top

「港の景観−民俗地理学の旅」 第7章−流転する風景


1911986/1  三方五湖のうちの日向湖にて。若狭の海辺で、これほど雪の積もるのは珍しい。冬場の外海は北西の季節風のために風波が強く、たいていの船は操業していない。 キヤノンT70+FD35−105mm+KR

1922004/11  舞鶴・高野川河口付近。汀の畑も台風にやられた。単に農作物の被害だけではなく、塩害で次の作物が育たなくなる可能性がある。それでも冬野菜の作付けは始まり、さっそくに打ちあげられた川ゴミを燃やして多少の土壌の改善をする。 キヤノンG1デジタル

1932003/4  市川造船事務所にて・・・昔と同じ顔ぶれで話し込む。第1章の頃から10数年たち、皆は歳もとったが、相変わらずの港談義に花が咲く。 ヘキサーRF+eimarit24mmF2.8+RA

1942004/4  吉原入江の続きに突きだした匂崎公園の桜を連絡船から見た。ここのてっぺんから表紙の写真を撮った。向こうに見えるのは東と西の舞鶴を分ける五老岳。 キヤノンG1デジタル

1952004/9  造船場での荻野さん・・・船大工の和田さんとはライバル意識もあるが、仲の良い隣人同士で、私たちと会うのもいつでも造船場だ。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+SRA

1962004/9  仕事の合間に語り合う、鉄工所と造船場の親方ふたり。最近は政治や経済の話にまで展開するようになった「不景気やなー、どうなっとるんやろ」。  ヘキサーRF+eimarit24mmF2.8+SRA

1972003.4  船上の荻野さん・・・いつの間にやら「船長さん」。漁師、潜水夫、鉄工所、船員・・・とにかく器用な人である。さて次はどんな仕事に就くのだろうか。 TX−1+45mmF4+RA

1982004.4  夕暮れの舞鶴東航路の連絡船船着場。川湊の真ん中にある西港と違って海浜公園の一角にあり、あたりは整然と片づけられている。乗船客もやや多いだろう。船もひとまわり大きな「ゆうなぎ」である。 TX−1+30mmF5.6+E100VS

1992003/4  航行する連絡船「ちどり」の上で。客はわれわれだけである。岬めぐりの往復1時間近くの海の旅は、昔の景観を想像させてくれる。遠くの景色は昔と変わらず、陸に上がればすっかり変ったことが分かる。 TX−1+45mmF4+RA

2002004/9  造船場を訪れた荻野さん。狭い道の斜め向かいに自宅があり、その前に(つまり市川造船の隣り)鉄工所がある。時々同行する飲み屋も歩いて10分以内、せまい港町の曲面で、行ったり来たりの毎日である。 ヘキサーRF+eimarit24mmF2.8+SRA

2012004/9  最後の出航を待つ、連絡船「ちどり」。台風のせいで雲は速く風も強いが、航行は定刻どおりである。 キヤノンG1デジタル

2022004/9  仕事をする和田さん。造船所といっても、毎日の仕事は船の再塗装や修理、ちょっとした改造などてある。しかし船頭にとっては便利で気軽なこういう造船場は不可欠だ。 ヘキサーRF+GR28mmF2.8+SRA

2031999.12  船を川から上げ下げするレールと架台。船をこの台に乗せてウインチで造船場内に引き上げる。これだけの高さでも高潮がくると小屋中水浸しになる。2004年9月の台風でも全部浸水して、海から来たゴミが小屋に残り、小屋の木っ端が海へ流れていった。それでも地面に直接建てられた掘っ建て造りの市川造船は、なんともなかったように建っている。 M6+GR28mmF2.8+EB2

2041999/12  とぎれた堤防。20年前に初めて見たときからまったく変わらない。以前はとぎれた道を手前に曲がれたが、現在はその土地の所有者が駐車場にしたため、いよいよどんづまりの堤防道路となってしまった。それでも船大工はもくもくと生業をきわめる。 M6+GR28mmF2.8+EB2

2052004/4  高野川左岸の鉄橋跡から川湊を眺める。この景色は何年たってもほとんど変わらない。ここから連絡船や小型漁船がときどき往来発着する。広い若狭湾の私たちにとっての海の世界は、ここから全部つながっているのである。 TX−1+30mmF5.6+RVP

2062004/9  仕事の合間に和田さんから近況を聞く。「向こうの山のてっぺんの弾薬庫跡から舞鶴が全部見える、行ってみ」「あー上から見てみたいな」、今度またそこへ登ることになりそうである。 ヘキサーRF+eimarit24mmF2.8+SRA

2072004/9  仕事の合間に一服つける。見慣れた景色と見慣れた人たち、今日は漁船の船長と一緒に船の修繕だ。50数年間造船場の窓から海を見てきた。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+torebi100

2082000/12  天保山の遊歩道。ごく普通に見えるが、民間、国、地方自治体が一体となった港湾の整備はたいへん珍しいことなのである。洋式帆船は大阪湾の遊覧船「サンタマリア」である。 M6+GR28mmF2.8+RA

