近くの寺を訪ねた時に半分通りぬけただけなのである。理由は分かっているが今は書かない、ずっと昔のできごとなのだ。

それよりも商店街に隣接した扇町の関西TVの建物が懐かしい…キッズランドと言ってなんだか子供の遊び場所となっているらしい。太融寺から街を歩くとポンと広い空間の場所に出て、爽快な気分になったことを思い出す。 オリンパスμ8010(1年前に買ってから3回目の出動)パフォーマンスが低いので、すべてMAGICモードで撮影した…決してきれいではなくオリンパスE−P1のトイモードと似ている。

5/20

彦根のフジテックにて。まわりは田圃と畑ばかりである。そこに新幹線の弾丸特急が走っていく…いつも新幹線から一瞬見える塔、これが私の本に出てくる「現代の望湖堂」なのである。最初は煙突かと思っていたが(JR高槻と茨木の間の車窓から見えているフジテックの煙突から単純に連想していただけだ)もっとモニュメンタルなエレベータ+展望塔なのである。ぜひ寄ってみたかった場所だった…多景島からの帰路に彦根港の向こうの丘の上に塔だけが見えていて、ようやく行けたのである。旅は次から次へと展開される風景の連続だと思う。 ソニーNEX−3

なにしろ田畑の真ん中に誘致された工場なので交通の便が悪い(多くの社員は車通勤)…しかし近江鉄道の駅が工場のために造られた(混雑するのは朝と夕方のみ)…30分に1本程度、一両編成や二両編成の電車が行き来する。

5/19

彦根港連絡船乗り場。竹生島から観光船が戻ってきた。雨模様ということもあるのだろうが乗客は10名に満たない…4人組の若者達が賑やかに降りてきた。船旅はそれだけで楽しいのである。

多景島の東端の「南無妙法蓮華教」の大岩、傍らに日蓮上人が東方を指して立っている…今回は24mm画角で両方を入れて撮れた、なにしろ後は崖で引きが全然ないのである。 ソニーNEX−3+HDR

5/18

久しぶりに訪れた多景島。乗船客は前回と同様、私も含めて2名、たった30分の滞在である…1日1便、乗った船で帰らねばならない。4年前に比べると工事中だった寺の石垣が完成して少し歩きやすくなったぐらいだ。

4年前、やっぱり雨が降っていた多景島「日蓮宗見塔寺」。尼僧がひとりで島を守っていた。 ペンタックスK10D

4年前は時間がなくて話す機会もなかったが、今回は上陸後すぐに寺務所に立ち寄って5分ばかり話せた、「あなたは日蓮宗ですか」「いえ違います」「その『尼の手づくり組み紐』を下さい」「はい」「また来ます」…もの静かできれいな人であった。 ソニーNEX−3

5/17

刈り取られる寸前の麦畑…彦根にて。収穫されるのではない、このまま田に鋤き込まれ肥料となるのである。もうすぐ田植えだ。 ソニーNEX−3

5/16

隅田川左岸・佃地先にて。パステルクレヨンと水彩で本格的に絵を描いている老人に話を聞いた。「この遊歩道の整備は美濃部さんの時に始まった。昔は東京の美濃部さん、京都の蜷川さん、大阪の黒田さん、いい時代だったねー」…最近の都政に住民不在を感じているようだった。隅田川は特別の川、このことを何回も考えながら撮影を続けている。 ソニーNEX−3

5/15

土日で隅田川左岸を歩いた。まずは土曜に、浅草吾妻橋〜業平橋〜スカイツリー〜事問橋〜安田邸〜両国…写真は事問橋たもとの牛島神社の杜ごしのスカイツリー、この神社はスカイツリーの氏神(つまり業平橋付近)だそうで、クリスタルの角柱の中にスカイツリーが建っている「比較的センスのいい」携帯ストラップを、ここだけで売っている…もちろん買った(~ ~;;

境内で先輩の巫女が新米の人達に案内・解説の指導をしていた…観光スポットになっていくので増員し、神社グッズの販売所もテントで増設していた。スカイツリー見物は震災で一頓挫しているらしいが、来年の完成を待ちながら準備に余念がない。だが肝心の街の整備はいっこうに進んでいないとも感じた。 ソニーNEX−3

5/13  永平寺の山門で四方を睨む四天王、これは新しく建立されたものだが、もともと仏像や寺院建築の多くは極彩色に彩られていたのである。彩度の高さがとても大切なことを忘れないで欲しい。 ソニーNEX−3…当然に私のカメラは高彩度に設定されている。

多聞天と持国天。増長天と広目天。

5/11

永平寺から丸岡城天守閣に移動した。ここは規模は小さく、観光的な整備もなされていないものの地元の人達の憩いの場になっているようだ。駐車場無料、お城と併設の資料館の入場料¥300、日本で一番古い現存天守閣と考えれば高くないだろう。天守の窓からは坂井平野が一望でき、三国方面に海がきらめいている。 ソニーNEX−3の標準ズームのワイド端で純正フードを付けてストロボを焚くとこれだけ影が出る…フードは外して撮るとよい(確かに暗い場所でフードは不要だ)。

5/10

東尋坊の三段壁の上で「派手気味のカップル」がいたので、このあと近寄って(崖際で(^_^;)…)「写真を撮ったげる」。向こうに見えているのは東尋坊〜雄島巡りの遊覧船(\1,200)。

そして替わりに撮ってもらった\(^ー^)/…撮りっこは楽しい。気持ちのいい海岸だ…海は広いな大きいなー。若者は初めて触るソニーNEX−3で、おもむろに縦位置で撮った…なかなかの手練れと見た。

5/9

永平寺、入堂すると靴を脱いでビニール袋にいれる。そして僧侶の説明「まずは観光気分を捨てて…」から始まり、修行寺としての意義などについて伽藍についての説明がなされる。奈良原一高の写真集「禅」が蘇り、と同時に私の仲間が20歳の頃タンクトップで入ろうとすると、受付で「修行僧の心を乱す」として入山を断られた話を思い出した…現在は服装までは言わないようだ。してはイケナイことが永平寺には多いが、写真については修行僧に直接カメラを向けないこと、そしてこの写真の傘松閣の絵天井(昭和五年に当時の画匠によって描かれた文化財)が痛むのでストロボを焚いてはならない…これは少し非科学的…この二点以外はどこでも自由だとのことで、私はひとり大広間に座り込み「ストロボを焚かずに、直接僧侶にカメラを向けず」撮影した。ISO200…ワイドなら必ず1/8で止めないといけない。正面は開祖、道元禅師。いい季節なのだが観光的な気分は少なく、観光客も有名な割にそれほど多くない。しかし高速道路が伸びていて遠くなく観光化するだろう。静かな気分で半日が過ごせる。 ソニーNEX−3

5/8

週末に福井へ小さな旅…と言っても、永平寺、丸岡城、東尋坊、加賀の柴山潟とあわただしく駆け回った(これは性格と思想/1ヶ所をじっくりではなく、バタバタ走り回って、その替わり何回も通う)。今回は最近買ったコシナ・フォクトレンダーNOKTON50mmF1.1をLeicaM9で使ってみた。予想どおり極めてシャープ、ノクチと違って絞り開放付近のフワフワ感はほとんどないと言っていい。もちろんお勧めレンズである。

ボクシーなレンズである(*^o^*)

5/4

連休の混雑を避けて、5/1−3で越後荒川へ行った(やはり行きも帰りも渋滞に巻き込まれなかった=そもそも田舎から田舎への旅が多いので都市近郊の渋滞には無縁)。今年の冬は奥山に雪が多く、その雪解け水(ユキシロという)が怒濤のように中流の堰堤から流れ下る…22年に渡って通ってきたフィールドだが、今年のユキシロは最大である。おかげでイサザもマスもまったくの不漁(3月の寒マスは良かったようだ)、魚券を出しているサクラマスの釣り人もさっぱりダメで連休というのに人影はまばらである。  LeicaM9+elmarit28mmF2.8/asph…バランスの良いレンズだが周辺光量はやや落ちる(F8)。

越後荒川の河川敷で。20年以上のつき合いの老川漁師と会う…広い川だが「いつも出ている」ため、ぶらりと「彼の場所」に行くと必ず会える。今はマス漁に忙しく、初夏になるとアユが始まる。

4/27

沖島にて…ムラの中を通って北岸に出たすぐ左の家に、ずっと前から眺めては「素晴らしい」と思っていた、変わり花のサクラがある。もちろん品種改良や接ぎ木でこのようになったのである。毎年見ているが今年はひときわ美しい。波の音と風の音しか聞こえず、広いウミと向こうの比良の山塊…こんな所に暮らしたいと訪問するたびに思うのである。 LeicaM9+キヤノン35mmF2.8

4/23

先週琵琶湖に行った最後の訪問地、唐崎の弁天さん。なるべく最後はここに寄って、近くの「鶴喜」でしっぽく蕎麦を食べるのである。比叡の向こうに陽が沈んで、空に飛行機雲、しばらくベンチに座って故事を思う…天気が良ければベンチから琵琶湖中が見わたせる。そういう場所なのである。 LeicaM9+ノクトン35mmF1.4=すばらしく良いレンズだ。

4/18

能登から帰って、今日は先週に続いて琵琶湖・沖島に渡った…先週五分咲きだった島の北岸のサクラがとてもきれいなのである。畑で作業していた85歳の沖島生まれで島から一度も出ずに暮らしてきたおばあちゃんに昔話をたくさん聞いた。また来年も来る(*^o^*) LeicaM9+キヤノン35mmF2.8

4/17

ちょっと富山〜能登を訪ねた…たった二日間の旅だが、あっちこっち寄ってたくさんの人と話して、なかなか充実した旅であった(@_@) これは旅の最後…能登鹿島駅、今回で三回目の訪問の「サクラの駅」、旅の最初からここで旅を終えることに決めていた…4/17 pm6:22  LeicaM9+新ウルトロン28mmF2(もの凄いピントが来る)

4/15

沖島上陸…村の中心のサクラ(私は勝手に「標準木」としている)は少し散り加減、だけど島の北西岸は季節風のせいか三分咲きといったところだ(風は実際に寒い)。沖島名物三輪自転車は健在で、畑作りは春の賑わいである。 ルミックスGF-1

4/13

琵琶湖の水郷地帯・円山へ行った。ここの水郷巡りの遊覧船は経営不振で廃止となったが春はそれでもやってくる。カヌーで「自分で水郷巡り」…今回は二度見かけた。琵琶湖では八幡あたりまで日当たりの良い場所では満開で、これから琵琶湖独自のサクラ前線が4月下旬の湖北・海津まで上がっていく(湖水の比熱の差で開花は1週間以上京都などより遅くなる)…来週・さ来週と訪問する予定だ。 LeicaM9+ノクトン35mmF1.4=おそろしくピントが来て、しかもマイルドな味もある良好なレンズと言える。ここでは分からないがサクラのグレイピンクまで表現できている(LeicaM9のエンジンのせいではないだろう)。

4/9

石切神社参道を歩いた。ここは神社も参詣者が多いが、何と言っても多種の民間信仰(実態は多くが「占い」「霊感」である)で有名で、参道は奈良へ抜ける暗峠越えにつながり、たくさんの店が賑わっている。 

↑の撮影はエプソンRD1+SWH15mm…セッティングはこれからだ。

4/6

今日、亀岡からの帰りに茨木市の安威川ダム建設現場に立ち寄った。工事はまだまだこれからだが多くが「凍結」となっているダム建設のうち、ここは近畿では唯一と言っていい建設が推進されている場所である。右の山の中腹に以前住んでいて土地勘がある…さて水力発電の時代が戻ってきそうだ。もうすぐ建設凍結中の滋賀県・大戸川ダムの現場に行くことにした。 オリンパスE330/久しぶりの一眼レフ800万画素(^_^;)

FIAT500…今月から主力の車になる。とてもカワイイ、イタリアン・オートモビールだ。

4/5

隣家のユキヤナギにも花が咲いた、そしてその向こうの街路樹(モクレン=街路樹としては珍しい)のも急に花が咲いた…我が町は花の町/精華^^/  サイバーショットS001…画面の右に夕陽があり、ついに円弧状のゴーストが出た。

4/4

今日は信楽へ…途中の和束町にある超早咲きのシダレ桜、毎年写真を撮る(早いもので最悪の気分の去年から1年が過ぎた)が、今ほぼ満開である。今年は幹の側で外を向いての撮影である。 サイバーショットS001

3/31

先日琵琶湖に行き、ほんとうに久しぶりにフィルムカメラで撮影した…35mmフィルムではデジタルに比べられない差があると思うが「中判なら…」と思って、ミノルタ・オートコードIIIで挑戦した。もちろん絞りはF11程度にしなければならない。スキャナーで処理しなければならないため、ここでは分からないが、解像力はともかくとして階調性(言葉を選べば「壁のような階調」)は目を見張るものがある。時々は中判カメラで撮ってみよう。

オートコード・エクスポートとIII型(*^o^*)

3/29

丹生川上神社下社の境内にニワトリが飼ってある…もちろん神事に登場するもので、動物園的な意味ではないだろう。「白雉」というようなものは案外こんなニワトリだったのかも知れない。 シグマDP1

3/28

友人達と梅林を歩く…どうした訳かあちこちに今風の案山子(カカシ)が置いてある。春っぽい絵だが実際はとても寒い(^_^;) フルサイズの35mmでF5.6半でカカシにピントを合わせると背景がボケる…ライカ版に慣れていたので好もしく感じている。

上のシーンで友人が撮ったものがこれ(ソニーNEX−3)色味やパースが異なり、LeicaM9のアナログ/デジタルの絵が昔風…フルサイズでありながらAPSやフォーサーズに比べてダイナミックレンジを除いてそれほど優越しているわけじゃない、でもM9でなるべく撮りたい。

3/27

土日で吉野川/紀ノ川を源流域から河口まで下った…毎週の旅も年度末^^/ 下市町広橋の梅林の茶店にて…茶店と言っても訪ねてくる人達に甘酒をふるまっていて、寒い(北風が吹きつけてホントに寒い=梅の写真が少ないのも「寒い」からだと今回気がついた)外から狭い店のストーブの前に座って見た枝垂れ梅が一番キレイだったかも。このあと吉野川源流域へ遡って東吉野村・丹生川上神社上社まで行った。 今回はLeicaM9+summicron35mm/7枚玉である…私のもっとも好んでいる35mmレンズだ(もちろん最も性能が良いわけではない、なにしろ30年以上前の設計なのである)。

さて今日は紀ノ川(吉野川の下流ということでもある)河口域を和歌山の友人達の案内で見て歩いた…河口でなんとワカメを採っていた(^_^;) 確かに春の風物でおいしそうである。「持ってけ」と勧められたが今回は電車での旅なので惜しくも断った。7枚玉はまったく懐かしいLeicaの絵を作る…最新のデジタルカメラに比べると性能は劣るがLeicaM9をなるべく多く使おうと思った。

3/25

敦賀からの帰りに琵琶湖に立ち寄った…雨の夕方、今津あたりの内湖の岸辺で休む。 今日3月25日は特別な日なのである…雨に濡れたフロントウインドゥから見える景色にも特別な意味がある。

ディスプレイに妖気を感じた。 サイバーショットS001

3/24

大阪駅の北ビル工事現場、5月の伊勢丹開店を目指して工事は最終段階に入っている(はず)。東京からの出張者が多く出入りしているのだが、皆に不安感が感じられる。 もちろん大阪で何かの異変があるわけではない…何とはなしの不安。友人が私の事務所で10年以上前から導入しているミネラルウォーターシステム(大阪市の水道水でコーヒーをいれるとおいしくない)への紹介を依頼してきた。業者は各方面からの発注が急増してすぐには対応できないとのことである。私は「いつも何となく楽しい」資質なので違和感を毎日感じている。原発見学に行ったのも深い考えからではなく「どんなモンなのかな?」という関心からであった。 サイバーショットS001/AFカメラもピントが外れた(@_@)

3/22

土日に敦賀に行って来た。主たる目的は沿岸・流入河川の和船調査だが、場所の選定に震災の影響があったことは間違いがない(特に意識はしていないつもり/しかし無意識に震災直後に決めた)。ここは敦賀湾最奥の名所・気比の松原、静かな浜で市民が寄り集っていた。左の半島の先に敦賀原発があり、岬を回った裏側に美浜原発がある。もちろん施設には入れないが、関電の資料館と「原発の村」の写真を多く撮れた。  LeicaM9+キヤノン35mmF1.5(私の最初のLeicaマウントレンズ=「カメラ談義」参照)軟らかい描写で、このレンズも蘇った…実際に使ったのは10年ぶりだ(^_^;) 右の山並みは越前海岸、ずっと北側まで回り込んでいる。

3/16

帰宅の時間、日が長くなって「なんとなくホンワカとした」駅前の景色…今日からバスの時刻表が変わった。3/16は確定申告期限の翌日、一生忘れることのない日付となる。

3/12

「股のぞき」の笠松公園から「かわらけ投げ」に挑戦^^/ 智恵の文殊のレプリカをくぐらせると幸運が来る…向かいの栗田半島(小さく見えている建物は昨晩泊まった良好なホテル)に向かって思い切り投げる! 3枚投げて1枚が見事にぶっ飛んだ\(^ー^)/ついでに私の瑪瑙ブレスレッドも崖下へ…公園管理者が拾いに行ってくれた。無事戻り、これにもカミが付いたと言うものだ(*^o^*)

天橋立と並行して15分ごとに走る連絡船、以前より客も増え、船も高速艇も含めて多くなった…今後暫くは「観光と遊覧船」がテーマとなる。もちろんカメラは「我が友Leica」である…毎回使うたび、LeicaM9の登場に感謝している。

3/10

来年度の甲南大学NC東京「フィールド写真講座」の春編(5月)は「スカイツリーを歩く」がテーマとなった…さて楽しみである。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/asph

3/7

「股のぞき」のある江尻側から阿蘇海を航行する連絡船に乗って橋立に戻る…毎回そうだがカモメが餌を求めて飛んでくる(カモメの餌としてカッパエビセンを\100で売っている)…船はオープンデッキのタイプとクローズドタイプが交互に動いており、少し寒いがぜひオープンタイプに乗って欲しい。 LeicaM9+biogon35mmF2.8

3/6

週末、仕事のついでに天橋立へ寄った(毎年のように行く)。ここへ来たら毎年同じなのだが「やっぱり股のぞき」…少し天に近づいたような(*^o^*)

2/23

天王寺公園の前で待ちあわせ、ふと空を見上げると飛行機雲が…LeicaM9+キヤノン28mmF3.5/とても軟らかく写る。

2/19  今回はLeicaM9+キヤノン28mmF3.5(当時の最速レンズ)…このレンズもM9で蘇った。つまりフィルムLeicaで撮るより、周辺光量の落ちや色味が改善されているのである…ボディのレンズセットはelmarit28mmF2.8/3rd。

