ロシアンライカ・ジュピターレンズ35mm.50mm.85mm
「ライカマウントレンズ」の互換性の意味について 今回は数あるLマウントレンズの中でも異彩を放っており、意外にも実用的な価値のある「ジュピター」レンズ群のうち、より一般的(つまり比較的入手し易く、かつ安定した品質のもの)な35mmf2.8.50mmf1.5.85mmf2の3本を取り上げてみよう。 1. ジュピター(ЮПИТЕР)−12 35mmf2.8 1979年製 次に肝心の描写について語ろう。テストの結果はなかなか良く、私の評価の基準である 1.解像力 2.コントラスト 3.周辺光量 4.各種の残存収差 5.色再現などを中心に考慮すると、1はズミクロン35よりは当然落ちるが、画面中心は大きな差はない。周辺に多少の緩みが出る。また絞り開放でも絞っても、そうは変わらず、4との関係で見ると(勿論、測定機器を持っている訳ではないので、あくまで経験からみた推測であるー私は各社のレンズを持っており、それらのレンズの光学者の測定・分析と私の実写を比較したり、あるいは撮影者としての視点から光学の専門書を読んでみたりした上での経験知と考えていただきたい)球面収差やコマ収差ではなく、どうやら非点収差によるものと思われる。歪曲はほとんど認められない。2のコントラストは70年代以降のライカレンズに見られるような固さはなく、かといって昔のライカレンズの軟らかさとも異なる、どちらかというとこの時代の国産のレンズに近い。従って、例えば明るく白い雲の空を背景にした細かな梢や電線などを撮ったときに背景に細かな線がとけ込んだり、白い壁の細かな模様が飛んでしまったり(このような事が最近のハイコントラストなレンズには時々あり、せっかくの高い解像力が低く見えることがある)するようなことは起こりにくい。3はワイドレンズとしては良好で、後玉の大きさが頼もしい。絞り開放付近で少し落ちるが気になる程ではなく、絞ると更に改善される。周辺光量の落ちについては時々評論に落ちるのを「味」と言って、好もしいともとれる表現が見られるが、好みの問題として片づけるならそれも良いとしても、光量の低下を改善できなかった昔のレンズを懐かしむ「懐古趣味」に陥らないことが大切である。やはり原則は周辺まできちんと写る事であろう。それを肯定した上で「味」という個性を見つけて行くべきであろう。私自身は「味」を否定しているのではない。昔のくせ玉をして、「これこそ本物」と言う姿勢を危惧するのである。光学者や技術者は日夜研究・開発し、実際問題として性能は良くなっているのであって、それを「最近のレンズは皆個性がなくなってつまらない」と断ずるのはあまりに一方的で彼らの努力を無にするような考え方と云える。要するに赤エルマーを作ったのもその時代の最新のテクノロジーだし、今アスフェリカル化を進めているのもこの時代の最新の技術なのである。次の新技術を期待するなら今を正当に評価し、彼らをやる気にさせなければならない。中古のレンズが市場でグルグル回っているだけではメーカーは一向に儲からず、デジタルカメラやムービーその他の売れる商品に開発の予算が回っていく。ここ10年の国産のメーカーの動向を見ればよく判るだろう。ライカですら「M6限定カメラ」どころかOEMによるコンパクトカメラの販売に踏み切っているのが実状である。いやいや堅苦しい脇道の話はこの位にして次に移ろう。4としては前述のとおりおそらく非点収差だろうが、少なくとも横軸の収差が補正しきれていない。5はやや温調であるが実用上問題ない。60年代のライカレンズより軽微である。ズミクロン35mmのASPになる前の最終型と同等と思える。温調と言っても黄色系の色で往年のキャノンの35mmf3.2(1951)のようなマゼンタ系の色調とは違う。ただし、良く調べるとこのレンズの最大の個性(味)が色調にあることが分かる。ライカのレンズは色調がやや黄色いが俗に「コダクローム」の色と言われるように彩度が各色相に対して低くなり、全体にグレーのトーンの中の押さえられた色味が「味」である。それに対しジュピターではやはり黄色系の温調ながら黄色系の彩度が上がり、緑系、そして赤系の色の明度があがる傾向になる。結果として一般的な日本の自然の中では色飽和度の上がった最近のカラーネガフィルムと同じく実際よりやや派手な発色となり、かつハイキーの部分の色の乗りが良いため、独特のねっとりとした空気の湿度を感じるような描写となる。今回の解説の三本のレンズに共通の特徴だが、特に35mmに強く現れているようである。ツァイスのレンズから出発したのだから当然かも知れないが、現代のコンタックスG用のレンズの発色をより強調したような色で大変興味深い(悪く云えばオモチャっぽい色)。この特徴を補正することは止めた方が良い。この点を除くとズミクロンに全ての点で劣るため、存在の価値がなくなる。むしろライカにないこのねっとりとした色調を生かすべく、最近発売されたコダックE100VSなどの色飽和度の高いフィルムをあえて使うべきだろう。青系が多少濁るため、必要に応じそのような状況では、少し絞りを開けた方が軽い表現になるだろう。ただし晴天の日陰などの青い光線下ではかえって真っ青にならず良いこともある。同じ条件で冷調のレンズ(例えば、最近のレンズではロッコールG28mm)で写すとブルーフィルターをかけたように鮮やかな青色に全体がなる。露出を切りつめると、更にこのねっとり感は強調される。自然の中でも、都市の中でも使える「色味」である。 2. ジュピター−3 50mmf1.5 1987年製
