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ライカ M5

私が愛するライカ

今回は(そして当分の間)ライカ系のレンズ、ボディ、そしてそれらを通して撮影に応用できる一般的な技術論を展開していきたいと考えている。蛇足ながら作品は写すその人の才能や思想、目的によって完成されるもので、レンズの特性や光学、工学理論を会得したからといって済む事ではない。いずれ了解できるであろうが私のテーマは「目的と技術」である。この二つが一緒になって写真の地平は広がると考えている。

このカメラは1971年、私が本格的に写真を始めた頃発売された。当然当時は高嶺の花でとんでもなく高いカメラであった(ちなみにプレミアのついたモデルは別としてMライカの中で現在最も高価なカメラである)。一方で一眼レフの劇的な進歩の時代で、レンジファインダーカメラは一時代前のマニアのためのカメラという常識になっており、すでに「神話」の彼方に行ってしまっていた。しかしM5を30年近くたって前に置き、触り、撮影に使うとその値打ちが分かってくる。それを作った技術者の信念までもが伝わってくるような気がする。その時代、ライツ社は日本のメーカーとの競争に敗れ、経営的にも行き詰まりつつあり、それまでのM3−M2−M4と引き継いできた栄光のMシリーズを時代の趨勢に合わせ、大幅にモデルチェンジしたカメラがM5とCLなのである。保守的なライツ社にとっては革命的なモデルと云えよう。1954年、M3の登場でそれまでの世界の35mmカメラの主流だったレンジファインダーカメラの開発競争に勝負がついた。それまでもこの分野に君臨していたライカ(俗に云う、Lマウントのバルナックライカ)に戦後、追いつき追い越せと急激に研究開発してきた日本の各メーカーに対し決定的な勝利をおさめた。その結果ライカ以外のメーカーは一眼レフの開発に絞り、またそれが20年後ライカに辛酸を舐めさせる原因ともなったのである。1970年代、日本のメーカーの攻勢に対しライカはすでに常識化していたTTL測光を採用し、ボディデザインも大きく変化させ(保守的なライカファンにとっては気に入らない事だったようだが)シャッターダイヤルの位置と形状や巻き戻しクランクの位置と機能、ボディ形状の変更と大型化によるホールディング感の変更等、人間工学的な設計を大幅に取り入れた。また、メーターが内蔵されたことにより、ファインダー内の表示もその時代の日本製の一眼レフと同じく、シャッター速度が表示され、露出の決定もいわゆる追針式でシャッター優先式でも絞り優先式でもフアインダーから目を離さず合わせられるようになった。特筆すべきはシャッターダイアルがシャッターボタン、巻き上げレバーと同軸で、かつ大きくなりボディからすこしはみださせたことである。露出制御が絞り優先でもできるようになったことと、扱いがそれまでより断然し易くなったことである。

ここら辺はM3−M2−M4のデザインポリシーの線上にある次世代機のM6よりも進んだ要素と言えよう。私が使ったM3以降のライカM系RFボディ(M3.M2.M5.M4−2.M4−P.M6.M6TTL.MP.CL・・・M7.CLEとヘキサーRF等のAE機は別)の中では総合的に見ると、最も使いやすい機械であったことも記しておこう。その他の改良点も勿論だが、機械的なこととは関係なく、この時採用された縦吊りのストラップはCLと共に大変使い勝手が良い。欠点は唯一その重さと大きさだけだろう。慣れの問題とも云えるが、比較的小型のライカレンズとのバランスを考えるともう一回り小さい方が使い易いと思う(M5/幅147x高87.7x厚34mm−とM6/138x77x35.6mm―の中間位が良いか?)。重さはM4より130gも重く、レンズ一本分の重さに相当し、ボディ2台を持つとすれば2本分違ってくる。ズームレンズのない(トリエルマーを除く)ライカMシステムにとって、しかもフィールド派の私にするとレンズ2本多く持てるか否かは大きな問題と云える。とは云っても普通の撮影では3−4本持てば充分なので特別の場合以外は問題ないし、車を使った撮影旅行ならば更に問題ないとも云えよう。私の場合撮影フィルムはリバーサルのみで2台目のボディはスペアとして持つため、その時はM5とCLEの組み合わせか(M5のファインダーには35-50-90-135mmのフレームが内蔵されている。CLEには28/40mmのフレームが内蔵されているため使い易いメリットもある)、M6との組み合わせで持てば良い事と云えよう。