久しぶりに西成区山王町〜新世界を歩いた。阿倍野付近の再開発ですっかり上町台地上の阿倍野区側は変わった(「双葉」の新店舗で鰻重並と鰻巻を食べた)が、坂下の西成側は「少しだけ」変わった…ただし人口は少なくなって活気はない。芸人横町の老芸人と話しこんだ(どうやら私を芸能関係者と思ったらしい…確かにそう見えなくもない(^_^;)…)。山王商店街は非常に長い街区を占めてはいるが盛業とはほどとおい。

山王町一丁目、バラックの地蔵堂はかろうじて第十町会で管理されている。すぐ向こうは阿倍野との境界の「崖」になっていて巨大なマンションの壁がそびえている。「猫飼うたらアカンのやけど可哀想でな…大家に内緒で餌やってるのや」「皆出ていくときに猫捨てていく」「アパートが焼けたら大家は再建してくれん…再開発でここも道になるんや。そやから火出さんようにタバコに気をつけてる」隣の二丁目の立ち退きで移ってきた元土木労働者の老人から聞いた。「猫の散歩も犬と同んなじぐらい運動になるわ」ここで生涯をまっとうする決心らしい。「新道」は10m以内に近づいている。

山王商店街と動物園前商店街の接点で(完全に道に迷った)で、道路用地が確保されている傍に細々とした店や人々の生活がある。それにしても猫が多い。

商店街を抜けると新世界(*^o^*) ジャンジャン横町名物の碁会所を覗くと、ここは変わらず大盛況だ(平均年齢は上がっている)。通行人は多く少し観光地のようになっていて各種の店も大阪市内の商店街としては盛業である。

新世界の中心、ずぼらや付近から通天閣のあたりが観光客の多い場所だ(ここでは圧倒的に若者が多い)…しかし新世界全体ではほんの一角だけが賑わっているという印象、それでも通天閣への入場は30分待ちなそうだった。3時間の西成散歩、また1−2年後に訪れることだろう。

2/6

土日で琵琶湖へ久しぶりに(と言っても11月に訪問)行った。守山のリゾートマンション脇のお花畑で…誰が運営しているのか分からないが年中何かの花を咲かせている…徐々に観光客も立ち寄るようになっている。 カラーヘリアー75mmF1.8で初めて撮影、予想どおり開放からキチンと写る。これと28mmを持っていれば98%の写真は撮れる。

2/4

法隆寺へ。学生時代以来の訪問(35年ぶりか?)だった。その時の想い出…門前町の茶店で「ウインナ・コーヒー」(当時はその名前すら珍しかった)を注文したら、大まじめでインスタントコーヒーの横にウインナーソーセージが添えてあった。それから来ることがなかったのも、今回の印象でも、ここは有名な割に「無機質」な雰囲気で、写真家を拒むような気分がするのである。以前と異なり仏教美術や歴史にも詳しくなって、とても素晴らしい仏像や建築を堪能できたのだが、どうしても長い土壁に囲まれた道や「坊さん」のいない景色…滅んでしまった和宗といえばそれまでだが、まるで博物館に居るような居心地の悪さがある…先週訪ねた浅草寺や、その前の海神社の戎とはまったく別の世界だ(信仰が生きていない)。 ソニーNEX−3…最近値崩れ著しい、それも納得できる使い勝手の悪さを感じる…性能がいいだけに惜しいことだ。

2/3

年末の四国旅行に戻る…旅の果ては桂浜、どうしてもここに立つ必然性があった。日本海から中国山地を越えて瀬戸内へ、そして島嶼部を渡って四国、山を越して、ついに「もう行けない」太平洋の浜に立つ…これが私のこれから数年間のコンセプトなのである。おりしも浜で地元局のイベント撮影がなされていた。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/asph

2/2

急に時間が遡る…昨夏、堺に夏祭りを訪ねた時のこと。地車の責任者の診療所で資料を見せてもらった。地方の祭りが観光化しているのとは別に市民が支える構造ができつつある。つまり地元の町内会や神座・氏子だけではなく、よそから越してきた新住民やボランティア(遠くからも来る)なども参加しているということだ…今年も参加したい。 写真は友人がEOS−kiss/Dで撮ったもの。

1/31

月末に3日間東京に行ってきた…寒くて、それでも調子のいい旅となった。 まず午後3時上野に降り立ち、不忍口から上野公園の階段を上る…ここで似顔絵描きのおじさんが開店中、取りまいているのは常連(?)らしい。生活できるほどではないように見えるが楽しい商売だ。私は「絵を描くのが好き」なのである。ず〜っと前に来た時と風景はあまり変わっていない…35年前に入選した作品を持って上京し(ハイウェイバス!)ここの美術館に搬入に来た(美術文化協会展)。 今回の旅はLeicaM9+elmarit28mmF2.8/asphで通した…絞りはF5.6半を中心にしたAEばかり/実際AEが付いたらほとんどAE、AFが付いたらAFばかり、細かな設定だけに手間をかけ、あとは撮るだけ、と言うのが私のスタイルだ。その意味では「遅れたデジタルカメラ」のLeicaM9は反動的ですらある/しかしLeicaで撮ることにしようじゃないか(^_^;)

1/27

昨年末に戻る…旅の最後に立ち寄った土佐・秦神社の杜。楠や那木、椚や竹など南の植物が風にユサユサとなびいていた。南国に限らず全国の神社の多くが照葉樹の杜を持っているところをみると、少なくともある時代に南からのカミが全国を席巻したようすがうかがえる…もちろんそれ以前には北方系のシャーマニズムや、より汎世界的なアニミズムの信仰世界が拡がっていて、その上に南のカミが乗っかり、さらに仏教や道教が被さっていったのだろう。  ルミックスGF-1

1/26

難波地区の西のはずれ、JR難波駅(元の湊町駅)の上に「なんばハッチ」があり、リバープレイス…川の遊覧船乗り場と言うだけではなく、陸と水の接点として作られて、それなりの賑わいを見せている。金曜から行く隅田川の水上バスとは規模からいってもまだまだ小さいものだが、水都・大阪の面目を復活させてほしいものである…現在道頓堀川の改修中で遊覧船も全通はしていない。湊町の名前のとおり、昔は木津川や尻無川を海から遡って船の往来発着の基点だった場所である。先週、ここから汐見橋、落合渡船、大正区へ、かつての造船所や鉄工所の職人の歩いた街への4時間の旅をしてきた。 LeicaM9+キヤノン28mmF2.8…このレンズは特殊なレンズで、1950年代を代表する(もちろん世界区で!)すばらしい性能を発揮する…フィルム時代も良かったがデジタルにも対応していてLeicaM9において時に見られる(これより新しいリコーGR28mmやロッコールG28mmにおいて顕著)周辺のマゼンタカブリや光量の落ちも見られない不思議さがある。

1/20

年末、極寒の大歩危で遊覧船に乗った…まさか動いているとは思わなかったが、どうせ鳴門から高知に抜けるのだから寄ってみたのである(ほとんどの観光遊覧船は冬季不稼働)。 しかし動いていた…乗船客は私も含めて4名、採算性は度外視して船を出している。実際は「その姿勢」が観光産業にとって大事なのである。全国の観光船に乗り歩いて、「○○名以上でないと出せない」「一人で乗るなら二名分払ってくれ」と言うところが現実にまだあるのである。当然にそう言われた観光客は二度と来ないし、知り合いにも行くなと言うだろう。もちろん県や役場の観光課にクレームを入れる人もあるだろう。観光はカスタマーサーヴィスに徹することだと思う。寒い山間部の河川、そして夕方の冷気が押し寄せる…この船にはコタツ(エンジンルームから熱が伝わるように配管してある)があり、足は暖かい。ノンビリとした船頭さんの説明を聞きながらの気分の良い船旅となった。 ルミックスGF-1

1/13

またシーンは戻って、年末の四国縦断、ハイウェイ32号の旅。 吉野川の谷が急峻で片側にスリットの入ったトンネルだ…夕暮れの山や川がパタパタと見え隠れする。運転しながら撮影は絶対しないように(^_^;)  LeicaM9+elmarit28mmF2.8/asph

トンネルに入る…青い外の世界と赤い中の世界がトンネルで交差する。好きな瞬間だ。こういう撮影は固定ピントのLeicaM9がしやすい。

地図を見て想像していたより快適な32号線の山越えだった。夕暮れに南国市に着く…フェニックス並木が少しあざとい街道の終点だった。そしてホリディイン南国へ^^/ LeicaM9

1/12

本社の稲爪神社本殿。派手な門松が据えてあり、更に派手に撮った…デイライトシンクロ、派手なものが好きだ。 ルミックスGF-1

1/11

ここは近所の人達(おそらく「氏子」を越えた集まりだろう)で手作りに運営されている。これは福引きの「コイン手づかみ」の仕掛けを作っているところ。 ルミックスGF-1

1/10

9−10日で明石・姫路・兵庫・垂水の「エベッサン」を四ヶ所巡った。ラッシュとして、まずは昨日の明石・人丸の稲爪神社(戎社が合祀されている)の写真だ…近所の人達の熱意で運営されているのがよく分かる。おみくじ1枚で福引き1回とぜんざいを1杯(ぜんざいだけ食べるのは\100)の初穂料、とても安いし楽しい…それにしても大きな恵比寿様だ(私は170cm)。 ルミックスGF-1

1/9

岬から南を見ると太平洋(^_-) ふだん慣れている日本海や瀬戸内海とはまったく違う…このような景色を見て龍馬はアメリカなどの海外を思ったのだろう。風は非常に強い。 ルミックスGF-1

一方の竜頭岬、ここに龍馬像がある。現在は松林の中にあり、地上からは海は少し見えるだけだが、たぶん像からは竜王岬と同じように太平洋が一点の陰りもなく望めるはずである。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/asph

更に西へ進むと台地上に(意外にも南国市は海岸近くまで起伏に富んでいる=砂丘が発達しているのか?)四国霊場八十八ヶ所代32番札所・禅師峰寺に行ける。長い階段を上ると本堂前から海の眺望が開ける。ハッキリと海の彼方の浄土に対する信仰が読みとれる。ここは船玉観音として近在の漁民の信仰が厚い。浜は都会向けの野菜のビニールハウスがずっと続く…農作物の輸入自由化には反対する他はないだろう。  ルミックスGF-1+ズイコー9-18mm…逆光にはかなり強いレンズだ。

1/8

日時は転々とする…桂浜の西端の竜王岬にて。この岬は海に突きだした岩山で東西ともに長い砂浜が続く。とうぜん聖地となっていて社がある。急な階段を上ると海がひらける、真南からの陽が眩しい。

岬から東を見ると、眼下は桂浜、そちらの竜頭岬の最高点に龍馬像が建っている…桂浜そのものはふたつの岬に挟まれた比較的狭い海岸だと分かる。岬の向こうは浦戸湾が大きく内陸に入り込み高知市・はりまや橋近くまで海である。風が非常に強い。  ルミックスGF-1

1/6

さて年末の旅の続き…ここは鳴門市営岡崎渡船、南の四国本土・岡崎と、こちら大毛島・土佐泊を結んでいる。財政悪化のため平成15年から民間に委託している。もちろん道路の延長線上との考え方から(大阪市営渡船も同じ)無料だ。この小鳴門海峡は船の運航が頻繁なために橋は高く、徒歩や自転車では渡るのに不便との配慮から運行されているのである。対岸の大塚食品への通勤や子供達の通学の足として、人数はそれほど多くないものの大阪市営渡船と比べても乗船人数はひけをとらない(運行本数は1/3ぐらい)。 追記すると画面左方向の岡崎海岸はローカルなリゾート地として以前は海水浴客で賑わったらしい…現在は釣り人が多くいる。ルミックスGF-1

1/3

堺・菅原神社に初詣(毎年近所の氏神と他の1ヶ所詣る習慣ができている)に行った…今日は開口神社とここだ。著名な寺社の大混雑より、近所に支えられているような場所がいい。 

LeicaM9+ズマロン28mmF5.6(俗に言う「赤ズマロン」)…順光では申し分ない性能だが逆光では性能が出せない。少しの木漏れ日でもシャドウに滲みが見える(絞りはF8)。これがもっと強くなるとフレアだけでは済まず画質の低下まで見られる。

ところがこのような半逆光ではハイライトの滲みが柔らかな味を出している…デジタルカメラで撮ると「レンズの味」のことも何となく分かるような気がする…色味もLeicaのAWBによりフィルムより良好。ライカL-M.1「広角系」/1参照

2011/1/2

昨年末に訪れた四国土佐市の秦神社。旅の終わりに立ち寄った四国八十八ヶ所・雪渓寺のとなりに小さな神社を見つけ長宗我部元親の氏神」と札が立っていた。不思議に思って誰もいない夕刻に詣った。ここで瀬戸内の坂越・大避神社の渡来人秦河勝と細い糸でつながったのである。正直なところ徳島へは何度か行ったものの四国全体は地理に疎く、瀬戸内との関係を見られると考えていなかったのでホッとした…同時にこれからの指針が見えてきた。 ルミックスGF-1


2010年のフィールド・ノート

12/31

今年最後のフィールドにて。久しぶりの雪に冷えた南山城の古刹・蟹満寺を新本堂落成後(本年4月)初めて訪れた。大晦日の参詣、それもいいものだ…今日はいくつかの寺社を訪ねたがどこも新年の準備で忙しそうだ(もちろん観光ではなく新年の儀式のためだ)。 ルミックスGF-1

かむろ大師堂から紀ノ川筋を眼下に見下ろす。河岸段丘の最上段から見ると水面は遙か下だ。 ソニーNEX−3…セッティングを変えて良くなった。

12/30

和歌山・学文路(カムロと読む)にて。ここは学業成就祈願の「かむろ大師」で有名だが、紀ノ川から辿ると対岸の紀州街道から船でここへ越しまっすぐ高野山へ登っていたことが分かる。また紀ノ川はここで大きく蛇行し学文路の河岸段丘上(西光寺もかむろ大師堂も)から船や街道が遠くまで見わたせる絶好の条件にめぐまれている…つまり豪族の居するところとなる。と考えながら「カムロ」がどうして「学文路」となったのか考えていた。しかし寒さで寒冷性のアレルギーは悪化した。 ソニーNEX−3

12/28

武市半平太旧宅にて。重要文化財だが現在は人が住んでいて(農家)自由に入ることはできない。「なるほど…」と思って門前に立っていると家人が畑から戻ってきた。あばあちゃんと犬と孫、挨拶すると「こんにちわ」と返事が返ってきた。 裏山に武市家の墓所と資料館が建っている…これで充分だ。 遠くからやってきた甲斐があった。  ルミックスGF-1

12/27

鳴門市シーガル病院(精神の疾患専門病院)と町をつなぐ渡し船に3度目の乗船。陸からの道はなく、この渡船のみが患者・見舞者・医者や看護士・様々の物資の輸送など「町」とつながっているのである。 船頭さんは昨年まで市営渡船に乗っていたが定年で、この海域を知り尽くしているためか、この病院船に再就職したという。明るい瀬戸内の景色、そして鳴門の豊かな海辺、そして日本でも最古参の専門病院…いろいろ考えさせられた。 ルミックスGF-1+ズイコー9-18mm

12/26

この3日間四国を旅した。ここは旅の最後の高知県仁淀川の河口域、圧倒的な水量で太平洋に流れ下る。今まで見てきた瀬戸内や北陸の河川とはまったく違う景色だ。 ここは人口希薄地域なのであるがやはり歩いたり走ったりの人が何人もいる…最近特に感じること、どんな山奥や海辺でも人が走っている。 ここから高速で5時間かかって家に戻る…道路網の発達で時間的な距離は縮まる一方だ。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/asph/絞りを開けても安心して使えるレンズだ/LeicaM9のAWBはフィルム的な風合いを残していて夕方は赤くうつり、曇りの日は青く写る。それもいいだろう。

12/17

年末年始の準備に忙しい寝屋川の成田山に近畿三十六不動の朱印をもらいに行った。子供の頃近所に住んでいて何度か訪れたのだが、じっくり見るとその頃の印象とは違って(子供の頃はいつも大晦日の深夜に行って除夜の鐘を聞くためだった…初詣で特に混雑する)いろいろ探索できた。おもしろい神仏混淆の寺院だ。  ソニーNEX−3

成田山の奥の院にて(本堂すぐ裏の山中)に洞窟があり、種々の仏像や神像が並んでいる…これなんかまったく知らなかった。

12/16

先月行った須磨浦山上公園にて。急峻な山なので、てっぺんのカートは海に向かって走っていくような感じだ…と言ってもジェットコースターではなくて「自分で漕ぐ」のである。今回の撮影では一番気に入っているシーンだ(だから何枚も撮った…夕陽に向かって撃て!)。 ルミックスGF-1

12/14

高砂神社境内(高砂城跡でもある)に大型和船和船(菱垣回船等々)用の帆を改良し「松右衛門帆」として全国に広まった、江戸の当時として世界的に見ても優秀な帆の考案者「工楽松右衛門」の銅像が建っている。ようやく辿りついた気分である。

12/13

大多府島に行った前日、荒天の加古川河口部に立ち寄った…砂州の先端の土砂を採取していて、それは中流部の魚道整備に使われるとのこと、河川局は「よくやっている」との好印象を持った。地図で見るのとは違って、近隣の一級河川の市川や揖保川より流量は圧倒的に多い。対岸の高砂側でも整備は進んでいる。 elmarit28mmF2.8/asphは絞り開放から隅々まで良いピントを結ぶ…さすがに最新Leicaレンズだ。elmarit28mmF2.8/2ndや3rdに比べると硬さが少ない。絞りはF4。

また別の画像を載せよう…これは大多府島港でのスナップ、ピーカンでもなんとか白トビに耐えている。何よりツアイスばりのフラットフィールドな写りで隅々までキチンと写る。絞りはF5.6半、上下2枚ともに画像処理やボディセッティングに変更はない。発色はやや地味めだろう。

12/12

岡山県大多府島に行った…島の地蔵堂。まだ紅葉が残っている…島の中心と方位が島を守ってきたことを深く考えさせられた。 ルミックスGF-1

12/8

姫路城の一角に歩兵十連隊跡地の碑がある。私の芸術家(画家ではない)の祖父は連隊本部で終戦まで経理将校として働いていた(戦地にはごく若い頃、本格的な開戦前に行っただけである)。生きのこったから私がいるということだ。 ルミックスGF-1

12/6

姫路城は平成の大修理中、天守閣には入れない(その代わり改修の宮大工等の作業工程の一部を見学できる)。工事は平成26年まで続くようだ…子供の頃からいつも工事をしている印象がある…そのかわり大阪城のような鉄筋コンクリートのレプリカ城とは違って「本物」だ。しばしば改修が要るらしい。そんなこともあって幼児の頃しばしば遊びに来たお城の堀内にある市営動物園に50年数年ぶりに入ってみた。天気は上々、ここでの動物はノンビリしているように思った(あまり派手な動物は少ない)。 ルミックスGF-1

