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コニカC35EF3
                

「カメラは使い続けなければ、それが無理でも手入れを続けなければならない。」

今回は特殊なカメラから離れてもう少し普通に使われていたカメラを紹介してみよう。そして人々がカメラにいだいている不思議な感情、人格を持つほどに使われ、存在するカメラの不思議についてその時代性と共に語ってみたい。偶然だがヘキサーRFにまでつながるコニカC35系のカメラが3台あるのでこれを中心に見てみよう。たいへんよく売れたカメラなので誰でも見たことはあるだろうが、オリンパスXAとかキャノンデミなどと違ってごく平凡に使われ、いつのまにか消えていったものである。と言っても各家庭の物置や机の奥になんとなく存在しているカメラでもある。写真は上に乗っているのがコニカC35(1970年代前半)、左下がC35EF(1970年代後半)、右下がC35EF3(1980年代前半)で、これらもそんな状況で半分忘れられかけていたカメラを発掘したものである。難しく書いたが、要するにいらなくなって、あるいは少し調子が悪くなって使わなくなり、忘れられていたカメラが私に託された、貰い物のカメラなのである。前者二台は親戚の家から(そこでも誰かから貰われて来た物らしい)、最後のは私の父が何かの旅行の時、持っていくことになり私が出入りのカメラ屋で買った物を2−3回使った後、AF機が普及し買い換えた時、私に託されたのである。これら以外に今持っているコンパクトカメラ群は、キャノネット(型式不明−古い物である)、フジカAUTO−7DATE、ヤシカパートナー、フジカポケット450F、ヤシカエレクトロ35、アイレス35(これも古い−完動品)すべて頂いたものである。二台のライカVFの項でも述べたが、どうしたものか集まってくるものである。ほとんどのカメラが完全とまでは言えなくとも立派に動き、写るのである。相対的に見ると以前はコンパクトとは言え、カメラは値段の高いステイタスシンボル的な(今で言うとパソコン、少し前だとビデオカメラか?)もので要らなくなっても捨てるわけにはいかず、かと言って置物になるほどのものでもなく、カメラ好きの人に託すのであろう。使ってやって下さいと言うことだろうか。私はその気持ちが良く解るので、手入れし、時々動かし、時にはお金を出して修理し保管していくのである。安価なカメラだけでなく、ライカ程ではなくとも高価なカメラも更に思い入れを込めて、私の元にやってくる。今までの事を書いてみると(順不同)、恩師の在米の地理学教授と共にアメリカ、マレーシア、ポーランドその他の国々を巡り、ついにシャッターがまともに動かなくなった「アサヒペンタックスSP」、このカメラには15年ぐらい前からつき合っており、教授が日本に来るたびに滞在中に修理に出してあげたり、レンズメーカーの最新のレンズを買って装着したり、何度も触ってきた。そして日本に一昨年来られた時まともに動かなくなって、そして70歳を越えた年齢を考え、私が持っていたほぼ新品のEOS100+28−85mmと交換した。これで教授はあと10年は世界中で撮影が続けられるだろう。ペンタSPは私が10年前に選んだタムロンの28−135mmの当時としては最新のズームが付いており、なんとなく嬉しい気持ちである。ボディを15000円ほどかけてレストアし、今もメンテナンスし続けている。ただし写真は一枚も撮ってはいないが・・・。これとは別に友人のドクターから更に古いペンタSVと35.50.135.100マクロ、中間リング、リングライト他のセットもやって来た。趣味(そのお父さんもカメラ好きでいつも腰にホルスターのようなケースを着けていて、そこからコンタックスT2を拳銃のように抜いて写していた・・・一昨年亡くなってしまったが)で中学の頃から写真を撮っており、歯医者になったあとは口腔写真にも使用していたのだが、ついにAF一眼レフに買い換えた。持ちきれず私に託したのである。ペンタックスで撮影がほとんどこなせる位の数になってしまった。私は妙な所があって、お金をかけてメンテナンスするだけでなく、こうなるときちんと動くシステムにしないと気が済まない。新品同様でカメラ屋の隅に転がってあったフジカST−605U(これは国産のM42マウントのカメラでは最後期のものだ−全く人気がないので安い)を買ってシステムを構築した。実はこれもその後2年間、一枚も撮っていないが・・・。そこまで大切にするので余計に集まって来るのだとも思う昨今である。いつかペンタのことはテストし報告しよう。あれほど人気があった機種なのだから・・・。あとはセミ版の古いスプリングカメラ二台。フジのフォトラマ、大判用フジノン150mm(今は4X5は持ってないのでレンズだけがある)等々たくさんある。それぞれに人の手から手へ渡り、活躍し人生を共にしてきたカメラなのだがこれ以上は書かない。原稿用紙100枚位になってしまうのである。人と物が織りなす文化とでもいうものがカメラにはある。ということに今回はとどめておこう。
このようなカメラ群のなかでコニカC35シリーズのうち3台が年代順にあるので、これを取り上げよう。それにこのうちのC35EF3は、私が比較的によく使ったコンパクトカメラであることも関係がある。私が昭和58年から平成7年までの間、ある同業組合の広報誌の表紙の写真と文を担当したときに活躍した。年4−5冊出るので少なくとも50回程度仕事をし、そのうち2/3位はこのカメラでとつたものである。撮影場所が大阪市天王寺区内に限られたこと、地域の特色を出したモノという条件があったため(その代わり内容やテキストは任せてもらえた)、いつもポケットの中にカメラを入れて、仕事や私用のために区内(私の事務所も天王寺区内、夕陽丘にあった)を歩いているときの機械なのである。当時はキャノンFD系のカメラを中心にしていたため、それは持ち歩けるものではなかったし、唯一のコンパクトカメラのCLは速写性に欠け、何と言ってもコニカにはストロボが付いていたことにより、必然的にこのカメラになったのである。写真が原則的にモノクロで大きさも名刺−手札ぐらいまでだったことも理由の一つであった。