2092004/11  10月の台風10号で吹っ飛んだ造船場の修復。船を上げる際のウインチを点検する。建物はやられたが、たいていの設備や道具は残った。これから隣の鉄工所のオヤジと再建するつもりだ。 キヤノンG1デジタル ...私のぶらさげているのはTX−1とCLE、そして小型のテープレコーダー。かなり派手な格好に見えるが港の景色の中には紛れ込んでしまう。

2102004/4  海から陸への帰還。舞鶴西の川湊へ帰る「ちどり」。毎回同じ航路とはいえ、その景色は毎日異なる。 キヤノンG1デジタル 

2112003/4  青戸大橋を本郷側から見る。向こうは大島半島、原発によって立派な橋ができ渡船はなくなった。 TX−1+45mmF4+RA

2122004.4  砲弾のケース。高野川左岸の倉庫を整理していたのは連絡船船頭の村上さん。昔はここで竹製品の一次加工をしていて、川から直接荷を上げ下ろししていたという。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/3rd+RA

2132004/4  西航路大丹生港で。人は乗らなかったが、小荷物がいくつか預けられた。今回は野菜だが、生活のこまごまとしたものばかりである。 キヤノンG1デジタル

2142004/9  市川造船の看板。風雨にさらされて墨が薄くなったため、上からなぞって店名は元に戻った。和田さんがオーナーになったのだが「市川造船」の名は捨てられない。一方で「京都府木造船協同組合」の看板の文字は薄れていく。それでも外さないのは「自分の所有物ではないので、勝手に処分できない」との弁、しかし言葉とは裏腹に過去を惜しむ気持ちがあるようだ。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+SRA

2152004/11 台風20号のために増築部分の鉄骨を残して木造の小屋は飛んだ。作業場の土間は数十年ぶりに陽にあたり、それだけでも再建はすぐそこに見えたように思う。郵便受けは昔のまま、機材の片づけに御大は大忙し、この後すっかり腰を痛めてしまった。 M7+eimarit28mmF2.8/4th+torebi100

2162004/9  千歳付近を航行する最後の日の連絡船。台風の雲間に陽が差して、リアス式の複雑な海岸線に船が映える。 キヤノンG1デジタル

2172004/9  大丹生の港の連絡船。普段とは異なり、関係者の多くは式服を着て慣れない式典に右往左往していた。東からと西からの船も式典の終了を待って、少し船着きから離れて停泊している。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+torebi100

2182004/9  東航路で。火電用に架けられた橋の上から平へ向かう連絡船を眺める。近くで見ると大きく感じるが、海の上では小さく目立たない。しかし沿岸の村々を巡った歴史の重みを背負って力強く走っていた。無事故、無休の航海の歴史であった。 キヤノンG1デジタル

2192004/9  2004年9月30日、ついに舞鶴の連絡船は廃止となった。航路の終点である大丹生での小さな式典に参加した。おりからの台風の接近で大風が吹きつけたが、かえって最後の日に色をそえたと感じている。関係者各位の挨拶も簡単に済んで、船はあっさりと最後の航海に旅立った。 TX−1+30mmF5.6+RA

2202004/9  「ちどり」最後の航海に乗船した。乗ったのは地元の子供や大人、TVクルーやその他の記録者、私たち、連絡船にとって久しぶりの人数である。それでも満席とはならない。子供達も普段と変わらず平静であった。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+torebi100

2212004/9  最後の航海では各地区の人が船着きに出て、感謝とお別れをした。青井では万歳三唱が自然にわき起こり、老若男女が別れを惜しんだ。 キヤノンG1デジタル

2222004/9  最後の白杉で。引退していた老船頭と地元の長老が、舷側をはさんで握手で別れた。地元民ではないが、私たちにとっても20年のつきあいである。胸が少し熱くなった。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+torebi100

2232004/9  また市川造船で。「寂しなるな」、いままでたいして評価をしていなかった税金食いの連絡船の存在も、最後となると、親方にとっての船大工人生と重なり、少しだけ感傷的な気分になったようだ。ふーっとため息ひとつ、また作業にかかる、「ちょっと急ぎの仕事あるでな」。 ヘキサーRF+eimarit28mmF2.8/4th+torebi100

2242004/4  連絡船の船着き前で。見慣れた高野川をながめながら、例によって頑固な口調ではあるが昔を語る。以前と比べるとずいぶん丸くなったようだ。右奥が遠ざかる連絡船、そして海舞鶴駅のあった場所。対岸の左がとぎれた堤防、そして市川造船、荻野さんの息子の家、荻野鉄工、造船場の窓から見える世界は、狭いようで広い。和田さん、荻野さん、そして登場した皆さん、そしてその人達が活躍した港の景観、ともかく一旦の終止符、ありがとうございました。また会いましょう。 TX−1+45mmF4+RA


あとがき

2252004/11  台風20号の突風で造船場も被災し、鉄骨の増築部分だけは残せたが、木造部分は危険なためすぐに解体となった。天井にぶら下がっているのはFRP船の型。 M7+eimarit28mmF2.8/4th+torebi100

2262004/11  これから青天井からの復活である。「あと五年あとやったら止めたかもしれん」が、当分は船大工稼業を続ける覚悟ができているようだ。 TX−1+45mmF4+RA

2272004/11  吹っ飛んだ造船場で。船大工和田氏の撮影。キヤノンG1デジタル  このあとは次の本で...。


top

copyright nagy all rights reserved

inserted by FC2 system