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ライカボディの話

これから少しずつ軽い話をしよう。 私の持つライカボディ(ここにはヘキサーRFやCLE、キヤノンの古いRF機などのL&Mボディも含む)を随筆していこう。仕事でもライカ系以外ほとんど使わないためたくさんあるのである。技術者氏の弁によると(私の浅い経験でも納得できる)古いボディには経年変化や元々の個体差があり、たとえ整備されていても必ずしも一般化はできないとの話である。したがって「我が友ライカ」の範囲内の随筆と考えて欲しい。

バルナック系ライカ4台。実用的とはすでに言えないが、とても素敵な機械だ。


1.M3  初期型が2台(1954/1955)  2006.5=友人に下のボディ(1955)を譲った...使わなくなって久しく、今使う人へ行くのが正しいと思った。

本来このボディにはフレームセレクターレバーが付いていない。ライカによって顧客の要望で後に改造されたのである・・・あった方がいいと思うが、ライカに慣れれば全く必要のない機構である。ついでに云うとセルフタイマーはライカの一般的な使用では不必要で、M4−2以降完全に廃止された。そもそも私にとって、壊れる要素の少ないカメラが良いカメラなのである。ただし特定のユーザーにとって必要な場合もあり、ライカ自身がそのための改造を引き受けた姿勢は高く評価できる(今はしていない=プロ向けにはライカだけでなく日本のメーカーも「現在でも」可能な範囲で対応している)。M3はある種の原点のカメラであり、風評どおり最高の仕上げであることは事実だが、これをもって最高とは思わない。その後の50年の開発・改良でずいぶん使い易くなっており、やはり一番いいライカはM7だと思う(好き嫌いとは関係ない)。新MPの誕生で「後戻り」した感は強いが、それはM5からM4−2になった時と同じで、メカニカルライカを残すことに意義があると見ている・・・つまりだいぶ以前から「新品で買えるクラシックカメラ」となっていたライカの面目であろうし、それにはM3−M2の時代のテイストが必要だったのだろう。すでにアナクロどころかデジタルにとって替わられる時代となって事の重大性とビジネスの共存が了解されたのだろう。 さて技術者氏が評価した初期型についてひとつだけ機構的な不安がある。巻き上げがラチェットギア式でなくスプリング式なので、巻き上げ感触は良いのだが力を入れすぎると故障する可能性がある。そうなると部品がないので高く付くことになる。その後のライカ(他メーカーも)ラチェットギア式になっているので、たぶんそのほうがいいのだろう。 大筋で云えばライカの歴史はコストのダウンと機能の改良と言えよう・・・例外はファインダーの距離計部分の内部構造だろう。これだけは明らかにM3が以後のボディにまさっている。生産は1954-66年で総生産225000台強。

こちらはフレームセレクターのない標準的な初期型M3。+エルマー50mmF3.5。

沈胴したズミタール5cmF2付き。私自身はM3のデコラティブな「額縁ファインダー窓」は好まないが、一般論としてはフラットになっていく、これ以降のモデルより好まれているようだ(好みの問題も大事なので否定はしない)。M2/M4と共にさすがに「新しいライカ」より造りは丁寧で建て付けはとても良好。惜しむらくはM3のファィンダーで0.72が実現されなかったことだろう。昔のことはいざしらずRFにはワイドが必然的だと思われるのである。

初期型M3+DR summicron 50mmF2…きわめて美しい。

2.M2  前期型2台(1958/1958)

M3の普及型と位置づけられているが、その後のライカボディの推移を見ると、M3よりM2の発展した系譜が認められる。私もRF機の特質を考えると、外付けファインダーなしでワイドが使えるようになったことに最大の進歩を見る。フレームの切り替えで35/50/90がそれぞれ単独で出るためファインダーはスッキリしている。クラシックな雰囲気は次のM4より好ましいと思っている(モダン好みならM6系だ)。唯一の欠点は外付けのフィルムカウンターだろう...格好はいいのだが当たると動いてしまい、個体によっては円盤がぐらついているものもある(はやり内蔵すべきだろう=このあとのモデルはこの点だけはM3方式を採り入れた)。旧ライカビットは特殊なモデルは別としてM2には無調整で取りつくはずである(私は持っていないので試したわけではない)。M型ライカはM3/2、M4系(M4/M4-2/M4-P)とM5/CL、M6系、M7系といくつかのグループに分けられるだろう。M6より前のボディは仕事で使うことはあるまいが、趣味としてはたいへんいいものだと思っている。もちろん趣味の範囲ではおおいに使いたい...だから友人達と撮影に行くときはバルナックライカも含めて古式のボディを使うことが多い。生産は1958-67年で総生産80000台弱。

-前期型のライツ純正改造モデル。外観だけを見ると、セルフタイマー付加とファインダーの採光窓のディフューザーが後期型になっている。+トプコール5cmF3.5

上のボディをブラックペイントした。値打ちはともかくとしてオリジナルより間違いなく綺麗である。しかしあまりこういうことに手間ひま(そして塗装費)かけるのはどうかと思っている。車と同じで傷や錆などをリペアするついでにペイントすべきで(メッキは困難)、特別に元のボディに問題がないのなら不必要だろう。

これはごく普通の後期型。リワインドボタンがレバー式に変わっている。私はどちらかと云うとボタン式の方が理にかなっていると思うのだが...たぶんコストと耐久性の問題なのだろう。 +ズミタール50mmF2  

こちらのボディは比較的最近友人に譲った。大事にしてもらっているようである。現在の姿の画像を送ってもらった。キヤノン50mmF1.2の純正フード(上物)とは珍しい。

2005/12、またしても別のM2がやって来た。価格は低迷しているように思われる。ただし綺麗で低廉なM2は少ない=最後のチャンスと見て購入に踏み切った。現在はM3後期型あたりが買い時か?このライカには顛末がある=「カメラ談義4」参照。

2009.3…ついに初期型のオリジナルのM2がやってきた(コレクション物ではなく、ある程度使い込まれたボディ)。小傷はあるが整備が完全なのと保管状態が良かったためだろう、グッタペルカなども含んで各部はとても良好な個体である。

友人のところから初期型M2(貼り革はM6用、採光窓は後期用に交換)が遅れてやってきた(レンズは偶然同時に来たsummarit75mmF2.5)。これでまたM2は3台になって賑やかになった…ヨジバシのポイントが5万点も貯まり、面倒なので140リットルの防湿保管庫(7台目(@_@)!)をポイントで買って、最近導入のデジタルカメラを全部収納することにした ^^/

上のM2にhologon 16mm F8 T*を取り付けると美しい…雰囲気が「遊び人風」になる。

初期型M2+summitar 5cmF2…2016.4現在3台のM2を保管している。

3.M4  1970年  

M4系統のカメラは各1台ずつ持っている。露出計が入っていないのが惜しい洗練されたカメラ群と言えよう(M6ほどナーバスでないTTLメーターが入っていたら最高に使い易いだろう)。

