TOP

2002/note


2002.12.30

明日は今年最後のフィールドワーク・取材に出かけるので、年内の最後の更新です。ここで年末の挨拶をしておきます。本年はこのサイトを見て頂き有り難うございました。最近は徐々に多忙となり、更新も以前と比べてままなりませんが、来年もよろしくお願いいたします。

先日ホロゴン16mmF8G改Lを携えて天王寺界隈を歩いた。これはJR天王寺駅前の交差点である。少し暗めになっているが画面の中央と周辺で絞り2段以上の光量差があり、視点が真ん中に寄りやすいために(そして解像力のより高い)中心部に明るさを合わせると、こんな写り具合になってしまうのである。非常に個性的なレンズでシャープでハイコントラストであるが、ハイライトが滲みやすく、フレアも出やすい=画像の上の空に横に少し白い線が出ており、これは順光条件にもかかわらず正面のビルの窓の反射で出たフレアである。歪曲のなさが美点という評価が先行しているが、使用上は慣れることが重要(そして実験)な現代としては珍しい個性的なレンズである。 ヘキサーRF+トレビ400

ヘキサーRFにホロゴン。

12/15

依然としてすこぶる多忙。来週は暇に・・・と計画するのだが、また何やら仕事や問題点が持ち込まれる。残念ながら冬休みまで文章は書けそうもない。

11/10

荒天の週末だったが、今日の京都は晴れて予想より気温も高かった。日没後、私の部屋の窓から、微妙なラベンダー色の空を背景にして裏山にかかる月を見た。郡部でしかも乾燥した地域であるため、特に秋から冬には夜空に月が冴える。これから満ちようとする月である。

11/5

すっかり秋が深まって寒いく゜らいてである。9/20版の超広角のテストの庭の景色を昨日デジタルカメラで撮ってみた。薄曇りなのと季節の変遷で雰囲気が違うが、今日は季節風が強く、枝葉が大きく揺れていた。だいたい35m判換算で32mmレンズの画角である。下の神戸の写真と同じく、ファイルを軽くしているにもかかわらずHPなら充分に実用可能である。元の1MB程度の密度なら小さな印刷でも充分だろう。今持っている古いフィルムスキャナーは今度買い換えたいと思う。あまりにも性能が良くない。

10/27

昨日、大阪天保山のサントリーミュージアムに「アンドレ・ケルテス展」を見に行ってきた。昼に写友とともにミュージアムカフェで昼食をとり(これが海の見える洒落た席で、パスタも予想外においしかった)、天気予報は雨だったので、まだ降らない空を見つつ先に天保山渡船とその周辺の撮影をした...今回は渡船の乗組員にもかなりの話が聞けた。そして4時過ぎまたミュージアムに戻り会場へ。ケルテスはドイツ表現派の流れを組み、当然のようにシュールレアリズムに傾倒していった、そしてコマーシャルや報道の仕事をほとんどせずに、人生を作家として送った芸術家肌の写真家である。キャパと同じくユダヤ系ハンガリー人で、戦前はパリ、戦中から戦後はニューヨークで過ごした(1894-1985)。そういえば戦前にはキャパ、トリスタン=ツァラ、ハンス・アルプ、モホリ=ナギなどのハンガリー人が多く芸術の世界で活躍していた。長く不遇の時代が続いたが晩年再評価され、作品群は各美術館、写真集などとして残ることになった。 ケルテスの言葉「私はライカが発明される前からライカで写真を撮っていた」1928年から、生まれて間もないライカを使い始めた最古参のライカ使いである。

今日はライカ以外のカメラを持ち歩いた。たった2台しかないコンパクトカメラである。

10/15

さて、それとは無関係に友人の新型トリエルマーを触った。色々本には書いてあるが自分で触らないと納得しないのである。写りのことは分からないが見た目と感触を書いてみよう。口径が55から49mmに変わっただけで、ひとまわり小さくなったような感じがする。そのツケでフィルターは薄型でないと28mm時にケラレるようである。あとは仕上げが現在のバージョンと同じになった(例えばズミクロン35mmF2ASPHなど)。これが比べてみて分かったことだが、不思議なことに旧型はそれらより前の世代の仕上げなのである(各リングのターレット等)。発売は比較的最近だが、案外設計は古いのかも知れない。ピントリングがレバー式に変わったが、これはワイド系と異なりどちらが良いとは言えない。当然の事とは云え動きは少し軽くなったようだ。絞り環は変化なし。噂の焦点距離の変更リングはクリックの節度が良くなったことは事実だが、動き自体は固くて少し使い込まないとありがたみは出ない。被写界深度目盛りは煩雑なだけで必要性は感じないが、デザインの粋さを犠牲にしても必要な人も居るのだろうと思う。レンズ構成は同じと聞くが、コーティングは変更がある。私のはマゼンタ系が強いマルチコートだが、新型は緑色が勝っている。旧型はアサヒカメラのテストで透過率がやや低いとの指摘があったが、それへの対応なのだろうか?しかしこの場合同じガラスなら透過光の色味が多少変わるため、ひょっとするとガラスも総エコガラスに変更されている可能性もある。あとはレンズ内の反射防止塗料に変化がある。どうしたものか旧型が真っ黒で、新型はグレイ気味である。全体の印象はライカらしく、型が新しくなると操作性には進歩があり、コストは少しダウンされているように感じられる。いつもの「新型」のパターンと言えようか?たぶん実用的には改善されているだろう。ちなみに新型の登場で旧型の売れ残り(中古も含めて)が値下がりしている。

口径が随分違う。撮る側も、撮られる側も圧力が減るだろう。この画像でレンズの第1−2面の回りの反射防止塗料の色・質の違いがわかるだろう(どちらも同じ28mm位置)。

並べてみる。比べると太さだけでなく、長さもサイズが小さくなっているのが分かる。似ているようだが全く別のデザインコンセプトである。高い値段を承知で買った友人の考えも分かるような気がした。この時点で実勢価格に3万円の差があるが、同じ買うなら納得ずくのものを買えと云うことなのだろう。

10/14

昨日ささやかながら神戸へ日帰り社員旅行に出かけた(参加4名)。記念写真用にデジタルカメラも持っていったのでその中の1枚を載せてみよう。天気も良く、とても暑い1日であったが、普段一緒に遊ばない人達(しかし性格や考え方は熟知している)と仕事を離れて歩き回って楽しかった。私以外は皆20代の若者で健脚のため付いていくのに精一杯と云うところである。

新神戸駅の横からロープウェイに乗って神戸市経営のハーブ園に行く。これがロープウェイとリフトの中間のようなしろもので、スリル満点だった。この写真は比較的低い場所からのもので、終点のあたりまで行くと神戸市とウォーターフロント全域が一望のもとになる。今回は晴れてはいたが湿度が高く海は霞んでいた。透明度が高ければ大阪湾岸まで見えるのである。 キヤノンパワーショットG1(35mm判換算で32mm程度で撮影)、この続きはフィルム現像ができてからにしよう。

10/6

今日京都へ展覧会を見に行った。何必館での「木村伊兵衛展」である。以前は写真展などまったく見なかった人間だが、この数年色々な人と交流し、誘われたり誘ったりで多くの展覧会を見るようになった。そして得たことも多い。木村伊兵衛も私の詳しくは知らなかった戦前戦後にかけて大活躍した人であるが、私が写真を始めた頃は「著名だが過去の人」と言う評価で(実はこの頃最後の大シリーズ、秋田を仕上げていた)、土門拳などに比べて平易だが刺激に欠けた平凡な写真と感じていた(いわゆる「アサカメ調」)。しかし1974年の彼の没後、数年して再評価が始まり、木村伊兵衛賞などにつながっていった。私もまとまって見たのは今回が初めてだが、少しづつあちらこちらで紹介されたものを見て、特に「秋田」は気を引かれる写真だった。そしてこのところ全集が出たり、友人の木村贔屓の話を聞く度に興味は増して、前回のキャパ展に続き、今回の展覧会である種の啓示を与えられた。今回の写真展に際して素晴らしい図録を何必館が製作し、その中から木村伊兵衛の言葉をひとつだけ引用しよう...あとは展覧会・図録を見ていただきたい。 「いよいよ写す時は自分はないんですよ。ほんとうに機械の機能で持ってパッと写して木村というものは、どこかへ消えちゃって相手の人物を出したい。」いい写真である。

展覧会は2002.9/14−10/20の開催である。京都/何必館の収蔵品なので巡回はしないだろう。その代わり立派な写真集を7/25付けで出版してくれた。必要なら問い合わせると良い(TEL075−525−1311)。ここへ行く前後に錦小路をはじめ京の町をぶらぶらした。今回は気分を変えてライカ以外のカメラを持ち歩いた。

10/4

先日展覧会をみてきた。「ロバート・キャパ=ちょっとピンぼけ展」である。キャパは著名な報道写真家として知られているが、彼自身は記者を志し、ずっと自分を記者と考えていた。したがって生前に写真集や個展はほとんど成さず、戦乱の1954年のインドシナで地雷を踏んで逝ってしまった。多くの人が知っている彼の著書「ちょっとピンぼけ=Slightly out of Focus」をふたりの日本人、川添浩史・井上清一両氏が翻訳し、1956年の初版以来30版を重ねて読み続けられてきた、そして世界で日本で最も読まれたことは案外知られてていない。また翻訳者の芸術を志す両日本人が1930年代のパリで、物心共に不遇時代のキャパの支えになっていたことも知られていない。 この度アメリカで再評価され、文学作品集の最高峰とされる、ランダムハウス社の「モダン・ライブラリー」シリーズに加えられ再出版される運びとなった。これを記念した巡回展であり、この図録もまとまったものとして(ほぼ第二次世界大戦の記録写真とキャプションに限定されている)貴重なものであり、展覧会に行けない人も取り寄せて欲しいと思う...電話して請求すれば着払いで送ってくれるはずだ。彼の写真家としての名声とは別にジャーナリスト・文筆家としての器量に評価が与えられたことは私にとっても大きな喜びである。私自身、写真だけでは語れぬ物事を文章で表現することの重要性を強く感じている次第である。「ちょっとピンぼけ」=なんと言い得て妙の素晴らしいフレーズではないか。

東京・京都・大阪に次いで、10/3−15に神戸大丸で開催中。このあと2003年4/26−5/11に静岡グランシップで巡回展は終了する。

『パリへの道は坦々とひらけていた・・・中略・・・私のカメラのファインダーのなかの数千の顔、顔、顔はだんだんぼやけていって、そのファインダーは私の涙で濡れ放題になった。
タンクは私が6年間を過ごしたカルチェを抜け、ダンフェルロシュオール広場のペルフォールのライオンに近く、私の昔の家の前を過ぎていった。私のアパートの門番がハンカチを振っている。 
私の進みゆくタンクの上から、彼女に声の限り叫んだ。 
・・・セ・モア!俺だよ!俺だよ!』  パリ解放。 R.キャパ「ちょっとピンぼけ」より引用。

9/10

朝の私の家にて。2階の自分の部屋の窓から外を眺めた。これもテストの一環だが、いい景色だと思う。手前の木々は私の家に生えていて完全に林になっている。真裏の家しか見えない。この家が板壁でとても感じが良く、その向こう側は里山で、雑木林の深い緑に覆われている。このところ秋の空気感が出てきた。

コシナ=フォクトレンダー ウルトラワイドヘリアー12mmF5.6 の画像。これだけでは分かりにくいが極めてシャープである。画像に補整はかけていないが、やはりコシナ=フォクトレンダー風の青玉である。外付けのファインダーはまるで当てにならず、油断すると端っこに思わぬものが写り込む...身を乗り出して撮ったつもりだが、左下の黒い三角の部分は窓枠である。縦位置で撮ると必ず自分の足が写り、常にへっぴり腰で撮影せねばならないだろう。上下2枚ともヘキサーRF+RAで絞りF8にて連続して撮影した。

ヘキサーRFとウルトラワイドヘリアー12mm。

コシナ=フォクトレンダー スーパーワイドヘリアー15mmF4.5 12mmと比べるとおとなしく(初めて15mmを使ったときは仰天したが!)周辺光量の落ちもコントラストも穏やかに見える。勿論、普通のレンズから見ると15mmも非常に硬いのだが...厳密に見ると12mmの方が一段シャープである。それにたった3mmの差だが、この焦点距離となると画角もパースペクティブもかなり違って見える。私にとって21mmの下は12mmとなるだろう。

9/9

夏が終わった。今年は夏に弱い私が忙しく撮影にでかけた。ようやく過ごしやすくなってきて、今年の秋も多忙を極めそうである。

JR尼崎駅にて、台風の予感。職員が心配そうに西の空を眺めていた。私としては珍しく足を折ってローアングルからの撮影である。それまで晴れていた空が急に曇り、夕暮れ時のように暗くなった。今年の夏は台風がいくつもやってきた。  ヘキサーRF+カラースコパー28/3.5+KR

7/23

大阪市中央区本町を歩いた。いわゆる船場(センバ=船の着いた場所なのだろう)である。私の子供の頃は掘り割り(運河)だったが、埋め立てられて今は阪神高速道路の高架の下になった。日暮れ時、少し残業して帰るときもまだ陽が残っている。昼間の硬質な雰囲気と異なり、何となく昔のオフィス街の風情が垣間見えるのも夕陽のせいだろうか。

子供の頃から夕暮れ時になると家が恋しくなる。早く家に帰りたい。だから帰りの電車から眺める景色が夕暮れの春や秋が大好きなのだろう。 レチナ3C+クセノン50/2+RA このレンズの黄色さは格別である。レチナも今から見ると変わった構造のカメラで、問題もなく写せるのが不思議なくらいである。

レチナIII C x クセノン50mm。

7/21

大阪市西成区にて。上町台地の上と下で阿倍野区と西成区に分かれる。かなりの落差のある崖で、案外通り抜けられる道は少なく、それも多くは人しか通れない長い階段である。その階段の途中に古いアパートがあった。遊郭で有名な飛田方向から歩いてきてここへ辿り着いた。アパートから見ると近辺に高い建物のない西成区が見渡せ、その向こうにある海すら見えそうな気がする。いや気象条件次第では見えるのだろう。ここより北の夕陽丘からは埋め立てで遠くに行ってしまった海が夕方になるとキラキラ光っている。ぜひいつかこの古いアパートの1室に住みたいと思う。

