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ニコンS2

ライカに似ていないライカ

今回は少し方向を変えて、最近限定復刻で蘇ったS3人気に乗っかった話をしてみよう。
私は友人がこの度の復刻S3を購入したため、彼の持っていたS2と50mmF1.4ゾナータイプと35mmF2.5(私は両方ともLマウントで以前から持っていたため、レンズに対する一定の評価はあった)のセットが不要になり、私が買い取った次第なのである。私自身もニコンSシリーズには多少の興味を持っていたので渡りに舟となった。何に興味があったのかと言うとこれが単純な事で、他の国産レンジファインダー機の中で別格の扱いを受けていたこと(値段のことも格式のことも)である。その時代(1950−65)他の国産機がライカマウントを採用したのに対し、コンタックスマウント(しかし形だけで実際は独自のSマウント)にならったマウントとピント合わせの方式を採用したことも不思議であった。他のメーカーはライカに倣ったことによりそれなりに売れ、ニコンは高価なことと他のボディ・レンズとの乗り合いができないことにより、営業的には成功したとは云えないのである。では単に数が少ないという希少価値で現在中古価格の高騰を招いているのだろうか?それも違う。初期のIやM、末期のS4、S3再生産モデルなら希少価値とも云えるがS2−S3−SPはそれ程に稀少品とは云えない。ではレンズかというと、当時のニコンはレンズメーカーと言う側面も持っており、S用のレンズを他メーカーのためにLやCのマウントモデルとしてかなりの数出していて、これも決め手にはならない・・・私はLマウントのニコンレンズを4本持っていて、かなり良いレンズという反面、当時のキャノンと似たようなものという事も理解している。ではボディか?と考えるのが人情である。友人の「余ったカメラ」という大義名分で、いきなり私の元へやってきた。

ニコンSシリーズは外見をコンタックスに、中身をライカに規をとったといわれているが中身のことは分からない。外から見るとどう見てもコンタックスである・・・更にコンタックスコピーのキエフともよく似ている。本家コンタックスは使ったことがないが、キエフなら程度の良いものを持っている。最初に触った印象はキエフの仕上げを良くしただけで、特に感動するほどでもなかった。ファインダーはキエフそっくりの青緑がかった着色がなされており不思議な一致と考えた・・・コンタックスもそうなのだろうか。
ニコンS系の歴史や機構についての解説は「レンジファインダーニコンのすべて」朝日ソノラマ刊:久野幹雄著に詳しい。この本は質・量ともに最良のガイドブックになると思うので、興味のある人はぜひ読んで貰いたい。私の解説にも多くのデータを引用させていただいている。
他のSの話は上記の本に譲るとして、この後は私のS2を使った感想を書き進めていく。
S2(私のは前期モデル−後期モデルはシャッターダイアル、フィルムカウンター、シンクロセレクター、レンズマウントの距離目盛、フィルムインデックスを黒仕上げとした・・・他にもモーター付のS2Eがある)は1954年から1958年までに56715台が作られ、これは他のS系カメラに比べると飛び抜けて多い生産台数である。ちなみに生産台数は、I型−758台、M型−1643台、S型−36746台、SP−22348台、S3−14310台、S4−5895台と言われている。後期だのブラックだのモーターだのと色々あるが、要するに私のS2は最も平凡なS2(すべてのニコンRF機をつうじても)なのである。シリアルナンバーから見ると後期型に切り替わる直前の前期型で、1956−7年の製造と推測される。
大きさ・重さは、5cmF1.4付で、W136XH79XD68mm.700gと、同時代のライカM3ズミルックス50mmF1.4付の138X77X80.5mm.920gと比べレンズがコンパクト(ニコンSはボディ側のヘリコイドを利用するため軽くコンパクトにできる−5cmF1.4はレンズ単体で210g、ズミルックスは325g)なだけでボディそのものの差は少ない。裏を返すとM3並に丈夫に作られているとも云えよう。実際持った感じはズッシリとしており、その角張ったデザインと仕上げの無骨さが手伝ってむしろM3より重く感じてしまうほどである・・・逆に大きさは小さく感じられる。まずは当時のキャノンRF機等より頑丈そうに見えている。貼り革の質感も固めでキエフとそっくりである。ホールディング感は左手はまだましとしても、右手はボディ本体からファインダーの対物部(及びピントギアの格納部)が5−6mm出っ張っていて、しかもその角が直線的に立っているため、構えると右手中指がこの段差に当たって痛くて不快である。おまけにシャッターボタンがニコン独特の手前に引っ込んだデザインとなっているため押しづらいのである。少なくとも人間工学的ではないデザインである。持ち方はMライカと異なり、右手は掌で深く包むように持ち、指は立ててボディを支え(ちょうどパームグリップ付のカメラのホールディングの形からグリップを抜いたような持ち方)人差し指でバルナックライカのように指を大きく曲げて真上から押し込むようにシャッターボタンを押す。或いは中指をピントギアの上に置くと自然に人差し指がシャッターボタンの上に来るように構える。どちらにしてもキエフと同じく持ちにくいボディである。