1967−1975年まで作られたボディである。M2とM3の良い点を合わせ、マニアに云わせるとMライカの頂点とまで云われる人気ボディである(したがってバージョンの変更は基本的にない)。歴代モデルの中では数の少ないM5に次いで高価であろう。確かに最新のM7と比べても機能ではほとんど変わらず(AE化と云う重要な変更はあったが)、仕上げの細かさでは格段に上である。手触りや重さのバランスも良好...これに露出計が入ったなら「究極」と言えようが、私にはM6/7の方が進歩した優秀なカメラだと思われる。コストと機能向上はライカの場合、常に天秤にかけられたのだろう。今度のMPはこれに似ているが、残念なことに巻き戻しがノブになってしまった(完全に40年近く退行した)。ごく最近友人の所からやってきたボディで、大切に扱っていきたいと思っている。詳細は撮り込んでからとしよう。レンズはジュピター35mmF2.8。総生産数はクローム・ブラック・オリーブなどを含めて約60000台。

M4+summaron35mmF3.5。シンプルでコンパクトな組み合わせだ・・・M4にMライカの極致を見る人もいるが、そのとおりかもしれないと考える。

キヤノン35mmF2.8-II と。私の勝手な感想だろうが、昔の国産レンズの中ではキヤノンの新系統レンズが一番Mライカに合っているように思われる(たぶんデザインがモダンなせいだろう)。

M4系の次のカメラとしてM4-2がある。1975年にM4とM5が、1976年にMDaとCLが製造中止となり、Mライカの生産はなくなった。この窮状を救ったのがカナダライツであり、M4の生産設備をドイツから移転して、1978年からMライカが復活したのである。たった2年余の生産だったが、Mライカの伝統が守られた功績は大きい。M4からの改良点はホットシュー追加とボディ下面の巻き上げカプラーの付加(モーターが付けやすくなり、この規格は現在も続いている)やデザインのモダン化があり、セルフタイマーの省略などのコストダウンは大いに計られている。短い間に細かなバージョンの変更も多く、生産技術の不備から初期のボディには不良品(ちょっと言いすぎ)が出たようだが、それらもドック入りで改善されたし、他のボディは問題もなく動いている。私のボディも(1979)健全である。この個体の少し変わったところはフィルムカウンターの窓の周囲がクロームメッキだと言うことである(標準的には黒メッキ)。初期にLeitz赤バッジ付のモデルもあるようだが、これは資料(「ライカの70年」ジャンニ・ログリアッチ著)によると、ライカ社の公式データでは1468001-1468091x5/6台作られたモデルであるとのことである(友人が所有)。レンズはズマロン35mmF2.8...よく黒ボディと白レンズ(この逆ではあまり言わない)の組み合わせを「バランスが悪い」との意見があるが私はそうは思っていない。アクセサリーではないのだから性能・機能・せいぜい価格が大事なのであって、あまりジュエリー的な感覚で選ばない方がいいだろう。M4−2の総生産はゴールドも含めて17100台。

ズミクロン50mmF2/1stの後期モデルと。確かにこうやって見るとライカには標準レンズが似合うのかも知れない。

友人のM4−2−LEITZマーク・・・非常に数が少ないボディのうちの1台。ある程度使っているが状態は非常にいい。M4の生産設備や部品をそのまま使っての生産だつたようで、M4末期のブラッククロームモデルとほとんど違わない。 これは少し値段が高いが、その次のロット(当然1978年)の赤バッチのないタイプなら「かなり安い」ので購入を考えてもいいと思っている。

と言うわけで上の赤バッチモデルの次のロットで生産された「ミントボディ」を購入した。いくら人気薄のモデルと言っても、ほぼ未使用品が往時の半額で取り引きされている。使うことはないかも知れないが、しばらくの間は安泰に私のもとで過ごせることだろう。

新旧2台のM4−2(左1978/右1979製)。M4−2の一番目のロットと三番目のロットである。外見上の違いは初期がM4に近い・・・1.レンズ脱着ボタンが左がM4スタイル、右が真ん中が赤く塗られたM4−Pスタイル。2.トップのロゴが「Leitz WETZLAR」と「Leitz」の違い。3.フィルム巻き上げレバーもM4用とM4−P用のデザインの違い。4.フィルムカウンター窓の枠が黒とシルバーの違い。5.ストラップのアイレットが旧がブラック仕上げ、新がシルバー仕上げ。6.フレームセレクターレバーが旧はM5に近く、新はM4−Pと同じである。かなり部品の「寄せ集め」があったようだ。

旧M4−2 新M4−2

更に次のM4系ボディのM4-P(1981-1987年)+トリエルマー。これは1981年モデルで初期型なのにほぼ未使用である。ほとんどM4-2と同じだが28mm/75mmのフレームが付け加えられた。このボディもM4-2と同じくカナダで作られた。1984年に登場のM6と4年間並行して作られたが、そのころプロはM4-P(Pはプロフェッショナルの意)で、M6はアマチュア用と思われていたように想い出す。このカメラは随分固く作られていて好感が持てる(建て付けがいいと言おうか)。生産総数はクローム・ブラックで22444台とされている。

キヤノン28mmF2.8と。やはり28mm枠が出るようになったのは便利だっただろう。たとえ「目玉グルグル」でもワイドレンズは重宝だし、28mmレンズの性能アップも関係しての英断であった。これがなかったら私もライカは一生サブカメラに終わっただろう。

1983年に「ライカプロトタイプ70周年記念モデル」として2500台(!)生産されたM4−P。大部分はシルバークロームモデルだが極少数のブラッククロームもあるようだ。メッキはノーマルより綺麗な仕上げと感じられた。つまりM6のテカリの強いものではなく、M4系の目の細かい真っ白なものである。このボディと共にsummicron35mm/50mm・tele-eimarit90mmが「1913-1983」の刻印付きで販売された。あまり人気のない限定ライカだが、私には値打ちがあると感じられた=M5(1970年代)と同様、若かかりし頃の憧れと言うべきか。今でこそ嫌われている「赤丸」も、当時(1980年代)はまぶしく格好が良かった記憶がある。

1913-1983summicron50mmと。

4.M5  2カンモデルの白1台、黒2台 (どうしたものか全部1972年製)

3台とも1972年製なのに仕上げがロットにより微妙に異なる。黒の1台はややマット仕上げで、別の1台はやや光沢のあるブラッククロームである。あとはバッテリー室内の形状が違い、昔のH-Dバッテリーならどうと言うことはないのだが、現在のLR44用のアダプターなら合わないものがある(ひとつは円筒形、もつひとつは奥のすぼまった台形型円筒)。レンズと同じく1970年代まで「個体差」は大きかったのだろう。M5は大きいため比較的大きなレンズが似合う(使い易い)。キヤノン50mmF1.4付き...それとライカらしくないボディ形状のため、国産のレンズも何となくよく合うし使い易い。

私の青春時代のライカボディ...純粋に使い心地だけではなく、そんな郷愁もあるのだろう。当時の価格(ボディのみで20数万円=現在の感覚なら50万円以上)では普通の人間では持てなかった。デザインの斬新さによる不人気と(ライカの意図とは逆の結果)一眼レフによるカメラ界の席巻により、短期・少数しか生産されず(1971-75年生産 白10750台/黒23150台)、それがかえって現在の高値になっている。一般的に外見の違いが最も意識されているが、シャッター速度は1/2-1/1000でファィンダー光学系やフレームセレクターの仕組みの違いなど、それまでの(そしてその後の)ライカとは違う場所が多いカメラである。フレームセレクター切り替え用の仕組みが複雑になったのでレンズによっては取りつけにくいものが存在する(勿論ボディ・レンズの個体差の範囲内)。なおシャッターリングに速度が2秒−30秒まで目盛られているが、これは露出を計るためだけのもので、これで適正を得たのち、バルブで時計を使ってコントロールするのである。Cdsのメーターはフラフラと頼りなく、しかしスポットに近い測光範囲のため神経質に動き、なかなか使い方は難しいが、当時としては最先端の技術である。キヤノン50mmF1.8...レンズも重いがボディはそれに負けていない。