12/2

大阪城へ登る…気持ちのいい秋の日、遠足の小学生でいっぱいだ。こうやって高いところから見ると東京に比べると高層ビルが少ないと感じる…と言いつつ大阪城公園の紅葉を愛でている。大阪城・赤穂城、次は姫路城、どうにも意識しているわけではないけれど、最近お城見物が続く。 ソニーNEX−3

11/30

ふたたび雨の浜名湖。朝からの大雨で乗船を諦めかけていた遊覧船に午後少し空の明るさを感じて乗ることにした。私の船は60分コース、乗客2名・クルーが2名と貸し切り状態だ…しかし30分コースの船は「ミステリーツアー」の団体で満席に近い。観光水運について個人客では収益は上がらず団体客が鍵を握っていることがよく分かる。この航路も一度倒産し、最近復活したばかりだと聞いた。団体ツアー客の善し悪しは別として事業として成り立たねばならないため「大歓迎」となっているのである。

11/29

先週に続いて今週も撮影旅行。今回は千種川を遡る旅…ついでに私の故郷(ここで生まれて幼年期を送った)によった。2年前の旅をトレイスする意味もあった…子供の頃、いつも前を歩いたお地蔵さんの側で休憩、目の前を智頭急行線の各駅停車が走っていく。たった二両の編成だが速い速い…元は川だった場所を埋め立てて、しかも高架の配慮もしている(お地蔵山さんは川面を見つめていた…このあたりが鮎釣りの穴場で、私のおじいちゃんが糸を垂れていた)。ここは智頭鉄道の喉もとで、この村の賛同なしでは鉄路は結べない場所だったのである。 ルミックスGF-1+ズイコー9-18mm

11/25

浜名湖が海とつながっている場所を今切という。広い砂丘が両側に拡がり民家などはない…洪水警報のなか道なき道を辿って水道へ出たら、荒天にもかかわらず何人かの釣り人がいた。 浜名湖は潟湖であり、大昔は湾が(三方五湖のように)砂嘴や砂州でつながって海と隔離されたものである。しかし近世に大地震でこの場所が陥没しまたしても海とつながった…現在は汽水湖で魚介類にとっては良好な環境である。湖魚料理も食べたし(セイゴとウナギ)琵琶湖とは違った風情の湖を満喫できた…来年以降、今回もお世話になった当地の友人を頼って何度か訪問したい場所である。まだ舘山寺周辺以外はサッパリ分からない。 これはルミックスGF-1+ズイコー9-18mm、水濡れにも非常に強いカメラだと立証された。向こうに見えているのが浜松バイパス、そして彼方に東海道の宿場町が霞んでいた。

11/24

先日天竜川の舟下りを見に行った。こちらは中流域の二俣、前日の大雨にもかかわらず舟は動いていた(乗客が一人でも流すそうである=案外こんな簡単なことができない遊覧船も各地にはあるのだが、ここでは観光振興の一環として熱心に語られるのが嬉しかった)…元々は大正時代から始まり、正式には戦後から経営母体を変えながら続いているとの話である。 LeicaM9+trielmar/50mm…フードを付けていないためフレアが出た。新しいレンズでもLeicaはLeicaということだろう。28/35mmも含めてLeicaM9との整合性は万全である。

11/13

堺のんびりクルーズ

今日は堺市のNPO法人 観濠クルーズsakaiの運営する、堺市内の河川(昔水運に使われた堀に近い川)から海までのクルージングに参加した…詳しくは当法人のサイト↑を見て欲しい。すばらしく快適で楽しい水の旅であった…ここのところ河川観光水運を訪ねることが多いが、NPO型としては最もいい雰囲気を持っていた。12/1から冬の間は休みだが、また春の桜のころ再訪したい。

土日だけのクルーズ(メンバーは皆ボランティアなので休日しか動かせない)だが、ガイドはプロ顔負けの段取りと熱心さで我々を案内してくれた(紙芝居を作って歴史や民俗について絵と話での説明)。今日は考えさせられた航海となった…ここは川から海へ出たところ。 今回はelmarit28mmF2.8/2ndで撮影した。古いレンズでもLeicaM9は仕事を完全にこなしてくれ、リコーGR28mmやGロッコール28mmのようなコンパクトカメラ用レンズの改造ライカマウントレンズを除いて「今のところ」レンズを選ばず追随している。問題は28mmより短いレンズだろう。

11/10

奈良・吉野の如意輪寺(近畿三十六不動・三十番札所)。紅葉はまだ1/3程度だろう。吉野金峯山寺の谷向こうにあり、桜の季節は美しいだろう、しかし交通に不便で観光的にはまだまだである。ここは一旦荒れ寺になっていたが近年徐々に整備が進んでいる(元は真言宗=仏像その他は密教色が濃い=現在は浄土宗である)。宝物だけではなく多宝塔や本堂にも見るべきものがある…現在は未整備で非公開。 今回はコシナ・カラスコパー28mmF3.5+LeicaM9、今まで使ったコンパクトな28mmレンズはリコーGR28mm、Gロッコール28mmは周辺にマゼンタがかかり、残念な結果だったが今回は周辺まで問題はなく、コンパクトでリーズナブルな28mmとして重要な結果をたたき出してくれた…考えてみると前2本は当時のコンパクトカメラ用の沈胴レンズをLeicaマウント鏡胴に改造したもので少しの無理があったのかも知れない(つまり周辺までのピントについてギリギリの光軸だったのか(^_^;)もちろんフィルムでは問題なしだった)。

宝物館。手前の台に仰向けに寝て天井の如意輪観音と対峙する…妙な表現だが「拝む」というより「対話する」と感じるのである。ここは撮影不許可ではない。

最後に今回だけの特別公開、後醍醐天皇座像…若い時代のお姿でりりしい顔立ちである(敬意を表してこれ以上拡大はしない)。撮影不可ではないが堂内に入ることはできない。しかしLeica双眼鏡で眺めると像の美しさに心をうたれる。

11/6

話は前後する…遷都ブームで奈良は賑わっている。とうした訳か歴史&仏像ブームがしばらく前から盛り上がっていて、奈良公園とその周辺のお寺は混雑をきわめている。特に興福寺は南円堂に加えて北円堂も公開され、伽藍の復元も進んでいる。団体客があふれて私は思わずシャッターを切ってしまう。 LeicaM9+ヘキサノンKM28mmF2.8

11/5

奈良・長岳寺。長く荒れた寺(明治の廃仏棄釈による)だったが、近年少しずつ修復がなされている。往時は数百人の僧や使用人が起居していた。門の形式は奈良時代そのままで、平壌宮跡の復元された門の様式もこれを参考にしたと寺務所の人は語る。 elmarit28mmF2.8/3rd…やはり硬め。

11/4

先月終わりに行った富山・富岩運河の中島閘門にて。ここは富山駅裏の富岩環水公園から、神通川河口部の岩瀬まで(約1時間半!)ソーラーボートによる観光教育遊覧船運が運行している。木材を中心とした産業用の運河として昭和9年に開通し、昭和40年頃まで通船したようだが、陸運にとって替わられ、その後は海に近い工場を除いて使われることは少なくなった…そして親水の時代が到来し、昨から本格的に教育(水運や郷土教育)用として運行されることになった。この中島閘門も文化財に指定されているぐらい往時の状態が保全されていて、全国的にも珍しい閘門をくぐる遊覧船となった(大阪や琵琶湖に閘門を通過する観光船がある)。船頭さん「いずれ閘門をくぐる遊覧船の見学に行きたい」…ここの堀巡りに愛着を持っていることがわかる。 elmarit28mmF2.8/4th+LeicaM9…周辺までキチンと写り、像の軟らかさも適度だと思われる。

11/3

頭塔へ登る小径(11/7までは大通りからホテルの敷地を抜けて入れる)降りたところは古い町屋が並び、町の裏山といった風情だ。だから整備されたあとも頭塔から裏庭の洗濯物がはためいている。左側は破石裏の山並みが始まり、柳生まで街道が続いている…私は学生の頃、石仏研究の教授の鞄持ちでここから柳生〜笠置まで歩いたことを思い出した。 フィルム用のレンズのメリットはフィルム用由縁に補正が効いていてワイドであっても周辺までピチンと写ることである。LeicaM9を買ったのも、これらの優秀レンズ群にもうひと働きしてもらうためである。ボディとのインターフェイスの良いデジタルカメラ専用レンズは結果として性能がいいのは分かっているが、使えさえすればフィルム用レンズにも大きなチャンスがあると予感している。 これはリサイズ以外はまったく無補正…ヘキサノンKM28mmF2.8。

さて町屋側から見た頭塔、門の横には地蔵庵があり、頭塔が発掘される前から「神聖なお山」として信心していたことが分かる。今は形式的には市の管理となっているが予算がなく、清掃や管理は地元の町会がしていのが現実である。そのままがいいと思った。

11/2

奈良市高畑町の「頭塔」へ。奈良時代の渡来人僧・玄ムムの頭を埋めた一種の墓という伝説もあるが、実際は767年に東大寺の僧実忠が土塔を築いたと古文書にあり、もう少しモニュメンタルな仏塔という説が有力だ。しかし日本のピラミッド(現在の姿は1980−90年代に奈文研により復元された)という説明にあるとおり、一種独特な渡来系の色の濃厚なものである。ここから奈良市内が一望できる位置を占めている…発掘された石仏のレリーフも詳細に見るとなかなか考えさせられるものである(近隣の福智院や十輪院を覗くと更に絵解きが可能となる)。高畑破石の町内会の仲村表具店が鍵を管理しており、ここに頼むと開けてくれる(\300)。今は遷都1300年でガイドの解説つきである。駐車場はないので市内循環バス破石町で降りるとすぐにある。 今日はLeicaM9にヘキサノンKM28mmF2.8で撮った…このレンズは周辺のマゼンタのカブリも出ずキチンと写る。

10/29  琵琶湖の続き。

ミシガンの船尾、本当に外輪船なのである…たいていが形だけの外輪なのだ。その代わり推進の効率は悪く、とてもゆっくりと進む。90分のクルージングで浜大津からせいぜい雄琴付近までの往復なのである。外輪船の航跡は独特の波形で、どこまでも外輪の作った小山が続いている。向こうは浜大津の大津プリンスホテル。

船を下りて唐崎弁天を訪ねた。琵琶湖大橋の近くに虹が見える…これはミシガンの船上からも形を変えながらずっと見えていた。虹の立ちやすい場所がある…風と水気の通り道で陽の差し込む場所。北風が吹いてとても寒い1日だった。昼ご飯は「鶴喜」で蕎麦を食べる。

小野の里山を歩く。小野道風神社前の整備工事をしていた…ここへは時々来るが、少しずつ整備されている。小野の丘陵地からの眺めはだんだん良くなり、近江の要衝を押さえていた小野一族の見ていた景色が見えるようだ。これと下はルミックスGF-1+ズイコー9-18mm。

小野の平野部に降りる。湖西線が走る先に虹はまだ見えていた。フォーサーズで撮ると空が広くなる。慣れるまでは天地が広すぎると感じたが、今はライカ版の天地が窮屈に感じている。

小野地先の浜にて。釣り人は熱心だ。寒い夕暮れ時まで帰る気配を見せない…30分見ていたが誰も釣れはしなかった。リコーGR28mmでも周辺にややマゼンタのカブリが見える。

10/27

今世紀に入って3回目(全部来た)の秘仏蔵王権現(吉野・金峯山寺蔵王堂)の100日開扉があって、もう終わり(12/9まで)なので行ってきた。それまで何百年も公開していなかったが、このところ3年おきぐらいに公開している。しかし秘仏だけに仏像の彩色は青く綺麗なままである…何度も焼けているので今あるのは開祖・役行者の時代のものではない。護摩木(名前を書いて護摩焚も可)と靴袋付きで千円で拝観できる。

帰りに明治の廃仏毀釈で荒寺となっていた長岳寺に立ち寄った。このところ毎年少しずつ整備が進んで観光拝観ルートに入ってきて、今日も観光バスが1台乗り込んできた。今は「大地獄絵」が特別公開されているので行くとよいだろう…絵解きもされている。 LeicaM9のAWBはこのような混合光線下では結果が良くない(青が強くなる)。露出も評価測光ではなくM7などと同じく中央部重点測光である。AEロックや露出補正はせねばならないだろう。今日のレンズはelmarit28mmF2.8/3rd、だいたい問題ないが1979年のレンズでシャープ感を強く出すためか硬い描写となる。

10/26

琵琶湖・浜大津から遊覧船「ミシガン」に乗る。平日なので乗客は少ない、しかし晴れたり曇ったりの好天で皆楽しそうに船旅を満喫していたようだ。LeicaM9は根本的に青に敏感なように思う。

ショウボート「ミシガン」では昼の部でもショウを楽しめる。もちろんカフェやレストランも船内にあって、たとえ景色に飽きてもお腹がすいても大丈夫だ。今日はオーストラリア人のデュオがスリードッグナイトやビーチボーイズ、ロッド・スチュアートのクラシックなロックを歌ったり、洗濯板やスプーンを使ってジャグバンドスタイルの演奏を観客とともに実演したりした。私の誕生日の「♪パッピーバースディ・ディアnagy…♪」と歌って祝ってもくれた(記念にミシガン・オリジナルタオルハンカチも頂いた)\(^ー^)/ LeicaM9+リコーGR28mm…シャープ感はelmarit28mmF2.8より上だ(ポジションはelmarit21mm球面が○)。

10/25

ちょっと富山へ旅をした。ここはローカルな夏のリゾート地である「雨晴海岸」(アマハラシと読む)。秋になってポツンポツンと釣り人がいるぐらい。海岸端には松林と民宿街が並んでいる。海の向こうは立山連峰。 LeicaM9+elmarit28mmF2.8/4th

10/21

東京の続き。1月29日に撮影に行く浜離宮。旬の街、新橋のハイライズに囲まれた「楽園」のような場所だった。この日は都民の日(10/1)だったため入場無料、意識したわけではないのに幸運な人間だ…幸運の偶然は必然の連鎖につながり、生涯を換算すると幸運指数は大きくなる。言葉を変えれば「幸せの偶然」か? 面積が広大なので人で溢れるような感じではない…土日がどうかは不明。

池を囲む渡り廊下のような橋でのスナップ風景、カワイイ子供には必ずアマチュアカメラマンが付く…こんな時は「肖像権」は問題とならないらしいね。浜離宮はとても清浄な場所と感じた。行くのが待ち遠しい。

10/17

昨日、初めてM9(コシナ・ツアイス35mmF2.8付)でフィールドに出た。距離計でピントを合わせて久しぶりに撮った…妙に懐かしく心がなごむ瞬間だった。心からちょっと高いけどM9を買って良かったと思う。 大阪市営船町渡船にて…これから冬にかけて全部で8ヶ所の渡船を回ってみたい。

10/13

桜井の宮大工棟梁を訪ねた帰りに近所の安倍文殊院に立ち寄った…コスモス寺というのを思い出したのである。そして晴明のことも。 ソニーNEX−3、少しセッティングを変えた=ノルミックスGF-1と比べてノーマルだと硬いのである。

10/12

次回(2011/1/29)の甲南大学NC東京「フィールド写真講座」のフィールド「浜離宮」。毎週あちらこちらに行くので更新が前後する。とても静かな浜にある緑地で、ウォーターフロントにありながら古い江戸の雰囲気が保存されている。半日過ごすのは大丈夫、退屈しないだろう。場所は最近の東京の新しいポイントである「新橋・汐留」界隈になり、私の好きな東京になりそうな場所である。

ヒガンバナが満開に咲いていた。近くのベンチに寝そべって30分あまりノンビリ潮の香りと川風を身体に感じていた。ズイコー9-18mmのボケ味は悪くない…これもデジタルの勝利なのか?

10/10  速報、今期甲南大学CDC「フィールド写真講座」第一回フィールドワーク…あとは後日。

赤穂市坂越の船祭りに参加。前日までの嵐とはうって変わって快晴、盛況の中祭りは進んだ。参加者は画像をCD/DVDに焼いて今月中に送って下さい。不参加の人も自分で撮った映像を送って下さい…合評会は11/20AM10:30〜12:30に同じ教室で(同日1時からフォーラムに参加…これは任意)。その次のフィールドワークは12/5日程を整えましょう。  ルミックスGF-1+ルミックスG45−200mm…画質はまだ分からないが使いやすいレンズだとは言える。

10/7

浅草から隅田川の水上バスに乗る。大阪でも盛んになってきた水上交通、観光客も定着し船も大型化して快適な船旅である。特に隅田川は特別な川で、以前から遊歩道など水辺の開発が進められて、昼休みのサラリーマンが川面に向いてベンチに座っているのが自然な景色となっている。

大橋付近のハイライズ・コンプレックス…最低で単身者用の5千万円、最高で最上階の5億円だそうな。川から見える景色は大阪と東京ではまったく異なる。

水門を通って浜離宮港へ着岸する。右端に東京タワーが縮こまったように建っているのが可哀想な気がした。写真は16:9のルミックスGF-1…写真の上下が「水ばかり、空ばかり」になるので平たく撮った…もちろんあとで上下を切っても○なのだが、最初からワイドな気分で撮ることも大切だ。

10/5

浅草一丁目一番地一号、伝説の「神谷バー」は営業を続けていた。おりしも11時半開店の店の前に二組の老人達が列を作っていた。昔から通い続けて、何かあると「神谷バーで…」なのだろう。バーとは言っても現在は洋食と喫茶が中心で、メニューを見るだけで楽しい・懐かしいような気分になる。ランチメニューは東京の水準としては安い価格設定だろう。シャッターが開くとワイワイと中へ消えていった。今回は時間がなかったが次はぜひ入ってみよう。

「デンキブラン!」なんと売り物メニューも健在である。浅草…次の「フィールド写真講座」はここへ。

浅草寺、頭が良くなる。皆線香の煙を頭へ…どこでもある光景だが人数が違う。平日なのに仲見世でもまっすぐ歩けないほどの人出だった。

10/3

東京に3日間撮影に行った。初日は雨、4時間以上を費やして両国・江戸東京博物館を見た。規模が大きいのと照明の暗さでとても疲れる…どう考えても全体を見るには半日X2の2日間が必要だろう。2日券を発売するべきである。特に今回は特別展「隅田川」を開催していたため(これが素晴らしい内容だ)夕方5時過ぎまでクタクタになって見学した。

翌日は曇り、隅田川へ出てみる。吾妻橋の向こうに東京スカイツリー(すでにこれが東京のシンボルとなっている=旅行ガイドにも「新東京タワー」と書いてある)やアサヒビールのキントウンのような建物があって奇妙な空間だ。そしてかなりの本数の大小の遊覧船が運航されている。「春のうららの隅田川…」隅田川は特別な川なのだろう。両国もそうなのだが近年は隅田川左岸域の再開発が進んでいるようである。あとで水上バスで下流へ下ってみる。

さて浅草寺。平日だったためか修学旅行生と外国人、そして老人会の団体が数を占めていた。私の住む京都や奈良の寺に比べると寺域は狭く重々しさもないが、さすがに人出は多い…これに匹敵するのは京都だと清水寺ぐらいだろう。 また写真レポートは明日以降に続く。 ルミックスGF-1

