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キヤノン VT

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キヤノンのモダンRF機の原点

さて今回はやや特殊なカメラで申し訳ないが、キヤノンにおける「ライカに追いつけ!」のボディである。レンズでは知らぬ間に追いつき、いつの間にか追い越していったが、ボディはRFの時代を通してついにライカに追いつくことはかなわなかった。しかしボディの開発陣にも闘いはあったし、肉迫していたことも事実で、そのまま開発を続けていたら遠くない日に追い越していただろう。時代はレンジファインダーを選択せず、少し深追いをしたキヤノンは一眼レフで出遅れた。ある意味で、ついに見なかったキヤノン8は出なくて良かったのだろう。しかしそれも夢のまた夢、各メーカーで生き残ったものは大きな会社となり成功したかに見えたが、現在次々カメラそのものから撤退をしつつある。保守的なカメラ作りをしてきたニコンや、中判や大判のメーカーだけが細々と生き残るのだろうか。
キヤノンはハンザキヤノンの時代からライカのコピー、そしてそれに少しの付加価値をのせて商売をしてきた。バルナックライカの時代の末期はキヤノン4Sb改をもって、ライカVFに追いついたといっていいだろう。アクセサリーやレンズも充実し、カメラも一眼式変倍ファインダーを装備して、たいへん完成度の高いシステムとなった。
ところが1954年、例のM3ショックである。日本のカメラ史では必ず語られる「M3ショック」これによりライカは10年以上先へ行ってしまった。すべての国産RF機が値段だけでしか勝負できない「時代遅れ」になってしまったのである。ニッカやタナック、レオタックスなどは次々と倒産/廃業をし、ミノルタその他の大手は撤退をしていった。その中でニコンとキヤノンだけがM3に対抗し、次世代機種の開発に進んでいったのである。ニコンの話は別稿のとおりであるが、もう一方のキヤノンのM3への回答が今回採りあげるVT(5T)なのである。
カメラの歴史が大切ではないので詳しく踏み込むことはしないが、「M3以降」のキヤノンのRF機について資料を紹介しておく。朝日ソノラマ「クラシックカメラ専科45」p86−95『キヤノンV型から7S型まで』宮崎洋司 
さてVTはそれまでのライカコピー機の延長線上からの脱却を目指して、1956年実質1年半の開発期間を経て世に出た。写真の通りモダンで独自のデザイン/機能を持ち、その後のRF機−一眼レフに多大な影響を与えたモデルと言えよう。
さて操作しつつ、どこがどうなのか考えていこう。