マットブラックのM5/ズミクロン35mmF2/7枚玉を取りつけた。私にとって35mmレンズの最お気に入りレンズだ。唯一3台も持っているライカ...奇跡的に3台ともトラブルフリーである(ただしフレームセレクター・セルフタイマーの白栓が落ちるのは考えもの)。たった1台ライカを選べと言われたら(むろんそんな質問は無意味だが)他人には勧められないが、やはり自分自身はM5を選ぶだろう。

5.CL  ライツミノルタ・ライカ1台ずつ(1973/1976)

1976年私が最初に持った「ライカ」...そして最初のライカマウントレンズ「canon35mmF1.5」。あくまで遊び用のカメラだったが手にしたときは嬉しかった。それ以来大きなトラブルもなく(2度の小規模な整備はしている)今も時々引っ張り出している。ライカのCLに対するコンセプトも製品としてのできばえも評価できるものだったが、M5も含めて当時のライカの商売下手がたたった不幸なカメラである。名前を伏せたOEMは以前も今も存在するが、それぞれのロゴを冠した「本式の共同開発」は珍しく(ボディではこれだけかな?)、その時は感じなかったが今となっては愛着がある。コンタックスやニコンS系方式の裏蓋、シャッターの独特の「プツン」と切れる感触、フィルム巻き上げが軽く回ってパシンと戻る動作感、シャッターダイアルの位置と良好な操作性...どれもが新鮮でライカに似ていない。後日様々なライカを触ってみて、CLとM5だけが相当に他のライカと異なることがよく分かった。ライカツリーではどちらも「浮いた存在」だが、私にとって激動だった青春時代のライカとして「過激なライカ」はとても似つかわしく思う。同時代のライカ2ndバージョンレンズも最も愛する(仕事では使いにくいが=荒っぽい描写)。

もとが安いのと人気がないため、本家ライカCLが安くでたので買った。珍しくメーターは完全に動いているのが決め手...メーターがダメになっているものが多く、直らないこともないが高くつくのである(同じようなメーターのM5は比較的壊れにくい)。同じとされていた両方のCLが微妙な部分で違っていることも分かった。フルフレームの35mmレンズをつけて撮ることが多い=特に小型のレンズはコンパクトなCLとのバランスが良好(これはsummaron35mmF3.5L)。summicron40mmF2(Mロッコール40mmも含めて=やはり両者は若干異なる)も素晴らしい性能で「コンパクトなライカ」であっても「チープなライカ」ではないことは断言できる。

同じズマロンでもMマウントだ。大きく重くなるが扱い易い。

6.ライカM6  白と黒(1997/1998)の2台、そして1994年の「トラベラーモデル」、1995年の「チタン」...「我等のライカ」。私の世代ではM5の時代は若すぎて持てなかった人ばかりだろう。続くM4−2/M4−Pは先祖帰りの時代であり、実用的には古式過ぎたようだ。そして1984年M6はライカファンの多くが望む「古くからのMライカ」の装いで、必要最小限の「近代化=TTL露出制御」を備えて登場した。色々批判がましい意見も出たが、やはりその至便性により、ユーザーへの定着は早かったようだ。このボディは1998年中途まで生産され、次のM6TTL(これもマイナーチェンジの派生モデルと私は考えている)に交代した。日本におけるライカブームを背負ったのはこのカメラであり、それだけオールマイティで完成度も高かったことなのだろう。M5からの発展モデルとならなかったのは幸いである=M5の改良モデルの場合はかなり複雑で混乱のあるカメラとなった可能性大である。こののちのM6TTL−M7−MPと続く道のりを振り返ると、M3/M2系列のシンプルで扱いやすいスタイルの延長線上でのM6開発は、M4−2/Pの代替的なありかたと異なり、たいへん現実的な選択だったと思われる。もちろん空想だが20年後のライカを思い描いての開発と思いたい。ライカ、ライカ...いつもの顔である。

M6改+elmar50mmF2.8...多くの古いMライカの部品が取りつけられる。大きさ・機能・性能どれをとっても難点は感じない。もちろんファインダーのハレやシャッターの落ちる感触、各動作部の滑らかさなど、古い(そして調子のいい)ライカよりは落ちる部分はあるが、写真を撮るという基本的な機能という点では最良のライカだ。MPは更に改良された機械式ライカだが、巻き戻しノブなどに趣味性が強く、必ずしもM6より使いやすいとは言えない。いつかM6の距離計のハレ対策をライカジャパンに頼もうと思っている。

M6+summicron35mmF2ASPH

ズマロン35mmF3.5と。極限まで小さなレンズが欲しい(もちろん実用的な範囲で)。

エルマリート28mmF2.8/3rdと。まったく同世代的な組み合わせだ。ところで、このようなスタイルで撮っている人を見たことがないのはどういうわけだろう?たいていがズミクロン35/50mmのどちらかが着いている。もちろん急いで付け加えると、ライカで仕事をしている人を個人的には知らない。広告や出版関係者に「ほとんどライカだけで仕事を・・・」と云うと、「えーライカでー?!でもエエなーライカは・・・」という具合である。

新しく導入した「M6トラベラー」とキヤノン28mmF2.8。ノーマルモデルとは、貼り革が子牛の革で(バックドアまで)、巻き戻しクランクがなぜか「パンダ」になっていることである。あとは同じ革を使った専用のケースとトランクが付属している。

最近買ったM6チタン、一般的なチタンボディと異なり、Leicaのものはいわゆるチタン色が渋い。着いているレンズはビオゴンG28mmL改で、その仕上げとの相違が分かるだろう。トップカバーはチタンメッキのために真鍮製となっているが、一般的なM6よりボディの角の面取りが多いように思われる。この絵ではファインダーの右肩の部分に表れている。シャッターダイアルの白文字が読みにくい。オーストリッチ風の牛革仕上げ(本物のオーストリッチでは耐久性に問題があるので、風合いだけで良いのだ)の手触りがいい...ただし一般的な仕上げより滑りやすい(私の使い方では滑りがいい方が好ましい)。上のトラベラーよりやや硬い。あとM6トップネーム「ERNST LEITZ WETZLAR」モデルが来ればライカとは当分お別れだ(このボディの程度良好なモノが少ない)。

そのM6初期型がようやくやって来た。完調で外見も綺麗となると長〜く待たないといけなかった。しかしこのボディは極めて良好、限定品を除いて20年前のM6でこれだけのモノは二度と求められないだろう。これは1986年のマイナーチェンジモデル−電池室の蓋が真鍮製から現行品と同じになった。ボディ横に傷つき防止用のプラチップが付いて、中身も露出計の感度が少し上がった−で、1988年のLEITZ社からLeica社へ替わるまでの2年間作られた個体のうちの1台である(シルバークロームモデルもあり)。1986年にこのタイプのブラックボディは約4000台作られた。前半に旧タイプのM6が8000台程度作られたようである(ジャンニ・ログリアッチ氏の本による)。レンズはエルマリート28mmF2.8/3rd初期型。