天王寺区は四天王寺を中心とした寺町で、繁華街あり、高級住宅街あり、官庁街あり、オフィス街ありの多様な様相を持った町である。町並みだけでなく、伝統的な行事や近代的なイベントも数多くあり、取材には事欠かなかった。撮影実費ほどの予算しかなかったが、気持ちよく10数年にわたり仕事ができた。私の学術的な仕事も同時期に始まっており、その象徴のような楽しい撮影の連続であった。春は桜、夏は深緑、秋は紅葉、冬は暮色。それらを縦糸にして横糸に祭りや、神事、仏事、イベントを重ね、その背景に町並みを配し・・・。まさに民俗・地理学の写真の原則がある。この一文はとても大切なことなので次の世代で同じような写真・研究の道を志す人はよく覚えて置いてほしい。祭りの写真を撮るときもその日に重装備で出かけ、よいアングルとレンズで撮るだけではだめなのである。歴史を知り、景観の意味を問いかけ、そこでの暮らしや生業を理解し、シャッターを落とすのである。まさにその空間とそこに暮らす人々とそして正の方向に流れる時間と・・・ブレッソンの言う「瞬間と永遠の出会い」である。シュールレアリズムの概念で語ると(私もブレッソンもシュールレアリズムの影響を受けている)「速度の愛」となる。つまり上述したあらゆる背景がその一瞬に凝縮され、結像される。そしてその「今」は次に「さっき」となり、次の「今」が来る。先だって見たドゥエイン・マイケルズの写真展での彼の写真論の中にも繰り返されていたことである。彼もシュールレアリストなのだろう(作品を見るとそれも納得できるだろう)。その特性故、写真家にシュールレアリスト・ダダイストが多い事は案外知られていない。そして学術・芸術に境はない。欧米に「サイエンス アンド アーツ」という言葉がある。直訳で「学芸」、最近は「教養」と訳されている。日本にはその概念があまりないが、西洋の特に北方の概念にはこれらの二つは切り離せないものとして存在するのである。話は少し難しい方向に行ってしまった。要するに私の写真は重装備でモーターで沢山撮って、あとで良いモノを選ぶとか、偶然に頼った狭い意味でのスナップではなく、よく考えて、よく調べて、よく聞いて、最後に「よし、今だ。それ!」で一枚か二枚撮るのである。そして文章(キャブシヨン)は不可欠である。映像だけで全てを語るのは不可能だと思う。
さてコニカC35の解説に入ろう。
まず最も古いクローム仕上げのC35(152031)。ストロボが内蔵されていないせいかこの3台の中では一番小さいがアルミ系のフルメタルの外装で作りは3台中最も良い。本格的な距離計連動機である。二重像もコントラストは低いが色を黄色に変えてあり見やすい。ファインダー像はタル型になり、色もややマゼンタがかるが、フレームはクリアで見やすいと言えよう。ファインダーの右にシャッター速度と絞り値があり、シャッター半押しで指針が振れ、露出の値を指す。プログラムシャッターなのでこれで充分な表示である。現代のオート専用機だとこうはいかない。この時代にはカメラにもう少し大切な物という観念があったのだろう。メーカーもコストをかける意味があったのだろう。なにせプログラムオート専用機なのだから露出値が解ったところでたいした意味はない・・・。シャッターは絞りバネとシャッター羽根を兼ねたビハインド・レンズシャッターで、この時代の普通の形式である。レンズはヘキサノン38mmf2.8で三群四枚のテッサータイプのようだ。近接は1mまでで、ヘリコイドの回転角は小さい。描写はほどほどというところで絞れば問題ない。つまり現在のコンパクトカメラのレンズと比べて遜色なく、むしろズームではないため明るく抜けがよいということで、すでにこの時代にはこの手のレンズは完成域に入っていたともいえよう。特に中央部はシャープである。が、レンズの性能云々は今回の解説では深入りしないようにしよう。そういう性質のカメラではないことはみんな承知の上で考えたとき、思ったより良いと言うことである。
鏡胴もアルミでターレット、m.feet表記も彫ってある。そしてレンズの前面にASAの感度設定ダイアルがあり、この仕組みは時代が変わっても3台とも同じである。そしてEE(AE)用の窓もレンズ前面の12時の位置にあり、すべて同じである。二枚羽根のビトゥィーンザレンズシャッターといい、長い間露出のシステムは基本的には変わらなかったのだろう。ストロボがない分ホットシューがついており、さらにストロボの接点も別に付いていて問題ない。他の二台と違ってストロボによる露出の制御は凝っており、レンズ鏡胴にロックボタン付きでガイドナンバーの設定ができるようになっており、フラッシュマチックが汎用的に出来るようである。EEの制御はどうなっているのかバッテリー(1.3V−HD)がなくてもシャッターは切れる。勿論、EEは効かないが・・・。C35EFも同じである。今度どこかで調べてみよう。やはり機械式のセルフタイマーも付いている。まだ動作もする!フィルムの装填、巻き上げ、撮影、巻き戻しは普通のカメラとだいたい同じなので省略するが、特に違和感はない。