外観を見るとそれ以前から、そしてそれ以降も踏襲されているボディのシルエットの特徴として、ボディの角を8角形にしてライカが一貫して取り入れている楕円形とはずいぶん違う。ホールドしてみると実はどちらが良いかは甲乙つけがたい。ライカは確かに柔らかな持ち味があるが、キヤノンがゴツゴツして持ちにくいとは言えず、むしろ角かどが手指のあちこちと干渉して「しっかり」持てるように思われる。しかし一貫性は好ましいと思う。後に大成功する基礎は頑固なまでの「独自性」にあるのだから。F−1を触ってみると、MF一眼レフの最期までこのシルエットは残されたことが分かる(一方でTシリーズあたりから曲線が採り入れられた)。ここ以外も全体に直線的でフラットなデザインとなっていて、持ちやすさの因になっている。このへんはM3に見習った部分もあるだろう。それまでのゴツゴツとした精密機器から「人間工学的な箱」への変化は機能美となっていったのだろう。逆説になるが、その意味で今でもバルナックライカは精密機器としての魅力を失っておらず、マニアの間では依然として相当の人気がある。私としては「機能の箱」をとるが、あながちコレクションとしてのバルナックも捨てがたいのだと思う。カメラとしてはモダンになったMライカとキヤノンは成功し、他のRF機は消滅したのだから歴史の選択は明らかである。ニコンですらモダン化を果たせず消えていった。
さてフィルムを入れてみよう。ボディ左に裏蓋のロック解除のレバーがあり、それを押し下げると裏蓋が右に開く。今では当たり前のことだが当時としては画期的な改良で、フィルムの出し入れは非常に合理化された。当時はほとんどのライカ型のカメラはフィルムを底から出し入れしていたのである。これにはボディの強度(精密なアルミダイキャストシャーシ)を上げて、背面部分が構造的に自由度を持ったことによる。単純にそれまでのボディの背面を切り取って蓋にしただけではないことは当然のことである。左のフィルム室にパトローネを入れて右の巻き取り軸にフィルム先端を差し、少し巻き上げて送りギアにパーフォレーションを確実に噛ませ、蓋を閉める・・・まったく以後のカメラのスタイルと同じである。ただし「巻き上げる」というのが今とはぜんぜん違う方式である。最近ベッサTで復活されたトリガー式の巻き上げ方法なのである。ライカにもライカビットなどという形でアクセサリーとしては存在したが、キヤノンはどうした理由かこの方式にこだわり、内蔵してしまったばかりではなく、これ以降も疑問視されながらも装備し続けた。ヒット商品のキャノネットなどもトリガー式ではないが、底面に巻き上げレバーを持っていた。巻き上げをノブ式の回転からトリガー式の直線運動の1回式にして巻き上げの迅速化を図ったのであろう。確かにその点では成功したが、機構が複雑になりボディも大きくなってしまう(コストが上がる)ことと、カメラをぶら下げているとき下にナイフのようなレバーが突きだしているのは精神的にも実質的にもじゃまになることがデメリットとしてあった。実際、トリガーレバーの先端はVTの改良型であるVTデラックスでは丸められている。キヤノンも翌年の1957年巻き上げレバー式のモデルを投入し、次のY(6)T型を経て、ついに1960年この方式を完全に放棄した。この頃のキヤノンのネーミングはTが付いているのがトリガー式で、Lが付いているのがレバー式である(P以降はすべてレバー式)。

