top

「港の景観−民俗地理学の旅」 第3章−近景の岬、遠景の暮らし


572004/4  舞鶴西港での連絡船「ゆうなぎ」の出航。夕方最後の便である。乗船客は数名、それでも岬をめぐって人を送っていく。 キヤノンG1デジタル

581998/2 大君の貯木場。現在より材木の量は多かったようである。向こうに見えているのが貨物船用の給油・給水のためのタンク、遠くに青く霞んでいるのが対岸の大丹生方面。 ローライフレックス2.8Fクセノタール+EPR

591988/1  大浦半島を高浜町側から見た。リアス式海岸の特徴として、多くの集落は海辺に貼り付き、後背地の山は深い。岬めぐりも複雑な海岸線を行ったり来たりの旅となる。 フジGS645S+EPP 

601999/3  海上保安学校のキャンパス 中舞鶴最奥のしずかな岬に、海上自衛隊、京都大学臨海実験場にはさまれて立地している。ここの学舎は日本最初の耐震構造の建物だったことは知られていない。対岸は大浦半島佐波賀、山が右へ落ち込んだところが舞鶴の戦争帰国者の引き上げ桟橋の跡である。  M6+summilux35mm/球面+EB2

611999/2  大君貯木場にて(58の反対側から見た)。 大きなロシアの木材運搬船が停泊している。灰色の空と海、雪はそれほど積もらないが、日本海側である舞鶴の冬はいつもこのような天候である。 CL+ロッコール40mmF2QF+EB2

621999/2  喜多の貯木場。 昔の海に材木を浮かべ木場職人が活躍する風景とは異なり、広い埋立地に船から直接積み上げる。左奥に霞んでいる大型クレーンは高野川河口部に設置されているものである。  CL+ロッコール40mmF2QF+EB2

631999/3  カツラの塀。今はとぎれているが、軍用地と道路とを高い塀が隔てていた。海軍から自衛隊となった現在も立ち入りは禁止である。  M6+GR28mmF2.8+EB2

642004/4  吉原の高台から岬巡りの連絡船の航行を見る。連絡船最後の日も間近になり、大海原(と言っても狭い湾内)を航行する小さな船の最後を見とどける仕事に打ち込んだ。船はもちろん代替わりしたが100年もの間、岬と町をつないでいた航路の閉鎖ということが重大事なのである。時代が移り、連絡船の乗客が減ったから廃止となったのは事実だが、民営で動いていた時代に経営が成り立たなくなって、1975年第3セクター「舞鶴汽船」として税金を投入しても航行を続けた背景には、住民・行政の海への絶ちがたい意識があったのである。1975−2004年の間、一度も黒字にならず、無事故・無休(台風時等は除く)の航海の歴史であった。  ヘキサーRF+Tri-Elmar28mm+EXB

652002/4 市川造船前で。舞鶴西航路のもう一隻の連絡船「あさなぎ」が船着きに入っていく。一般の人の日常では見られない船の発着だが、ここでは船大工も鉄工所のオヤジも氷屋も、高野川河口域に暮らす人々には毎日の見慣れた光景である。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/3rd+RA

662004/4  高野川右岸の連絡船の船着き場にて。客を降ろしたあと、ふたりの乗組員によって「ちどり」を旋回させる。狭いうえに船も数多く繋留されていてなかなか難しい。舵とロープによる操作でごく短時間に回頭させて、次の出航にそなえて船首を海の方へ向ける。対岸左の建物が市川造船、船の艫で操作しているのが荻野さん、船着場で友人荻野さんを待っているのが和田さん。 TX−1+45mmF4+RA

671999/12 連絡船「ちどり」の船内。通学の高校生と老人がほとんどだ。車を持たない人達だけが乗客となってしまった。それでも現在(2004)よりは数が多かった。 M6+GR28mmF2.8+KR

681999/12 吉田の待合所。 船を寄せて乗組員が陸に飛び降り、ロープで支えている間に乗客は降りる。そしてあっという間に出発する。待合所は小屋になっていて普通のバス停よりは立派である。  M6+GR28mmF2.8+KR

692000/12 年取島。 吉田地先にある小島で、浜に鳥居がたっている。吉田への出入りに必ずこの島の傍を航行する。詳しくは聞いていないが、この地の信仰の対象になっているのだろう。冬だが暖かいため照葉樹が目立っている。 ヘキサーRF+Tri-Elmar28mm+RA 

702000/12  名もない小さな岬。 人の通る道はなく、船から降ろしてもらったのだろうが、釣り人がのんびり糸を垂れる。  ヘキサーRF+Tri-Elmar28mm+RA