近世にはこの崖下が浜辺であった。これほど明快な山手(阿倍野)と下町(西成)の境界はない。ここからターミナルの天王寺駅まで徒歩10分そこそこである。今は簡単に上り下りできるこの階段が別々の世界を隔てていたのである。

これは階段の途中から崖下を見て写したものである。アパートの2階からの眺めはもっと西成を一望できるものである。崖下のアパートも味のあるもので隣の公園の林も素晴らしいと感じられる。 ライカM7+ズミクロン35mmF2/7+トレビ レタッチで緩和したが晴れた日にはトレビは少し硬すぎる。

7/7

1ヶ月ぶりに更新する。この間「カメラ談義/ベッサR2」の上梓はできたが、なかなか忙しくてHPの更新・管理がままならない。まだ終わってはいないが梅雨時の景色を載せてみよう(すべて今年の撮影)。

友人と訪ねた青山高原にて。梅雨のはしりの頃だが名物のサツキの花はなんとか残っていた。雨はこぬか雨だが大変な霧で、ワイドで撮った7m程度の距離でも霞んでしまう。晴れていれば360度全開で、遠くに伊勢湾が見える展望があるのだが。 M5+ズミルックス35球面+RA

奈良県、牡丹で有名な長谷寺の門前町の裏手と傍を流れる河原。このような奥地まで小規模な舟運があったことが分かる。元は今は裏にあたる川に面して発達した門前町だったと推定できる。生活雑排水は川に直接流さず、水路で浄化施設へ送られている。ここは何度もやって来たがいつも天気が悪いように思われる。 M6/0.72+ズミクロン35/7枚+RA

京都府、祝園自衛隊敷地と一般道路の境界のフェンス。 M5+ズミクロン35/7枚+RA

6/12

新世界への旅−3  新世界を通り抜けて西成の中心地へ向かう。前に来た山王町に少し道を変えてまた入る。ふと横町を覗くとそこに別世界が見えた。芝居小屋である。新世界にもあったと記憶しているが、ここのは本格的な場末の小屋である。そもそも庶民の観た芝居小屋はこのような奥にあったもので、目抜きにある大劇場はむしろ少数派だったろうと思われる。観光客がいるわけでなし、いずれ周辺に寄宿する「寄り武者」=全国から仕事を求めて集まった流浪の人々が、古き良き時代の人情を夢見て集うのだろう。

道の話。都市の伝統的な道のありようは「大通り」、そこから入って「本通り」、また入って「通り」、また入って「小路」、更に入って「路地」、そして「路地裏」となる。現在は「大通り」「本通り」「裏通り」程度で、せいぜい「小路」までであろう。都市の街の構造が平板化している。簡潔ではあるが魑魅魍魎の住みかはなくなったようだ。この写真の通りは「小路」にあたる。自動車がすれ違えないほどの通りに芝居小屋があり、現に興業を打っているのである。回りは少し気の利いた住宅である。向こうに見えるのは西成と阿倍野を区切る上町台地の崖である。これほど山手と下町がハッキリしているのは、このあたりから日本橋界隈、谷町六丁目あたりまで続くこの崖の間であろう。低い側は近世には海または潟であった低湿地で、崖は典型的な海岸段丘であろう。今も四天王寺あたりの古い崖の石垣には波の打ち寄せた跡が見て取れる。山手には繁華街や住宅街、寺町などがあり、目と鼻の先に別世界がある。この崖には車道は少なく、長い階段があって「越すに越せない」境界が今でも存在している。

6/9

西成/新世界の旅の2・・・通天閣を取りあえず登ってみて、大阪を空から眺めてみた。そのあと地上に戻って商店街を通り抜けた所に、狭い誰のものとも分からない空間があり、ここにパチンコ屋の現金交換所がある。どこにでもあるものが、合法的であるにもかかわらず、何か少し隠された「顔のさす」場所なようである。梅田や心斎橋ではなく、ここ新世界でも無縁の場所に交換所があるのは妙な気分である。

すぐ左は新世界の出口の雑踏で、上のコンクリートは高架道路、右は雑居ビル。それらの間に囲まれた不整形の空間にバラック建ての小さな窓しかない交換所がある。そして壊れかけたフェンス、都市には似つかわしくない整理されない藪、道に見える地面も道路ではないコンクリートのタタキである。窓の内と外で言葉も交わすことなく現金の受け払いが行われる。 今回の撮影は、すべてライカM7+ズミクロン35/7+トレビ100にて行った。トレビは非常に固いフィルムで天気の良い日は使いにくい。

6/7

先日通天閣に登った。小学生の時に1度行ったきりである。5/20にも書いたとおり殖産興業時代の遺物である。確かに大阪が見渡せる。今日は天気が良くて随分遠くまで景色が見えていた。

通天閣展望台より。こうやってみると大阪もたいして高いビルはない。遠くに見えるのは生駒・信貴山系である。眼下に見えるのは天王寺公園。以前は誰でも入れる公園で美術館、植物園、動物園その他の施設があって、公園内をブラブラ歩いているだけでも楽しかった。ある同業団体の天王寺支部の広報誌の表紙写真を10年も撮り続けていて、さんざん歩いたものである。毎回違った場所、しかも天王寺区内に限るという条件は難しく大変だったが、おかげで天王寺区内は隅々まで知っている。 この公園も1987年の「天王寺博覧会」の時からフェンスで囲まれ有料となった。どうやらホームレス締め出し対策であつたようだが、広域災害避難地に指定されているにもかかわらず開園時間以外普通は入れない。早朝の神戸の大震災の時も鍵はかかったままであった。

6/6

ソ連(現在はウクライナ・キエフ)製の4WD乗用車「ラダ・ニーバ」がやってきた。現地名「ジーグリ」、とても発音が難しく響きもよくないため、ラダ社のニーバとなったのである。ヨーロッパでも大衆的な4駆として結構売れて、ソ連の車としては西側に最も多く輸出され「成功した」数少ない製品である(外貨獲得に貢献)。30年前からデザイン/定格はほぼ変わらず、ミニのモデルチェンジでついに唯一の新車で買えるクラシックカーとなった。ちなみに私のニーバはソ連崩壊前の「ゴルバチョフ来日記念モデル」である。小さく見えるが、長さ3.8m、幅1.7m、重さ1.2tの中型車で、前輪Wウイッシュボーン、後輪コイルリジッドのフルタイム4WDで、1600ccOHC直4ノーマルアスピレーションエンジンを積んで30年前としては斬新な車である。実はフィアットやプフの技術提携で開発された車で往時のフィアットの面影が何となく残っているように思われる。足回りは相変わらず最高だが(これでシベリアを走る)トラックのシャーシに乗用車のボディが乗っかっているようで、きびきびした乗り心地は望むべくもない。以前ニーバをかなりモディファイしたレーシングラリーカーが(シルエット以外は別物=と云ってもパジェロもプジョーも同じようなものだが)、かのジャッキー・イクスのドライブで、西側の国のワークスに混じってパリ・ダカールラリーを走っていたのを覚えている人もいるだろう。私のもう1台のラリーカー「アウトビアンキA112アバルト」と並んで大好きな車である。故障やヒートの心配もあり、2台で1台のつもりである。調査には「スージー」だが普段はこの2台でどこへでも行こう。音と振動、オイルの焼ける匂い...昔2輪のトライアルをやっていた当時が思い出される。車の調子を感じ「対話しながら」走るのである。

フレンチブルーに塗装したのだが(ゴルバチョフモデルはオリジナルは赤)少し派手である。よく考えるとウクライナのナショナルカラーは青であり、これの作られたキエフはウクライナの首都である。これも偶然だがパッシブな選択も悪くないと思う。外回りはほとんど新品になっている。これも部品が今も同じであるため入手できるのだろう。フロントデザインに特徴があり、眉のような指示器に茶目っ気を感じる。イギリスでも売れるため右ハンドル車もある。この車では外してあるが、ノーマルでは雪国らしくヘッドライトにもワイパーが付いている。タイアは16インチ/ノーマルはトラクターのようで乗りにくいため、ここでは普通のリブ・ラグパターンのセミオフロードタイアである。

5/31

様々な支障があってなかなか試用できなかったコシナ=フォクトレンダーベッサR2を本格的に使ってみようと思う。持ってみた感じではベッサRと比べると少し重く、仕上げにも重厚感がある。総金属製というふれ込みは普段ライカを持っているのでそれ程敏感には感じないが、かなり持ちごたえはある。前から疑問に思っていた外装の貼りゴムも質感とボリューム感が良好で、あとはヘキサー並の耐久性を期待したい(まあ、これからだ)。外殻の塗装(黒メッキ?)はニコンF100等でも採用されているシボのあるもので、機能とはあまり関係ないだろうが、確かに感じがいい。光の当たる具合で表面の質感に変化が感じられ、悪くないと思う(先般手に入れたマキナ67も不思議に同じ仕上げである)実際の操作性はRと同じようなものだが、細かな改良はなされている...近々「カメラ談義」で紹介しよう。一つの問題点はシャッター半押しで露出計に通電し、発光ダイオードが点灯するのだが、これがシャッターボタンの深い位置で作動開始し、しかも押圧もやや重く、思わずシャッターを切ってしまうことすらあるだろう(3台試して全部そうなので個体差ではない=しかし重さには差がある)。おそらく今後早い時期に改善されるだろうが、シャッターボタンの感触はRに劣後している。

トリガーワインダーを取りつけると更にバランスがよくなる。私はトリガー巻き上げをしようがしまいが着けたままでR2を扱うことにする。レンズはこのカメラのために存在するようなズマロン35/3.5である。M3に外付けファインダーを装着して使うことを前提のレンズであるため、ごく末期の個体以外は普通のMボディに取りつけても50mmのフレームが出てしまう。ファインダー手動切り替え式のこのカメラなら問題なく35mmフレームがでる。大きさ・重さも手頃で、この組み合わせは最も気に入っている。

5/29

日曜に写友2名と共に展覧会のハシゴをした。京都から私、富山から一人、大阪から一人京都駅に10時集合。まずは京都「駅」ミュージアムにてマグナムの「微笑み展」を見学。マグナムの報道写真家達が取材現場で撮った人々の微笑みをテーマに構成したものである。単なる平時のポートレートではない、戦場や政治的緊張、飢餓など彼らの厳しい現場にも存在する「人間性」の記録について考えさせられた。彼らとパパラッチとの差があるのだろう。私はこのなかの「シム=デビッド・シーモア」の作品が気に入った。1枚1枚あれこれ議論しながら見たために1時間半を要した。ここから京都の下町を少し歩いて七条に出る。京阪電車で四条に降り立つ。ここで昼食。

メンバーのひとりがネットで探してくれていたウクライナ料理の「キエフ」に入る。私はまったく知らなかったが加藤登紀子の店として(父から相続した店らしい)有名らしい。表通りから少し入った小さなビルの6階にある。料理はロシア料理が基本だが、南の遊牧民の味が入った、チーズやクリーム、各種のスパイスの効いたウクライナ風という大変美味しいものであった。日曜の京都としては静かで空いていた。窓からは川端通り越しに鴨川が眼下に望め、とても気持ちがいい。私はボルシチとロールキャベツのトマトクリーム煮、パングラタン、ロシアンティー(バラの花のジャム入り)そしてサービスにピロシキと食べて(すべてウクライナ風であることは云うまでもない)おおいに満足した。本格的なロシア料理(ウクライナは独立しているので正しい表現とは言えない)を出す店としては京都では著名らしいが、ここのマネージャーと話してみると別の側面が見えてきた。名刺を貰うと「キエフ文化サロン」と書いてあり、ロシアを中心とした世界の文化的な事業を進めており、レストランもその一環であるらしい。これも後で分かったのだがマネージャーの父君は京都大学の名誉教授で、しばらく前までここの運営をしていたらしい。食文化を中心とした(北方系が主)各種の集まりの事務局のような存在らしく、音楽や文化講演なども行われているようである。私の持つラダ・ニーバ(自動車)やボストーク(腕時計)各種ロシアンカメラなどの生産の中心はキエフであり、旧ソ連の工業の中心であった(外貨の獲得という点でも貢献した)。それ以外も農業や牧畜、黒海での漁業など崩壊後の旧ソ連の各国の中では豊かな国である。長年のソ連によるロシア化政策によりかなり崩れたとは云え、ウクライナは固有の文化を持つ民族集団の国である。友好関係は保ちたい国のひとつであろう。京都市内におもむいた折りはまた寄ってみたいと思った。6月から夏メニューに変わり、屋上でビアガーデンも始まる。 

さてここを後にして、ごく近所の何必館に寄って「サラ・ムーン展」を見た。これはいわゆる「芸術写真」なのだが、ブレッソンを唯一撮った(映画「疑問符?」)写真家としてつとに有名である。作品はまったく異なるが、彼女の主張は「しかし、ある友人が云うように、人生は踊り続ける。私は歩き続け、解らなかったことを悟り、それは続く。眠っている原っぱ、干し草の山、夜の一羽の水鳥、ここにもあそこにも、偶然の瞬間。それが何かであろうとなかろうと、なぜ、どうして、この瞬間がわからない。それは、彩りと明白さ、夢と現実、全てを混ぜ合わせた混合物。私が何をしようと、いつも私をつき動かすのは”予期しない”こと、そして全ての場合、私はそこで無に等しい」と述べているように、シュールレアリズムの影響を受けたと自ら言うブレッソンと共通の土壌に明らかに立っていると思われる。そのような眼で見たとき何か喚起されるものがあるようで、私も結論は性急に出さず、まだ見ていきたい。今まで見た写真のどれとも似ていないのである。いい図録が出ているので、展覧会に行けない人は何必館に申し込むと良い。

さてここをあとに京阪三条まで歩き、特急に乗って大阪へ出てみる。終点の淀屋橋で降りて、また梅田まで歩く。単なる展覧会巡りではなく、駅まで少し遠回りをして写真を撮ってみよう。展覧会の余韻がシャッターを押させる。富山の庄川河畔で暮らす写友の言葉「川風が気持ちがいい...」京都の鴨川を渡るとき、大阪の大川を渡るとき、両方とも自然に声が出た。この感受性が大切である。ぜひとも街を野原を歩こう。そして梅田大丸ミュージアムで2度目のニュートン展を見た。かなり疲れていて、私は途中で別の合流する友人の待つヒルトンの喫茶室へ向かった。30分ほどして若い(と云っても30代)ふたりも合流し、今度は4人でカメラ/写真についてコーヒー何杯もおかわりしながら議論をして、お腹が空いたので地下で「お好み焼き」を食べて解散。夜の8時40分、約11時間のハードな1日であった。