このような景色。

7.M6TTL...(1999/2000)の2台、これらはファインダー倍率が0.58と0.85である。これまで概ねM3を除いて0.72だった倍率が、0.58/0.72/0.85の3種類になった。もちろん0.72のモデルが中心で、ファインダーフレームは28/90-35/135-50/75mmだが、広角用として0.58には28/90-35-50/75と135mmが省略された。そして28mmレンズ装着時に周辺まで見わたせるようになった。また0.85は35/135-50/75-90と28mmが省略され、望遠が使いやすいと云うより50/90mmレンズが使いやすくなった。M3的な使い勝手である。もちろん距離計はM3ほどではないが、その代わりTTL !! である。このボディはM6の派生モデルと考えている(一般的には別モデルとされている)が、専用ストロボによるストロボTTL-AEの機能が加わり、その回路が組み込まれたために(実はM7への準備もあった)ボディサイズも少し高くなり、シャッターリングが大きくなって、さらに露出計の電源offもできるようになった。見かけ以外では明らかにシャッター音に変化があり、やや昔のライカのような「コトリ」という雰囲気になった。次のM7(2003)までのショートリリーフだったがメカニカルモデルの最後(MPは少し別の考え方で見る必要がある)の機械として、もう少し評価されていいだろう。まだ市場には新品の売れ残りがあり、MPより安価で、実用ライカとして現在最も勧められるモデルである。

M6と並べてみると外見はほとんど同じなことが分かる。異なるのはシャッターダイアル、レンズ脱着ボタン、ファインダー対物窓、ボディ高である。あとは黒ボディの場合、ブラッククロームの質感が違っていて、TTLの方が艶がない。

0.85ボディにズミクロン35mmF2/M3用8枚玉とカナダ・アブラハムソンのトリガー機を取りつけたもの。M3用メガネレンズにとっては50mmフレームが拡大されて見えるため、非常に見やすくなって値打ちが見直される。28mmレンズをマニュアルで使う時(私は28mmが最多用レンズ)は0.58を、標準レンズを多く使う人は0.85を、今までどおり色々のレンズを使いたい人は0.72を使える発想(交換ボディ=レンズもボディも変わらない価格であるライカでは笑い話以上の説得力がある)は、M7/MPでも引き継がれた。

こちらは0.58にコムラー28mmF3.5を取りつけた。28mmレンズがストレス無く使えるのは画期的である。今までどうしてこのような改善がなされなかったのか不思議なぐらいだ。

ハンザ・LeicaM6TTL-0.72。近江屋写真用品(株)80周年限定モデルだ。上のレギュラーモデルはいくつかの偶然で0.58/0.85のブラックボディだったが、これはシルバーの0.72で「持っていないタイプ」と言い訳をしつつ購入した。ノーマルのシルバーより綺麗だと感じるがどうだろう(2006.9)。

8.ライカM7 2002年− (白と黒=どちらも0.72ファインダー)  最近はずいぶん値下がりしてきたが(\239000/2004.9現在=ライカブームの終焉と皮肉にもMPの登場によると思う)、出てすぐに買ったM7は期待どおりライカの理想を実現したものだった。現在はハレ防止対策でファインダーに改良があり、人気は今ひとつだが更に使いやすくなっている。その後1年経って2台目の白ボディを買い、両方ともとても気分良く使っている。現在の撮影はパノラマ撮影以外は、ヘキサーRF、M7、M6(使用頻度はこの順)で、ライカ判の写真はほとんど撮っている。良きカメラはライカ。そして一番いいライカはM7と結論する...勿論そうは云ってもMPもいずれ手中にすることも間違いないが。

最初のボディとコシナ=フォクトレンダー・カラースコパー35mmF2.5-PII。M6TTLと同じサイズだが、仕上げや材質が異なり(どちらも高品位)持つと重々しい。次のモデルのMPよりもドッシリしているように感じられる。AEと布幕電子シャッターの軽さ(音と作動感)以外は操作性もM6TTLと似たようなものである。見た目はともかく大型のシャッターダイアルも、使い勝手は小型ダイアルより断然いい。あとはシンクロ速度が以前と同じ1/50というのを、せめて1/125に改良ほしいものと思っている(デイライトシンクロに支障あり)。たぶん現在のボディに押し込むことが難しいものと納得しているが・・・MPがM6より更に昔に戻ったために、来るべきM8にも悲観的な観測を持っている。

ズミルックス球面35mmF1.4と。視野の加減でワイドは35mmが一番使いやすいが、慣れると28mmでも問題はない。黒ボディもいいが、白ボディはライカらしくて、ぶらさげているだけで気分が良くなる。黒ボディは報道カメラマンのようで「遊び人気分」ではなくなる。

カラーヘリアー75mmF2.5と。ボディの質量があるため、このような長めのレンズでも何ら違和感はない。シャッターダイアルがプラスチックなので質感が少し異なる。TTL−AEもかなり正確である。色々議論はあるが、実最問題として電子シャッターの正確性には、誰しも信頼感を持たざるを得ないだろう。ヘキサーは違った意識で迎えられたようだが、M7はライカであるが由縁に、もう少し慎重な「無言の評価」と思われる=昔CLEが語られたときに似ているようだ。

最近(2007)白ボディは友人にほぼ未使用のまま譲った・・・だが1ヶ月後に別の友人からM7Bがやって来て、もとどおりの数になった。

9.MP 2003- BP/0.72  MPが発売されて、早くもあしかけ2年がたった。出た当時は「先祖がえり」との見方をしていた(もちろん今でも半分はそのように思っている)。M7によってライカとしては最新鋭のボディとなり、私も白黒2台を購入しヘキサーなどと並んで便利に使ってきた。一年後、それと相反するようなMPの登場に、例の「限定モデル」ラッシュの一環としか捉えられなかったのである。新旧ライカの並行販売が続いている(しかもどちらも3種類のファインダーを備えて)ことに、ついに私も考え方を改めた。つまり昨今の銀塩カメラ業界の全体的な崩壊の進行に、実用と非実用のボディを作り、数は少なくても広範囲のユーザーの期待に答えるような意味があったのであろう。そう言えば何年も前に、ライカAGのスポークスマンが「ニッチ」を繰り返し述べていたことを思い出す。この数年RF系カメラや高品位のAF一眼レフで最後の花を咲かせた日本の各メーカーが去りつつある現在、ライカの踏ん張りは良心的とも執念とも言えるだろう。M8はいったいどうなるのか?デジタルにはならないのか、あるいはライカツリーにデジタルの枝ができるのか、おおいに興味がある。たぶんM7/MPの時代はM6ほどは長く続かないだろう。

