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キヤノン7

私の最初のRFカメラ


今回は友人がふとしたきっかけで使うことになったキヤノン7を採りあげよう。今までニコンF5で撮ってきた彼女が初めてレンジファインダー機に挑戦することになったのである...あまりの違いに当惑していた。私は長い間使ってきて不自由はないどころか、むしろRFの方が使い易いと感じている。そこで私も自分の7を取り出して眺めているうちにこれの解説を書いてみようとしたのである。
実のところ「カメラ談義5」にも書いてあるとおり、30年近く前に最初にキヤノン7と(そしてRF機と)出会ったときは、まったく同じ感覚を持ったものである。曖昧な露出計・ピント合わせが真ん中の窓・不確かな視野・確認できない深度...何一つとして当時使っていた一眼レフと比べて勝っているとは考えられなかった。そして現在の更に高度に発達した一眼レフとは比べることすらナンセンスなのだろう。ほどなくレンズは残したものの、7ボディはTTL露出計の入ったCLに取り替えることとなった(30年前でも7はクラシックカメラの範疇だった)。私の場合、今その時の一眼レフを覗くと目が悪くなったせいだろうが、まるでピント合わせができず、7は以前と同等に「合わせにくいが合う」のである=ここら辺にポイントがある。

さて少しだけ歴史の話。キヤノン7はそれまでのVIシリーズ(Pも含む)あとを受けて開発された国産RF機の終末期のカメラである。1961年に発売され、これの改良型の7Sに変わるまでの1965年まで製造された(ライカで言えばM2の時代)。総生産120000台とキヤノンのRF機としては最高の生産を誇ったボディであり、それなりの完成度の高さはあったのである(V/VI各型全部足しても80000台程度=Pは90000台と7に次いで成功したボディである)。7S(メーターの受光素子がセレンからCdsに変更)においては既に一眼レフの時代になっており、まったくの不振であった(20000台)・・・私が写真を始めた頃はまだ現行品で、売れてはいないがライカ以上に高度にシステム化された「高級カメラ」だったと記憶している。1968年まで正式にカタログに載っていたが店頭にはあと1−2年残っていたように思う。ちなみに1970年のアサヒカメラの広告で「新品同様」のキヤノン7が50mmF1.4付で\23000(定価\49500)、7Sが\31000(同\48500)である。

次に諸元を記す。
Lマウント+外爪バョネットマウント(ミラーボックスと例の50mmF0.95を取り付けるため)
シャッター:2軸式横走行メタルフォーカルプレーンシャッター、X.T.B.1-1/1000
シンクロ:X/FP接点自動切り替え式
ファインダー:倍率 0.8 有効基線長 47.2mm
採光式ブライトフレーム(35/50/85/100/135mm用のフレーム切り替え式)
大きさ・質量 140.4(W)X81(H)X31.2(D) 620g
価格:50mmF0.95付 \89500  50mmF1.4付 \49500
さて発売当時、キヤノンの最高の技術を投入してライカに迫ったキヤノン7を実際に触ってみよう。ニコンと異なり「成功した」国産RF機である。