トリガーを引き出した状態。出すときは先を爪で引き出して立てるだけである。格納するときは根本にある小さなレバーを押してロックを外してたたむ。ボディ横の薄い構造物が裏蓋のロック−開閉の装置である。

キヤノンもトリガー式だけの装備には不安を持ったようで、巻き上げノブも併設されている(実は故障も多かった)。フィルムを入れるときにはノブの方がしやすい。ただしキヤノンとしてはあくまでメインはトリガーなので、ノブを使うときにはボディ背面右上の小さなボタンを押してノブを上に引き出し操作することになる。作動自体はスムーズで補完的な機構としての手抜きはない。このノブにフィルム感度の表示が設定できる(勿論、露出計が入っている訳ではないので、あくまで「覚え」のためである)。ノブを戻すときも先ほどのボタンを押すことで簡単にできる。ちなみにノブを引き出した時でもトリガー巻き上げは可能で、このクラッチ機構も無駄なコストとなるだろう。一般にコストダウンをすべて悪とする風潮があるが、私は一方的にそのように考えるのは間違いだと思っている。確かに質や機能の低下をともなうコストダウンには賛成できないが、無駄な機構や無理な構造はコストに跳ね返るのを阻止せねばならないし、コストの問題だけでなく故障や性能の低下をも誘発することがあるため、技術者としては(そしてユーザーとしても)速やかに改変せねばならないのである。更にメーカーとして利益を出さないと、製品として供給ができなくなり、誰にとっても最悪の結果を生むことになる。いいカメラを作りながら消えていったメーカーの多いことを忘れてはいけない。我々ユーザーとしてはいい製品を安く買いたいのが本音だが、そうは簡単にいかないことが多く、コストダウンは必要なこととまで考え方を変えて欲しい。ペンタLXもオリンパスOMもニコンF3も在庫分以外の新品は永遠に買えなくなったのである。ニコンの社長の言葉として「カメラ部門を黒字にしてみせます」これが現実なのである。
さて話を戻して、フィルム装填後空シャッターを切る。ノブを回すとシャッターボタンの手前の小窓の赤点が回るが、これは巻き上げ軸に連動しているのでここを見ていてはいけない。巻き戻し軸の側のノブを見ながら回して、それが回転していたらOKである。空シャッターを2カット切った後、せねばならないことがある。ボディ前面右肩(例によって左右上下は撮影者側からの位置である)のセットダイアルで自動復元式ではないフィルムカウンターを合わせなくてはいけない。必然的に残数表示式となり、36枚撮りなら「36」に合わせる。巻上がるごとに残数が表示される。往時ツァイスのスポークスマンがアサヒカメラの取材に対して(当時のツァイスも同じ方式だった=すでに自動復元式が登場していたにもかかわらず)の答を紹介しておこう。要旨をまとめると、自動復元式は合理的だが、何枚撮りのフィルムを入れたか分からなくなったり、直感的に残数を知りたいときには残数表示式が優れている、自動復元式ではこれが不可能である。との事であり、キヤノンの方式もメリットがあるとすればここにあると言えよう。事実手動セット式のカメラは大部分残数表示式である。現在は淘汰の結果に慣れきって、フィルムはゼロからスタートに何の疑問も持たないし、DX基準で残数表示も簡単にできるようになった。しかも裏蓋に小さな窓があり、フィルムの定格はいつでも確認できる。しかし昔はそのようなことが問題とされたのである。私も若い頃中身のフィルムについて、よくわからなくなった事や、ひどい場合はフィルムが入っているのに開けてしまったことすらある。工業規格の厳正化はメーカーにとってもユーザーにとっても利益になっていると思う。キヤノンは不思議な会社で、先進的なカメラを出すかと思うと、外部からの新しい規格やアイデアには慎重な対応が多々みられる。T80のところで書いたがDX対応は少し遅れて、その分少し損をした。
フィルムを巻き上げるとシャッターダイアルも回転する。しかも1000−60までは上部のダイアルで、30−1は前面のスロー用ダイアルでセットする、2軸回転型ダイアルの古式のシャッター方式のままである。これは技術力が追いつかなかったのだろう。6型で1軸不回転ダイアルに改良された。シャッター速度の設定は巻き上げた後、シャッターダイアルを少し持ち上げて指標に合わせる。スローは高速側ダイアルを30−1の位置に設定したうえで、スローダイアルを回して設定する。このルールを守らないとセットできないだけでなく、故障の原因になるので要注意。なおシンクロセレクターレバーがシャッターダイアルの基部にあり、FP.M.X.Fが選択できる。ただし接点はボディ左肩に専用のものがあり、汎用性に問題がある。「専用」というのは現役の時はそれなりの合理性があるが、生産を止めてしまうととたんに不便になる。レンズからシンクロ接点、フード/ファインダー、果てはストラップ用の環まで・・・アクセサリーが高値を呼んでしまうのである。

沢山の部品があるが、フラットに納めてあるので、スマートな印象である。左から巻き戻しノブとそのロックレバー、ファインダー表示、アクセサリーシューの上端の玉がパララックス補正用の連動ピン、高速用シャッターダイアルとシンクロセレクターノブ、シンクロ位置の表示窓、シャッターボタンと巻き戻し用ロック解除リング、赤点がフィルム給送時に回る窓、巻き上げノブ、フィルムカウンターとセットリング。レンズはシュタインハイルアナスチグマート35mmF4.5である。実に良く写るレンズだ。