スーパーロッコール45mmF2.8と。細かな改良点は「ライカ通信 no.10」でも見てほしいが、おおざっぱに見るとM6からの改良点はファインダーの見え(独特のハレの軽減=これはシーベルその他でM4-2からM6TTL/M7まで有料で実施している)、シャッター音やショックの低減(これもかなり気分の問題)ぐらいで、ほとんどM6そのものと云っていい。ただしM6TTLベースの限定ボディとは異なり、性能やタッチを改善しているのは評価できる。上述しているようにライカを愛する人達にとって「置物」ではない、街へ降りて写真を撮る道具として考えられているカメラなのである。それにしても、M3式のレバーはご愛嬌としても、巻き戻しのノブは「一生懸命撮る人」には不向きである...としても、そういう人はM7で撮ればよくて、ここでは「儀式もまた楽し」と割り切ろう。おかしなこじつけで斜め取りつけのクランクを持つM4−M7より、シンプルな分丈夫だとの解説が見られるが、ここは素直にライカ、そしてレンジファインダーカメラの「栄光の時代のテイスト」を味わうとしておいた方が良かろう。私は多くのライカで多くの仕事をしてきたが、M4スタイルのクランクに便利さを感じるとしても不安を感じたことはないし、他のライカ使いからもそんな話は聞いたことはない。そしてMPは各部の精度を極限まで詰めたとも書いているが、これは5年ぐらい使わないと分からない。総体としては騒ぐほどのモデルチェンジとは見られず、M6(つまりメカニカルライカ)の改良版ていどに見ておいたらいいだろう。そして巻き戻しノブのことはいいとしても、貼り革はいただけない=「ライカを愛する人のライカ」ならば、ここはM6並みでいいから昔からの質感にして欲しかった。むしろM7こそ、このスタイルにした方が理にかなっているのではなかろうか。クドクド文句を書くようだが、結論としてMPの加入によって、少しだけの前進によって、私のだけでなく世のM6は蔵の中で眠りにつく公算があるだろう。新しいカメラとはそうあってほしいものだ=古いモノを排他できうる実力が欲しいという意味。私もライカは大好き、明日から使う。 シーベルが去って、本気の商売かどうか不明だが、3月からライカAGが乗り出してくる。節目の今、ライカのために何かしたいと思った。

MP+キヤノン50mmF1.2。大きなレンズは、やはり見た目だけではなく持っていてもバランスが良くない。ただしMPは比較的重いので(M3/595g-M2/580g-M4/600g-M5/680g-M4-2/520g-M4-P/545g-M6/560g-M6TTL/600g-M7/610g-MP/600g)首からぶら下げても前下がりは緩和される。実際にフィールドワークで使ってみたが、やはりフィルムの巻き上げと巻き戻しは不便である(折れ曲がる巻き上げレバーと斜め巻き戻しクランクは秀逸だ)。あとは確かに全体にM6より滑らかさが増しており、ファインダーのハレも低減されている(とは云えM3のそれを期待してはいけない)。貼り革の「砂目」はすぐに慣れた=そもそもライカの魅力のひとつであるボディの滑らかさは、ボディの保持の方法の自由度に貢献していて、その意味では「砂目」は更に進んでいるとさえ言えよう。私は持ち方の規制される「グリップ」「へこみ」がボディにあるのは大嫌いなのである=ヘキサーやベッサにある僅かな突起さえ「使いにくい」と感じてしまう。ボディをガッチリと掴むにはいいのだろうが、使用レンズや撮る状況により、右手・左手・両手でのホールド・縦/横位置・上下左右のアオリ位置、さらに「つまむようにして持つ」等々、私には持ち方の自由度がどうしても必要なのだ。手振れの危険性は練習で緩和し、柔らかく構えることが肝要である。ブレッソン=「鷹の目とビロウドの手を持つ・・・」ここに本質がある。貼り革は合格点!

ヘキサノンKM35mmF2と。レンズが大きすぎてバランスが悪いが、大切なのはL/Mマウントレンズのすべてが使える安心感だ。ライカレンズだけが良いとは限らないからである。

形だけなら、M2/3の部品を使ってM6ベースで簡単に真似られる。性能/定格の少しの進歩が必要なのである。

MPの0.58モデルは製造中止となったらしい(特注には応じるようだ)。そしてライカそのものの値上げが2月にあり、在庫品のボディも上がることになるため、28mmレンズを中心に使う私は急遽0.58モデルの導入をした。0.58はシルバーモデルのみで、梨地部はまずまずだがポリッシュ部のメッキはごくありきたりのの電化製品並の仕上げで好ましくない。定価自体はM6TTLよりだいぶ上がったにもかかわらず、内部外部ともにコストダウンは明らかだと思われる。ただし性能/機能としての完成度は高いように思われる。当たり前の話だが「現代的な」シルバークロームメッキは、GRレンズとMPに共通で色・質共によく合っている。

10.D-III (F)  1933-1939年の製造で、ブラックペイント27366台、クローム49091台。本当の呼び名は「ライカ-III」、あるいは「ライカF型」(ドイツ向けとアメリカ向けという説もあるが、どういうわけか呼び名に錯綜があり、III a から統一された)なのだが、日本では現在でも、初めての距離計連動カメラ「DあるいはII型」と同様に、D-II/D-IIIと呼びならわされている。シャッター速度 T.1-500、距離計連動、視度補正機能、その他の多くの機能とサイズなど、1933年(D-IIは1932年生産開始)の時点でいわゆるバルナック型ライカの原型が完成した。あとは戦中戦後を通じてIIIgまで改良の継続であった。

このボディは1934年製。完全に動いていて、IIIFと比べても性能・機能において何ら遜色はない。距離計プリズム(これが経年変化で曇ってくる)とシャッター幕は交換したが、それ以外はノーマルである。それにしても70年以上前の、祖父の世代のカメラが大きな問題もなく動いている=これはカメラ本体だけではなく、フィルムの規格や現像−プリント、はてはスキャナーの規格にまで浸透させた、ライカが作ったのではないが、ライカが135カメラ(敬意をこめてライカ判と云う)の世界を極めていったことの証だろう。銀塩カメラはいずれ消滅するかも知れないが、135フィルムのシステムは最後まで残るだろう。

最新のレンズと組み合わせても問題はない=マウント(距離計との連動も含め)の規格の継続性がはかられているため。メッキ部分はニッケルメッキでクロームよりも、やや黄色っぽい。メッキの被覆力が小さいために、操作することの多いフィルムの巻き上げと巻き戻しのノブなどは地肌の真鍮が露出している。しかしブラックペイントはMライカの時代より強いらしく、それほど大きく剥げてはいない。少なくともM3ペイントのようなアワが浮いてくるようなハゲ方とは異なる。バルナック型ライカは、DIII/IIIa/IIIb/IIc/IIIcxf/IIIfと持っているが、もっとも使うのはDIIIである。勿論それでもたまに使う程度だが、趣味としてはいいカメラだと思う。

11.IIIa (G) 1936年モデル  このカメラは1935-1948年の製造となっており、総数で92,600台とかなりの数が作られた...戦前のオールドライカの中では最も多く作られたボディである。 だいたいが上のDIIIのマイナーチェンジ版的な要素が強く、DIIIに1/1000のシャッター速度が追加されただけのように資料としてはなっている。しかし現物を比べてみると、貼り革がIIIaの方が滑らかになっていたり、エンクレーブがしっかりとしていたり、ボディ各部の面取りがなだらかになっていたり、微妙に仕上げが現代的になっている。おそらくライカボディの生産も安定した軌道に乗って、手作り的な要素が少なくなったことと推察できる。内部機構の改良としてはシャッターに改良があり、シャッターショックが小さくなっている=これは体感できるレベルだ。1/100で比べると「パコッ」から「バシャッ」という感じで確かにショックと音は小さくなっている。そしてスローシャッターダイアルにクリックが付いた。あとはファインダーを覗くと両者は同じだが、距離計窓を覗いたらIIIaは自然な色で(実像、移動像ともに同色)、DIIIは実像がマゼンタがかって移動像が緑色がついていて、コントラストはIIIaがいいのだが、ピント合わせはむしろDIIIがしやすい(距離計像の色を変えてピント合わせをし易くすることはDIIにもあった)。以上現品を見ながらの説明であるが経年変化(70年前のボディ!)や後の時代の改造があるかも知れないので参考程度にしておいて欲しい。ひとつだけ言えることはIIIaは戦前のライカのひとつの完成形で、数も多いため安価で安定した個体を見つけやすく、オールドライカを欲しければ最も適したモデルと言えることだろう。同程度のDIIIと比べるとクロームでは2−3割、ブラックペイントなら4−5割は安く買えることだろう。