9/25

今日は朝から大阪の川の船旅に参加した。ここのところ大阪では河川(堀・水路に近い)「大阪八百八橋」巡りの遊覧船が活況を呈している。 今回はなんば湊町から道頓堀川・東横堀川から大川に抜けて大阪城港で降りる特別コースで回った…以前から乗りたいと思っていたが、河川改修のために10/12−来年4/30まで運行を中断すると聞き、重い腰をあげたのである。三年前にチャーター便で西区阿波座〜毛馬閘門の船旅の頃に比べて大きく河川の景観は変わっていた。これは行ける!と思ったのである。 えびす橋脇のご存じ「グリコ」の看板の向こうに新名所「ビックリドンキーの観覧車」、これは明らかに川に向かって建っている。遊歩道も整備され、船が通りやすいように多くの橋も高く架け替えられている。まだ川の水はキレイとは言えないが、あともう少しの改善で快適感は倍加するだろう。

終着の大阪城港へOBPや大阪城が見える。久しぶりにリコーGX100で撮影したが、最近多用するルミックスGF-1やソニーNEX−3に比べると格段に画質が落ちるというものだ(当然だ)。

9/24  手取川へ下り立つ。ルミックスGF-1

手取川に下りる…広大な河川敷には河口から上流域まで随所に新旧様々な河川公園が拓かれ、堤防上には最近植えられた桜並木(つい近年までは堤を守るために植樹は控えられていた)が並び、特別に使っていない河原も綺麗に刈られている。ここは石川県で最も大きな河川で、日本の一級河川で二番目の勾配を持つ強い水勢の川である。北陸の大河川では市民型の利用が進んでいて、その理由を考えたいと思って来たのである。今までは伝統的な河川利用を中心に訪ねていたため、手取川に本格的に入ったのは初めてだ…魅力は十分あると考え、また来年に来ることになるだろう。

伝統的な水制用器具の「ウシワク(牛枠)」「ジャカゴ(蛇篭)」が展示されている。その横で住民がゴルフの練習、このような光景は一部の河川以外では一般的ではない。

北陸電力手取川第三発電所、もっとも下流にあり、それほどの発電量ではないが、白山水系の豊富な水に支えられているのが分かる。

9/23  続き。

意図したわけではないのだが、大聖寺橋立地区の秋祭りと遭遇。近隣三地区から獅子が出る。各家々に角付けし獅子を稚児がこらしめる舞をみせる。

子供でも派手なパフォーマンスで舞い、なかなか迫力があった。参加者も多く(観光ではないので地元の若者や子供が中心)盛んになっているようだ。

北前船資料館にもやってきた。なにがしかの祝儀をはずんで行列は先へ進む。比較的若年者ばかりなのに楽器や踊り、なにより進行がどうにいっている。  ルミックスGF-1

9/21  加賀へ…ルミックスGF-1

福井県と接する加賀市大聖寺、元は城下町で自然の川を堀として使っていた。城跡は公園となり、静かな川の景色は守られている。5年前にNPOにより櫓漕ぎの遊覧船が始められ、完全に定着しているようだ。特に春は河岸のサクラの花見船となって1日中満船となるらしい。乗りやすい値段も、親切丁寧さも一級と言えよう。

屋形船であるため日差しや風雨にも快適で、かつオープンエアでもあるため四季の川風が心地よい。船頭さんの歴史や地理の説明、そして船頭歌…距離は短いがユックリとした櫓漕ぎで35分、充分に満足できるものである。

乗客が櫓漕ぎ体験。手漕ぎ船には免許はいらないため、このようにことも可能である…案外うまく進む。特に定期便ではないため、陸の待合所に頼めば随時船は出る。

9/17

先日の広島・似島の峠越え。港に着いたら港は15分で撮影終了、次の船まで2時間近くあるため、島の反対側の港まで峠越えをした。誰ともすれ違わない。炎天下の瀬戸内、熱中症寸前の徒歩1時間半であった。 ルミックスGF-1

近所のスーパー。空に不思議な雲が出ていた。毎日日没が早くなる…そして突然に秋となる。  サイバーショットS001

9/12

昨日は堺の八朔祭りに行った。友人の紹介で「大甲濱」のふとん太鼓の組とともに歩いた。ここでは戦前に途絶えた組(大甲濱太鼓保存会)を70年ぶりに地元有志により復活したということである。そして12年、地元の人達を中心に他の地域からの参加者も多く、現在の会員は120名を越えている。伝統的な祭を市民参加型の祭とし、古くから続いている組とも提携して全体を盛んにしていることと聞いた。会員の皆さんにたくさんの貴重な話をうかがい、私の今後の方向性にもヒントを得た一日であった。今年は時間の都合で昼の祭のみだったが、来年は夜まで残って祭のクライマックスに立ち会いたい。 ソニーNEX−3

復活当初は近隣にとけ込むのに苦労したようだが、2−3年の後には地区全体に周知され歓迎されているようである。同時期に「堺まつりふとん太鼓連合保存会」に正式に参加を承認され、以来堺まつりのふとん太鼓パレードに他の9組と共に参加を続けている。 暑くていい日だった。

9/10

今日は琵琶湖へ。本の出版後も、巻末での約束どおり毎月1回は行っている。唐崎弁天の鳥居は完全に修復となった。7月には土台の工事が進行中だった。ここでは涼しい風に吹かれて日没のあとまでベンチに腰掛けて湖面を眺めていた。 ルミックスGF-1

さて唐崎の松の前の御神燈に火が入ったので、なごり惜しいが帰ることにした。

9/9

折り鶴。原爆で死んだ子供たちを供養したもので、今なお全国からたくさん寄せられている。

夕方、原爆ドーム、公園、記念館を丹念に見ていると、それだけで5時間かかった。だからホテルへ夕暮れのなか向かう…広島の旅の基点は平和公園から。翌日に島へ渡る。

9/7

空は青い、今年の夏はドライでウルトラバイオレット。観光客に欧米人がめだつのは前と同じ…8月にホテルの予約をとるのは至難の業…しかし全体に3年経ったら3年分変化したような気がする(新しい原爆の記録映画を見たのにもかかわず)。要するに被爆の事実が観光化しているむきがあると感じる=それでも世界に向けて反核の啓蒙を続けなければならないのだろうが、記念館横に観光バスがずらりと並ぶ光景に違和感をおぼえる。

とても静か、ここら辺にあった街の復元(CGと関係者の証言による)がテーマだった…とてもいい映画だった。だけど1時間の上映中(ほぼ満席)観覧者のひとりが連れていた赤ちゃんが泣き続けていて、主催者が何も手を打たなかったのが不思議だった。素晴らしい映画が終わって唖然とした…関係者のひとりが連れてきた赤ちゃんだったのである。今回は土日の限定上映で遠くから観に来ている人も多くいた(私も偶然に来たが、数日前にニュースで知り寄ったのである)のだが、終わったら「この子が泣きやまなくて…」/「いいよ、いいよ…」、NPOの活動は今や重要な社会的意義を持っていると思うが、克服されなければならない問題も多いだろう。ともあれ映画の企画制作の努力には賛辞を送りたい。

とりあえず言うべきことはない。犠牲者の冥福を祈らねばならないと思う。 ルミックスGF-1

9/6

広島に3年ぶりに行ってきた。超ハードな広島行脚となってクタクタである。また明日以降に雑感を書こう…3年の間に変わった広島と私。 サイバーショットS001

9/4

おおい町のホテルの窓から。このあたりでは最も高級なホテルで、まわりは埋め立てられた海浜公園になっていて、まだ施設はみっつだけだが今後は拡大していくらしい。敷地内に遊覧船の船着き場がある。向こうは大島半島で彼方に原発施設がある。  ルミックスGF-1

9/3

三方湖畔の舟屋にてジョロウグモを撮る…オリンパスE330。

紀の川市名手にて。草刈りと墓参りに行った…夏の撮影は麦わら帽に限る=日よけは目とカメラのハレ切りになるのだ。 ルミックスGF-1。

8/29

前回の続き。 船漕ぎ競漕だけではなく、小学生が海や船などをとおして郷土文化の学習が実践されている。まだ漕げない生徒(大部分の地元の小学生が参加)を伝統的な船「マルキブネ」に乗せて港の中を回る体験から始まる。

もちろん6年生の乗る船に便乗させてもらった。「マルキブネ」は若狭湾にだけ分布している(していたと言うべきだが)独特のオモキ造りの複材刳り船だ。もう使われなくなって久しいが、ここ大島地区では近在から船を譲ってもらって保存、そして地域教育・地域振興に活躍している。長年この船や地域を研究してきた私にとって「ようやく会えた友人」のような大成果であった。  ルミックスGF-1

8/28

若狭の海辺で。ポピーの花畑の向こうに不思議な木造船が据えてあった…どう見ても遊覧船である。上屋は新しくて漁船からの転用船だろう…船の寿命は長い、この船の色々な活躍が想像できる。 リコーGX100

8/26

きのうは若狭・おおい町大島にての舟の祭に参加した。小学生を中心に木造船(マルキブネ・テンマセン)の体験学習と船漕ぎ競漕、地区の人達の手作りの伝統を継承しようとするお祭りで、もう11年目だそうである。来年も来たいと思う。

これがテンマセン(伝馬船)の櫓漕ぎである。この地方独特の直線的な櫓(鵜の首櫓)が珍しい。漕ぎ方も普通の櫓とは異なる。  オリンパスE330

8/21

天河神社境内の小さな池の真ん中から水が湧出している。他には見えないので、これが弁天池なのだろうとふと思った。この水は人工的に噴出されているのだろうが、光の輪はその形を無限に変え、池をぐるりと一周すると表情を変えていく、しかしどこから見ても世界の中心は湧水であり、日や風によって見え方が違うのみなのである。不思議な魅力を持った装置である。正方形のフォーマットは◎、4/3や3/2、パノラマと共に使い続けたい…デジタルカメラは便利で使い分けが1台で済む。 リコーGX100

神社の鳥居前から向かいの寺に行事は移る。ここからお盆の灯籠流しへと変化していくのだ。全然研究をしていないので理由は何も分からない。観光客1割、信心している人5割、地元の人達4割ぐらいとみた。それにしてももう午後5時だというのに暑い・眩しい。湿度が低いのでチリチリした光線だ…先日の千葉・館山で麦わら帽を借りたのをヒントにして農作業用のつば広の麦わら帽を買って今回初めて使った。レンズの大型フードと同じ(いやそれ以上)で効果は絶大だ。今まで「フツーの帽子」「日傘」で撮影していたのである。ただし電車でこれを膝の上に置いて座っていると妙な目で見られる。ましてや紐があるので不要な場面で帽子を背中に落としていると(この機能も便利)虫取り網でも持てば「日本少年」(これは私の子供の頃の夏休みの姿=確かに現在半ズボンにサスペンダー、木綿の紙のようなシャツとサンダル履き、昔と同じスタイルで普段の生活している)になってしまう。やや白い目で見られる昨今である。それでも気にせず「進めフロント!」だ(こう書くのは少し気にしているからだが、気にしている自分や回りの目に反抗する気分も楽しんでいる→だから少しずつ過激になっていく→更に娑婆との乖離が進んでいく)。話はずれたが続きは後日。

8/17

着くと例によって地元の中学の校庭に駐車する。神社の駐車場が小さい上に山間部とて広い空き地もないのである。回りは山に囲まれた「学校」であった。在原業平の墓から見た。

天河神社の広場ではバンジージャンプとトランポリンを組み合わせたような遊具が設置されて、神事(この日は延々と10時間ぐらい続く)に退屈した子供達が遊んでいる。たぶん去年からある。近所に店はなく、特設の給水場(お茶30円その他)があるだけだ。

8/16

今日は奈良・天川村の天河神社、七夕祭りに行った(旧暦)…結局毎年来ている。伝統的な祭なのだが毎年少しずつ趣向が違っている。もちろん神事と仏事は決まっている。ここでは神事である七夕祭りとお盆の灯籠流し(これは仏事)が一緒になっていることと、僧侶が神事に参加し、神官が般若心経を唱えるなど仏事にも介入する…山奥のムラには廃仏毀釈や神仏分離が徹底されなかったのだろう。少し古い時代の祭の雰囲気が感じられた。 リコーGX100

門前の山肌に近く在原業平の墓のそばに百合が咲いていた。その向こうは深山が続く。つづきは明日。

8/8

湖北・大浦の資料館に2年ぶりに行った。20数年前に初めて露天で見てからずっと見続けている丸子船。琵琶湖中で稼働していた丸子船が展示されているのはここだけだ。特に重要なのは帆(「松衛門帆」といって特殊な織り方である)で、かつて江戸時代に隆盛をきわめた回船などにも使われたものだが、今は完形で残っているのはここしか知らない。しかし展示を始めて15年、もともと古い帆布なので経年変化が進んでいるように思われる…文化財としては完全保存して「たまに展示」が望ましいだろうが、これを残してくれた大浦の人達のためには今の常設展示がいいだろうし、とても複雑な心境である。 ソニーNEX−3

8/4

琵琶湖・高島市の水鳥ステーション。今日は暑かったので、あまり歩きはできなかった。湖周道路のPA脇にカフェテラス兼研究施設があり、どうやらカフェは閉鎖されているようだった。水辺に出てみると湿地の環境が完璧に保全されている(もちろん人工的な景観だ)。写真を撮っていたら、閉鎖されたカフェの窓から研究員と思われる人が「鳥の営巣のさまたげになりますから近づかないで下さい」と声をかけてきた。なるほど…予算削減で縮小したものの研究は続けているのだと合点し、ここから去った。しかし昔の景色がこんなに美しかったのかとナショナルグラフィックのページをめくるような気分で写真が数葉撮れた。今度は季節を変えて許可をとって行きたい場所となった。「琵琶湖周航」の本が出たのに、またまた琵琶湖物語に付け加えたいエピソードが続いていく。  ソニーNEX−3

8/3

過日、夏の神戸で測量をしていた。暑い日が続いているが、今日の帰り道はすでに秋の風が吹いていた…田舎に住んでいるため日が陰ると涼しくなる。 ペンタックスK10D

7/25

古式水泳部OB会「油屋会」の進水式前日の会合、高校のOB会なので20歳〜60代後半まで各大学や社会人の人々が会して進水の日に漕ぎつけたことを皆で祝った。一番左の手が私。

さて翌日の朝、艇庫から二艘の新造船を浜に出す。この時もOB達の熟年から若手まで、慣れた手順と規律で手際よく作業は進んだ。合宿所の10m前が砂浜である。しかし暑くて眩しい…私は主として日本海側で活動してきたので、房総の海や空の明るさに慣れていない。

浜に「あまぎ」「たかしまる」の二艘が並べられ、神事の準備も整った。

神事は外海を望みながら本格的に進む。学校側の来賓と水泳部のOBが神妙に、そして感慨深げに席につく…計画から足かけ3年、心に去来するものが皆にあるのである。

そして船降ろし、天気は良好、穏やかな海況で進水式に水神風神雷神も味方したのだろう。日本海型の船が初めて太平洋に浮いた。

そして沖合に向けて力漕、船形が地元と異なり、櫓の形も違うため難しそうだ。しかし数日の内には慣れて、二丁櫓・一丁の櫂で海を快走するはずである。来年はこれに乗って房総館山の海に出てみたい。人々や船との再会も楽しみである。  リコーGX100

7/24

7/23、この春に氷見で造船していた伝馬船の進水式に参加した。場所は千葉県館山市の開成学園水泳部の合宿所である。古式泳法の伝統を持つ同行水泳部の訓練用に作られた「あまぎ」、昨年来、千葉・若狭・富山を行き来し、この日を迎えられたことを心から嬉しく思った。また彼らの生活を少しだけ見て、来年以降も来てみたいと思った…思ったら必ずそうなるだろう。 リコーGX100

7/17

安土町の稲田、風にそよぐ葉の動きがきれいだ…これはなかなか写真では捉えられない。穂の出た麦ならもっとキレイ、稲穂は頭を垂れるが、麦の穂はのぎが長く風によく揺れる。「ライ麦畑でつかまえて」は目に浮かぶシーンだろう。琵琶湖地方では麦が収穫しないのに景観と肥のために捨て作りされている場所が目立つ。おそらく県が奨励しているのだろう。  オリンパスμ8010

7/16

また今年も長命寺のアジサイを見に行った。特に「紫陽花寺」と銘打っているわけではないし、今のところそれほど大袈裟な植裁となってもいない。だけど以前に偶然梅雨の季節に来て、「いいな」と思ったら毎年だ。6月に来たときは少し早すぎて今回はちょうど良い開花と感じる。また来年も来る…その時々で精神状態が異なり「その場に立つ!」という決心以外は全然違うアジサイである。今年は空気の透明度が高く、向こうに琵琶湖が見えている。  ソニーNEX−3…カメラが毎回違うのは浮気性だからだ。

2009年、少し季節が早すぎて無理矢理咲いている場所を選んで撮った(しかし2010年とほとんど同じ場所)。下は長命寺の庫裏。  オリンパスE330

2008年、この日は梅雨の晴れ間で蒸し暑かった。2009年の撮影の少し右側から撮った。色々な品種が植わっているが、私はガクアジサイがいちばん好きだ。  ルミックス-L1

2007年、霧の長命寺。2008年とほぼ同じ場所から撮った。ウエットで生暖かく、とてもイイ感じだ(嫌いだと思っていた梅雨の季節が、いつの間にか好きになって、蒸し暑さも全然平気)。この5年の間では一番気分と景観(つまり内と外の世界のインターフェイス)のバランスが良かったような気がする。   ペンタックスK10D

2006年、この年は時間がなく長命寺には上がらず参道の下から撮影した。ここからほとんど真っ直ぐ800段の石段道が本堂まで続いている。ぜひ来年も歩こう!  オリンパスE300

7/15

三条大橋東詰、京阪三条の地上駅がなくなって(だいぶ前)空間が広くなった。同時に駅周辺の小さな店がほとんど姿を消した。

三条東山、京都の町は大通りから覗いただけで路地が奥深くまでつながっているのが見える…抜けられる場合も袋小路の場合もある。  ソニーNEX−3

7/13

西の湖、最後の内湖である。他はごく小さな池や埋め立てられて痕跡のように残っているのみだ。左は山の側まですべて干拓田、山地は八幡山〜長命寺〜伊崎観音の山塊、内湖にはまだ水郷地帯を彷彿とさせる葭原が残っている。湖岸近くまでは遊歩道もあって行きやすいが、足が沈むため汀には近づけない。 

唐崎弁天のベンチに座る。運良く湖北までスッキリと遠望できた。この季節では珍しいことだ。足下には古い時代の石垣が崩れた跡が残っていた(広重の描いた「唐崎夜雨」の石垣だろうか)。現在は倍ぐらい高い石垣に囲まれている。 ソニーNEX−3