まず持つとかなり大きく重い。M6(138X77X38mm 560g)と比べるとひとまわり大きく、角張っているため実際より大きく感じられる。この上から見て8角形のボディラインはV型に始まり、ずっとのちのF−1やA−1まで踏襲された基本形である。形以外にも各操作系部品がゴツゴツと出入りしており、ニコンS型と同じでMライカに比べると持ちづらく洗練されていない。とは言えライカを度外視すれば決して使いにくいとまでは言えない。唯一の問題点はセレンメーター受光部が4mm程度突出しており、これの右側(左右の表記はすべてカメラを構えた状態とする)がカメラを構えたとき右手の薬指にあたり(もちろん受光光の一部を遮るため測光時には持ち替えないといけない)角ばっているために長く持つと痛くなることである。当たらないように持つことも可能であるが不自然な指の格好になる(ボディが軽ければまだ「まし」なのだが)。
フィルムを入れる。立派な仕上げの底蓋の開閉レバーロックキーを回す。これはライカの開閉キーとは似ているが全然違う。これはボディサイドにある開閉レバーをロックしているだけであり、単に不用意な事故を防ぐためにだけあるものである。ここまで立派にしたのは「格好をつけた」だけのように思われる(この分コストを落とした方がいい=ライカに似ていることは必要悪だったのだろう=しかしクラシックとなった今、これがあった方がいいと言うのは皮肉な結果である)。そしてロックピンを引っ込めてレバーを下に引くと現在は見慣れたことだがバックドアが横に開く。これはライカより、ニコンより合理的だ。
しかるのち巻き戻しクランク軸を上に上げ、フィルムを入れる。巻き取り軸のスリットにフィルム先端を差し込み、確実にパーフォレーションを送りギアに噛ませ、逆の手順で蓋を完全に閉める。ごく一般的で間違いがない。さてここからだが、巻き上げレバーで巻き上げる時にすぐ横の丸窓で偏心した赤丸がグルグル回り、巻き上げている状態を示す。これが曲者でフィルムが確実に巻上がっている表示ではなく、飾りに近い機械的な動きなのである。だからたとえ空回りでもグルグル回る(注1)。本当はやはり巻き戻しクランクでフィルムの弛みを取り、巻き上げと同時にこれが反転するのを見ておくべきだろう。何せ機械式カメラの初心者が必ず犯す間違いのNo,1がフィルムの空回りによるものなのである。
次にメーターの感度設定。ボディ裏のシャッターダイアル直下の小ボタンを押しながらシャッターダイアルを回してASA/DIN(感度)を合わせる。
さてフィルムカウンター1を出し撮影にかかる。フィルム巻き上げは予備角15度、巻き上げ角120度、小刻み巻き上げも可能と、少し動作が重い程度で使い易い範囲だろう。シャッターボタンの回りのリングにA(黒点)が撮影、赤点がロック、R(黒点=巻き戻しポジション)の表示があり、特にロックが付いているのはライカより進んでいる・・・日本的な細かさともとれるが。
レンズを取り付ける。普通のLマウントスクリュー(キャノンではSマウントと呼んでいた)なので迷うことはない。普通のレンズは取りつくが、レンズ後端の突出したものや特殊な形をしたレンズには着かないものがあるかも知れない(ジュピター35mmF2.8の初期型以外は着かないことが分かっている)。外爪バヨネットには50mmF0.95以外にはミラーボックス2を介して望遠の135mm-1000mmまでのレンズ(Mレンズと呼んだ!)や接写システム、更にはキヤノン一眼レフ用レンズなどを取り付けられるように設定されている。

つけてあるレンズは同時代のキヤノン35mmF2.8/II・・・革ストラップは純正オリジナルのものである。普通はつけないがシャッターボタンにソフトレリーズ(カナダ・アブラハムソン製)をつけている=セレン受光部の角が指にあたるので、その緩和のためである。この角以外はホールディングに無理はない。軍艦部にたくさんの部品がついていて、ややこしい反面格好がいいのかも知れない。値段はVI型より随分安くなったが作りは良くなり、ニコンS3などと同じくライカに迫りつつあった。いいカメラだ・・・私も今回のレポートを書くにあたり7を再評価している(とても綺麗なボディでメーターも何とか動いている...ただしシャッター速度は1/125より上が遅くなっている)。

Mライカのようにファインダー内のフレームが自動で切り替わる訳ではないので手動でフレーム設定する。巻き戻しクランクそばのダイアルを回して、35/50/85&100/135mmと切り替える。85/100mm以外は単独でフレームが出るため、最近のコシナ=フォクトレンダー・ベッサ系統と同じで良い点(自由に設定可)と悪い点(自動でないので煩わしい)が同居している。ただしファインダーを覗いたときにたった5種類のフレームなのにフレーム以外に「35」なんて表示が出るのは必要ないことだろう。裏蓋キーといい、グルグル目玉といい、これといい少し機構の過多が見られる。機能的には向上せず機構だけが複雑化していて「地間充填」的な発想があるようである。ライカの機能美はついに見過ごされてしまった=これは今も続いているようだ。