712004.4 航行中の連絡船の中。 乗客は少なくても、ちゃんと会計の帳面をつけ、航行の記録をとっている。右手の大きなクレーンは埋立地の突端にある。あと数分で船着場である。 TX−1+45mmF4+RA

721998/2 白杉の船小屋。 半農半漁業の村らしく、小屋の中は農作物でいっぱいである。このすぐ前が海で、奥が母屋となっている。今は狭い舗装路ができているが、昔は船が交通手段で、道は自動車の通れない狭い通りであった。 キヤノンT90+FD24−35mm+KR

732000/12 舞鶴へ帰る。 われわれはいつも景色を楽しむために、船内の椅子席には座らず、船尾にいるが、同行した地元の老人も同じであった。海はいい。 ヘキサーRF+Tri-Elmar28mm+RA 

742000/12 西舞鶴・高野川右岸の船着場。 乗組員は飛び降りて、狭い川でさっそく船を引き寄せる。今は川の堤防の上に道がついているが、以前は左に見えている小道が、船へ乗るための唯一の通路だった。昔は川のきわまで漁連や船問屋の倉庫、船大工小屋などが建ち並び、直接そこから船へ出入りしていた。 ヘキサーRF+Tri-Elmar28mm+RA

752000/4 東舞鶴航路。 連絡船から見た港の景観。大きな船は舞鶴から北海道小樽へ行く、新日本海フェリー「ニューアカシア」である。 ヘキサーRF+Tri-Elmar35mm+PKR 

761987/11  佐波賀 トモウチのアカクミをする。ここでは護岸をせずに、船小屋を鉄扉の開閉で高潮から守っている。石垣の上が狭い道路で、止まっている車「スージー550」は当時のフィールドカーだ。概して狭いところや悪路を走ることが多いので、小型の四駆を乗り継いでいる。 ブロニカSQ−A+ゼンザノン50mmF4+EPR 

771998/2 白杉の港にて。 船はまだ多く残っているが、実際に漁稼ぎをしている人は数少ない。今も漁を続けている老夫婦は、昔を明るく語るが「昔は良かった」とは思っていないようだ。 M6+Summaron35mmF2.8+EB2 

781993/1 大丹生で。 老婦人が船小屋で野菜の仕分けをしていた。昔の船小屋が多少は残っている。船小屋と農機具小屋を兼ねた造りのしっかりとした小屋で、農作物を収穫して海から船で上がって、浜が農漁業兼用の作業場となり、軒下には魚の干物とタマネギが並んで下がっている、そんな景色が普通だったのである。 キヤノンT90+FD24−35mm+KR

791998/2 工事中の大丹生の火力発電所。 岬の最奥が開発の対象となる。もとは右の岬と同じ景色だった。現在は完成しているが、火電誘致は地元に多少のうるおいをもたらしたのだろうか。湾の奥は舞鶴市街地だ。 ローライフレックス2.8Fクセノタール+EPP

802000/4 佐波賀の船着場。 東舞鶴航路は若い人が乗組員となっている。やはり乗客は少ない。 ヘキサーRF+Tri-Elmar28mm+PKR 

811998/12 上瀬地区の氏神様の社殿前から。大浦半島と音海半島に囲まれた国境の最奥の村である。そのせいかリアス式海岸の数多くの湾の中でも格別に静かな海である。 M6+GR28mmF2.8+EB

821998/12 上瀬地区全景。 浜から山へ、田畑や家が積み上がっているように見えている。深い山と海で町から遮断されているように見えるが、船による余所とのつながりは、想像しているより強い。ここは福井県だ。 M6+GR28mmF2.8+EB2

831986/11 田井の浜。 大浦半島の最奥の村。と同時に京都府のはずれでもある。しかし郵便局があり、ここから舞鶴に向けてバスも走っていて、県境を越えて近隣の村々の中心であった。撮影時の頃には、大きな漁村らしい風景もあったのである。木に架けてあるのは最近は見かけなくなったが、定置網等の網を立てて浮かせておくためのガラス製の「アバ」である。アバも現在はプラスチック製である。 キヤノンT70+FD24−35mm+KR 

841998/12 上瀬の夫婦船。 人口は少ないが、まだ家族経営の漁業は続いている。 M6+GR28mmF2.8+EB2

851998/12 上瀬の村の入口にて。 筆者が地元の老婦人から聞き取りをする。県道は山の中腹を走っていて、そこからは自動車がかろうじて通れる道で浜へ出る。波の音以外は聞き取りの会話だけしかない。静かな岬の村である。 M6+GR28mmF2.8+EB2

861998/12 上瀬の氏神様。 上瀬より先に道はなく、ここが福井側の一番奥になる。高台にあるため、冬場の風雪への備えに、社殿は完全に板壁で覆われている。地元の人達によって境内も参道も綺麗に掃き清められている。 M6+GR28mmF2.8+EB2