7/12

今日は琵琶湖、長命寺と西の湖と唐崎弁天へいった。台風で倒れた唐崎弁天の鳥居は思ったより早く再建されていた。この下の基礎の部分は未完である。湿めっぽくてとても涼しい風が北から吹いてきて気持ちが良く、長い間湖岸の「七瀬祓所跡」(意味は検索して下さい)横のベンチに座っていたように思う。 ソニーNEX−3

西の湖の安土側にて。最後に残った大きな内湖である。対岸の八幡側と比べて寂しい景色である…八幡と安土の合併にネガティブな要素の一旦を見た。。小規模なエリや漁船の船溜まりなどがあり、まだまだ漁業をおこなっているようだ。琵琶湖では雨上がりの曇った低気温の日は空気の透明感が良いことが分かる。 オリンパスμ8010

7/11

京都・三条東山交差点のマクドナルドで100円ソフトクリームを食べ(暑い中歩いたので低血糖・半脱水状態)、100円カロリーフリーコークを飲んだ。エアコンで身体を冷やして200円…ずいぶん安い。窓の外を見る/私にとって十字のスリットから見える世界は重要なのである。 ソニーNEX−3

7/10

京都、三条通木屋町。流れている川は高瀬川だ。「佐久間象山先生」「大村益次郎郷」遭難之碑、現地に立つととても小さな局面で幕末の争乱があったことが分かる。勤王佐幕の志士が走り回っていたのが目に浮かぶ…走り回れる範囲だから局面が小さかったとも言えよう。

上と数十メートル離れた場所に「池田屋騒動之跡」の碑があり、その土地にはちゃっかりと「池田屋」という飲み屋が建っている…もちろん当時の池田屋とは別、しかし池田屋騒動の説明板まで作っている(さすがに龍馬ブーム)。 サイバーショットS001

7/9

京都三条大橋東詰めのスターバックスにて7時。下は鴨川の河川敷、若いカップルがずらりと並んで腰をおろす名所だ。この店はすばらしい立地で、オープンカフェに座る値打ちがある。トールホットコーヒー340円、賀茂の川風が涼しい。 ソニーNEX−3

7/6

久しぶりに京都の町を歩いた。暑い暑いと思ったが、1時間ばかり歩いてもたいして暑くはなかった。体質が少し変わったようで汗が出て、気化熱を奪われてなんとなく涼しくなるのである。三年越しの近畿三十六不動の朱印をもらい続ける旅、あと満願まで三ヶ寺である。京都市内は「いつでも行ける」と思って遅くなった。七条八坂の智積院。

次は知恩院裏の青蓮院、ここでは青不動と庭園を見ながら1時間以上も休んだ…裏山は粟田の山々、気温はどうだか分からないが涼やかな気分だった。車で出かけることの多いこの頃、龍田もそうだが歩いて暑いのもいいと思った。 ソニーNEX−3…設定は少しづつ煮詰まってきている。

7/2    風のカミを祀る奈良県三郷町の龍田本宮を訪ねた。色々なことのつながりが、またひとつ合点のいく結論を生む…7/4は風鎮祭、7/5は山神祭、全然調べずにいったが、今がどうしても訪れなくてはならない季節なのである…私は「呼び声」だけに耳を傾けている。    ソニーNEX−3

法起寺にて。国宝三重塔と十一面観音像、傍らには愛染明王・不動明王が見えていた。法隆寺・中宮寺の近くにありながらまったく観光地とはほど遠い雰囲気である。境内には聖天堂があり秘仏歓喜天が大日如来等を従えて鎮座している。とても不思議な世界だ。

6/27

早春に訪ねた延暦寺のことを思い出した。かなり寒かったけど清浄で敬虔な一日だった。 

6/22

越の潟を行く県営渡船。オリンパスμ8010で撮影…ソニーNEX−3とあまり変わらない色味である。「遅いカメラ」だがキチンと撮ればキチンと写る(忍耐が要る=昔のカメラは全部そうだった)。

6/21

新湊漁港。この絵では分からないがピントは隅々まで来ている…周辺光量の落ちは少しあるものの歪曲は感じられない。薄曇りの環境下ではかなり地味な色合いだと思う。 ソニーNEX−3

6/20

今週も富山へ。 少し時間があったので2年半ぶりに越の潟(富山新港)の県営渡船に乗った。橋が完成すると廃船ということだが、地元の人たちは残すことを望んでいる。船でわずか5−6分(無料)なのに橋は高く上までエレベーターで上って歩く(!)というのはこどもや老人には難しいことなのである。それに冬は凍結の可能性もあり、大阪市営渡船のように高い橋(同じように船が通るため高くしないといけない)は車、渡船は人と自転車という方法が望まれる。 ソニーNEX−3…シャッターショックはルミックスGF-1やオリンパスE−P1より少ない(音は独特のやや湿った音)。合焦も早い。読込はやや劣後…だがご覧のとおりこの条件でAWBで青くかぶった…細かなセッティング機能がルミックスGF-1やオリンパスE−P1より少ないので(ここでは「ビビッド設定」=標準設定なら少し緩和されるだろう=もう一度説明書を読もう)画像処理が必要となる。早期のファームアップが望まれる。あとは特段の問題はない。オモチャのようなストロボもちゃんと画角をカバーする。

6/14

船大工宅のクマそっくりの黒犬、かなり強面の番犬なのだが、赤ちゃんの時から知っているので良くなついている(そもそも私は犬が怖くない=よく見ると優しい茶色の目をしている)。このような局面ではルミックスGF-1の評価測光は少しオーバー気味になる。

6/13

またまた木の香りのする氷見の造船所へ。和船建造は完成に近づいた。 ルミックスGF-1…今回の建造記録はほとんどルミックスGF-1+ズイコー17mmF2.8で撮影した(必要充分である)。

6/7

今日は琵琶湖散歩、4月から行っていない琵琶湖の各地をダイジェストで回った。ここは八幡の日牟礼神社、本殿の前に金の鳩が一対並んでいた。本殿の裏側にはやはり磐座があり、近辺に色濃く見られる石信仰の意味を考えなくてはいけない。 

長命寺奥の院の太郎坊天狗社下の巨石、いくつもの巨石が意味ありげに配置されている…自然の岩山を選んだように見えるが、よく観察すると意図的に配置されていることが分かる。祠裏に本当の磐座がある。  

 小野篁神社脇の小高い丘から旧往還と琵琶湖を眺めたの図、古来の景色を思い出させる。以前は見えにくかったが地主が灌木や雑草を刈り払ったようだ。遠くの対岸に三上山が霞んでいる。 ルミックスGF-1+ズイコー17mmF2.8

6/6

 昨日の帰りの駅のホームから飛行機雲が見えた。ぜんぜん雲がなく湿度も低かったため、紫外線が悪影響をあたえる(年々夏場のフィールドが辛くなる)一日だった…特に眩しいのがいけない(もちろん白内障などの病気はない)、いつか目がやられそうな予感がしている。 サイバーショットS001

6/3

6月になって初めての更新、暇は多少出てきたが「暑くなってきた」ので仕事(デスクワーク+フィールド)の能率が下がっているのである。今日は大学に出講。 サイバーショットS001…これは無補正=不思議なAWBの設定で、こんなシーンだとリアルではないが悪くない。

5/31

日曜、丹後・宮津市栗田の住吉神社の前浜にて。ここでは特に観光地ではないが護岸もなく白い砂浜が続いている…まだ地引き網が続いているのである。 ↓のように40年ぶりに半ズボンで歩いたら、案の定膝が紫外線で真っ赤になった。当分は肌を出せない。 久しぶりに巡った丹後地方(舞鶴/宮津/伊根)は静かである。 オリンパスE−P1+ズイコー9-18mm

5/27

海神社境内。3−4段はある河岸段丘の最上段に建っている。鳥居の向こうは参道の階段で、降りたところに庄屋の屋敷があり、そこから下にムラが広がっている。木々がなければ紀ノ川が段丘の底に見えている。そしてその向こうに圧倒的な紀伊山地が連なる…全国の河川を回ったが、ここは特別に立体的な世界がある。詳しくは後日、何度も行ってからだ。 サイバーショットS001

5/26

墓参に紀北へ行った。墓石は新調され、墓域は掃き清められていた…おそらく昨日が月命日だったためだろう。花も飾られていた…霊標に旧友の名が記されていたことは言うまでもない。紀ノ川の河岸段丘上の見晴らしのよい場所にあり、生まれたときから死ぬまで眺めた景色の見える場所に眠るのが一番いいのかも知れないと思った。昨日までは自分が死んだら墓の団地のような場所、と思っていたが初めて「故郷の丘」という概念を持った。

墓地をあとに近所の根来寺に詣ってお線香をあげ、門前の食堂で前に来たときと同じうどん定食を食べた。久しぶりにお腹がすいた。

道すがら以前から気になっていた「海神社」に立ち寄った。忌部氏の氏神で式内社であった。忌部と言うと「織物・葬・海」どういうことなのだろう。以前徳島の眉山で詣った忌宮神社と同じく不思議なつながりを感じる。ここも村人によってきちんと管理され、ゴミひとつ落ちていない。

最後に丹生神社に行った。紀伊山地は丹生(水銀)の本場で丹生神社の総本社も近くにあり、故人の先祖の消長を考えさせられる。ここにも厳島神社が勧進され、山と海のつながりは深くて複雑だ。そう言えば紀ノ川の中之島(西加世田周辺)にも厳島神社があり、川と山の信仰が習合していたように思われる。月に一度かふた月に一度は訪れたい。  ルミックスGF-1+ズイコー17mmF1.7...今回もリサイズのみ。

5/25

今日は2度目の月命日、空は晴れたり曇ったり…駅前は夕方というのに閑散としている。左の新しい建物はジャスコが進出を断念し、あとへコープが入った駅前再開発の目玉だった。まったく最初から今まで冴えなくて、中のテナントは次々に撤退している。 サイバーショットS001

5/24

阪急百貨店の改築が少し進んで、地下街からの通路が開いた…地下街から階段が少しずつ減ってスロープに変わっていく。また一個カバンを買った。 サイバーショットS001

5/22

南郷洗堰上の橋、琵琶湖瀬田川には唐橋とここしか市街地に橋は架かっていない。とても重要な橋で琵琶湖に行くときはいつもここを渡る。このところ撮影旅行が続いていてなかなか大変だ。 ルミックスGF-1

5/19

2年前の今日、徳島港で数少なくなった本州〜四国を結ぶフェリー「南海フェリー」の出航を見た。これが現在大赤字で、もし他の航路のように廃止となると、和歌山〜徳島まで高速道路で大阪・神戸を大きく迂回しての道路輸送となる。今年これに乗って四国へ行く予定をしていたが断念した。 ペンタックスK10D

3年前の今日はサウスゲートタワーから岬町方向を遠望していた。 リコーGRデジタル

昨年の今日は病院の夕陽の中で迎えた。 INFOBAR-2

今年の今日は梅田のターミナルビル27Fから大阪の市街を眺めていた…東京とはまったく違っていてビルが小さく空が大きい、山並さえ近くに見えている。 サイバーショットS001

5/17

室生寺をあとに近くの大野寺に立ち寄った。ここは山門脇のシダレ桜がとても有名で、サクラの季節にはたくさんの観光客がやってくる。今は静かなもので境内に人影は少ない。しかし数年前に訪れた時に比べて木々の手入れは行きとどいていて「花の寺」としての優しさを感じた。今回はコデマリ・オオデマリが満開だった。回りの空気は清浄そのものだ。 局面が小さいのでここではズイコー9-18mmで撮影。

満開のオオデマリの群落に囲まれて磨崖仏を見あげる…実に幸せな気分になる。私には仲間の気配を感じさせる景色なのである。

境内の川寄りの丘に社があり、その裏側にカミの依り代の磐と神木があった。ここが素朴なカミの信仰の中心で、ここから寺や磨崖仏につながっていったのだろう。

そしてその対岸に磨崖仏はある。1000年ほど前に彫られたものらしい(詳細は検索してもらいたい)が下を歩く子供と比べて大きさが分かるだろう。浅いレリーフで線刻に近いため遠目にはハッキリしない(もちろん長年の風化の影響もあるだろう)。明け方か夕方の斜光線が射したとき姿が浮かび上がると聞いたことがある。ただし木々に囲まれていて、太陽高度と時間帯(すなわち季節による)を選ばねばならない。

磨崖仏の下を流れる宇陀川はここで大きく蛇行、北川と合して名張・伊賀上野方向へ下る。つまり大きな尾根が川に落ち込む突端の岩山に磨崖仏は立っているのである。もちろん偶然ではない、昔は地理学(もののありかた)/天文学(暦法)とは世界の縮図そのものだったのである。木・火・土・金・水、そして風、少しく大事なことを忘れてはいないだろうか? 国交省の標識があり「木津川上流…」とある。この川をカヌーで下ると、いずれは私の家に帰れるはずだ。

5/16   機会を得て、友人と1年ぶりに室生寺に行った。ほんの少し暑かったが湿度は低く、山中をたくさん歩けた。だんだん私の心は軟らかくなっていくように思う。今回は金堂の特別公開…国宝の十一面観音他の仏像が納められている…を見に行った。  ルミックスGF-1+20mmF1.7(すばらしく良く写るレンズ)

昔女人禁制だった高野山へ詣れない女の人たちの通った「女人高野」として有名である。特別公開で、季節も新緑が美しく、混雑を覚悟していた(最近仏閣ブームで京都や奈良の有名寺院は入るのに一時間待ちなんてことが多々ある)が、さすがに奥地のここでは普段より1−2割多い程度の人出で晩春のお山を堪能できた。飲食は山門までなのでここで早めの弁当を広げた。新緑の木陰のベンチでは持っていったパンまでが緑に染まっていた。

山門の仁王、とてもいい。ルミックスGF-1ボディは2台持っているがセッティングが異なり、今回は第一バージョンだ…+さっそく買った外付けファインダー付き。

本堂の脇に遅咲きのシャクナゲが咲いていたので、これも有名な五重塔を背景に写した。20mmレンズの威力大…現場でこんな写真は誰も撮れない窮屈な姿勢で撮る。今回は何も画像処理はせずにカメラセッティングのままリサイズだけした。適切な処理をするともっと映えるだろう。

昨年サクラの開花期に来たときと同じポジションから撮影。手前は池、本堂の向こうに五重塔、その奥に奥の院…20mmなので下がって撮っている。構図は平面に非ず、立体的にしないとね。色やコントラストも立体的な配置が必要だ…これのみポップモードで撮影。他はPかAで撮影(デイライトシンクロは2枚)した。

本堂から。こっちは冥界への入り口、あっちは娑婆だ。結界にロウソクが灯っている…カメラと同じで「こちらとあちらの接点」に装置があるのである。分かりますね、井戸や滝、障子や屏風の裏と表と同じ。

さては本堂内の六臂半跏思惟の如意輪観音(室生寺の本尊)の前に座って瞑目、特別な信仰心は持たない(とも言い切れない)が私に語りかけていることは理解できた。少し肩の荷が降りた。観音像の中では何と言っても如意輪像が一番だ…それも六臂となると別格な意味が出てくる。

今まで登ったことがない奥の院へ歩く。700段もの急な石段は私の心肺機能を越えて一気には行けない(足は大丈夫なので1−2分程度休めば1段飛ばしに歩ける)。かなり厳しいので杖を持つのはいい考えだ。

室生寺名物のシャクナゲの緑は濃い。頂上の金剛堂から。

奥の院・金剛堂、仏と言うより神のいますところと直感した。もちろん像は見えない。

おどろおどろしいカミの世界の額が架かっていた。歩くと暑いが日陰で休むと涼しい風が吹き抜ける。何度も同じ場所を訪れるが、その度に違った意識(あるいは無意識)を持つ。どう考えても芸術家は得をしていると思う(とても風変わりな世界をいつも見ていられる)。あと何年続くのだろうか? ここをあとに大野へ移動した。また明日。

5/15

30数年ぶりの東京、すっかり変わったようにも思う…しかし何か昔を感じようともしている。八重洲北口あたり、ロゴと天井が昔っぽい。1回目(2月)は疲れただけだが、今回は少し回りを見回し始めた。次回、秋の遠征の日程と場所は来週あたりに決まるだろう。 サイバーショットS001

5/12

2年前の今日、私は越前海岸にいた。壊れた木造船(これ自体が今どき珍しい=翌年は消えていた)と青い空、三方五湖〜北潟湖、越前海岸〜敦賀への明るくて眩しい旅であった。今日は一区切りの一日(想い出はいい、しかし郷愁であってはならない=とは言うもののね…)明日からまた別の旅を始めようとしている。 ペンタックスK10D

5/11

江戸川に出てみた。堤防の改修工事中で、そのためか正式の風速・風向測定用の吹き流しがなびいていた。関西にはない地下鉄(東京メトロ)の快速電車や各駅停車がひっきりなしに行き来していた。地元の人に聞くと、この路線の整備が浦安を発展させたということである。

浦安の堀の防波堤に切り欠きがあって、鉄の古い扉が錆びついていた。今は何のことやら分からないが、元は堀(本来は江戸川の支流)には漁船が並んでおり、両岸は漁家がびっしりと並んでいたのである。その中で有力な家の前が漁具や漁獲物を上げ下げするのに配慮して(原則として河川局はこのようなことは治水・利水のためにも、もちろん特定の人への便宜供与にも否定的である)設けられたのであろう。一定の「権利」は認められている。ただし背後の家はマンションに代わり、鉄扉は錆びついたまま開きも閉まりもしない。治水上は不安が残る。

5/9

ふたたび浦安に行った。あたらしいプロジェクトの第一歩だ…あと3回来年3月までに東京へ行く。今までと違う写真とそれをとりまく世界へ行くのだ。はた目には「先生」にすぎないが私自身は全然違う気持ちで臨みたい。 快風快晴(ホントは暑くて眩しかった)…いい二日間をすごせた。 ルミックスGF-1

5/4

能登鹿島駅にて。愛称「能登さくら駅」としてローカルな花見観光のポイントになっている。2年前に来たときより、出店の規模も観光客も三倍になっていた。ほぼ富山や石川の人たちである。若いカップルを列車を背景に記念写真を撮ってあげた。デジタルカメラを返しながら私も1ショット(「写真は射撃」H.C.B−を忘れないように)、地元の彼らも「この路線も廃線になるんやな−」、いい追憶の旅になった。 ルミックスGF-1

5/3

越後荒川に2年ぶりに行った。北陸自動車道は延伸して(北陸東北道?)荒川/神林までストレートに行けるようになった。まだ車はあまり走ってはいない。 ルミックスGF-1…薬師寺の写真と共にズイコー9-18mmレンズ=充分な画質と収差補正がなされている(ハードウェアとソフトウェア両方の進歩だろう)。

5/2 「あおによし」の薬師寺西塔。

奈良の薬師寺に詣った。 修行僧の説法を聞いた…その中で「あおによし」(青丹良し)の話が心に残った。 ルミックスGF-1

4/26

 先週の能登に続き、今週は富山・氷見の船大工を訪ねた。ルミックスGF-1のシンクロはA/S/P/Mのどれでも正確に働き、それぞれの特徴を出せる設定になっている…これはA(絞り優先のF4設定)ポジション。