露出を合わせる。メーターはライカメーターを内蔵したような(キヤノンでもPまでは同じ仕組みの外付けメーターが使われていた)もので、シャッター速度に連動して指針が振れる。そして指針の差す絞り値にレンズの絞りを合わせて撮影となる。7ではメーター感度が2段になっていてファインダー接眼窓横のダイアルで設定する=黒・高照度、赤・低照度。低照度側の絞り表示はオレンジになっていて分かりやすい。経年変化でメーターはダメになっているものが多いだろうが交換は可能である。ついでながらキヤノンは7/7Sについてはすべての部位とは言えないが現在もメンテナンスを受け付けており、かなりの範囲で「正確に動かす」ことは可能である(このようなことは評価せねばならない=別の例でもオリンパスは一眼レフから撤退したがOM-1についてはメンテナンスしているようだ)。
ピントを合わせる。ここは7で最も力の入った部分だろう。VI型までの変倍ファィンターを廃してライカMと同じ採光式ブライトフレーム式の固定倍率ファインダーとしたことである。
変倍ファインダーにも利はあり(特に望遠には有効基線長の確保という点)かならずしもライカ式がいいとばかりは言えないのだが、やはり一眼レフ登場/発展の時期であり、ワイドから標準に絞った「見え」の良いファィンダーが不可欠だったのだろうと思われる。結局私が長年使い慣れた一眼レフを捨ててまでRFに座を変えたのも「見えるファインダー」のせいである。想像してくれたまえ・・・ファインダーの全視野がパンフォーカスで、写る範囲がフレームで区切られ、ファィンダーを覗いたまま外の世界を観察し、そして「ある瞬間」写し込むのである。一眼レフのファインダーの欠点はピントは合わせないと外れていると言う単純なことで、本質的に磨りガラスに投影された像なのである。もちろんボケ味やパースまでがほぼ実際にフィルムに写される状態と同じに見えるという利点も同時にある。どちにのタイプも長所と短所はあるが「観察する」には良質のRFファインダーが優れていて、私の仕事では何よりそれが大事なことなのであった。
長くなったが、7のファィンダーはライカMほどではないが、それまでのキヤノンRFより格段に改良されたと言えよう。ライカよりやや暗いが全体にヌケが良く、倍率も0.8と高いためたいへん見やすくなった。距離計窓もライカに比べると分離が悪く上下像合致式には合わせることができないが、二重像合致式ならライカとそれほど変わらないコントラストが得られている(M6で問題となっているハレもまったく出ない)。ファインダーの図面を見てもライカ並みに凝ったもので結果として大型になり、従来からのボディサイズに納まりきれず接眼側が3mmほど出張ったようである=真上から見るとファインダー部が後へ、セレン受光部が前へ出張っているのがよく分かる。
ただし倍率が高い分35mmだと目玉をグルグル回さないと全体が見えず、あるていどの慣れが必要だろう。そして採光窓の開発がいま少しで(もう少し長く続けば改良されたであろう)条件によっては不明瞭になることがあるのが惜しい。
シャッターを切る。メタルフォーカルプレーンの音、しかし思ったより金属的ではない「バシャッ」という乾いた音だ。コシナ=フォクトレンダー・ベッサRよりは小さいがライカMやニコンSよりは大きな音である。
セルフタイマーはレバー式で90度下にして実測9秒で切れた。レバーは中間位置でも使えるが限界は6秒である。
よくできたRFカメラとして評価できるが、最大の設計上の欠点は「アクセサリーシュー」がないことである。これがないばかりに外付けファインダーが取り付けられず、使用レンズに大きな制約ができてしまった。もちろん純正で外付けのアクセサリーシュー(ボディ左サイドのシンクロターミナル部分に取り付ける=純正フラッシュガンも)はあったのだが、そんなものは汎用性がないためどこかへすべてが失われていて、あったとしてもレンズ1本分ぐらいの値段がつくだろう。要するに機能をたくさん持たせてメーターやスイッチ類が増えて軍艦部に余裕がなくなってしまったのである=7Sでは無理をしてでもアクセサリーシューは設けられたが、7でも可能だったはずで、今となっては昔話になるが惜しいことである。
色々書きつづったが他のライカコピー機が消滅する中、ニコンとキヤノンが残り、そして最終的にキヤノンが7/7Sとして勝利をおさめた。そして8型への模索も始まっていたらしいが、やはり世は一眼レフの時代、ついにそれ以上の進展はなかった。7/7SはライカM2の時代(1958-1967)であって、かなり肉迫しつつあり、開発が続けばレンズのように「ライカに追いつき、追い越す」ことになったことは想像にかたくない。もちろん同時代に写真を始めた私が一顧だにしなかったことを考えても仕方のない選択だったのだろうし、ライカは同じ道を歩み続けることになったのである。

軍艦部上の向かって左から、巻き上げレバー、フィルムカウンター(順算式)、シャッターボタンと「グルグル目玉」、シャッターダイアル(Xのシンクロは1/60以下)、露出計の指針、フレームセレクターダイアル、巻き戻しクランク(少し小さいが作りはしっかりしている)。背面は左からシリアルナンバーや社名等、フィルム感度ロックボタン、露出計のHI/LO切り替えダイアル、ファインダー(大型で覗きやすい)。背面の大きなでっぱりは大型のファインダーブロックを納めるため、前面のでっぱりはセレンの受光部。いやはやゴツゴツしている・・・以前使っていたA−1とそっくりである。7Sではメーターをぐっと小さくして前に押し、その空きスペースにアクセサリーシューを設けている。

キヤノン7と35mmF2.8x50mmF1.8x50mmF2.8(1957年のモデルチェンジ後の第2世代タイプ) 。あまりにもデザイン/大きさに類似性が強い。合理的かも知れないがもう少し個性が欲しい。これではレンズを間違えてしまいそうだ。キヤノンのLマウントレンズは第1バージョン(オーククロームモデル)と1960年代に入っての最終バージョン(一眼レフのレンズと似たしっかりとした作り)が良さそう。