次のC35EF(1397366)を見てみよう。まず進化したところはストロボが内蔵されたことである。最初の頃は同じガイドナンバーでもこれだけ大きかったのであり、いかにも最新のシステムを誇示しているようで面白い。実際はコンパクトにできなかつたのだろうが・・・。最初のモデルより高さで約5mm、幅で20mm大きくなった。このストロボはやはり誇示しているように見えるレンズ脇の朱色のボタン(ON−OFFも朱色で大きく表示している)でポップアップする。コンデンサーに電気がたまったらチャージランプが点く。あとはフラッシュマチックが効いて、今のカメラと変わらない。バッテリーは単三2本で簡単に交換できるようになった。最近はゲーム機や時計、その他の小型の電化製品と共通になってカメラ用の電池(SR44やCR−2など)がどこでも手にはいるが、昔はカメラ屋や大きな電気屋でないとなかなか扱っていなく、旅先の田舎でバッテリーがあがったとき困ったものだ。今でも癖でバッテリーの予備をいつも持っている。このあいだなんか、予備で長く持っていたHD(もう売っていない)を使おうとすると未使用であがってしまっていた・・・。単三、単四の電池が使えるというのはなんとはなしに安心である。そんな時代だった。レンズは先のC35と同じヘキサノン38mmf2.8でコーティングが違う(C35はアンバー系、C35EFはパープル系)ものの同じレンズのようである。テストはあえてしていないが、C35と同じだろう。フィルター径も40mmと同じである。このカメラも外装はストロボ部分を除きアルミ系の黒メッキ仕上げである。ただし細かな部品はプラスチック製が増えている。ただしセルフタイマーは機械式(作動がちょっと怪しい。大きな音を出しつつなんとか動いたが)。セルフタイマーは全くと言っていいほど(どのカメラでも)使わないので作動するのが面白い。長い玉でスローを切るときブレを最低限にするため使うぐらいであつたが、それも今はない。ピント調整は目測になった(コストダウンとユーザーが求めなくなったからであろう。そろそろAE−1その他の簡易な一眼レフが一般に普及し始めていて、次第にこの手のカメラの地位が相対的に低くなり、皆が割り切りはじめたということだろう)。そして距離表示もm.feetともにあるものの印刷になった。彫ってあるのは本体のKONICA C35のみである(EFはバッジ)。ゾーンフォーカスも採用しており、例の山、人、半身・・・の絵が描いてある。ただしメインは距離表示で絵は横側である。ファインダーを覗くと結構凝っている。右にストロボチャージマークと絞り値の表示がある。シャッター速度は消えたが、まだ絞り値はシャッター半押しで指針が指す。そして左側には距離環と連動して指針がゾーンフォーカスの絵を指す。距離計連動と似たような動きでとても面白い。撮影距離は1m−∞で、1m胸像、1.5m半身像、3m全身、∞山の絵である。勿論クリックが付いている。ファインダーから目を外さず距離が合わせられる。良い仕組みだと思う。ファインダーは青くC35より見えは悪いが問題はない。あとは巻き上げレバーの軸がブラックペイントで当然にそれが剥がれてきていて、何と!材は真鍮である。あとバックドアの蝶番部分も真鍮製であった。ファインダーに目を当てて鼻の当たるボディ左側のシボにファウンデーションが着いておりご婦人が愛用したものと思われる。結構使用した形跡があるので写真好きの人だったようだ。先のC35は使用の痕跡が少なかった。・・・あとは省略する。
最後に私自身が父のために選び、その後ずっと使ったC35EF3(2271483)の解説である。
自画自賛になるが、さすがにメンテナンスと保管が良いので新品同様である。サイズはまた小さくなって最初のC35とほぼ同じ大きさとなった。そしてここへ来てボディ外装がほとんどプラスチックになった。無論まだ内部のシャーシはアルミダイキャストであるが・・・。機能はそう変わらないが、各部の意匠は変わった。レンズは少し短くなってヘキサノン35mmf2.8となった。レンズはどうやらテッサータイプのようで、コーティングは初期のC35に近いが、なにやら複雑な色がでておりマルチコーティングなのだろう。フィルター径は43mmとなった。焦点距離が少し短くなったせいか鏡胴が短くなり、よりコンパクトに感じる。一般にレンズは容積が同じなら径を小さくするより、全長を短くする方が効果があるようだ。ピント調節はやはり目測だが、C35EFと比しゾーンフォーカス用の絵が優先で、m表示は横に移動した。feet表示は裏側となった。更にファインダーは見えは良いが、内部の表示はすべて廃止されフレームのみとなった。もうコンパクトカメラに絞りやシャッター速度の認識は不要となったのである。コストダウンのためだけではない。ユーザーが必要としなくなったのだ。替わってコストは使い勝手に向けられていく。各部の建て付けが良くなり、動きがスムーズになった。そして巻き戻しクランクがM5式にボディ底部に移動し、使いやすさと小型化に貢献している。ただしクラッチ付きでフィルムを巻いても逆転しないためフィルムの巻き上げの最初は空巻きにならぬよう気をつけよう。細かな改良だがボディの裏から見るとシャッターからフィルム面までの内面反射への対策が改良され(先の二台は黒のマット塗装のみだが、これは細かなひだが切ってある。フード等でも経験があるが、これは効果がある)ストロボのポップアップも小さなボタンで実に確実に作動する。そして持った感じで分かるが人間工学的なバランスが採られているようで操作がしやすい。セルフタイマーは電気式になった。そしてバッテリーがなくなるとシャッターも切れない。ついに電気式のカメラとなったのである。このモデル以降AF化が進行していった。MF式のコンパクトカメラの最後のとは言えないが、最終的とは言えよう。それなりの洗練はあると思う。レンズも実に良く写り、カラーの発色も素直でこのあとに常識化したズーム付きのコンパクトカメラより(当たり前とも言えるが)かなり良い描写と言える。先のC35よりはっきりと性能が良くなっている。普段高性能な一眼レフを使用していると一見頼りないが、AEもフラッシュマチックもかなり正確である。そして面白いのがこのカメラでも巻き上げレバーの芯の部品が、真鍮にブラックペイントなことである。CLよりむしろこのカメラを使い込んだ事が、のちのライカにつながったとも考えている。今でも年に一度か二度、パーティや社員旅行の記録用に使っている。当然トラブルフリーである。