図録3冊は重かった...と云っても肩を痛めていたので大部分の時間は若い写友に持ってもらった。こんどは天保山ミュージアムの「エッシャー展」、京都の「カンディンスキー展」をぜとも見たい。そしてその街をまた歩きたい。

5/21

今日、大阪・梅田大丸ミュージアムへ明日から開催される「ヘルムート・ニュートン展」の内覧会に行って来た。今日は業界の関係者ばかりなのでゆっくり見られたが、たぶん会期中は混雑が予想される。会期は5/22−6/2(am10−pm7:30の入場=会期中は無休)である。 展覧会は狭い会場の割には数や写真の大きさに圧倒されること受けあいである。しかも大部分がモノクロのヌードを含む女性の写真で「写真酔い」をする人もいるかも知れない。今回は1920年生まれのニュートンの比較的最近の写真が中心で、年齢のことを考えると信じがたい力強さがある。私の関心のある分野の写真ではないが、絵作りや構図・構成の参考にはおおいになった。なかでも目玉は1999年(ニュートン79歳!)のVWニュービートルのコマーシャル写真である。作品と共に、会場の一角でビデオが上映されており、その時の撮影風景・彼の作品作りの考え方が自身の語りによってなされている。彼の評価は分かれているが、作品群を前にすると、昨年見たジャンルー・シーフなどと比べても圧倒的な迫力を感じる。「巧さ」ではシーフが上だろうが、写真の力では凌駕しているだろう。一度見て欲しいと思う。最後まで生き残って撮り続けることの意味を感じた。

ポスター、ハガキ、招待券、「オートエロチック」というニュービートルの写真のミニ写真アルバムを帰りにくれた。ついでに今日買ったLMリングと持ち歩いたM3。

5/20

5月の連休中に友人と大阪・西成の下町へ撮影に行って来た。通天閣で有名な「新世界」である。ここは1903年に当時の殖産興業政策の一環として政府の主催で行われた「第5回内国勧業博覧会」の跡地利用の街である。現代の大阪万国博覧会の跡の万博公園と本質的には同じものだ。しかし万博のように未開発の千里の竹藪を開拓してできたものとは違う。新世界の近辺は近世から続く、大阪の下町・裏町の「長町」と呼ばれた場所の一角とその周辺部を再開発したもので、今で云えば大阪駅前のスラム化した曾根崎の裏町の再開発に似ている。さて話を戻して、勧業博覧会では全国から建設・土木の労働者が集まり工事をおこなったが、博覧会の後に退去させられた下町の旧住民と残された労働者によって構成された町が現在の「釜ガ崎」(現在は町名は消され通称である)となっている。華やかな整備された天王寺公園と博覧会場である新世界、それに近接する西成の裏町・・・都市ではよく見かける風景である。その後また寂れていったこの地域に博覧会が登場する。1987年の天王寺博覧会である。特に大きなテーマはなく、都市の再開発の大義名分という色彩が濃いものであった(私もこの時は仕事でここの撮影はしている)。天王寺公園はすべて囲われ有料化された上で中で博覧会を行ったのだが、終了後も柵は撤去されず有料のままである。この間に公園内に起居するホームレスが一掃されたことは云うまでもない。いつの時代も産業の振興と都市開発が繰り返され、その度に使い捨ての労働力が用意され、事後には棄民となって放置される。日雇いとして建設・土木・港湾荷役の仕事に就く、仕事のできなくなった人が、或いは景気の悪化によりホームレスとなり、それがまた公園等に住む。そしてまた追い出して再開発・・・悪循環である。資本主義社会の矛盾でもあるだろう。昨今「実力主義」なる弱肉強食の労働・雇用観が勃興しているが、極めて危険な兆候と考えている。

写真は今回も友人の手になるものである。nagyが校正/編集を行った。なお撮影データはヘキサーRF+コーテッドエルマー35mmF3.5+プロビア400。

連休も最後の日本晴れの一日、友人たちをボクの育った街に案内した。カメラ片手のブラブラ散歩。「新世界」から始まった一日行脚は、街が老いているのを確認するような旅になった。30数年ぶりに通天閣に登った。祖父に連れてこられて以来だ。20年前に亡くなった祖父がすぐ横で見ているような気がした。 通天閣展望階より南東方角を眺める。

新世界ジャンジャン横町の碁会所前の風景は子供の頃のまま、あの頃こんなに年寄りばかりに混じって覗き込んでいたんだろうか。

子供の頃、ここを「ガード下」と呼んだ。早く友達と遊びたくって「ガード下」の影の中から、光の中に駆け出していった。大人になって、ここに来るたびに思う。「ガード下」が「影」を作っているんだろうか?「光り」がやけにまぶしいと感じることもある。 新世界と釜ガ崎方面を結ぶ通路のひとつである。異質な町と町の境界には象徴的な「通路」が必ずあった。最近は町も均質化してきて、歩いていくと「いつの間にか」隣の町にいることになる。表と裏のなくなった映画のセット・かき割りのような町が増えているように思われる。

*写真についての批評はあえて行わない。一緒に歩いて写真やレンズのことも語らいつつシーンを共有しながら撮影し、ポジが上がった後にまたディスカッションして、時にメールで画像やテキストの批評や問題点を確認しあい、そののち上梓するという手順を踏んでいる。良いも悪いも見る人の判断であるが、現状での実力の最も発揮できている写真だと言えるのだ。私は評論家ではないのでなかなか批評は紹介しにくい。あとは実力を出し切るのを期待するのみなのである。しかし半年あまりで上達著しいが、逆に1日の撮影で3カットが精一杯というのも現実である。

5/18

きのう東京から写真が届いた。東京にも田園地帯が今でも多く存在する。私にとっては東京は「君の住む美し都」であり、東京の大学に行った高校時代の同級生の下宿に転がり込んで体験した帝都の重々しさだけが印象に残っている。中央線に乗って水道橋付近の大規模な下水/上水の工事現場が、映画「未来世紀ブラジル」の映像を観たときに思いおこされた。展覧会に展示された自分の絵の搬出に、ナイトバスで上野へ行ったことも昨日のように想い出される。懐かしい、それでいてそれ以来訪れることのない遠い東京。東京という響きからは、転がり込んだ下宿先の幡ヶ谷の下町風景が目に浮かぶのだが、投稿してきた東京の友人から別途に今の幡ヶ谷の風景が送られてきた。その後の25年間の変貌を見て、また東京が遠くなってしまった。写真は今の多摩地域の映像だが、私にはこれとは無関係に甘酸っぱい憧れの東京の1970年代の風景が、この写真の裏側(勿論東京と云っても場所は遠く離れている)に見えてしようがない。

八王子での写真。下記は写真に添付されたテキストである。

【写真に添えて】
東京の田圃は既に消滅したものと思っていた。
しかしそれは23区だけに云えることだったようだ。
東京も狭いようで広い。
地図を見て、かつて多摩丘陵と呼ばれた一帯に当たりをつけて歩いている途中で見つけた。
都下(市郡部)にまで視点を拡大すれば、田畑はおろか開発前の営みの面影だってしっかり残っている。
そこでは細々と、それこそ消費者の口には入らないであろうが、田植えが始まっていた。
これから先、いつまで繰り返されるであろうか。
残るべき景観なのか、残すべき景観なのか…。
(東京都八王子市 平成12.06.04) ニコンF3+オートニッコール50mmF2.0(最も古いタイプ)

5/7

4月に奈良へ行った時の写真が送られてきたので紹介しよう。前回の西成での撮影より格段に良くなった。絵にうっすらと何かエナメルのような薄膜がかかってきたようだ。  写真は友人が撮影し、編集とキャプションはnagyが担当した。

「奈良にて」

猿沢の池の畔で、普段着の若い僧が水面を見つつ思索にふけっていた。ただ静かな空気が池の上を流れていた。

奈良の下町の散髪屋の店先。磨りガラスの向こうで主人が剃刀を研いでいた。何千人もの下町の住人が髪を刈り、髭をあたっていたのであろう。裏店という言葉の似合う店である。撮影者の目と記憶の延長線上にいつもある景色なのだろう。 うねうねと高く低く丘が続く奈良の町であった。

JR奈良駅の裏側のもっとも暗い一角のアパートにて。人は住んでいないようにも見えたが、廊下の一角に花が生けてあり、人の気配は確かにあった。どんな先生の生け花よりも心を打つ紅い花である。つげ義春の「紅い花」はこんなところに咲いていたようだ。

撮影データは、ライカM7+エルマリート28mmF2.8/3rd+ズミクロン50mmF2/2nd+プロビア400である。

4/29

新潟に3日間行って来た。今回はM7、CLE、ヘキサーRFのAEカメラを中心に使用した。AEカメラは便利だが露出補正も含めた精密な露光の決定には多少の疑問を持っているのである。今までもだいたいはヘキサーを中心に撮影してきたが(中央部重点測光=ほぼ正確な露出が得られる)補正は必ずしもし易くはない。結局不安なときはAEロックで適当な場所を計り、カメラを振って構図を決めて撮るという作業になる。チャンスを逃すだけではなく「滑稽さ」さえ感じることがある。そこで「お蔵入り」していたCLEを使ってみると、これが平均測光のAEロックなしとなり、「だいたい」の露出となる。このカメラは更に露出補正が容易ではなく、カメラに任せる他はない。そしてM7、これはスポットに近い中央部測光である。AEロックは絶対必要だが、操作はし易いもののやはり「見て、すぐ撮る」とはいかない。それにAEロックのホールドはヘキサーより難しい。少し指先を緩めると解除されるのである。また逆にシャッターを切るときにAEロックは常にかかり、動体撮影のようなカメラを動かしつつ、シャッターを切れる直前まで押して画面を追うような撮り方は機構的に不可能である。レリーズのタイムラグ自体は確かに小さいが、シャッターを半押しにしないで追いかけることになり、ヘキサーのAEロックを解除して、シャッター半押しのまま被写体を追うやり方よりも実質的な「遅れ」は大きくなるだろう(更に手振れリスクも出る)。やはり機構としてはAEロックとAEコンティニアスを選べるヘキサーが上だろう。ではM7の使いやすさはどこにあるのか?簡単な話だがシャッターダイアルのAEポジションにロックがなく、簡単にマニュアルに移行でき、マニュアル操作がM6TTLと同じ方法でできることにある。当然に測光範囲もM6と同じで、M6ユーザーにとっては「勘の狂わない」適切な設定だと言えよう。つまりM7は測光に関してはライカの過去からのやり方にのっとって前機種への機能の付加に徹していて、M6Eと言っていいマシンであると思われる。日本のメーカーがモデルチェンジを機会に徹底してリファインする傾向が大きいことと対照的である。どちらがいいのかはユーザーが判断すればいい/私にとっては選択肢が増えた事によるメリットを感じている。ちなみにダイレクト測光という共通点以外の方式は全部異なるが、露出計自体の正確さは上記3台とも信頼できるものである。

M7に沈胴ズミクロン、粋である。筆記体のLeicaロゴも耐久性に不安はあるが、あっても悪くない。私個人はデコラティブでない意匠が好きなので、ジャパンモデルに疑問を持っていたのだがM5並のさっぱりとしたデザインなのでバランスはとれているようである。

4/23

M7速報。外見はあまりM6TTLと変わらないが、内容は相当異なる。今日はちょっと見比べてみた感想。ファインダー窓、距離計窓にコーティングがなされている。これで逆光時のハレが少なくなるはずであるが、現実にはM6比べるてもあまり差はない。逆にコーティングの強度が気になる。私の所有しているキヤノンVTにはコーティングがあるが、長い間に傷だらけである。その後のキヤノン7では少なくとも外面はノンコートである。ガラスさえ硬度があれば汚れをシリコンクロスでゴシゴシこすっても大丈夫である。ファインダー窓は汚れ曇ると気持ちが悪いので結構拭き取ることが多い。M7の場合はレンズを清拭するときのように気を使いたいと思った。ファインダー内を覗くと少し狭いように感じる。つまり倍率は0.72と同じであっても、ほんの少し窓(対物窓・接眼窓)が小さいのかと思う。そして他のフレームはM6と同様であるが、50mm枠の下辺が何かに邪魔されて細い。ファインダーの構造は複雑なので狭いフレームの下側は透明で向こうが見えてはいるが、何かがあって細くなっているのは覗くとすぐ分かる(全体にではなく両側は太い)。特に撮影に問題はないが、美的には感心できない。あとはトップカバーのブラックマットの質感が、M6よりM6TTLは光沢が無く、M7では更に黒の色味が違って見える。少し黄色或いは緑色がかっている。これも微細な差であって、並べて比べてもなかなか分からないだろう。ひょっとすると下地が真鍮なので黒メッキの質や仕上げが違うのだろうか。或いはシルクスクリーン印刷のジャパンモデルの筆記体ロゴが焼き付けされていて、その熱により変化したのかもしれない。そして他は違和感はないが、バックドアの感度ダイアルの厚みが大きくなり、機能の付加と共に扱いの面では良くなったのかとは思うが、安っぽくなったようにも感じられる。AEになってAEロックは当然としても、露出補正は必要なのだろうか。DX対応も必要なのだろうか。あれば便利だが、なくても良いと思われる。「便利性」を追求すると最後は(これにAF組み込みで)非常に高価なコンパクトカメラに過ぎなくなると思われ、実態はこればかり使う予感もあるという複雑な気持ちである。シャッターの押し心地はザラザラとした擦れる感じと、押す感覚が2段になっていて、M6TTLより悪くなったが、フルメカニカルと電気接点の違いと思うと諦めのつく範囲だろう(同じ電気カメラでもヘキサーやCLEの方が良い感触である)。シャッターの切れた音やショックなどは、電気的に制御しているのだから当たり前なのだろうが、なんとなくM3の再来とも思われる良い印象である。色々あるが、まずはこれをじっくり使ってみよう。