このカメラの良い点はいくらも書けるが、一口で云ってM型ライカ(M7は除く)の中では最も使い勝手が良く、ニコンやキャノンに(勿論、ここで云うのはマニュアル式のモデルのこと)慣れた人にも違和感がなく、確実に撮せると云うことで、あとは使ってみて分かるという性質の操作感の良さで、試してみる価値はあるだろう。

細かな話としては、ここではM5を使う時の注意点を書いてみよう。まずフィルム装填の時に基本はM6等と同じだが、フィルムの巻き戻しクランクが底蓋に付いているため底蓋のボディとの連結のノッチの形状と位置が違い、ロックも位置が反対に付いている。従って底蓋を開けるには他のMカメラと反対方向に開ける事。そしてフィルム装填後、定石通りフィルムの弛みを取るために巻き戻しクランクを回す。この時クランクを引き出すとロックがかかり逆回転しなくなる(M6は逆回転もする)。つまり「巻き戻せても巻き上げる事はできなくなる」。すこし巻き戻し、クランクをたたまずに2カットの空シャッターを切ろうとしても巻き上げることができず、無理に巻き上げようとするとフィルムのパーフォレーションが損傷し、あとは正常に巻き上がらず空回りとなる。私も初めて使ったときそうなった。「クランクは巻き戻す時以外はたたむ」、これを忘れない事。次にフィルムの巻き上げレバーが戻した状態でアクセサリーシューに少し当たる(プラスチックの部位が当たる)ので、痛めないように気を付けよう。測光はフィルムの巻き上げで電源が入り、シャッターを切るまで動いている。それ自体は気にせずとも良いのだろうが、電池の消耗や不用意に明るい光源へカメラを向けてメーターを振り切ったりする事を考えると、撮影の直前にフィルムを巻き、測光し、速やかに撮影する。これはライカカメラ全般に云える事で、今の日本のカメラがモーター内蔵で常に巻き上がった状態が標準に設計されている事と対照的である。レンジファインダー機の欠点である漏光の事(修理屋さんに聞くとM3以外はほとんど問題ないそうである)もあろうが、それだけではなく撮影直前に巻き上げ、測光し、撮影するという設計思想があるのであろう。そしてM5の場合、測光後シャッターを押すと半押しでレンズの後玉の前に出ているCdsのアームが引っ込む。従ってメーターの指針も引っ込むことになる。このあたりの呼吸は現在の日本製のカメラの一般的な測光方法である「シャツター半押し」に慣れていると、つい半押しにしつつ絞りやシャッターのリングを回して測光しそうになり、違和感をおぼえる。あくまで露出を確定した後シャッターを切るのである。慌てなくとも半押しで切らずに元に戻すと測光用のアームも元に戻り改めて測光できる。そして大事な事として測光方式のせいでレンズの焦点距離で測光範囲が変わり、短焦点になればなるほどスポット測光となる。ファインダー内に測光範囲は表示されるが、あくまで目安と考えた方が無難である。測光範囲を外れると全く露出計に影響を与えず、光の当たっている所と当たっていない所のエッジがはっきりしており、実際に測光するとカメラの少しの動きで神経質な動きをする。そのことを頭に置けば正確に作動する。このカメラは測光用のみにバッテリーを使い、現在は環境問題で日本では売っていない「HD−1.5V」を使う。今はアダプターを介してSR44やLR44(カメラによっては一回り小さいLR43でないと入らないものもある)を使うか、輸入品のHD(MR9)を使うかである。テストすると(アダプターは色々あるので一般化はできないが)前者はちょっと電圧か電流が小さいようで見かけ上指針の振れが小さく、HDの方が正確に値が出るようである。しかし環境問題を考えると前者を選択するべきである。それに今使うとなると25年以上前のカメラなので露出計のコンディションも落ちており正確なものは少なく、アダプターを介してSR-44を使い、外部露出計で正しい値を出して、それに合わせてカメラのASA感度設定ダイヤルを調整し(このカメラには露出補正機構は付いていない)正しく露出が出るようにしよう。次にファインダーは大変見やすく、M6の欠点である距離計窓のハレもほとんど無く、良好と云えよう(視野はM6より少し狭い)。ただし、どうしても埃が長年の間に入るため(国産よりこの点では落ちる)埃と汚れには気をつけよう。そして幾年かすると分解清掃は不可避である。材質や精度は極めて良好なのでファインダーに限らずメンテナンスとオーバーホールの効果は絶大である。