*注意!IIIaも含む、旧いライカではフィルム巻き戻しの時にはレンズキャッブを完全にしておくこと。巻き戻しレバーをRにするとロックが外れ、シャッター幕が開いてしまいフィルムが感光してしまうことがあるからである。シャッターチャージ時は間違いなく開き非チャージ時でも怪しいため。これは次のIII bから改良された。

これはソ連のジュピター35mmF2.8を取りつけたもの。貼り革はまさに皮革で、DIIIと比べると「やや」茶色味がかっており、「やや」手触りがサラサラしている。これは完全に個体差か経年変化と言えるだろう。上のDIIIとはたった2年の差である。

別角度から、レンズはキヤノン50mmF3.5。各部のエンクレーブを上のDIIIと比べて欲しい。単なる手ズレの差だけではない。

12. III b (G1938) 1938年モデル 1938-1941年(III c の時代の1946年に600台再生産)の製造。全部で32,705台作られた。III a がDIII の改良型、そしてひとつの完成形だったように、III b も次のIII c/III f への暫定モデルであるのと同時に、それなりに前モデルと比べて完成度が高まっていることになっている。ライカ独特の「漸進主義」である。結果として常にスタンダードなモデルが造り続けられることとなる。III a からの大きな変更はファインダー接眼窓と距離計接眼窓が近接になったことであろう。それに伴い視度補正レバーの位置も変わった。III a の改良型とは言え、戦争による中断を経験して、III aとの並行生産で、III a やスタンダードより少ない数しか作ってはいない。そして次のIII cの開発が1940年だったため「つなぎ」モデルとの評価もあるが、そうとばかりも言えないだろう。III a/b/c には戦争の影が大きく落ちているような気がする。つまりIII b はドイツ国内では販売せず、外貨獲得のために「新型ライカ」として外国で売られたいきさつがこれを暗示している。

Summaron35mmF3.5と。他の部分はオリジナルをとどめているが貼り革だけは後日の貼り直しである。と言っても本革で随分以前のリペアなことは間違いない。なにせ70年近くも前の機械である、戦争をくぐり抜け仮に20年後にリペアされたとしても、それから50年も経っているのだ。オリジナルはIII a と同じで、もう少し細かな目の革だ。稀少モデルなのでIII a やIII cより高価で、かつ程度の良い個体の数も少ない。ここで分かるのはIII aと比べて距離計の対物窓が1mm大きくなっていることである。

III b (左)、III a (右)のファインダー部の比較。その後のバルナックライカの見慣れたファインダー接眼部=実際に使ったとき、速さは確かに速くなったとしても、機構としては旧いタイプの方が見やすいと思う。距離計の性能自体は、このふたつでは変わらない。外見だけではなくファインダーの構造が変わったため、そして熟練工の手作り的な生産方法からの脱却で、ファインダーブロックの支持部(シャーシ)が板金から鋳物に変わった。それに伴い軍艦部(トップカバー)が1.2mm高くなった。メッキは旧いタイプのIII a より少し荒く、全体に僅かだが仕上が低下しているように思われる。

コムラー105mmF3.5と。内部機構としては、シャッターのブレーキとフィルムの巻き戻し機構に改良があり、III aまでのライカでは巻き戻しレバーをRにしてもシャッターが落ちなかったのを、III b以降ではR位置にするとシャッターは開かずに落ちることになった。これにより巻き戻し時にシャッター幕が開きフィルムが感光してしまうという事故がなくなった。今では考えられないことだが、これがオールドライカの時代では大きな改良だったことは言うまでもない。

13.II c  1951年モデル  1948-1951年の製造で、ひとつのタイプで9999台が作られ、最後に1000台が追加的に作られた。これは最後のロットの1台でかなり奇跡的に綺麗でオリジナルな個体である。と言うのも IIcはIIIcの廉価版として作られたため(もともと少ない=IIIcは13万台以上作られた)後日 IIIcやIIIfに改造されたものも多く、酷使されて消えていった個体も多いためである。私にとっては拾いもののライカと言えるだろう。

IIIcと違うのはスローシャッターが省かれていること、アクセサリーシューの留め方が簡便化され、IIIcの4本ねじから2本ねじになっている(これは機能的に劣っていることではない)。あとはまるっきり同じと考えて良い。簡略モデルが数が少ないにもかかわらず(IIc/IIf)安価で買えるのに不思議な感じを持つ。

14.III f  1953/1954年モデル  1950-1957年の製造で、Mライカになる前の最後のバルナックタイプだ=III g が本当の最後だが、これはM型が出たあとに旧いライカを求める人用に追加的に製造したものと思われる。M3もごく初期は「大きい、重い」という、今から見ると的はずれな意見があったのである。さてこのライカは面白いモデルで、III fのボディを基本にIII cの部品を一部組み込んだものである。ライカは部品の互換性が高く、70-80年前から各種の純正改造モデルが存在している。バルナック型では特にそのようなことが多かったようで、1932年のスタンダードにDIIIのファインダーを組み込み、のちに更にIIIfの部品を入れたようなボディも存在している。当然、純正と非純正があり、私のIIIf/cは非純正である。LEITZの実施したのは旧いモデルを新しい部品でレストアし、最新のライカにするアフターサービス的な意味合いだろう。別の理由で製造中止のモデルが再生される=いわゆる部品取りで、2台、3台の部品を合わせて一台の完全動作ボディを作ることも可能である。少し範囲は狭まったがMライカでもある程度の互換性はある。 III f は全部で184000台程度が生産され、バルナック型では群を抜いた台数である。Mライカを含めてもM3(20数万台)とM6(正確には不明だがTTLをM6に含めればM3より多いことは間違いなし)に次いで多く作られたライカの名品と言えよう。

1953年モデル。セルフタイマーのないモデルの最後のロットで作られた。外から見ると巻き戻しノブがIIIcのものだけだが、内部にはもう少し多くの部品が組み込まれているようだ(私はメカに詳しくないので不明)。 III f はごく少数の軍用モデルを除いてはシルバークローム仕上げである=メッキの質はM3並かそれ以上だろう。数が多い割にはバリエーションは少なく、シンクロダイアルの文字色が黒と赤、そして後期にはセルフタイマー付きがあるぐらいである。それだけ完成されたカメラなのだろうと理解している。レンズはソ連のジュピター50mmF1.4、こんなレンズもライカマウントのユニヴァーサル性により問題なく取りつけられる。

年代的に見てブレッソンはサンラザール駅での写真(1932)をこれで撮ったのではないが、それらしい雰囲気を持ったカメラである。たぶん1932年に出たライカ最初の距離計連動機のDIIのはずである。ブレッソンはNHKのインタビューの中での回想として「このカメラとの出会いがなかったら写真の道を歩まなかった」ことを述べている。有名な「決定的瞬間」の代表作が、発売されたばかりのライカDIIで撮られていたとは想像するだけで素晴らしいことである(もちろんこれは私の推定で、ひょっとしたら平凡なクラップカメラで撮られたものかも知れない)。この絵のレンズはズミタール50mm、まさに同時代のセットである。