キヤノン35mmF1.8。このレンズはキヤノンLマウントレンズのなかで少し変わったデザインとなっている。

*追補−1  最近読者から(注1)のグルグル回る赤玉の意味について意見が寄せられた。なるほどと感心した次第で、ご投稿ありがとうございました。おそらくこれが正解で、以下その説を記すこととする。

(略)・・・カメラ談義45/53/58のキャノンP/VT/7に関する記載のなかで、巻上げレバーの傍の偏芯した赤丸の意味が不明との個所です。最近のカメラには存在しませんが、AF機以前の機種では必ず巻戻しボタンが底についています。
50年代のカメラでは指で押しながら巻き戻す、60年代以降は押せばそのまま引っ込むので指を離して巻き戻す、という操作になります。高校時代にはじめて買ったペンタックスSPには巻戻しボタンに偏芯した赤丸があります。
指で押した後、巻戻し始めると赤丸が回転を始め、フィルムがスプロケットから外れると回転を停止する、そうすると巻戻しを停止する、こうしたことが当時の取扱いであったと記憶しております。今はフィルムはすべてパトローネに巻き込むのが当然になっていますが、以前はテレンプからの漏光を警戒して一部巻き残すのが、普通でした。巻上げの確認は巻戻しレパーか巻き戻しレバーの赤丸を利用する。巻戻しの確認は巻上げレバー傍らの赤丸を利用するのではないでしょうか。・・・(略)

*追補-2  前回の追補の「グルグル回る赤玉」について別のご意見が寄せられた。これも同時代的なご意見で経験に基づいたものである。私はバルナックも含め「同時代」ではないためまったく思いもよらない使い方であった=それと言うのも私は経験に基づいてカメラを見るための不充分さであり、文献や前の世代の人々の意見・経験を聞くべきだと改めて思った。どうも投稿ありがとうございます。

(略)・・・私はCANONをはじめて手にしたのがP型が発売された時でしたので,その時の取扱説明書の記憶が残っているのかと思うのですが(定かではありません) "グルグル回る赤玉の意味について"は"多重露光"の為と自然に思っていました。 

 使い勝手としては,
0 まず多重露光したい被写体を撮影します。
1 巻き戻しの状態"R"にセットしたら,赤球一回転分巻き戻します。この時ひとコマ分が巻き戻されます。
2 巻き上げ状態"A"にガイドを戻します。
3 フィルムを巻き上げます。
4 露光したい被写体に対しシャッターレリーズします。
5 同一フィルム面に2回の露光が完成いたします。

 これを繰り返せば何重露光でも可能というわけです。なお位置ずれが生じますのでアバウトな合成となります。その為にその後巻き戻しセットしてから,巻上げ操作をすれば,フィルムは巻かれずにシャッターコッキングだけが行われる機構になりました。

 なお,グルグル回る赤玉はフィルムを一枚巻き上げる毎に一回転するはずです。そして,この機構はバルナックライカが元祖(多分)だと思います。シャッターレリーズボタンにポチッと点が刻印されております。バルナック型ライカを模した国産の初期型カメラの多くに同様の機構があります。nikonはF型までこの機構を採用していたと記憶します・・・(略)

*追補-3 「グルグル回る赤玉」のご意見の第三弾・・・こともあろうか私の知人から原始資料付の回答がやってきた。キヤノンPの「取扱説明書」である。その19ページに第1の投稿の巻き戻し時のベロ出しのことが書いてあり、26ページに第2の投稿の二重露光のことが明記してあった。お二方の記憶と経験は両方がオリジナルを継承していたことが分かった。Pの説明書ではあるが、VT/7にも一般化できることも実験で分かった。記してどうもありがとうございます。

キヤノン7にスーパーロッコール50mmF2を取りつけた。当時としても一時代異なる組み合わせ(もちろんキヤノン7が新しい)だが、仕上げの差が時代を表している。古い時代のレンズはどのメーカーでもポリッシュクロームが全盛でピカピカしていた・・・そしてしっかりと作っていたため今でもピカピカだ。

オリジナル・キヤノン7とこのレンズ(キヤノン50mmF1.8-I)。フードも純正でシリーズ6フィルターを挟んでいる。

*参考文献:「アサヒカメラ ニューフェイス診断室 キヤノンの軌跡」朝日新聞社 p36-41  /  「カメラレビュー45 世界のライカ型カメラ」朝日ソノラマ p86-95 宮崎洋司

手に入れた時のオリジナルなかたち。
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