総論として最初に論じたとおり性能的には最新のライカレンズや最近限定版で出た国産Lマウントレンズに比べて多少落ちるが、実用的にはなんら問題なく、それ以上に「癖」や「味」を色濃く残したレンズで、注意すべき点に気をつけ、特徴を出すような使用法を身につければ、現代のレンズには希薄となった個性を望み得るレンズである。ただし個体によるばらつきもあるので実際にテストすることである。更にコストパフォーマンスの極端な良さと、比較的数もあるため手に入れやすい点も特筆すべきである。いずれ値段も上がって国産の1950-65年代のLマウントレンズ並にはなってしまうだろう。(どうもソ連の崩壊以降の製品を見ないので...。もう作っていないのかも?)興味のある人は信頼できる店で購入することである。 ここで関連した辛口の議論をひとつーライカ党の人達のなかにはボディ、レンズ共にライカでないと納得せず、高じてそれ以外の組み合わせをまるで偽物か幼稚なもののように言う人が一部に存在する。しかし冷静に見ると決して妥当なこととは云えない。俗に云う「ライカ病」と言っても良いし、もう少しトーンダウンして評してもライカの偉大さは35mmレンジファインダー機の世界を開き、それを発展させ、今に至っている「継続性」であり、私の研究でも各時代にライカに挑戦したメーカーはいずれも敗れ去ったかも知れないが、ライカ自身も他メーカーの良いところは取り入れ、必要に応じて対策している。そして大きな特徴として「互換性」があることも重要である。35mmカメラ全体の勝負は1960年代に日本のメーカーの圧勝でついてしまった今、ライカはライカであり続けることで生き残ってきた。マウントを変えず(L−Mの変換は簡単なアダプターで完全に可能)距離計に連動するか否かのみを制約として継続性を維持し続け、それが最近の国産のレンズメーカーのLマウントへの参戦を可能とし、さらにボディの発売(今のところ、ベッサLと安原一式。しかし増える可能性大...その後ヘキサーRFやベッサR/T等々が出た)そして日本限定とは言えライカのLマウントレンズの販売。全ては「互換性」が生んだチャレンジなのである。そして恩返しともいえる日本のメーカーの挑戦した製品は質(性能、外観)においてもライカに劣るものではなく、物によっては凌ぐものすら存在する。本気なのである。迎え撃つライカも非球面化やアポクロマート化(色収差の高次補正用)などを取り入れた新商品を開発している。ライカの最大の市場である日本を舞台として、戦後すぐの時に次ぐ二度目の激動期が始まっているのである。私も良いボディが国産で発売されれば使うだろう(改訂している現在、既にヘキサーRF−安原一式−ベッサT/R/R2/R2Aは所有している)し、レンズは既に(具体名は今は避けるが)21mm.28mmは国産品が性能的に上回ったため、ライカレンズがお蔵入りになった。勿論、分析的にみた性能と言う意味で、「個性」と言う点ではまだまだ色々考慮すべき点があるので、サブレンズとしての意味で重要な存在理由があり、必要に応じて使用することは言うまでもない。この原稿を書いている最中にもコシナのウルトロン35mmのテスト結果が出て、ズミクロン35mmノーマルタイプを性能的に上回っている事(「味」のことは別...現代のライカレンズにも「味」は残されている)が判明した。(ズミクロン35mmASPと同等か?詳しくは更に詳細なテストが必要)f1.7という明るさはズミクロンとズミルックスの中間だが、あえて言えば両方のセールスポイントを押さえて性能的には同等かそれ以上、値段は実勢価格1/2-1/3といい線をいっているようである。ともあれライカは色々な組み合わせで楽しめば良く、レンズはバルナック時代のもの、Mになった時代、ライツウエッラー、カナダライツ、最近の物、膨大なキャノンやニコンのLマウントレンズ群(特にワイド系はその時代のライカより良く、その他のレンズも肉薄していた)、外国製のよく判らぬレンズ、ロシアンライカレンズ、最近の国産限定レンズやコシナのフォクトレンダーシリーズ、ヘキサノンKM(実際この三つのレンズグループは明らかにライカと互角である)等々、更に今後もレンズは発売されるだろう。ボディはバルナック、M3−M6、キャノンの多種のボディ、世界中のライカコピー機、更に予測として、最新の技術を投入したL−Mマウントボディ(改訂時3/17、ベッサR.ヘキサーRFが既にある)の登場も間もないことだろう。