1954年モデルに赤エルマーを取りつけた。これが本当のバルナックライカの完成形だろう。ライカにとっても長い道のりだった。基本形から20年も30年もかけて完成される(そして次のカメラにも遺産が引き継がれる)ようなことはもうないのだろうと考えると、これまで以上にライカとLEITZに愛着を感じてしまう。

15.0−Leica (復刻版)2001年

ライカボディ番外編=2001年4000台の限定生産品だったが、商業的には失敗したらしく2003年12月には12万円前後まで下がった。それでも初めは「バカバカしい」と考えて食指は動かなかったが、考えるところがあり購入することにした。今は厳密なテストをしていて「なぜ」ここからスタートしたのか?と言うことを考えたいのである。Mライカを実用として、バルナックを1934年のDIIIまで遡って「ライカ」そのものを使いながら当時の写真家の息吹を感じた。ブレッソン「ライカを持って、さあ街へ出よう!」...その原点のカメラが目の前にある。忠実に復刻されたヌル・ライカだ。忠実由縁に売れなかったが、そのために私の所へ来ることになったのである(定価30万円)。12万でも高いと感じるかも知れないが、ヌルでなくてもI型ライカの程度のかなりいいものは買えない価格である。経年変化のない(しかしノーマルより性能は良いが・・・)プリミティブなライカだ。撮り方はかなり困難になるが、それはいいとしよう・・・もうレンズは買わない・・・今回せっかく人が勧めてくれたほぼ同一価格のsummicron35mmF2/8枚玉をあきらめた代わりだ。実用を越えたカメラの夢を考えるのだ。 フィルターは19mmの汎用品が問題なく取りつけられ(純正のキャップはできないがA36のカブセキャップはできる)どうせダメになる布・革製のキャップの代替えが可能なことも分かった。カメラは使われるのを待っている。 問題点を見つけた・・・このライカは現在のデジタルカメラを液晶で見ながら撮るときと同じようなスタイルで、ファインダーレンズから25cm離して見ると適正な画角が見られる。これが小さくなりすぎてM6の135mm用の枠で見るのと同じような見にくさがある。しかも視度が合わなくて更に見えづらい...老眼のかかってきた中高年には要注意である。ファインダーのピントが合うためには距離を更に離す必要があり、それでは画角が合わなくなる。アクセサリーシューに50mm用の外付けファインダーを着けるという無粋な結果となる。

16.ここからデジタルカメラ編  Leica M9  2010年−

発売当時は2−3ヶ月待ちという状態だった。70万円以上するカメラで、「軽自動車が1台買える…」などと訳の分からぬ議論まであったが、Leicaレンズを多く持っている(そしてLeica使用に慣れている)私にとっては、むしろボーナス価格と感じられた。当時のNikonのフルサイズカメラをレンズ4−5本と共に買えば、はるかにLeicaの方が安くつくのである。しかし別のページでも触れたとおり、不思議な縁でやってきたM9である…まず友人がヨドバシで予約を入れて、待っているうちに別のカメラ店に入っていてキャンセルをした。別に連絡を取っていた訳ではなく、私も「そろそろかな…」とヨドバシ(当時値引+ポイントでヨドバシが一番安かった)に行って予約を入れようとしたら、意外にも「あります」との答、そう友人が予約を入れたM9が入ってきた日にキャンセルとなり、たまたま店に届いていて他店へ回す前だったのである。と言うわけで店と私の利害が一致してその場で購入となった(そのような事情なので店側も値引はLeicaに縛られているもののポイントを倍付けてくれた)。カタログだけ見ているとブラックペイントモデルの方が良さそうに感じるだろうが、実際に並べるとガンメタリックの方が好みである=もっともその時は友人の予約していたのがガンメタボディだったので、これを持ち帰るか2ヶ月待つかしかなかったのだが…このボディの購入でLeica純正・非純正のライカマウントレンズ140本が、また生かせることになり、2005年にデジタルカメラに移行してから暫く遠ざかっていたLeicaに復活できたことは喜びであった。NikonやCanonのフルサイズボディに比べると、あらゆる点で原始的なカメラではあるが「Leica」であることに意味があると言うものだ。現在は定着した価値だが、古いレンズを蘇らせられるよい機会だったと思う。もちろんセンサーフィルターの不良やテレセン問題、感度は400までetc、すべて良しとは行かないが、特筆しておかないといけないことして、Leicaの距離計は風評とは異なりデジタルになっても充分な信頼性があるということだ。位相差AFに比べると精度は落ちるかも知れないが、NikonやCanonでもよくあるAFのズレはほとんど起こらないことに安心感がある=フィルム時代、当時最新最高機種のEOS1で最初にAFを試したときに、ワイドならLeicaがピント精度が良かったことを思い出したのである。このあとLeica ME・Leica M Monochromeと進んでいく序章だった。付記:私のLeica M9はセンサーフィルターの劣化はまだ出ていないが、いずれ劣化するとのLeica Japanの説明でセンサーごと交換した(ME/M Monochromeも)=これにより画調がかなり変わった。

上はエルマー35mmF3.5、こちらは買った直後にsummicron 35mmF2/3rdを取り付けた写真。

17.Leica ME  2013-

今年(2016)1月に買った、新Summarit 35mmF2.4ASPHと共に撮影。 M9が想像より良かったため、そしてLeica M240がMOSセンサーのため(国産カメラと似たような絵になることを避けたかった)、M9からフレームセレクターをはぶいただけのモデル「ME」を値上げ前(Leicaの場合、値上げは常にあり、それも大幅となる=現在は2度の値上げで販売価格は70万円/2013当時は55万円)に予約して、2ヶ月後に入手した。Leicaファンはよく知っていて値上げ告知があると予約するのである。LeicaAGも期日までに予約しておけば旧価格で売ることになっている。このカメラはLeicaAGが「M9で元をとったため、安価に…」と日本では考えられない告知をして発売された(当時の価格=M9/700,000円-ME/550,000円)。それ以外は変わりませんとなっていたが、若干の改良があったらしく、絵はほんの少しMEが良く、その分機械は同じなので少し遅くなった。見ての通り貼り革はクラシックに戻り(感触はサラサラしている)グレイペイントは斬新となり、メタリックなM9より好みである。そのような訳で(安っぽく、時に指に引っかかるフレームセレクターはない方がかえって良い)MEの方が出動は多い。

2013年、買った当時の写真=カメラを買うと、まずストラップを付ける前に必ず姿写真を撮ることにしている。最初に使った時のレンズがZeiss Biogon 35mmF2.8 ZMと言うのも何かの因縁か? これで大阪市営渡船の写真を撮りに行った。

18.Leica M Monochrome  2013-

さてLeica M Monochromeの登場。マットブラック仕上げで一切の型番やロゴを廃している…いかにも報道用カメラだ(これもフレームセレクター不要なのだが…)。貼り革もクラシック調で、Leica M9/MEなどよりシック、かつ威圧的ですらある。CCD-1800万画素をすべてモノクロ用に使っていて、シャープネスもモノクロの階調性も充分に出せている。モノクロ専用機なのでモノクロ用フィルターも使え、「昔のLeica」の雰囲気の硬派なカメラだ。 これも値上げ前に発注し、現在(2016.4)より20万円程度低い価格で買えた。レンズはminolta G-rokkor 28mmF3.5=現在はRICHO GR28mmF2.8なども含めた現代的なワイドレンズ専用にしている。