今回は普通のカメラの変遷を通じて、普通の人々のためのカメラのありかたについて考えてみた。私としては今回紹介したMFのコンパクトカメラについてもあっていいと感じている。ブレッソンが露出決定のことで言っていること=推測して、推測して、そして間違える。=生きていくことと同じである。間違いをなくすために機械の性能を極限まで上げていくのだが、それでも本質的に間違いは起こるし、際限はない。そして機械がすべて決めるなどつまらないことと思う。間違える事も引き受けた作業が写真を撮るということなのではないだろうか・・・。

大阪の天王寺、五條宮夏祭り。C35EF3+ブレスト400

四天王寺にて。C35EF3+プレスト400

追補:今日(2000/8/29)NHK「プロジェクトX」でコニカの技術者のC35のAF化(実用化最初のモデル−昭和52年)への14年の努力の秘話の放送があった。とても感動した。私たち写真家が気楽にカメラを使っている裏に技術者・研究者の日夜の研鑽があることを忘れてはならない。

年末にC35EFが2台、友人のもとへ旅だった…特に最終型のコレは父と私が使ったカメラで、愛着というほどではないが、上記のようにコンパクトカメラでシゴトをするという暴挙に付き合ったカメラで懐かしくもある。しかし「もう使わない、使う人が持つべきだ」と思って数少ないフィルムカメラ使用者である友人に託すことにした。近年、これまでも様々な使わないカメラやレンズを友人達に託している…自分が選んで使ったカメラを「売る」ことは到底できないので、そのようにするのである。 2015.12=63歳の選択。

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