前の報告でも書いた通り、ミノルタCLEが相当に珍重されているようにライカだけでこの市場は成り立っているのではない事は自明のことである。M6にジュピター3本持って今度撮影旅行に行ってみようと思っている。85mmの枠はなくとも90mm枠でもたいした差はない。レンジファインダーって言うのはそんなものである。メーカーや時代をたがえた何十種のボディと何百本のレンズ、無数のアクセサリーの組み合わせ。そんな楽しみを与えてくれるのが世界規模―70年以上にわたる、空間軸と時間軸を越えたライカの世界なのである。 奈良県生駒市高山地区。これがこのレンズの典型的なゴーストである。コーティングの違うレンズだと違う色のゴーストになる。M6+J35(F8)+E100VS 近江八幡・円山にて。順光でやや絞って撮ると(F8にはしたい)結果がよい。ただしここまで絞っても多少の周辺落ちは残る。 M6xJ35mmxRDP トップの写真はジュピター50mmF1.5−35mmF2.8−85mmF2。35mmの後ろの出っ張りが分かるだろうか、画像では斜めなのでたいしたことが無いようだが、実物はもっと大袈裟である。 III f/c-1/2 に取りつけても他の大口径レンズと比べると小型で使いやすい。軽合金を多用しているため軽いのも良い点だろう。 M4に取り付けたジュピター35mmF2.8。下のジュピターよりはレンズのラッパのような雰囲気が少なく感じられる(実際は同じ)。 ジュピターのもう一つの個体。これは1958年製でいかにも古いが、構造はまったく同じである。違うのは鏡胴の仕上げとレンズコートだけである。あとはレンズの焦点距離が3.5cmという古いスタイルの表記になっていることと全体にロシア文字で書かれていることぐらいだろう。クローム仕上げ!と云いたいところだが、非常に汚かったアルミの鏡胴表面を自分で完全なポリッシュ仕上げにしたものである。写りは古い分やや新しいものより周辺に難がでる=同時に発色が浅い。 新旧のジュピターを眺めていて意外なことを発見した。外から見ると仕上げの差はあっても中身はコーティング以外は昔の設計のままだと思っていたが、レンズそのものにも改良があることに気が付いた。私はキヤノンLマウントボディをVT.P.7と3台所持しているのだが、VTとPについてはジュピター35のレンズ後群がシャッター前の天井に当たり取り付かず(実はほんの僅かなので天井を少し凹ませればOKだが、そこまでして着けることもあるまい)、7も一応試してみた。7は少しだけ天井が高く、干渉せずに取り付いた。そこであまり使われず眠っていたジュピター3本組を7用にしようと思い、同じなら35mmも黒の方に変えようとねじ込むとほんの僅か天井にこすれた。妙に思い2本のジュピターを並べて見ると、少なくともレンズの最後面の径、曲率(当然硝材も)、形状が異なっているのである。そのため少し(1mm以内)径の小さな1958年製がすんなり納まったのである。1958年から1979年までのどの時点かは分からないが改良がなされており、性能にも当然に差が出るだろう。ロシアンレンズあなどるべからず。 2本のジュピター35mmF2.8 これはM5に取りつけたジュピター50mmF2。F1.5レンズとは兄弟レンズである。こちらの方が描写の癖はない。解像線はF1.5の方がシャープだ。 これもLeica DIII に取りつけたジュピター50mmF2。このレンズは最新式である。新品同様で買えるゾナータイプレンズである。その写りと共に評価できるだろう。上の旧型よりずっとシャープ感がある。 85mmをM4−2に取りつけると、かなり大きなレンズであることがわかる。口径も49mmとキヤノン85mmF1.9やニッコール85mmF2(どちらも48mm径)と大きさは同じぐらいである(性能でも負けない)。ただし鏡胴がアルミ系のため軽い。49mm径だから汎用のメタルフードが簡単に取りつけられる。 リコーGXRの登場で測光がセンサー上でできるため、このレンズだけではなく後端突出レンズ群がAE(しかもライブで)可能となった。 ファインダーの位置や大きさも具合が良い…外付け光学式ファインダーでも良さそうに思われるが、パララックスの問題や各種の撮影情報の表示などEVFのメリットは大きい。なにしろライブで見られるのだから…外付けだと微妙に実画像とは違う。だいいち現在プロでも時々見られる、シャッターを切ったあとファインダーから目を離してモニターでプレビューを確認する必要がない(人間は弱いものだから確認したくなるのである)。私はこれを「みっともない」と感じてしまう…昔は一眼レフの一瞬の暗転すら問題視され、被写体をずっと見続けることが大事と皆が考えていたのである。 1962年のジュピター8(50mmF2、ゾナーコピー)と1958年のジュピター12(35mmF2.8)、いずれも古き良きソ連時代のアルミ鏡胴のモデルで、写りも悪くない。 nagy |
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