4/23

更新をする間もなく能登へ行った。ホテル小牧台の窓から見た朝の七尾北湾のサクラ…2年前に来たときよりキレイに咲いた。 ルミックスGF-1

4/14

 琵琶湖に向かう途中で必ず通る宇治田原の桜並木、今年もきれいに咲いた。地元の人たちの手入れがいいせいか毎年木々は立派になっていく。 ルミックスGF-1  ↓4年前の雨の日、同じ場所・同じ4/10に撮った写真が好きだ。 

4/10

 今日は天気も良くて、気晴らしに琵琶湖に行った。今回はサクラ・パレード、サクラだけを狙って沖島・長命寺・八幡堀を回った。平年の琵琶湖では南から順に湖北に向かって咲いていくのだが、今年は湖北はともかくとして全体にほとんど同時に満開を迎えたようで、瀬田から草津、守山、八幡とサクラに酔った。明日以降紹介したい。 この写真は沖島で観光地としては知名度が低い(と言っても今回は連絡船が満席になるほどの人出だった=毎年来ているうちで最大)がキレイに花を咲かせる。なにより空気と水が清涼だ。 ルミックスGF-1

4/8

 仕事で京都へ。いい天気、サクラは満開…平日なのに観光客は多かった。春になって空気も緩みかげんだ。 サイバーショットS001

4/3

 故人宅へ弔問に行くついでに華満開の粉河寺に立ち寄った。ばったりと故人の同級生である住職とも顔を合わせた。縁を大切にする年代になったのかと思う。 ルミックスGF-1

3/26

 今年も駅前のサクラが咲いた。咲いてすぐ散る桜を見て、命の華やかさとはかなさを考えた。 1年4ヶ月通った鶴橋から天王寺のJR回数券の残りを精算した…もう一生乗ることはない区間だ。 サイバーショットS001

3/25

 延暦寺根本中堂。中は撮影禁止だ…山門の外から撮影。もちろん中もお参りし、寺なのだが霊気のなかに忌ます産土の神に祈った。  ルミックスGF-1

3/20

 琵琶湖・湖西の安曇川河口域…安曇川は大きな三角州をつくり、何本にも分かれて琵琶湖にそそいでいる。河口付近は湿地や砂浜が複雑に入り組み、琵琶湖の他の浜とはずいぶん違った景観が見られる。 オリンパスE330

3/19

 琵琶湖・唐崎弁天の鳥居が昨年の台風で倒れた。代わりに竹と注連縄で鳥居の結界を貼っていた。おりしも日吉大社の神職が賽銭箱を開けにやってきた。

3/14        過日、比叡山延暦寺にて。このところ多忙で写真を撮りに行く「時間」がない。

2/17

 壺阪寺のインドからやって来た新しい巨大石仏。普賢菩薩・文殊菩薩・十一面千手観音・釈迦如来。後方の塔は室町時代の建立(重文)、石仏群は数年前の開眼だ。 シグマDP1

2/13

 仕事のついでに壺阪寺に寄った(同行の友人の菩提寺)。何度も来ているがいつも感慨が大きい(前回は一昨年の11月)。信仰心などは持たない、しかし寺や神社に特別の感情を持っているのである。本堂の回廊から五重塔、その向こうの観音像を見た。前回もここに座って写真を撮っていた。 サイバーショットS001

 寺は水平方向には広がらず麓から中腹へ這い上がるように伽藍が配置されている。室町時代の建造物と現在のインド風のものが入り組んで、一見悪趣味に感じる人もいるかも知れない。しかし壺阪寺の魅力は密教の不思議な世界を今でも引き継いでいる点にあるのだろうと思う(妖しくて、侘びてはいない立体世界)。明日も続きを書く。 サイバーショットS001

2/7

 浦安へは残っている木造船を求めて行ったのである。向こうは旧江戸川本流、背後は東京湾につながっている。この水路のような境川に往時は船と船宿、漁師町があった。現在残っていた古い木造船はこれ一隻だった(復元されたベカ船は何艘もある)。鉄橋を走るのは地下鉄東西線、これで東京都とつながった(以前は隣町なのに行きにくい場所だったらしい=それが古い港町の景観を長く保持してきたことにもなる)。 シグマDP1

 旧江戸川本流。ここに渡しがあったらしい。右岸左岸共に船宿が建ち、地先には屋形船が停泊していて、今も釣りや船遊びの基地となっているようだ。景色がすっかり変わっても、地域の本質が変わるのには時間がかかる。また訪れてみたい川である。 シグマDP1

 帰りの道で私にとっては珍しいものを見た。豊受神社の境内に富士山が作られている…富士講のために関東各地にあるのは知っていたが今回初めて本物を見た。全国を旅しているが関東は縁がなく、数年前に千葉の九十九里浜を訪問しただけであった。まー来てみるものだと思う(歩くと必ず不思議な光景に出くわす)。 シグマDP1

2/6

 32年ぶりに東京に行った。東京駅は大改修工事中、八重洲中央から日本橋口へ辿りつくのに5分以上もかかった…東京は人が多い、しかしとても地味に感じる。4月以降、「フィールド写真講座」拡大版を開始することになった。 サイバーショットS001

 翌日浦安に写真を撮りに行った…せっかく東京に行ったものの、フィールドは今回も地方になった。もちろんディズニーランドの浦安ではなく、昔の漁師町の浦安を見たかったのである。また明日以降写真をアップしたい。 シグマDP1

2/4

 天橋立・智恩寺(文殊堂・山門)の門前町にて。 ここも以前よりは店構えがサッパリして人出も多い…しかし2年前よりは少ない。背後が旋回橋。 ルミックスGF-1

2/1

 ちょっと天橋立へ。天気は曇り、しかし比較的寒さはなく、雨や雪もなかった。ここは天橋立の先端部の水道(外海と与謝海をつなぐ唯一の水路でもある)の名物の旋回橋(回転橋)。橋のたもとに素敵なカフェを見つけた。古い建物を改装し、大ガラス窓と石のタタキ・土壁とフランス田舎風(と言ってもフランスに行ったことはない)である。洒落たおかみさんが一人で営業していて観光地なのにセルフサービス・全席禁煙と私には言うことはない。店内にはシャンソン、窓を開ければ浜で、前を貨物船が通過する。普段は歩道の橋が無線で指示を受けると向かいの小屋で橋を回転させる。左奥の岩滝に冶金工場ががあり、その貨物水運のために設けられているのだ。通行の不便より、珍しさで観光客も写真などを撮って、不思議な光景…観光と産業が両立している。暖かいカフェで何艘も船の往来の写真を撮った。 ルミックスGF-1

1/25

 山科小栗栖の岩屋寺にて。ちょうど秘仏・不動明王が公開されていた。小さいが風格のある立像だ…山科に隠棲した赤穂義士の大石内蔵助が本願成就を祈ったという。隣に大石神社があり、この寺には大石内蔵助の墓もある。 サイバーショットS001

1/21

 西宮戎での学生達(もちろん仲間達と言い換えてもいい)。日本の各地、世界の各地から集まった仲間達に教師という立場以上に親近感を覚える…すべての人はつながっている。 ルミックスGF-1

1/18

 海津大崎。浜に集うユリカモメ…日本における淡水性のカモメの代表的な存在で、京都では鴨川に群れるこの鳥をミヤコドリと愛着をこめて呼ぶ。 オリンパスE330…まったくの無補正、これも色やコントラストのカスタム設定でだいぶ煮詰まってきた。デジタルカメラこそキチンと設定すべきだろう(フィルムカメラと異なり比較的簡単にできるのだから…ただし映像的センスがないとXだ)。

1/16

 少し寒さの緩んだ琵琶湖・湖北へ行った。雪はだいぶ溶けていたが、一歩山中に入ると40−50cmは積もっている。 年末にも行った海津大崎(下にある写真の場所)、ユリカモメがたくさん跳んでいた。 オリンパスE330

 帰り道、日没後の瀬田の唐橋にて。ルミックスGF-1ポップモードで車窓から撮影。

1/14

 高槻市の山の手、安岡寺に立ち寄った。寺務所の人と話がはずみ昔を知った。今は回りは住宅地になったものの以前は山寺で、ここの千手観音(青梅観音)も荒れていたそうな…それでも手ぬぐいで磨いていて、その後重文に指定され収蔵庫に安置されたことらしい。もちろん特別に拝観させていただき、どっしりとした座像に圧倒された。とうぜん観音像の写真はここでは紹介できない。私にとって朱印巡りは信仰や御利益ではなく「寺を訪ねる旅」そのもので、たまにどこかの一ヶ寺で全部の朱印が貰える特別の催しもあるが、やはり昔の人がそうしたように野や町を歩いて参りたいものだ。 サイバーショットS001

1/11

 連休中の大阪市内・上本町界隈を歩く。京都や神戸と違って人は少ない。大きなビール瓶が店から生えていた。 サイバーショットS001

1/9

近所の研究所で。以前から気になっていたのだが軽自動車ぐらいの大きさのSUS製UFOが会社の前に浮かんでいる。まさか?UFOの研究所じゃあるまいし…と思っていると中から研究員が出てきて、SUS製の蛇腹チューブ(UFOを支えているモノ)の製造・研究だと教えてくれた。自然科学に憧れてしまう。 ルミックスGF-1…どんどんセッティングが煮詰まっていく。

1/6

 年末に行った湖北の海津大崎。明治時代(部分的には昭和40年代まで)まで敦賀・若狭から山を越えて物資がここの港に運ばれ、大津まで船で運ばれた。その頃の護岸と港の風景がよく残っている…もちろん保全されている。いつもここへ来ると曇っていたり夕方の暗い時ばかりだったのだが、この日は初めて陽のさした、それでいて冬の湖北らしい曇った景色であった…一瞬の光芒、写真家は楽しい。 オリンパスE330

2010/1/1          ★さて新年だ…あけましておめでとうございます。

また今年も新しい旅を続ける。夢のように時が過ぎていくようだ…私の五感と記憶力、それらが様々な身の回りの出来事を乗り越えていくエンジンなのだと思う。 湖北・竹生島を長浜側から望む。 TX-2x45mm


2009年のフィールド・ノート

12/30

今日は今年最後のフィールドワーク、琵琶湖の湖北地方に出かけた。今回はあちこち立ち寄らず(途中で時間を使って、湖北まで辿りつかないことがある)八幡と湖北だけに行った。ここは山梨子、忘れられたような湖北のムラである。だけど私はここが好きだ…小さく見えているのが竹生島。

12/29

 尼崎の歯科医院にて。名医である。ここのところ医科歯科系の出入りが多い。 サイバーショットS001

12/27

 大阪・本町の北御堂で年末の葬式がとりおこなわれていた(たぶん著名人か有力者の葬儀だったのだろう…たいへんな参列者で御堂筋には警備員が何人も出て一般の通行人や車両の整理までしていた)。このようなシーンではサイバーショットS001は構えるのは速いが、合焦や画像の読み込みに時間がかかるため不向きなのである…慌てたためブレている…これはというシーンは1カット必中を心がけないといけない。しかし町歩きには便利、次のフィールド写真講座では、ルミックスGF-1にこれを加えて使ってみよう。

12/26

病院からの帰り、福島の天神社をふと覗いたら、「仕舞い天神」の行事をしていた。本来は25日のはずだが、地区の氏子の減った今あえて土曜日に変更しているのだろう。餅つきの輪に加わり、朝食を抜いていたため餡餅ときな粉餅を五個もたいらげた。良い日だった。 サイバーショットS001

12/16

 神戸・鈴蘭台にて。もうすぐクリスマス、どうしても年の行事を忘れてしまいそうなこの頃である。サイバーショットS001は条件がいいとなかなか上等、あとは条件の悪いときの撮影術を考えてみたい…ひょっとしたら携帯カメラ全体に一般化できないだろうか。それほどたくさん写した訳じゃないけど、INFOBAR-2も含めて見てみると、画素数や画角は別にして独特な写り方をするように思われる。

12/13

 今年の1月にも訪れた、湖西・蓬莱付近の比良山麓の開拓地に残された、古い鎮守を再訪…湖西の撮影の途中、ちょっと休憩の場所だ=浜辺の国道から車で10分、休憩にも時間がかかる。ウミの向こうは八幡の山塊である。 オリンパスE330

12/4

今日は私だけの知る特別な日、また冬の琵琶湖へ旅に出よう。 ペンタックスK10D

短い秋が去って、短い冬がやってくる。春まで冬眠したい気分だが、今は想像上の冬眠にとどめておこう。  写真は近所で…私はちょっとした山間部に住んでいる。 ルミックスGF-1=セッティングは少しずつ煮詰まっている。

12/2

 琵琶湖の旅。今回はみちくさを何度も食ったため白髭神社で終わった。もちろん陽が落ちるのも早い。また湖北まで12月に来ようと思う。

 旅の終わりに若いカップルの記念写真を、この撮影のあと数カット撮った。ふたりにとっても今回の旅は終わり、私の旅も同時に終わった。どちらも明日から次の旅が始まるのだろう。 ルミックス-L1

11/30

 下の絵のサッカー少年に興味を持って近寄った。湖の見える丘の中学、すばらしい環境だ。

11/27  琵琶湖遠征…必要な写真が撮れなかったので来月も来る。

 琵琶湖・湖西の志賀中学グラウンドから見た比良と琵琶湖。冬に「比良の暮雪」を見に来たところである。秋もまたいい…今日は琵琶湖畔の紅葉を楽しんだ。 久しぶりにルミックス-L1+ズイコー14-45mm

11/25

 2009年、下と同じ場所から「砂と泡」…オリンパスE330

 2007年の安宅の浜辺…リコーGX100

11/24

 越前海岸を見た。福井市郊外の砂浜で。今回は穏やかな海だったが、秋から冬にかけて北西の季節風によりサーファーにはスリルリングな波がやってくるようだ。遠くに見えている(ワイドで撮っているので実際はもう少し近い)巨大なタンク群…九頭竜川河口部から南、鷹巣近辺まで広大な砂丘地帯が工業団地になっている(知る範囲では北陸no.1)。

 鷹巣漁港にて。オリンパスE−P1の「ポップポジション」で撮影。うんと派手に写るが画像処理で彩度を上げるより軽い色合いだ…これも含めて今まで軽視してきたシーンモードやアートモード、カスタムセッティング(会社や機種で呼称が異なる)は便利だと初めて思った。 鷹巣は大敷網や港湾工事、釣り人などで混み合っていて(それでいてノンビリしている)活気を感じた。ここの岸壁に腰掛けて弁当を広げた…もちろん大好きな蒸しパンとフランスパン、そしてミルク。

 越前町の蛭子神社でのエビス講、たまたま通りかかった漁村で祭囃子が聞こえてきて立ち寄った。若者達が正装して詣っていた。話を聞くと「10月10日に来たらもっと盛大や」「だいぶ減ったけど、まだ若い者が残ってるで」「まー1日遊ぶ日が減ったけど祭は続けんとな…」、人が残っている…まだ大丈夫だろう。一時期は寂れていたが、今回見た範囲では、元の観光地の県北部の東尋坊や北潟湖、安宅など加賀の海岸などより観光事業は盛んに思われる。

 越前海岸を南下して敦賀に辿りついた。ここが今年の旅の最後「今年の砂と泡」、左の山には国道8号線、向かいは原発のある敦賀半島、その向こうは若狭の海の世界が広がっている。 鷹巣以外はオリンパスE330+シグマ10−20mm

11/16

久しぶりに大阪城に登った。10年ぐらい前に来たときより整備も進み、観光客は外国人を中心に(!)ずっと多くなった。今回は森ノ宮(玉造口)から京橋口への少しヘビーな散歩だ。

 入城料600円を払って天守閣(各層は博物館でもある)へ登城、季節風が強く空気の透明感が冬らしくなってきた。眼下は本丸の堀、右下に極楽橋、その先に青屋門が見えている。大阪城は当時の伝統どおり南面が表であったが、京街道(右が京都)が整備され、北側にも立派な橋と門ができあがったのである。極楽橋は当時は立派な門や屋根、楼までがあった。橋は家康によって焼かれたが、なぜか橋の門だけは現在近江の竹生島・宝厳寺に寄進され現在も見ることができる。戦後アパッチ村ができたりして荒れていた京橋付近もOBPというオフィスビルコンプレックスとなった。

城の正面、桜門で。外国人(特に中国系)観光客が多い中…じっさい半分ぐらいが中国人と感じた…伝統的な地方の高校生の修学旅行の団体と出会った。なぜか安心する。

堀を回って極楽橋へ。天守閣以外は無料で周囲の大阪城公園も含めて一回りすると2時間はかかるだろう。道筋としては森ノ宮から公園を通って桜門から本丸に入り、城の東側を巡って極楽橋を渡り、京橋口から天満橋、あるいは青屋門からOBP、春先には梅林を覗くのもいいだろう。 ルミックスGF-1+ズイコー17mmF2.8

11/8

さて亀池から15分ほど歩くと尾根に出る…急斜面の0.9kmだから一般的にはもう少しかかるかも知れない。今回は風もなくごく穏やかで曽爾の山々が遠く近くに霞んで見えた。

尾根の反対側は森である。こちら側はススキのために灌木が生えないように野焼きをしている。尾根上を歩いていけるが、非常に危険なので慣れない人は絶対に歩かない方がいいだろう。滑落すると麓まで転げ落ちて絶対に止まらない。

10分ほど尾根から下を眺めたのち下山を開始、天気も少しずつ雲が増えてきたようだ。ここは麓までの感で台地のようになった場所で夕陽に輝くススキの穂を撮るためにアマチュアカメラマンの砲列ができる場所だ。そのためススキが荒れ、今年から道以外への立ち入りを規制を始めた。

亀池横の特設の茶店にて。甘酒とヨモギ餅を食べた。更に下には立派なレストラン(ふるさと産品を使用したメニュー)があって、そこは年中の営業のようだ。

11/7    曽爾高原のススキを見に行った。 カメラはすべてルミックスGF-1+ズイコー17mmF2.8

亀池の横の広場。この木は一昨年来たときは枝が風で折れ(このような場所に1本だけ残されたため過酷である…2007年の「民俗・地理学のフィールドから」参照)弱っていたが、それから2年だいぶ回復してきたようだ。今日は比較的暖かく訪問者も多い。遠くに兜岳が見えている。

さて登山の開始下の広場から0.9kmとなっている。勾配は尾根までの1/3ぐらいから急になっていく。ススキ原のとぎれたすぐ下に駐車場がある(しかし見えない)。今年はススキの背丈が低く、気のせいか穂も小さいように感じる。左は高地性の湿原「亀池」水はほぼ干上がって草に覆われている。山道を歩いている人はススキに隠れてあまり見えない。

尾根近くまで登ってきた。かなり厳しい道だがよく整備され、少し足を痛めている私でも問題はない。天気は晴れたり曇ったり…これだけ広い空間を見ると晴れと曇りの領域がまだらに見えている。私は広い空間が好きなのである。