レンズは新しいコシナ=フォクトレンダー・カラースコパー50mmF2.5。期待できるレンズである(たぶんエルカン50を意識している)。


4/2

近所の山から私の町を見る。3分咲きの桜の間から甍の家並みが見える。色々な種類の桜と、同じようなバラ科の花がまちまちの盛期を迎えて咲きこぼれる。都市のソメイヨシノ(どうも私には品がないように思うが、花見の乱痴気騒ぎのイメージが重なっているのだろうか)一辺倒の桜とは違って風情がある。

ニコンF3+ニッコールオート35mmF1.8Ai改+RA 35年以上前のレンズを愛用している。荒い描写と色味の出ない個性がいい(現代のレンズと比べて極端に彩度が低い)。何という品種だろう?とても小さな花が咲くのである。向こうに明るく展望できるのが木津川の沖積平野である。その向こうは南山城の山並みで、彼方には信楽の町がある。

3/31

近所の桜である。品種は何か分からないが変わった木である。枝が垂れ下がり、支えを必要とする、しかししだれ桜とも異なり、花は八重の大きなものである。農業以外に産業のない我が町の中で、数少ない運送会社の倉庫の敷地に生えている。住み込みの管理人の手入れで毎年綺麗な花を咲かせている。

管理人と桜。大事に育てているのが伝わってくる。田圃の真ん中の未舗装の敷地に倉庫と管理人の棟が建っていて、少し侘びしい雰囲気が好きである。ビオゴン28mmF2.8L改+RF+RA、ツァイス・ビオゴンの色は独特で「薄曇りの日に色気のある描写」が可能である。よく雑誌等で見かける「晴れた日の鮮やかな描写」より、多少の悪条件下での撮影に値打ちを感じる。色の階調性に魅力があるのだろう。

3/27

先週近所の村で子供達と知り合った。二人は幼なじみの同級生。小学1年生である。二人で春を待ちかねて小川で釣りを始めた。なかなか釣れないが、よく見ると確かに水辺に春は来つつある。小さなエビやザリガニが動いていた。カメは?の問いに「今は土の中、だいぶ後に出てくる」との答。よく分かっている、彼らが村に生まれて良かったと思う。色々話をしたあと再会を約束して別かれた。

夕陽が完全な逆光となって空が輝いて見える。刈り取られた田圃、里山と野焼きの煙。「友達を大事にしろ」と言ったら「うん!」と答えた。 それにしてもエルマー35mmF3.5の描写には魅せられる。ライツレンズの味とはこんなものだろうか。特にこのレンズは「当たり」のレンズであろう。このような完全逆光でもベールのようなフレアは出るが極端なフレアやゴーストは皆無である。各絞りでの焦点移動は実用的には感じられず、残存収差による周辺の軟らかなボケ味と芯のある中心部のピントの切れ・・・私には使いこなせないが魅力のあるレンズと言える。 ヘキサーRF+エルマー35mmF3.5(F6.3で撮影)+RA

3/26

土日で富山へ行って来た。前日までの暖かさとは違い、ミゾレ/アラレ混じりの冷たい雨が横殴りの北風で吹き付ける、大変な荒天であった。仕事は別として、富山にはもうひとつの楽しみがある。リンクページにもあるとおり砺波美術館でしばしば良い写真展を行っているのである。夕方、当地での写友と小矢部川で落ち合い、美術館に向かった。今回は常設のドアノーの子供達展が目当てである。かなりのドアノーのコレクションを持っており、折々に掛け替えているようである。やはりオリジナルのプリントはいい。前回は昨秋ジャンルー・シーフ展を見た。どうしたものかドアノーの図録はなく、エルスケンの「セーヌ左岸の恋」を買った。最後の1冊で、もう在庫はなくなったようである。この写真集はエルスケンの最初のもので、1950年代のフランス実存主義の写真としての意味がある(彼自身はオランダ人)。中をみると、その時代の騒然とした空気感が画面の随所に表現されており、技術の未完成さが余計に雰囲気をかもし出している。

まわりの絵はがきは写友に頂いたドアノーの写真である。彼には今回の調査でもお世話になった。持つべきものは友である。

3/16

さて今回は私の捉えた大阪の下町の風情である。なにぶん初めて行った場所なので、最初のフィルム1本目は(レンズはエルマリート24mm)どうにもならなかった。2本目に入り、レンズをウルトロン28mmF1.9に換えて、眼も頭も切り換えて午後の撮影に入ったのが以下の写真である。3カットとも1本のフィルムの中のシーンであり、ボディはヘキサーRF、レンズはウルトロン28mmということになる。町を流すときには多くのレンズはそもそも必要ないと思う。その日の光や場所で決めたレンズで撮れば良いに決まっているのである。ただし今回のように特にテーマもなく、初めて行くような時にはレンズ2−3本は用意した方がいいだろう。ちなみに私は1.エルマリート24mmF2.8ASPH 2.ウルトロン28mmF1.9 3.トプコール5cmF2L(これは一度も使用せず)を持参した(フィルムはフジRA)。さて前置きはこのくらいにして写真である。

*35mm判がオリジナルだが考えがあって、すべてスクウェアサイズにトリミングした。私はノートリミング主義ではない。ライカも含め、視野率90−95%で、おまけに距離によるパララックス/画角補正が完全でないRF機においては重要な概念ではないと考えている。もちろん「暗室で構図を作る」ことを良しとするのではない、あくまで考えあっての事柄であり、不必要な部分は切り取ることも必要なことである。

萩ノ茶屋の「あいりん労働センター」(http://www1k.mesh.ne.jp/wwf/page16.htm ここのHP)横にて。巨大な建物であるが日雇い労働者に対する仕事の斡旋以外に何をしているのだろう。この通りの向こうでは青空フリーマーケットがなぜか盛況であつた。センター脇の道路との境界の場所に点々と荷物が並んでいる。これは仕事がなく、ドヤや簡易ホテルに泊まれない人の「場所取り」なのである。昔から日本にある慣行、モノを置くことによりその場所の占有権が発生するのである。もとよりそれは永続性のある使用権ではない。今日を限りのささやかな権利なのである(同じ境遇の人たちにとっては「明日は我が身」の守らねばならない慣行である)。力の論理ではなく先着手順なのである。仕事を配給してくれるセンターの近くに野宿することは生活と直結した行為である。明日の安息な寝床を期待して今日も並ぶ。

山王町にて。通称「天王寺村」「芸人横町」と呼ばれていた。今も伝統にのっとり多くの芸人が住んでいるのだろうが、昔の面影はかなり少なくなったと思われる。私は初めての訪問であるが、NHKでこの町のドキュメンタリーが放映された(それは1950−60年代の映像と71年の番組をまぜて構成したものである)。その番組の中でさえ昔日の繁栄の風景は衰えていったと結んでいる。今回の小さな旅の終わりにこの町にたどり着き、それでも私にとって戦後はまだ終わっていないとの実感をいだかせるに充分な景色が残っていた。この横町は特に印象に残った場所である。暗く狭い石畳の路地の両側に、傾きかけた家や小さな手仕事の店が肩を寄せ合うように建ち並んでいる。迷路のような路地を歩くと軽い目眩を感じる。芸術にとって必要な幻惑的な雰囲気である。しかし今も確実に人々は暮らしている。人の住まなくなった(それはここから歩いて何十分もかからない)都心より遙かに人の足音が聞こえるのである。

人がすれ違うときに体を横に向けねばならない程の狭い路地の、更に狭い空間にサザンカの花が満開であった。もはや誰の土地でも空間でもない。自分も隣も向かいの家も、薄暗い路地に精一杯咲いて、すぐ上にある空を思い出させるこの花に、未来や幸せについての感慨をもっているに違いないだろう。典型的なプチブルの私にとって、自分の知らない人たちの人生について考えさせられた有意義で貴重な一日であった。いままでいわゆる田舎で日本人の伝統的な暮らしの成り立ちについて学んできたのだが、そればかりが日本人の暮らしだとは言えないように思われる。そう遠くない場所である、また季節をたがえて来てみよう。

3/15

今日、古書店から「マルチン・ムンカッチ」と「アルフレッド・スティーグリッツ」の写真集が届いた。詳細はいずれ紹介したいが、ムンカッチはブレッソンに唯一影響を与えた「1930年代のリベリアの海岸の少年達」を撮った写真家で、のちにアベドンにも大きな影響を与えたことでも有名である。スティーグリッツは「291」などで写真のみならず、前衛芸術全般をアメリカに広く紹介した写真家・啓蒙家である。写真をそれまでの絵画の代用品から芸術のひとつの分野まで高めた功績者である。ニューヨーク・ダダのM.デュシャンやマン・レイ、F.ピカビアなどとの親交は見逃せない。私は写真家としてのスティーグリッツは知らぬまま、ダダの庇護者としての「291」運動に関心があって(これもいずれ語るときが来るであろうが、自分は写真家になる前は画家を目指していたのである)ようやく彼の写真にたどり着いた・・・遠かった。

いずれもPPS通信社主催で小田急美術館にて開催された写真展の図録である。                

3/10

今日は送られてきた東京の友人の写真を紹介しよう。北海道/苫小牧の工業地帯の写真である。画像を軽くするためやや小さなファイルにしてあるが、本当はもっとグレイが美しい。空気感のある、そして構図のとれたいい写真である。ただしあとひとつのポイントが欲しい。組写真の1枚としてならいいのだが、単写真となると景観に少しの意味を持たせたいのである。

2002/1/4

11月に富山県砺波市の美術館へ行った。知人に教えてもらったのであるが、ここは良い写真の展覧会を開催していて、今回は「追悼 ジャンルー・シーフ展」であった。今富山での撮影をしているので、ちょうどよく通えそうである。シーフはモノクロを自分で焼いていたそうで、この展覧会でもすべてモノクロ作品であった。極めて精緻な構図とピントが特徴である。そしてファッション写真家としては珍しくスーパーワイドを多用している。私はあまりに精密すぎて窮屈に感じる・・・人物写真のその奥に背景や時代性が感じられないのである。その中で「悲しみよこんにちは」でデビューした当時の若き日のフランソワーズ・サガンの写真はとても良かった。その頃撮ったものだが、私たちはその後のサガンを知っている。若き日のサガンの肖像に後の時代のサガンが予感されているのである。残念ながら終わってしまったが、どこかで開催されたときは見に行ってほしい。来年は3月末まで「ドアノー・子供たち展」が行われる。私も3月に行って見てこよう。

シーフの閉じられた図録、入場券、パンフレットその他。


2001/note

12/7

明日から山陰/香住へ冬景色を楽しむ旅行に行く。毎年恒例で友人のファッションカメラマン氏とのふたり旅である。やはりカニを食べること、温泉につかること、汽車にのっての世相談義、いつもの旅である。今年も1本勝負が待っている。彼はローライTテッサー1台、私はM6(レンズも1本)1台の写真対決である。過去は1勝2引き分けであるが、今年は本腰を入れるようである。今回はキャビネか六切りに3枚伸ばすことになった・・・えらい事である。

11/15

大丸神戸店で「ロベール・ドアノー写真展」をおこなっている。11/20まで(無休)am10−pm7の開催であるが、行ける人はぜひ行ってもらいたい。ドアノーは同世代のブレッソンが敬愛した、ふたりの写真家のうちのひとりである・・・もうひとりはムンカーチ。世界を回ったブレッソンとは違い、一生をパリで過ごした写真家である。1994年、82歳で亡くなるまでローライフレックスをぶら下げてパリの街を歩いた、生粋のパリジャンである。ブレッソンの言葉を引用しよう。

『 私たちの友情は時間の闇の中に消えてゆく。

あの思いやりに満ちた笑いも、おかしくてそのうえ深みのある当意即妙の受け答えも、もはや私たちには味わえない。

二番煎じはひとつもなく、いつも新しい驚きだった。

けれども、かれの底知れぬ善意と、生きている人々や慎ましい人生に向けられた愛情は、いつまでもかれの作品のなかに生きている。』

(何必館・京都現代美術館「ROERT DOISNEAU」写真集より引用=この写真集は素晴らしい出来映えだ・・・展覧会場または直接に購入できる)

ブレッソンはライカ使いだったが、ドアノーがローライ使いとは知らなかった。またブレッソンの言葉「ドアノーよ永遠なれ・・・」=ブレッソンの映画「疑問符?」より。

10/31

ベッサT+ヘリアー50/3.5がやってきた。コシナの沈胴レンズについてはテッサータイプでなくて(作りやすいかも知れないが、それではエルマーと同じで独自性がない)5枚玉以上のレンズを希望していたのだが、開けてビックリ!往年のヘリアーだったのである。予測として5枚構成の変形ガウスかエルカン50のようなエルノスタータイプかと思っていたが、完全にしてやられた。私の予測の負けであるが、結果は喜ばしいレンズの登場となった。これから楽しみである。メーカーには失礼だが「付属」のボディ=ベッサTも予想を超えた仕上がりで満足している。仕上げや付属品を変えるだけでこれだけ雰囲気が変わるとは!来るべきベッサMのスタイルを予感させるものである。基本の金型は同じとしても、これより更に仕上げや部品を洗練されて出てくるだろう。まずは第一印象であった。

ボディはグレイ。レンズは沈胴状態。フィルターは27Φ・・・今のところケンコーの黒しかなさそうである。レンズのデザインはプロトタイプのエルマー50/3.5の一部と似ている。非常に仕上げが良く、操作性も沈胴式としては良い方だろう。箱は段ボールのしっかりした箱の中に白の豪華な箱が入っている。ストラップは純正の黒ナイロンがグレイボディと合わないので、社外品のグレイのものにした。

9/30

昨日「アンリ・カルチェ=ブレッソン コレクション展」を見に行ってきた。私も開催を知らなかったのだが、先週カメラ仲間の掲示板でこのことを知り、もう日にちがあまりないので行ってきた次第である。1999−2000年に世界巡回展の「ランドスケープ」展が開催され、私もおっとり刀で行ったのだが、内容は素晴らしいものであった。今回は場所は狭いが点数は遙かに多く(411点!)、前半/後半の2回に分けて9/1−10/7(月曜休館=開館am9−pm5・・・入場料無料!)に京都市美術館(京都市/岡崎の平安神宮そば・・・国立近代美術館、京都府図書館、動物園と隣接)にてみる事ができる。この展覧会は巡回せず、ここ限りなので、ぜひ見に行って欲しい。作品は大阪芸術大学の所蔵品で、30年間で3回しか公開されておらず、そのカウントで云えば次は10年後となり必見と云えよう。