さて撮影にかかろう。なお記述中の左右はすべて撮影者側から見た左右である。


まず少し厄介だがフィルムを入れよう。コンタックス(キエフやライカCLも同じ方式)と同じく、写真のとおりのボディ底面左の開閉キーを「open」に回し、ロックを解除して裏と底が一体となった裏蓋を下方に引き抜くように開ける。そうすると現代の一眼レフとそう違わない景色がある。キエフのように巻き取り軸がフリーになっておらず、ごく普通にフィルムをセットする。やはり完全に巻き取り軸にフィルム先端を差し込み、少し巻き上げてタルミをとりつつ送りギアに確実に噛ませることは言うまでもない。そのあと外したときと逆の手順で裏蓋を閉めるのだが、CLのように圧板と裏蓋が別体となっておらず、いきなり圧板付の裏蓋を押さえるように閉める事になる。普通のバックドアは上から押さえるように閉める(ライカMでも同じ)のだが、いわば斜めからスライドさせつつ押さえることになる。位置決めに甘さがある圧板の圧と形状が気になる・・・強すぎるとフィルムに傷がつくし、弱すぎると平面性が悪くなる。時に気にかけないといけない程度にその精度にかなり疑問がある・・・私のS2も長年の使用で少しの傾きがあった(これが簡単に手で直せることも不安を助長させる)。しかしフィルム送りそのものはスムーズであり破綻はない。1カット空撮りしてフィルム装填完了。慣れるとライカM式より多少速いだろうか。


次の写真を見て欲しい。カメラ上面からの姿である。右からフィルムカウンター、シャッターボタン、シャッターダイアル、アクセサリーシュー(ここではセレナーの35mm外付けファインダーが着けてある)、シンクロセレクターと巻き戻しクランクである。
この時代のカメラに普通だったようにフィルムカウンターは自動復元せず、フィルムを入れた段階で1にセットする。ロックはないので使用途中でも何かに当たったり不用意に触ると動いてしまう。この点では同時代のM3より(ライバル、キャノンのVTも手動セット式)かなり技術的に遅れた印象がある。

ともあれフィルムを巻き上げる(小刻み巻き上げ可)と、シャッターダイアルも一緒に回ってしまう。ここでもM3に劣後していて一軸回転式なのである。しかし高速側(60−1000)と低速側(30−1.T)を同軸にして操作性を良くする工夫がある(同時代のキヤノンは同軸ではない)。更に普通このタイプのシャッターダイアルは巻き上げないと指標が設定された値を指さないのだが、このカメラでは軸の中心に小さな三角の指標があって、これはダイアルとともに回転するため設定値はいつでも読みとれる。仕上げの良さと共になかなか凝った作りである・・・本家M3程ではないが、それなりにバルナックライカ3Fを越えようとする工夫のあとは見られる。シャッターの設定は後日のフィルム感度の設定方法と同じくシャッター環を少し持ち上げて回し、希望の場所で下ろすことで出来る・・・書くと難しそうだが慣れると問題は感じられなくなる。スローシャッターはメインのダイアルを30−1(赤字で書いてある)に合わせた後、下のダイアルのノブを回すことにより設定できる。これはキャノンVT等のような2軸別体式の方式より1段操作性が良好。
外付けファインダーにキャノンを使っているのはデザインが好きなことと、この時代のファインダーはパララックス補正機構がついているためである(勿論ニコン純正も)。私が35mmレンズを標準として使うため、等倍ファインダーのS2にはどうしても必要だからである。