ここはススキだけではなくアザミの群落も多く見られる。近辺の山々は大きな褶曲や断層、そしてそれらによるものか熱によるものか分からないが変成岩が目立ち、概して険しい。屏風岩・兜岳・鎧岳などの名前に表れている。続きは明日。

11/5

足が痛くて長くは歩けない…しばらくは死んだふり。今日は京都府のとても無理難題の免許更新に出かけた。1日がかりになる…必ず免許試験場にでむかなくてはならず、しかも受付は朝の1時間と午後の1時間だけだ。とうぜん長蛇の列、試験場まで行くのに1時間少し、手続きに1時間、講習も含めると家を出てから5時間かかる(5年前の更新時より倍の待ち人数だった)。以前から感じていることだが、これは人的資源の無駄遣いだと思う。大阪のように地元や勤務地の警察署での簡易な手続きに改めてほいモノだ。 さて近所の柿畑へ行く。どうしたものか果樹園(つまり栽培されている)なのに柿の収穫はなされていない。確かに私もスーパーで売っている柿はおいしいと思わない。だけど今年庭に実った柿のもぎたてはおいしかった、ちょうど幼年期に田舎の生家の庭先の柿と同じで、食感がパリッとしているのに甘い。好みは人によるのだろうが、店の軟らかい柿の口当たりは好まない。 キヤノンG10

11/3  今日は文化の日…今年は軽い足のニクバナレでフィールドはお休み…近所には行った。 写真は3年前の文化の日、琵琶湖竹生島での景色。 Leica中心に撮影した最後の頃の写真だ(今でも時々は持ち出すが、撮影の95%はデジタルカメラだ)。

10/15   坂越湾・船渡御が見える浜で、講座の仲間達と。 写真を始めた頃から、記念写真なんて思いもよらなかった。写真は撮るもので撮られるとは考えられなかったし、むしろカメラの向こうに隠れるべきものと思っていたのだ。しかし学生達を教えるうちに私が私であることも大事だと感じ始めた…人々にとっては抽象的な存在ではなく実在の先生なのだから。今日は私の誕生日、おおむね楽しい時間をすごして、またひとつ歳をとった。

活動報告

10/11  「フィールド写真講座」の第一回の遠征…兵庫県赤穂市坂越の船祭りに参加した。

今年も大避神社本殿での神事のあと、猿田彦・獅子・稚児の道行きが始まる。行列の最後に神官と御輿に乗せられた大避のカミが山から海へと下る。

奥の本殿から今年の頭人が次々と降りてくる。沿道の人々との掛け合いがおもしろい。「おーいおーい、塩屋の頭人じゃーい」私の昔をも思い出す。

浜での神事を終えて、これから櫂伝馬を先頭に船渡御の始まりだ。 また明日、別の写真をアップしたい。 オリンパスE−P1+ルミックスFX100

10/7

扇町公園の噴水。と言うよりウォーターカーテンか。 明日は大雨が降るのだろう。 ルミックスFX100

9/28

木津川の河岸段丘上、高麗寺跡から。向こうは奈良坂の丘陵、彼岸花はしおれ始め、稲は刈り取られる寸前だ。 リコーGX100

9/22

能登へ行ってきた。奥能登は連休といっても閑散としていた。いい所なのに、以前はもっと人出があったのに、この10年ほどで観光客が減っているように思う。ここは合併して輪島市となった門前町(総本山総持寺がある)の浜である。 オリンパスE330

9/21

さて、お彼岸、稲刈りももうすぐだ。滋賀県国友・天川神社神饌田にて。 オリンパスE−P1

9/6

昨日は里へ、今日は山へ行った。涼しくはなったが山は蚊が多くて困る。昨日は野焼きの土手から滑り落ち、今日は古い用水の腐った溝板を踏み抜いて転んだ。写真家、とりわけ野外活動の多い者は体力と怪我や病気に耐性をを持っていないと続けられない。70歳まで現役報道写真家を勤めた「A.C.B」を今更ながら尊敬したい。今日はしばらく使っていなかったルミックス-L1を少しAWBの設定を変えて持ち出した。

里に比べると山の耕作地は寂しい景色が広がる。野焼きも人家が遠いせいか穴を掘って堂々と行われている。このあたりでは耕作地に出作り小屋を建てる習慣があり、軽トラを駆って、それほど遠くない自宅からやってくる。自炊や洗濯もできる…以前は農繁期は住んでいたようである。向こうに見える丘は開発で谷を埋めるために崩された山である。学研都市は平安京を模した地割りだが、平安京や平城京と同じく周囲の自然を相当に犠牲にしている。

民地と官地の間にはフェンスが延々と伸びている。官地は茫漠とした草原、民地は栗林…そろそろ栗の実も色づいてきたようだ。少しく自然の法則を逸脱しすぎたように思われてならない。

9/5

今日、講義の資料を収集をするために近所の田圃に行くと、農家の家族が総出で野焼きをしていた。稲刈りの前に畦や土手の雑草を整理するためだ。これにより雑草とその種を焼き、害虫やその卵を駆除し、そして灰は肥やしとなる合理的な作業なのである。しかし昨今は煙公害などと言われ規制が強まっている。先日も他の人が野焼きをしていると役場に通報があり、役場でも不本意ながら停止の指導をしたようなことである。これを止めると除草剤や農薬を増やすこととなり、食料自給率が云々されている昨今、好ましくない事態となる可能性もある。私の祖父は専業農家で、幼少の頃その家で育ったこともあり、野焼きは良き風物と感じているのだが、環境問題を考えたとき、雑草(当然家庭とはケタ違いの量)は野焼きか産廃処理のどちらがいいのか?どんなものだろう。

作業している農家の古老に話を聞いた。この字は戸数13軒、以前は12軒が農家だったが、現在は戸数は同じでも農業は3軒となったという。後は農村地帯に住んでいるだけで都市へ勤めに出ていて、食べる分だけ野菜などを作っていると言う。

オリンパスE330…条件によって色温度設定の微調整は必要だ。

9/1

近江と越前の国境の峠。実際はこの北側に栃ノ木峠があるが、ここ椿坂峠から近江盆地が見える最後のポイントとなっている。旧北国街道(国道365号線)で越前と近江を直接つなぐ唯一の重要な道だったが、北陸道の開通で通る車も少なく、オートバイがワインディングを上り下りする姿が目立っている。麓付近では道路整備が始まっている。 TX−1+45mm+SRA

8/31

町にも秋の気配、豊中市庄内の裏町にて。狭い路地裏に飲み屋が数軒あった。閉店して久しいようだ…回りの草木が路地を浸食して埋もれていくようだ。 ルミックスFX100

8/30

琵琶湖・八幡から西の湖に出る。干拓田のとぎれたこの付近には少し水郷の風景が残っている。 TX−1+30mm+SRA

8/29

天河神社横の神饌田。このところの日照で稲穂はだいぶ垂れてきたようだ。村の景色は夢の世界を歩いているようだ…今年は祭りそのものより村の中をたくさん歩いてカミと私(あるいは私たち)の関係について考えてみた。

神殿内は撮影を禁じている…神事の撮影を禁じているわけではない、この神殿外では何も問題はない。とは言え神事を撮影することははばかられる。

神殿下の丸い池から見上げた。小さな岡の上に建っていることが分かる。ひょっとしたら古墳か古代の磐倉の跡に建っているのかも知れないと感じた。 オリンパスE−P1の設定を少し「ビビッド」にしてみた…まだ少し不十分だろう。

8/27

滋賀県湖北の鉄砲の里、国友の町中で。あちこちに鉄のオブジェが置いてある(展示と言うべきだろう)。保全された古い町並みと最初はちぐはぐに見えたが、それなりに収まっていて悪くない。 オリンパスE−P1…極めてシャープだがノーマル設定だと地味すぎるので設定を派手気味にしたい。私は彩度を少し上げてGをやや強くした。次回から結果を見て詰めていく。

8/26

気分を変えて奈良県・天河神社の七夕祭りに行った(旧暦なので今日が七夕)。今回で3回目だが、まだまだよく分からない…宮司の祝詞を聞いても織姫と牽牛の説話などは出てこない。観光の祭りではないだけに毎年行事が変わる不思議を理解するのは時間がかかるだろう。私たちの昔を知りたい。 リコーGX100

8/25

伊吹山中腹にて。鉱山へのゲートがあり、進入禁止の看板と監視カメラが設置されている。「エバーグリーン活動 自然環境と共存」…山の形が変わるほどの露天掘りだ。私は必ずしも環境保全派とは言えないが、どういう意味の標語かと疑う(あまりにもひどい矛盾)。 オリンパスE−P1

8/23

今日は今まで行ったことのない伊吹山に遠征した。大きな山(滋賀県では最高峰)の山肌の広い範囲が削られてハゲていることをいつも遠くから見ていた。行ってみるとスキー場と採石場によって大規模に森林が伐採され、瀬戸内の島に見られるように山の形が変わるほどひどく荒れていることが分かった。麓の伊吹町では地蔵盆が町々で始まっていたが、頭上を住友セメントの山から工場まで続くコンベアの高架トンネルが覆い被さっていた。おそらく雇用と荒廃の両方を手に入れることになったのだろう。 オリンパスE−P1…これは無補正、色味はアッサリしている。

8/21

1973年3月の琵琶湖・長命寺の浜に残した私の足跡…なぜこんな遊びをしたのかは分からない。すぐに波で消えてしまったに違いない、しかしここにはその時のまま、その時の砂と泡と共に残っている。記憶と映像は同じものだ。 ミノルタSRT101+28mmF3.5

8/18

琵琶湖・長浜港。もっとも遠い対岸が見えている。  リコーGRデジタル

8/10

お盆の景色…紀ノ川市名手にて。古くからの墓石が集められて集合墓になっていた(高野山でも見た)。各家の先祖がもうすぐ戻ってくるらしい。 ルミックスFX100

8/6  summer in the city.

どうやら梅雨が明けたらしい…毎日雨が降って湿っぽさは変わらない。梅田の裏町で、白い空間と郵便カブ。熱を反射するためか白い壁が最近目立つ。 ルミックスFX100

8/3

琵琶湖・白ひげ浜湖水浴場。何度もここに立つ。 ペンタックスK10D

8/2

琵琶湖大橋の上から南を見る。遠くに大津霞んでいる。南湖と北湖の境、ヨットとバス釣りのボートがエリの回りに見える景色が現在の堅田だ。 ペンタックスK10D

7/26

琵琶湖方向から見た琵琶湖疎水。今でもここを通って琵琶湖から京都まで船で行ける(現在は安全面などを理由に荷船や客船の航行はない)。過去は水運、現在は水利のために重要な水路である。 オリンパスE300

7/22

皆既日食の日、大阪11時7分薄曇りの空が暗くなった。気のせいではない、露出計の値で1段ほど暗くなり、その後元に戻った。10時頃、5分間ほど陽がさして期待を持ったが、部分日食は見られなかった。種子島では小雨が降り、硫黄島付近の船のツァー客が完全な皆既日食を見られたようだ。12時すぎには太陽が出てきたので、瀬戸内や四国あたりでは部分日食が見えたかも知れない。 リコーGRデジタル

硫黄島付近の洋上から観測された皆既日食とコロナ。写真は国立天文台サイトから引用させていただいた。

ダイアモンド環。素晴らしい (^o^)/

撮影日:2009年7月22日 11時29分
撮影者:国立天文台
伝送協力:情報通信研究機構(NICT)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)

7/21  旅の続き。

小野神社から山を越えて安曇川上流域へ。葛川明王院に近畿三十六不動の朱印をいただきに行った。紀伊山地と並んで関西での多降雨地帯の京都北山の湿気ははなはだしい。地主神社の狛犬も苔むして、空気は水分を触れるほどだ。ただし気温は25℃、町より4度は低い。門前の茶店で山菜そばとご飯をいただいた…田舎だけどおいしかった。

明王院は改修中(再来年までかかる)なのと年中行事の太鼓祭り(これも改修後まで非公開)が昨日まで行われていたためにお不動さんは拝めなかった。しかし無事に朱印をいただいた。

また山から下りて琵琶湖に至った。帰りの道で大好きな「唐崎の弁天さん」に寄る。来週のお祭りの準備が始まって少し風情が違う。近所の人がふたり政治談義に花を咲かせていた。ここは春夏秋冬いつ来てもいい場所だ。

7/20

滋賀の小野へ小野神社を訪ねた。まったく観光地ではなく、道に表示すらない。地図を頼りに小野地区の狭い道を行くと、細い参道の奥に神社はあった。左奥が小野一族の祖と餅や菓子の匠の始祖を祀る小野神社、右前が冥界と俗界を行き来したという小野篁神社。いずれも14世紀の建造とされる。周辺の深い森には小野道風神社や小野妹子神社も座する。

和菓子の組合から奉納の餅をかたどった赤御影の石造物が灯籠の代わりにある。

参道脇に御田植祭りの水田と、おそらく神に供えるためのガマの群落とシイタケが大切に手入れされている。特に参拝者はいなかったが氏子や小野の子孫達によって守られているのだろう。

小野篁神社の本殿から…蛙又の模様も変わったものだ。「小野のサッサ(扇鉾)」というものがあり、全国の御田植祭りの忌串の原型だそうだ。

神社の神域の外れの竹林に稲荷社が建っていた。どうも古墳の上のようだ。小野神社全体が古墳だという説もあるらしい。森の奥の神々とは渡来人の先祖のことなのだろう。  オリンパスE330/オリンパスE−P1

7/18

琵琶湖博物館横の蓮池。広大な水域に蓮が育てられている。向こうが博物館とモニュメンタルな風力発電のローター、梅雨はボチボチ終わって琵琶湖にも本格的な夏がやってくる…夏が苦手な私は少しお休み。 オリンパスE300

7/17

2007.7.13、「鳥人間コンテスト」の会場にて。滋賀県草津市の浜である。今年も準備が終わって来週あたりに実施されるのではないだろうか。 ペンタックスK10D

7/13

JR和歌山線五条周辺(…30数年前に一度乗ったときはスイッチバックだった)。最近は通学の高校生ばかりめだつ車内だ。この汽車(二両編成のディーゼル列車)に乗って和歌山から奈良へ1時間半、気ままな旅だ。たまに田舎の無人駅から中高年ハイカーや営業社員が汗を拭き拭き乗ってくる。虫の羽音が聞こえそうな眠気の列車、もうすぐ吉野口、近鉄に乗り換えないと…ルミックスFX100

7/9  不思議の神事…蓮取り行事/蛙飛行事…よく分からない、これから毎年見て奥の不思議の国へ分け入っていこう。

これから考えていこうとしている祭り…吉野・金峯山寺蔵王堂での蛙飛行事(確かに以前は蛙飛神事と言われていたが…)。これは5年前の写真だ。 キヤノンG1

7/8

節分の昨日、奈良県大和高田市奥田の蓮取り神事に行った。役行者の関係する祭りで、詳細がよく分からない行事である…とても関心をもっている。午後にこの蓮を持って吉野・金峯山寺に皆で詣でて、そこで奇祭といわれる「蛙飛神事」につながっていくのである。あきらかにつながってはいるが、何を意味するのか、どんな必然性があるのか…縁起・由来書きとは別にして分からないのである。 ルミックスFX100

7/5

旧加茂町の恭仁京跡(国分寺跡)にて。観光的な存在ではないが地元の人々に大切にされている。この日も平日にもかかわらず皆で清掃作業をしていた。満開のアジサイと深い緑の山々が美しい。 ルミックスFX100

7/1

もうすぐ天河神社の七夕祭り。今年は行けそうもないが、また来年、再来年と行き続けたい。七夕と言っても旧暦なので毎年日は変わる。

6/28

最近は五月の連休時分の田植えが多い(兼業サラリーマン農家が増えた)が、ここ和歌山・紀ノ川市では専業農家(もちろん稲作で生活しているのではない、桃や柿、イチジクなどの果物や野菜を多く栽培している)がまだ多い。これから大きく育っていく稲の姿が見えるようだ。 キヤノンG10(不調はあっという間に直った=サービス体制は見えない壁の向こうで完璧に構築されているようだ)

6/21

八幡堀の瓦ミュージアム裏のイチジクの木。これをかきわけて進むと夏みかんの木がある。 ペンタックスK10D

6/16

円山の遊覧船乗り場にアヤメかショウブが咲いていた。毎年周辺の観光整備は進んでいく。昔を知る私は居心地の悪さを感じた…これは畑だ、ヨシ原が見たいのに。 ルミックス-L1

6/15

土曜に訪れた長命寺で、アジサイの咲く境内をスケッチする人がいた(奥の五重塔は去年改修された)。そろそろ私も仲間入りかと思う…いやいやあと10年ぐらいはフィールド写真家でいよう。野外に立てなくなったとき「サヨナラ」かな? なんにしても絵を描くのは楽しいことだ。きっと晩年は絵画教室を開いていることだろう。

6/14

今日は比叡山に参った。比叡は京都の印象があるが、実際は滋賀側が登り口だ。まず麓の日吉大社横のケーブルカーで上がる。全長2q(日本最長)を11分で登り、眼下に琵琶湖を見下ろす延暦寺駅につく。気温は21℃(日吉より3−4℃低い)風が心地よい。昨日と同じで晴れてはいても水蒸気のために景色は不明瞭だ…ぜひ冬に来てみたい。ほとんど琵琶湖中が見渡せるし、条件が良ければ遠く日本アルプスも見えるそうだ。

山上に着くと、右は延暦寺(徒歩1時間?)左は不動寺への道となる。今回は左、またしても徒歩、地道を歩く…行きは15分(下り)帰りは30分(登り)…しかし山本山や槇尾山よりずいぶん「楽」だろう。緑が美しい。せめて新緑の時に気温が15℃(ヨーロッパ並)ならもっと楽なのにと思う。

第一の目的地「不動寺」に着き、さっそく近畿三十六不動の朱印をいただく。おおむね2/3ぐらい済んで、あとは行きにくい場所が残っている。今の季節は千日回峰行の修行僧が立ち寄るために忙しそうだ。本尊の不動明王は護摩焚きのため煤で真っ黒だ。

更に下って大弁天社に寄った。こちらの方が信者が多く宿泊施設もあり、何組かが修行を兼ねて泊まっていた。ここはディープな密教世界で諸神が溢れていた。白蛇・稲荷・宇賀神…弁天さんも八臂で蓮の上に座っているお姿で、後に習合した航海神や芸能神の要素は感じられない。

さてまたケーブルカーに乗って下界へ降りて日吉大社に詣でた。さすがに全国日吉社の総本社、広い! 自然に溢れていてすがすがしい気分となる。ここでもたくさんの神々と接して多くの成果を得た。「知る」ことは「そこに居る」ことと同義と心得よう。私のこの季節の眼鏡レンズは緑色なのでもっとキレイに見える。余談ながら私はレンズの色を季節や条件、その日の気分によって変えている(ブルー系・グリーン系・グレイ系それぞれ数種=不要だからアンバー系は持っていない)。