どうしても行くのが無理な人は図録があり(¥1900)、芸大へ直接申し込めば購入可能である。

9/10

今日は東京の友人から寄せられた珍しい写真を紹介しよう。写っているのは彼が飼っている猫で、特に憎たらしくもなく、可愛いという程でもない。問題はこの写真が今は絶滅寸前の127フィルムで撮った4X4のフォーマットであることだ。ベビーローライという6X6のローライフレックスとそっくりの、ずっと小さな二眼レフで撮られたものである。フィルムはモノクロのクロアチア製のものしかなく(アメリカのマイナーなメーカーのフィルムがあるらしいが未確認)、あとは120フィルムをカットして巻き替えることで、個人やお店の単位で「生産」されている程度である。私も昔から興味があり、特にローライは触っているのだがフィルムのことがあって買うには至っていない。結構その名の通りベストサイズ(ベスト判とも云う)と思うのだが、多くの人はそうは思わないようだ。一度店で触ってみると良い。

フィルムの質が悪く、粒子が粗い上にカールがひどくて周辺に現像むらがある。いいフィルムと専用の現像システムがあれば良い写真がまだまだ写せるのに勿体ない・・・数年前までコダックが細々とフィルムを生産していた。

6/28

昨日「トーベ ヤンソン」、今日「ジャック レモン」が死去した。どちらも私の好きな作家であり俳優である。トーベ=ヤンソンの「ムーミン」はフィンランドの古くからの叙事詩「カレワラ」を基に、キリスト教(砂漠の世界)以前からある森の妖精の信仰の世界を描いたもので、我々の同胞、アイヌの「ユーカラ」と同じような出自を持っている。最初は絵から始まった「ムーミン」も絵本になり、アニメーションとなって世界中で愛された。私も子供の頃からのお馴染みである。またフィンランドの独自の伝統文化への文芸復興運動の旗頭であったことは案外知られていない。可愛いだけの子供向けのアニメというだけではないのである。

5/29

今日は奈良県橿原市今井町の写真を載せる。

今井町の入り口の橋を渡ったところにある井戸。今はモーターで組み上げているが、古来より水は神のいます所として大切に扱われていた。ひとつひとつの井戸に名前が付いていたのである。フジTX−1+45mm+RA。

町内の寺の境内より。町並み保全はこのような荒れた建物も生む。個人の努力では何ともしがたく、予算を付けなければならないだろう。フジTX−1+45mm+RA。

4/14

明日はいよいよクラシックカーのミーティングに行く。親戚の都合もあり、私は朝7時に家を出なければならない。ビアンキの朝の始動はなかなか気苦労がある。鍵が3個有り、ひとつはドアキー、あとはイグニッションキー、フュエールタンクキーで(これは改造ではない。ノーマルから別々のキーなのである)ドアキーで開ける。そしてチョークを引き、ミッションがニュートラルになっていることを確認して始動する。次ぎに来るのは「爆音」である。とても夜中や早朝にエンジンスタートできないのである。エクゾーストノートだけではない。高圧縮比や騒音対策の無さによりエンジン回りからも大きな音が発生する。エンジンが暖まるまではチョークは戻せず、1500-2000rpmで回ることになるためである。そこで出かけるときはチョークを引いたまま近所の家のないところまで転がし、そこで暖気運転をする。なに僅か1050ccのエンジン、すぐに暖まる。あとは快適とは云えないが心地よいサウンドを聴きながら走り去るのである。ミッションは5速あるが高速道路以外は4thまでしか使えない。クロスした1−4にオーバードライブが付いているということである。だいたい4速2000rpmで60km/h+である。駆動はFFだがエンジン横置きのアンバランスな設定になっているため右と左でターンの特性が異なる。またシフトはワイアーで引いているので節度が無く、(カーグラフィック流に云えば)水飴をかき回しているような感覚である。おまけにストロークが長いため、かなりの慣れが必要である。クラッチが半クラッチの作りにくいセッティングになっていることもあって、最初はシフトミスをしばしばしてしまった。エンスト・ギア抜けや2ndに入れたつもりが4thに入ったりである。しかし慣れるとクラッチやシフトの軽さは快適である。ヨーロッパには「羊の皮を着た狼」というたとえがあるし、そのような車も多いが、まさにビアンキ=アバルトはこれである。書きたいことはまだまだあるがまたにしよう。あとは停車後の儀式だけ書いておこう・・・止まるときは普通だが、エンジンキーをオフにしてもクラッチは踏んでいないといけない。電気が切れた後も高圧縮比のため2−3発爆発するのである。私はサイドブレーキを信頼していないため駐車時はギアは必ず入れたままにする。そのため不用意にキーを切ってクラッチを離すと数十センチ前へ行くことになる。

4/11

1ヶ月ほど前の話だが、大阪に雪が降った。雪が積もるなど一冬に一度もないのが大阪の市街地なのだが、何年かに一回季節外れの雪が降る。比較的短時間だったがうっすら積もった。真冬は毎日が晴天で極めて乾燥し、毎年静電気の発生に悩まされる。

CLE+ロッコールG28mmF3.5+RDPV  私の事務所のビルの裏窓から見る。アスファルトには積もっていないが、屋根や自動車のルーフには積もっている。この駐車場もそうなのだが地上げや倒産による空き地が、ビルが建つ一方で増えている現状である。この絵の左側の柵のスペースは昨年末に古いビルが取り壊されて新たな駐車場になった。ビルの真下には一軒だけ古い民家が頑張っている。ここのばあちゃんとは仲良しである。

4/10

この間の日曜日、奈良へ行ってきた。9時に近鉄奈良駅に集合し(と言っても二人)午後3時まで奈良公園とその周辺を歩いた。ちょうど花祭りの日で桜花の下、晴天の良き1日であった。この日は友人とローライ1台で勝負しようと約束していたのだが(私はローライフレックス3.5Fプラナー)、朝起きて準備しようとすると(私の家から奈良まで30分で着く)ブローニーのフィルムが2本しかないではないか。あまり中判は使わないので在庫の確認を怠っていたのだ。仕方なくM5の出動となった・・・ズミクロン35/7−50/6を持って。友人はいつものように荷物は持たず、ポケットにフィルムその他を突っ込んでの登場である。カメラはローライTテッサーである。そして最後まで手にぶら下げての撮影である・・・コマーシャル写真家なのでカメラを首から下げないのである。私には不思議なカメラ保持だが、なかなか粋に見える。最高気温は25度ぐらいになり、炎天下で歩き続けているため暑いの何のって・・・何遍も茶店(どうしたものか奈良公園では喫茶店ではなく茶店が多い)で休んでくず餅や甘酒、茶粥、あんみつ等名物を食べたり飲んだりしながらの撮影行だった。お互い仕事を離れての写真三昧は楽しく、実りのあるものだった。

2/8

今日、東京は新宿の友人から北海道・埼玉のルポ写真を送っていただいた。当然に私の写真とは違う視点で雪国を捉えておられる。私の冬の旅とは異なるあっさりとした空気感と旅の気軽さが伝わってくる・・・旅慣れた彼にふさわしい。埼玉の田圃と田の神様の写真も同じである・・・気軽さが身上の、肩の力が抜けた良い「絵」だと思う。本人曰く「縦位置が撮りやすい」・・・私はそれが羨ましい。気短なのか縦位置に構えることが苦手なのである。

順に「北海道北見市街・師走夕暮れ時」、「埼玉県妻沼市・梅雨空田植え前」、「東京・中野のクラシック喫茶」。

1/22

昨日カメラ屋さんに行ってきた。友人はついでにCF60mmT*も購入した。私もやはりなにがしかのカメラを買う羽目になった・・・これも運命である。今まで凸凹はあったものの運と偶然に恵まれてここまで来たが、今後の人生もおしなべて流れるままに生きていきたい。こう書くと消極的な考え方に感じるだろうが実はそうではない。秘密は成功の方程式はない(失敗の方程式はある)と言うことで、そんなものがあれば皆成功者になってしまう。特に写真家などは努力でどうにかなるものではない。昔駆け出しのカメラマンだった頃、先輩の(当時40歳ぐらい)カメラマンが苦労と努力の末ようやく独立した。お祝いの席で「さすがに苦労した人は立派ですね」と話すと、「苦労はしない方が良い。自分は才能がなかっただけなのだ」との返事を思い出す。その言葉は今も妙に生々しく覚えている。それから20数年、私は努力より才能を優先させ、短所を直すより長所を伸ばすことを実践してきた。それだけが成功(これは経済的な事や社会的地位の事を言っているだけではない)の方法だったとしか言いようがない。私のまわりの成功者(業種を問わず)に尋ねると、例外なく「運が良かった」「偶然が味方した」との答えが返ってくる。私も振り返るとそのように思われるのである。失敗の反省・改善は必要でも、成功には分析が要らないのも事実であるが・・。今日はつまらぬ話でありました・・・天気の悪さが関係しているのかも知れない。

1/16

突然の話で私自身当惑しているのだが、一昨日ニコンS2がやってきた。友人が限定版のS3を買ったため、以前から所有していたS2を手放すことになったのである。それだけならそれで済んだ話なのだが、一緒に持っていたその時代の35mmレンズも共に手放すと言い出した。S3を若い頃の想い出の品として新品のまま残し(S2ならなお良かったようである)、それ以外を放出することになったのである。私もSシリーズに興味がなかった訳ではないのだが、ボディを買うと結局システムとして揃える結果となり大変に高くつくことと、ライカMシステムの中で撮影をしているため、買っても使わないだろうと言う予測があって(これは他のカメラで経験済み=ライカ が最高とは言わないが、ひとつ選ぶならライカになる)これまで手を染めなかったのである。しかし今回は突如起こった話で、しかも友人のこととて「ひょい」と決まってしまった。特に50mmF1.4+フード+35mmF2.5レンズ付で最低限の撮影ができる環境になることで(ファインダーはセレナーの物がある)決まったのである。手にするとやはり良い感触である。ただしM3は現在私の見たところ、すべての点でS2を上回っているようで、改めてM3ショックとその後のRF機の消長を実感できる。しかしながらニコンSシリーズは不思議な魅力を持ったカメラで、その他の国産RF機と異なり、未だに伝説は残っておりファンも少なくない・・・その値段にもかかわらず限定S3は限定ライカより売れたのである。今もファンを魅了するニコンSについて、私もその魅力を使いつつ考えてみたい。このレポートも後日の話にしよう。私にとっては買った以上は実用品である。ある意味ではM3以上に伝説的なニコンSを使ってみよう。

実はこのレンズは2本ともLマウントレンズを持っていて、微妙な部分で違いはあるだろうが(鏡胴は当然ながら、コーティングも異なる)おおむね安心できるレンズである。あとはボディの能力である。ニコンSがM3に敗れ去った理由も少しは理解できよう。

2001/1/1

さて、あっさりと21世紀である。もとより時代を世紀で区切る考え方には組みしない私だが、しかし今年は少し覚悟が違っている・・・仕事をまとめよう。今年中にである。


2000/note


2000/12/28

今年もほん僅か・・・京都弁。このホームページを開設してあっという間に1年がたった。かえりみると、自分の勝手放題な理由で始めたのだが、この間たくさんの人とネットを通じて知り合い、徐々に増えた皆さんの応援でここまで来ることができた。この場を借りてお礼申し上げる。次の1年どうなるか想像もつかないが、新知見を得て更に充実させたいと思う。今年残された日々で今年の書きそびれたフィールド日記をひとつでもふたつでも書き綴りたいと考えている。「カメラ談義」は新年の挨拶代わりに1月初旬から再開したい・・・ほなさいなら。

12/22

あっけなくヘキサノンKM35mmF2が到着した。宝石のように美しいレンズである。従来からの希望であったピントレバーもついており、フードも往年のスリットタイプ(28mmのと似ているが専用品)である。私はこれで28−90mmまでのKMレンズを手にした。デザインは好みがあるだろうが、性能的なバランスは取れているだろう。これからこの4本を使い込んでみよう。まだ写していないが、28mmもそうだったように大きいのが目立つ。レンズ本体はライカの現行品よりかなり大きく、更にフードが立派でズミルックスのような大きさである。ヘキサーRFに着けるとバランスが悪いが、M5だと堂々としている。

左から35mm/90mm/50mm/28mm。

11/28

明日は信楽。先日のミノルタオートコードに次いで、一昨日はブロニカSQ−Aを試し、明日はフジカGS645Sを持ち出して使ってみる。二眼レフ−一眼レフ−レンジファインダーとタイプを変え、気分も変えて、深まり行く秋の景色を撮りつつ実験している。1月にカニを食べに行く旅行では去年ライカ+レンズ2本で勝負したが(友人=M4−Pと同年代のズミクロン50+ズミクロン35。私はM6とズミクロン35−7+CLE用Mロッコール90)、今回は中判の一本勝負で行くと前回の旅の終わりに決めていた。彼はハッセルブラッド500CM+プラナー80mm、私はローライフレックス3.5Fクセノタール75mmになるだろう。フィルムは最後まで秘密なのだ。日本海側の最悪の天候を想定せねばならない。昨年はアグファのモノクロリバーサル「スカーラ200」を持っていってひんしゅくを買ったが、今年はカラーリバーサルのみで勝負である。それほど感材の選択は重視する必要がある。今まであまりこのHPでは詳しく書かないでいるが、とても重要で神経質な問題である。カメラ・レンズの趣味の人は多いが感材や撮影の非常にデリケートな技術の部分はあまり語られない。仕事の話になるせいだろうか・・・。

フジカGS645S。使いやすいRFカメラである。

11/26

先日遅れていた「アウトビアンキA112」取得作戦がようやく終わり、私の元に1986年製の黒の「アウトビアンキA112アバルト」がやってきた。まだオイル漏れなどの小さな修理・調整は必要だが、綺麗だし、たいへんよく走る。なにせ660kgのボディに70hp+である。アバルトのチューンも適切で上のパワーだけでなく、下のトルクも充分稼いでいる。クロスした5速ミッションだが、2−4速でほとんど走れる。公称値の5速7000rpmで180km/hは無理としても150−60km/hは楽にいけるだろう。要するに「軽」のボディに1050ccの準レーシングエンジンが載っていると考えるのが適切である。足まわりもこれに準じた設定で不安はない。ただし室内は狭く、足下は更に狭いため、のびのびと運転するのは(私は体が大きい=いままで525iに乗っていたので落差が大きい)難しいが、これも慣れの問題である。525iより数段楽しい車である。勿論、撮影・調査旅行は4WDであることが必須なので「スージー」であることに変わりはない。