かくして私が考えるにM5はライカM型においてのベストカメラと位置づけている(あくまで現時点での、しかも私の「好み」と受けとって欲しい=今、2002年ではM7だ)。この機械だけの事でなく、エルンストライツ社が社運を賭けた姿勢でこの頃開発をしていたこととも関連した結論である。別の機会に詳しく報告するがレンズもこれと同時代に性質を変えている。マニアから見るとどうも改悪のように云われているが、M5と同じく既に物理的な特性において性能的に追い越されたニコンやキャノンに学び、解像力やコントラストに重点を置いた設計が試されているように見える。それまでの軟らかい描写とかレンズの味といった「神話」に頼るだけでなく、物理特性を重視した設計の始まりである。これは経営の代わった現在も続いている。しかし年代別にレンズを並べてみると、一定の傾向が見え、かつ現在においても、かの「味」は残していることがハッキリと分かる。更にこのレンズ設計の改良以外に大きな事がもう一つある。同時代のCLの存在である。コンパクトライカの略であると云われ、若かった私もこのカメラはサブカメラとして買えた。画期的なのはミノルタとの提携の製品である点であり、この点でも日本のメーカーの技術を認め、それに学ぼうとする姿勢がある。この後のライカ一眼レフにミノルタの技術は生かされ、ミノルタではCLEとして結実させた。おそらくライカの得たものの方が大きかったに違いないが、それまでに提携という形ではないにせよ世界中のカメラメーカーがライカに学んだものはもっと大きかっただろう。(「CL」の事も後日書こう。)ベルエポック=良き時代を忘れず、同時代性を追求する。古き器に新しいワインを注ぐ事をなした時代なのである。ライツ社はそれでも暫くの後、経営権が譲渡され、「Ernst Leitz Wetzlar」の名は失われたが、ライカは依然として健在である。フォクトレンダーやコンタックスやレチナがたどった運命と違う現在があるのはM5の時代のライツの思想が分水嶺だったのではないかと考えている。もとよりその思想はバルナック時代からあったものだろうし、急に出来上がったものではない事は言うまでもない。しかし経営難の中で実行できたのは単なる伝統だけではなく、その時代の経営陣や技術者の能力と決断なのである。そのM5も経営の悪化した時代に生まれた不幸により、約4年間3万台程生産された後、1975年並行生産されていたM4と共に生産中止となった。そしてそれはライカがレンジファインダー機から撤退した事(後日復活する)でもあった。M3が発売されて20年近く経ち、機能的にはM4をもって完成された反面、デザインも機能もややクラシックになって、それまでの改変がマイナーチェンジであるとすればM5は全くのモデルチェンジといえようが、本質的なカメラの機能の発展性と云う点で一眼レフとの勝負はとても無理だったと考えられる。くどいようだが、ここに書かれた歴史的な背景と実際に使用してみて、私はあえて定説に逆らってM型ライカの粋はM5と考え、これからライカを使おうと考えている人には最新のライカM6系のカメラをまず薦め、次にM5の購入を薦める。前者は最新の(それでもずいぶんと遅れているが)機能を、後者はその思想を買い、使うのである。今回はややライカの歴史に偏った内容で恐縮であるが、今後しばらく続くライカシリーズの序としてどうしても必要なので、初心者には不向きと知りつつ書いた。

*追補1:その後ヘキサーRFが発売されて、私も現実の使用はヘキサーが80%を占めるまでになっている。しかしヘキサーはMマウントではあるが、別のジャンル(CLEも含め)のカメラと認識している。新旧内外のライカL−M系のレンズが使えるという点では便利で良くできたカメラだが、私のM5への評価は一向に変わらない。必ず旅には持っていくカメラである。

*追補2:「ライカボディの話」のページに幾つかの知見を書き加えた。

*トップの写真/キヤノン50mmF1.8を合わせたもの、威風堂々である。

M5にズミクロン35mm7枚玉。

キヤノン50mmF1.4。

M5+キヤノン35mmF1.5、とにかく大きなレンズがよく似合う。

ジュピター50mmF2初期型(1962)を。ボディが重くてホールディングがいいのでどんなレンズでも安定的に撮れる。ただ「大きくて重い」のはフィールドでは不向きで、最近はM7やヘキサーRF、CLEに席を譲りかげんだ。ただし好きなライカはやっぱりM5・・・私に夢を運んでくれた。仕事ではすでに過去の遺産となっているが、それ以外の撮影にはまた使いたい(2004.6.6の決心)。

summicron35mmF2ASPHと。使用頻度は落ちていて(28mmが取材現場では便利になった)残念。でも少しカッコつけて持ち出している=青春時代のLeica、我が友ライカ。

*参考文献 朝日ソノラマ クラシックカメラ選書8「新M型ライカのすべて」中村信一著
         写真工業出版社 「ライカの歴史」 中川一夫著
         朝日新聞社 「ライカとその時代」 酒井修一著

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