シャッターボタンはボディの手前から前に移動して、M3と同じく使い勝手は向上した。ニコンは最後まで「非人間工学的」な場所に残して使いにくさは明らかである(黄金のニコンFまで引っ張ってしまった)。シャッターは横走りの布幕フォーカルプレーンだが、キヤノン独特の甲高い音で「バシャッ」と切れて、それなりに小気味がいい。
距離合わせ。これがまた独特で他社の追随を許さない先見性がある。いわゆる変倍ファインダーである。志は高かったが当時の技術の限界で成功しなかったのである。現在はコンパクトカメラのファインダーでは一般的で、ライカM式のファインダーはむしろ傍流となった感がある。接眼窓の右にダイアルがあり、これを回すと上部の窓の指標が動き50−35−RFとなる。同時にファインダー内部のレンズの構成が変わり、フルファインダーがそれぞれ50mm、35mmとなる。RF位置では距離計窓付近を1.4倍拡大したものになり、200mmレンズ程度の画角となる。この位置では測距のみをおこない、外付けのファインダーでフレーミングすることになる。つまりあらゆる焦点距離に対応しているとも言える。ベッサTと似たコンセプトなのは偶然か、それとも必然か。私が最近になって(具体的には限定モデルを入手してから=初めはオモチャカメラ程度にしか思わなかったが、使ってみると距離計カメラの本質を教えてくれた)ベッサTを再評価しているのもVTの姿と重ね合わせているのである。バルナックライカも同じ考え方と言えるが、こちらは変倍式で35−50mmのファインダーを組み込んでいるのである。つまり現在定説となっている「レンジファインダーは広角がいい」という考え方を採り入れ、「望遠には弱い」との批判には高倍率にした距離計で対応する。その後ライカM式のブライトフレーム式の固定倍率ファインダーが当たり前となって、キヤノンも同じ方式に変更したが、より合理的なのは変倍ファインダーであることは疑いがない。ただしパララックス補正はなされず、ファインダーの「見え」は悪い。黄色く偏っているし、シャープ感はなく、35mmでは樽型の歪曲が大きくて、一昔前のコンパクトカメラのものと同じ程度と言えよう。先にも述べたとおり、残念ながら技術がついていかなかったと言うことであろう。なおパララックスの補正については対策はしており、アクセサリーシューにピンがあって、ピント操作をするとこれが微妙に回転する。これに専用の外付けファインダーが取りつけられて、ピンの動きに連動して角度が変わり、一応は補正されることになっている。M3用の眼鏡レンズと同じで強引だが面白い機構である。しかし普遍性は当然になかった。

接眼部。ファインダー切り替え用ギアと表示窓、左に専用のシンクロターミナルが見える。アクセサリーシュー上のボール形のピンに注目。

さて距離合わせ自体は、当時の普通のRF機と似たようなもので大きな問題はない(しかしニコンS2より良くない)。あとのPと比べても悪くない精度である。RF機の最も大切な距離計部分は、7になるまでモダンな性能とはならなかった。開発の予算と手間は変倍式ファインダーより距離計にかけられるべきであった。
セルフタイマーはレバー式で180度下まで降ろし、シャッターを切ることでスタートする。作動時間11秒、途中からのスタートはできない。
撮影が終了すると、まずシャッターボタンの回りの環をA(撮影位置)から左に回す。これで巻き戻すことができる。次に巻き戻しノブの回りの爪を矢印方向に回すと、ノブがポンと出てくる。それを引き出して止まる位置に置いて(この場所がメカ的な節度が足りなくて分かりにくい)M3と同じように矢印方向に回して巻き戻す。このときシャッターボタン近くの赤点がグルグル回るのが面白い。ほとんど意味を持たない機構だが、最後のモデルまで継承されており、キヤノンの真意を聞きたいところである(注1)。
これで撮影はおしまい。
キヤノンVT(16000台)は後のP(90500台)や7(125000台)の成功のいしづえとなったカメラであり、それまでのキヤノンRF機の集大成でもある、結節点のカメラと言えよう。不完全な部分は多く、必ずしもファンに支持されなったが、歴史的に重要な位置を占めている。私の持つ、VT−P−7と3台並べてみると、キヤノン技術陣の執念が感じられ、いつまでも眺めていたくなるのである。ライカほど上等ではないかも知れないが、ニコンS系と同じくキヤノンRFもまた「残したいカメラ」である。

モダンキヤノンの面目躍如である・・・中身はまだまだ開発途上であるが、その後の大成功を納めたRF機の原点のカメラである。仕上げのクロームメッキや貼り革の仕上げは上々。レンズはトブコール5cmF3.5。トップの写真のレンズもトブコール5cmF2である。