11/22

夏の終わり、私が月に一回程度行く豊中の豊南町付近の下町。編み目のように道が交差し、別の世界へ迷い込んだような眩惑を感じる。狭い人がすれ違うのが精一杯の道、両側に高い木が生い茂っている。密生しているため、狭い街路なのだが家が見えない。しかし横町のそこここから人々の会話だけが、とぎれとぎれに聞こえる。夏の終わりのヒグラシの声や羽虫の飛ぶ音が聞こえてくる。私のまわりの世界は夢の中なのだろうか・・・私の世界を構成しているのは「せねばならない事」「したい事」「なんとなくしている事」のみっつで、80%のなんとはなしの世界が、夢とうつつの間を行き来する超現実的な体験につながるのだろう・・・能動でもなく、受動でもない浮遊した世界。

CL+ズミクロン35−6(6枚玉が好き)+トレビ100

海が好きである。夕方や天候の荒れた海では水平線の海と空の境が定かではなく、溶けるように一緒になっていく・・・遠近法のひとつの概念・・・近くのものはくっきりとコントラストが出て、遠くのものはコントラストが下がっておぼろげになる。これは水墨画などに用いられる表現方法であるが、写真も同じ理論で表現ができる。ライカレンズについての私の知見はこのあたりにある。

10/26

ふたたびライカの話。今年に入ってM6TTLの二つの限定モデルの発売、そして今度は0ライカの販売である。これは現実なのだろうか?それとも悪夢なのだろうか・・・。勿論、需要があっての供給なのだから、ある種の期待を持って迎えられているのだろう。しかし私はもう少し現実的で実用的なライカの(それこそがM7、或いはCL−2なのだろう)登場を願っている。値段はともかくとして、他社にはない独自性が望まれる。一部の識者が語るようにライカは過去の遺産に依拠するブランドメーカーになってしまったのだろうか?技術者に聞くとやはりライカはM3の初期型(彼はバックドアのダイキャストモデルよりあとを後期ととらえているようだ)の内部構造に最高の信頼感(主として品質と技術)を持っているとのことである・・・また古いタイプのレンズやボディが高騰しそうである。

0−Leica。

10/23

本やその他から情報が集まってくる。まずはライカM6TTL0.58とズミクロン28mmの登場である。ヘキサーに影響を受けた訳でもないだろうが、ライカもワイド系に振ってきたのである。弱かった28mmもASPHにならないと思っていたら、なんとズミクロンで出るのである。それも良いだろう。しかしライカの広報でも言っていた、もう少しコンパクトでシンプルなMマウントカメラはどうなったのだろう?CLのようなカメラが今のライカにとって必要なのではないかと思う。ズミクロン28mm(そしてアポズミクロン90)に対抗してか偶然か、コシナ=フォクトレンダーから28mmF1.9と90mmF3.5アポが発表された。今までの例で考えると実勢価格は1/3ぐらいになり、性能は同等かそれ以上になるだろう・・・ライカに対する愛着を持つ人々(私も含む)には、歓迎はするものの納得のできない結果が歴然としてくるだろう。ああ・・・ライカには孤高を保って欲しかった。パワーゲームでは勝負にならない。ローライやオリジナルフォクトレンダー、国産ならトプコンなどの辿った道を歩んで欲しくないのである。私だけのライカであって欲しいし、皆のライカでもあって欲しいのである。コニカからも限定でシルバーRFと50mmF1.2が、そして35mmF2も出てくるようである。M2に沈胴ズミクロンをつけて机の上でいじくりながら、秋の憂鬱を感じている。

リミテッドとGR28mmレンズ。

10/11

新潟から帰ってきた。10/7は素晴らしい天気で、川での撮影は気分の良いものだった。青空と夕日・・・フィルムはE100VSを躊躇無く使った。レンズはうんとクラシックにズミクロン35mmの6枚玉とDRズミクロンを中心にした。趣味的にでは勿論ない。2日目は薄曇りでセンシアとトリエルマーを中心に撮影した。そしてTX−1の出動。動態的な撮影が必要だったのである。3日目は残念ながら雨でズミクロン35mm7枚玉を選択した。

M6xDRsummicron50mmF2

緊急:ヘキサーRFの距離計像のシャープさが足りないと感じていたが、精密にチェックしたところ、僅かだが像に上下のズレがあり、これが原因である可能性大。測距には支障がないがシヤープさには影響がでる。私も当然保証期間内なので補修に出すが、所有している人は一度測定器をくぐらせてみる必要があるだろう。ライカではめったにないことだが国産各社の最新(かつ精密な)のファインダーの小さな破綻の可能性は否定できない。実はTX−1も僅かにずれていた。このカメラは変倍ファインダーなので90mmを着けるとすぐに分かった。そして調整。びっくりするぐらいクリアになった。ヘキサーはこれ以外にもフィルムのコマ間隔にばらつきがあり、そのせいか最後のカットで一枚前の画面に重なることすら(つまり完全に巻き上がっていないのにシャッターチャージがなされるということである)合わせて3点の調整を依頼した。私は最初のワンロットの生産品なので、このようなこともあるのかも知れないが少々お粗末である。ただしコニカの対応・対策はここからが良好である。まだ戻っては来ていないが安心なのである。

9/21

今日タムロンのHPでブロニカRF645の発表の詳細を見た。フィールド用のカメラがひとつ増えたことを歓迎している。一般的には一眼レフが合理的なのだろうが、私は常々フィールド用にはRF機(または二眼レフ)が優れていると考えていた。フジに期待をしていたのだが(中判RF機の実績とTX−1の存在が理由)、意外にもブロニカから出た。レンズ交換式でないなら二眼レフにも魅力を感じるが、交換式だと断然RF機である。マミヤから66と67がすでに販売されているが、触った人なら分かるだろうがまだ大きすぎる。主として35mmを使う私としてはなおさらである。とても交換レンズまで持てない−それでフジのGW690になった。しかし645で機能を徹底的に追い込んで小型化すればフィールド用として期待できる。まだ触っていないが、レンズを3本に絞ったのも、標準を65mm(35mm判換算39mm)にしたのも好ましい。あと135mmを持てば使えるカメラになる・・・。フォーマットが縦位置になるのも悪くない。本に写真を載せるのに縦位置が都合良い場合が多いのである。考えてみると6X6の良さも縦でも横でも真四角でも使えるということにある・・・。ともあれこれでRFの645機がフジ・マミヤあたりで開発されることだろう。ブロニカはレンズシャッターで、どちらかというとマミヤ6の645版と云ったところで、フジのフォーカルプレン機に期待したい。フィールド用としてはフォーカルプレンが小型軽量・簡易な使用方法などに有利だと思う。要するにブロニカのように機能を多く持たせず、レンズにヘリコイドと絞りだけがあり、あとはボディですべてコントロールするライカやヘキサーRFの形式である。レンズシャッター全速同調は魅力があるだろうが、経験上フィールドではほとんど不要である。ブロニカは意欲作ではあるが、複雑な電気カメラになりすぎて不安なのである・・・保守的だろうか。しかし声を大にして云いたいが、私にとってどうかという問題とは別に、タムロンにブロニカを救ったことを含め、今回のRF機の開発に最大級の賛辞を送りたい。 かく言う私もブロニカSQ−Aをフルセットで持っている。垢抜けない部分もあるが、良心的なカメラである。

9/13

プラウベルマキナ67は諦めた。たいへん良いレンズなのだが、どのボディをみても距離計が狂っており(すべて前ピン)、調整のできているものは高くて実用にできない。修理屋さんにきいても、とても故障が多くて勧められないとのことである。惜しいが諦めた。レンズとボディをつなぎ、距離計の連動もさせる「タスキ」の強度に問題があるようだ。で、今日からフジカGW690のテストを開始した。無骨で何の面白味もないカメラだが実用性・耐久性は抜群である。私も20数年前に写真館でアルバイトをしたとき、その頃の型のフジカ6X9を使って集合写真を撮ったことを思い出す。確かクボタの工場の、とある課の記念写真だった。小学校の水泳大会や体育祭にも行ったことがある。時期に集中するので私のような人間が必要だったのだろう。

8/20

能登、舞鶴といい仕事ができた。今回はRTSを使うつもりが、結局ライカ系のボディになってしまった。大きくて重いRTSVでは、とてもフィールドでキビキビと動きながら写せるものではない。体力の衰えと精神性の高揚がライカを必然的な手段にしてしまったようだ。最初に手にしたときはメインはRTS、サブにライカだったのが、あっという間に逆転し、ライカのサブはライカ(ライカと言うのは比喩で、TX−1やベッサR、ヘキサーも含まれる)となった。カッコ付けている訳ではないが(最初は少しそんな気持ちもあった事は告白しておく)云うに云われぬ縁とでも云おうか・・・。舞鶴では必要があったため、M6TTL0.85+ズミクロン90+エルマー135とヘキサーRF+トリエルマーでの撮影となった。能登では狭い船小屋での木造船の建造記録であるため、多くをヘキサーRF+ズミクロン35mmF2(7枚玉)で記録した。これは深度と画角のかげんで35mm(ズミクロンであることに意味はない)がベストなのである。狭い場所では28mmだと更に楽になるのだが、パースの加減や小型ストロボの光の回りの都合でやや不適切なのである。・・・目的と技術である。

8/2

関西学術研究都市にて、国会図書館の関西分館の工事が進展している。工事現場を囲む塀が面白い。白い鉄板の壁に人間のイラストが描いてあり、どうした訳かロシア語で文字が書いてある。たぶんロシアから輸入しているのだろう。

M2+ズマリット5cmF1.5+PKR

7/29

昨日ライツの自由雲台14121を購入した。永年使ってきたリンホフの軽量三脚に着けるためである。これまで使ってきたスリックの自由雲台も実用的には悪くないが、ライツの工作は素晴らしいの一言である。私は特別なライカマニアではないため、これまでボディ・レンズ以外はライカ製品は持っていなかったがこれは良いものである。世の中には探せばなんでもあるものである。20年近く前のこのような実用的なアクセサリーが新品同様で存在するのは不思議としか云いようがない・・・。同時にやはり20年前のハッセルツァイスのゾナー250mmT*を新品同様で2本見せてもらった。友人が探してもらったモノであるがやはりあった。

7/15

ようやくフィルムスキャナーが来た。まずスキャンしてみたのは15年前にモノクロで撮影した「諸手船神事」のワンショットである。様子が判らないので無加工である。フィルムスキャナーはモノクロ写真の処理用としても悪くない。モノクロを止めたのも、引き伸ばしが下手で負担に感じたからである。この神事の事はいずれ書いてみようと思っている。過去二回、今年にも行くつもりである・・・。

 

島根県美保ガ関町にて。モノクロは1986年キャノンT70+FD80−200mm。カラーは1995年T90+FD50−135mm

7/5

昨日、行きつけのカメラ店に行って、フォクトレンダービテッサを見てきた。よく尋ねるとビテッサの問題点は、例の観音開きのフロントカバーではなく、フィルム巻き上げとシャッターチャージを兼ねるプランジャーの耐久性について疑念をもっているとのことであった。その機能よりも煙突のようなプランジャーがフロントカバーを閉めて押し込んでも、止まらずにまた出てくることになるようである。そうなると携行性が極端に悪くなり、かつ企業そのものが既になくなっている以上、修理も不可能な事となる。シャッターやピントの調整等は問題ないようだが、部品の必要な修理はできないのである(つまりライカは特別)。事実そこにあった4台のビテッサは、どれも多かれ少なかれその問題が生じていた(いつもそうなるのではない。あくまで時々である)。そこでビトマチックを見せてもらい、その精緻さに感心し購入を決めた。ただいま何台か寄せてもらい、物色中・・・。左ビトマチックU、右ビテッサT(観音開きでないタイプ)。  

 

6/24

アーネスト・サトウ展の印象−3− 展覧会の構成としてときどきあることだが、作家E.サトウの生前愛した遺品を展示していた。その中で彼の使用していた写真器材の一部が興味深かった。彼はモノクロスペシャリストで、特に暗室作業を重視していたらしく、珍しい引伸し機があった。アルミダイキャスト(たぶん熱による狂いが少ないため)製の本体を持つ、意外に小さな機械だった。カメラは、35mmはヤシカ=コンタックスRTS系のボディが3台展示してあった。そのうちの1台は貼り革がすっかり剥がれていた。あとはライカM3これも極端に使い込んであった。中判はローライフレックスSL66である。このカメラはかなり愛用していたとみえて、彼の撮影風景には常にこのカメラが写っている。展示作品も明らかな中判での撮影のものも多く、おそらくSL66で撮影したのであろう。確かに接写のきくいいカメラである。なんとなくRB67はこのカメラの影響を受けているのではないかと思う。私も少し興味が出てきた。

構図について。彼の多くの作品は戸外で風景の一部にモノが、缶やブランコ、柵や木・・・配置され、ある時は隅々までピントを結び、ある時は大部分をぼかしてある。いつも共通するのは構図である。これは単なるものの配置を意味しない。白と黒、わずかな灰色のバランスが形のバランスと共鳴している。そしてそれは意図して作られたものではなく、「そこに今」存在していたものである。空間も時間も普遍的なものではない。「そこに今」は次の瞬間から、学ぶべき過去の記録となるのである。スタティックな風景の写真に比べ、鳥シリーズの冷たいダイナミズムは何を意味しているのだろう。私はずっと考えている。鳩は平和のシンボルとしてステレオタイプ化しているが、ここでの鳩は荒々しい、しかしなぜか陶器でできたような質感を持ち、不思議な不吉さを予感させる。