日吉大社西本宮の本殿の右に植わっている「梛」(ナギ)の木、この社にとって大切な神木である。意は「男が女の幸せを祈る」で…薙ぎ払う(厄を祓う)に通ずる。 今回はキヤノンG10が不調になったので友人のルミックスFX150を使用=ルミックスFX100の改良型で、FX100と比べて良い面(スイッチ・ダイアルの操作性)と良くない面(AFが標準−マクロ統合になったため時々合焦が遅い)がある。  次は季節を選んで延暦寺に行ってみたい。

6/13

湖北へ行く途中、1年ぶりに長命寺に寄った。名物のアジサイはまだほとんど咲いていない。奥の院から琵琶湖を見た…今長命寺港から「うみのこ」が出航する。3年前と同じ光景だ。この季節は湿度が高く晴れていても遠くが見えない。 明日は比叡山、大人になって初めての訪問となる。

湖北片山にて。湖周道路最奥のムラ片山の新しい墓地…道路建設にともなって新しくなった。正面に竹生島、左が集落、右が向山。 ルミックス-L1

6/12

梅雨の円山(去年の今ごろ)。水気で空気も川も溢れそうだ。明日、雨なら湿気のあるここへ行こう。もし晴れたなら比良山に行きたい。目指すのは湖北の葛籠尾崎だ…日没は午後7時、目一杯琵琶湖を駆けよう (^o^)/

6/10

2006/11の琵琶湖・竹生島…鏡と窓、次の本の最大のテーマの写真だ。あるいは竹生島神社と宝厳寺、聖地の島だ。 LeicaM7+elmarit28mm/3rd

6/9

昨年の10月の八幡堀瓦ミュージアム前の観光船着き場にて。現代のレンズとしては珍しくキレイな火線が出ている。ズームレンズでも昔に比べると逆光時のゴーストが出にくいのだが、今回は緑のゴーストとマゼンタのフレアが出ている…これはこれでカメラの絵ってことでとても好きだ。 オリンパスE300

6/8  瀬戸内の旅。

広島県江田島の海上自衛隊第一術科学校(旧海軍兵学校)にて。ここは自衛隊の施設として全国唯一、一般に公開している。単に博物館的なものだけではなく、本物の海技訓練(木造のカッターを使っていた!)や施設の一部まで見せてくれる…時刻を決めて広報官が案内する。原爆の投下された広島の近接施設だが、ここは温存され当時の建物も一部残って、しかも現役で使用されている。 リコーGX100

6/7

鳴門の渦潮(2007)。鳴門からだけではなく、対岸の淡路島からも観潮船が出る、鳴門大橋の近くは観光水運のメッカのようだ。2年間通った「瀬戸内の観光水運調査」の中でも最高の成功をおさめてきた場所だと思う…鳴門海峡が瀬戸内かどうかは議論が分かれるところだが。 リコーGX100

6/5

鳴門市営黒崎渡船(2008)。車を持たない老人と小学生から高校生が数多く乗っている。本数が少ないので出港時には満船となった。 ペンタックスK10D

6/4   また行ってみたい場所…瀬戸内。

2007.6.8、厳島神社に立つ。世界遺産に指定されたここには欧米人の観光客が目立つ…昔は京都・奈良、今は世界遺産か? ペンタックスK10D

6/2

和歌山県橋本市(かつらぎ町かも)の丹生官省符神社を訪れた。由来縁起はまだ分からない。しかし渡来系鉱山師(特に水銀)の守護神であることは確かだ。ここから古い高野山への道が延びている。 ルミックスFX100

6/1   また行きたい場所の2。

音戸大橋ができる前からある渡船。今も橋を渡るのに困難な歩行者(行けば分かるが橋は非常に高い場所に架かっている)が頻繁に乗り降りしている。向こうの町は呉。 リコーGX100

5/31  また行きたい場所…瀬戸内の旅。

2年前に行った、徳島の小鳴門。普通には大鳴門の渦潮が有名だが、景色としてはこちらが断然いい。狭い海峡を潮の干満で激しい流れが起こる。左奥が鳴門市街地のはずれだ。 ペンタックスK10D

5/24

昨日の舞鶴に次いで、今日は琵琶湖湖北の山本山に登ってきた。もちろんハイキングではない…丸子船航海の目標となった山からウミを眺めてみたかった。 先日の槙尾山に続いて登山(そんなはずではない険路)、山頂は戦国時代の山城の跡だった。 オリンパスE300

5/23

今日は久しぶりに若狭へ遠征。それほど暑くもなく日差しも弱かった(紫外線に特に弱い)。ここは福井県と京都府の県境のムラ「高浜町上瀬」である。最奥のムラながら釣り人が多い。向こうに見えているのが高浜原発、大きな船はその関連の輸送船らしい。 オリンパスE300

5/19

2006.4 琵琶湖沖島への連絡船内。今年の2/1から大型の新しい船になった。以前の船も今となっては懐かしい。 ペンタックスK10D

5/18

1972年冬、初めて行った長命寺(↓の1/23の写真の近く)。手前は浜、護岸石垣のへこんだ場所は船着き場で、当時は船はなくなっていても上屋の骨組みは残っていた。確かに松林の脇に丸子船の破船が揚げられていた。教授はブロニカS2、二十歳の私はコーワ6を持っている。

5/16

西国三十三所三十一番札所・長命寺への入り口。ここから山の頂上近くまで800段を越える階段が始まる。確かにかなり上まで車で上がれ、最後の百段程度を歩けばいいようになっているが、ここはやっぱり下から登ってほしい。ちょっとした門前の店が並び(これは35年前と変わらない)背後はすぐに浜になる。 キヤノンG10

5/15

西の湖は琵琶湖周辺の内湖としては唯一比較的広く残された場所(と言ってもそうとう干拓されている)だ。ここからも遊覧船が出ているが、対岸の水郷巡りとは違って観光客は見えず、釣り人がまばらに遊んでいる。 オリンパスE300

5/14

琵琶湖にて。堀切港で、向こう側のウミとこちら側の内湖をつなぐ水門。埋め立てられて内湖はないに等しくなったが、水門は農業用水のために確保され、この周辺は少しだけ以前の景観をとどめている。釣り人も多い。 オリンパスE300

5/12

八幡堀の西はずれ、船木の厳浄寺前の大曲り。昔は町はずれの寂しい場所で身投げの名所だったと右端の松井瓦店の先代にきいた。2005.4  ヘキサーRF+キヤノン25mmF4+RAIII  またフィルムカメラを始めるつもりだ。

5/11  スキャナーの読み込みが悪くてキレイじゃないが、琵琶湖を比良山中腹から眺めた景色。次の本のテーマである…9月か10月出版予定。 琵琶湖は日本一の湖…しかし通い続けると案外狭い。  フジTX−1+30mmF5.6+RAIII

5/10

今日から木津川調査…しばらく近くしか行けない事情があるため。 河川敷を上流から下って、とうとう素晴らしい場所に行き着いた。ラジコン飛行機だ(競技会の練習風景)、たくさんの話を聞いた…今までよく知らなかったので久しぶりに「勉強」の気分だ。近いからしばしば通うつもりだ。エンジンはスーパーチャージドOHV約30cc、馬力は5馬力以上でるらしく迫力充分…写真と同じで飛行機も物理学で飛ぶ。

いいテーマに出会えた。 ペンタックスK10D。

5/9

琵琶湖・円山の水郷巡り(5/6)。櫓漕ぎと船外機の船があり、どちらかというと手漕ぎの方が人気があるようだ。 オリンパスE300

5/7   夢の参道。 ルミックスFX100

西国三十三所、四番札所の河内長野・槇尾山施福寺に参った。西国三十三所のなかで最もハードな参道である。急峻な崖道を小雨の中一時間(!)歩いて本堂に着く。かなり健脚の私でも途中で休んだぐらいだ。特に下りは危険なので足腰に不安のある人は注意が必要だ。難路の先の本堂はすべて拝観無料、内陣にも気軽に上がれ、六十年に一回開帳の秘仏も5/31までごく近くで見ることが可能だ。 下山したあと大阪の事務所に行き、仕事や人と会い、病院にお見舞いに行くなど奇妙な一日だった。

5/6

多賀大社に詣でた。特別に意味があったわけではない。今まで一度も行ったことがなく名神高速のPAを見て通過していた…色々心にひっかかりがあった神社なのである。よくは分からなかったが「なにかを守護する」というような意味を見いだした。 久しぶりにオリンパスE300を持ち出したが、さすがに古い…あらゆる速度が遅い。

5/4

和歌山県かつらぎ町の丹生都比売神社。渡来系(丹生=水銀の技術者集団)のカミを祀る、日本の丹生神社180社の総本社である。紀伊山中の高原に座するのも、古来より高野山への登り口なのも偶然ではない(高野山は元々この神社領)。古絵図にもある山門から本殿への太鼓橋、紀ノ川調査のついでに今回初めて訪れた。丹生族(仮称)は丹(水銀)と共に河川水運の権利も押さえていたのである。すべてはつながっている。 ルミックスFX100

5/3

過日、琵琶湖にて。守山付近の湖岸の花畠。夏のヒマワリ…このあとログハウスの展示場に立ち寄った。 ルミックスFX100

5/2

春のうららの沖島にて。沖島名物、自転車での畑通い…耕作地が狭いので自転車で行けるところのどこでも作物を植えている。行き始めたこの8年ほどの間にも畑の面積は増えている。 K10D

4/30

紀ノ川中流域、かつらぎ町の川辺の漁家。川漁はずいぶん衰えているが、ムラの構造を見ると比較的最近まで盛んだったように思われる。 ルミックスFX100

4/27   このところ本のためにしばしば琵琶湖を訪れている。これは4/5の円山水郷巡りの船着き場だ。1972年に最初に来てから何十回来たか定かではない。 フジTX−1+30mmF4+SRA100

4/23

琵琶湖・水郷のムラ、円山の氏神様。毎年必ず立ち寄る。それだけここへは頻繁に来るということだ。 キヤノンG10

4/22

近江八景「唐崎夜雨」の舞台である。ここが広重の原画でも今の場所としても最も好きである。今年に入って三回も訪れた。広重の描いた松が今も大事に育てられている。木の寿命は長い。 キヤノンG10

4/18

夕方の湖北海津大崎から。木曜の大雨でかなり散ったが、それでも強い木があって満開を保っていた。今年のサクラは早かっただけではなく、満開から二度ばかり雨があって散るのが早かったのだろう。沖に竹生島がポンと浮かんでいる。観光客はゼロに近い。

4/17

サクラが早くに散ることになったため、より低温(琵琶湖の比熱のため)の沖島に渡った。2/1から新型の渡し船が就航し、少しばかり快適な船旅(と言っても10分たらず)になった。満開はすぎていたがサクラは何とか持ちこたえていた。向こうに比叡の山並みが見える。 シグマDP1

4/15

パレード…八木中学のマーチングバンドの登場だ。神宮の森にブラスが響く。最高だね。

4/14  最近当サイトも100万カウンターを越えた。ここまで続くとは前々想像もしなかったし、今後どうなるかも分からない。ともあれ続いたことは事実である…心配だったのは99万を越えたあたりから「カウンターはゼロに戻るんじゃないか?」=フリーのカウンターをデザインだけで選んだからよく分からなかった。しかし杞憂であって、自動的にケタがひとつ増えたのである (^o^)/

橿原神宮市民祭り「春の神武祭」、この規模のイベントに自衛隊のブラスバンドが出てくるのは珍しい。向こうは神宮の森、おおむね戦後になされた植林である。

4/12

平野部ではサクラは散りつつあって、今日は趣向を変えて奈良の山奥の室生寺に行った。案の定(と言ってもギリギリ)満開であった。もちろんここの寺はシャクナゲで有名で、その開花は5月の連休あたりかと思われる(私の庭のシャクナゲは満開なので今年は少し早まるか?すでに何本かが咲いていた)。吉野や飛鳥は人出が多くて行けそうもなく、ここまで来るとそれほど多い観光客はいない。いい空気、きれいな花、ノンビリと半日すごせた。写真は本堂と奥の五重塔、そしてサクラの古木。 リコーGX100/ノーマル設定だと発色が地味だ。

4/8

今度は奈良県徳島県人会の「大仏連」の阿波踊りだ。パレードの前に少し踊りをご披露。祭りはお囃子が欲しいね。今回の写真はすべてリコーGX100。

4/7

市民パレードの準備、八木中学のマーチングバンドだ。公立中学でこれほどの規模のバンドは珍しい。

4/6

橿原神宮本殿前。破魔矢(福矢ともいう)と丑の絵馬。

4/5

今日は琵琶湖を訪ねた。八幡堀の桜は五分咲き、しかしウミに面した浜の桜は1−3分咲きってところか?次の土日が満開、湖北はその次の週だろう。また湖北に行きたい。 キヤノンG10

4/4

橿原神宮境内の若桜苑にて。広い境内はほとんど樫を主とした照葉樹林におおわれているが、ここだけは種々の桜が植えられている。確たることは分からないが航空隊の鎮魂の場所と理解している。向こうに見えるのは畝傍山、この道の先に登山口がある。30数年前に一度だけ登ったことがある。

4/3

橿原神宮春の大祭にて。比較的人出は少ない。ここは創建120年という新しい神社である。地元の八木中学の剣道の奉納がおこなわれていた。橿原の市民祭も今日実施された。

3/30

和束町のシダレ桜…

3/22

2006年の「移動教室」から…神戸王子動物園。

3/15

 1993.8の八幡水郷巡り。その昔フジカGS645Sで撮った。この日は昨日通過した台風の吹き返しで櫓漕ぎの船頭さんは船を進めるのに苦労していた。

3/13   フィールド写真講座の展覧会も、大学においてはあと数日、ぜひ神戸に来られたらお寄り下さい。

3/11

 家島諸島。この2年間に三度も渡った思い出深い島だ。 ルミックスFX100

3/5

 余呉の北陸線の踏切。故郷と同様、普通列車は少ないが特急や貨物列車は頻繁に往復する。 ルミックス-L1デジタル

3/3

 彦根港にて。雨の琵琶湖では天地が溶けあい、海浜の風景とはまったく異なる。船の往来発着は数少なくてバス釣りの少年がひとりいただけだ。

2/22

 「倭人がみた龍展」の招待券を貰ったので和泉市信太の府立弥生文化博物館に行った。そのついでに信太森の葛葉稲荷に詣でた。葛ノ葉姫伝説(安倍晴明の母=白狐)の発祥の地だ。時間の都合で少し神官に話を聞いた程度で、また神事のあるとき来てみたい。

2/14

先月学生たちと行った家島からの帰り。季節風のために寒いだけではなく、小雨と波しぶきで甲板は濡れそぼっていた。それでも夕陽は西の空に赤みを染め、家島諸島は波の向こうに輝いていた。 旅の終わりは何か寂しい、また次の目的地に行きたくなるのだ。 キヤノンG10

1/30

 もうすぐ春節(旧正月)、神戸の中華街が年で一番活況を呈する時期だ。 これは昨年の「虹豚」=とても気に入っているマネキンだ。 リコーGX100

1/27

 2002/4 近江八幡市、八幡堀の東のはずれ近く。橋の向こうに瓦ミュージアムがある。ここを大曲りして左へ行くと北ノ庄の水郷巡りの船着き場だ。 ローライフレックスT=画質は芳しくないがフォーマットが大きいので何とか合格点。

1/24

 湖西の蓬莱駅から比良山系の中腹へ上った。町の中学から琵琶湖を望む、15mmの超ワイドのため実際の見え方とは違うが、比良山の雪と冴えたウミの空気感はすばらしい。琵琶湖は冬がいい。 ペンタックスK10D・・・コントラストを低く設定したため渋い。

1/23   明日は久しぶりに琵琶湖のフィールドへ。少し撮り足したいシーン/カットがある。

 2006.1、近江八幡市長命寺港の金比羅社前の昔の灯台から冬のウミを眺めた。1972年に初めて来てから何十回訪ねたことだろう。 TX−1+45mmレンズ

1/21

 2003/1、冬の琵琶湖大橋。向こうの山は比良山系、京都と滋賀の県境の山脈で、比良山は京都で最も高い峰である。 キヤノンG1デジタル(330万画素にすぎないがレンズがいい)...この頃のコンパクトデジタルカメラのAWBは補正しないといけない・・・これは無補正。

1/20

 2006/11、長浜城天守閣から琵琶湖の日没を見ていた。今「琵琶湖舟航」の編集に頭を悩ませている・・・いい本にしたい。 リコーGRデジタル

1/12

 堀川通りを5分ほど上がると(京都では北へ行くことを上がると言う=地名にも上がる、下るがしばしば使われている)ビルやマンションの間に晴明神社がある。比較的参拝客(=多いのは若い観光客)が多く、どういう訳か縁結びの雰囲気がある。陰陽道や呪法とは筋違いだが、それも良いだろう・・・晴明も私も苦笑い・・・平和な時代だろう。私は観光客に混じって、五芒星☆のタオルとTシャツ、水晶のブレスレッドを買って(それにしても最近はお寺も神社もグッズ流行りだ)=めったに買わない=幸せな気分になった。

 少し楽しくなって、コンパクトデジタルカメラを持ってウロウロしているカップルに声をかけて記念撮影(写真は同行の友人)をしてあげた。

1/11

 京都散歩の続き・・・烏丸今出川から下町をブラブラ歩いて堀川通りへ出た...途中は室町の真ん中で繊維関係の古い問屋が並んでいる=ここはまたいずれユックリと来よう...堀川は埋め立てられ、ほとんど水路と言った雰囲気である。もちろん河岸には申し訳程度の林があり(街路樹とは異なる=やはり河川敷だ)、その中に遊歩道が伸びている。安倍晴明神社☆への旅が今回のテーマなので、まず晴明が陰陽師として勤めた御所への参内の途中にある堀川の橋、「一条戻り橋」へ御所方向から行ったのである。晴明は様々な「魔法の道具」をこの橋の下に隠していたということである。今は少し整備され「観光化」?の試みがなされている。あたりは中小企業のオフィス街、堀川通りは京都の南北方向の最も広い道である。 キヤノンG10...これはコントラスト設定が工場出荷状態=少しコントラストを落とした方がいいだろう。

1/6

12月30日の京都地下鉄今出川駅前、御所の西北の角に立つ。これから付近の探索だ。 キヤノンG10

2009.1.1

 また例年どおり字の氏神様「八大竜王」の社に初詣した。村人も三々五々集まっては帰っていく。ここは小さな社のせいか明治の合祀令にも洗われず、水神八大竜王のみが祀られている。たいていの神社は近在の諸神や伊勢系の神と合祀されている。1月と4月、10月に例祭がごく小規模にとりおこなわれている。

 と言っている間に雹(ヒョウ)が降ってきた。ストロボを焚いて止めたが、雹は大きくてかなりの量が降ったため地面に積もるほどであった。今年の神結びを感じ取れた。 ルミックスFX100


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