次のシンクロセレクターはこのダイアルのセットとシャッター速の組み合わせで、あらゆるストロボ・フラッシュにシンクロさせるためのものである。実は詳しい取扱は私には分からない・・・私の時代は既にX・M・FPに収斂され、それもすぐにXのみになったので、学校で習ったことは忘れてしまったのである。だがその当時は大事な事だった。

さて元に戻り、撮影である。シャッター速度のセットに続いて、レンズにある絞りをセットする。本質的に回転ヘリコイドなのでセットし辛いが、更にクリックが固く(経年変化だけではなさそうである)絞り値が不等間隔であるため、慣れるまではたいへんであろう。絞り環の回転方向(ピント合わせの方向も)現在まで引き継がれているようにライカや他のメーカーとは逆回りであるが、これはすぐ慣れるだろう。露出値を決めた上でファインダーを覗く(勿論逆でも結構)とキエフと似た青緑色のついたクリアな等倍ファインダーである。決して明るくはないが見えは良い。50mmのみのフレーム(どうした訳かM3と同じく角が丸い)だがこれも細くてスッキリとしている。ただしアルバダ式なので角度や明るさで見えにくくなるのは止む終えない。距離計窓は二重像も綺麗に分離されており・・・移動像がやや明るく暖色である・・・合わせやすく信頼できる。上下像合致式は無理だが、時代を考えると合格点は間違いないだろう・・・現在の感覚でも問題はない。
ファインダーにパララックス補正機能はないので後は勘の世界である。だが不満はない・・・どちらにしてもRF機にフレーミングの精密さを求めるのは酷である。M6でも実画面とフレームでは相当の差があるのである。割り切って使うことであろう。ピント合わせはシャッターボタン前方にあるピントギアか鏡胴を回して行う。ギアは便利だが(無限遠ロック解除もふくめ)使っていると人差し指の先が痛くなり、鏡胴を持って合わせると無限遠ロックが掛かったとき外すのに面倒がある。ギアの場所とボディに解除ボタンがあるのだが、ワンタッチと言うわけにはいかない。35mmレンズを着けるとどういう訳かロックが掛からなくなる。機構的には35mmの鏡胴が太くてボディ側の解除ボタンを押してフリーの状態にするのだが、なぜ標準レンズだけロックさせる必要があるのか疑問である。これはライカレンズでも同じ疑問を持っている・・・特にニコンの場合、コストアップと故障の原因を増やすことになると思うのだがどうだろう・・・。

そしてシャッターを切る。シャッターボタンの回りにある環をAに合わせておく必要がある。このカメラでは巻き戻しの時のロック解除は、この環をRにセットすることになっているのである。シャッターは布幕フォーカルプレーンで「パタン」という音と共に切れる。このカメラは調整ができていなくて125より速い速度は出ないので音の大きさも普通より大きいのかも知れないが、明らかにM3より大きな音とショックである。ただし撮影に影響が出るほどではない。後のS3復刻版でも音は少し垢抜けたが「パタン」である。音はDIIIあたりに似ていなくもない「カポン!」。