6/23

アーネスト・サトウ展の印象−2− 風景=雪景と鳥のシリーズには啓示的なものを見る。私の高校時代の同級生O氏(専門は日本画)が15年以上前、500−1000mmのレフレックスレンズで、飛んでいる鳥を写す技術を私に熱心に尋ねたことがある。どうやらアーネスト・サトウの薫陶を受けていたようである。良い。即断はできないが、E.サトウはポートレイトは得意でなかったようである。今回の出展作のなかではPablo CasalsとNikita Khrushchev(フルシチョフ)、Yoko Ono以外は物足りないと感じた。人間を撮っている写真以外の作品の厳しさから比べると情緒的である。私はアーネスト・サトウを見るといつも渋沢龍彦のことを思い出す。根本的なところで共通することがあるのだろうか?それとも・・・。1996年雨の金沢へ行ったとき、ふと雨宿りのつもりで入った「文学館」で渋沢龍彦の特別展をしていたのが最初の出会いである。それまでも作品は知っていたが、いつも私は偶然に影響されている。

6/22

アーネスト・サトウ展の印象−1− 今日、京都伊勢丹の美術館「えき」に行って来た。Y.アーネスト・サトウの写真展である。すべてモノクロームの緻密な構図の作品である。京都芸大の教授として有名だが、写真家としての足跡はあんがい知られていない。私もまとめて見たのは初めてである。アカデミックな写真からみるといっぷう変わった構成の写真に見えるかもしれないが、私には深いインテリジェンスと創造性が感じられる。まさに「サイエンス&アーツ」である。今、机の上にこの展覧会の図録がある。普通図録はオリジナルプリントより落ちるのだが、写真の性質も関係しているとは云え、これは良い本である。これ以上詳しくは触れないが(芸術の評論は避ける=私は写真家であって評論家ではない)ぜひ見てもらいたい。7/2まで開催している。

京都伊勢丹・美術館「えき」にて。Y.アーネスト・サトウ展   M6TTL0.85+ズミクロン35mmF2−M3(8枚玉)+E100VS

不思議な話をひとつ。この展覧会のパンフレットの企画をしたのは私の知人なのだが、キュレイターの名を見てびっくりした。私の高校の同級生で近所に住んでいた「福のり子」氏である。風の便りにニューヨークでキュレイターとして活躍しているとは聞いていたが、これ程の実力があるとは・・・率直に嬉しいことである。いつかまた会いたいと思う。私の仲間内で過ごす人生にぴったりのエピソードである。今日はM6TTL0.85Bにラピッドワインダーを装着し、ズミクロン35mm(8枚玉)M3ゴーグル付のいでたちで京都の町を歩いた。大袈裟なようだが、時としてこのようなスタイルもいいと思う。

M3に眼鏡付きズミクロン35mmF2/8枚玉。

6/13

ばかげた話であるが、ひとつ告白を・・・。若い頃欲しくても経済的なゆとりがなくて買えなかった「ハッセルブラッド」を2年前買った。撮影に活躍させるという意味ではなく、まさに「江戸の仇を長崎で打つ」である。501CMセットだが、これがまたそういう人向きに作ってあり、格好も機能も500CMそっくりなのだが、なんとなく違う・・・そこが気分悪く、ついにフィルム2本(うち1本はテスト)撮っただけで売却した。しかし、友人にして、30年ハッセルを使い続けている(勿論、何台も何台も買い換えつつ)ハッセル使いの名手が、最近になってどうもハッセルツァイスの本質的な部分を再評価したらしく・・・仕事ではハッセルに併せ、ペンタ645やフジ68、ニコンなどを駆使している・・・「ハッセルが一番」と言い始めた。私も長年の遍歴の末「ライカが一番」の結論を持つに至っているので、なにが?というのは問わず語りで分かるような気がする。秘密にする訳ではないのだが、云うに云えない私や彼の手と眼と視神経と脳につながるものがあるのであろう。ひとつひとつは文章にできるがどうも虚構の話になる危惧を強く思う。さて、そのような訳で私も急に本物の500CMセットを(当然中古)15万円で買った。人をしてハッセルの何が神秘的な魅力を持たせるのか・・・。とっくりと感じてみようと思う。無理を言った店の人にも感謝するし、付いてきてくれた、かの友人にも感謝する。実は取扱方もよく知らない私なのである。

501CM

6/7

時間が夢のように過ぎていく。忙しさは相変わらず続いており、撮影も進行しているが、なかなかまとめられない。私の持っているたくさんのカメラやレンズのテストは思うにまかせず、書くことも時間的にままならず、レポートのペースはかなり遅くなるだろう。ごく最近はカメラ店からも遠ざかっている日々である。ライカレンズも今後出るだろうモノを除いて、エルマリット90mmの初期型以外はあまり考えていない。この半年、かなり機材のテストを兼ねて色々試してきたが、これからは少し本腰を入れて撮影しようとも思う。7月は瀬戸内と鳥羽に行く。8月は丹後と能登である。ローライとライカ、TX−1ですべてまかなう。感材は製版屋さんは苦労するだろうがセンシアを中心にする。

TX-1x45/90mm

5/26

今日、大阪のある有名な中古カメラ店のショウケースを見ていた。ふと眼に止まったレンズがあった。委託販売で出ていたREオートトプコール2.5cmF3.5である。一週間前まではなかった。・・・純正の革ケース、フード、F&Rフィルター、キャップ付で新同品¥69000となっていた。そして革ケースに見覚えのある小さな傷がある。私が二年前に知り合いの店に売却したレンズであった(シリアルナンバーを控えて家に戻って確認したが間違いはなかった)。Rフィルターケースの内側に貼ってあったスポンジが劣化したので、ティッシュペーパーを折り畳んでフィルターを納めたのもその時のまま、またフードとそれに付けていたシリーズ\フィルターに傷が付かないように入れて渡したファスナー付のビニール袋もそのままであった。つまり二年間どういう経路でこの店にたどり着いたかにせよ、全く使用されることもなく防湿庫かロッカーの中で時を過ごしていたのだろう。コレクター的な考え方なら当然とも言えようが、私が20年に渡って大切に使ってきたレンズである。なんとなく切ない気分がした。そしてすぐに買い戻して持ち帰ろうという誘惑にかられたが、努力をして思いとどまった。好きだったが手放したレンズである。この気持ちの揺れは表現のしようがない・・・。たったひとつ変わっていたもの。純正のキャップにTOPCONの文字が銀塗装されてレリーフとなっているのだが、剥げていたこの文字がリペアされて新品と見まがう光沢を放っていた。厚化粧をして、もう道具として存在するのではなく置物になってしまったように感じられた。たぶんこの輝きがなければ買い戻しただろう。

カメラは不思議な道具である。

5/25

今日、本当に久しぶりにコマーシャル写真を撮った。コマーシャルと云っても知り合いの喫茶店の大小メニューの写真(ランチやコーヒー、オレンジジュースやミルク等々)を撮っただけである・・・。でも久しぶりに大型ストロボを持ち出し、M645+110mmF2.8+接写リングに蛇腹フードなどと楽しく撮影した。勿論メニュー用の小さな写真用にはM6+ビゾV+エルマー65mm+ヘクトール135mmで撮影した。女性店主はカメラのことを全く知らないのに、なかなか勘の良い人で、M645のレリーズ時のシャッター音「カポン!」と同時にストロボの「ポン!」という音を聞いた後、ビゾの撮影時、ミラーアップ音「パン!」の後、シャッター音「ポトン・・・」、ストロボの「ポン!」の二段に音が鳴るのを聞き分けて、「どうしてこのカメラは二段階に音がするの?」と云う。−この辺は私の「カメラ談義」のビゾフレックスの項を参照−1眼レフの構造を教え、先にミラーアップした方が良いだのなんだの・・・とモグモグ説明をして納得してもらった。このページはある程度知識の共有を前提に話を進めているので楽だが、何も知らない、しかし教養のある人にカメラや写真の本質的な事を説明するのは難しいことを感じた。

4/20

「レチナVCクセノン50mmf2 小窓」のテスト終了。上々である。不思議なことに深絞りだと画質が落ちる(回折ではなく、焦点移動があるようだ)がF4−11までは極めて良好。時にフランジバックの合っていない物もあるようなので要テスト。デザイン・造り共に良い。ライカの完成された意匠も良いが、不合理だがよくできた、ライカ外のカメラも良いものである。「カメラには二種類のカメラがある。ライカとそれ以外のカメラである」とはよく言ったもので、コダックも挑戦し、敗退していったのである。どう考えても良いカメラなのに・・・・。

4/14

今日は奈良の室生地域に行った。大野寺のしだれ桜と宇陀のマタベエ桜、長谷寺界隈を散策した(M6B+S35ASPH+CH75携行)。平日なのに大変な人出であった。桜の人を引きつける魅力はどこにあるのだろうか?またじっくり考えてみよう。私もたいした考えもなく(普段は考えて、考えて写真を撮る)毎年いろんな場所に出かけて桜の写真を撮る。そして20年前から毎年「あと何回桜の写真が撮れるのだろう?」と考える。他の花や木にはない感慨である。ところで大野寺でスーツをきちんと着てバルナックライカを二台持った老紳士(おそらく80歳台)に出会った。アイコンタクト以外何も語らなかったが私はその紳士のあとをしばらく付いて歩き、そのアングルや対象との距離などを勉強させていただいた。カメラは定かでないが、レンズはヘクトール135mm最終型とエルマー50mmF3.5であった。彼は一度しかシャッターを落とさなかったがフレーミングは続け、なるほどと思える撮影姿勢であった。記念に彼の撮影中のポートレートを二枚撮らせていただいた。私はブレッソンの言う「今だ。それ!」で撮り続ける。

ここのところローライを試してみるつもりが、全てライカでの撮影となっている。ライカしか使えなくなっているようである。24X36mmのフォーマットに慣れすぎて、他のサイズではフィールドでは使い切れない。前にも書いたとおりシャッターはあまり切らない。人々とあるいは景観と対話しながら自然に24X36mmのフォーマットでフレーミングして、しかも28−35−50−90の画角で構図を決めて、おもむろにカメラをとりあげ、一枚シャッターを落とす。このスタイルに慣れているため他の撮り方ができずにいるのである。二眼レフの胸にカメラを下げ、上から覗いてコチャコチャ操作し、知らぬ間に撮るというのも良いと思うのだが・・・できずにいる。でも、きっと近くモノにする。「対話しつつ待って待ってタイミングをとる」と「ゴチャゴチヤいじっているうちになんとなく写っている」とである。よく考えておいて欲しい。

4/6

今日、行きつけの店に行って「レチナVC−小窓」を見ていると、ニコンのS3復刻版のパンフレットが宅配便でやってきた。一部くれたので見てみるとボディx50mmF1.4xフードで\480,000、専用速写ケースが\25,000となっている。店では一応ワンセットは注文しているが、夏の終わりぐらいに来るのかな・・・。原価率が高いので、値引きは全く期待できないだろう。このぐらいの値段になるとプレミアは付くのだろうか?私には何の興味もない話だが・・・。この度は標準レンズのみの発売なので、好きな人はS3のフレームが入っている35mmと105mmのレンズは買っておいて良いと思う。まだそう高くないので・・・一時的にせよ、S3が発売されると両レンズの綺麗なものは高値が付くだろう。

ちょっとヒント。テスト用には以前はコダックエクタクロームEB(ダイナ100EX)を使用していたが、今はセンシアを使っている。クリアベースで像の抜けが良いのと、色飽和度が低く条件によっての色の偏りが出にくい。またラチチュードが広く、総体的に見て比較対照しやすい事による。

3/26

昨日、フォクトレンダー カラースコパー35mmのCタイプを入手した。もう少し早くもできたのだが、黒と白とどちらにするかで少し考えた。結果としては黒とした。たいへんコンパクトでスナップショットスコパーと同じデザイン(ただし長さが3mmほど長く、数字の表示等細かな差はある)で見かけ上更にコンパクトに見え、被写体から見えなくする意味で黒とした。こちらは70cmまで近接できるのでMとし、PタイプはベッサRとくみあわせる。こちらは90cmまでの近接である。隠れるにはどちらも良い意匠と言えようか。両方とも過去のコシナ・フォクトレンダーレンズと比べ、より良いデザイン・使用感となってきたようである。ウルトロン35mm、ノクトン50mm、カラーヘリアー75mmはどれも大きく派手で、使用感もややライカMやヘキサノンM、古いキャノンやニッコールより劣ると思える・・・性能は凌駕しているが。今度の35mmは文句なく良い。で、2本とも買った次第である。これもいつか解説するが、こう次々出ると追いつかない。次の「カメラ談義」はM6だ。新規のものばかり追いかけると落ち着いた分析ができず、しかしホットな製品の解説は待っている人にとっては大事だと思うし・・・。

3/4

今日雨の中、大阪の近鉄アート館での「マグナム展」と京都伊勢丹の美術館での「アンリ・カルチェ=ブレッソン展・Landscape」を見た。忙しいこともあってなかなか行けないうちに会期が迫っており、写真展のハシゴとなった。やはりマグナムの水準は高く、久々に勉強になった。図録などの印刷物とオリジナルプリントでは雲泥の差がある。ブレッソンは外国の写真家の中で最も好きなうちの一人で(91歳で現役!二ヶ月ほど前のNHKカルチャースペシャルで特集していたが、明晰で断固たる信念のもと論陣を張っていた。一月ばかり前の大丸ミュージアムでの「ドゥエイン・マイケルズ展」の中でのVTRを使った本人の20分以上にわたる写真の表現に関する理論展開でも大きな感銘を受けた。この二人は特に写真に惚れ込んでというのではなく、理論と思想に共感をしている)、これも色々面白かった。ブレッソンもマグナムの創始者の一人で、私の写真の方向は全てのとは言えないがマグナムの写真の中身(見た目ではない)を目指したいと思う。報道特に戦場の写真が有名だが、同時に民族(俗ではない)学・地理学系の写真も多く存在する。要するに@現場主義A人間主義に貫かれているのである。今年の「ナショナルジオグラフィック」の別冊「里程標 = THE MILESTONES」(正直に言おう。このタイトルにもブレッソンのlandscapeにも、やられた!と思った。どちらも地理学の概念である)の表紙の写真はマグナムのスティーブ・マッカリィのインドでの作品である。私もしたいこと、せねばならないこと、なんとなくすることを整理して考えてみると、どう考えても80歳位まで活動しないと追いつかないようである。