*追補−1  最近読者から(注1)のグルグル回る赤玉の意味について意見が寄せられた。なるほどと感心した次第で、ご投稿ありがとうございました。おそらくこれが正解で、以下その説を記すこととする。

(略)・・・カメラ談義45/53/58のキャノンP/VT/7に関する記載のなかで、巻上げレバーの傍の偏芯した赤丸の意味が不明との個所です。最近のカメラには存在しませんが、AF機以前の機種では必ず巻戻しボタンが底についています。
50年代のカメラでは指で押しながら巻き戻す、60年代以降は押せばそのまま引っ込むので指を離して巻き戻す、という操作になります。高校時代にはじめて買ったペンタックスSPには巻戻しボタンに偏芯した赤丸があります。
指で押した後、巻戻し始めると赤丸が回転を始め、フィルムがスプロケットから外れると回転を停止する、そうすると巻戻しを停止する、こうしたことが当時の取扱いであったと記憶しております。今はフィルムはすべてパトローネに巻き込むのが当然になっていますが、以前はテレンプからの漏光を警戒して一部巻き残すのが、普通でした。巻上げの確認は巻戻しレパーか巻き戻しレバーの赤丸を利用する。巻戻しの確認は巻上げレバー傍らの赤丸を利用するのではないでしょうか。・・・(略)

*追補−2  前回の追補の「グルグル回る赤玉」について別のご意見が寄せられた。これも同時代的なご意見で経験に基づいたものである。私はバルナックも含め「同時代」ではないためまったく思いもよらない使い方であった=それと言うのも私は経験に基づいてカメラを見るための不充分さであり、文献や前の世代の人々の意見・経験を聞くべきだと改めて思った。どうも投稿ありがとうございます。

(略)・・・私はCANONをはじめて手にしたのがP型が発売された時でしたので,その時の取扱説明書の記憶が残っているのかと思うのですが(定かではありません) "グルグル回る赤玉の意味について"は"多重露光"の為と自然に思っていました。 

 使い勝手としては,
0 まず多重露光したい被写体を撮影します。
1 巻き戻しの状態"R"にセットしたら,赤球一回転分巻き戻します。この時ひとコマ分が巻き戻されます。
2 巻き上げ状態"A"にガイドを戻します。
3 フィルムを巻き上げます。
4 露光したい被写体に対しシャッターレリーズします。
5 同一フィルム面に2回の露光が完成いたします。

 これを繰り返せば何重露光でも可能というわけです。なお位置ずれが生じますのでアバウトな合成となります。その為にその後巻き戻しセットしてから,巻上げ操作をすれば,フィルムは巻かれずにシャッターコッキングだけが行われる機構になりました。

 なお,グルグル回る赤玉はフィルムを一枚巻き上げる毎に一回転するはずです。そして,この機構はバルナックライカが元祖(多分)だと思います。シャッターレリーズボタンにポチッと点が刻印されております。バルナック型ライカを模した国産の初期型カメラの多くに同様の機構があります。nikonはF型までこの機構を採用していたと記憶します・・・(略)

*追補-3 「グルグル回る赤玉」のご意見の第三弾・・・こともあろうか私の知人から原始資料付の回答がやってきた。キヤノンPの「取扱説明書」である。その19ページに第1の投稿の巻き戻し時のベロ出しのことが書いてあり、26ページに第2の投稿の二重露光のことが明記してあった。お二方の記憶と経験は両方がオリジナルを継承していたことが分かった。Pの説明書ではあるが、VT/7にも一般化できることも実験で分かった。記してどうもありがとうございます。

同時代のキヤノン50mmF1.5を取りつけた。明るいゾナータイプとしてはニコンに遅れをとったが、そのためガウスタイプレンズの開発に先手が打てて、のちの大成功にいたる。ゾナーの良さとしては比較的小型で明るさと性能が得やすい反面、設計上の制約が多いという欠点があるとされ、ガウスタイプが主流を占めるにいたって姿を消した。

http://global.canon/ja/c-museum/product/film28.html

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