さて撮影が終わると巻き戻しだ。まずシャッターボタンの回りの環をRに合わせ、巻き戻しクランクを起こし矢印方向へ回す。動きはスムーズだが、クランクのつまみがクランクと一体成形されているので回しづらい。しかしそれも小さな問題である。あとはフィルムを取り出し最初に戻る。当たり前と云えば当たり前なのであるが、それまでのカメラには欠けていた機能で、M3等も含め当時の最新型カメラの面目躍如である。
ここまで書いてニコンSシリーズの人気(或いは魔力)について、はたと気がついた。
オリジナリティである。当たり前の機能がライカコピーではなく達成されたことに重点があり、これが他の国産のライカコピー機にはない魅力なのである。バルナックライカの後を追い、追いつきかけては遠ざかるライカへの挑戦がニコンSにはあったのである。それまでも(ニコンI.M.S)バルナックライカとは異なる機構のカメラを作り続け(継続性)一貫して機能・性能の向上を続けさせる。M3登場のショックにもがらりとモデルチェンジするのではなく、独自の道を歩み、S2−SP−S3−S4と孤高のカメラを守った。ライカにも似た頑固さである。そして性能よりも営業的な不成功で多くのボディ・レンズを残すことなく去っていったニコンSである。時代は違うがキャノン(RFにおけるニコンとの戦いは営業的にキャノンが勝った)もまたオリジナリティ(これは矢継ぎ早の思い切ったモデルチェンジで成功した)ゆえ残り、後にMライカを越えることなく去っていった。もし現代、いや1970年代まで共に生き残っておればライカを越えたかも知れない・・・復刻S3が50万円でも売れたことも理解できようと言うものである。Mライカとは異なるやり方でバルナックライカを越え、機能的な前進を果たしたSシリーズ。「ライカに追いつけ!」のボディ或いはカメラシステムとしての実践がSシリーズの魅力なのだろうか。今まではレンズにおいてはライカに肉薄していたが、ボディはついに追いつけなかったと考えていた。案外M3−2の時代、S2〜S4で接近していたのだろう。ライカマウントシステムでないだけに比較検討されず別々のカメラとしの評価がなされていたようだが、写真家は性能で判断するためRF機のもうひとつの粋としてSシリーズは位置づけられて来たのだろう。私も偶然とは言え、今手にするとそのような感慨が生まれてくる。私より少し前の世代の友人は当時の「憧れのS3」を復刻で買ってしまったのである。「カメラはライカ」という言葉があるが(田中長徳氏)、「カメラはニコン」という時代も現在の意味とは別に確実にあったのである。最後に2000/1アサヒカメラのニコンの広告のコピーを紹介しよう。「時代を超えた、存在がある。−Fマウントは今年40周年−」・・・「ニコン初の一眼レフからニコン最新のデジタルカメラまで」・・・なにやらライカと似ているようではないか。ニコンSカメラの人気の秘密は「ライカに似ていないライカ」なのだろうか・・・答えはもう少し先にしよう。

長くなってしまったのでレンズの話は後日とする。

二枚ともコシナ=フォクトレンダー21mmF4で撮る。京都駅ビルと修景された京都の町中の景色。コシナのレンズは限定S3にキッチリ取りつかないものがあると聞いているが、その後知らぬ間にどうやら改良されたようだ。ニコンS2/3にはコシナのレンズが案外使い易いだろう。21-85mmまでフルラインアップである。性能は古いニッコールより少なくとも広角から標準までは高性能になっている。私もニコンを常時使うだけの余裕ができたら28mmは導入したいと考えている。

別角度から。見た目には標準レンズを着けるとなぜか引き締まる。このレンズもなかなかいい。今度はレンズにも踏み込んで改訂したい・・・あるいはS3の話とともに書いてみようか。 今度S2/3で撮影に行こう(2004.4.17=京都・仁和寺)。

*追補1 2002年後半にS3ブラック限定モデルが発売され、思惑買いのS3−2000の価格が大幅に下落した(かなり新品が残ったらしい)。そこで私もブラックをと言いたいところだが、比較的安価になったクロームモデルを「未使用品」=微妙な書き方である=で購入した。私の持っている唯一の限定ボディである=これだけは本物と感じる。使い勝手は新品と言うだけでなく、マイナーチェンジで相当改良されているが、それでもニコンFまで連なる手に馴染みにくいスタイルは踏襲されているようだ・・・しかし実用の範囲内である。決して使い易くはないが魅力一杯のカメラである。あまり使うチャンスはないが、そのうち「カメラ談義」にとりあげてみたいカメラのひとつである...レンズはコシナの21mmを買いたした(ちゃんと取りつく!)。

 別角度から。メッキはオリジナルと異なり、梨地が荒く白っぽいが、決して悪いとは思われない。愛すべきSニコンだ。

復刻版のブラックペイントS3。これは更に重厚に仕上がっている。今度はSPの復刻でこれも価格が下落した。私が写真を始めた頃は、キヤノン7などと共に撮影で下げている人がいたものだ。現在はどう考えても置物と化しているように思われる=もちろん私のも含めて。

参考文献:先の本以外に「ライカ通信2」竢o版、「アサヒカメラ2000/1」、「ライカの70年」アルファベータを参照した。

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