3/3

コンタックスRTS用のツァイスレンズのテストが上がった。今後の細かな分析が要るが、最初の印象としてはライカ、そして最近のライカマウントの国産レンズが優勢のようである。少しフレアっぽく、軟調な描写である。そう言えばG用のビオゴン28mm改Lマウントのレンズのテストでも色彩の再現には特徴があるもののコントラストが一段低く、相対的にシャープさが足りない印象をもった。一眼レフ用のレンズも同様の結果と言えよう。キャノンFDからRTSに乗り換えたときも少し甘さを感じたが、どうもツァイスといえど絶対ではなさそうである。テストが足りないので即断は禁物だが、レンズ設計の基本の考え方が違っているようである。カメラ内部の光路が長く、箱も大きいのでボディの内面反射があるのかも知れない。今回はSTだったが、次回はRTSVで試してみよう。いずれカメラ談義にも登場させるが、その中でパンケーキのテッサー45mmが意外に良いのには驚いた。まじめに撮ったのは今回初めてだったのである。ここではまだ詳しく触れないが、その他にも色々面白いデータが採れた。

3/1

ベッサRが発売日にあっけなくやって来た。私の手元にはまだ届いてはいないが、もうすぐやってくる。その値段といい、性能といい、対応といい申し分のないメーカーと思う。いつかこの会社の人と話し合ってみたいものである。ただし苦言を呈すれば、レンズのデザインをもう少しなんとかして欲しいものだ。15mm、25mm、50mmは良いとしても35mmf1.7、75mmはどうしても納得ができない。大きすぎると感じるし、フードも浅すぎる。デザインもあか抜けない。ヘリコイドのターレットの彫りが浅く、操作しにくい。そもそも標準レンズ以下の焦点距離のレンズは、ライカ式のピントレバーがカメラのホールディングを考えると必要である。その意味ではヘキサノンMも不満である(ただしこの点以外はヘキサノンはライカそっくりで良いとも言えるし、ありきたりとも言える)。性能がどれも抜群のコストパフォーマンスを持っているだけに惜しい。見た目はともかくとしても機能(ヘリコイド系の改良とぎりぎりまで光を切るフードの用意)の改善は求めたい。ただし絞り環のクリックストップのタッチは現行ライカの「カタンカタン」よりは良く、「ツンツン」といった感じで好きである。今度の35mmレンズ二種には期待したい。レンズ構成が同じなので写りは同じだろうが、今回のように鏡胴のデザインを変えるという試みは面白い。趣味性の高い商品だけにユーザーサイドに立った良き選択だろう。私には違うレンズなのである。ただしCタイプは25mmと同じ鏡胴に見える。小さなレバーも付いており、少しは役に立つかも知れない。Pタイプはキャノンのパンダ仕様のレンズ群と同じデザインで、今となれば斬新である。どちらかをM用に他をベッサR用に使おうと思っている。

2/26

事件。今日は私の家のあたりは雪で、昨日のコンタックスに35−70mmズームをつけて近所の山(私は京都の郡部に住んでいる)に撮影に行ってみた。雪の景色は良いものだ。ある山寺に珍しい鳥供養の石塔があり、この寺で何枚か写真を撮った。ここまでは良かったのだが、帰りにちょっと林道に入り、山野景色を撮ろうとした。雪道で脱輪!路肩の木の葉に雪が積もり見えなくなっていたのである。勿論、今日は撮影用のスージー4WDに乗っているので、たいして気にせず脱出を試みたが、これがなかなか手強い。まして山中で一人である。20分かかってようやく脱出。フィールドワークは大変である。カメラ談義の中でも度々撮影のリスクについてくどいぐらいに述べ、カメラ選びの基準の一つになっているが、大袈裟な話ではない。まずは写せること、還って来れること。これが大切なのである。ついでの話。私はフィールド用に何台も車を乗ったが一番はスージー(スズキジムニー。ただし現行モデルより前の車)である。パジェロやランクルでは還ってくるどころか入れもしない。厳密にはこのような車はオフロード車と言っても草原や砂漠用で、岩場や雪、泥などでは乗用車とそうは変わらない。日本の悪路はおおむね後者であり、漁村や農村、あぜ道や林道はたいへん狭く、スージーが一番なのである。バジェロミニは最低地上高が低くく、独立懸架なのでボディの下回りをヒットし危ない。実は早くにこの事に気が付いていて、スージーはSJ-30 550cc、1300cc、今のモデルになる前の最終型の660と3台乗った。カメラの愛好者ならすぐ分かるだろうが、最新型が一番良いとは限らない。今持っているスージーはモデルチェンジ(一昨年軽自動車の規格が10/1に変わるのに伴って20数年振りのフルモデルチェンジとなった)直前に駆け込みで買った。すでに生産は3月に終えており、私が買った7月にはカタログの車が完売になって、シャーシィや各部品を組み合わせた特別モデルのみとなっており、買い得であることと、全く同じ意匠の車が少ない事(大阪で同じ車は2台しかない=部品の不足でバックドアは手塗りであった)もあり、なんとはなしに嬉しく、一年で3000kmしか乗らなかった(普段は525iに乗っているが、この間なるべくスージーに乗らず不便を承知で525iを多用した)。今のモデルは残念ながらRV車であり、ハードな扱いは危険である。今日、今後はフィールドへはスージーと心に決めた。思い返すと何度も危ないところを救ってくれた。

2/25

ついにかねてよりの噂の「ニコンS3」の発売が2/23発表された。妙な言い方だが、正式な公告は4月になるようである。有力なカメラ店には2/23に同じような中身でメーカーあるいは販売会社から伝わったようである。限定発売であることは間違いがないが、ライカ式の「限定OOO台」と言うのではなく、各店舗で予約を取り、生産し皆に行き渡る方式のようだ。まずは慌てないこと。SP+50mmF1.1と言うのが噂の中心だったが、S3の最終モデル(俗に言うオリンピックモデル)にF1.4レンズとなったのはニコンの見識を賞賛したい。こんなことを言うとマニアの人に怒られるだろうが、SP+F1.1ではあまりに悪趣味と思われる。つまり使うより飾るカメラになってしまうのである。現実的な選択と言えよう。そういえば全てのRF機の生産をやめた後、限定生産をしたのもS3である。値段は上代か卸か分からぬが50万とも68万とも言われており、止む終えないとはいえ非現実的な気もする。もうひとつ心配は、結構ライカブームの陰でSマウントレンズは数が少ない割に安価であるが(ボディが無いか高すぎるので当然だが)、このうちS3のフレームに入っている、35mm(おおざっぱに分けて3種5タイプあり)50mm(6種12タイプあり)105mm(2種3タイプ)のレンズが高騰するかも知れない。私は同じ構成のLマウントレンズを4本(35mmf3.5 35mmf2.5 50mmf1.4 85mmf2)持っているがいずれも当時の水準から言えばキャノンと同じくライツレンズと同等、或いは上回った性能と言え、S3と共に使って欲しいレンズと言えよう。それにしても値段が気になる・・・。ここまでリバイバルがでるならキャノンも7Sを限定で出したらどうだろう。特に今はMF機がないのだから商売になるのではないか?遠くない日に全メーカーがRF機を出すなんて事になったら面白いだろう。私はライカに慣れすぎたせいか、気分を変えてコンタックスを二年ぶりに取り出し、一眼レフで信楽の窯元を撮影した。このために135mmf2.8を買い、35mmと45mmとでルポし、所有する他の全てのコンタックスレンズのテストも厳格にし直した。久しぶりに見る一眼レフのファインダーは新鮮に感じた。

2/23

ずっと以前から探していた34mm径の35mm用のフードがようやく見つかった。いずれ解説するが、キャノンの35mmF3.2とF2.8用に必要としていたのである。いずれもその時代(1951-1956)としては良好で、結構使い道があるレンズである。が、やはり逆光にやや弱く、フレアは少ないもののゴーストが出やすい傾向がある。しかしどうしたものかフードは見つからない。エルマーのA36では少しけられるのでどうもいけない。この見つかったフードを用いて逆光のテストをしてみよう。コントラストの低い、しかし線のたいへん細い特徴的な描写は捨てがたい。デジタル加工した画像では違いがよく分からないのが残念だが、今度も文章で表現してみたい。

2/14

1/29−30の竹野旅行で使った「アグファ スカーラ200」モノクロリバーサルの評価。今回は1本、しかも曇り日に使っただけなので断定的な事は言えないが、結果は上々。私の想像ではリスフィルムのような硬調のものだったのだが、グラデーションが豊富で、極めて軟調と言っておこう。印画紙で言えば2号位か?更に感度も実行感度(現像の「押し」にもよるが、いまのところ近代カラーしか処理できないので現像所による差はない)IOS200は充分ある。軟調なのでラチチュードも広く、ISO150−300まで対応できるだろう。輝度差の大きい条件では1/2絞り閉じるのが良いだろう。反対に言えば黒の締まりが今一つとも言えるのである。ほんの少し明るめに撮れば白が飛びにくいためシャドーの明度が上がり、軽い絵づくりが可能である。コントラストを上げて力強い写真を撮るときは、昔懐かしいオレンジフィルターでもかけて撮影すると成功するだろう。色がない分フィルターワークの幅が広がるのである。アグファの軟調での製品化は正解と言える。ただし値段が極端に高い!以下すべて135−36。フィルムが1本1200円、現像が1500円、送料(関西から東京に送るとかかる。東京の人は直接持ち込むべき)が1100円。1本合計3800円!これでは特別にモノクロでなければならない撮影以外はプロでないと使えないことになる。どこだか知らないがアグファの代理店さん考えてみて欲しい。これは調べて意見照会をしてみよう。

2/2

城崎・竹野の旅。結局予定とは違って、カメラはM6・レンズはズミクロン35とロッコール90(CLE用)とになった。日本海側なので天気が悪いことを予測して丈夫なカメラになった。昔、冬の秋田、八郎潟に行ったとき雪に降り込められて、それでも撮影せねばならない時、買ったばかりのキャノンT−70(当時は大変なハイテクカメラと云われ、私も意気揚々と持っていった)のスイッチ式のシャッターボタンの横の隙間に雪が入り、シャッターが切れなくなった記憶が甦ってきて(勿論、宿に戻って乾燥すると正常に作動し、その後も2〜3度そんな事を経験した。しかし弁護をしておくが、現在もその後の酷使にもかかわらず正確に=今は100mmマクロとの組み合わせで文献複写専用に使っている・・・T−90は10年間で三回電気系統の故障をした・・・=シャッターを刻んでいる。)、ヘキサーは止めたのである。ズミクロンは癖がないから、ロッコールはコンパクトで良く写るためである。しかし今は、どれとは言えないが28mm.50mmの組み合わせが良かったと反省もしている。このへんの詳論は後日の楽しみにしよう。実はコマーシャルの写真家の友人と共に旅したのであって、最初からボディ一台、レンズ二本の約束で(一本勝負の話もあったが、予備調査も兼ねているため、そうもできない)遊びと勝負の旅だったのである。ちなみに彼はM−4Pとその時代のズミクロン35、50を持ってきて、さすがに現役バリバリ、露出計無しでEPRで撮っていた。私は現役とはいえ写真のみで生計をたてている程ではないのでTTL(外部露出計でもよいが)は必須である。固く云うとフィールドワークは一回限りで失敗ができないのでよけいに勘に頼らない撮影姿勢になったのだろう。フィルムもPKRとアグファのモノクロリバーサル(これはテストのため)とセンシア100(これはダイレクトプリント用)と細かい事をしてしまつた。勿論、小型のストロボやシリコンクロス、ブロアーブラシも忘れない。宿屋に着いて何よりも前にレンズとボディを机の上に並べ(余計なお世話かもしれないが友人のもついでに並べ)かの木村伊兵衛先生にならい、汚れを取り埃を払い明日に備えた事は言うまでもない。身に付いたフィールドワーカーの心構えであることを忘れないで欲しい。宿では温泉、カニ三昧で大満足であった。泊まった竹野は有名な観光地である城崎と香住に挟まれた海辺の僻村で、昔日の漁村、あるいは港町の風情を今も色濃く残しており、今回の目的にはかなった場所であった。仕上がりはまだだが特にモノクロリバーサルの仕上がりは期待したい。総経費ふたりで7万円弱であった。

1/28

明日から日本海側の城崎、竹野へ撮影旅行である(カニを食べに行くのが半分と言う事も告白しておく)。春以降の撮影の予備調査が本筋だが、なかなか冬に、しかも徒歩でははかどらない。とりあえず今回は竹野の漁師町の冬の生活を、ほんの少し垣間見るということと、近年オープンした「北前船の資料館」の見学を目的としようと考えている。携行するカメラはヘキサーRF+GR28+ヘリアー75かM5+ズミルックス35+エルマー90(リジッド)にしようと思っている。フィルムはPKR。どうも雪らしいが、晴れたときのためにベルビアも1本持っていこう。

1/27

ローライフレックスTのクスナー付きをテストしてみた。テッサーと同じくピントが来そうで来ないもどかしさを感じる。絞ると良好なのだがf8より下はどうも・・・・?である。どうみてもミノルタオートコードの方が上だろう。とても素晴らしいボディデザインなのに惜しい。今度、私が二眼レフで最も良いと思っている、ローライ3.5Fのプラナーとクセノタールをテスト比較してみようと考えている。すでに別々に撮影はしており、感覚的にはほぼ互角と思うが、同一の条件でかなり厳しくテストすると性格の差がはっきりするだろう。

ローライT+テッサー75mmF3.5

1/25

先日、あるカメラ店でライカマウントと表示してある大変珍しいレンズを見つけた。ドイツ製、全く聞いたことのないメーカーで135mmF3.4となっており、典型的なテレタイプレンズであった。仕上げもアルミの削りだしを中心としていて、綺麗な(美品と言うことと、デザインの良さと)ものであった。即座に購入し35−135のL−Mアダプターを付けてボディに装着してみた。ところが距離計と全く連動しない。外して良く見ると距離計を押すべきカムがないのである。話には聞いていたがM39の一眼レフかシネ用(たぶん、こちらである。ビゾに付けたが接写しかできなかった)のレンズなのである。初めて接した。惜しいが返品した。同時に購入したロシアンライカレンズのインダスター50と53は造りは粗雑だが立派な写りである。カメラ屋さんを散歩がてら見て歩くのは楽しい事である。


copyright nagy all rights reserved

TOP

inserted by FC2 system