京都「瓢亭」でのスナップ(minolta G-rokkor 28mmF3.5)…この程度の縮小では伝わらない質感がオリジナルでは発揮される。ひょっとするとデジタルM型Leicaでの最高傑作カメラかも知れない。

19.Leica M Typ262 2016.9

M9系の3台にデジタルLeica2世代目のLeica M Typ262が加わった。センサーが第一世代のM9系の1800万画素CCDセンサーから2400万画素MOSセンサーに代わった。まず動画やライブビュー撮影可能となつたMが出て(私にはこれらの機能が不要なのでMは買わなかった)、そこからスチル専用に機能を取り去ったM262となったのである(ほぼMEと同じ)。センサー以外の大きな変更はファインダー内フレームがLED式になり見やすくなったことで、ボディデザインとしては間が抜けた印象があるがよいことだと思われる。そしてシャッターの感触は大きく異なって音が短く小さくなった。しかしややボタンが重くて深いため軽快感は減った=これらは慣れるしかないだろう。M9と2台持ちで撮影するととまどうかも知れない=M9は軽快で賑やかだ。さらにメニュー操作系がMのものを踏襲しているためだろうがM9に比べると煩雑な感じがする…これも慣れるしかない。貼り革はM9系のさらさらした手触りからやや昔風のゴツゴツ感がある。作る絵もM9と大きく異なるものではなくレンズの味を出せる良好なセッティングだ。デジタル臭くなくフィルムっぽいのが好ましい。

20.Leica M10  2019.6  Leica純正の黒バッジモデル(特注となる)

「デジタルカメラ・レポート」にもあるとおり、M型デジタルLeica第一世代(CCDセンサーのM9/M-E/M Monochrome等)、第二世代(CMOSセンサーのM240系)、そして第三世代のM10と、ようやくLeicaレンズを使えて、一般的なデジタルカメラと肩を並べられる画質を得るのに到達したようだ。機能や精度では国産カメラに敵わないが、フィルムのテイストやLeicaレンズの味を残しつつ、よく旧レンズ群とも親和させてここまで持ってきたものだと感心している。もちろんその価格は授業料としては高すぎるが、Leicaだけで撮ってきた期間の長かった(そしてフィルム時代のLeicaレンズをほとんど所有している)筆者にとっては重要なことなのである。そして未完成だったLeica M9なども独特の個性があって(「ブログ」の写真群を見て欲しい)捨てがたい絵を作ってくれている。今はどうしても機能の差により主力はNikon Z6やSONY α7R-IIになるが、いずれブラリと旅に出る時期が来たらM9/M10/M Monochromeの出番となることだろう。

オートポジションにして6bitコード付きのレンズを中心に使うようにすることにした(あるいは旧レンズをマウント純正改造して6bit対応とするか)...ただしオートポジションでも多くの旧レンズはM9のように絵が激変することはない。当方18/28/35/50/75mmと6bitレンズがあるので使用には差し支えないが、好きな旧レンズを1−2本改造したいと思っている=elmarit28mmF2.8 3rd & summicron 35mmF2/7elements。

21.Leica M-E Typ240   2019.11

今年7月に発表後「幻のLeica」となっていたLeica M-E Typ240を新品で入手した…発売日にLeica Japanに問い合わせたところ「完売」とのことで諦めたモデルである=6月にM10を入手していたので、スペックダウンモデルをわざわざ買うこともないと思って、それ以上追うこともしなかった。しかし今頃になってまた市場に出てきた…まず有力小売店が何台か発売時に仕入れていて、今少し出してきたと思ったが、少しネットで調べると妙なことが分かってきた。Leicaストアのサイトには「限定生産、なくなりしだい終了」となったままで完売とはなっていないこと、そもそも限定品につきものの「限定00台」もない。Leica M Typ240ブラックが販売終了(すでに生産は止めていてシルバーはまだ残っている)となっている点、また各種の個人ブログサイトに8月購入などという記述も見つかり、筆者の推定に過ぎないが、Leica M9−MEの時に生産の終わった部品を集めて、少し体裁を変えて20万円近く格安に出して批判をされたことを、今回はM10の登場(これは相当のスペックアップ)で余った部品を集めて、またLeica M-E Typ240として造り、売り切る腹ではなかろうかと思う次第である。旧M-Eは限定品ではなくM9のスペックダウン(本当は性能ダウンはしていない)定番商品として売っていた…今回はLeica M Typ262セットやLeica M-E Typ240として(いずれもオリジナルM-240よりかなり安価)限定的に小出しに出しているように思われる。 どちらにせよ、かなり安いと云っても=Leica M Typ262セットはSummarit 50mmF2.4やストロボ、Leicaバッグなどが付いていて実質的にボディ単体の値段でレンズ等が付いている(これはまだ売れ残っている)=どうも旧製品の売り方を変えているように感じられた。このカメラ自体はよくできていて、ほとんどM240の機能を受け継ぎ(バッファメモリーは増加)、ライブビューや動画もOKだし、モニターには最初からガラス製保護シートが貼ってある(ショット社製というのにユーモアさえ感じた)。ともかくM9/MEの関係と同様、M240/M-E240は同じだと言える。もしまた市場に出てきたらLeica入門者には良い機械かも知れない(レンズはあまりに高価だが...)。

旧M-Eと同様、さりげなく機種の彫り込みがある。ボディにはここにしか表示はない。仕上げも旧と同様、オリジナルモデルとは変えてきていて、粉体塗装のようなザラザラしたアンスラサイト仕上げである。

幸運により手に入れたLeica M-E Typ240に、2011年にOLYMPUS E-PL2用に買った外付けEVFを取り付けてみた(エプソン製でM240用のものと同等品)...何か設定やファームウェアが要るかも知れないと思ったが、無調整で使用ができることが判明…さっそく外に持ち出した(Leica M-E Typ240も初めての実写)。EVFは発売当時はかなり高精細な部類だったが、今となっては「取りあえず使える」レベルだろう。OLYMPUSのボディに取り付けたよりファインダー像はクッキリしない。しかし使ってみると、このEVFにはメリットがハッキリとあることが分かる。まずデメリットは、1.嵩張る。2.電気を食う。 メリットは、1.一応ライブで見られるためレンジファインダーの弱点である視差がなくなる。2.望遠レンズがフルフレームで見られる=ただしEVFでピント合わせをするより距離計で合わせた方が楽である。3.28mmより短いレンズを頼りない外付けファインダーでなく正確な画面で見られる(私はワイドを多用するため便利)。4.測光がマルチスポットとなり、普通撮影時の中央部測光より使いやすい。5.3にも通じることだがファインダーにフレームの出ない25mmだとか40mmや60mmなどの中途半端な焦点距離のレンズも勘に頼らず使えること(マウント遊びはしないので距離計連動のレンズに限った事だ)。 2/3/5は距離計でピント合わせをしてEVFで構図を決めるという手順となり面倒だが、古式のファインダー派の私にとってLVで撮影するより遙かに自然に撮れるのである。


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