871998/12 上瀬最後のトモウチ。 ここでも多くのトモウチが使われてきたが、ついにこれ一艘になった。浜のはずれに残った船小屋に大切に保管されており、しばらくはもつだろう。ここに市川造船が最後に作った木造船「成生テンマ」が、現役船として納まっている。 M6+GR28mmF2.8+EB2

881998/12 日引の県道からの景色。 小規模な民宿があるが、観光ではなく、釣り客相手である。狭い地先海面に養殖用の施設や釣筏が設置されている。対岸は原発のある音海半島である。 M6+GR28mmF2.8+EB2

891985/11 音海の船小屋。 この頃はすべて古い形式の船小屋で、天井からトモウチ(福井側ではマルキと呼ぶ)を吊り下げて大切に保管していた。もちろん現役で使われていて、おそらくフナムシの被害を少しでも少なくするためだろう。 キヤノンA−1+FD35−105mm+KR

901998/12 音海地先の釣筏。 釣り客でかなり賑わっている。噂によると原発の冷却水の排出で海水温が上がり、釣の対象魚が増えているという。もちろん冷却水自体に害はない。 M6+elmar90mmF4+EB2

911998/12 大浦半島山中のゴミ処理場の建設。 原発建設の波は止まったが、人里離れた岬の山中に、町には建設しにくい様々な施設が誘致される。簡単に是非は論じられないが、海浜の景観に影響を与えていることだけは確かである。 M6+summicron35mmF2ASPH+EB2

921987/12 高浜町小黒飯の船小屋にて。 ここ独特の「ハコテンマ」である。他の木造船が廃船となっている現在、ここのハコテンマと宮津のアサリ掻き用のトモブトだけが現役で数多く活躍している。 キヤノンT90+FD24−35mm+KR

931986/6 大飯町犬見にて。以前の船小屋から陸側を見る。浜に簡素な桟橋を延ばし(堅牢なものは勝手に作れない)ここに漁船をつないで魚を揚げた。この当時は木造船とプラスチック船は半々であった。向こうに見えている施設は若狭パールの作業所だ。現在はここの浜も完全にコンクリートに改修されている。半農半漁の典型的な村だったが、農業と勤め人の村に変化したようである。 ブロニカSQ−A+ゼンザノン50mmF4+EPR

942003/4 高浜漁港から見た青葉山。 若狭富士ともいわれ、高浜から見た姿が最も美しい。ここは現在も小規模な漁業が盛んである。 TX−1+45mmF4+RVP50

952003/4 青葉山。 高浜の港湾工事の現場から見た。以前(1980年代)ここの浜は、漁師の家の前にたくさんのマルキを含む木造船があがっていた。どうやら、すでに町はずれから青葉山の麓までできあがっている海岸道路が延伸されるらしい。 TX−1+45mmF4+RVP50

961998/12 箱メガネによるカナギ漁。 高浜の防波堤の先で漁をしていた。獲物によって種類の異なる金具のついた漁具がいるため、たくさんの棹を積んでいる。 M6+elmar90mmF4+EB2 

97 1998/12 高浜港へ帰る。 いまどき木造船で、しかも櫓漕ぎでの漁は珍しい。だが想像よりはずっと速く、あっという間に視界から消えていく。 M6+elmar90mmF4+EB2

982003/4 現在の犬見全景。 静かな村だが、近年に海岸道路が整備された。その道路に架かる橋から見た。船は橋をくぐって海へ出る。 93の写真は当時木造の船小屋から撮ったもので、浜も泥浜だった。 若狭パールは全国的な海況の悪化による真珠の不漁により、水の綺麗なここでは利益が出たらしく、建物が立派になっている。 TX−1+45mmF4+RA

991986/12 稲ワラを満載したマルキ。 農漁兼用に使われていて、離れた田畑へ船で直接着けた。このころは一部でまだ農用に使われていた。 キヤノンT70+FD24−35mm+KR 

1002000/4 畑村の舟溜まり。 ここでも道路が海側に付いて、道路の下をくぐって海へ出る。マルキも一−二艘残っているが、ほぼすべてが既製品のFRP船である。護岸壁の上に民宿街がある。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/3rd+RVP50 

1011987/12 舳先を上げて疾走するトモブト。 これは今もトモブト(若狭ではマルキ)が使われている宮津阿蘇の海での写真。普通のテンマ船より速い舟なのである。対岸に見える松並木は天橋立である。 キヤノンT90+FD80−200mm+KR 

top


copyright nagy all rights reserved

inserted by FC2 system